2011年12月20日10時49分
■東映・テレビ企画制作部プロデューサー・武部直美さん(44)
東京都内の撮影所で11月末、新番組の衣装合わせが行われていた。黒いジャケット姿の俳優に、「下のシャツがちょっと地味かな」。サイズは、えりの形は、ロゴの大きさは。納得いくまで、監督や衣装担当者と詰めていく。
2000年に放送が再開された東映制作の「仮面ライダー」(テレビ朝日系)。復活後の13シリーズのうち、昨年9月から1年間の「仮面ライダーオーズ」を含め、9シリーズを手がけた。脚本家と筋書きを練るほか、役者選び、ロケや撮影の段取りなどをつける。
近年の仮面ライダーは、70〜90年代の武骨な男臭さとは一線を画す。要潤、水嶋ヒロ、佐藤健ら、番組後も出演者が人気俳優として活躍することが多く、若い女性からも注目される。
彼らをオーディションなどで発掘し、「イケメンライダー」のブームを起こした。その流れを決めたのは、02年放送の「仮面ライダー龍騎(りゅうき)」だった。
番組づくりの合間に、ライダー役の俳優たちによるトークショーと写真集の出版を企画した。「そんなの当たらない」と周囲がみるなか、台本づくりや会場の手配まですべてやった。
当日、俳優が登場すると「きゃー」と大歓声。「なに? この反応」。普段のショーの観客は、父親と子どもたち。この日は母親を含め、若い女性が会場を埋めた。写真集は重版し2万5千部売れ、女性誌の取材がどっと増えた。
それまでは「子どもしか見ない番組」と、どこか格下にみられていた。役者を抱える芸能事務所には「芝居に癖がつく」と敬遠されていた。その流れが変わった。「新人を見に来て」と、事務所や雑誌が開くオーディションに招かれるようになった。今やライダーは「若手俳優の登竜門」とさえいわれる。番組や映画で送り出した「ヒーロー」は、50人になる。
視聴率や、変身ベルトなど関連おもちゃの売れ行きは、常に大きなプレッシャーだ。物語や人物設定をこだわり抜いたシリーズであっても、満足な結果が出ないこともある。逆に「オーズ」では、ベルトが予想を超えて近年最多の75万本売れた。
「当たるかどうかは、放送するまでわからない。『これがいい』とスタッフと懸命に作ったのだから、必要以上に悩まないようにしています」
14年前に長女を出産。育休を10カ月とった。育児は、言葉を持たない赤ん坊と向き合う孤独な作業でもあった。「母親も楽しめる番組を作りたい」と思うようになった。
だが復帰後、上司は「育児と仕事の両立は大変。プロデューサーはやめたら」。冗談じゃない。先輩に「一緒にやらせて」と掛け合った。
1シリーズに、撮影陣やスポンサー企業の社員ら200人近くがかかわる。「私なりの統率力って何だろう」と考える日々だ。だからこそ、監督や脚本家をはじめ、みんなのアイデアを大事にする。自分が主張し過ぎると、それ以上のものが生まれなくなる気がするからだ。
ヒーローの魅力とは? 「戦わなくちゃいけない場面で逃げない、あの責任感。それをセリフで言わないところ」。まっすぐな答えが返ってきた。(高橋末菜)
■たけべ・なおみ 1967年、京都府生まれ。中学、高校時代にはクラス演劇で台本を書き、大学時代はシナリオ学校に通った。入社時は商品化権営業部。「ヒーロー番組を作りたい」とプロデューサー職を希望し、2年後に今の部署に異動した。
■凄腕のひみつ
▼家族の支え
仕事が深夜に及ぶことが多く、休みも不規則。実家や夫と協力し、長女(中学2年)を育ててきた。小学校の6年間、研究員の夫が関西に単身赴任したため、夫の実家の裏にアパートを借り、仕事が終わるまで見てもらった。子守役がいない日は、職場に連れて行った。今は毎日、夫が夕飯を作る。「家族に恵まれ、感謝です」
▼ヒーロー大好き
子どもの頃、「仮面ライダー V3」や「ゴレンジャー」が大好きで、女の子向けアニメには見向きもしなかった。大学時代は、刑事ドラマ「特捜最前線」の脚本家に便箋(びんせん)10枚に及ぶファンレターを出して助手に。卒業前に正式な弟子入りを希望したが「女はとらない」と言われてあきらめ、東映に入社した。
▼現場の癒やし
打ち合わせや撮影現場では、ちょっとした差し入れがスタッフの心をほぐす。イチオシは、東映の東京撮影所(東京都練馬区)の近くにあるスイーツ店「西洋菓子おだふじ」の「まほうのチーズケーキ」と「とろけるチョコレートケーキ」。忙しい時でも一口サイズで食べやすく、口に含むとトロリと溶け出すお菓子だ。