仮面舞踏会



マスカレードは恋の夜なの、と微笑う人がいた。
王宮に勤める下級女官。大切なこの世界での友人。
優しい褐色の瞳をした彼女はもうじき、故郷へ帰って結婚するという。

「でも」

あたしは中庭を見やり、口ごもる。彼女には近衛騎士の恋人が居ると知っていたからだ。

「期限付きの恋だと、彼も判っているわ」
「…え」
「だからこそ、その夜だけは全てを忘れるのよ。ギルド主催の仮面舞踏会は五年に一度だけ。
これを外せば一生行けないかもしれないわ。…貴女も行く、メイ?」

幾つかある仮面を、彼女はあたしの前に広げた。

「ほら、選んで」
「あたし、ダンスなんか」
「大丈夫、あと10日あるんですもの。騎士の誰かに教えてもらいなさいな。
わたしが頼んであげる」
「………」


ダンスなんか踊れない。
踊りたい人もいない。
そう思いつつもいつの間にか手が、小さな白い仮面を取り上げていた。
そして今、あたしの手は手袋に包まれて、もっと大きなそれの中にある。

 

「…いい夜ですね」

ドレスの輪が交差しそうになり慌てるあたしを、パートナーはすいと巧に引き寄せた。
会場の端に立つあたしを入ってくるなり真っ直ぐ誘った彼を見て、傍に居た友人は、笑いながら去ってしまったのだ。少しくぐもった声。上半分が隠された顔。
仮面はヒトの記号を見事に消し去り、あたしを落ち着かなくさせる。

「はい」

静かに答える自分の声はやはり、くぐもっていた。ドレスを借りて、仮面をつけ。魔法で髪の色まで変えたから、きっとあたしが誰だか皆もわからないはず。そう思うことでやっと、踊りを続ける力が湧く。だというのに、相手は、ふと動きを止めた。

「…?」
「外へ出ましょうか」

有無を言わさず腕を奪う、しなやかなしぐさ。どきり、と胸が鳴る。上着を脱いであたしの肩にかけると、人気のない庭園の隅に、彼は連れ出した。

「雪の、匂いがするね」

低く笑って男が、仮面を外す。白皙の額にかかる髪をあたしはぼうっと見ていた。

「気は済んだかい?」
「……王子様がこんなとこ来ちゃ駄目でしょ?髪まで染めて」
「君を他の男と躍らせる訳にはいかないからね。髪は魔法で色を変えただけだから、すぐに戻るよ。君と同じように」
「………」
「君こそ、何故?」

それだけは元のままの、菫の瞳があたしを覗き込む。
揶揄に紛らせた切ない色が、胸を痛ませた。  

「踊るのはどうでも良かったの。あたしじゃないあたしに、なってみたかった」
「……メイ。君が自分を嫌ってるなんて思いも寄らなかったよ」

一瞬の沈黙の後で、殿下は驚いたように息を漏らす。

「そう?」

ぽつりと言って、あたしも仮面を外した。無意識に手が、夜気に晒された頬を辿る。

短い髪。
淡い黄味を帯びた肌。
風変わりな衣服。
それらの記号が示すところの、異世界人であるあたし。
でなければこの想いを、叶えることが出来たかもしれないから。

ふと。力の篭った指先を、殿下の手が止めた。
傷になるよ、と囁き、今度はもっと近付いて艶やかに微笑う。

「私は、今のままの君と踊りたい」
「………」
「無鉄砲で時々乱暴で考えなしだけれど、優しく強い君に、傍に居て欲しい」
「殿下」
「わかっているんだろう?」
「…こんなの、普通じゃないよ」

あたしはようやく我に返って白い顔を見詰めた。
時々意地悪だけど綺麗で頑張ってて、どこか自信のないこの人が、大好き。
だからこそ言わなくちゃいけない。

「感情に流されてるだけ。ほら、失くすと決まったら急に惜しくなるみたいな。そうでしょ?
愉しいことはいつまでも終わって欲しくないけど、終わってしまえば元の生活に簡単に戻れたりするじゃない?」

あたしなりに、一生懸命考えて言った言葉。だけど彼はひと言の元に切り捨てる。

「違う」
「………」
「君でなければ欲しくない。…還らないでくれ」

やっぱり王子様だ、と思った。
差し出された腕に、顔をそっと押し当てる。涙が零れた。
ずるい。たった数分であたしが幾晩も眠らず悩んだことを、ひっくり返してしまうなんて。

「ごめんね」

甘く啜り泣きながらあたしは言った。

「あたしそそっかしいから、殿下の仕事増やしちゃうかも」
「…構わないよ」
「街で遊ぶのは絶対やめられないし」
「そのときは私も誘ってくれたまえ」

黒いチュニックを纏った肩が、ふううっと揺らぐ。

「殿下?」
「…もう駄目だと思ったよ」

見上げた途端、強く抱き締められた。

「あの女官はね、北の離宮時代から勤めていた者なんだ。彼女が手引きしてくれた。
まあ多少、ギルド長にも協力を要請したけれどね」
「うそ…」

見透かされてたんだな、と思い。また涙が零れる。殿下の唇がそれを辿った。
驚いて身を竦めると余計に強く抱き締められる。

「あのう…動けないんだけど」

恐る恐る抗議すると、彼は菫の瞳を僅かに細めた。

「ところでメイ。元からダンスは踊れたのかな?以前宮廷で断っていたような気がするが」
「付け焼刃だよ。ちょこっと教わったの」
「…誰に?」
「隊長さん。近衛騎士の中で一番上手だって聞いたし、口も堅そうだから…」
「君は自分でも言うとおり本当に考えなしだね。少しは常識というものを弁えたまえ」
「常識!?」
「恋愛の常識だよ」

言うなり殿下の唇が、あたしの呼吸を奪う。

「彼が妬ましくて、気が狂いそうだ…!」


FIN