松本礼児さん【フォト】
幅広い分野の歌作りで知られた作詞家が、衝撃の最期を遂げた。
松本さんは19日午前4時40分ごろ、東京都世田谷区祖師谷6丁目の自宅前路上で、全身にやけどを負って倒れているのを妻が見つけた。最初意識はあったが、救急搬送された病院で午前10時3分、死亡が確認された。
警視庁成城署によると、現場近くにファンヒーターのタンクとライターが落ちていたことから、灯油をかぶって焼身自殺したとみている。遺書などは発見されていないが、家族は「悩みを抱えていたようだ」と話しているという。
交流があった複数の音楽関係者によると、松本さんは今年5月ごろ胆のうの手術を受けたが、その後ふさぎがちだったという。普段は快活だが感情の起伏が激しいところもあり、「発作的に自殺したのでは」という関係者の話もある。
上智大学を卒業後、日本航空に入社し国際線のチーフパーサー(客室乗務員)に。30代前半のころ、たまたま機内でレコード会社キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)の当時社長と知り合い、引き抜かれる形で1976年に同社社員に。
森昌子(53)の「哀しみ本線日本海」をディレクターとして担当し、並行して作詞活動も。石野真子(50)の「ジュリーがライバル」、故石原裕次郎さんの「ロンリーナイト・ロンリーウェイ」、88年に日本作詩大賞の優秀作品賞を受賞した大月みやこ(65)の「乱れ花」の作詞を手掛けた。
92年ごろに作詞家として独立し、故森繁久彌さんの最後の歌「何処へ」の作詞も松本さん。豊かな才能と幅広い人脈で歌謡界に確かな足跡を残したが、突然の衝撃死に音楽関係者も戸惑いを隠せない様子だった。
★2年前子供に歌プレゼント
松本さんは前妻との間に娘2人、再婚した現在の妻との間には高校3年の長男がいる。2年前、子供たちへの愛を歌った「小さな手」を作詞し、みずから歌ってCDとして発売したことも。趣味でカントリーミュージックのバンドのギターとボーカルを担当、今年も2月に都内でライブを行い友人、知人に好評だったという。
(紙面から)