第三十五章 街道を南へ
ボルのチーズの売出しは、街道沿いのいくつかの町の旅籠と提携して行われた。
アルビ周辺では朝霧楼の名前はひとつのブランドになっており、朝霧楼の厨房の責任者がその味の良さを保証したとなると、結構な宣伝効果が見込めた。それに、マークが持ち込んだ高級感の有る緑色の包装紙も朝霧楼の職員のエプロンや看板に採用された色に合わせたものだった。
人々はその包装紙を見ると、朝霧楼の評判の料理のイメージを、このチーズのイメージと重ねるようになった。
ボルを離れるにあたり、マークは魔法を解いて自らの身分を明らかにし、チーズの生産と販売に関して、エスコバル公爵家がバックアップする事を約束した。そして、自らのサインと金色の手形の入ったチーズの推薦状をゼキに託した。
「色々と世話になったね。何か厄介事が持ち上がって困ったら、朝霧楼に連絡を入れてくれるかい?都のほうの屋敷でも構わないが、遠いから不便だろう?すぐに何とか手を打つようにするよ」
「何から何まで、細やかなご配慮、ありがとうございます」ゼキは大いに感動していた。
幼い子供たちはマークの金色の髪と緑色の目を見て、目を丸くしていた。
「本物の公爵様だ」
「金の龍様だ」
「ロザリアお姉ちゃんとクラウスお兄ちゃんも、魔法で髪の色や目の色を変えているの?」
「クラウスはあのままの琥珀色だけど、私はちょっと変えているわ」
「お姉ちゃんの髪と目は何色なの?金色?」
「ごめんね。今はまだ内緒なの。もう数年したら、本当の色で又ボルに来るわね」
「あの、ロザリアちゃんは、やはり高貴な姫君でいらっしゃるのですよね」ゼキの妻は恐る恐る尋ねる。
「このオルトの天地にとって、ロザリアちゃんは特別な女の子なんだ。今は細かい事は言えないが……」
マークのその言葉の意味をこの村の人々が知るのは何年後になるだろうかと、クラウスはふと思った。
街道筋に出ると、村人が総出で見送りに来ていた。
「どうぞ、お元気で」
「是非又、ボルにおいで下さいね」
「皆さん本当にお世話になりました。きっと又ここに伺いますね」
ロザリアはにこやかに微笑んで手を振った。すると花の香りが立ち上り、花びらが舞った。
ボルを朝出発した一行三人は、夜にはアルビの朝霧楼へ無事に戻る事が出来た。
出迎えたハリカのお腹は、もうすっかり大きい。
すぐにハリカも交えて四人で夕食を食べて、ようやく人心地つく。
「赤ちゃんがもうすぐ生まれそうですね」
「ええ。このごろは痛いぐらいお腹を蹴飛ばします。元気な子のようで、うれしいです」
「あっちの世界みたいに、超音波検査も出来ないし、出産予定日の割り出しもちゃんと出来ないから、心配でたまらないけれど、オルトの人はこんなアバウトな状態でも何とかやっているんだよなあ」
「兄様が、そのうち検査の方法を考え出されたら良いかも知れませんね」
「僕の研究テーマは『革命的な食糧生産体制と都市機能の調和』だったからさあ、無理だろうな」
「魔法でお腹のお子の気配や様子を探る事ぐらいは出来ませんか?」クラウスがこう言うと、マークは
「そうだね!その手があるじゃないか」と手を打った。
「じゃあ、僕、今からハリカのお腹の様子を探る事にするから、又明日ね!」
その様子に、クラウスもロザリアも苦笑してしまった。
「今からじっくりハリカさんのお腹を探られるんでしょうか」
「たぶんそうでしょう。兄様、何だか子供みたいね」
二人はしばし無言で自分たちの部屋に向かう。
「久しぶりにゆっくり風呂に入りますか」クラウスとロザリアは手を繋ぐ。
「ハリカさんが、せっかく手配して下さったようだし……一緒に入りましょう」
そう言うロザリアの顔は真っ赤だ。
ほぼ半年振りになる湯殿の湯は、相変わらず豊富で心地良い。
二人は互いに、互いの体を洗った。その間にクラウスはかなりの『いたずら』をしてのけたので、湯船につかる頃にはロザリアはぐったりとクラウスに体を預けていた。
「疲れさせてしまいましたね。このごろのロザリアは前にも増して綺麗ですから、つい、色々してみたくなってしまって……すみません」
「……私の体、なかなか大人にならないわ。クラウスは待ってくれているのに」
「焦る必要は有りません。私は今の可愛らしいロザリアが大好きです。それで時々こんな真似をしたくなるのですが、許して下さい」
「クラウスが大好きだから、別に嫌じゃないの。でも体がついて行けない……眠くてたまらない……」
ロザリアは湯船に浸かったまま、眠ってしまった。何もかもクラウスに預けて、安心しきっているようだ。
「こんな風にされてしまったら、何も悪い事が出来なくなりますよ」
手早く体を拭き寝巻きを着せて、部屋に抱いて帰ってもロザリアはぐっすりと眠っている。
寝床に入ってクラウスが抱き寄せると、ごく自然に体を丸めてしがみつく。
「明日の出発は無理かな。もう一日、休ませてもらいましょうか」
これから向かう予定のトラブゾンはアルビから街道を南に向かって辿り、馬で丸一日がかりという位置関係になる。ボルからの戻りも結構強行軍だったので、幼いロザリアの体には負担だろう。
翌朝、ロザリアは目覚めると、一人でなにやら照れていたが、クラウスはあえて気がつかないふりをした。
朝食の際に、出発を一日伸ばそうというクラウスの提案がそのまま通り、皆のんびり過ごすことになった。
マークもハリカと別れ難かったようだ。
荷物の整理をしていると、すぐに昼時になる。
昼食時の食堂はかなり混雑しているが、今日はロザリアもカウンターに座って客扱いだ。
「ロザリア様、早速ボルのチーズで試してみました。味はいかがでしょうか?」
調理を担当しているハリカの弟が、野菜のチーズグラタンを出してくれた。
「とっても美味しいです」
「うん、すごくいい味だよ。さすがだね」マークも文句無しに褒めた。
するとそこへ、大柄な男の客が入ってきた。カウンターに座り込むと、嬉しげな声を出した。
「や、うまそうだね!俺にもそのお嬢さんが召し上がっているものを貰えまいか?あと、ビールを頼む」
「おや?誰かと思えば……海辺の調査は順調かい?結構、期待してるんだよ」
男は怪訝な表情でマークを見た。
「ああ、お前はこうしないと主の顔もわからないのか。情けない奴だなあ」
マークは魔法を解いて金の髪と緑の目をあらわにした。
「ああっ!こ…」男はよほど驚いたらしい。
「しぃーっ」マークは又、髪も目も褐色に戻す。
「だめだよ、気をつけなくちゃ。料理と酒は、あっちに運んでもらおうか。中間報告を聞かせてくれ」
「は、はい!」男はガチガチに緊張している。
「お前、緊張しすぎだ。しょうがない奴だな」マークは苦笑している。
「じゃあ、僕は、ちょっとこいつの話を聞く事にするよ。又後でね」
マークはロザリアにひらひらと手を振った。
「何のお話かしらね?」ロザリアは海辺という言葉が気になった。
「あの身なりからすると、殿下直属の巡視員でしょうが、正確な地図を作る仕事を進めているとおっしゃっていた事と関係あるのかなあ?」クラウスはそのぐらいしか思い浮かばない。
「なんでも、正確な海岸線の形を調べておいでと伺いましたよ」ハリカの弟がそんな事を言った。
「明日向かうトラブゾンも、ちゃんとした地図が無いのよね。岩の多い海岸沿いだって、以前兄様から伺ったけれど、どんな所かな」
「海は綺麗で魚はうまいですが、他には何も無いですね。本当に田舎です」
ハリカの弟は以前トラブゾンにマークの供をして行った事が有るらしい。その時に目新しい魚料理でも無いかと探したそうだ。
「生の魚を塩をしてただ焼くだけでした。後は干物でしょうか。味は悪くないですが、相当塩辛いですね」
昼食の時間がすんで、ロザリアもクラウスも後片付けを手伝った。
午後のお茶にはもう一息という時間になって、マークはようやくこちらに戻って来た。
「ね、ね、ロザリアちゃん、ちょっと、面白い話を仕入れたよ」
「何か先ほどの方の報告で、わかったんですか?」
「クラウス君も聞いてくれるかい?あのさ、水の剣『シャボンヌ』って、どうやらトラブゾンに大いに関係があるようだよ」
「伝承とか言い伝えがあるのでしょうか?それとも守り伝えている人でも居るのでしょうか?」
「なんかさあ、この街道のドン詰まりというか、南の端に当たる位置に、容易には動かせそうも無い小山ほどの硬い岩があって、その岩の名前が『シャボンヌの岩』って言うんだって。どうやら言い伝えが色々と中途半端みたいで、地元の人間はその『シャボンヌ』が何なのかまるで知らないそうだよ。ただ、『チチェックにより岩は砕け、シャボンヌは現れん』という言葉だけが伝わっているらしい。地元の人はチチェックが聖剣の名前とは知らないから、わけのわからない謎の言葉って事になってたようだねえ」
その岩は、半島になっているトラブゾンと近隣の村をつなぐ街道を塞いで居るという。岩さえ無くなれば街道を半島を一周する形で敷設出来るらしい。
「ロザリアがチチェックと共に、その『シャボンヌの岩』を訪れると、岩は砕け散るのでしょうか?」
「派手に吹っ飛ぶのかな。まあ、聖剣の主たるものそんな岩は恐れるに足りないだろう」
「ロザリアに危ない事が無いければ、良いのですが……」
「何か有っても、魔法できっと防げると思うわ」
「その手があるね。兎も角、ロザリアちゃんとチチェックがその場に行かない事には、話が進みそうに無い」
「そうですねえ……『シャボンヌ』が出現しても主人はどこなんでしょうね。それに后の剣『ヴイーヴル』の謎とも、ひょっとして絡んでくるのかも知れませんし……」
「僕もクラウス君同様、后の剣との絡みを予想してる」
「ゼキさんのお宅で見た書類の通りなら、そうなりますものね」
謎の多い二つの聖剣は、この先、自分の運命に大きく関わって来そうだとロザリアは感じている。
まず明日は、トラブゾンに向かって、その岩に対峙しなくてはならないだろう。
朝霧楼の前を通る街道は、南へ緩やかな下り坂となって続いている。
ここからは、まだ海は見えない。
「きっと、万事、うまくいきますよ」
クラウスは南のかなたを見つめるロザリアの後ろにそっと立ち、艶やかな髪にキスを落とした。
【恋愛遊牧民R+】
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