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[29920] 【習作】VRFPS
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/29 00:21
 一話



 いつも見慣れた光景に少しでも変化があると、それがやけに目についてしまう。授業を終えてだらだらと廊下を歩いていた俺は、そんな小さな変化を見つけて足を止めた。

 それが取るに足らない変化ならよかった。そのまま何事もなかったように足を進めて家に帰るだけだ。それからゲームでもして、時間がきたら夕飯を食べて、風呂に入ってから申し訳程度に勉強して寝る。何も変わらない、いつも通りだ。
 だがこの時俺が見つけた変化は俺の足を止めてその場に縛り付けた。どうしようもないほどの懐かしさと胸の苦しさ。それが一緒に襲ってきて、俺は身動きが取れないまま廊下の隅に置かれた掲示板に釘付けになった。
 年季の入った液晶掲示板のディスプレイには、見るからに素人が作った拙いポスターが映し出されている。

『VRFPS部 部員募集中』

 VRFPSは仮想空間に没入してプレイするFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)だ。うちの高校にもVRFPS部があったのか――という単純な驚きはもちろんあった。だけど俺の足を縛り付けたのはもっと別のもの。例えば大喧嘩して別れた親友と数年ぶりに再会したような、そんな居心地の悪さだ。俺は何かに魅入られたかのようにそのポスターを見つめ続けた。

 気が付くと夕日がディスプレイに映り込み、あたりを茜色に染めていた。帰宅に急ぐ生徒たちの喧騒はすでに消えていて、遠くから運動部の掛け声が微かに聞こえてくる。俺はずいぶんと長い間ここで立ち尽くしていたみたいだ。ばかばかしい。今さら戻る気なんてないのになにをやっているんだろう。
俺は踵を返して歩き出した。その時、

「うおっ」

 と誰かの驚いた声が聞こえたと同時に、俺は何かにぶつかって尻餅をついた。

「痛って……」

 対面に俺と同じように尻餅をついている男子生徒がいる。赤色のネクタイ。俺と同じ二年生だ。

「悪い、大丈夫か」

 そう声をかけて立ち上がった――その瞬間、何かを踏みつぶした嫌な感触が右足にあった。恐る恐る足をどけるとそこには踏みつぶされた眼鏡がある。ああ、やっちまった。俺は眼鏡をかけていない。つまりこの眼鏡は――

「おおおお、俺の眼鏡っ!!」

 男子生徒がバラバラになった眼鏡に飛びついて欠片を必死に拾い集めていく。

「昨日買ったばかりの新作が……」

 ……。

「半日ならんでようやく買った限定商品なのに……」

 …………。

「学校終わってから毎日四時間、このために必死でバイトしたのに……」

 ………………。

「ごめん、悪気はなかったんだ」

 男子生徒は割れた眼鏡に視線を落として顔を上げようとしない。

「それ、いくらしたんだ?」
「定価は二万九千八百円。でももう店では売ってないから、ネットオークションで買うことになる。そうなると二倍――いや三倍もあり得る」

 マジかよ。

「あ……えっと、う~ん」

 安易に弁償するとも言えない俺は言葉を探して意味のない声をあげた。やはりここは俺が弁償するのが筋なんだろうか。
 俺が悶々と悩んでいると、割れた眼鏡を眺めていた男子生徒が顔を上げた。軽く癖のある茶髪にわりと整った顔立ち。……知った顔だった。

「カズ……」
「お、ユウじゃねえか」

 カズも俺に気づいたように笑った。

「いや~まさかユウだったとは思わなかったぜ。もう後姿じゃまったくわからねーわ」
「俺も分からなかったしお互い様だ」

 カズとは小学生の頃よく遊んでいた。別の中学に進んだせいで疎遠になったが高校で再開した。とはいってもクラスは別々だし、俺がカズのことを避けていたせいもあって、昔のような交流はもうない。

「眼鏡代をどう請求してやろうか悩んでたところだったけど、ユウなら話がはやい」

 カズはニヤリと唇を歪めて、

「興味あるんだろ、これ」

 と、液晶掲示板のポスターを指差した。

「……別に、興味ない」
「嘘つけ、ずっと見てただろ。こんなもん興味もないのに見るかよ――もしかして俺の描いたポスターが芸術的すぎてお前の琴線に直撃だったとか?」

 お前が描いたのかよ。

「んなわけない」
「だろ、じゃあなんで見てたんだ」
「……考え事してただけだ」
「へたくそなポスター見ながら?」
「へたくそなポスター見ながら考え事することもあるだろ」

 カズは小さくため息をついた。

「まあいいか。じゃあ話は変わるけど、ユウはVRFPSやってるんだろ」

 なんでこいつが知ってるんだ。

「ユウの母親に聞いた」

 俺の考えを読み取ったかのようにカズが言った。

「昔はやってたけどな。もう長いことやってない」
「へえ、意外だな。寝ても覚めてもVRFPS漬けって聞いてたけど」

 どこまで知ってんだよ。

「最後にプレイしたのは二年前だ。それから一度もプレイしてない」
「そうなのか。それは知らなかった。なんでやめたんだ?」
「別に、ただ飽きただけ」

 できる限り軽く、自然に言ったつもりだ。でもカズは俺の顔をじっと見た。居心地が悪くなって視線をそらす。

「それで、俺がVRFPSやってたことと眼鏡がどう関係あるんだ?」
「おっと、そうだった。大事なのはそこだよな。実は俺、VRFPS部に入ってんだけどさ、部員が四人しかいないんだわ。それで来週の日曜が大会なんだ」

 VRFPSの公式戦は全て五対五のチーム戦だ。ということは、

「一人足りないのか」
「そういうこと。もしユウが入ってくれるんなら眼鏡のことはチャラでいい。悪くないだろ?」

 確かに悪くない。悪くないけど……。

「何か問題でもあるのか?」
「いや……そうだ、いつまで入部すればいいんだ。卒業までずっとってのはきついんだけど」
「さすがにそこまでは求めてない。三年の先輩がいるんだけどさ、次で最後の大会なんだ。今まで人数足りなくて一度も大会に出場できなかったから最後ぐらいは、と思ってね。だから次の大会が終わるまででいい。いいだろ?」
「来週の日曜日までってことか?」
「負ければな。勝てばもう少し続く。おっと、だからってわざと負けるのはなしだぜ」

 うちは進学校で部活動があまり盛んじゃない。しかもVRFPS部は部員が足りなくて一度も大会に出たことがないときた。おおかた一回戦負けで終わるだろう。だから来週の日曜まで耐えればいい。気軽にやればいいさ、所詮ゲームなんだ。そう自分に言い聞かせる。

「わかった。だけどあんまり期待するなよ」
「よしきた、これで俺の株もあがるぜ!」

 株があがる?

「じゃあさっそく部室行くぞ。ほら、ついてこいよ」

 カズはそう言って足早に歩きだした。カズの背中は昔よりずっと大きくなっていた。俺はその背中についていく。昔は――逆だったはずだ。



 部室は北校舎の最上階の一番奥にあった。この辺りは授業でもめったに使われることがないからほとんどが空き教室だ。当然、人の気配はない。

 部室の中は普通の教室を二つ続けたぐらいの広さがあった。そこは一世代前の備品であふれている。電子化されていない普通の黒板、何の機能もない椅子と机、木製のぼろぼろのロッカー。四半世紀前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る、どこか懐かしい雰囲気がそこにあった。
 その奥にこの雰囲気を台無しにするリクライニングチェアが五台並んでいた。仮想空間に没入する際に、不自由のないよう作られているそれはどこまでも機械的で重苦しい。
 その椅子に少女が一人座っている。

「部長、戻りました」

 カズに呼ばれて、椅子に座った少女――部長は俺たちの方を見た。その瞬間、俺は思わず息を呑んだ。金色の長い髪が揺れた。黒縁眼鏡の奥の吸い込まれそうな青い瞳が俺とカズの間を行き来する。信じられないほど整った顔立ちと、断ち切られそうなほど鋭利な印象。彼女と全くかかわりのない俺でも知っている有名な先輩だった。ロシア移民の二世、桜坂エレナ。

「遅い。どこ行ってたの」

 よく通る落ち着いた声で部長は言った。彼女が『部長』と呼ばれているということは、当たり前だがVRFPS部の部長で、VRFPSのプレイヤーだということだ。正直言って意外だった。最近は女性のプロプレイヤーが出たこともあって、女性人口そのものは昔より増えてきた。とはいっても男性プレイヤーの方が多いのは明らかだし、勝手なイメージだが彼女がVRFPSのようなゲームに興味を持つようには見えなかった。

「ふふ、部長、俺がどこに行っていたのかそんなに気になりますか?」

 とカズがニヤニヤ笑いながらもったいぶって言った。
部長の眉間に皺が寄った。黒縁眼鏡の奥に隠れた青い瞳が鋭く細められた。明らかに「こいつウザッ」といった顔だ。

「興味ない。さっさと練習をはじめたかっただけよ」
「まあいいですよ。俺の話を聞けばそう邪険にできなくなります」

 そう言ってカズは俺の背中を押した。突然のことで、俺はよろけながら前に出る。

「誰?」と部長は俺を見る。
「誰だと思いますか?」

 カズの言葉に部長の視線が一層鋭くなる。

「誰でもいいからはやくして」

 カズはやれやれと首を振った。

「部長、大会に出たいですよね」
「? 出られるものなら出たいけど……」
「ですよね。でも出られない。なぜなら部員が一人足りないからだ。俺は部長のために頑張りましたよ。こいつのおかげで――というよりむしろ俺のおかげで大会に出られるようになりました」
「まさか――」
「そう、こいつが、我らがVRFPS部五人目の部員です! ほらユウ、あいさつしろよ」

 どうも。俺は部長に向かって軽く頭を下げる。

「二年の北条ユウです。よろしく」

 部長が立ち上がって俺の前まで歩いてくる。黒いタイツに包まれた足がしなやかに動いた。小さな顔に形よく膨らんだ胸、それから長い足。日本人離れしたスタイルとはこのことだ。

「三年の桜坂エレナよ。本当に入ってくれるの?」
「はい、まあ一応」
「ありがとう、助かる」

 部長はそう言って少し笑った。近くから見るその笑みに思わず俺は見惚れてしまう。彼女が有名になる理由が少しわかった気がする。

「部長、ユウを勧誘したのは俺です。感謝の意はむしろ俺にささげるべきです!」

 部長は嫌そうな顔をしながら「ありがとう」と小さく言った。

「それで北条君。VRFPSはどれぐらいできる? まったくの初心者なら一から教えるけど」
「ユウでいいです。経験はあるので多少は動けると思います」
「俺が部長のために見つけてきた部員ですよ。俺には及ばないまでも全国優勝まで導いてくれる逸材です。間違いない!」

 間違いしかない。
 部長は胡散臭そうにカズを見た。

「とりあえず一度対戦して。それからポジションを決めるから」

 部長はリクライニングチェアのそばに歩いて行った。俺も部長について行こうとすると、

「おい」

 とカズに呼び止められた。

「部長は俺に惚れてるから。普通に俺の女みたいなもんだから手出すんじゃねえぞ」

 マジかよ。

「そうは見えなかったけど」
「照れてんだよ。それと実質この部は俺のハーレムだから。俺の好意でここにいられるユウはありがたく感謝して、俺のフォローに徹しろよ」

 いつの間にか好意で入部したことになっていた。言い返すのも面倒だから俺は黙って移動する。俺がカズを避けていた理由はこのウザさだ。

 リクライニングチェアは少し古いものだったが、それに取り付けられているヘッドギアは最新のものだった。このヘッドギアが仮想空間を作り出し、もう一つの現実へと俺たちを導いていく。俺は自然と手を伸ばしてヘッドギアを撫でていた。

「最近ようやく部費が下りて買えたの。最新のヘッドギアよ」

 もちろん、わかる。

「起動はできる?」
 
 もちろん、忘れるはずがない。
 俺はリクライニングチェアに座った。それからヘッドギアをかぶり、後頭部近くにある電源を入れると、目の前が真っ暗になった。しばらくするとその中にいくつかの文字が浮かび上がった。

「まず初期設定からはじめることになるけどわからないことがあったら聞いて」

 もうやっている。俺は浮かび上がった文字の横に自分に適した数値を打ち込んでいく。ただ念じるだけで、驚くべき速さで文字が打ち込まれ、流れていく。俺は一つも忘れることなくそれらの数値を覚えていた。

「終わりました」

 と俺は言った。

「早いわね」

 部長の驚いた声が聞こえた。

「俺の顔に泥塗らないようにちゃんとやれよ」

 カズの声が俺の耳元で聞こえた。

「それじゃあ、カズが相手して。1VS1の五分間。ステージは大会と同じ砂漠の町で」

 それを聞いたカズが耳元で、

「おい、俺の顔に泥塗らないように手抜けよ」

 と慌てた声で言った。どっちだよ。
 俺は浮かび上がった文字の中から『YES』を選択する。それとともに俺の意識は現実から遠ざかり、仮想空間が作り上げられていく。
 認めたくないけれど俺の胸は高鳴っていた。もう二度と戻るはずがないと思っていたのに。




 
 あとがき

 初めましてtnkと申します。執筆経験は浅いので拙いものになるかと思いますが、感想やアドバイスいただけると嬉しいです。
 週に一度の更新を目指して頑張ります。よろしくお願いします。



[29920] 二話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/10/31 21:58
 二話



 VRFPSのタイトルが仮想空間に表示された。
 VRFPSのタイトルは『VRFPS』だ。それ以外のタイトルは持たない。サッカーがサッカーであるように、野球が野球であるように、VRFPSはVRFPS。公式大会で使われているこのゲームは、採用から今まで年一回のマイナーアップを挟みながらずっと続いている、世界で最もプレイ人口が多いVRFPSであり、世界で唯一公式大会に採用されているVRFPSでもある。

 俺は仮想空間に浮かぶ『START』の文字を指で触れた。周りの空間が切り替わり、一瞬後にそこは大きな鏡の浮かぶ白い空間に変わった。
 野試合用アカウントであればここでキャラクターを作ることになる。身長、体重、性別、髪の色、肌の色、細かい顔のパーツまで好きなように作り変えることができる。しかし今は公式大会用の設定になっているため、変えられるのはせいぜい髪や肌の色ぐらいだ。それ以外は一切変えることができず、現実の肉体と同じ設定でプレイすることになる。
 当然、今鏡に映っているキャラクターは現実での俺と全く変わらない。平均的な身長に平均的な肉付き。黒髪にどこか気だるそうな目。日本中どこにでもいる平凡な高校生だった。
 せっかくだから髪色ぐらい変えてみようかとも考えたが、どうせ来週の日曜日までしか使うことはないのだし、わざわざ変える必要はなさそうだ。

 キャラクター設定を飛ばして次へ移った。周囲の仮想空間が切り替わり、今度は裸電球で照らされた薄暗い部屋に変わった。中央に弾痕と切り傷だらけの大きなテーブルがある。その向こうにあるモニターには砂漠の町のマップが映し出されている。灰色の薄汚れた壁には大量の武器防具弾薬が所せましと立てかけられている。
 この部屋をミーティングルームと呼んでいた。ゲームを始める前には装備を整えて作戦会議を開き、ゲームの合間には装備や作戦の変更について話し合い、ゲームが終わった後は反省会と雑談を楽しんだ。懐かしさに胸が熱くなる。

 壁に立てかけられた銃をなぞるように手で撫でて行く。どの銃も一度は使ったことがあるものばかりだ。AK47、M4A1、SSG552……。その一つ一つに忘れられない思い出があった。
 ここにある装備はどれも一世代前のものばかりだ。一昔前は世界の軍隊で使っている最新の――とまではいかないがそれなりに新しい装備を扱うことができたらしい。しかしそれにはいろいろと問題があった。一言でいえばVRFPSはリアルすぎたのだ。ここで学んだ武器の扱いは現実でもそのまま使える。つまり現実で肉体訓練さえつんでいれば、ゲーム内で銃器の訓練をしてそれを実践で使うことができたのだ。正規の軍隊が利用するならいい。でももしテロリストや犯罪者が利用したら……。そう考えると最新の装備をゲームに使うにはリスクが高すぎた。
 それとともにゲームのリアリティ面も見直されることになった。銃器の取り扱いを簡略化したり、リコイルを意図的に本物と変えたり、そのまま現実に応用できないように小さな改変が数多く行われた。とはいってもVRFPSから現実に応用できる知識は非常に多く、今でもテロリストの一部では改造されたVRFPSが訓練の一つとして採用されているらしいし、実際に軍では最新の装備が使えるVRFPSが訓練で使われている。

 俺はゲームに使う装備を選んでいく。まずは服と靴と帽子だが、初期設定の迷彩服とブーツとヘルメットで問題ないだろう。これはどれを選んでもそれほど性能が変わらない。カラーバランスだけは砂漠に溶け込む色に変える必要があるが。

 次はボディアーマーだ。ボディアーマーの種類は銃器には及ばないにしろいくつかある。中にはライフル弾を防ぐことのできるほど防弾性能の高いものもある。しかしそれは重量二十㎏を超える恐ろしい重さで、加えて銃器弾薬を持つことを考えると使い勝手は著しく悪い。装備重量が増えると動きが鈍重になりスタミナも減りやすくなるのだ。このゲームの中では誰もが同じ運動能力だ。現実で筋肉だるまのようなマッチョでも、箸より重いものを持てないお嬢様でも、ここでは同じ性能を持った肉体を与えられる。だから装備重量による運動能力の変化には注意しなければならない。俺は複合繊維のみを用いた軽量のボディアーマーを選んだ。防弾性能はあまり期待できないが軽量で動きやすい。

 メインウェポンを選ぼうと銃を眺めた俺は、吸い込まれるように一つの武器に手を伸ばした。M4A1。全長約八十五㎝、重量約三千五百gのそれは、何年も手にしていないのに驚くほど手になじんだ。コルト社のアサルトライフル――いや、アサルトカービンと言った方が正確か。同じくコルト社のM16A2をコンパクトにして取り回しをしやすくしたものだ。俺が最も信頼している慣れ親しんだ銃だった。
 俺はそれにフォアグリップを取り付けて、三十発入りのマガジン四つに弾を込めた。その内一つは銃に装填し、残りの三つはマガジンポーチにしまった。マガジンは一つで重量五百gを超える。かさばるし数を持てばいいわけではない。

 最後にサブウェポンを選ぶ。
 サブウェポンの種類は実に豊富で、およそサブウェポンとは思えない大型の銃器から、ハンドガンなどの小型の銃器、手榴弾などの投げモノや、ナイフや斧や鉈や日本刀まで。もちろんそれらをメインウェポンとして使う剛の者もいる。ハンドガン一丁と投げモノを少しとナイフを選ぶのが一般的だが、サブウェポンは種類が豊富なこともあって人それぞれ選択に個性が出やすい。
 俺はそのなかでも個性的な選択をする方だ。まずはHG(ハンドグレネード)を二つ、FB(フラッシュバン)とSG(スモークグレネード)をそれぞれ一つずつ選んだ。これはごく普通の選択だ。
 それから部屋の隅にひっそりと立てかけられている手斧――トマホークを手に取った。全長四十㎝弱、バランスのとれた程よい重さに、黒光りする刃。俺はトマホークの他にはナイフもハンドガンも持たない。必要ないからだ。トマホークはネタ武器にされがちだが、実際は非常に実践的な武器だと思っている。少なくとも俺は。トマホークは接近戦に強く、音もせず、さらには投擲武器として使うこともできる一本で三倍お得な武器だ。反り返った刃から繰り出される重く鋭い斬撃は、ボディアーマーをものともせずに切り裂き、投擲武器として使用しても変わらず高い威力を発揮する。ハンドガンではボディアーマー越しに致命傷を与えるのは困難だし、ナイフを投げても同じくボディアーマーを貫くことはできない。ボディアーマーを貫く7.62mm×25弾や、大口径で高威力の弾もあるが、それはそれだ。むしろそんなもの知らない。
 とにかくトマホークは実践的で優れた武器であり、何より男のロマンをくすぐる熱い武器であることは疑いようもなく明らかだ。昔、トマホークの素晴らしさを熱く語り、所属クランの必須武器にしようとしたが、断固たる反対にあい頓挫した。出る杭は打たれ、時代を先取り過ぎた者は誰からも理解されない。寂しいものだ。

「武器は決まった?」

 と部長の声がミーティングルームに響いた。部長の姿は見えない。現実のモニターから見ながら語りかけているのだろう。

「決まりました」
「じゃあ試合をはじめるけど――本当にそれでいいの?」

 『それ』とは何を指しているのか俺には理解できない。いや理解できるんだが認めたくない。トマホークを馬鹿にするな。

「いったいどこに問題があるんですか」

 俺は強い口調で言った。部長は小さくため息を吐いた。

「まあいいわ。この試合はあなたの実力を測るためのものだから、勝ち負けは気にせずに気負わずやってね。カズもわかった?」

 後半は別のミーティングルームにいるカズに語りかけたものだ。
一拍おいて、部長はまたため息をついた。さっきのため息より一層深い。カズの声が聞こえなくてもどんな返事をしたのか想像できてしまう。

「もういい、はじめる。試合開始」

 投げやりな部長の声とともに周囲の風景が切り替わる。

 抜けるような青い空と目が焼けるような眩しい日差し。砂混じりの乾いた風が吹き抜けていく。目の前には砂漠色の街並みが広がっていた。
 砂漠の町は攻守のバランスが絶妙で、クラン戦や公式戦でよく採用される人気の高いマップだ。俺はここで何度も何度も数えきれないほど戦った。忘れられない思い出が込み上げてくる。この焼けるような暑さも、硝煙の臭いが混じった空気も、半ば廃墟と化した土壁の街並みも、そのすべてが懐かしかった。
 足元の砂をすくった。乾いた小粒の砂は指の間を抜けてサラサラと風に流されていく。
 周囲の景色を見渡しながら確かめるように身体を動かす。当然のことながら現実の感覚とは違う。たとえ身長体重は同じでもここでは誰もが鍛え抜かれた兵士の肉体になる。はじめはまともに動かせずに転んでばかりだったが慣れてしまえばこれほど動きやすい身体はない。久しぶりのせいで若干違和感があったが少し動けば問題ないだろう。
 空を見上げた。眩しくて目を閉じてしまいそうになるが、それでも我慢して開けた。あきれるくらい真っ青な空がどこまでも広がっていた。日本では絶対に出ない色だ。ああ、俺は戻ってきたんだ――やっと実感がわいた。
 突然、乾いた音が響いた。それと同時に側頭部に鈍い痛みが走り身体の力が抜けた。

 あの音は――AK47?

 俺はなすすべなく地面に崩れ落ちる。視界が赤く染まり、0-1とカウントが表示されて、ようやく俺は殺されたことに気づいた。
 視界上部に残り時間が表示されている。

 四分二十秒。
 
 俺は開始から四十秒間初期配置のまま棒立ちでいたというわけだ。なるほど、殺されて当然だ。

「は、はは……」

 堪え切れずに笑い声が漏れた。考えられない死に方だ。ありえない。
 真っ赤に染まった空間が切り替わり、別の場所に俺は再配置された。さっきの場所とはそれほど遠くない場所だ。すぐに接敵するだろう。
 大きく深呼吸した。トクン、トクン、と心臓の鼓動が大きくなっていく。

「さあ、試合開始だ」

 俺はM4A1の安全装置を外した。





[29920] 三話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/10/29 17:06
 三話



 M4A1をいつでも射撃体勢に移れるよう構えながら半壊した土壁の影へと移った。AK47ならこんな土壁問題なく貫通できるが、今は身を隠すのが目的だ。
 土壁に身を寄せて周囲の音を探る。自分の服が擦れる音、風の音、鼓動の音。わずかな異音も聞き逃さないよう全神経を耳に傾けた。

 ……この近くにはいない。

 土壁からほんの少し顔を出す。今度は目で周囲を探るがやはり敵影はない。
 前方には大きな道がある。その左に薄暗い路地がある。さっき俺が殺された場所から最短距離で来るなら前方の道だ。少し回り道するなら左の路地だ。
 どうする、前方の道か、左の路地か、それとも動かず待つか。
いや、待つという選択肢はない。残り時間は四分を切っている。勝っているなら待つという選択もあるが今は俺が負けている。動かなければならない状況だ。

 前方の道に進むことにする。まずは俺が殺された地点まで戻る。それまでに接敵すればそれでいい。しなかったら足跡を探って追跡する。
 足音を出さないよう慎重に、しかしできるだけ早く壁に沿って進んでいく。視点は前方の曲がり角を何よりも意識しながら遮蔽物も見る。
 曲がり角付近まで近づいた俺は歩みの速度を落として銃を構えた。音をたてないようにゆっくりと。自分の気配を悟られないように、自分の出す音で聞くべき音を聞き逃さないように。
 息が詰まる。呼吸音さえ煩わしい。

 角の直前で止まった。少しの間、気配だけを探る。
 一秒。
 二秒。
 三秒。
 砂とブーツの擦れる音。

 ――いる。

 運がいい、この道を選んでくれた。そうでなかったらずいぶん時間を失ったところだ。思わず頬が緩んだ。
 俺は銃を右構えから左構えに移した。右に向かって曲がる角では体を隠しながら打てる左構えの方が有利だ。
 足音から位置とタイミングを計り、飛び出す。
 十五mほど先に、カズがいた。カズは急いで銃を構えるが、もう遅い。
 俺はカズの位置を予測していた。狙いはもうついている。
  トリガーを引いた。M4A1の銃声が三発轟く。しかし俺は体勢を崩し、M4A1の銃口が大きく跳ね上がった。

 ――外した!?

 カズは怯んだ様子もなく、すかさず打ち返してきた。慌てて俺は角に身を隠す。
 AKの鈍い銃声が鼓膜を震わす。頭からすぐ近くの土壁が抉られ、吹き飛ぶ。思わず体が強張った。

「くそっ」

 悪態が零れた。自分に対する苛立ちが募っていく。この距離で外すなんて以前では考えられないミスだ。さっきもそうだ。四十秒間棒立ちで、しかも敵の接近に気づかないなんて、あきれるほど酷い。
 いや――今だってそうだ。敵と交戦しているこの状況で、俺は何を考えているんだ!
 銃撃がやんだのを見計らって、俺は再度、角から飛び出した。ちょうどカズが横転した戦車の影に隠れるところだった。一拍遅れて、俺の銃撃がカズの影を打ち抜くが、遅い。地面に虚しい弾痕が開き、砂が弾けた。
 戦車の脇に狙いをつけながら、俺はカズが出てくるのを待つ。残弾はまだ半分以上あるだろう。焦ってフルオートでぶっ放すなんて真似はさすがに今の俺でもしない。
 しかし厄介な場所に隠れられた。戦車をアサルトライフルで撃ち抜くことなんてできない。
 どう攻めるか考えていると、高い金属音が聞こえた。その直後、拳ぐらいの大きさの塊が戦車の影から空に放り投げられた。

 あれはなんだ?
 なんだった?
 あれは――FB!

 即座に目をつぶり、角に身を隠し、身体を伏せる。しかし同時に、特大の破裂音が耳を貫き、音が飛び、世界が白に染まった。聴覚と視覚が消えた。まずい。
 カズはこれに合わせて攻め込んでくるはずだ。このままじゃ殺られる!
 俺は角から飛び出すと、やみくもにM4A1をフルオートで撃った。銃声はもう聞こえない。すぐに反動がなくなった。撃ち尽くしたのだ。
 マガジンポーチに手を伸ばしたところで左足を鋭い痛みが貫いた。俺は地面に叩きつけられるように倒れた。砂の味が口内に広がる。もうどちらが前で、どちらが後ろかもわからない。転がって逃げようとする俺を、鈍い衝撃が何度も撃ち抜き、視界が真っ赤に染まった。0―2とカウントが表示された。残り時間は三分七秒だった。



「はは、これはひどいな」

 真っ赤に染まった空間のなかで俺は呟いた。
 いや、ひどいなんてもんじゃないか。リコイルコントロールのミスで心を乱して、極めつけがFBの対応遅れ。その後の判断も無様なものだ。
 あの状況でFBが来ることなんて容易く予測できるはずだ。予測した上であえて前に出るか、後ろに下がってやり過ごすか、もしくは俺が先に投げモノを使うか。取るべき対応はいくらでもにあったはずだ。それを俺は――いや、考えるのは後だ。時間がもったいない。腕が落ちていることはわかった。だったら、今の俺にできることをすればいい。


 
 視界が切り替わり、再配置されるとすぐに俺は走り出した。さっきの場所とは少し離れている。ブーツが音を立てて砂を掻き上げる、身に着けた装備がうるさい金属音を立てる。今は音を気にしない、全力で走る。
 進むべき道は左右二つある。左の道を選べばさっき俺のいたところまで最短で行ける。右に行けば遠回り。俺は迷わず右の道を選んだ。
 二度の交戦で咄嗟の反応と判断が衰えていることは理解した。だが、索敵や立ち回りはまだ衰えていない。その証拠に俺の方が先にカズを発見し、半身を壁に隠した圧倒的有利な状況から先制攻撃したのだ。だったら、それで勝負する。
スタミナの続く限り走り続ける。カズに比べて軽装な俺はその分移動能力が高い。それも有利な点で、最大限生かすべきだ。

 残り時間二分三十秒を切ったところで、俺は二回目に殺された場所にたどり着いた。だが今回は逆方向から来た。つまりカズと同じ順路をたどっていることになる。
 ここまで接敵せずたどり着けたことがまずよかった。もしカズが逆走してきたら、大きな音を出していた俺は先に攻撃をうけただろう。その時適切な対応ができたかどうか――今の俺では難しい。
 俺はカズの足跡を探った。足跡は俺の残した血溜りをこえて角の向こうへ進んでいる。
 歩幅が狭い。あまり早くは移動していないということだ。俺はカズの歩幅から、 カズが今どの位置まで進んでいるか予測する。
 大丈夫、まだ少し音を立てて走ってもいい。
 角を超えてしばらく走ったところで足を緩めた。ここから先は音を出すべきじゃない。
 カズの足跡を追いながら、静かに、しかしできるだけ早く進む。余計なクリアリングはしない。足跡の進む先だけを注視する。それが最低限のクリアリングも兼ねる。今はリスクを冒して早さをとるべきだ。
 しばらく進むと壊れかけの土壁が見えた。その向こうは少し開けた場所に出る。俺は息を殺して土壁に潜むと、一瞬だけ向こうを覗き見た。
いた。
 カズはこちらに背を向けてクリアリングしながら進んでいる。意識は明らかに前方を向いている。
 さっきは正面からの撃ち合いになって負けた。だったら今度は後ろからだ。
 俺は土壁から身を乗り出して、慎重に狙いを定めた。リコイルに備えてしっかりとバランスをとる。手が汗ばみ、鼻先から汗が落ちた。
 引き金を引いた。M4A1の先から火花が飛び、銃声が響いた。
 反動で身体がぶれる――が、今度は銃口が跳ねない。当たる!
 カズの右肩から血が吹き出た。カズは押されるように地面に倒れたが、すぐに膝立ちになるとAKを構える。
 俺は焦らずに狙いを定める。右肩を負傷した状態でまともに当てられるはずがない。
 カズのAKが火を噴いた。俺の脇の土壁が貫かれ、欠片が宙を跳んだ。やはり俺には当たらない。
 AKがフルオートで暴れまわるその中で、俺はリコイルを計算し、再度引き金を絞った。
 銃声が一度だけ響き、カズの頭が跳ね上がった。
 乾いた砂漠に血飛沫が舞った。AKを抱えた腕が垂れ下がり、銃弾が砂を巻き上げた。カズは力なくその場に崩れ落ちる。直後、1―2とカウントが表示された。
 俺は一息つく間もなく、今度はフルオートで射撃を続けた。狙いはカズの背後のあった家だ。
 すぐにマガジンが空になる。家の壁に開いた弾痕を確認した後、流れる動作でマガジンを取り換えてもう一度撃つ。これも一秒足らずで撃ちつくした。最初に撃った弾痕と二度目に撃った弾痕を比べると、格段に集弾がよくなっている。

「悪くない」

 俺は空になったマガジンを取り換えて走り出した。


 
 残り時間は二分を切っている。スコアは1ー2。カズが逃げ切ろうと思えば難しくない時間だ。
 しかしこれまでのカズの戦い方を考えると、その可能性は低いだろうと思った。カズは待っていればリスクが少なく済む状況で、あえて俺を探して動き回るという選択をとっている。ゲームが始まる前に部長が言った、これは俺の実力を測るためのものだ、という意の言葉。それにしたがって、接敵の機会を多くしているのか、それともただ部長にいいところを見せたいだけか。……多分後者だろう。
 それともう一つわかったことがある。カズは意外と弱くないということだ。カズのことだからどうせたいしたことないだろう、と思っていたが、なかなかどうして、初戦の狙撃といい、二戦目の動きといい、さきほどの対応といい、悪くない。いや、むしろ強いと言ってもいいかもしれない。

 おそらくカズは俺の足跡を追ってくるだろう。さっき俺がやったのと同じように。その判断ができるレベルにあるだろうし、カズが接敵を増やしたいと思っているならそれが一番いい選択だ。そうとわかっているのであれば俺はそれを逆に利用する。

 俺はただ一直線に、マップの端を目指した。たどり着く前に接敵すれば――その時はどうにかするしかない。カズが再配置される場所は誰にもわからない。だからこれは運だ。

 幸い、接敵する前にマップの端のエリアに入った。俺はそこにある装甲車の影まで走る。爆破ミッションであればここが爆弾設置ポイントの一つになるが、今は関係ない。
 俺の足跡は装甲車の影まで伸びている。カズが足跡を追って来れば、俺が装甲車の影に隠れていることがわかるだろう。それを逆手に取る。
 俺は装甲車の上によじ登った。今カズに見つかれば俺はただの的だ。素早く装甲車の後部に移動し、そこから二メートルほど先の壁に飛びついた。砲撃によって壁に開いている穴の、僅かなとっかかりに手をかけて、身体を引き上げる。体重と全身の装備が両腕にかかった。胸の高さまで引き上げると、両腕を上げて、あとは一気に穴の向こうに移った。
 俺は瓦礫の上を転がり落ちて背後を振り返った。そこには四メートル近い壁と砲撃に開い小さな穴がある。そこから少し離れたところに半分開いた扉がある。さっき俺が飛び乗った装甲車はこの壁の向こうだ。
 装甲車からここまでの足跡を俺は消した。カズは俺がここにいるとは考えないだろう。仮に考えたとしても、まず見るべきは装甲車の裏だ。
 俺は慎重に位置を調整する。壁に開いた穴から十メートルほど下がる、それから右に体二つ分動く。ここでいい。M4A1を地面に置いたその代わりに、トマホークを腰から抜いた。それから空を見上げる、太陽の位置から自分が狙うべき角度を探り出す。
 後は待つだけだ。トマホークを右手に構えながら、俺は地面に膝をついた。灼熱の太陽が俺の顔を焼いた。今ここで後ろから撃たれたら、俺は何もできない。
でもカズは後ろからは来ない。きっと俺の足跡を追ってきて、装甲車の影を覗き見る。そんな予感があった。



 残り時間が一分を切った。もしかしたらカズは来ないんじゃないか。時間切れがを狙う戦略に切り替えたのではないか。それとも裏を取りに来ているか。そんな不安が頭をよぎった。
 時間がたつにつれて、自分が動かなければならない気になってくる。自分の判断が間違っているのではないかと、俺の動きが向こうに筒抜けではないかと。そうなると、背後が気になりだす。すぐ後ろにカズが来ているんじゃないか、カズはもうAKを構えていて、背を向けている馬鹿な俺をあざ笑っているのではないか。周りすべてから見られているような錯覚に陥る時もある。周囲全てが、お前が動け、動かなければ負けだ、と伝えてくる。
 待つときはいつもそうだ。待つのは退屈だ。だからいろいろなことを考える。考えなくていい可能性まで考えてしまう。
 俺は頭を振ってその思考を振り払った。少し離れていただけで、ずいぶん弱気になったものだ。たった二年だ。何を恐れることがある、カズは俺が恐れなければならないほどの相手だったか? ありえない。俺の選択は間違っていない。
 俺は意識を集中した。一つの音も聞き逃さないように耳を立て、視線は空の一点を睨み続ける。

 やがて、滴り落ちる汗で地面の色が変わり出したころ、俺はカズの気配を感じた。壁の向こうは見えない。この距離では小さな音は聞こえない。でも俺は間違わない。
 トマホークの柄を握りしめ、俺はその時を待った。カズが装甲車の後ろを覗き込む瞬間だ。爆破設置ポイントのそこを覗き込む時は、誰もが装甲車の前から覗きこむ。装甲車に体を寄せて、爆弾設置の音を聞き、そして一気に踏み込む。その瞬間の音を、俺は聞き逃さないようにする。もちろん今、爆弾が設置されることはない。だが何度も繰り返し練習したその場所では、誰もが自然とその動きをとってしまうものだ。

 こい、覗きこめ。その時が最後だ。

 自然と呼吸が浅くなっていた。俺は意識して深い呼吸に変える。浅い呼吸は集中を乱し、筋肉を硬直させ、焦りを生む。スナイパーの基本だ。最も俺はスナイパーではないが――やめよう。スナイパーのことを考えるのはやめよう。思い出さなくていいことを思い出してしまうから。
 その時、僅かな音を耳が捉えた。装甲車の影を覗き見る踏込、その時ブーツと砂が擦れるその音だ。
 俺は握りしめたトマホークを振りかぶり、雲一つ浮かばない真っ青な大空に向かって放り投げた。

 位置はいいか? 角度はいいか? 力加減はいいか? 何も問題ない。何千回も練習した動きだ。間違うはずがない。
 
 トマホークは勢いよく回転しながらきれいな放物線を動き、壁の向こうに消えていく。
 その結果を見届けることなくM4A1を拾い上げて走り出し、半開きの扉を超えると、M4A1を構え、装甲車に狙いを定めた。
 装甲車の影からカズの足が見えた。反撃を予測しながら距離を詰めていく。
 すると突然目の前に2ー2とカウントが表示された。俺は銃を下して装甲車の影を見た。
 そこには頭からトマホークを生やしたカズが倒れていた。

「よしっ」

 俺は思わず右拳を握りしめた。何度味わってもこの瞬間は格別だ。カズの頭からトマホークを引き抜き、大きく振り払って血糊をとると、トマホークを腰に収めた。
 それとともにカズの死体が消えた。どこかに再配置されたということだ。

 さて、残り時間は三十秒だ。次のプランはもう決まっている。今から銃を空に向かってぶっ放す。その音を聞いてきたカズと戦う。残り時間を考えるとそれしかない。無理に接敵しようとしなければできない時間だ。
 いや、それでいいのか。
 今なら正面から撃ちあっても撃ち負けない自信がある。でも俺は二度も赤っ恥をかかされたわけだ。そんな普通の勝ち方じゃ気が収まらない。そうだ、二度続けてトマホークだ。これしかない。
 俺はにやりと唇がゆがむのを感じた。そうと決まればプラン変更だ。残り三十秒でトマホーク。不可能じゃないが難しい。でもだからこそやりがいがある。そう、こんな時俺は――昔の俺は……。

「何、マジになってんだ……」

 熱が冷めるようにすっと気持ちが萎えていった。
 本当に何やってんだ。来週の日曜日までのお遊びだろ。いつの間にか俺は必要以上にのめりこんでしまっていた。
 実力を示すんならもう十分のはずだ。これ以上戦う必要はどこにもない。
 俺はM4A1を地面に放り出し装甲車の影に座った。残り時間は二十秒だった。

 残り時間五秒でカズの足音が聞こえた。でも俺は動かない。砂の上に転がるM4A1がやけに目について、真っ青な空に視線を逸らした。
 カズのAKが火を噴き、装甲車が耳障りな金属音を立て、それと同時に、残り時間がゼロになった。カウントは2ー2だ。
 ゲームの終わりが宣告されて、俺の意識は現実へと戻っていく。悔しがるカズの声とは逆に、俺はどこまでも冷めた気持だった。





[29920] 四話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/02 23:19
 
 四話



 ヘッドギアをとるとカズが目前にいた。

「俺に恐れをなして逃げたか。チキン野郎が。あのまま続けていたら勝ったのは間違いなく俺だがな」

 自信満々に胸を張るカズを部長が遮る。

「残念だけど、続けていたら勝ったのは多分ユウよ」
「なぬっ!」
「ユウの動きはとても洗練されていたわ。それに一つ一つの行動にしっかり意味があって、状況に応じた動きの変更も的確だし」
「いえ、そんなことないです。たまたま運がよくてなんとか引き分けにもちこめたというか……」

 俺はすぐに否定した。過度な期待を込められるのはごめんだ。

「運が良かっただけって動きじゃなかったわ。確かに最初は見るからに素人の動きでどうなるかと思ったけど、途中からどんどん動きがよくなっていって……。それにあの動き、どこかで見たような気が……」
「気のせいですよ。俺が最後にプレイしたのは二年も前なんです」
「そうかしら……二年前……」

 部長は切れ長の目を伏せて考え込む。
 どこかで見たような気がする、か。さすがにもう覚えている人なんかいないだろう。

「まあユウも認めていますし、ここは俺の方が強いということで――」
「でも二年ぶりであの動きができるなら期待できるわ」

 部長がカズを無視して言った。

「だから俺の方が強いって――」
「出場できるだけでありがたいことなんだけど、こんなに有望な新人が来たら欲が出ちゃう」

 うれしそうに笑う部長を見ていると少し後ろめたい気持ちになった。俺は勝敗なんてどうでもいい。いや、むしろ一回戦で負けてほしい。

「だから部長、俺の方が強いですって」
「ねえ、カズ」

 しつこいカズを部長が半目で睨んだ。

「はいっ!」

 カズは帰宅した主人を迎える犬のように目を輝かせて返事をする。

「もう一人入部してくれるといいわね」
「でも部長、大会に出る人数は揃ってますよ。補欠も欲しいってことですか?」

 怪訝そうに聞き返すカズに部長は頭を振って、

「そしたらあんたクビにするからよ」

 冷たい声で言った。
 しかしカズはかけらの動揺も見せずに笑う。

「ははっ、部長、ナイスジョークです!」

 なんて奴だ。今のは明らかにマジだろ。
 そんなカズを部長は呆れた目で見ていた。

「それで、ユウは武器は何が使える?」

 部長が言った。

「M4が一番使いなれてます。他の武器はそれなりに」
「M4しか使えませんって正直に言えよ」

 カズが横槍を入れる。

「じゃあM4しか使えません」
「じゃあって何よ、じゃあって。他の武器もそれなりって、スナイパーもできるってこと?」
「……一応できます。けどあまり期待しないでください」
「そう、よかった。スナイパーがやりたいって言われたらどうしようかと思ったの。私はスナしかできないから」

 部長がスナか。スナイパーはチームに一人しか入れられない。二人いたらルール違反だ。

「ポジションはどこができるの?」

 と部長が言った。
 砂漠の町のポジションは大きく分けて三つある。爆弾設置ポイントAとB、それからセンターだ。

「特に得意不得意は無いです。どこでもできます」
「つまりどこもできないってことだよな」

 カズがまた横槍を入れる。

「じゃあどこもできません」
「だからなんなのよじゃあって。でも、どこでもできるってのは助かるわ。うちのメンバーはみんなポジション偏ってたから。私もスナだから安易にセンターを離れるわけにはいかないし」
「あれ、そういえばほかのメンバーは?」

 ふと気になって俺は聞いてみた。

「今日は用事があって休みよ。明日は来ると思うから、またその時に紹介するわ」
「みんな俺の女だけどな」

 ないない。

「明日までにポジション考えてくるわ。今日は遅いからもうお開き。また明日お願いね」

 部長はそう言って俺に手を振った。



 校舎を出ると夕日が沈みかけていた。残照が薄闇の空に鮮やかな茜色を差している。もう残っている生徒は少ない。
 裏門で自転車が俺を追い越して行った。金色の長い髪が夕日を映してキラキラと流れていく。部長だった。

「歩き?」

 部長は少し過ぎたところで自転車を止めて振り返った。

「まあ、近いんで」
「そう、よかったら乗ってく?」
「いや、近いからいいですよ」
「でも歩くには少し遠いんじゃない?」

 うちの高校は直線距離で三㎞以内は徒歩通学が義務付けられている。

「二十分ぐらいですね」
「だったら乗っていきなよ。家はどこの方?」

 俺は家の場所を説明した。部長には後ろめたさもあって、どうにも断れなかった。

「ちょっと遠回りだけど、そこならいけるわ。校門出てしばらくしたら乗ってね」

 俺と部長は並んで歩きだした。電気自転車が一般化し、二人乗りが安定するようになったが、それでも二人乗りは校則で禁止されている。あまり学校の近くでするのは避けたほうがいい。

「ねえ、離れて歩いたほうがいいと思う」

 部長が小さな声で言った。

「あ、はい」

 俺は間抜けな声を出してしまった。あまりに部長が普通だから、忘れてしまっていたのだ。桜坂エレナには近づかない方がいいってことを。

 部長は自転車を引いて先に進んでいった。俺はその背中を他人のふりをしながら追った。部長の細長い影が俺の足元まで伸びてゆらゆらと動く。それが頼りなくて見ているのがつらかった。
 昔の俺だったらこんな時どうしただろうか。そんなことを考えてしまう。今みたいに他人のふりをしながら追っただろうか。それともすぐに駈け出して、部長の隣に並んだだろうか。
 今日はVRFPSをやったからだろうか。こんなくだらないことを考えてしまう。



 裏門から離れたところで部長は立ち止まって自転車に跨った。俺は恐る恐るその後ろに乗る。甘いにおいと、少しだけ汗のにおいがした。今日の気温だと冬服のブレザーでは蒸れてしまう。もうすぐ夏がやってくる、衣替えの季節だ。
 電気自転車は二人乗りで重くなった車体をものともせずに進んでいく。部長の足はほとんど動いていない。速度調節する時しか動かさなくてもいい、漕ぐのは電気の力だ。

「ユウは公式大会に出たことある?」
「公式はないです。クラン戦はそれなりに」
「それなりに、ねえ」

 部長が振り返って疑わしげな視線を投げてきた。みずみずしい唇が吐息のかかるほど近くにある。

「危ないですよ、前見てください」

 なんでもない風に装いながら俺は言った。年頃の女の子と二人乗りするなんて初めてだ。さっきからずっと心拍数がやばいことになっている。

「私もね、公式戦は初めて。クラン戦の経験はあるから、公式戦の動画とか見ていろいろ勉強はしてるけど」
「公式戦とクラン戦は違いますか?」
「どうだろう。動画を見る限りではそこまで違いはないかな。基本的なルールは同じだし。でも公式戦の方が平均的なレベルは高いかも。ただトップクラスになるとほとんど差はないと思う」
「そうなんですか。プロと比べるとどうですか?」
「それはさすがにプロかな。個人の力だったらプロ顔負けの選手もいるけど」

 部長の柔らかな髪が風に流されて俺をくすぐる。心地いいけれど、慣れない俺には少し気まずい。

「去年全国優勝したチームのスナは一年生だったんだけどね。すごかった。私もスナだけどそれしか言えないぐらいすごかった。もう有名プロチームからお声がかかってるって話だし」

 そのスナはあいつより強いんだろうか。そう考えて、思わず笑ってしまう。俺の考える最高のスナイパーはあいつだけだからそんなことはありえない。

「それに、私の予想が正しかったらそのスナは元トップクランの一軍スナよ」

 え?

「何て名前ですか」

 あいつかもしれない。体が強張った。

「橘レイカ。クランのIDは秘密。間違えてたら恥ずかしいから」

 女子か、じゃあ違う。安心したのか、残念なのか、自分でもよくわからないけど、強張った体の力が抜けた。

「ユウはクランには詳しいの?」
「最近のことは全く」
「昔のことは?」
「それなりに」
「それなりに」

 部長が振り返って可笑しそうに俺の言葉を繰り返した。顔が熱くなる。

「だから危ないですって」
「はいはい。Moonlight Butterflyってクラン覚えてる?」
「覚えてますよ。連携がすごくうまかった」
「あそこの連携は本当にお手本みたいだね。鳥立つは伏なり、は?」
「ポジションが独特で何度も驚かされた」
「ラッシュアサルトは?」
「ラッシュ厨」
「間違いない」

 部長はそう言って笑った。

「それにしても、まるで戦ったことがあるみたいに言うんだね。全部超一流のクランなのに」
「あ、いや別にそんな風に言ったつもりはないです」
「本当?」
「本当です」
「ファイブスターは?」

 その名前を聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。

「どうしたの、知らないはずないと思ったのに」

 そう、そのクランを知らないVRFPSプレイヤーなんていない。だけど俺は、

「知らないです」

 と震える声で言っていた。
 あたりは完全に日が沈んで暗くなっていた。自転車の小さなライトが田んぼのあぜ道を照らしていく。聞こえるのは自転車の走る音とカエルの声だけ。時々、部長の身体が俺に触れた。その度に俺は置物のように動きを止めた。

「もう暗くなってるのに回り道までしてもらっていいんですか」

 俺はクランのことはもう聞きたくなくて話を逸らした。でも、次の一言がいけなかった。

「最近は治安も悪くなってるし」

 びくり、と部長の身体が震えた。俺は自分が失言したことに気づいた。

「あ、いや、部長のせいで悪くなってるって意味じゃないですよ」
「移民のせいで悪くなってる」
「それは……」
「事実よ」
「……そうですね」

 否定できなかった。
 二十年前から大量に受け入れられるようになった移民によって、日本の治安は劇的に悪くなっていった。
 仕事と住む場所を奪われた日本人と、地域に馴染もうとしない移民との確執は時を経るごとに深まるばかりだ。幼いころ、周りに移民が多くいた俺はそこまで排他的な感情は持っていないが、移民と知っただけで顔を背ける日本人が多いのも、そんな日本人に対して暴力行為に出る移民が多いのもまた事実だ。

「ごめん、私が気にしすぎね。ユウがそんなつもりで言ったんじゃないってことはわかってる」
「いえ、俺も無神経でした」
「よし、クランの話に戻ろう。次は――」

 部長は無理に明るい声を出して、俺にとっては懐かしいクランを次々に挙げていった。
 部長は饒舌だった。部長は話に夢中になって何度も何度も振り向くから、俺は暴れそうな心臓をおさえて繰り返し注意した。
 部長は俺の知っている桜坂エレナとは別人のように、楽しそうに、柔らかな雰囲気で笑った。俺の知っている桜坂エレナは、もっと鋭利で、もっと冷たい。俺は部長が笑った顔を今日まで見たことがなかったし、部長が誰かと話しているところさえ、ほとんど見たことがなかった。桜坂エレナはいつも一人だった。俺の知る限りでは。
  部室にいたころからおかしいとは思っていた。だけど具体的に、何がおかしいかまではわからなかった。でも今わかった。部室にいた時の部長からも、今俺と話している部長からも、問題児桜坂エレナの影は、どこにも見当たらなかったのだ。

 俺の家が近づくと部長は自転車のスピードを落とした。本人は無意識にやっているのかもしれない。だけど俺は気づいてしまった。

「ユウはVRFPSが好き?」

 部長が聞いた。嫌いだ、なんて言える雰囲気ではなかった。

「それなりに」

 部長は笑ってくれた。

「私は大好き」

 部長は俺を家の前で下すと名残惜しそうに手を振って帰っていった。今日会ったばかりの俺と、携帯デバイスの番号まで交換していった。
 ロシア移民でありながら、日本人ばかりのうちの高校に通うことは、俺が考えているよりずっと辛いことなのかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられた。
 でも部長は移民学校に通うことはできない。日本人の血が半分混じっている部長は、そこで今よりずっとつらい目にあってしまうだろうから。



 その夜、押し入れからヘッドギアを取り出した。埃の被ったそれは昔のままだった。
 今日までずっとVRFPSを避けてきた。だけど今日VRFPSをプレイして、部長の話を聞いて、どんどん懐かしくなっていった。それから、今どうなっているのかが気になった。あの頃のプレイヤーは今もいるんだろうか。強い新人は出てきただろうか。どこクランが最強だろう。俺のいたクランは? 思い出していくごとに、胸が苦しくなっていった。
 自分で自分を苦しめるなんてバカのやることだ。だからVRFPSをやるのは嫌だったんだ。思い出したくもないことを思い出してしまうから。






[29920] 五話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/02 23:17
 五話


 若ハゲの英語教師がタブレットPCに向かってペンを動かす毎に、俺の机に取り付けられたディスプレイにアルファベットが書き込まれていく。教師のタブレットPCはクラス内全ての生徒のディスプレイと連動している。生徒たちもそのディスプレイに向かってペンを動かし、思い思いの文字やら下線やらを書き込んでいく。

 俺もペンを手に取ってディスプレイに触れた。展開中の黒板タブを最小化し、白紙のノートを呼び出す。そこでペンを躍らせて、俺は見事な英語の文章を書きならべていく――わけがなく、ただ一言汚い字で『だるい』と書いた。それをメールに添付し、クラスの座席番号を指定して送信する。一分もかからないうちに返信があった。

『ねむい』

 苦笑が漏れた。俺はメールを消してディスプレイに向かってせかせかとペンを動かす生徒たちをぼんやりと眺めた。



 チャイムが鳴って英語教師が授業の終わりを宣言する。それから付け加えるように言った。

「北条と相沢。次の授業までに前回までの宿題と、今日出した宿題とまとめて提出すること」

 はい、と答える俺。一拍遅れて隣からも、

「はい」

 とつかみどころがない声が上がった。生徒たちの視線が俺たち二人に集まる。それももう慣れたものだ。
 教師が出ていくと次の授業の準備をする。次は数学だ。俺は数学の教科書をディスプレイに呼び出し、宿題のノートを教師宛てに送信する。宿題はもちろん白紙。

「宿題やった?」

 と俺は隣に向かって聞いた。

「やるわけない」

 と隣の席の少女――相沢セナは言った。まっすぐな黒髪が背中まで伸びている。俺の方に見向きもしない端正な横顔。文句なしで美人と言ってもいい顔立ちだが、ただ一つ、眠たそうでやる気のない眼だけが玉に傷だ。

「何?」

 ちらりと横目で俺を見て、セナが言った。

「いや、別に。残念だな、と思って」

 セナは興味なさそうに視線を戻した。その魂の抜けたような瞳は当てもなく宙を眺めている。セナの瞳がなにかに焦点を合わせることは少ない。いつもどうでもよさそうに、すべてのものを背景のようにながめている。その眼は主役を映さない。
 セナとはこの学年で初めて同じクラスになった。偶然隣の席になって、しばらくするうちに、俺はセナに仲間意識を持つようになった。
 俺もセナも、ここでは浮いていたのだ。お互いに友達がいないわけじゃない。それなりに仲がいい奴はいる。だけど馴染めない。俺達と、現在も数学の予習を怠りなくやっている周囲の生徒とは、どこかが違う。そう感じていた。俺もセナもクラスに、いや、学校に馴染んでいないのだ。
 なぜ俺はこんな優秀な生徒ばかり集まる進学校にいるんだろう。この学校を選んだ自分をぶん殴ってやりたい。典型的な、自分のいるべき場所を間違えた人。それが俺とセナ。

「お前さ、何しに学校に来てんの?」

 俺は聞いてみた。

「何って?」

 セナは頬杖をつきながらめんどくさそうに答えた。

「ときどきあるだろ。なんか今、自分がすごく無駄な時間を過ごしているように思えること。この学校に通ってる意味あんのかなって」

 セナは顔をこちらに向けた。その眼が俺を見た。

「ホウジョウクンは?」
「え?」
「ホウジョウクンは何しに来てるの?」
「……さあ。あえて言えば高卒の学歴を得るため、なのかな。よくわからない」

 セナは「そう」と言った後、しばらく沈黙した。

「私は部活のためなのかな」

意外だった。

「部活、やってたんだ」
「一応」
「なんの部活?」
「秘密」

 セナは視線を俺から外した。俺もそれ以上追おうとは思わなかった。部活をしに学校に来ているセナと、何の目的もなく学校に来ている俺とは明確な違いがあった。 
 俺とセナの机の距離は七十㎝。それは人間一人分の距離で、俺達二人の距離を正確に表している。自分と同類の存在を感じながら、かといって慰め合うわけでもない。それ以上近づく必要もなく、離れる必要もない。そんな七十㎝の距離感。
 だけど、現在それが何倍も遠ざかっているように感じる。ずっと同類だと思っていたセナに置いて行かれて、このクラスで、この学校で、自分ただ一人だけが孤立していくような気がした。



 HRが終わって帰り支度をする。いつもならこのまま家に帰るのだが今日はそうはいかない。億劫な部活がある。
 隣のセナが立ち上がる。セナも部活に行くんだろう。俺とは違って楽しみな部活に。
 俺はセナに続いて席を立ち、そのままセナについて教室を出る。
 セナの歩みは遅い。セナは昔事故で大けがをしたせいで現在も満足に足が動かない。日常生活にそこまで支障はないが激しい運動はできない。当然、体育は休んでいる。セナの遅い歩みは、部活に行きたくない俺にはちょうどいい。俺はあえてセナを抜かそうとせず、セナの速度に合わせて歩いた。
 俺はふと、セナがなんの部活をしているのか気になった。足の怪我があるわけだから、運動部という線は薄い。マネージャーという可能性もあるが、誰かの世話をするなんてセナのがらじゃない。残るは文化部だが、どうにもセナのイメージと合致する部活は思い当たらない。そんなことを考えながら北校舎に続く渡り廊下に差し掛かったところで、セナが突然振り返った。ふわり、とスカートが舞って、少しだけその奥の白い下着が見えた。

「ホウジョウクンはもしかしてストーカー?」
「違う。部活に行くだけだ」
「私の後ろにくっついて?」
「俺はお前の後ろにくっついて部活に行くんだよ」

 セナは「ふーん」と少し考えて、

「部活、やってたんだ」
「一応な」

 セナはそのまま歩き出した。その三mぐらい後ろに俺はついていく。北校舎で活動する部活は数えるほどしかない。嫌な予感がした。



 その予感は的中した。まだ誰も来ていないVRFPS部の部室で、俺とセナは二人きりになった。気まずい沈黙が流れる。

「つまり――」

 と窓枠に座ったセナが沈黙を破る。短いスカートから真っ白な太ももが覗く。左足には傷を隠す黒いサポーター。

「つまりストーカーのホウジョウクンはここで私を襲うわけね」
「おい」
「でもよした方がいい。こう見えても私、多少武術の心得がある」

 窓枠に腰かけたまま、セナは上半身だけで構えた。その構えは素人目に見ると案外様になっているように見える。

「だから違うって」
「冗談」

 セナは構えを解いて、少し笑った。

「部長から新しい部員が入ったってことは聞いてる。ホウジョウクンがその部員ってことでいい?」
「そうなるかな」
「VRFPSやってたんだ」
「昔な。セナはいつから?」
「まだ初めて半年ぐらい。でも私、結構やるよ」

 セナは銃を構える仕草をする。コンパクトな構えだ。MP5あたりを使うのだろうか。

「そうかい。楽しみにしとく」

 セナは足を組んで窓の外を見た。これで話は終わり、そう言っているようだった。



 古い机に行儀悪く腰掛けてしばらく待っていると部室の扉が開く。そこから小柄な少女が入ってきた。青色のネクタイ。一年だ。

「うぃーす」

 と少女らしくない挨拶をする。かわいらしい顔立ちにダークブラウンのショートカット、それから大きな瞳。昔家で飼っていた猫を思い出すような瞳だ。その瞳が俺を見て、面白そうに笑った。

「先輩が噂のカズの下僕ですね」

 あいつ一年から呼び捨てにされてんのかよ。それよりも、

「下僕じゃねーからな」
「下僕はみんなそう言います。あれの下僕ってことはつまり私の下僕でもありますからね」
「どういう理屈だよ」
「この世で最も下等な生き物の下僕ってことはつまりそういうことですから」
「なるほど」

 思わず納得してしまった。

「いや違う。そもそも下僕じゃない」

 ふう、と少女はため息をついた。

「先輩もわからない人ですね。でもアレよりはまともな人間やってるようなので勘弁してあげます」

 アレ呼ばわりかよ。

「一年の由良木アンコです。よろしくしてあげます」
「北条ユウだ。よろしくなアンコ」
「いきなり呼び捨てですか。アンコさんあたりからはじめたらどうですか?」
「アンコさん」
「やっぱいいです。虫唾が走ります」

 くそ生意気なところも昔飼っていた猫そっくりだ。かわいいのは見た目だけ。

「先輩、先輩」

 と隣の机に座ったアンコが挑発的な視線を投げかけてくる。

「先輩は先輩ですけど、この部では後輩ですよね」
「まあ、お前の方が長くいるだろうな」
「つまりここにいる間は先輩が後輩ですよね」
「そういえなくもないか」

 アンコはニヤリと笑った。

「おい北条、ジュース買ってこいや」
「変わり身はえーなおい」
「ぐだぐだ言ってねーで買ってこいや。果汁百%のオレンジな」
「買わねーから、絶対買わねーから」

 アンコは残念そうに瞳を伏せた。おっかし~な、とつぶやく声が聞こえる。

「だめっすか」
「いやむしろうまくいくと思ったのかよ」
「あのカズの幼馴染ならちょろいかなと」

 どういう扱いされてんだよあいつ。
 その時、扉が開いて噂のあいつが入ってきた。イケメンに見えなくもない顔に、爽やかに見えなくもない笑顔を浮かべている。

「ただいま、俺のハーレム。寂しかったかい子猫ちゃん?」
「出ました、地球の廃棄物。一瞬も存在する価値のない極めてき稀な生命体」
「ひでえ言いようだなおい」
 
 と俺は突っ込む。アンコは自信満々に、

「間違ったことは言ってませんから」
「極めて稀な生命体? なにそれ俺のこと?」

 近づいてきたカズが抜けたことを言う。

「都合のいいところだけ抜き取らないでください」
「照れるなよ」
「どこにも照れる要素がありません」
「あるだろ。俺がお前のそばにいる。それだけでいい」

 アンコが顔をひきつらせて俺を見た。俺は無視して携帯デバイスを取り出した。メールも着信もない。

「よらないでください、気色悪い」
「ほら、照れてる」
「どこが」
「全部さ」
「前々から言おうと思ってたんですけど、物事を自分の都合のいい方向にとらずにきちんと現実を見てください。あなたという人間の目に私がどう見えているのか知りませんが客観的視点で見てください。それからその眼で自分を見てください。ついでに死んでください」

 アンコは一息で言い切った。少し空気が凍った。
 アンコはさすがに言いすぎか、とばつが悪そうに俺に助けを求めた。しょうがない一肌脱ぐか、と思ったところで、

「つまりお前、俺のこと好きなんだろ」

 とカズが言い放った。

「え?」

 え?

 別の意味で空気が凍った。我関せずと夕日を眺めていたセナまで目を剥いてこちらを見ている。

「えっと、なぜそのようなお考えに?」

 アンコがビビりながら尋ねる。

「好きだからそういうこと言うんだろ」

 自信満々にカズは言いきった。
 アンコが壮絶な瞳で俺に助けを求めてくる。もうだめ、私じゃ無理、とその瞳に書いてある。
 俺は夕日を見た。きれいな茜色の夕日が西の空に浮かび、窓枠に座ったセナの端正な顔に美しい陰影つけりる。ああ、きれいだ。

「ちょっと、逃げないでください」
「え、逃げてないけど。夕日がきれいだなって」
「逃げてます。幼馴染なら何とかしてくださいよ」
「幼馴染は選べないからなあ」
「運命的なものですか」
「そんな気持ち悪い関係にするんじゃねえ」
「違うんですか?」
「根本的に間違ってる」
「じゃあ幼馴染としてじゃなくていいんで助けてください」
「だってほらあれじゃん、他人の恋愛に首突っ込むのはさ」
「恋愛じゃないです。一方通行です」
「そうなのか?」

 と俺はカズに聞いた。

「いや、両思いだ」
「だってさ」
「私に聞いてください!」

 ああ、もうめんどくさい。俺がセナの方に逃亡しようとしたところで、カズの言葉に足を止められた。

「大きな庭に、子供は二人。朝目覚めると愛する人の無防備な寝顔。仕事に行く前に行ってきますのキス。帰ってきたらお帰りのキス。お風呂は子供たちと一緒に四人で入る。そんな生活どう思う?」

 全身に鳥肌が立った。
 どう思う? じゃねえよ。どういう返答期待してんだよ。
 俺はこの場に耐えられずに逃げ出す――ことができない。俺のブレザーをアンコの小さな手が思いっきり握りしめていた。

「いやあ、行かないでぇ」

 セナが大きな瞳に涙を浮かべている。ちくしょう、どうする。この手を振り払うか、それとも――いや、無理。すまんなアンコ。一瞬で結論を出した俺が、それを実行に移そうと動いたとき、誰かがカズの頭をはたいた。
 部長だった。黒縁眼鏡の奥の青い瞳が不機嫌そうに細められている。

「部長!」

 アンコが嬉々とした声を上げて部長の背中に隠れた。

「いいかげんにしなさい。ここはVRFPSをする場所よ。ナンパならよそでやって」
 
 まったく、と眼鏡のずれを直して眉間にしわを寄せる部長。

「後輩と心温まる交流をしていただけなんですけどね」
「どこが、心温まる交流よ。セナも部活をはじめるから集まって」

 セナが窓際から悠々と歩いてきた。

「みんな知ってると思うけど、新しくユウが入部するわ。そのおかげで来週の日曜の大会に出られるようになった」
「俺のおかげなんですけどね」

 とカズが言う。部長はそれを無視して続ける。

「今日から大会に向けての練習をしていくからそのつもりでね。出るからには全国優勝を目指すわ」

 それはさすがに無理だろ、と俺は思ったが部長の目は本気だ。いや部長だけじゃない。セナも、アンコも、カズも、部長の言葉を笑ったりしない。その気でいる。俺だけが、仲間外れだ。

「それで、ポジションを考えてきたんだけど。センターは私。これはスナイパーだから当然ね」

 距離の長いセンターは格好のスナイプポイントだ。センターを押さえられると敵に左右どちらにも自由に展開され圧倒的不利な立場に追い込まれる。ここにスナを置くのは定石だ。

「次に爆弾設置地点A。ここはカズとセナでお願い」

 はい、と答える二人。

「それで、残った爆弾設置地点Bなんだけど、ユウとアンコでお願いね」
「先輩、足引っ張らないでくださいね」
「お前がな」
 
 部長が不安そうに俺たちを見た。

「ユウがどこでもできるって言ったからこうなったんだけど大丈夫? 私はセンターを離れられないし、セナとカズはAしかできない。Bができるのはユウだけなの」
「問題ないですよ」

 と答えて、ふと気になることがあった。

「アンコはどこができるんですか?」
「この子は――どこもできないの」

 部長は申し訳なさそうに言った。
 入ったばかりの俺とどこもできない素人を組ませるのか。

「それってまずいんじゃ?」
「私の溢れんばかりの才能をもってすれば問題ありません」

 とアンコ。
 自分で言うな。

「でも、これしかないから」
「まあそうですよね」
「アンコはVRFPSを初めてまだ二か月しかたってないから、ユウがいろいろと教えてあげて」
「入部したばかりのぺーぺーがこの私を教えるということですか」

 何様だよお前は。
 部長がやれやれ、とため息をつく。

「ユウの方がVRFPSの経験はあるから、アンコはユウの言うことをよく聞いてね。ユウ、アンコのことお願いね。それじゃあ各ポジションに分かれて練習開始」

 と部長の言葉に一同は動き出す。
 続いて移動しようとした俺を、アンコが膨らみの乏しい胸をこれでもかと張って遮った。

「経験だけでは決して破れない壁があることを教えてあげます。天才という名の壁を、ね」
 
 アンコは、ふふん、と鼻で笑った。
 大丈夫なのかよおい。





[29920] 六話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/02 23:25
 六話



 ミーティングルームに入ると、そこにはすでに装備を整えたアンコがいた。黒い帽子に大きめのサングラス。黒のタンクトップの上に薄い緑のシャツをはおり、カーキのカーゴパンツの裾を茶色いブーツに入れている。
 砂漠に行く気ないだろこいつ。頭が痛くなってきた。

「先輩、そろそろ上下関係をはっきりさせるべきだと思うのです」

 アンコは好戦的な笑みを浮かべて言った。

「というと?」
「先輩は私よりVRFPSの経験が多いというだけで、この私を教えようとしているのです。弱者が強者にものを教えるなんて片腹痛い」
「参考までに、なんで俺の方が弱いと思ったんだ?」
「理由は二つあります。まず一つ、先輩が雑魚っぽいからです」
「雑魚っぽい?」
「気づいてませんか? 先輩、雑魚オーラが出てますよ」

 俺はそれとなく自分の身体を見まわしてみる。
 よくわからないが、とりあえず強そうなオーラが出ていないことだけはわかった。

「理由二つ目。私が才能に溢れているからです」
「どのへんが?」
「わかりやすく言うと天才だからです」
「答えになってねえし」
「ということで、勝負しましょう。砂漠の町で一本勝負。負けたほうが勝った方の言うことを何でも聞く。どうです? まさかまさか、逃げることなんてことないですよね?」

 どうしてそうなるのか理解できないが、めんどくさいことになりそうだった。ただ、

「まあ、いいか」

 断るのもめんどくさそうだった。




 試合がはじまるとすぐに物陰に隠れた。
 このゲームに勝つ必要はないと言えばないが、負けたら何をさせられるか分かったものじゃない。それにもしかしたら来週の大会にチーム戦の動きが全くできない初心者が出ることになるかもしれない。それはまずい。最低限、二万九千八百円分の働きはしなければならない。

「ほどほどにやるかな」

 呟いて、俺は土壁から顔を出し辺りをうかがった。
 いない。
 M4A1を構えて壁に沿って進んでいく。目指すはマップの中央。そこが最も動線が集まりやすく、最も危険な場所だ。
 1VS1で試合開始後すぐにそこに向かうのは、よほどの自信があるか、何も知らない馬鹿か。
 俺の場合はてっとり早く終わらせたいだけだが。

 相変わらず馬鹿みたいに強い日差しの中、少しの斜面を登り、曲がり角に差し掛かったところで、壁を背にして立ち止まった。この先が砂漠の町で最も広い区画で、四方向からの動線が集中する激戦地帯。チーム戦でなんの策もなく飛び出せば即ハチの巣にされるだろう。
 まずは音を探り、近くに敵がいないことを確認して、一瞬だけ顔を出す。
 ほとんど障害物のない広場の先、距離にして五十mほどの所に、黒い帽子が見えた。影になった路地に隠れてはいるが、やはりこの砂漠色のマップでは黒が目立つ。俺はそれを確認してすぐに角に隠れる。顔を出すという行為は、相手を目視できる代わりに、自分の隠れている場所を相手に悟られる危険もある。目視は一瞬で。それが基本だ。
 さて、五十mだ。昔ならなんてことない距離だった。しっかりとした射撃体勢さえ整えばほぼ確実に当てることができる。しかし今は、どうだろう。わからない。
 アンコの武器は俺と同じM4A1だった。初撃を外せば向こうに俺を殺すチャンスが渡る。
 ……本当に、弱気になったものだ。初めてたった二か月の初心者相手にこれだ。
 M4A1をセミオートに設定し、角から半分身体を出した。外したらその時はその時だ。なんとでもなる。俺はM4A1のトリガーを絞った。
 一発目は外れた。アンコから体半分ほど横にずれた土壁に穴が空いた。
 俺の姿を見つけたアンコが銃を俺に向けようとする。反応は悪くない。ただ、対応が悪い。アンコは隠れるべきだった。
 俺の二発目が、アンコの胴体を貫いた。それと同時に、俺の背後の土壁が弾けた。

「っ!」

 撃ちかえせるタイミングじゃなかったはずだ。やはり鈍っている。
 力の抜けた体で、M4A1を構えようとするアンコに、追い打ちにの三発、四発。それに合わせてアンコの身体が躍り、地面に崩れ落ちた。俺の勝ちだ。



 ミーティングルームに戻ると、

「こそこそ隠れまわって不意を突きやがって納得いきません」

 私は不満です、と全力で主張しているアンコに迎えられた。

「納得いきませんって、お前、そういうゲームだからな、これ」

 正々堂々戦いたかったら格ゲーでもやればいい。

「先輩みたいな精神的弱者が多いからそういうゲームになったんです」
「まあ、勝てば官軍だしな」
「成果主義ですか。矮小な脳みそな人間ほど、わかりやすい形のあるモノしか評価できないんですよ」
「勝負で上下を決めようとしてたやつがよく言う。とにかく、俺が勝ったわけだ」
「くっ」

 アンコは自分の身体を守るように両手で抱きしめた。

「何が目的ですかケダモノ先輩」

 ケダモノ先輩ってなんだよ。

「とりあえずお前、脱げ」
「へ?」

 本当に命令されるとは思わなかったのだろう。間抜けな顔だ。

「脱げ」

 念のため、もう一度言った。
 アンコの顔が、羞恥から怒りへ、怒りから侮蔑へと、目まぐるしく移った。

「類は友を呼ぶ、か。カズの幼馴染だけはあります。先輩、格下げです」

 はたして何の格が下がったのか。

「言い方が悪かった。装備を変えるから、一旦すべての装備を外せ」
「という建前でヤるつもりですね」
「ゲームの中でなにをヤるんだよ」
「まあ、それもそうですね」

 アンコは渋々装備を外して、黒いタンクトップと薄い緑のショートパンツ姿になった。真っ白な細い足が、真っ直ぐ床に向かって伸びている。

「胸を見ましたね、いやらしい」
「見てねーから」

 見たのは太ももだ。お前の平らな胸に価値はない。
 俺は胸元を隠すアンコに向かって装備を投げつけていく。

「ちょ、先輩!」
「さっさと着替えろ」

 とだけ言って、俺は装備を選んでは投げる作業に戻った。



 数分後、俺とほぼ同じ装備を身に着けたアンコが出来上がった。違うのはサブウェポンだけだ。アンコは顔をしかめて、

「先輩とペアルックですか。汚れた気がします」
「むしろ光栄に思え」
「そもそも、センスの欠片もありませんし」
「公式戦にセンスを求めるな。やりたきゃ野試合でやれ」
「不満です」
「勝ったの俺だからな」
「くっ」

 アンコは床に座り込んで体を丸めた。

「こうして不憫なアンコは死ぬまでこの鬼畜に奴隷のように扱われるのでした」
「それがお前の望みならそうしてやるけど」
「しかしそう思われた直後、不憫でかわいいアンコを助け出す白馬の王子様が」
「現われねーからな」

 アンコは、チッ、と舌打ちをする。

「さっさと練習はじめるぞ。試合まで短いんだし」
「はーい」

 俺はトレーニングモードを開始した。



 
「それで、どんな練習するんですか?」

 砂漠の町に降り立つとすぐにアンコが尋ねた。猫みたいな大きな目が、まぶしい日差しの中で細められている。

「その前に、ひどく根本的なことを聞いておきたい」
「はい?」

 と首をかしげるアンコ。

「お前、公式戦のルールわかってるか?」

 アンコの表情が固まった。

「も、もちろんですとも」
「言ってみろ」
「五対五のちーむ戦です」
「それで?」
「そ、それで……」
「それだけ?」
「そ、それだけ……」

 俺は思わず天を仰いだ。そこから説明しなきゃならんのか。

「公式大会は五対五のチーム戦の爆破ミッションで行われる。制限時間二分の五本先取だ。爆破ミッションはわかよな」
「も、もちろんですとも」

 眼が泳いでやがる。こいつ絶対知らねえ。

「爆破ミッションでは攻撃側と防御側に分かれる。攻撃側は制限時間内に決められたポイントへ爆弾を設置し爆破するか、防御側チームを全滅させれば勝ち。防御側は爆破されずに守り通すか、攻撃側チームを全滅させれば勝ちだ」
「まあ、知ってたんですけどね」
 
 と腕を組んでうなずくアンコ。ほんとかよ。

「ほかにも細かいルールはいろいろとあるんだが、それはその都度説明する。ていうか自分で調べとけ」
「はいはい」

 ……。

「お前、今まで部活でどんな練習してきたんだ?」
「銃の構え方とか撃ち方とかクリアリングとか」
「ほかには?」
「ほかには。え~っと、ネットにつないで対戦とか」
「チーム戦はやらなかったのか?」
「仲間などいらぬ。個人の力量こそ真の実力」

 じゃあなんで部活に入ったんだよ。

「でもわからんでもないけどな。俺も最初のころは個人戦ばかりだったし。チーム戦だと仲間に迷惑かけるし、そもそも待ち時間が長いし」

 個人戦では死んでも十秒で復帰できるが、チーム戦の場合死んだら次の試合がはじまるまで復帰できない。試合開始直後に死んだ場合ではインターバルと合わせて二分以上待たされることになる。プレイヤーの力量も全体的に高く、初心者にはいささか敷居が高い。

「ですよね~。まあ私はすぐに死ぬってわけじゃないんですけど」

 俺はわかってる、と言わんばかりにアンコの肩をたたいた。アンコは微妙な顔で俺を見る。

「チーム戦はまずマップを覚えるところからはじまるからな。ここのマップは覚えてるか?」
「当然です、と言いたいところですが。あまり自信ないかもです……」

 個人戦とチーム戦では好まれるマップが違ってくる。それに注意すべきポイントも変わってきたりする。

「念のため、説明しとくぞ」

 俺はしゃがんで砂の上に漢字の『田』を書いた。アンコも俺の隣にしゃがみ込んで田を覗き込む。

「マップは田んぼの田とよく似ている。田の一番上の辺の真ん中あたりが攻撃側チームの初期配置ポイントだ。逆に防御側は一番下の辺の真ん中あたりが初期配置ポイントになる。ちなみに今俺たちがいるのもここだ。この攻撃側の初期配置ポイントと防御側の初期配置ポイントを結んだ線をセンターと呼ぶ」

 と俺は地面に書き込んでいく。ほうほう、とうなずくアンコ。

「左下の角が爆弾設置ポイントA。右下の角が爆弾設置ポイントBだ。俺たちが任されたのはここだな。この二つのどちらかが爆破されれば攻撃側の勝ち、逆に防御側は負けになる」
「なるほど、二つとも爆破する必要はないわけですね」
「攻撃側はそうだ。逆に守備側は二つとも守らなければならない。それとあくまでこの図はデフォルメした形だからな。本当は曲がりくねっていたり、遮蔽物があったり、高低差があったりする。こんな直線だらけじゃスナイパー天国になっちまう」
「だいたいわかりました」
「今からマップを回りながら解説していくから、常にこの図を頭の中に思い浮かべて、自分が今どの位置にいるか理解するように。それと録画も忘れるなよ」
「あいあいさー」



 その後、たっぷり三十分以上かけてマップを回った。アンコの物覚えは悪くない。この学校にいるんだから当然と言えば当然か。

「今日家に帰ったら録画を見返して復習しとけよ」
「はいはい。先輩、入部したばかりなのによく知ってますよね」
「昔ちょっとやってたからな」
「でも知識だけじゃ勝てないんで、そこんとこ勘違いしないでくださいね」
「お前もな。俺に負けてんだからそこんとこ勘違いすんなよ」

 アンコは顔をそむけて明後日の方を向いた。こいつ。

「よし、じゃあ練習を始めるぞ」
「え、今までのはなんだったんですか?」
「ただの説明だ。次からは実戦を想定した練習だ。まずはそうだな防御側ではじめたと想定する」
「攻撃側は?」
「攻撃側は臨機応変だからな。状況や相手のポジションに応じて攻め方を変えていかなきゃならない。対して防御側ならある程度型が決まっているから教えやすい。じゃあ始めるぞ」

 俺はウィンドウを開いてトレーニングモードの設定をしていく。試合と同じ爆破ミッションの二分間。俺たちは防御側スタートで、攻撃側にはAIを二人配置し、爆弾設置ポイントBを攻めるように思考をいじる。
 視界の上に時間が表示され、それがゼロになるとゲームがはじまった。俺はマップ右側、爆弾設置ポイントBに向けて全力で走り出した。一瞬遅れてアンコが俺について走り出したのがわかった。個人戦と違ってチーム戦は初期配置が決まっている。だから開始直後は接敵を気にせず音を出して全力で走ればいい。
 十秒ほど走って、砲撃で穴のあいた壁を抜けると、少し開けた場所に出た。そこでウィンドウを呼び出して時間を止める。

「ここが爆弾設置ポイントBだ。略してBと呼ぶ。俺たちが守るべきはあの装甲車だ。攻撃側はあそこから入ってくる」

 幅二mほどの屋根がかかった通路『細道』を指差す。

「それで、お前の守備位置はここだ」

 と俺はアンコを連れて土嚢で作られたバリゲートの後ろへ回った。ここからは攻撃側が入ってくる細道が見通せる。

「この土嚢に隠れて敵が来たら撃て。間違っても突撃なんてするんじゃねえぞ。俺たちは守備側だからな」
「わかってますよー。ところで先輩はどこで守るんですか?」
「向こうだ」

 俺は背後の壁の穴の向こうを指した。

「私より後ろじゃないですか」

 アンコが攻めるような視線で見つめてくる。

「そうだな。この場合、先に狙われるのはまず間違いなくアンコだし、先に死ぬのもまたアンコだろう」
「私もそっちがいいです」
「でも難しいぞ。センターやAと近いから救援に入らなきゃいけないし、裏取りの注意も必要だ。柔軟に動ける知識がないとできないし、細道と少し距離があるから正確な射撃技術が必要とされる。やるか?」
「……やっぱやめときます」
「だろ。二人で防御する場合の基本は、一人が囮役で一人が仕留め役だ。この場合、お前が囮だ。相打ちでもいいから一人倒せ。もしくは誘い出せ。それがお前の仕事。残った奴を倒しつつ、全体の戦況を見極めてポジションを移動して救援に回るのが俺の仕事」
「なんか捨て駒にされてるみたいで納得いかないです」
「そういうな。野試合とは違ってクラン戦ではチームワークが何よりも重要になるんだ。野試合だったら一人の上手いプレイヤーで結果が決まることもある。でも練習を積んだチームが相手になるとそうはいかない。野試合だとせいぜい一対一が五回続くだけだが、チームが相手になるとそれが一対五になる。そうなったら一人じゃどうしようもない。チームに勝つためにはチームとして連携をとらないとだめなんだ」

 アンコはふてくされた様子で、

「とりあえず了解です。私は敵をひきつければいいんですね」
「そうだ」

 俺はゲームを再開した。再開すると時間を止める前の場所まで戻される。そこからすぐに俺は一度壁を出て穴の後ろに陣取った。ここからは装甲車も、土嚢に隠れたアンコも、細道から入ってくる敵も、全て見渡せる。対してこちらは頭だけ出した状態で撃つことができる。裏から入られなければ非常に強い場所だ。
 残り時間一分四十秒で、黒い塊が細道から投げ込まれた。

「FB」

 俺はインカムに向かって言った。

『了解っす』

 左耳からアンコの声が聞こえた。試合中、離れた場所の味方とはこのインカムでやり取りすることになる。
 穴の後ろに隠れてFBをやり過ごすと、再度頭を出してM4A1を構える。

「来るぞ、構えろ」
『了解』

 直後、アンコのM4A1が火を噴いた。それから土嚢にもいくつもの銃弾が当たり、アンコの姿が硝煙と砂埃でぼやけていく。接敵したのだ。俺の角度からはまだ敵影が見えない。

『AK一人、M4一人』

 絶え間なく轟く銃声の隙間を縫ってアンコが報告する。

「了解」

 マガジンを打ち尽くしたアンコが、土嚢に身を伏せてリロードする。
 その隙にAKが一人突入してきた。AKはアンコの土嚢目指している。俺は隙だらけのそいつに向けてM4のトリガーを引いた。三点バーストでリズムよく、銃弾が発射され、AKを持った敵が躍った。まずは一人。
 二人目に備えて細道に照準を合わせた時、そこから黒い塊が投げ込まれた。それは土嚢に隠れたアンコの元へと吸い込まれるように落ちていく。

「HG! 逃げろっ!」

 アンコが反応して走り出した直後、HGが爆発し、大量の砂を巻き上げながら小柄な身体が吹き飛ばされた。

『きゃあああっ!』
「くそっ」

 吐き捨てるが、視線はそらさずに細道を注視する。そしてアンコにとどめを刺すべく疾走してきた敵を、狙い澄ました俺の銃弾が貫いた。これで終いだ。

 俺は一つ大きく息を吐いて穴を降りると、地面に這いつくばっているアンコの元に向かう。

「生きてるか?」
「半分死んでます」

 と弱弱しい声で言うアンコ。泥や煤にまみれて見る影もない。体もほとんど動かないだろう。

「まあ、これがB防御の基本だな。AIのレベルは低いから実戦ではこうはいかないだろうが、初めてにしちゃまずまずだ」
「なんか私って損な役回りじゃないですか?」

 アンコはうつ伏せのまま、まるで砂を食べるかのように口を動かした。しょうがないから仰向けにしてやる。

「そうだな。でも必要な役だ。実際の、リアルの戦争なんかとは違って、ここはゲームだ。だから死んだっていい。次があるから。当然、捨て駒を使って命を犠牲にした戦い方が取られるし、はっきりいってその方が強いからな。最低限の仕事さえすれば名誉の戦死だ。お前も今回は名誉の戦死だぞ。よくやった」
「まだ死んでないんですけどね」

 と恨めし気に呟くアンコ。

「今日はこれぐらいにしとくか。家帰ったら復習して、自分でAIの設定して練習しろよ。大会に間に合うかどうか怪しい所だからな」




 ゲームを終えて現実に戻ると、部長が俺達を覗き込んでいた。カズとセナはまだプレイ中のようだ。

「どうだった?」

 と部長。

「まずまずじゃないですか。公式戦がどんなレベルかわからないんではっきりとしたことは言えないですけど」
「先輩に奴隷のようにこき使われ、嬲られ、捨て駒にされ、殺されました。人権侵害です。パートナーの変更を求めます」
「ねえよ」
「嘘は言ってません」

 部長はおかしそうに笑った。

「案外いいコンビじゃないの?」
「勘弁してくれ」
「部長、笑えない冗談ですよ」
「はいはい。今日はもう終わりにするから、二人とも先帰っていいわよ。それと突然で悪いんだけどチーム名考えてきてくれないかしら」
「チーム名?」
「明日までに考えてエントリーしなきゃならないのよ。今まで大会に出たことなかったからすっかり失念してたわ。明日の昼までにお願いね」
「昼、ですか?」
「ああ、ユウに言ってなかったかしら。いつもみんなで集まって部室でお昼食べてるの」

 それでか。昼休みになると教室からセナが消える理由がわかった。

「ユウも明日から部室で食べたらどう?」
「考えときます。それじゃあ部長、また明日」

 俺は手を挙げて部室を後にした。




[29920] 七話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/11/11 22:08
 七話


 昼休み、セナと一緒に部室に行く。一緒とは言ってもそこに会話はない。俺とセナは同じクラスで、隣の席で、授業を一緒にサボったりもする。でも携帯デバイスの番号は知らないし、お互いのこともよく知らないし、なによりあまり話しをしない。そんな関係。

 部室にはまだ俺たち以外誰もいなかった。二人きり。でも昨日のような気まずさはない。いつもそうだったから。
 セナは席に着くとすぐに弁当を開いた。

「もう食べるのか?」
「うん」

 セナは当然のように答える。

「普通は待つもんじゃないか?」
「さあ、わかんない」

 セナは興味がなさそうに弁当を食べはじめた。ここにはここのルールがあるはずだ。もしかしたらここでは先に来たやつから自由に食べはじめるのがルールなのかもしれない。俺もセナに倣って弁当を広げた。

「美味しそうだな、それ」

 セナの弁当を見て素直にそう思った。漆塗りの高級そうな弁当箱には、純和風の料理が詰め込まれている。五目ご飯、鮭の切り身、だし巻き卵、きんぴらごぼう、ほうれん草のおひたし。そんな何の変哲もない普通の弁当が、品のいい漆塗りの容器と、セナの上品な食べ方と相まって、すごく特別なもののように見えた。
 思えばセナにはどこか普通の人とは違う凛とした雰囲気がある。こんなやる気のない眼をしているのに、だ。身のこなし一つ一つが綺麗で、優雅で、洗練されている。足の怪我がありながら、背筋はすらりと伸び、歩き方は美しい。癖一つない流れるような黒髪と、上品な顔立ちのせいで、時代劇にでも出てきそうな和風の美がある。

「それ、誰が作ったんだ?」

 もしかしたら本当にお手伝いさんとか、専門の料理人がいるのかもしれない。セナはそういう生まれの人間なのかもしれない。そう思った。

「私」

 耳を疑った。

「いまセナが食べている弁当は、いったい誰が作ったんだ?」

 誤解がないように主語をきちんと入れた。

「私」

 マジかよ。ありえない。

「何、その反応」
「だってお前、食うと寝る以外は何もやらない人間だろ」

 それとVRFPSか。それ以外はすべてどうでもいい、そんな風に見える。

「ホウジョウクン、それは誤解」

 とセナは心外とばかりに言う。それから、

「私のお弁当を作るのは私しかいないから」

 と小さく付け足した。どういうとればいいか迷う言葉だ。

「いや、それにしても美味そうだ。一個もらっていいか?」
「どうぞ」

 俺はセナが差し出した弁当箱からだし巻き卵を一つ頂戴して頬張る。何の変哲もない普通のだし巻き卵だ。だけど、美味い。

「もう一個いいか?」
「どうぞ」

 セナは満足そうに頷いた。





「ちーっす」

 という声とともに、アンコが部室に入ってきた。アンコは「セナ先輩、こんにちは」と頭を下げる。セナは頷くだけ。

「すいません、あなた誰でしたっけ?」

 と俺の隣の席に座るアンコ。

「その年でアルツハイマーか? かわいそうなこった」
「どうでもいい人間のことは覚えないようにしてるんですよね。無駄だから」
「確かに一理ある。そういえば俺もお前のことよく思い出せないな。えっと確か――きな粉だっけ?」

 きな粉の表情が凍った。

「アンコです」
「そうだっけ? きな粉じゃなかった?」
「アンコです」
「アンコときな粉って似てるよな。もうきな粉でいいんじゃないか? どうせたいした違いもないんだろ?」
「ア、ン、コ、です」

 アンコは頬をひくつかせながら強い口調で言う。

「まあいいよ。そこまで言うんだったらアンコってことで」
「くっ」

 顔をゆがませて俺を睨みつけるアンコ。しかし残り少なくなった俺の弁当を見て、その顔に嘲りの色が浮かぶ。

「先輩、常識ってものがないんですか? 普通誰かと一緒にご飯を食べるときは人が揃うまで待つものでしょう。友達いないからわからなかったんですか?」

 え?

「だってセナも普通に食ってるぞ」

 もう食べ終わりそうだし。

「セナ先輩はいいんです」
「なんで」
「セナ先輩だからです」

 平らな胸を張って言うアンコ。確かに妙な説得力がある。セナも我関せずと食べ続けてるし。自由すぎるだろこいつ。
 しょうがないから俺は箸を止めて残りの二人を待った。




 しばらくしてカズが来た。その少し後に部長が。

「ごめん、授業が長引いちゃって」

 うちの学校では授業の延長はよくあることだ。ひどい時には昼休みが半分なくなる。どうやら教師連中は昼休みを、授業の遅れを取り戻すボーナスステージか何かと勘違いしているらしい。
 部長は机を動かして皆とくっつけると、その上に桜の花びらが描かれたかわいい弁当箱を置いた。桜坂だから桜なのだろうか、その中には普通の和食が詰まっている。ロシアの料理が入っているのかと思ったから少し意外だった。
全員がそろったことでようやく昼食がはじまった。セナはすでに食べ終えているが。

「チーム名、考えてきてくれた?」

 部長が切り出した。

「はい!」

 と勢いよく手を上げるカズ。

「言ってみなさい」

 カズは顎の下に手をやり、意味深な笑みを浮かべてもったいぶった後、

「カズ・ハーレム~おまけつき~」

 俺はおまけ扱いか。

「却下」

 即座に言い渡された。

「なんでっ!」
「不快だから」
「くっ」

 ありえない、と呟きながらカズは机に伏せた。

「はい」

 今度はアンコ。

「アンコと部長とセナ先輩と奴隷が二匹」

 お前も同じベクトルか。しかもまるで捻りがない。

「却下」
「そんなっ」
「そもそもチーム名になってないわ」

 アンコは肩を落とした。自信あったのになぁ、と呟く声が聞こえる。こいつの自信は当てにならない。
 部長が眉間をおさえてため息をつく。

「もう少し真面目に考えてきてほしかったんだけど。セナはどう?」

 セナは頷いた。意外だ、こいつも考えて来たのか。セナは形のいい唇を小さく開いて、

「告死ノ弾丸《デスバレット》」

 静かな声で言った。
 沈黙が降りた。リアクションに困る、とても困る。

「か、かっこいいい名前ね。でもちょっと私たちにはそぐわないと思うんだけど……」

 部長が困った顔で俺を見る。俺も頷いて同意しておく。

「なら、いい」

 セナはどうでもよさそうに言った。でも少し残念そうにも見える。

「ユウは?」

 部長が期待のこもった目で俺を見た。
 でも俺は何も考えてきていなかった。別にめんどくさかったわけじゃないし、いい名前が思いつかなかったわけでもない。ただ、眼鏡の弁償代わりにここにいる俺が、チーム名を考えるのは違うんじゃないかと思ったからだ。チーム名はチームの人間が決めるべきで、俺はそこに入るべきじゃない。でもここまでまともな候補が出ないと、何も出さないわけにはいかなかった。
 俺はチームの皆を見渡した。机に伏せてわけの分からないことを呟いているカズ。首をかしげて、やはり奴隷では生ぬるかったか、と見当はずれなことを零すアンコ。ぼんやりと窓の外を見ながら眠そうに眼を開閉するセナ。それから、信頼にも近い何かを込めながら俺を見つめる部長。バラバラで統一感がないメンツに見える。だけどここにいる人間に共通するものがあった。
 こいつらはみんな濃いのだ。無色透明の色が強いこの学校で、これだけ癖のあるメンツがよくぞ集まったと思ってしまう。まるで、この学校の異物をVRFPS部がすべて引きうけているようだ。

「Mavericksなんてどうでしょうか」

 恐る恐る、俺は言った。

「どういう意味なんだ?」

 とカズ。

「マベリックス。異端児達って意味よ。いいじゃない、皮肉が効いてて私たちらしいわ」

 部長の言葉にカズは、ふむ、と頷いた。

「俺の次ぐらいにいいな」
「私の次ぐらいにいいですね」

 とアンコ。

「同じく」

 とセナまで。
 こいつらどんだけ自分で考えたチーム名に自信持ってんだよ。

「それじゃあ満場一致で決定。チーム名は《Mavericks》よ」

 満場一致、なのか? それより、

「ちょっと待ってください、部長の案は?」
「いいのよ、私のは。私の勝手な思いを込めたチーム名だったし、ユウの案が一番いいわ」
「そんな――」
「いいじゃない。ぴったりな名前だと思うけど。それとも採用されるとまずい理由でもあるの?」
「それは……」

 チームに入ってない俺が考えたチーム名が採用なんて問題だらけだ。でもこの場所でそれを言えるはずがない。だから、

「いえ、何も問題ありません」

 と言うしかなかった。チーム名が《Mavericks》に決定した。




 放課後の部活は昨日と同じように分かれてはじまった。俺とアンコは防御側の復習をした後、設定を攻撃側に変えた。AI二人をBの防御に配置して試合をはじめる。開始から全力疾走して、細道の手前まで進んだところで俺は時間を止めた。

「俺かお前、どっちが先に行く?」
「先輩が先行ってくださいよ。防御側は私が前衛だったんですから」

 それもそうか。

「後ろの方が難しいんだけどまあいいか。今からBに突入するわけだが、普通にやればまず間違いなく撃ち負ける」
「なんで言い切れるんですか。やってみないと分からないじゃないですか」
「やってみなくてもわかるさ。マップのつくりが防御側有利になってるからな」
「え、そうなんですか?」
「ああ。防御側と攻撃側の違いだな。防御側はAとB両方守らなければいけないのに対して、攻撃側はAかBの片方を落とせばいい。だから自然と防御側は人を割かれて戦力を分散される。対して攻撃側は守るところなんてどこにもないから、どこか一つの地点に全員集めて攻め込んでも何の問題もない。普通にいけば、自由に人員を動かせる攻撃側が勝ってしまう。だからマップのつくりを防御側有利にすることでバランスを取っているわけだ」
「なるほど」
「防御側はマップの利を生かして立ち回り、攻撃側は局地的な人数差を生かして立ち回る。これが基本だな」
「でも今は二対二ですよ?」
「そうだ。だから普通にやれば負けてしまう。見てみろ」

 俺は細道の向こうの土嚢を指差した。

「あそこは防御側でお前が隠れていた土嚢だが、Bに入るには細道を通ってまっすぐ直進しなければならない。細道は十メートル弱だ。敵が待ち構えている遮蔽物のない細い道をそれだけ直進するってことは、まず間違いなく死ぬってことだ」
「確かに、入れる気がしないです」
「しかもだ。細道を抜けると、俺が守っていた位置からの射線に入る。そうなると二方向からのクロスファイアが待っている。たとえ細道を抜けたとしても待っているのは死だ」
「じゃあ、細道の手前から土嚢の敵と撃ちあって、倒してから突入するのは?」
「それも一つの戦い方ではあるが、じり貧になりやすい。撃ち合いでも身を隠す面積の大きい土嚢の方が有利だし、俺達には制限時間がある。二分以内にAとBどちらかを爆破するか、防御側を全滅させなければこちらの負けだ。防御側は消極的な撃ち合いをして時間を稼げばいいし、そうなるとこちらには裏を取られる危険だって出てくる」
「じゃあどうするんですか?」
「そこで、こいつの出番だ」

 俺はFBを取り出した。

「閃光手榴弾ですか?」
「ああ。これを突入前に投げ込むんだが、そこでも一工夫する。俺たちは昨日防御側をやったよな」
「はい」
「その時AIがFBを投げ入れてから突入してきたけどどうだった?」
「どうって、別にどうってことなかったです」
「そうだ。普通に投げ入れるだけじゃ効果は薄いんだ。相手もそれがわかっているから、耳を塞いで物陰に伏せてしまえば、なんてことはない」
「そうですね」
「物陰に伏せている隙を狙って攻め込んでも、俺たちがもろにくらってしまう。だって自分の前に投げ入れるんだからな。目をつぶって走ったって、後ろ向きに走ったって、それなりに影響は受けるし、そうしている間は完全に無防備になる。だから投げ入れる位置を工夫するんだ」
「投げ入れる位置?」

 俺は頷いてアンコを土嚢の近くまで連れて行った。それから土嚢の裏の、ある一点に足で印をつけた。

「ここだ。ここにピンポイントに投げ入れれば、土嚢の敵も、穴の敵も、隠れなければいけない。対して、細道から突入する攻撃側にはほとんど影響がない。FBが土嚢に遮られて音も閃光も届きにくいんだ」
「つまり防御側が身を隠している隙に、タイムラグなく突入できるってことですか」
「そうだ。そうなると防御側の有利なんてほとんどなくなる。そっからはガチの撃ち合いだ」
「わかりました、ここにFBを投げ込むだけでいいんですね。簡単じゃないですか」
「そう思うか?」
「え?」

 怪訝そうなアンコを連れて、細道の前まで戻った。そこからFBを投げ込むポイントを探すと、

「角度がない?」

 アンコが驚いた顔で言った。

「正確には、ほとんど角度がない、だ。一見簡単そうに見えるが細道の手前からあのポイントに投げ入れるのはかなり難しい。少しでもずれれば、防御側に満足に効果が与えられなかったり、最悪の場合は攻撃側だけくらったりなんてこともある」
「できるんですか、こんなこと」
「これは後衛がやる仕事だ。できないんだったら変わるか?」
「や、やりますよ! 先輩にできて私にできないことはありません」
「その意気だ」
 俺はメニューを呼び出してゲームを再開した。




 時間停止前の場所まで戻るとすぐに、アンコはFBを取り出した。それから顔だけ出して狙いをつけようとするが、その瞬間にアンコの頬を銃弾が霞めていく。身を縮めて顔を戻すアンコ。無理無理、と首を振っている。
 当然だ。悠長に狙いをつけていては頭を撃ち抜かれる。本当は目標を見ずに手だけで投げ込むものだが、最初からそんなことできるはずがない。俺は仕方なく、

「援護するから、その間に投げ込め」

 と言った。アンコは頷いた。
 俺はAIの射撃が止んだのを見計らって半身を出すと、土嚢めがけてトリガーを絞った。フルオートで、だ。フルオート射撃は援護の時に最も効果を発揮する。
 絶え間なく放たれる弾幕に、敵が身を伏せた瞬間、FBが土嚢めがけて飛んで行った。俺はそれを目の端で追いながら、そしてマガジンを取り換えながら、飛び出した。
 FBは回転しながら土嚢の上に乗ると、その手前に落ちてきた。ああ、終わった。
 咄嗟に目をつむったが、それでも音は飛び、視界が白でぼやけた。だが、まったく見えないわけじゃない。黒く薄い影が、ぼんやりと見える。俺はここで何千、何万回と練習し、何百回と同じ失敗をした。見えなくても、どうすればいいかぐらい体が覚えている。
 俺はM4を構えると、黒く薄い影に狙いをつけた。でも撃つのはそこじゃない。その影は装甲車だからだ。そこから左に少し、ずらす。感覚だけが頼りだ。
 トリガーを絞った。ほんの少しずつ位置を変えながら、数度。これで土嚢の敵は倒したはずだ。
 それから再び装甲車に狙いを定め、今度はそれを右上にずらす。狙いは穴の敵。ここからは運だ。当たれ!
 俺は残りのマガジンすべてを吐き出した。それから数秒経っても俺は生きている。つまり、そういうことだった。

 視界が戻るとすぐにあたりを確認する。土嚢の裏に倒れたAI、それから穴から落ちて血を流したAI。視界には『YOU WIN』の文字が。だいぶ感覚が戻ってきている。

「まさか、一発で成功するとは。さすが私です」

 アンコが得意げに鼻を鳴らして近づいてくる。

「完全に失敗だ馬鹿たれ。視界真っ白だったぞ」
「え、そんなわけないじゃないですか。失敗してたら敵を倒せるはずありません」
「俺が頑張ったからだ」
「頑張ってどうにかなるもんなんですか?」
「たまにはなんとかなるもんだ」
「先輩、ときどき地味にすごいことしますよね。でも今回のはさすがに嘘っぽいですよ」
「まあ別に嘘でもいいけど、練習つづけるぞ。仮に今回のが成功だったとしても、何度も同じことできないってことはお前も分かってるだろ」
「ぐっ、確かに」




 AI二人を消してFBの所持数を無限にした後、アンコにFBを投げ続けさせた。でも、何度投げてもうまくいかない。たまに俺が手本を見せてもやはりできない。しょうがないのだ。これは見て覚えるものじゃなく、体で覚えて感覚をつかむものだから。

「こんなこと、やってくるチームなんているんですか?」

 何度となく失敗した後でアンコが言った。

「俺の周りは普通にやってきたぞ」
「ほんとですか? 先輩の周りにいたのがたまたまFB厨だけだったとか?」
「そんなことはなかったと思うんだけどな」

 確かに、俺は最近の事情を知らない。公式大会のことなんて全く分からない。だから公式大会でこのFBを使ってくる相手がいるとは断言できなかった。

「でも覚えとけばかなり使えるぞ、これ」
「確かにそうなんですけどね」

 練習を再開した。でも、アンコにこれを教えるのは早かったかもしれないと思った。初めて二か月の、ほとんど個人戦しかやったことがない素人なんだ。できなくて当たり前だった。




 それから、どれほどのFBをなげたかわからなくなった頃、アンコの投げた一つのFBが、土嚢の奥に落ちた。

「できたっ!」

 アンコは満面の笑顔を浮かべた。

「その感覚を忘れないうちに、続けて投げろ」
「はいはい!」

 続けていくうちに、十回に一回だった成功が、五回に一回、三回に一回へと増えていく。アンコは明らかに感覚を掴んでいた。
 それに、アンコは覚えがはやい。それは昨日から感じていたことだった。知識もなく、動きもでたらめだけど、教えればその通り動ける。昨日教えた防御も、今日の復習の時点でほとんどできるようになっていた。昨夜アンコがどれだけ練習をしたかわからないが、それにしても驚異的と言っていい呑み込みの速さだ。




「そろそろ、次に行くか」
「え、でもまだ二回に一回ぐらいしか成功してませんよ」
「今日それだけできれば充分だろ。これは一人でもできる練習だからな。今は俺との連携を合わせる方が大切だ」
「それもそうですね」
「ちゃんと練習して、試合までに十回に九回は成功するようにしとけよ」
「はいはい、わかってますって」

 俺はAI二人を再び配置して、ゲームをはじめた。細道の手前まで来たところで、アンコとアイコンタクト。俺が援護射撃を、その間にアンコがFBを投げ込む。FBは狙い違わず、土嚢の奥に落ちた。
 俺は細道を飛び出して、土嚢の奥に伏せる敵めがけて、トリガーを引こうとした。これが終わったら少しはほめてやるか、とか思いながら。その瞬間、俺の身体を衝撃が突き抜けた。俺は力なく地面に倒れ、視界が真っ赤に染まった。

 は、なんで?

 死亡した俺はミーティングルームに戻される。壁にかかったモニターには、Bに突入し土嚢の奥の敵を撃ち抜いたアンコが映し出されている。死亡するとこの部屋に戻され、残りの時間を観戦することになる。
 俺はメニューを呼び出して巻き戻しを選択する。映像はアンコがFBを投げ込む瞬間に戻った。アンコが投げたFBが土嚢の奥に落ちる。ここまではいい。俺が素早く突入し、土嚢の敵に狙いを定める。ここまでもいい。そして、その俺を、アンコのM4から放たれた銃弾が貫いた。

 なるほど、死刑。

 砂漠の町に戻った俺に、アンコはむかつく笑みを浮かべながら近づいてきた。

「ダメじゃないですか先輩、成功したのに死ぬなんてありえませんよ」
「ああ、ありえねえよな。俺もそう思う」

 俺はM4を構えて至近距離にいるアンコめがけてフルオートで放った。

「きゃああああ、なんでっ!」

 銃弾に撃ち抜かれたアンコが、地面に倒れて消える。俺はゲームをリセットしアンコを呼び戻した。

「ちょ、なんてことするんですか先輩!」

 怒り心頭なアンコ。

「俺が死んだ理由だ」
「へ?」
「だから、さっき俺が死んだ理由と、今お前が死んだ理由は同じだ」

 アンコは怪訝そうな顔で考えている。それから、

「もしかして味方にも攻撃が当たる?」

 恐る恐る言った。

「そうだ。はじめに教えておかなかった俺も俺だが、知らないお前もお前だ。野良のチーム戦は悪質なチームキルを防ぐために味方への攻撃判定をなしに設定している場合が多いが、クラン戦や公式戦では味方への攻撃も普通に当たる。だから野試合と同じような感覚でやるととんでもないことになる」
「そ、そうだったんですか」
「いや、わかればいいんだ。次からは気をつけろよ」
「はい」

 アンコはしょんぼりと頷いた。






[29920] 八話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/11/24 21:13


 八話


 AI二人を相手に攻め込む練習を続けた。俺が援護し、アンコがFBを投げ入れ、俺が突入して土嚢のAIを倒し、アンコと俺で残った穴の敵を倒す。途中、AIのレベルをいくつか上げながら、ただそれだけをひたすら続けた。

「よし、この辺にしとくか」

 きりのいいところで俺は言った。

「そうですね。さすがに少し疲れました」
「今日教えたのが二人でのB攻めの基本だな。でもはじめに言ったように攻めは臨機応変だから、俺達だけでBを攻めるとは限らないし、俺たちがBを攻めるとも限らない。Aやセンターを攻める可能性は十分にある。それにラッシュだって知らなきゃいけないし――まあ、それについては試合までに部員全員で連携をとっていくだろうと思う」
「はあ、覚えることがたくさんありますね」
「そうでもない。今が一番大変なところだ。一つのポジションができるようになれば、他の所にも応用が利くから、意外と楽になるもんだ。今日と昨日でBの攻めと守りの両方を教えたから、後はどれだけ練習してそれを身に着けるかだな。そうすればなんとかなるさ」

 アンコは覚えが早いしな。

「そうだといいんですけどねえ」
「それにしても、お前って反応速くないか?」

 俺は今日と昨日で感じていた疑問を投げかけた。

「そうですか?」

 とアンコは不思議そうな顔だ。自覚はないみたいだ。

「なんか、速い気がするんだよな。気のせいかもしれないけど」
「認めるのは癪ですけど、先輩の方が速いんじゃないですか?」
「まあ、俺も速い方ではあるけどな」
「うわ、こいつ認めた」
「でも俺の場合は狙いをつけるのがお前より速いってのがある。だから結果的にそう見えるんだろうな」
「う~ん」

 アンコは難しい顔で唸った。

「一つ、ゲームをしてみようか」
「ゲーム?」
「なに、よくある西部劇の真似事だ」

 それは昔クランメンバーとよくやったお遊びだった。俺はミーティングルームに戻ると適当な拳銃を二丁選んだ。専用のものを使う必要なんてない。グロックあたりでいいだろ。
 砂漠の町に戻って、そのうちの一丁をアンコに渡す。

「単純な早打ちゲームだ。今から俺がトマホークを上に投げる。それが地面に落ちた瞬間、相手に向けて拳銃の引き金を引く。速いほうの勝ちだ」
「いいですけど、なんでトマホーク?」
「趣味だ」

 俺はアンコから二mほど離れてグロックをホルスターに収めた。普通は十m程度離れるものだが今回はこれでいい。この距離なら狙いをつける必要がないから。
 俺はアンコがグロックをホルスターに収めたのを確認し、トマホークを天高く放り投げた。頂点まで上がったトマホークは、徐々に加速を増しながら落ちてくる。俺は腰に右手を伸ばし、トマホークが地面に落ちた瞬間、グロックを抜き放った。

 銃声が一つ響いた。

 俺の頭から顔をつたって暖かい血が流れ落ちた。硝煙の昇るグロックを構えたアンコが、驚いた表情で俺を見ている。驚いたのはこっちだ。身体が力なく砂の上に崩れていく。視界が赤く染まった。

 やはりアンコの反応は速い。それも、とんでもなく速い。昨日のアンコとの対戦の時、おかしいとは思ったのだ。アンコは撃ちかえせるはずのないタイミングで撃ちかえしてきたから。はじめは俺が鈍っているだけだと思ったがそうじゃなかった。アンコが馬鹿みたいに速かったのだ。俺も反応にはそれなりに自信があったのがこのざまだ。

「やっぱホントに速いわ」

 砂漠の町に戻った俺はアンコにそう告げた。アンコは少し呆けた顔で、

「先輩、手加減したとかないですよね」
「いやまったく」
「くっ、さすが私、天才すぎる。自分の才能が恐い」

 アンコは込み上げてくる笑いを押さえながら言った。
 そうかもしれないと思った。天才かどうかはわからないがFPSの才能はずば抜けている。

「調子に乗るな。いくら反応が早くても狙いが悪かったり遅かったりしたら意味がない。実際、そのせいでほとんど恩恵受けれてないだろ?」
「男の嫉妬は見苦しいですよ」
「女の嫉妬も変わんねえよ。とにかく、お前には基礎が足りてない。せっかくの反応が宝の持ち腐れだ。その反応を生かすための練習方法を教えてやる」
「まあた練習ですか」

 アンコが疲れた顔で言う。

「そういやな顔するな。一日千秒でできるトライアルモードを使った練習だ」

 二年前、俺はそれを毎日の日課にしていた。どんなに忙しくてもそれだけは欠かしたことがなかった。

「千秒――十七分弱ですか。まあそれならなんとか。ところでトライアルモードってなんですか?」
「簡単に言うと次々に出てくるAIを倒すモードだ。それが素早く正確に狙いをつける練習になる」
「なるほど、それを千秒やるんですね?」
「いや、十秒を百回だ」
「よくわかりません。どうちがうんですか?」

 アンコが怪訝そうに首をかしげる。

「FPSに必要なのは瞬発力だ。千秒間持続的に集中するんじゃなくて、たった十秒でいいから最高の集中をすることが大事なんだ」
「はあ」
「AIのレベルは最低でいい。動く的程度の認識でな」
「話だけじゃいまいちわかんないんで、とりあえずやってみます」

 トライアルモードを開始すると、アンコのすぐ近くにAIが一人出現した。AIはアンコを見つけるともたついた動きでAKを構える。だが遅すぎる。AIのAKが火を噴く前にアンコのM4がAIを仕留めた。最低レベルのAIだとこんなものだ。
 次は穴の奥と装甲車の影に一人ずつ。AIは最大で三人同時に出現する。土嚢の近くにいたアンコは土嚢に半身を隠しつつ、装甲車のAIを倒した。続く穴の奥の敵には少し手間取り、マガジンを一度交換した後、倒した。そこで十秒が終わった。

「あれ、もう終わりですか?」
「十秒だとこんなもんだ。今回倒したのは三人だがこれじゃ少なすぎる。十秒で八人倒せて一人前だ」
「十秒で八人!? どう考えても無理ですって」
「無理じゃない、できる。むしろお前の反応があれば余裕だ」
「無理無理、だってリロードの時間だってあるじゃないですか。それだけで三秒はなくなります」
「三秒? ふざけんな」

 俺はマガジンキャッチをリリースし、M4からマガジンを取り出すと、それを一瞬でマガジンポーチのマガジンと交換する。そして最後にボルトストップを解除した。その間一度もアンコから射線を外していない。

「リロードは一秒半以内に終われ」

 アンコは唖然とした顔で俺の顔とマガジンを交換したM4とを見る。

「どこの大道芸人ですか、あんたは。ハンドガンとはわけが違いますよ」
「反復練習のたまものだ」
「反復練習って……。いいですよ、やりますよ、どうせ毎日続けることが何よりも大切だ~とか知ったかぶったこと言うんでしょ」
「その通り、基本動作を毎日繰り返し練習することが上達への一番の近道だ」
「ほらきた。そのおかげで先輩って地味なところだけすごいですよね。地味なところだけ」
「地味っていうんじゃねえよ。そういえばお前、部活以外の一人で練習する時は普段なにやってたんだ?」

 まさかひたすら個人戦とかじゃないだろうな。

「ふっふ。気になりますか」

 アンコはニヤリと笑った。

「いや、そんなには。話の流れで聞いただけだし」
「ついに先輩に私の秘めた実力を見せる時が来たようですね」
「別に見たくねえからな」
「よろしい、見せましょう」

 よろしくねえよ。
 アンコはもったいぶった動きで土嚢の奥に移動すると、そこからM4を細道に向けてフルオートで撃った。その後土嚢を飛び越えてヘッドスライディングをするように滑りながらまた数発。そしてゆっくりと起き上ったアンコはやり遂げた笑みを浮かべながら歩いてきた。
「いまのはなんの真似だ? ついに狂ったか」
「先輩、わからないんですか?」

 わかるかよ。

「マッドドックの最強アサルトの真似です。私もベストプレーを集めた動画で見つけただけなので、あんまりよく知らないですけど。かなり有名なプレイヤーらしいですよ」
「はあ」
「まだまだ続きますよ。私の華麗な動きに酔いしれなさい」
 アンコは自慢げに次々と色々な真似を披露していった。中には俺も分かるものがあったし、なかなかよく特徴を掴んでいると感心するものもあった。
「つまり、お前はそのベストプレー動画を見て、その動きを真似る練習をしていたと」

 俺は気持ちよさそうに仮想敵と戦い続けるアンコに向かって言った。

「やっぱり最高の動きを参考にするのが一番ですからね。先輩みたいに地味なのじゃなくて」

 アンコは演武を中断して言った。

「あのなあ、ンなもん何十回も失敗した中でたまたま成功したってだけの曲芸みたいなもんだ。それこそ大道芸だぞ」
「むかっ。先輩、自分ができないからってそういうこと言うのは人としてどうかと思いますけど」
「別にそういうつもりじゃないけどな」
「いいです。とっておきを見せてあげます。これを見たら先輩もそんなこと言ってられないですよ」

 まだ続くのかよ。アンコはM4を構えて、

「ファイブスターのトップアサルトです。二年前のプロとの交流戦で見せた――」
「やめろ」

 考えるより先に、言葉が出ていた。身体が強張った。

「え?」

 アンコが驚いた顔で俺を見る。

「そいつの真似はやめろ」
「なんでですか、一番自信があるんですけど。嫌いなんですか?」
「大っ嫌いだ」
「はあ。先輩、そういえばトマホークもってますよね。まさか本当に嫉妬ですか? 先輩が嫌がるならあえてやらせていただきます」

 アンコは嫌な笑みを浮かべてM4を構えた。
 俺は、奥歯が砕けそうなほどかみしめた。手のひらに爪が食い込んでいく。頼むからやめてくれ。俺は耐えきれずに飛び出そうとした。しかしその直前で、アンコがM4を降ろした。

「――と思いましたけど、本当に嫌そうなので勘弁してあげます。先輩、貸し一ですからね」

 アンコは指を一本立てて俺に突き出した。猫みたいに大きな瞳が、心なしか気遣うように俺を見ている。強張った体の力がすっと抜けていくのを感じた。

「そ、そろそろ上がるか」

 俺は急に落ち着かない気分になって話を逸らした。

「あ、先輩そうやってごまかすつもりですね。あ、ちょっと、先輩――」

 アンコの声を振り切ってログアウトする。

 アンコは俺によく似ていた。VRFPSをはじめたばかりの、昔の俺に。有名プレイヤーの動画を漁るミーハーなところも、基本ができていないくせに派手な動きばかりしようとするところも、チーム戦が苦手で個人戦に引き籠っていたところも、そのせいで連携が致命的に下手なところも、かと思えば反応は優れているところも。だからアンコを見ていると、昔の自分を見ているようで変な気分になった。
 一人で自分勝手に遊んでいた俺を見つけて、いろいろなことを教えてくれた奴がいた。あいつが俺に教えたように、今は俺がアンコに教えている。そんなことを考えていると、昔の嫌な記憶まで思い出しそうになって、俺はそれ以上考えるのをやめた。




 部室に戻ると他の部員はまだプレイ中のようだった。俺はリクライニングチェアから離れて、古びた旧式の机の上に座った。その後すぐにログアウトしてきたアンコが俺の隣に座る。

「まだみんな戻ってきてないみたいですね。もう一度入りますか?」
「今からじゃどうせたいしたことできないだろ。終わるの待ってりゃいいさ」
「それもそうですね」

 アンコは退屈そうに足をぶらぶら動かした。細い足が振り子みたいに揺れた。何の気なしにそれを眺めていると、突然、アンコが立ち上がって離れていった。そして警戒した目で俺を見る。

「なんだよ」
「身の危険を感じまして。部室で先輩と二人きり。私は今、これ以上ない貞操の危機に瀕しています」
「お前、俺のことどういう目で見てんだよ」
「先輩は私のこと、そういう目で見てるんですよね。わかってます」

 だめだ、話にならねえ。

「先輩は普段ため込んだ欲求を部活という名目で私をいびり倒すことで発散してるんですよね。ゲームから現実に戻った今、先輩がすることなんて決まってます」
「あのなあ――」

 そこまで言いかけて、俺はアンコの意図に気づいた。アンコはかかってこいとばかりに挑発的な笑みを浮かべている。要するにこいつは暇つぶしがしたいのだ。時間も余ってることだし乗ってやるとするか。俺は蒸し暑いブレザーを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めた。

「ついに本性を現しましたか、この変態」

 アンコが身構えて後ずさる。

「本性ねえ。俺はただ、言って聞かない相手には身体で思い知らすしかないと思っただけだ」

 俺はゆっくりと間合いを詰めてアンコを追い詰めていく。

「さすが先輩、低俗で野蛮で幼稚な思考回路をしていますね。生まれてくるのが三百万年ぐらい遅かったんじゃないですか。多分その時代なら馴染めると思いますよ。ちょうどアウストラロピテクスの時代です」

 アンコは後ずさる。でももうすぐ教室の端だ。

「おいおい、偉大なご先祖様を馬鹿にしちゃいかんよ。でも、これで先祖の恨みを晴らす大義名分もできたわけだな」
「確かに、少しばかりバカにしすぎました。アウストラロピテクスに失礼ですよね」

 アンコはついに教室の端に追い詰められて逃げ場を失った。

「ご先祖様の恨み、はらさせてもらうぜ」

 俺はアンコに向かって手を伸ばしてアンコを捕まえようとした。しかし直前で身をかわすアンコ。

「外したか。ちなみに今のはサヘラントロプス・チャデンシスの分だ。最古の人類だ」
「くっさすが人類の始祖。なんというプレッシャー」
「さて、次は――アルディピテクス・ラミダスの分!」

 俺の繰り出した右腕をはねのけるアンコ。

「ちなみにアルディピテクス・ラミダスからアウストラロピテクスへの進化が起きたとされている」
「血が濃い分、思いもこもっていた。次は――耐えられないっ!」

 苦しそうに顔をゆがませるアンコ。

「そして最後は――アウストラロピテクスの分!」

 アンコは俺の両腕を避けきれない。逃げようとするアンコの両肩を俺は掴んだ。

「ようやく、捕まえたぜ」
「くっ。それで、どうするつもりですか?」

 アンコは猫がじゃれついてくるみたいな笑みを浮かべて俺を見上げた。
でも、そろそろほかの部員が戻ってくるだろう。遊びはおしまいだ。俺はアンコの肩を解放しようと力を抜いた。その瞬間、

「隙ありっ!」

 アンコが体当たりをかましてきた。

「うわっ、ばか!」

 俺たちはバランスを崩してもつれるように倒れた。
 目の前にアンコの顔がある。猫みたいな眼が驚いて見開かれて、ダークブラウンの柔らかい髪が床の上に乱れている。あおむけに倒れたアンコの上に、俺は覆いかぶさっていた。

「わ、悪い――」
「先輩」

 アンコの上からどこうとした俺を、その言葉が止めた。

「先輩、一つお願いがあります」

 アンコは真剣な眼で俺を見た。俺はその大きな瞳に吸い込まれるように魅入られた。

「なんで、俺がお前のお願いを聞かなきゃならん」

 照れ隠しにそんなことを言う。

「ダメですよ、先輩。先輩は私に一つ借りがあるんですから」

 借り? そうか――さっきの。

「とりあえず、聞くだけ聞いてやるから言ってみろ。叶えてやるかどうかは別だ」
「情けないですね。男ならなんだって全部かなえてやるってぐらいの熱い気持ちがなきゃ」
「そういうのはただのバカっていうんだ」
「ま、いいですけどね。それで、私のお願いは、次の試合に勝たせてほしいんです。ただそれだけです」

 意味がわからない。

「お願いする相手を間違えてないか。そういうお願いは相手チームにするもんだぞ。それなりの手土産を添えて、な。なんで俺にそんなことを言う」

 アンコは困ったように瞳を伏せた。

「先輩って、先輩のくせに、教えるのうまいですよね」
「先輩のくせには余計だ」

 アンコは気だるげに肩をすくめた。アンコが動くたびに、その動きが俺の身体に伝わる。細くて柔らかい感触と、触れ合った人肌の温もりと、微かな柑橘系の香りが俺を刺激する。落ち着け、俺は意識して深く呼吸する。

「今日と昨日、先輩に教えられて、私すごく上達した気がしたんです。今まで個人戦ばかりで、チーム戦って嫌いだったんですけど、先輩と組んで、誰かと協力して遊ぶのも悪くないかなって。そう思えるぐらいには。だからわからないですけど、先輩に頼めば勝たせてくれるような気がしたんです」

 そんなの、俺に頼んでどうにかなるわけないだろ。そう思った。でもそんなこと言えない。そんな風に断ってしまえるほど、安い願いではないことがわかったから。それに、俺自身、なぜだかわからないけど断りたくないと思ってしまった。

「なんでそんなに勝ちたいんだ?」
「このチームでもっと戦いたいんですよ。せっかくチーム戦の楽しさがわかったんだから、部長が引退しないうちに、もっと戦いたいんです。それともう一つ、理由があります」

 アンコはそこで一度言葉を切った。温かい吐息が俺の顔にかかる。鼓動が速くなっていく。

「昔、部長に助けられたんです。それで私はこの部活に入ったんですけど、でも連携とか苦手だから部長になかなか協力ができなくって。部長はチームプレイが好きで、それが楽しくってVRFPSをやっているんです。だから恩返しがしたいんです。部長に勝ってもらいたいんです」
「助けられた?」
「それは秘密です。先輩に教えるとそれをネタに脅されて搾り取られる気がするので」
「んなことするかよ」

 俺はアンコがこの部活にいて、部長を避けていないのが不思議だった。桜坂エレナには近づくな。それがこの学校の暗黙の了解だったから。カズはいい。あいつの判断基準は男か女かだ。ロシア人か日本人かじゃない。セナもいい。セナだから。でもアンコは、あいつは、そういうことを気にせざるを得ない立場の人間だ。入ってきたばかりの一年で、まだ仲間も少なくて、カズやセナほどの図太さもない。だから、部長を避けて通るのが普通だった。
 アンコがどんなふうに部長に助けられたかはわからない。でもそれを聞いて、なるほど、と思った。そうでもしなきゃ、アンコが部長に近づくはずがないのだから。

「それで、返答はいかに?」

 今までとは一転、ふざけた口調で言うアンコ。

「……保留だ。そもそも俺に叶えられる類のモノでもない」
「ま、それもそうですね」

 アンコは案外あっさりと引き下がった。それから指を一本立てて、

「それと、もう一つお願いがあります」

 と言った。

「なんだよ、まだあんのか」

 アンコは柔らかくほほ笑んだ。

「そろそろどいてくれませんかねえ、この変態」

 アンコの頭突きが俺の鼻っ柱に直撃した。



 少し、近づきすぎているのかもしれないと思った。VRFPS部に入ってから、今まで自分が保ってきた距離感が崩れてきているのを感じた。でもそうと知りながら、その距離感を元に戻そうとしていないことが、自分でも不思議だった。





[29920] 九話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/11/24 21:11
 九話


 翌日の土曜は模擬テストで丸一日潰れて、次の部活は日曜だった。

 その日は朝から暑かった。立っているだけで汗をにじませる力強い日差しと、湿気のこもったべたつく空気のおかげで、一足早い夏を感じた。俺はブレザーを置いて家を出た。できればネクタイも脱ぎ捨てたかった。今日から一週間後の日曜が大会だ。あと、一週間だ。

 昇降口の前でセナに会った。セナもブレザーを置いてきたようだ。真っ白なシャツに真っ黒な長い髪がよく映える。スカートも心なしかいつもより短い気がする。そして、何よりも目にひいたのが、左足だ。太ももの半ばから下の、普段であれば黒いサポーターに覆われているそこに、武骨な金属の骨格がむき出しになっていた。

「サポーターどうしたんだ?」

 俺はセナに並んで歩きながら聞いた。セナの歩みは相変わらず遅い。セナがその左足を動かすたびに、金属の擦れる音とモーターの駆動音が微かに聞こえた。

「暑いから置いてきた」

 セナは俺に見向きもせずに、なんでもなさそうに言った。

「置いて来たって、お前なあ。むき出しだと故障したりするんじゃないのか?」
「そんなにやわじゃない。それにこの方がメンテナンスも楽だし」

 そういうものなのだろうか。でも本人が言うからそれでいいのだろう。少なくともセナにとっては。
 セナの左足の、太ももの半ばから下には、機械の足が取り付けられている。鈍い銀色に輝く金属の骨と、それを取り巻く数多のケーブルは、生身の肉体とは驚くほど対照的だ。普通の年頃の女の子であれば嫌がって隠したがる類のモノだろうが、セナはそんなことまるで気にしていない。この足を他人にどう見られようが知ったことではないのだろう。

 昇降口に入った俺は上履きに履き替えるセナを眺めながら待った。セナは床に座り込んでゆっくりと靴を履きかえている。セナが足を折り曲げるたびに、短いスカートが捲れあがって煽情的な太ももをあらわにした。

「やっぱり動かしづらいか?」
「生身と比べると。でも普通の義足よりずっといい」
「そっか。大変だな」
「なれちゃえばこれが普通」

 セナが上履きに履き替えて立ち上がった。その際、捲れあがったスカートから下着が覗いた。今日も白だ。

「なに?」

 セナが言った。ずっと見ていた俺を不審に思ったのだろう。

「いや、セナにはいつもお世話になっているな、と思っただけだ」
「わかんない」

 セナは首をかしげて興味なさそうに歩き出した。
 やっぱりセナといると落ち着く。いつもの慣れ親しんだ距離感と、居心地のいい空気に浸りそうになる。セナも俺と同じようなことを感じているのだろうか。それはわからない。だけどセナが俺のことをそれほど嫌がっていないのは確かだった。とりあえず最低限の会話は成立しているのだから。




 部室にはもうみんな集まっていた。誰もブレザーを着ていない。北校舎のこの教室にはありえないことに空調設備が存在しない。その代わりに骨董屋から買ってきたようなアンティークの扇風機が頼りなく首を振っている。

「今日は三対三で連携を確認するわ。セナとカズ、ユウとアンコが組むとして、私はどちらに入ろうかしら」
「部長、ぜひこちらに。部長のためにこのカズは日々修練を積んでおりました」

 かしこまって言うカズを部長は半目で見て、

「まあいいわ。どうせ途中で変わろうかと思ってたし。ユウとセナのチームにはAIを一人入れればいいわね」
「レベルは?」

 と聞く俺。

「レベルは七でいいわ。それ以外の細かい設定は好きにして」

 AIのレベルは一から九まであるが、一般的に練習で使えるのはレベル七までとされている。それ以上になると人間ではありえない精度や反応をするようになり、対人戦とは違う戦い方を強いられるからだ。

「それじゃあ練習開始」

 部長の声で部活がはじまった。




 AIにはスナイパーライフルを持たせてセンターを守らせる。俺とアンコは試合開始と同時に全力で走ってBの守備位置に着いた。話し合いでAの方は攻めないように決めているから、俺たちはBだけを守ればいい。
 砂漠の町は現実よりもずっと暑い。重装備に身を包んだ俺はすぐに汗だくになった。
 アンコが土嚢の裏に回ってすぐ、一発の銃声が響いた。聞きなれた銃声。あれは、ドラグノフ――ロシア製のスナイパーライフルだ。それは俺がAIに持たせたスナイパーライフルとは別のものだ。つまり、部長が撃った銃声だと思っていいだろう。

「AI無事か」

 俺はインカムでAIに話しかけた。AIは定型句であれば返答することができるし、簡単な命令もきく。AIからの返答はない。

「アンコ、AIがやられた。おそらく部長のドラグノフだ。注意しろ」
『了解』

 俺の指示にアンコは短く答えた。俺は細道とセンターの両方を意識しながら待った。AIがやられたからにはセンターからBに攻め込んでくる可能性もある。

『細道、足音』

 不意にアンコが言った。

「了解」

 そう答えて細道に視線を戻した直後、アンコのM4が火を噴いた。五、六発の銃声が響き、アンコはすぐに土嚢に身を伏せた。

『カズをやりました』
「了解、よくやった」

 AKの銃声は一発も聞こえなかった。総合的な強さではまだアンコよりカズの方が上だが、単純な反応でアンコに勝つのは至難だ。
身を伏せたアンコが、M4を構えて再度顔を出した。それとほぼ同時にドラグノフの銃声が響いた。アンコのヘルメットが宙に舞う。

「無事かっ!?」

 問いかけるが返事はない。アンコは力なく土嚢の上に倒れている。思わず舌打ちした。部長はどうやらいい腕をしているようだ。
 細道からそしてSGが投げ込まれた。SGは白い煙を細道の前にまき散らし、俺の視界を遮る。だがそれは向こうからの視界も遮ったことになる。これでスナイパーの心配はしなくていい。
 俺は白い煙から人の出てくる位置を予測し照準を当てて待った。予想通り、すぐにそこの煙が揺らぎ、砂漠色の迷彩服に包んだセナが飛び出してきた。速い。だが、その場所は通さない。俺がトリガーを絞り、M4が火を噴き、セナの影をとらえようとした瞬間、セナが飛んだ。

「っ!」

 思わず悲鳴を上げそうになった。セナの動きはまるで、俺の銃撃をかわすような動きだったから。でもそんなことありえない。人間が銃弾を見切られるはずがないのだ。
 俺の銃撃を結果的に避けたセナは、鋭く走りながら構えた銃を撃った。軽い銃声が細かく響いた。これは――P90。フルオートで放たれるそれを、俺は穴の奥に隠れてやり過ごす。普通、走りながらまともに撃てるはずはい。でも軽量でコンパクトなP90なら走りながらでも最低限の狙いはつけられる。それがフルオートで放たれたら、その中のどれか一発がたまたま当たっても何ら不思議はない。
 しかし所詮フルオートだ。すぐに弾が切れるだろう。ここで撃ちかえすリスクを冒さずとも、リロードの瞬間を狙えばいい。俺は穴から離れて、半開きになった扉に向かった。Bに入るには穴か、この扉を通るしかない。逆にBからこちらに来る場合も同じことが言える。穴は小さく、位置も高いために通路として使うには適さない。必然的にセナはこの扉を通るしかないことになる。
 P90の銃声が止んだのを見計らって、俺は扉から半身を出してM4を構えた。その俺の目前に、P90が飛んできた。
 メインウェポンを、投げ捨てた!?
 反射的にそれを撃ち落とした。その後ろから、セナが驚くべき勢いで間合いを詰めてくる。セナは走りながら腰に差した長い筒――鞘から、日本刀を抜き放った。
 その一振りで俺のM4が弾き飛ばされた。ウソだろ!
驚愕で身体が硬直した。日本刀だと。そんなの、使ってるやつ見たことがない。投擲もできない。トマホーク以上にネタ武器だ。
 返す刀が俺の首に迫る。目前まで迫ったセナが、薄く笑った気がした。

 ふざけるなよ。

 何かが切れる音がした。固まった体が動きを取り戻す。

 トマホークは、万能武器だっ!

 俺は腰からトマホークを抜き、セナの頭に叩きつけた。
 俺は宙を舞った。いや違う、俺の頭が宙を舞った。セナの一振りで離ればなれになった首なしの胴体が砂漠の砂に倒れた。同時に、トマホークを頭に突き刺したセナも倒れた。セナは驚いた顔で俺を見ていた。
 大方、近づいた時点で勝ちを確信していたんだろう。だが、そんな簡単にやられてたまるか。相打ちだが、悪くない気分だ。
 でも防御側は全滅したのに対して、攻撃側はまだ部長が残っている。俺たちの負けだった。


 次の試合も似たような展開になった。試合開始すぐにAIが部長のドラグノフの餌食になった。アンコはSGを炊いて細道をよく守ったが三十秒が限界だった。またしても部長のドラグノフの前に倒れた。その間にセンターから入ってきたセナを、俺は左手を切り飛ばされながらどうにか倒したが、後詰めに来たカズの援護射撃に刺されて終わった。完全にAIが役立たずだ。

 それにしても、セナの動きが人間離れしている。セナはとにかく速い。突進速度が尋常じゃない。このゲームでは誰もが同じ身体能力を与えられるが、だからといって走る速さがみな誰もが同じというわけではない。例えば、短距離の選手とどこにでもいる一般人とがこのゲーム内で短距離走をしたら百%短距離選手が勝つ。それも絶望的な差をつけてだ。ゲーム内での身体能力は変わらないが、走り方は人それぞれ違うからだ。身体能力が同じならより美しく、効率的に走ったほうが速いのは明らかだ。
 セナの動きはそれだ。俺は今まで、あんなにも速く、あんなにも美しく間合いを詰めたやつを見たことがない。剣捌きにしてもそうだ。あれはどう見ても修練を積んだ人間の動きだ。俺の銃撃をかわした動きでさえ、まぐれではなさそうだった。セナは、勘なのか予測なのかはわからないが、明らかに射線を避けて間合いを詰めている。それは今まで俺が一度も見たことがない、VRFPSにはない技術だった。
 素直にすごいと思った。昔、誰からだったのかは忘れたが、セナは剣道で有名だったという話を聞いたことがある。まったくありえないほら話に、当時は笑い飛ばしたものだが、今じゃそれが真実味を帯びていた。



 次の試合、AIにM4を持たせて穴に向かわせ、俺はドラグノフを持ってセンターを守る。センターにAIを置いても意味がないことがわかったからだ。部長に好き勝手やらせるわけにはいかない。
 俺はセンターを進んですぐの、高くそびえる鉄塔に登り、そこからBへと続く道に狙いを定めた。風が火照った体を冷ましていく。
 俺のスナイパーは付け焼刃だ。一時期、あいつに遊び半分で教えてもらっただけだ。それでもあいつから教えられた技術に間違いはないし、そこらのスナイパーには負けない自信があった。
 細道へと続く通路に、ほんの僅かに障害物のない射線がある。そこだけが鉄塔からB方向へのスナイプポイントだ。そこでぬるい動きをすればすぐさまスナイパーの餌食になる。
 まずはセナがそこを素早く走り抜けた。俺はドラグノフの引き金を引くが、銃弾はセナの通り過ぎた後を貫いた。次に、カズがそこを通り抜けようとした瞬間、俺は言い知れない悪寒を感じて頭を下げた。ドラグノフの銃声が轟き、俺のヘルメットを吹き飛ばした。

 危なかった――!

 銃弾はヘルメットを掠めただけだ。ヘルメットは爆風で首ごと持って行かれないようにするために、構造上すぐに外れるようになっている。
 俺は再び鉄塔から顔を出した。撃ちかえすつもりなんてない。相手の居場所を探るためだ。ほんのコンマ数秒顔を出し、すぐに下げた。それでも、俺の頭があった位置をほんの少し遅れて銃弾が貫く。速い――。
 部長はいい腕をしているどころじゃない。凄腕と言っていいスナイパーだ。俺の付け焼刃のスナでは到底勝てない。
 俺はそう判断するとすぐに鉄塔を降りた。そのままBには戻らず、センターを進み、中央の広場に出ると、SGを部長のいた位置めがけて投げつけた。SGが部長と俺との射線を遮ったのを確認し、俺はドラグノフを構えて物陰を出る。狙うは、SGを飛び出してくる敵。その動きを予測する。このゲームでは予測が大切だ。同じマップを何度もやり込むから、敵のいる場所も、敵の動きも大方決まってくる。皆が皆、最も効率的で、強い動きをしようとする。だからそれを予測し、その場所に照準を置く。最も強く、可能性の高い場所をつぶすのだ。
 SGの白い煙が揺らぎ、そこからセナが飛び出してきた。俺の予想を違わぬ場所だ。だけど俺は撃たない。どうせ、お前は飛ぶんだろう?
 一拍おいて、セナの足が地を蹴って飛んだ。しかしセナはすぐに無理やり方向を変えるように体をねじる。おそらく自分の飛んだ先が死地だと気付いたのだろう、いい嗅覚をしている。だけど、セナがどれほど人間離れしていようと、空中で進路を変えられるはずがない。
 俺の狙い澄ました弾丸が、空中にいるセナを貫いた。
 俺はすぐさまドラグノフを地面に捨てると、SGの煙に向かってトマホークを投げた。でたらめに投げたわけじゃない。もし、セナと同じ進路で敵が詰めてきたら、ちょうどトマホークが当たるように、そこに置いておくように、投げた。そして走り出した俺は、セナが残したP90を拾い上げる。それと同時に、煙から姿を見せたカズの胸に、俺の投げたトマホークが吸い込まれるように当たった。俺はそれを横目で確認して、拾い上げたP90を構え、煙の中へと突っ込む。白くたかれた煙のせいで、視界がほとんど見えない。でも、スナイパーのいる場所は、部長のいる場所は決まっている。俺は走りながら、P90をそこに向かってフルオートで撃った。そして煙を突き抜けて、視界が戻った先には――いない?
 そこに、スナイパーが当然いるはずのそこに、部長の姿はなかった。俺は咄嗟に後ろを振り返った。俺が今走り抜けてきた、SGの煙が舞うそこに、黒い影が動いた。スナイパーが、自らの視界を遮る場所に好んで入るなんてありえない。普通は。だけど――俺はこの動きを知っている。
 俺は横に飛びながらP90の引き金を引いた。敵は至近距離だ。弾さえ出れば、射撃体勢なんてどうでもいい。SGの煙から赤い血飛沫が舞い、俺の胸がドラグノフに撃ち抜かれた。

 相打ちだ。

 ありえない。たとえ至近距離であろうと、視界のない中で、たった一度の射撃で当てるなんて、そうそうできない。連射がきくP90を当てるのとはわけが違うのだ。これがまぐれじゃないとして、そんなことができる奴は、俺は数えるほどしか知らなかった。
 攻撃側が全滅したのに対して、防御側はまだアンコとAIが残っている。俺たちの勝ちだったが、俺はそんなこと喜べるような心境じゃなかった。部長の動きが、よく知っているあいつにそっくりだったから。だけど本当にあいつだったらすぐにわかるはずだ。それにあいつは男だ。女じゃない。単なる俺の気のせいだ。そう思いたかった。でも俺の記憶は靄がかかっているように薄れていて、どうしても自分の判断に自信が持てなかった。あいつに憧れてスナイパーをはじめて、あいつの動きを真似たコピーはたくさんいた。だから部長はただの出来がいいコピーだ。そう思うことにした。



 しばらく防御側で練習した後、攻守交代して俺たちは攻撃側に回った。Bの防御にはセナとカズが、センターには部長が入ることになるだろう。守備計経験の少ないポジションを守るのは難しい。部長はいいとして、セナとカズは辛い戦いになるだろう。
 俺は心を落ち着けるように努めた。部長もセナも好敵手と言っていい腕前だ。俺は調子に乗らないように、暴れ出しそうになる心を静めた。この試合は連携を確かめるのが目的だ。俺がでしゃばる必要なんてどこにもないのだ。
試合がはじまるとすぐに全力でBへと向かう。その間、鉄塔からの射線に入る場所に俺はSGを投げた。SGは白煙を撒き散らし、部長と俺達との間を遮る。相手チームに優れたスナがいて、自分のチームのスナが勝てない場合は、SGで視界を遮って戦闘を避けるのが基本だ。
 俺たちは煙の中を突っ切りBに向かう。部長のいるセンターを攻めるより、慣れないBを守っているセナとカズを攻めたほうがいいだろう。
 細道に着くと俺はすぐに半身を出し、援護射撃をする。その際、念のため部長がいないことだけは確認する。意表をついて部長がBにいた場合、攻め方を考え直す必要が出てくる。
 幸運なことに部長はいなかった。その代わりにセナが土嚢の裏にいる。おそらくカズは穴にいるだろう。俺は恐れることなくM4をフルオートで撃った。俺の予想通りなら、セナは防御が苦手なはずだ。あの戦い方は攻撃側なら絶大な突破力を発揮するが、守りに回ると何も生かせない。
 案の定、セナの反撃は土嚢から腕だけを出して適当にP90を撃つだけだった。そんなもの当たるはずがない。そしてアンコが大胆に投げたFBが、土嚢の裏へ正確に落ち、炸裂した。

「土嚢は俺が、アンコとAIで穴を頼む」
「了解」

 俺は簡単に指示を出しながらBへと突入し、土嚢を飛び越えてそこに伏せるセナへとM4を撃ちこむ。しかしその直後、刀が、セナの振り上げた刀が、俺の前髪を数本切り飛ばした。
 俺はぞっとしない思いで、M4に撃ち抜かれて倒れたセナを見た。刀を振った瞬間、セナの目は閉じられていた。恐らくFBの対処に失敗したのだろう。にもかかわらず、セナの斬撃は正確に俺を狙ってきた。あと一歩踏み込めば、相打ちか、最悪俺だけが死んでいた。勘がいいなんてもんじゃない。こいつに近づくのは危険だ。
 たった六か月でこれだ。このゲームをもっと理解し、適応したら、どれほどの強さになるのだろうか。成長しセナを想像して俺は背筋が凍った。

『カズをやりました』

 アンコの報告に、呆然とセナを見下ろしていた俺は意識を戻した。

「了解。俺もセナをやった。Bに爆弾を設置するぞ。スナとまともにやり合う必要はない。解除しに出てきたところを仕留める」

 爆弾を設置した俺たちは、予想通り解除に出てきた部長を倒して勝った。



 
 それから時間の続く限り俺たちは練習を続けた。繰り返し攻守を交代し、メンバーも入れ替わり、ポジションも変えながら。何度かの休憩をはさみつつ、練習が終わったのは、日が沈む時間帯だった。
 現実に戻った俺たちを、夕日に赤く染められた部室が出迎えた。

「思ってたよりずっといい。セナやカズもそうだけど、アンコ、あなたすごくうまくなった」

 部長がうれしそうに笑いながら言った。

「え、そうですか。いやまあ天才なので当然なんですけど」

 少し恥ずかしそうにキョロキョロするアンコ。

「うん、上手くなった。FBの使い方なんてすごくいいわ。あんなに難しい投げ方を使うチームなんて全国クラスじゃなきゃお目にかかれないもの」

 え、そうなのか?

「そ、そんなに難しいんですか? いやまあ昨日と一昨日、帰ったらずっと練習してましたけど」
「すごく難しいわ。試合で安定させるなんてなかなかできないことよ」
「さすが私。そんな高等技術をたった二日で習得するとは。私の生きる道見つけたり。これからFBのアンコとして生きていきます」

 お前それでいいのか。一生FBを投げ続けるだけで本当にいいのか。

「それに、ユウも」

 俺?
 部長はそれ以上言葉を続けずに、意味深な眼で俺を見た。その眼を見ているとあいつを思い出しそうになって俺は逃げるように視線を逸らす。

「これで試合の方は期待できそうね。明日対戦相手が発表されるから、明日からはその対策もしつつ、チーム全体の連携を意識してやっていくわ。残り一週間、気を抜かずに引き締めていこう」

 この日の部活が終わった。
 



 裏門に差し掛かったところで、いつかのように、自転車に乗った金色の髪が通り過ぎて行った。

「乗っていく?」

 部長が振り返って言った。

「いや、悪いですよ」
「傘持ってるの?」

 傘?

「雨のにおいがする。もうすぐ降りそうよ」

 確かに、湿った空気の中に雨の日特有のにおいが混じっていた。空には巨大な入道雲がそびえている。

「夕立ですかね」
「そうかも。もうすぐ夏だから」
「お言葉に甘えて乗せてもらいます。見ての通り、傘は持ってませんから」
「了解。今日は休みだから、もう乗っていいよ」

 その言葉には二つの意味があった。今日は休みだから教師に見られる心配がないという意味と、今日は休みだから他の生徒に見られる心配がないという意味。俺は何も言わずに部長の後ろに乗った。口を開けばいらないことを言ってしまいそうだった。
 自転車を走らせる部長は、しばらく進むと振り返って俺を見た。部長は何も言わずに興味深そうに俺を見つめる。

「どうかしましたか? 危ないから前見てください」

 居心地が悪くなって俺は言った。部長はチラチラと前を気にしつつ、

「ん~別に」

 部長は含み笑いをした。
「ただ、うれしくて」
「うれしい?」
「うん、すごくうれしい」
「何がうれしいんですか」
「ユウのプレイを見るのが」

 俺の?

「意味がわかりません」
「ユウってVRFPS好きでしょ?」
「え?」
「じゃないとあんな動きできっこないもの。あんなに的確で、洗練された動き、どんなに練習したのかわからないぐらい。好きじゃないとできない」

 何も言えなかった。

「それがうれしいの。これだけVRFPSが好きな人がいて、その人と同じチームで試合に出られるんだもの。それにね、もう一つ気づいたことがあるの」
「もう一つ?」
「ユウは、私の好きなクランの一人によく似てるの」

 びくり、と身体が震えた。自転車がバランスを崩しそうになって部長は慌てて立て直す。

「ど、どうしたの!?」
「何でもありません、ちょっと落ちそうになって」
「気を付けてね。ユウはね昔ファイブスターっていうクランにいたアサルトに似てるの。そのアサルトもメインがM4でサブにトマホーク。そっくりでしょ」

 今の俺では所詮、似ている止まりだ。それは俺にとって都合がいいはずなのに、なぜか無性に悔しくなった。

「へえ、そっくりですね」

 声が震えそうになるのを何とか堪えた。

「それだけじゃないの。プレイスタイルも動きもすごくよく似ていて、はじめはユウがそのアサルトを真似てるのかと思ったけどそうじゃないみたいだし。ファイブスター知らないんだよね?」
「全く知りません」
「ファイブスターっていうのは、誰もが認めるアマチュアの中ではトップのクランよ。普通のクランはクランメンバー二十人ぐらいはいるものなんだけど、ファイブスターはたった五人だけ。アマチュアの中から選び抜かれた五人だけで構成されたクランなの。そのクランからはもう何人もプロが出てるわ」
「すごい、クランですね」

 部長に言われなくても、俺は誰よりもそのクランのことを知っていた。

「うん。それでね、そのクランはたった五人だけだから、試合に出る時はいつも同じメンバー。補欠なんかいない。だからほかのどのクランよりも、お互いのことを理解していて、チームとしての信頼関係ができているの」

 それは違う。そう言いたかった。だけど嬉しそうに話す部長を遮ることもはできなかった。

「私は私たちのチームも、マベリックスもそんなチームになったらいいなって思ってるの」

 部長は真剣な眼で俺のことを見つめた。

「本当の仲間みたいになれらいいなって。そういう関係って素敵でしょ?」

 俺は曖昧に頷くことしかできなかった。日本人のコミュニティにも移民のコミュニティにも入れない部長は執拗に仲間を求めている。それがわかった。
部長は小さく笑うと前を向いてペダルをこいだ。

「本格的に降ってきそう。スピード上げるわよ、しっかり捕まって」

 空には今にも降り出しそうな不気味な雲が浮いていた。俺はペダルを一生懸命に漕ぐ部長に向かって問いかけたかった。あなたは、ファイブスターにいたことがありますか? と。でも、その答えを知る勇気が俺にはなかった。部長はあいつによく似ているようにも、全く別人のようにもみえた。
 しばらくすると滝のような豪雨が俺達を襲った。俺たちは一瞬でずぶぬれになって、部長は諦めたようにこぐ力を弱めた。

「ごめんね、間に合わなかった」

 部長は楽しそうに笑いながら言った。俺は何が楽しいのかわからなかった。部長の白いシャツが透けて、肌にべったりと張り付き、薄い青の下着が浮かび上がっていた。
 俺の家に着くころには雨は止んでいて、嘘みたいな晴れ空が広がっていた。部長はそこでも楽しそうに笑いながら「また明日」と手を振って帰っていった。



 
 その夜、俺は気になっていたことを調べた。
 『相沢セナ』とキーワードに打ち込み、検索する。検索結果に目ぼしいものはなかった。俺の知っている相沢セナはどこにもない。そのかわりに『もしかして:吉岡セナ』と表示されている。俺はそれを開いた。

 吉岡セナ。十六歳。
 全国中学剣道大会三連覇。名門、吉岡家で剣を学び、将来オリンピックで必ずや金メダルを掴むだろうと期待されていた、天才剣道少女。その美しい顔立ちもあってメディアの取材にも何度も登場するが、二年ほど前からは一切メディアに出なくなる。同じく二年ほど前から、大会にも姿を現さなくなり、果たして彼女が今どこにいて何をしているのか憶測が飛び交っている。日本剣道がオリンピックで勝てなくなって久しく、ようやく表れた金メダルをとる逸材だといわれていただけに残念でならない。心から彼女の復帰を望む。

 その記事にあった吉岡セナの試合動画を再生する。
 画面の中に防具を身に着けた少女がいた。美しい姿で剣を構えるその少女を見て、直感的にこれは俺の知っている相沢セナだと確信した。
 試合はセナが圧倒して終わった。面をつけていて、顔がわからないのに、俺はこのセナが、今まで見た中で一番美しいと思った。そう思わせる、他を圧倒する雰囲気を持っていたのだ。
 試合を終えたセナが面を脱ぐ。その顔を見た瞬間、俺は息を止めた。セナの目に光があった。それも力強く、人を引き付ける光だ。その瞳と、はきはきとした口調で、インタビュアーの質問に答えるセナから、現在のセナの姿はまるで想像できなかった。『夢はオリンピックで金メダルを取ることです』そう答えたセナの眼差しと、快活な笑顔が頭の中にいつまでも残った。
 二年前のセナと比べて、現在のセナはまるで抜け殻のようだった。たった二年の間に、セナの身に何があったのだろう。いや、きまっている。セナは二年の間に足を失い、同時に剣も失ったのだ。
 セナは現在、死んだ目をしながらVRFPSで剣道の真似事をしている。そう思うと胸が苦しくなった。セナと話がしたいと思った。二年の間に、一体何があったのか。もっと詳しいことが知りたかった。一歩進んだその距離に踏み込みたいと思ってしまった。だけど、セナはそんなこと望んでいないだろう。それは、俺には関係ないことだった。自分の手で、この心地よい距離感を崩す必要なんてどこにもないのだ。あまり近づきすぎない方がいい。忘れてしまおう。

 それにしても、俺たちのチームは予想以上に強かった。連携はまだまだだが個々の力は目を見張るものがある。
 あいつに似ている凄腕スナイパーの部長。近距離では最強で鋭い嗅覚を持ったセナ。カズは個人の力は目立たないが連携や援護のうまさが光る。アンコは、この中では一段落ちるが、誰よりも強くなる可能性を秘めていた。
 もしかしたら、一回戦は勝つかもしれない。いや、並みの相手なら苦も無く勝つだけの力があった。俺にとってそれは都合の悪い話なのに、まんざら悪い気もしなかった。





[29920] 十話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/11/21 23:36


 十話



 週を明けた月曜。今日も昼休みになるとセナと二人で部室へと向かった。
 部室にはまだ誰もいなかった。また俺とセナが一番のようだ。セナは席に着くと躊躇なく弁当を食べはじめる。俺はその向かいに座って皆が揃うのを待つことにした。
 力のない眼で淡々と弁当を食べるセナを見ていると、どうしても昨日の夜調べたことが思い出された。力強い眼差しと快活な笑顔を持った吉岡セナのことを。一度は忘れようと思ったことだ。でもそれはセナに会うたびに思い出される類のことでもあった。俺の毎日に相沢セナがいる限り、忘れようとするだけ無駄なのだ。だから、ほんの少しだけ聞いてみようと思った。それ以上、踏み込まなければいい。

「聞きたいことがあるんだ」

 俺は言った。セナは俺を無視するように肉じゃがを口に運んでいる。でもセナは無視しているわけじゃない。返事をするのがめんどくさいだけで、セナなりに耳を傾けてはいるのだ。

「吉岡セナ」

 俺がそう言った瞬間、セナの箸が止まる。

「吉岡セナってお前か?」

 セナは箸をおき、感情のない瞳で俺を見た。これはいつものセナじゃない。俺はセナのこんな眼を見たことがない。これは感情がない眼じゃなくて、感情を隠そうとしている眼だった。

「調べたの?」

 セナは平坦な声で言った。俺は頷いた。

「吉岡セナは昔の私」

 昔の私。

「それは今のお前とは違うのか?」

 セナは思案するように瞳を伏せた。

「今の私と違うように見える?」

 答えになってない。

「ああ、違うように見える」

 セナはじっと俺を見続けた。俺の眼から何かを探るように見続けた。吸い込まれそうなほど透明度の高い、何もない眼だった。

「二年の間に、何があった?」
「ホウジョウクンはなんでそんなこと聞くの?」
「気になるんだ」
「なんで?」

 俺はそこで言葉に詰まった。なんで俺はこんなに気になるのだろう。なんでこんなに知りたいと思うのだろう。

「半歩、踏み込んでる」

 セナが突然言った。

「え?」
「距離感」
「きょり、かん?」
「私とホウジョウクンの距離感の話。半歩、踏み込んでる。近づいてる。でもまだ半歩だけ。今ならまだ戻れる。その足を戻せばいい」

 足を戻す。
 セナも俺と同じだった。俺と同じように距離感を気にしていた。近づくのが恐いのだ。踏み込まれるのが嫌なのだ。

「悪い。今のはナシだ。忘れてくれ」
「そう」

 セナは再び箸をとった。その時一瞬だけ、セナの瞳に感情の色が混じったように見えた。だけど俺には、その感情がなんなのか、淡すぎて読み取れなかった。



 しばらくしてカズが来た。

「セナ。今日も君はきれいだね。その凛とした佇まい、まるで俺の嫁になるために生まれてきたようだ」

 カズはセナの隣に座って執拗に口説く。でもセナは無視だ。俺の時とは違う、完全に無視の姿勢だ。セナの弁当が半分以上なくなった頃、ようやくカズは諦めた。

「いい加減、無駄なことはやめたらどうだ」

 と俺は言った。

「無駄かどうかはやってみなきゃわからないだろ。それに、隣に座った女の子に話しかけるのは男のマナーだ」

 カズは余裕の笑みで答えた。そういうものなのだろうか。

「今日はアンコが遅いな」

 とカズが言った。

「部長も遅いぞ」
「部長は今日、学食らしい」

 そうなのか。

「弁当忘れたのか?」
「さあな。俺もこの部に入って半年近くたつけど、部長はその間ほとんど弁当だったな。学食なんて数えるほどだ」
「へえ。そう言えば部長の弁当って誰が作ってるんだ? やけに日本的な弁当だったけど」

 金曜日、部長は桜の柄の弁当箱に純和風の弁当を詰め込んでいたのだ。

「母親らしいぞ」
「じゃあ母親が日本人なのか?」
「いや、どうやらそれが違うらしい。父親が日本人で、母親がロシア人だ」
「てことはあの弁当をロシア人の母親が作ったのか」

 それにしては見事なものだった。

「弁当だけでも日本人らしくって。がんばって作っているらしい。部長が言ってた」
「いいお母さんじゃないか」
「そうだな。お前も知ってると思うけど部長はいろいろと大変なんだ。去年の事件、覚えてるだろ」
「ああ」

 去年、俺がこの高校に入学してすぐ、部長が転校してきた。この学校では珍しいロシア移民の二世で、美しく目立つ容姿の部長はすぐに話題になった。でも、部長の名前を、桜坂エレナの名前を、本当の意味で皆の記憶に刻みつけたのはその後起きた事件だった。

 転校してきた部長は、大きく分けて三つの視線に晒されることになった。一つ目は男子生徒の視線。ひときわ美しい部長の容姿は、俺たち思春期の男子生徒をいたく刺激した。男とは不思議なもので、自分より立場の上な美人のことは憧れの視線で見ることが多い。だがそれが自分より立場の下な美人、つまり侮蔑されるべきロシア移民の二世になると、一転してその視線は下劣なものへと変わる。

 二つ目の視線は女子生徒の視線。男子生徒の好色な視線を集める部長が、女子生徒たちにはえらく気に障ったらしい。部長にそんなつもりは全くないにもかかわらずだ。女子生徒が部長を見るその視線は嫉妬に満ちたものだった。

 そして、三つ目の視線は最も悪意に満ちたものだった。彼らはいわゆる外国人排斥を掲げるレイシストたちだ。移民の数が増えるにしたがって、日本でもレイシズムの考えは広がっていった。部長にとっては不運なことに、敏感な若者たちの世代が一番にその影響を受けたのだ。俺たちにとって高校選びは、単に偏差値の高低で語るものではなくなっていた。その高校に通う生徒の、主義主張が大きなウェートを占めるようになったのだ。偏差値の低い高校には移民の子供が多く集まった。当たり前だがそこに日本人が通うには相当な覚悟が必要だ。偏差値が中ほどの高校では、移民も日本人も多く、どちらの勢力がそこで強い力を持っているか見極めが大切だった。両者の衝突もひどく、メディアの一面で取り上げられるような大きな事件が数多く起こるのもこのあたりだ。俺たちの通う、偏差値の高い高校は、ほとんどが日本人だった。平和で、安全で、日本人にとっては一番いい環境であるのは確かだ。俺が無理してこの高校に入った理由もそれだ。だが、レイシストの数は一番多かった。その高校に、ロシア移民の二世の、部長が転校してきたのだった。
意外にもレイシストたちは直接的な行動には出なかった。この高校は無茶をするには平和すぎたのだ。その代わりに様々な噂を流して一般生徒を扇動した。もともと部長に対して好意的とは言えない感情を抱いていた彼らはすぐさまその噂に飛びついた。男子生徒の好色な視線も、女子生徒の嫉妬に満ちた視線も、日が経つにつれて強く、黒くなっていった。

 部長が転校してきて一か月ほど過ぎたころ、ついに事件が起こった。放課後の北校舎に絶叫が響き渡った。教師たちがそこにたどり着くと、制服を破かれ三人の男子生徒に押さえつけられている部長と、血を流しながら倒れている二人の男子生徒がいた。そこで何が起こったのか俺は知らない。でも結果として二人の男子生徒は病院送りに、その場にいた六名全員が停学処分になった。全員が平等に処分を受けただけ、この学校の采配は公平なものだったと言えるだろう。

 それ以来、部長に対する直接的な行動は起こっていない。だからといって部長に対する負の感情がなくなったわけではなく、それらは表面的には見えづらくなったが、もっと深い裏の部分ではより強く、濃くなって渦巻いていた。部長に対する根も葉もない噂が数多く流され、それを真に受けて不快な眼で部長を見る生徒達も増えた。大きな事件を起こした部長には、その噂に信憑性を持たせるだけの理由があったのだ。ほとんどの噂が取るに足らない、一聴して嘘だと分かる程度のものだった。だけど中にはなかなかよくできた噂もあった。当時から学校に馴染んでいなかった俺は、一連の事件を一歩引いて眺めていたせいで、ある程度は全体の流れを掴めていたし、裏で動いていたレイシストたちの存在も想像できたが、その俺でも判断に迷うほどの噂だった。そんな噂を、何も知らない生徒が聞けばすぐに信じてしまう。部長の孤立は深まるばかりだった。

「部長もあれで気が強いからさ。やられたまま、大人しくしているような人じゃないんだ。だからあんなにもことが大きくなった。聞いた話だと前の学校でも似たような問題を起こして追い出されたらしい。でもことが大きくなってよかったとも言える。部長が気の弱い人だったら、いまだに事件は表に出ずに、裏では胸糞悪くなるようなことが起こっていたかもしれないんだ」

 俺は何も言わずに、いつになく真剣な眼で語るカズを見ていた。

「部長は、この学校に居場所がないんだ。もしかしたらこの学校だけじゃない、この国に居場所がないのかもしれない――だけど例外がある。ユウも気づいているだろ」

 俺は答えない。でも気づいていた。気づいていたけど気づいていないふりをした。そうしないと深みにはまってしまいそうな気がした。

「例外は、ここだ」

 いつまでたっても答えようとしない俺に、カズは嘆息して言った。

「ここだけが、部長が、素の部長でいられる場所なんだ。だからさ、俺は次の試合勝たせてやりたいんだ。これは部長のためだけじゃない。ここは俺にとっても居心地のいい場所だし、セナにとっても、アンコにとっても居心地のいい場所なんだ。それに、ユウにとっても」

 俺にとっても?

「気づいてないのか? お前の居場所も、ここだ」

 カズは俺の眼を真っ直ぐ見て断言した。どこかわかりきったように言うカズにイラついた。

「俺の居場所をお前が勝手に決めんなよ」

 カズは何も言わずに、ニヤニヤとむかつく笑みを浮かべながら、セナを口説きだした。しばらくしてアンコが来て、弁当を食べはじめた。だけど俺はそこで自分が何を食べたか覚えていない。知らないうちに弁当を食べ終えていて、昼休みも終わっていた。結局、部長は昼休みの間、姿を見せなかった。



 放課後も部室に向かった。部室に入ってすぐに目に飛び込んできた部長の顔が、どこか沈んでいるように見えて、俺は慌てて視線を逸らした。そのまま俺は部長から少し離れた席に座る。セナは定位置の窓枠に腰かけた。アンコもカズもまだ来ていなかった。室内には扇風機の音だけが響いている。蝉の声が聞こえてもおかしくない気温だ。
 少し俯き気味の部長を、俺は気が付くと眼で追っていた。今日は金髪を頭の上で団子状にまとめていた。黒縁眼鏡の奥の青い瞳が、悲しげに細められていた。黒いタイツに包まれた足をときおり組み替えながら、部長は俺たちが来たのも気づかなかった。カズとアンコが遅れてきて、部長はようやくそれに気づいて部活がはじまった。
 部長は部室に一つだけある観戦用のモニターの前に皆を集めた。

「対戦相手が決まったわ。その動画を今から再生するから、自分が対戦することを想像しながら見て」
「対戦相手はどこですか?」

 と手を上げて言うカズ。

「マッド・ドッグよ」

 カズの表情が固まった。部長の顔も硬い。

「えっとマッド・ドッグってどこですか?」

 とアンコが言う。

「去年の県大会で二位、全国ではベスト8まで上り詰めた強豪よ」
「去年の最優秀選手の一人に選ばれた奴が今年もいる。去年のメンバーはそいつを残して全員引退したけど、今年のメンバーも粒ぞろいって噂だ」

 そう語る部長の声も、カズの声も、沈んでいた。

「一回戦でそんな強豪を当ててくるとは。運営も分かってますね。この私が全員なぎ倒して、一躍スターダムにのし上がる、と。よくできたストーリーじゃないですか」

 この場の雰囲気を払拭するように明るく言うアンコ。普段であれば、部長が調子に乗るなとか小言を言ったり、カズがふざけたことを言ったりするものだったが、今日は二人とも何も言わない。
 アンコが居心地悪そうに俺を見た。

「そんなに、強いチームなんですか?」

 部長は頷いて、

「動画を見ればわかるわ」

 動画を再生した。
 モニターには砂漠の町の試合風景が映し出された。

「これはネットで拾った一か月前の練習試合の動画よ」

 全体の選手の位置が示されているマップが画面の右上に、画面の中央は各々の選手をピックアップしながら、TP視点で追っていた。

 一試合目が終わった。負けた。そう思った。

 マッド・ドッグの対戦相手がどこなのかはわからない。だが、それなりに上手いチームだ。現時点ではおそらく俺達より強いだろう。そのチームが、圧倒されていた。
 試合が進んでいく中で、俺は一人の選手に注目した。すぐにわかった。こいつが、去年の最優秀選手の一人だって。AKを持ち果敢に敵の守備陣を突破していくそいつは誰よりも多く敵を倒していた。二人のアサルト相手に撃ち勝つ素早さと判断力、離れたスナイパーを仕留める正確性。どれもがトップクラスのモノだった。多少突っ込みすぎな面もあるが、それを補って余りある攻撃力を持っている。こいつは、俺がよく知っているプレイヤーだった。
 二年前、俺が毎日のようにVRFPSをやっていたころよく対戦したクラン――ラッシュアサルトのネル。そいつに間違いなかった。ラッシュ厨が集まるラッシュアサルトの中でも、こいつは目立っていて、いつも先陣を切って突っ込み、敵陣を血祭りにあげていた。次にファイブスターに入るのはもしかしてネルかもしれない。そう噂も立った。でも当時は俺の方が強かった。何度か一対一の試合を持ち込まれたが、いつも大差をつけて俺が勝った。そう、当時は俺の方が強かったのだ。だけど今画面に映るネルは、俺の記憶にあるネルよりもずっとうまくなっていて、現在の俺よりも明らかに強い。それがわかるぐらいの眼はまだ持っている。二年前の俺なら、今のネルに勝てるだろうか。もし俺が二年間VRFPSを辞めずにいたら間違いなく俺の方が強い。そう思ってしまうと、どうしようもなく悔しくなった。

「彼が去年の最優秀選手の藤井ハヤトよ」

 藤井、ハヤト。

「そして、誰もが知ってるファイブスターのトップアサルト。ネルよ」

 心臓が大きく跳ねた。嘘――だろ? 嘘だと思いたかった。

「本当、なんですか? 本当にこいつが――」
「ええ、ちょうど、二年前に入ったの」

 二年前。二年前。二年前。頭の中でぐるぐるとそれが回り出した。部長は動画を解説しながら、対策を立てながら進めていく。だけど俺はその話が全く耳に入らなかった。二年前、最後に対戦したネルとの一対一、その時の試合とその時のネルとその時の俺が頭の中で再生されていた。たった二年で取り返しのつかない差がついていた。

 その後、皆で行った連携訓練も、何をどう動いたのかわからないくらい、俺は覚えていない。だけどみんながいつもよりずっと真剣に取り組んでいたのだけは思い出せる。でもそんなこと無駄だ。今から数日で取り返せる差ではないのだ。どうあがいたって負ける。アンコはまだそれがわからないかもしれない。それを判断するだけの眼ができていないのだ。だけどおそらくカズは、そして間違いなく部長とセナは気づいている。マッド・ドッグは俺達が勝てるレベルの相手じゃないってことを。一本でも取って完全試合を防ぐことができれば御の字だ。



 その夜、俺は少しだけマッド・ドッグのことを調べた。公式大会は全試合ネット上で生中継され、決勝になれば百万人を超える視聴者が集まる。だからネット上は今年の優勝予想で早くも盛り上がっていた。去年ベスト8の一角を担ったマッドドッグも当然その噂の中にいて、その対戦相手に決まったマベリックスの名前も目についた。

『マベリックスって強いの?』
『さあ。聞いたことない』
『調べてきた。今年初出場のチームらしい』
『つまんね。実質シードじゃん』
『一回戦から強豪同士潰しあったらそれこそつまらんだろ。むしろこういう雑魚がさっさと退場してくれて喜ぶべき』
『それもそうか』

 ネットの反応は大方こんなところだった。相手がマッド・ドッグじゃなかったら、こいつらに目にモノを見せてやれたかもしれない。だけどもう相手は決まっていて、俺たちが勝つ可能性は万に一つもなく、なんの見せ場もなく惨敗し、部長の作ったマベリックスは誰の記憶にも残ることなく消えていくのだ。俺たちの負けは確定したのだ。これは俺にとって都合のいいはずだった。そのはずだ。
 最近、自分がおかしい。あの部室にいて、VRFPSをやっていくと、少しずつ彼らに引きずられていくように、自分が変わっていくような気がした。戻らないといけない。次の大会で負けても、何事もなかったかのように元の生活に戻れるように、引きずられていった自分を取り戻さなければいけないと思った。





[29920] 十一話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/11/29 00:38
 十一話


 翌日の昼休み。俺は部室へ行かずに一人で学食へ向かう。今日は弁当の代わりに五百円をもらってきた。
 学食前の廊下はいつものように混んでいて、俺は人波をかき分けながら進んでいく。その途中で、見慣れた金髪を見つけた。

「部長」

 そう声をかけた。部長は振り返って俺を見て――そのまま何事もなかったように先に進んでいった。俺を無視するかのように。いや、間違いなく無視した。部長は俺のことを見た、気づいていたはずなのに。
 なんで?
 その答えはすぐに見つかった。周りに人が多すぎたから、部長は俺に迷惑をかけないために無視したのだ。少し考えればわかることだった。
 遠くなっていく金色の髪を眺めながら、俺は見捨てられたかのような寂しさを感じた。もう一度、今度は誰にも聞こえる大きな声で部長を呼ぼうかと思った。でも部活と距離を置きたいと思っていた俺がそんなことをする必要はないのだ。俺は馬鹿な考えを振り払って、食券の列に並び、日替わり定食を買った。

 出来上がった日替わり定食を持って席を探す。四限の授業が長引いたせいで、席はほとんど埋まっていた。生徒たちはいくつものグループに分かれて楽しそうに談笑している。一人で来た俺がその間に残っているわずかな空席に入るのは躊躇われた。
 空席を求めて当てもなく視線をさまよわせていると、その中に不自然に空いた一角を見つけた。六つほどの席がまとめて空いているのだ。ちょうど食事を終えたグループが席を立ったのだろうか。そう思えば都合のいい空きだった。
 だけどそんなはずがない。昼休みがはじまってまだ十分ほどしかたっていないのだ。食べ終えるには少し早い。その一角が不自然に空いていたのは――その中心に部長がいたからだった。
 部長が座っている周りには誰もいない。そこ以外はほとんど席が空いているにも関わらず、部長の周りだけが空白だった。避けられているのだ。部長はそんなことを気にしていないかのように、背筋を伸ばして、食事を続けていた。寂しい後姿だと思った。
 生徒たちはそんな部長を遠巻きに見ながら、こそこそ話したり、押さえた笑いを漏らしている。嫌な空気だ。露骨に不快な視線を投げかけている生徒もいる。三人の男子生徒が、隠そうともせず真っ直ぐ部長を見ながら嘲笑っていた。
 だんだん、むかついてきた。こいつらは部長の何が気に入らないんだ。移民に対して複雑な思いがあるのは理解できる。だけど部長が、こいつらに直接危害を加えるようなことがあっただろうか。俺が知る限り、去年のあの事件を除いてそんなことはないはずだし、部長が面白がってそんなことをする人じゃないってことも知っている。こいつらが一方的に部長を嫌っているだけだ。
 部長は寂しくないんだろうか。部長は日本人だからって、俺のことを嫌ったりしなかった。だけどこいつらはロシア移民だからって、部長のことを嫌っている。こんな一方通行な状況に寂しさを感じないんだろうか。
 そんなはずないだろう。俺は、その日はじめて会った俺を自転車に乗せながら嬉しそうに話す部長も、アンコやカズやセナに囲まれて楽しそうに笑う部長も知っている。寂しくないはずがないだろう。部長はあんなにも、仲間を求めているんだから。
 俺は緊張で強張った足を動かして、一歩踏み出した。もし、俺が部長の向かいの席に座ったら部長はどうするだろう。多分、無視するだろう。話しかけても表面上は冷たいふりをするだろう。でもきっと嬉しいはずだ。助けになるはずだ。何かが変わるはずだ。
 少しずつ、部長の席に近づいていく。遠い。部長の背中が遠かった。心臓が早鐘を打ち、背中に嫌な汗が流れる。部長の向かいに座ったら、俺に視線が集中するだろう。部長に向かっていた不快な感情が、一気に俺に向かってくるだろう。そう思うと足が竦んだ。
 その後のことも考えなきゃいけない。俺に嫌がらせをしてくる奴が出るかもしれない。もしかするといじめられるかもしれない。裏切り者としてレイシストたちに晒しあげられる可能性だってある。
 でもそれがなんだ。今まで部長一人に集中していたものが、二人に分散されるのだ。そう思えば軽いはずだ。そのはずなのに、俺の足は徐々に歩みを遅くしていき、ともすればあさっての方向に逃げ出しそうなほど震えている。こんなはずじゃないのに。

 部長の向かいの席。その空席の数歩手前まで進んだ。生徒たちの視線が少しずつ俺に集まっている。お前、わかっているよな、その席に座る意味がどういうことなのか。そう問いかけてくるかのような視線だ。
 部長が俺を見た。少し驚いたように目を見開いて、それから不愛想に視線を逸らす。あっちへ行きなさい。そう言っているように見えた。だけどもう、ここまできて後戻りはできない。
 部長が何度も横目で俺を見る、周囲の視線が俺に集まり、少しずつ席が近づいてくる。そして、その席に、手を伸ばそうとした時だった。

「北条、お前も今日学食なのか?」

 声をかけられた。少し離れた場所に一年の時のクラスメイトが座っていた。

「久しぶりに一緒に食おうぜ。ここ空いてるから来いよ」

 逃げ道ができた。そう思ってしまった。
 俺の足は自然とそいつの方に逃げ出していた。部長から遠ざかっていく。俺に集まっていた視線が散っていく。その元クラスメイトとはそんなに仲が良かったわけじゃない。だけど今の俺には、そいつのことが、誰よりも親しい親友のようにも、誰よりも憎い仇敵のようにも見えた。
 俺は振り返って部長を見るのが恐かった。部長はどんな風に俺のことを見ているだろう。今すぐこの場から消え去りたかった。



 定食を食べ終わるとすぐに食堂から逃げ出した。昼休みはまだ残っていたが、部室に行く気にはなれなかった。最悪な気分だ。今食べたものを吐き出しそうなほど気持ちが悪い。胃液が口元まで込み上げていた。
 俺はトイレに駆け込んで個室にこもった。そこには自分だけしかいなくてようやく一息つくことができた。それで少しずつ気分が落ち着いてきた。
 さっき、俺はきっとどうかしていたのだ。あの場でどうすればいいかなんてわかりきったことだった。部長のことなんて知らないふりして、さっさとそこらの席に着けばいい。そうすれば余計な問題は起こらない。それが俺にとっても、部長にとっても一番いい選択だ。一時の感情に流されて、取り返しのつかない一歩を踏み出すところだったが、寸前のところで助かったのだ。これでよかったんだ。
 少しずつ気分がマシになってきた。こんなことで悩むなんて俺らしくもない。少し前の俺だったら迷う暇もなく部長を無視しただろう。でもその少しの間に俺は変わっていた。全部VRFPS部に入ってからだ。それから自分が望まない方向に変わっていくのを感じていた。だから嫌だったんだ、こうなるのがわかっていたから。あの場所にいると自分が惑わされてしまう。本当の自分を見失いそうになる。
 部活に行くのが億劫だった。部活に行けばまた惑わされてしまう。そこに行けば部長がいる。部長にあわせる顔なんてなかった。だけど俺はきっと今日も部活に行くんだろうとなぜか思った。

 俺が個室から出ると、ちょうど三人の男子生徒がトイレに入ってきた。食堂で部長をひときわ不快な眼で見ていたあいつらだ。三人とも緑色のネクタイをしている。上級生だ。もしかしたら、こいつらは俺が部長の向かいに座ろうとしたのを見ぬいていて、それで追ってきたのかもしれない。嫌な予感がして息が詰まった。
 だけどそいつらは、俺のことなんてまるで気にせずに通り過ぎて、今俺が出てきたばかりの個室に入った。
 三人で一つの個室?
 よほど仲がいいんだろうか。でも、いくら仲がよかろうと三人で一つの個室に入って用を足す奴なんていないだろう。俺は気になって個室を振り返った。個室の扉は開いたままだ。

「最高だったぜ、めっちゃ笑えた」

 茶髪を逆立てた男子生徒が言った。

「あいつなんで辞めないんだろうな」

 太った男が言った。

「寄生虫だからだろ。日本に寄生して恩恵だけを得ようと思ってる糞虫だ」

 身体がカッと熱くなった。こいつらが誰の話をしているかすぐにわかった。
 茶髪の男が便器のふたを開けて、太った男が小さな箱を取り出した。桜色の箱だ。

「あ~あ、もったいねえ」

 太った男が言った。

「じゃあお前食えよ」

 茶髪の男が言った。

「嫌だよこんな気持ち悪い。俺だって食うものぐらい選ぶんだぜ?」
「違いない、食べ物かどうかも怪しいぜこれ」

 太った男は笑いながら桜色の箱のふたを開けた。中にはご飯と、だし巻き卵と、肉じゃがと、サラダが入っている。その箱は弁当箱だった。それは、金曜日、俺が部室で見た部長の――。

「はい、さようなら~」

 太った男がふざけた口調でその中身を便器の中に捨てた。三人の男子生徒が一斉に笑う。
 そうか――こいつらが、部長の弁当箱を盗んで、その中身をトイレに捨てていたんだ。部長のお母さんが作った弁当を――! だから部長は今日も昨日も学食に行った。こいつらは周りから笑われながら一人で食べる部長を見て嘲笑っていた。沸騰しそうなほど頭が熱くなった。
 気がつくと、俺はその太った男を殴り飛ばしてていた。突然の攻撃に、太った男はなすすべもなく倒れる。俺は、何やってんだ?
 太った男が驚いた表情で俺を見上げる。周りの二人も、あっけにとられて俺を見ている。何が起こっているのかわかっていない顔だ。
 だけど、ここで誰よりも驚いているのは間違いなく俺だ。誰よりも俺自身が、自分が何をやっているのか、なんでこんなことをしたのかわかっていなかった。呆然と、自分の右拳と、俺に殴られて尻餅をついている太った男を見ていた。モニター越しに見ている映像のように現実味がない。

「何すんだてめえっ!」

 太った男の恫喝で、俺は我に返った。

「おい、トイレ閉めてこいっ!」

 茶髪の男が言って、長身の男がトイレの扉に向かう。まずいっ!
 駈け出そうとした俺は、横からの衝撃に吹き飛ばされた。

「ふざけてんじゃねえぞ」

 太った男だった。俺は尻餅をついて、怒りに顔を染めるそいつを見上げた。扉が閉まる音が聞こえた。絶望の音だった。



 俺は三人の男に代わる代わる殴られた。だけど顔面はほとんど殴らなれていない。傷が目立たない腹を中心に殴られた。
 俺は昼飯をトイレの床にぶちまけた。なすすべがなかった。俺は誰かを殴るなんて生まれて初めてのことだったが、こいつらは、明らかに殴りなれている。床に丸まって、身体を隠す俺の、痛いところを正確に蹴り上げ、踏みつけてくる。
 くそっ。最悪だ。なんでこんな目にならなきゃいけないんだ。痛みと、屈辱と、怒りで気が狂いそうだ。

「そういえばお前、なんで俺を殴ったんだ?」

 太った男が言った。

「別に……理由なんてない」

 太った男の足が、俺の腹をけり上げた。鳩尾を激しい痛みが貫き、呼吸が止まる。

「特に理由もなく俺を殴ったわけか。キレちまいそうだよ。正直に言った方がいいぜ?」

 そんなことを言われても、俺自身、自分の行動がわからないのだ。信じられないのだ。

「ごふっ――む、むかついたから……」

 俺はようやく震える声で言った。

「俺のことが? お前になんかやったことあったか?」
「ち、違う。べ、弁当を捨ててるのを見て、むかついたから」
「お前はもったいない主義の人か? そんだけで人を殴るのかよ。驚きだぜ」

 お前らだけには言われたくはない。

「それに、この弁当誰のか知ってるか?」

 俺は少し迷って、頷いた。もうどうでもよかった。

「知ってて、俺を殴ったのか。これは、ロシア移民の、桜坂エレナの弁当だ。別の誰かと勘違いしてねえよな?」

 太った男は空になった桜色の弁当箱を出していった。俺はもう一度頷く。

「ふざけんなっ!」

 太った男が俺を蹴りあげた。他の二人も加わって繰り返し俺を殴った。



「おい、もういいだろさすがにこれ以上はまずい」

 いい加減気が遠くなってきた頃、茶髪の男が止めた。太った男は舌打ちを一つして、最後に思いきり俺を踏みつけ、部長の弁当箱を投げた。乾いた音がした。
 茶髪の男が俺のポケットから携帯デバイスを取り出し、操作して、俺の前に突き出した。電子マネー送金の画面が出ている。送り先は俺の知らない相手だった。多分この中の一人だろう。

「慰謝料をもらう。あるだけ振り込め」

 ふざけんな、慰謝料をもらいたいのはこっちだ。だけどそんなこと言えるはずもなく、俺はそいつに言われるがまま、携帯デバイスを操作し、指紋認証と暗証番号を入力して、送金した。三千円しか入っていない。それで終わるなら安いものだ。

「こんだけかよ、ぶっ殺すぞ!」

 太った男が俺を踏みつける。

「一週間待ってやる。一人一万ずつ、三万用意しろ」
「い、慰謝料なら一人で十分なはずだろ」

 茶髪の男と長身の男が笑った。

「俺達のは迷惑料だ。わかってるよな、先に手を出したのはお前だ。お前が悪いんだ。払って当然だろ?」

 茶髪の男が俺の胸ぐらを掴み上げた。それから、

「払って当然だろ?」

 念を押すように言った。俺は頷くことしかできなかった。



 三人の男が立ち去った後、俺は奴らがまだトイレのそばにいないかと震えながら待っていた。
 しばらくたって、さすがにもう去っただろうと、ようやく俺は動き出した。投げ捨てられた部長の弁当箱を拾った。桜色のかわいい弁当箱は、上蓋が大きく割れていた。かろうじてくっついているだけだ。俺は水道でその弁当箱を洗って教室に持ち帰った。
 教室で荷物をまとめて、職員室に向かい担任に早退することを告げた。普段だったら、またサボりか、と小言を言われるのだが、今日に限ってそんなことは言われなかった。逆に、ひどい顔をしているぞ、迎えを呼ぼうか、と心配された。俺はそれを断って昇降口に向かった。自分の下駄箱に向かう前に、部長の下駄箱を探した。部長の下駄箱は扉を殴られ陥没していたからすぐに見つかった。俺はそれを開けて、その中に桜色の弁当箱を置いた。ひび割れた部分は、工作用の接着剤で申し訳程度に止めた。でも新しく買った方がいいだろう。部長はこれを捨てるだろう。
 その後で自分の下駄箱に向かい靴を履きかえていると、

「早退するの?」

 呼び止められた。声だけでわかる。さっき俺は彼女の前から無様に逃げだしたのだ。今一番、会いたくない人だった。

「大丈夫、体調悪いの?」

 部長が近づいてくる。頼むからそれ以上近づかないでくれ。自分が惨めでたまらなくなる。

「どうしたの、すごく顔色悪いよ。唇の端も切れてる」

 すぐ近くまで来た部長が、俯く俺を覗き込んで言った。さっきのことなんて全く気にしてないように見えた。
 くそっ。俺にまったく期待していないってことだろうか。俺はあの時、部長を助けようとしたのだ。理不尽に虐められる部長を、さっそうと現れたヒーローみたいに助け出そうとしたのだ。だけど、そんなこと俺にできるはずないって、突き放されているように感じた。実際、そんなこと俺にできるはずがなかったし、そんな面倒なことする必要もないのだ。なのになんでこんなに悔しいんだろう。

「今日の部活は私たちだけでしっかりやっておくから、ユウは気にせずゆっくり休んで。それではやくよくなって、大会頑張ろう」

 もう、たくさんだ。思えば、全部VRFPSのせいだ。そのせいで俺は変わった。VRFPS部に入らなければ、いちいちくだらないことで悩んだりしなかったし、部長を助けようとなんてしなかったし、三人にリンチされて痛い目を見ることもなかったし、三万円の慰謝料と迷惑料を請求されることもなかった。今まで何の問題もなかった高校生活が、全部悪い方へと変わっていった。うんざりだ。

「大会は、出ます」

 俺は言った。

「うん、一緒に全国優勝を目指そう」

 俺は首を振った。

「でも、もう部活にはいきません」
「え?」
「俺がVRFPS部に入ったのは、VRFPSが好きだからでも、全国優勝したいからでもない。カズの眼鏡を踏みつぶして、二万九千八百円を弁償する代わりに入ったんです。アンコはもう最低限の連携は取れるようになった。あとは俺が大会に出れば、それでもう二万九千八百円分の働きはするはずだ。だからもう、部活に行く必要はない」
「何を、言ってるの?」

 部長の声はかすれていた。俺は俯いたまま顔を上げない。部長が今どんな顔をしているのかわからない。

「ずっと、言いたかったんですよ」

 俺はそこで言葉を切った。その先を言うかどうか自分に問いかけた。言った方がいい、言うべきだ。

「俺は、VRFPSが大っ嫌いなんだよ」

 俺は顔を上げて言った。部長は泣きそうな顔をしていた。いじめられて、嘲笑されて、つらい目にあって、それでも毅然と振舞っていた部長が、泣き出しそうだった。
 部長は戸惑いがちに口を開いた。そこからどんな言葉が紡がれるのだろう、なんて言われるのだろう。
 嫌だ、聞きたくない。俺はそこから逃げ出した。
 
 終わった。何が終わったかなんてわからない。だけど確実に何かが終わった。そう思った。だけどこれで俺は元の自分に戻れるのだ。きっといい方向へ変わるはずだ。





[29920] 十二話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/12/16 18:35


 十二話


 次の日、俺は学校をサボった。学校をサボるのはいつものことだから親は何も言わなかった。昔は何回も皆勤賞をもらっていたはずなのに、気が付けば週に一度は学校をサボるようになっていた。いつからだろうか、サボり癖が付いたのは。そう考えて――考えるのをやめた。その答えのようなものは浮かんでいたけれど、結びつけけなくていいものを結びつける必要はない。

 カズから何通もメールが来ていた。『大会には出る』とだけ返してあとは無視した。部長からのメールはなかった。もし、来ていたら俺は返信しただろうか。返信するつもりはないけれど、返信してしまうかもしれない。だから来なくてよかった。大会が終わればもう、部長とは二度と顔を合わせることがないだろう。もう二度と、あの場所に戻ることもないだろう。



 その次の日は学校に行く。行きたくはなかったけど、行く。二日連続でサボってしまうと歯止めが利かなくなってしまう気がしていたからだ。サボりは一日だけ。それが自分の中で決めていたルールだった。
 俺はあの三人組の影を恐れながら挙動不審に過ごした。できるだけ教室から出ないようにトイレは我慢し、どうしても教室を出なければいけない時は周囲に最大限の警戒を払った。こういうのはVRFPSで慣れている。こんなくだらないことでVRFPSの経験が役立つとは思っていなかったし、どうせだったら、あの時、あのトイレで、VRFPSの経験が役に立てばよかった。でも俺が扱えるのは銃器とトマホークだけだ。そんな経験が役立ったら大惨事になる。

 昼休みは教室で弁当を食べた。部活に入るまでいつもこうして食べていたのに、久しぶりに教室で食べる弁当がずいぶん懐かしく感じた。
 セナは何も言わなかった。俺を避けようともせず、かといって近づこうともせず、いつも通りに無関心だ。こいつだけはずっと変わらない、俺にとっての指針のように見えた。
 思っていた以上に平穏に、何事もなく一日の授業が終わった。こんな毎日がずっと続けば俺は満足だ。あとは何とかして三万円を用意すればいい。そうすればきっとすべてが元通りだ。

 帰宅の準備を終えて昇降口に向かう。その途中の廊下でアンコと会った。迂闊だった。部長にも、カズにも、もちろんあの三人組にも会いたくなかったから、わざと遠回りして、時間も遅らせたのだ。そのせいで普段絶対に会わないはずのアンコに見つかることになった。

「ふふ、先輩。昨日も、一昨日も、私に恐れをなして逃げましたね」

 アンコが挑発的な笑みを浮かべる。

「この二日間でどれほどの差がついたか、見せてあげましょう。そして驚き慄きなさい」

 俺の手を取って、部室に連れて行こうとするアンコ。でも、俺は動かない。
 アンコには辞めることを告げておいたほうがいいと思った。アンコは俺との連携よりほかのメンバーとの連携を意識していくべきだから。

「どうしたんですか、もう部活はじまりますよ?」
「今日は行かない」
「え?」

 アンコが怪訝そうに俺を見上げる。

「じゃ、じゃあ明日は私の成長を――」
「明日も、いかない。明後日も行かない。明々後日の大会にはいく」
「どうしたんですか、何かあったんですか?」
「別に、何もない」
「じゃあ、どうして……」

 アンコの猫みたいな眼が俺の言葉の真偽を探るように見つめてくる。俺は視線をそらしたくなる、逃げ出したくなる。だけど俺が逃げ出すより早く、アンコが俯いた。

「辞めるんですか、部活」

 ためらいがちなその声を聞くと、決心が揺らぎ、引きずられそうになる。だから俺は声を張る。

「ああ、辞める」

 アンコは俯いたまま、しばらく何も言わなかった。いつもの勢いが見る影もなくしぼんだ、小さな少女がそこにいた。

「なんで、ですか。せっかく、せっかく私上手くなったのに。せっかく、先輩と連携を取れるようになったのに……」

 絞り出すように言うアンコを見ていると、どうしようもなく手を差し出したくなる。見捨ててしまうには、少し近づきすぎていたのかもしれない。

「悪い」

 アンコが俺の足を蹴る。痛い。

「悪い」

 もう一度言った。今度は蹴られなかった。アンコは何も言わずに俯いたままだ。沈黙が痛い。蹴られた方がずっと楽だ。

「お前さ、才能あるよ」
「え?」

 アンコがようやく顔を上げてくれた。その顔を見て、やっぱり、放っておけない。そう思った。

「FPSの才能。だからさ、お前さえよければ俺が教えてやる。家からネット対戦できるだろ? 上手くなるまでちゃんと教えてやるから、だから、だからそんな――」

 泣きそうな顔しないでくれ。

「でも……部活は辞めるんですよね」
「ああ」

 アンコはまた顔を伏せた。

「私は――」

 声を震わせてアンコが言う。

「私は別に上手くなりたかったわけじゃないっ!」

 思いっきり殴られた。昨日しこたま殴られた腹をグーで殴られた。俺は情けなく廊下に跪く。

「いきなり何するんだ。あ、おい、ちょっと待てっ!」

 アンコは俺に背を向けて走り去っていく。呼び止める俺の声なんて聞こうともしない。追おうと思えば追うこともできた。でも、アンコの背中が俺を拒絶しているように見えて、できなかった。最低だ。なんでこうなるんだよ……。



 次の日、金曜日、大会まであと二日。今日も昨日と同じように何事もなく一日が過ぎていく。
 だけど五限目の授業が終わった休み時間にセナが話しかけてきた。

「ねえ、部活やめるの?」

 なんでもなさそうに言った。それがあまりにも自然だったから、俺は距離感を読み違えた。いつものセナがこんなことを聞いてくるはずがないのに。セナはいつだって無関心だから。

「ああ」
「そう……部長が、落ち込んでた」
「そっか」
「アンコも落ち込んでた」
「そっか」
「ねえ」

 セナはそう呼びかけてきた。だけどその先はいつまでたっても出てこない。

「なんだよ」

 そう急かしても、セナは一向に続きを話そうとしない。ぼやけた焦点のまま、じっと俺を見ている。セナは迷っているように見えた。あのセナが――。

「次の授業、サボろっか」

 セナはようやく、唐突に、そんなことを言った。セナとは何度も一緒にサボったことがある。だけど今日のそれが、おそらくいつもとは違う意味を持っていることぐらいわかる。距離感が縮まっている。セナの方から詰めてきている。

「どういうつもりだ?」
「何日か前。先に踏み込んだのはホウジョウクンの方。だったら私にもその権利はある」
「でも、俺は戻した」
「そう、私も戻すかもしれない」
「お前は俺に部活を続けさせようとしているのか? だったら――」

 やるだけ無駄だ。そう言おうとした。でもそれより早くセナが割り込んだ。

「そう見える?」
「え?」
「私がホウジョウクンを部活に戻そうとしているように見える?」

 わからない。セナの考えていることはいつだってわからない。

「私がこんなことを言うのは、部長よりも、アンコよりも、ホウジョウクンの方がずっと辛そうだったから」
「だから、慰めてくれるってか?」
「そう見える?」
 だから、わからないって。
「ホウジョウクンのことは気にかけてたから」

 セナが? 意外だった。

「どういう意味で?」
「クラスメイトとして? 知り合いとして? 友達として? 恋人として? 家族として? 夫婦として?」

 明らかにおかしいのがいくつか混じっている。

「答えは一つかもしれないし二つかもしれないしここにはないかもしれない」
「謎解きをするつもりはないぞ」

 セナはうっすらと笑った。セナは何かの感情に従って動いているはずなのに、やはりその笑みからは何も読み取れない。

「次の授業、サボろっか」

 また、戻った。

「ったく。サボればいいんだろ、サボれば」

 明らかにいつものセナとは違うはずなのに、見かけだけはいつもと同じように見えた。



 セナに連れられて北校舎の最上階に来た。そこからさらに階段を上ると屋上に続く扉に出る。その扉は電子ロックで厳重に守られていて、たとえ解除したとしても職員室に知らせが入るようになっている。だが、扉の上にある窓は立てつけが悪く、少しいじるだけで簡単に外れるのだ。バカみたいだ。
 その窓から俺たちは屋上に出た。強い風がセナのスカートを舞い上げ、暑い日差しが肌を焼いた。セナとサボる時はいつもここだ。
 小高い丘に建つこの屋上からは、この街のすべてが見渡せる。日本人が住む小奇麗な団地も、移民が住む小汚い住宅街も、ここから眺めてしまえば大差ない。
今日は天気がいい。おかげで遠くの方に青い海が見える。潮のにおいがここまで届いてきそうだ。夏に近づく季節のせいで、海との距離もずっと近くなったように感じた。
 屋上のフェンスに寄りかかって、セナは振り返った。セナの長い黒髪が風に流されて広がった。

「私はこわいの」

 意味がわからない。

「さっきの話の続き」

 恐い。怖い。強い。こわいという言葉とセナとがうまく結びつかない。

「だから、探しているの」

 なにを?

「ねえ、ホウジョウクンの話をして」

 また、話がとんだ。

「俺の話?」
「そう、ホウジョウクンの話が聞きたい」

 話すって何を?

 でもたとえどんなことを話しても、セナだったらわかってくれる気がした。俺とよく似たところがあるセナにだったら、話してもいいかもしれない。そう思った。だけど、何を、どこから話そう。昨日殴られたことだろうか、部長の前から逃げ出したことだろうか、それともカズの眼鏡を踏みつぶしたことだろうか。いや、そんなことじゃない。俺の話すべきことは、はじまりは、そう――

「昔、FPSをはじめて間もないころ、一人のスナイパーに出会ったんだ」

 俺はセナの隣のフェンスに背中を預けて語り出した。セナは俺のすぐ横でぼんやりと空の方を見ている。

「俺はそのころ個人戦ばかりやっていて、その中ではそれなりに上手い方だった。ある日そのスナイパーがふらりと俺のたてた個人戦部屋に入ってきたんだ。
衝撃だったよ。どこから、どうやって撃たれたのかもわからないまま、俺は一方的に殺されて、気が付けば一度も相手を倒せないまま試合が終わってた。悔しかったよ。
 その日から俺は、そのスナイパーのIDを見つけるとすぐにその部屋に乱入して、一度でもいいからそいつを倒してやろうと追いかけるようになった。でもそいつがいるのはチーム戦の部屋がほとんどで、個人戦ばかりやっていた俺はそいつの影さえ見つけられないまま死んでいった。
 何か月もそんな毎日が続いて、いい加減チーム戦にも慣れてきたころ、突然そいつから俺に話しかけてきたんだ。気まぐれだったんだと思う。よく対戦する俺に、世間話のつもりで話題を振っただけのような、なんてことないものだった。でも俺はその時はじめてそいつに認められたような気がしたんだ。
 それからどういうわけか、そいつと一緒にプレイする時間が増えていった。今までは俺が一方的に追い掛け回していただけなのに、そいつから俺の部屋に入ってくることも多くなって、気が付けば俺たちは打ち解けていた。
 俺はそいつにいろんなことを教えてもらった。チーム戦の基礎、定石、駆け引き、他にもたくさん。おかげで俺はチーム戦でも活躍できるようになって、そいつの足を引っ張ることもなくなった。正直言って気後れしていたんだ。俺よりはるかにうまいそいつと一緒に戦って、気にかけてもらって、足を引っ張って……。だから俺はようやく正面からそいつと話せるようになれた気がした。
 ゲーム以外のことも話すようになった。学校のこと、趣味のこと、家のこと、日常のどうでもいいたわいのないことまで。そんなある日、俺は突然そいつからクランに誘われたんだ。それは誰もが知っている有名なクランだった。そこでそいつはスナイパーとして活躍していたんだ。普段俺と一緒に戦っていたのはサブIDだった。そいつのメインIDを知った時は心臓が止まるかと思ったよ。だけどそいつの実力を知っていたから納得できた。
 でも俺はなんで自分がそんな有名なクランに誘われたのかわからなかった。そいつが言うにはたまたまアサルトで欠員ができたらしい。でもそれならもっとふさわしいプレイヤーがいるはずだ。当時の俺はよくいるそこそこうまいだけの目立たないプレイヤーだったから、そんなクランに入れるだけの実力なんてなかった。でも、そう思う一方で、これはチャンスだと思った。もっと強くなってそいつに近づくためのチャンス。それに一つだけ自信があったんだ。俺の実力は大したことなかったけど、そいつとの連携だけはぴったりだったから、それだけは通用するような気がした。そいつのパートナーは俺しかいないし、俺のパートナーはそいつしかいないだろうって、勝手に思っていた。
 他メンバーの反対もあったけどさ、なんとか俺はクランの一員になることができた。でも、そう簡単にはいかなかった。また足を引っ張る毎日がはじまったんだ。クラン戦は野良とは別次元の戦いだった。そいつとだけ連携が取れてもダメなんだ。チームとしての連携が取れないと勝てないんだ。そのクランは今までほとんど負けたことがなかったのに、俺が入った途端負けだすようになった。俺の連携がうまく取れていないから、五対四での戦いになってしまう。そうなると勝てるはずの試合に勝てなくなる。
 死に物狂いで練習して、それなりに連携をとれるようになっても、どこか違うんだ。スナとの連携は自然に取れるのに、他のメンバーとはどこか表面をなぞっているような連携しか取れなかった。
 俺はほかのメンバーとも話すようにした。スナと話をしたように。俺のそのクランでの立場は微妙でさ。半ばスナのごり押しでメンバーになって、それで俺のせいでクラン戦に負けるようになっていたから、内心煙たがってるやつもいたし、それを隠さずに俺に当たってくる奴だっていた。そんな状況でも交わす言葉が増えれば少しずつ変わってくる。少しずつ、自然な連携が取れるようになってきた。
 それからの変化は急激だった。きっかけが必要だったんだ。お互い思うところがあったから、それを相手にぶつけるためのきっかけが。そこで一度ぶつかってしまえば、あとはもう俺達の間に隠しごとなんて何もなくなった。
 試合にも勝てるようになって、メンバーとも仲良くなって、いつしか俺はそのクランの主力として数えられるようになった。俺ははじめ、VRFPSがこんなにも連携が必要なゲームだなんて考えてもいなかった。個人戦でいい気になって、このゲームは個人の力で勝てるんだって。でも違った。一人では絶対たどり着けない場所があって、一人では絶対に得られないものがある。それが心地よかった。ゲームの中の架空の世界で仲間に出会えた気がした。
 でも、そんなもの、全部錯覚だった。ある日、プロチームとの交流戦があったんだ。その相手に、アマチュア代表として俺たちのクランが選ばれた。当時の俺達はもうアマチュアでは敵がいなかったからちょうどいい対戦相手ができたと思った。いや、逆に喰ってやろうと思っていた。そこで――その試合で――」

 突然、頭の中にあの日の試合が浮かび上がってきて、俺は声が出なくなった。忘れようとした記憶を掘り起こそうとすると、頭が白くなってしまう。
 セナがそんな俺を不思議そうに覗き込む。俺は何とかして声を絞り出した。

「いろいろあったんだ」
「いろいろあった?」
「そう、いろいろあって、俺たちのクランは負けた。それでVRFPSは辞めた。所詮ゲームだったんだ。そう思えばすべてがどうでもよくなった。それでどんだけ時間を無駄にしたかわからない。ばかみたいだろ? ゲームにマジになるなんてさ」
「それで、逃げ出した?」

 逃げ出した? そんなつもりはなかった。けど、確かに逃げだしたようにも見える。どうでもいいことから逃げ出したのだ。

「ああ、そうだな。それで逃げ出した」
「そっか。わかった」

 何がわかったんだろうか。セナは腕を伸ばして大きく伸びをした。機械の足が少し軋んだ。

「時々、全てから逃げ出したくなる」

 唐突だった。唐突にセナはそんなことを言った。

「ホウジョウクンもきっと同じ」

 セナは俺を見た。その瞳にかつてない何かがこもっていた。なぜ、俺をそんな目で見る? その目で、俺の何を見ている?

「そう、かもしれない」

 俺は気圧されるように、訳も分からないまま頷いていた。セナはフェンスから離れて、俺の前に立ち、両手で俺の頬を撫でた。

「だから、私は探していた」

 何を?

「一緒に、逃げてくれる人」

 セナはその手をスカートの中に伸ばして下着を降ろした。膝まで降ろすとそこから生身の右足を抜く。機械の左足に白い下着が妖艶に絡みついた。

「な、なんの、つもりだ?」

 声が掠れた。セナは答えない。無機質に沈黙したまま俺のことを見ている。心臓が早鐘を打つ。
 視線は自然とセナの短いスカートを見ていた。下着を脱いだセナはその下に何もはいていないことになる。なぜ、こんなことを。わからない、わからないけど、俺は何かを期待するように、そこから目が離せなくなった。
 強い風が吹いた。そして、セナのスカートが舞いあがった。

「ッ――!」

 俺はそこから視線を逸らした。顔が紅潮するのがわかった。
 風に流される長い髪が俺の頬をくすぐった。視線を戻すと目の前にセナがいた。セナは怪しい笑みを浮かべて――俺は足を掛けられ驚くほど鮮やかに押し倒された。 衝撃はなかった。俺の前に真っ青な空と、大きな入道雲と、セナが広がった。艶やかな黒髪と、凛とした雰囲気の、和風の美女。

「恐いの」
「こわい?」

 俺の腰の上に跨ったセナが身体を倒してくる。セナの顔が近づいてくる。お互いのおでこがくっついてようやく止まった。俺の視界は、セナと、その黒髪で埋め尽くされた。

「独りは、恐いの」

 セナの湿った吐息が、俺の唇に吹きかけられ、肺まで流れ込んでくる。

「私にはもう残されているものはひとつしかないから。それがもしだめだったら、そう考えるのが恐い。自分の限界を知るのが恐い。現実を突きつけられるのが恐い。だから、そんなもの関係ないところまで逃げ出したい……」

 セナがはじめて感情を露わにした。だけどその感情は――恐怖だった。

「だけど、独りじゃだめなの。独りで逃げられるほど私は強くない……」
お互いの吐息が混ざり合って、まるで二人で一つの生物になったような気がした。セナが口を動かす度に、その唇が、俺の唇を掠めていった。
「だから、一緒に逃げてくれる人を、探していた」

 セナの瞳が潤んでいた。

「ホウジョウクンは、私と一緒に逃げてくれる?」
「逃げるってどこへ?」
「どこへもいかないわ。逃げるのは心だけ」

 セナはそう言って、俺の心臓に手を当てた。セナが少し嬉しそうに笑った。

「独りきりの世界は恐いけれど、二人だけの世界にこもってしまえば、もう何も恐くない。そう思わない?」

 そうかもしれない。

 あの日から俺は全てのものと距離をとるようになった。かっこ悪い言い方をすれば、全てのものから逃げ出したのだ。人、物、勉強、趣味、全てだ。逃げ続けるのは楽だった。楽しくはない。面白くもない。だけど楽だった。でも逃げ続けていると、ふと孤独を感じる時が来る。自分の周りに何もないことに気づいてしまう。自分で遠ざけたのに、それが無性に寂しくなる。そんな時出会ったのがセナだった。俺とセナはお互いに近づくことはない。だけど気が付くと近くにいる。俺たちにとってそれは自然なことだった。だからセナといるのは居心地がよかった。セナと二人きりの世界、それは俺が最も望んでいたものだったのかもしれない。

 言葉はいらない。ただ、唇を近づければそれが答えになる。
 だけど俺は、自分でも知らないうちに、セナの肩を押し返していた。セナはため息をついて、悲しい顔で微笑んだ。

「やっぱり、そう。ホウジョウクンはどんなに逃げても最後に踏みとどまるの。だから部活に入ったの。それがホウジョウクンの意思だから」

 違う。俺が部活に入ったのは眼鏡を踏みつぶしたからだ。

「賭けをしない? 大会が終わって、ホウジョウクンが部活を続けたら私の負け。なんでも好きなことを命令して。でも、もしホウジョウクンが部活を辞めたら私の勝ち。その時は私と一緒に逃げてくれる」
「だから、俺は辞めるって言ってるだろ。賭けになんてならない」

 セナは首を振り、

「そう、賭けになんてならない。きっと私が負けるもの」

 妙に確信に満ちた声で言って、それから寂しい笑い方をした。



 セナは言った。俺は最後には踏みとどまる人だと。違う。そうじゃないんだ。俺はセナと一緒に逃げるという、その選択からも逃げているのだ。一番近くにいたはずのセナからも逃げ出して、俺は結局どこに行くんだろう。すべてのモノから逃げ続けた人はどうなってしまうんだろう。自分の立っている場所が崩れていくような、形のない不安に襲われた。

 その日の夜は眠れなかった。






[29920] 十三話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/12/16 22:14

 十三話


 土曜日は日雇いで八千円稼いだ。残り二万二千円をどうするか、最悪誰かに借りるしかないだろうが、生憎俺には借りる当てがない。バイトで疲れた体を引きずりながら、どうにかして金を工面する方法を考えているうちに家の前に着いた。夕日がちょう山の影に隠れていくところだった。その夕日を背にしてカズが立っていた。

「よう」

 とカズは軽く手を挙げた。
 俺は自分の頬が引きつるのがわかった。最悪だ。今一番合いたくない相手が部長だとすると、その次があの三人組で、その次ぐらいに来るのがカズだ。

「何の用だ」
「少し話そうぜ」

 とカズは言った。
 家はもうすぐそこだ。このまま無視してしまおうかとも考えたが、そうすると親まで巻き込んでくる可能性だってある。そんなのごめんだ。
 俺はわざとカズに聞こえるように舌打ちをして、それから頷いた。

「着いてこいよ」

 カズは俺の舌打ちを無視して歩き出した。その態度にむかついた。



 カズの後についていくと近所の荒れ果てた公園に入った。カズは錆だらけのブランコに座って、

「お前も座れよ」

 隣のブランコを指差した。俺はブランコには座らずにその支柱にもたれかかった。

「長話するつもりはないぞ」
「そうかよ。覚えてるか、この公園。昔よく一緒に遊んだ」

 覚えている。今カズが座っているブランコが一番大きく漕げる俺の専用だったことも、その隣のブランコがカズの専用だったことも。

「すっかり寂れちまったな。人がいない」

 もう日が沈もうとしているこの時間帯に人がいる方がおかしいが、カズが言っているのはそういう意味じゃない。日中だろうと、夕方だろうと、明け方だろうと、この公園には人がいない。ガラの悪い連中がたむろする深夜が一番賑わうのは皮肉なものだ。

「治安が悪くなったからな。今年中にここもなくなるらしい」
「そうか。寂しくなるな」

 カズはそう言って、懐かしむように目を細めて、公園をぐるりと見回した。それから、その目で俺を見た。

「もう、昔とは違うんだな」

 カズの言葉は、公園のことを言っているようにも、別の何かについて行っているようにも聞こえた。

「ああ、違うね。五年もたてば何だって変わるさ」
「そうかな」
「お前だってそうだろ」
「俺?」

 カズは意外そうに眼を見開いた。

「お前だって変わった」

 昔のカズは俺の後ろにくっついて歩く、無口で内気な辛気臭いガキだった。それがたった数年でこんな風になった。高校で再開したカズはもう俺の知っているカズじゃなかった。

「なるほど、確かにそうだ。俺も変わった」

 カズはなるほど、なるほど、と何度も確かめるようにうなずいた。

「俺はさ、ユウが変わったんだと思った。でも違うんだな。両方変わったんだ。俺も、ユウも両方変わった」

 カズはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて、

「俺は変わりたかったんだ」

 言った。

「ユウがいなくなって、独りきりになって、変わるしかなかったってのもある。中学にはを知ってるやつがいなかったから、変わるのには最高の環境だったってのもある。だけどやっぱり変わりたかったんだ。だから変わった」
「それで、そうなった?」
「ああ」

 自信満々に答えるカズを見て、俺は思わず頬がゆがんだ。嘲笑だ。

「俺はお前がバカじゃないのは知ってたから、なんでお前がそんな風になったのか疑問だった。だけど理由を聞いて納得した。やっぱりお前バカだったんだよ、とんでもなく」

 何が変わりたかったから変わるった、だ。かっこつけやがって。変わった姿が、前よりよくなっていればいいが、現実は今俺の前で軽薄な笑みを浮かべているバカだ。はっきり言って無様だ。昔の方がよっぽどいい。

「バカ――か。それでも俺は変わってよかったけどな。今の方が昔より楽しいから」

 カズはなんら気にした風もなく言った。昔だったら、俺にバカって言われたら、一日中へこんでるような奴だった。本当に、変わった。なぜだかわからないけど。急にさびしくなった。

「ユウはどうだ。変わりたかったから変わったのか?」
「何の話だよ」
「ユウがどうしてそんな風になったのか、その話だよ」
「そんな風?」

 カズは大きくため息を吐いた。

「ユウはさ、今と昔、どっちが楽しい?」

 は?

「俺には楽しそうには見えないんだよ」

 今と昔どっちが楽しいか? そんなの決まってる。

「昔だ。でもそんなもんだろ。小学校から、中学へ、それから高校へ。どんどん自分が見えてきて、現実がわかってきて」
「俺は違う」
「そうかもな。でも世の中お前みたいにハッピーに生きてるやつばかりじゃないんだ。いつまでもガキのままじゃいられない」
「ガキのままじゃいられない?」
「VRFPSで勝った負けた騒いでるようなガキじゃないってことだ」
「それはそんなにおかしいことか?」
「ああ、おかしいね。人殺しのゲームで何マジになってんだ」

 カズは喉の奥でクツクツと声を殺して笑った。

「ユウはきっと、甲子園を目指す高校球児を鼻で笑うんだろうな」

 意味がわからない。

「笑うわけないだろ」
「今のユウならきっと鼻で笑う。そんな風だから楽しくないんだよ」

 こいつ――! 

 俺は知らず知らずのうちに拳を強く握り住めていた。
 落ち着け、冷静になるんだ。拳から無理やり力を抜く。感情的になるな、そうなったらこいつの思うつぼだ。

「勝手に決めつけんな」
「決めつけかどうかはお前が一番よくわかってるはずだ。ユウは全てに対して斜に構えて、鼻で笑っているんだよ。そうやって見たくないものから目をそらしている。いつまでそんな風に逃げ続けるつもりだ?」
「逃げてなんかない」
「そうやって自分で思ってもいないことを言わない方がいいぞ。癖になる。逃げ癖と一緒だ」
「逃げてないって、言ってるだろ」
「だったら、俺から逃げるな」

 息を呑んだ。こいつ、なんでそれを。

「逃げてるだろ。高校で再開してからずっと、俺から逃げてる」

 図星だった。俺はカズから逃げている。
 カズはブランコに座りながら、真っ直ぐ俺を見ている。俺はその眼を避けて地面に視線を移した。自分の影が濃く長く伸びていた。
 俺がカズを避けていた理由は、カズがウザくなったからだ。そう自分で思うようにしていた。だけど本当は違う。俺はカズのこの眼が嫌だったんだ。表面的に、全く変わったように見えたカズだけど、俺を見る眼は昔のままだった。それが嫌だった。昔の自分を知っていて、それを重ねて見るカズから逃げ出したのだ。
 俺は何も言えずに、雑草だらけの地面を見るしかできなかった。

「ほら、また逃げた。いつからユウはそんな風になったんだ。もっとぶつかってこいよ」
「……逃げてるんじゃない。無駄なことをしないだけだ。明日の大会が終わればもう金輪際お前と話すつもりはない。だからここで何言ったって無駄だ」
「まるで、負けるのが決まったみたいに言うんだな」
「負けるさ、勝てるはずない」
「そうやって負ける前提でいると楽でいいよな。たとえ負けても、何も失わない」

 くそっ、いちいち気に障ることばかり言う。

「ゲームとは違って現実は負けることの方が多いんだよ。俺は大人になっただけだ」
「大人、ね。お前みたいなやつが大人だとしたら、俺はそんなものになんてなりたくない」

 カズはブランコをゆっくり漕いだ。その姿がなぜか昔の自分に重なって見えた。

「俺はさ、諦めたくないんだ。どんな小さな確率でもそれはゼロじゃない。ゼロじゃなきゃ何でもできるってわけじゃない。でもゼロじゃなきゃなんだって挑戦できるんだ。部長に本当の仲間ができて、セナがなくしたものを取り戻して、アンコが虚勢を張らずにいられるようになって、ユウが昔みたいに俺とバカをやって、それでみんなで全国優勝して、そうなったら最高だろ」

 カズは、やはりバカじゃない。自分のことばかりで、周りのことなんて何も見ていないように見えて、しっかりと部員のことを見ていた。もしかしたらわざとそう振舞っているのかもしれない。それは、考えすぎだろうか。だけど――

「俺はそんなのごめんだ」
「でも、そう思うのは俺の勝手だろ」
「思うだけだったらな。だけどそれで干渉されると迷惑だ」
「そうか、それもそうだな。じゃあ迷惑かける」
「おい」
「俺はさ、どこぞの誰がどうなろうとどうだっていいんだ。だけどお前がそんな風でいるのは許せない。俺の勝手だ」
「ふざけんな。そんなのお前の勝手だ。いいかげん、迷惑だって言ってんだよ!」
「だから言っただろ俺の勝手だって。嫌なんだろ? だったらどうする?」

 カズはブランコから立ち上がった。昔は俺より小さかったのに、今は俺と同じか、それ以上に大きくなっていた。何もせずに立っているだけなのに、威圧されているように感じた。

「どうすんだよ、おい」

 俺は手を握って拳を作った。好き勝手言われて、いい加減むかついていたところだ。あとはこれを、カズに向かって突き出せばいい――あの三人組にやったように。

「……話はこれで終わりか? だったらもう帰るぞ」

 俺は握った拳をポケットに入れて言った。明日の試合に出れば全部終わるのだ。こんなところでカズを殴ったって何の意味もない。俺はカズの答えを待たずに踵を返した。

「おいっ、待てよ!」
「明日の大会には出るさ。それでいいだろ。もうガキじゃないんだよ」

 俺は追ってこようとするカズを突き放すように言った。これ以上カズの話を聞く必要はない。

「また、そうやって逃げるのかよ」

 カズの押さえた声が聞こえて、その後に、ガンッ、と大きな音が響いた。俺は聞こえなかったふりをしてそのまま歩き続けた。日はもうほとんど沈んでいて、黒色の街の上の、空だけに茜色が残っていた。

 たかがVRFPSから逃げたところで何が変わるわけでもない。生産性のない人殺しのゲームを辞めたんだからむしろいい方向に変わっているはずだ。だからこれで、何の問題もないはずだ。




 あとがき
 更新が遅くなって申し訳ありません。できるだけ遅れないようにしたいと思いますが、今月は忙しいのでおそらく年内に一回更新できるかどうかだと思います。申し訳ありません。なんとか暇を見つけて書くようにしていますが、疲れている状態で書いた内容はやはりよくないものですし、筆の進みもいつもに増して遅いものになります。今回の更新もたったこれだけの文量で随分とかかりました。年明けからはまた普段通りに更新できると思いますので、年内は少し大目に見ていただければうれしいです。


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