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[30788] 【習作】とらハ3(再構成・オリ敵多数)
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84
Date: 2011/12/12 19:50
【傾向】
KYOUYA 厨ニ オリキャラ多数 


前もSSをかいていましたが、そちらはちょっとした事情で消えてしまいました。
作者メニューで開いても文字化けしてる→エンコードいじってもなおらない→そのうちなおるかー→なおらないのでポチポチいじる。削除ボタンを何回か押したようで全削除。


パソコンをかえたばかりでssを保存していなかったので続きを書く気力がわかなかったですが、最近またモチベあっぷしたのでぼちぼちとチラ裏からアップしていこうかなーと。


気長にまた見てやってください



もし前作を保存していた方がいらっしゃる場合は送っていただけたら助かります。
前作を更新するわけではありませんが、新作を更新できる速度がやっぱりかなり違ってくると思います。お手数ですがよろしくお願いします。
hiro1982572000@yahoo.co.jp   ←こちらでお願いします

とりあえず月曜日が休みなので週一ペースで月~水あたりで更新できるよう頑張って生きたいです(来週いきなり駄目だったらすんません)

説明が多く、盛り上がらない話かもしれませんが皆様お付き合いください






[30788] 序章
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84
Date: 2011/12/07 20:12





 
 己へと迫る剣の軌跡が見える。
 恐ろしいほどに速く、鋭い、横薙ぎの一閃。
 一切の容赦もなく、躊躇もなく自分へと迫りくる木刀を見ながら少年は、回避に転じようと体を捻らせる。

 だが、遅い。
 少年の動きが決して遅いわけではない。
 むしろ見かけ小学生程度の年齢の少年が自分へと迫ってくる超速度の木刀をここまで冷静に凝視し、回避しようと動こうとすることが異常なのだ。
 
 それでも、木刀をふるってきた相手の男性の手加減抜きの一撃は―――あまりにも速過ぎた。
 普通の人間では、何かが動いたな、程度の認識しか抱けないであろう。それほどまでに速い、一瞬の斬撃。
 それをあろうことか、少年は確かに木刀の切っ先までも視線のうちにおさめていた。

 それでも―――身体がそれに追いつかない。

「っ……」

 コツンと少年の額を木刀が叩いた。
 少年が回避しきれないと分かった瞬間、木刀を薙いでいた男性は手を止めていた。
 しかも、少年からミリ単位しか離れていない空間で正確に。
 寸止めといえばいいのだろうか。しかし、ある種の神業ともいえるその技には、少年もため息しかできない。
 例えそれが―――とてつもない生活破綻者である父であったとしても。

「まだまだだなぁ、恭也」
「……もう一度おねがいします」

 ニヤリと面白そうに笑みを浮かべる男性。
 中肉中背ではあるが、服の上からでも分かるほどに筋肉が引き締まっている。どこか肉食獣をおもわせる雰囲気と肉体だ。
 鍛錬の途中だというのに私服で、全身真っ黒の服装で統一している。
 動きやすいとはいえないであろう恰好なのにあれほどの速度でうごけるのだから信じられない。
 顔は美形―――というより男臭いというのだろうか。
 やや伸びた無精ひげがそれをより際立たせている。
 その男臭さが良いと多くの女性たちが噂をしていたのを、恭也と呼ばれた少年は知っていた。
 自分の父である目の前の男性―――名を不破士郎という―――が、女性に魅力的に映るのは何故だろうか。それが不思議でならない。それはやはり士郎のことを誰よりも知っているからであろう。

 そこで恭也は自分の呼吸が酷く乱れていることに気付いた。
 長い間全力疾走したかのようなだるさを体全体に感じる。どうやら士郎のお遊びのように出していた剣気に軽くあてられていたようだ。整えるように深く呼吸を繰り返す。

 二人が今手合せしていた場所はある一族の道場。
 最も古き時代から―――日本の裏に潜み、生きてきた殺戮一族。
 二刀の小太刀を携え、あらゆる暗器を使いこなす最強の名を欲しい侭にする剣士達。

 人はその一族を―――永全不動八門一派【御神】の一族と呼ぶ―――。

 ここはその御神流を受け継ぐ一族の宗家の敷地の一画にある道場なのだ。
 そして士郎は御神の分家である【不破】最強の剣士。いや、御神も含め最強の剣士として噂されるほどの男である。
 学校の体育館ほどの大きさがあるだろうか……周りを見渡せば今の恭也では到底及ばぬ幾人もの剣士達が、しのぎを削りあっている。誰もが十分に達人と呼ぶにふさわしい腕前である。

 そんな恭也の視界の端に美しい黒髪を腰までのばした女性が心配そうに士郎と恭也を見ていた。いや、正確には恭也を凝視している。
 その女性は、美しい。ただそれだけだろう。身長はそう高くはないが、顔を形作る全てのパーツが男を惹きつける。唯一の悩みが胸が小さいということで、よく恭也にそのことをもらしていた。。

 女性の名前は御神琴絵。御神宗家の長女であり―――女性でありながら士郎にも勝るとも劣らぬ剣士である。
 心配そうに見やる琴絵。それに耐えきれず恭也は逃げるように足元に視線を落とす。
 
「いいや、今日はお終いだ。お前に付き合ってたらきりがないしな」

 ポンと士郎は恭也の頭に手を置きグシャグシャと乱暴に撫でる。
 それに不満そうに眉を顰める恭也。撫でる士郎の手をパチンと軽く叩き落とす。その行為に士郎はより笑みを深くした。本気で嫌がってなどいないのが士郎にはわかっているからだ。
 他の子どものように公園で遊ぶでもなく、ただただ剣をふるう。子供らしかぬ恭也を心配したこともある。
 まだ一桁の年齢のくせにどこか大人びた雰囲気をまとう恭也だったが、それは甘え方が分からないのだろう。
 物心ついたころから父である士郎と日本中を旅してまわっていた恭也だったからこそ―――甘えるという選択肢を無意識のうちに排除してしまった。
 恭也が年齢に見合わない物の考え方をするようになったのは間違いなく士郎の責任であり、それを申し訳ないと思っていた。
  
「それにそろそろ夕飯時だからな。美影のババアがもう少ししたら呼びに来るぞ」

 士郎の言葉を確かめるように恭也は道場の入り口の方を見ると、確かに夕焼けが差し込んできていた。
 幾度となく士郎と手合せをしていたが思っていたより時間がたっていたようだ。
 
 ―――たとえそれが、最初の一撃を防ぐこともできない一方的な結果の手合せだったとしても。

「……少し汗を流してくる」

 募る悔しさを振り払い、恭也はそう言い残し道場を後にする。
 悔しいが―――これはある意味当然の結果だと己に言い聞かせて。

 まだ十年も生きていない自分程度が、その三倍以上の時間を生きた天才―――不破士郎に勝とうなど虫が良すぎる話だ。
 いや、勝つかどうかの話ではない。今の恭也では最初の一撃さえも避けることができない。
 恭也はまずは一太刀目をかわすことを目標にゆっくりと走り始めた、が……。

「きょーやちゃぁぁぁあああーーーーーん!!」

 ドゴンと音が成る程の勢いで恭也に体当たりしてくる琴絵。
 当然幼い恭也が耐え切れるはずも無く道場の床に倒れ付す。それにしがみつく琴絵に対して道場にいた全員が、またか……というように手を止め生暖かくその光景を見守る。
 
「恭也ちゃん、痛いところない!?遠慮なくいってね!!私が治療してあげるから!!」
「だい……じょうぶです」

 倒れたときにうった顎をさすりながらやや涙目でこたえる恭也。
 まさか貴方に抱きつかれて倒れたときに打った顎が一番被害が大きいですと言う訳にもいかない。
 
 琴絵はゆっくりと身体を離すと、恭也と視線を合わせるように腰を曲げる。
 その拍子に長い髪が琴絵の背中から零れ落ちる。その髪を自然な様子で背中へとおしやる。
 甘い、琴絵の香りが恭也の鼻をくすぐり、反射的に顔を赤くする恭也。

「あれ?顔が赤いよ?本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫です……。走ってきますので、失礼します」 
 
 自分の額を恭也の額にあてて熱をはかってきた琴絵から慌ててはなれ、背を向けて走り出す。
 その背中を残念そうに見送る琴絵。
 完全に恭也が見えなくなるまで見送った琴絵は温和な表情を一変させ、鋭い視線を士郎にむける。

「士郎ちゃん。もっと手加減してあげなさいよ。恭也ちゃんはまだ七歳なのよ?」
「……手加減してあいつが喜べば幾らでもするんですけどね」
「でも……!!」
「琴絵さんにも分かってるんじゃないですか?あいつの今の目標は俺の初太刀をかわすことです。手加減してそれを壊すことはしたくないんですよ」
「むぅ……」

 納得しきれない。
 そんなふうに唇を尖らせて士郎を睨む。
 本人としては不満を全身で表しているようだが、全くそうは思えない。可愛らしさ満点である。
 しかし、普段の琴絵ならばこのようなことを言わない。誰よりも優しく、思量深い人間なのだから。その相手の考えていることを第一として、助言を行う。
 
 だが、恭也のこととなると話は別だ。
 琴絵は不破恭也のことを大切に思っている。実の弟以上に可愛がっているのだ。溺愛しているといってもいい。
 恭也が自分に甘えてくれない、ということを不服に思う程に。

「でもでもでも―――士郎ちゃんの本気の一撃を避けることなんて難しいじゃない?この場にいる何人がそれをできると思ってるの!!」
「まぁ……そうなんですけどね」

 初太刀をかわす。
 言うだけなら簡単に聞こえるかもしれない―――不破士郎が相手でなければの話だが。

 士郎は強い。強すぎる。
 長い歴史を誇る御神と不破の一族で歴代最強の名を冠しても可笑しくはないほどに。
 不破が生み出した異端の剣士。何者にも束縛されぬ……そしてそれが許されるほどの実力。

 いや、士郎だけではない。
 士郎が生きるこの時代は異才の集まりである。
 
 不破家からは不破士郎。その弟である不破一臣。その妹である不破美沙斗―――今では御神当主の静馬と結婚しており御神美沙斗が正しいのだが。三人の母親である不破美影。
 御神家からは御神静馬。ここにいる御神琴絵。
  
 そして―――御神と不破の負の怨念が具現化したともいうべき暴虐の化身……御神相馬。

 その誰もが、もし時代が違えば御神最強の名を欲しいままに出来たであろうほどの実力の持ち主ばかりだ。
 それほどの剣腕を持つ士郎の一撃を避ける。幼い恭也にできるはずもない。
 目標というにはあまりにも高すぎる壁だ。
 
「……私は心配なの。高すぎる壁は……何時か恭也ちゃんの心を折らないかって……」
「それは心配しなくてもいいと思いますよ?」

 琴絵の心配をあっさりと切り捨てる。
 士郎はすでに見えなくなっている恭也の方向へと視線をやり、暖かい目で見守る。
 
「あいつはその程度で折れるような剣士じゃないです」
「……なんでそう思うの?」
「だってあいつは俺の息子ですよ?あいつのことは俺が一番分かっています」
「……むー」

 今度は膨れっ面になり、不満ありありという感じで琴絵は士郎を睨む。
 それに気づいた士郎は愛想笑いで返し、頬を指でかく。

「それにあいつはちょっと特殊なんですよ」
「え?……恭也ちゃんが特殊って?」
「あいつは、何時も俺の小太刀の軌跡を目で追ってるんですよ……信じられますか?七歳の子供が、ですよ?」
「……知ってるよ。気づいてるよ。それがどれだけ異常なことなのかも分かってる」
「ははっ。琴絵さんには愚問でしたかね」

 そう。士郎の言うとおり、恭也は確かに視線でおっていた。
 御神最強の一角である不破士郎の一撃を―――幼き子供が。

「俺はアレはあいつの一種の才能だと思っています。俺の中で心眼と名付けてる恭也の才能です」
「そうだね。一度や二度なら偶然で済ませれると思うよ―――でも、あの見切りは私達のそれを遥かに超えている」
「初太刀は見えている。でも、かわすことはできない。それは―――」
「―――身体がそれに追いつかないから」

 コクリと士郎が頷く。
 不破恭也の最大の武器。それが見切りである。といっても普通の人間の感覚とは違う。
 恭也には見えるのだ。空間をはしる人間の動きが。どう動くのか。静と動。筋肉の細部までがはっきりと。それが一瞬の見極めを可能とする。
 それなのに士郎の一撃を避けることをできないのは、琴絵の言うとおり身体がその見切りに追いつかないからだ。
  
「当分は無理だと思いますけどね。あいつが成長していって、身体が出来上がってくれば―――」

 肉体と感覚の一致。
 そして、そこに恭也の見切りが加われば……。

「―――あいつこそが御神最強の名を継げるでしょう」

 自信満々にそう士郎は断言する。
 己の息子こそが御神最強の座を手に入れれると。
  
「うん。そうだね。恭也ちゃんには……その可能性が眠っている。私達を超える可能性が―――」

 琴絵も士郎の台詞に同調する。
 士郎の言うとおりだ。恭也には自分達を超えることができるほどの潜在性がある。
 それを嬉しいと思う。それを素晴らしいと思う。恭也だからこそ自分のこと以上に嬉しい。
 だが―――。

 分かっていない。分かっていないの、士郎ちゃん。

 そう琴絵は心の底で深くため息をつく。
 士郎は恭也を信じている。誰よりも、自分の息子を信じている。
 それが―――目を曇らせている。

 恭也は【見えている】のに避けられない。
 それはある意味見えていないのに避けられないということよりも苦しいのだ。自分の実力不足を痛感する日々。
 毎日毎日―――気が狂うほどの鍛錬。
 どれだけの努力をしても、その努力は実を結ばない。
 何日も何十日も何百日も。そんな日々が続く。
 士郎という名の壁は誰よりも高く……何よりも厚い。
 何時かは越えないといけない壁なのかもしれない。だが、今の恭也が目標とするには絶望的なほどの壁なのだ。

 まだ幼い恭也の心は……何が切欠で折れるか分からない。
 琴絵はそれを懸念している。
 誰よりも恭也のことを心配しているが故に―――。

「恭也ちゃん……」

 琴絵の寂しさと心配をのせた呟きは―――周りの喧騒にまぎれて、消えていった。




 











 御神の屋敷がある敷地から走り出た恭也は誰かに呼ばれた気がして振り返った。
 巨大な山の中腹に大きな屋敷が見える。そこが御神宗家が暮らす屋敷であり―――先程まで恭也が鍛錬していた道場がある場所だ。
 そこにいくには、長い山道を越えて、数百段もある石段を登らねばならない。
 その屋敷を遠くから見ると、不思議な威圧感を醸し出している。
 それは、巨大な屋敷に比例するかのように、規格外に高い塀が外敵を寄せ付けない一種の要塞のような錯覚を覚えさせる。

 御神の一族は様々な暗殺業。護衛業を取り扱っているが、勿論それだけではない。
 表の顔として様々な事業に手を出している。
 この周辺の山々を所有しているため、近隣の住人には名家として知られていた。

 しばらく経って、どうやら完全に空耳だったことを確認すると恭也は御神の屋敷に背を向け走り出す。
 勿論無人の荒野が続いているわけではなく、御神の一族が所有する山の麓から多くの家が建っている。
 御神の裏の顔を知らない普通の一般人たちである。小さな町ではあるが―――皆が笑顔で暮らしていた。

 恭也は町の住人とも面識があり、走っている途中で何度も横を通り過ぎる人達に声をかけられた。
 それに律儀に挨拶を返す恭也。まだまだ公園で遊んでいるのが似合う年頃の少年だというのに、そんな様子を一切見せない恭也はある意味有名であった。

 どれくらい走ったであろうか。
 家が段々と少なくなり、ついには道しかなくなった。その道の両側は土手となっており、大きな川が流れていた。
 その河川敷では週末には町の住人達がバーベキューをしているのを見かけたことがある。
 そういう恭也も何度も御神や不破の者達としたことがあるのだが。

 足をとめ、深呼吸を何度か繰り返す。
 額を流れていた汗を拭い、再度深い息をつく。

 そろそろ帰らねばならない。
 走りこんでいたのはせいぜい三十分程度ではあるが、夕飯が何時も通りならば今から帰っても間に合うかぎりぎりなのだから。
 万が一夕飯に遅れたら祖母である不破美影の雷がおちることは間違いない。
 恭也にはだだ甘なところがある彼女だが、そういうところには厳しく躾をしているからだ。

 帰らなければならない恭也だったが―――それに反するように土手に腰を下ろす。
 夕焼けが辺りを照らす。誰が手入れを行っているかわからないが綺麗に刈られた土手の草。青臭い草の香り。
 
 沈みつつある太陽を見ながら先程の士郎との戦いを思い出す。
 もうどれほど士郎に戦いを挑んだろう。
 士郎の太刀筋は見える。見えているが、何度ためしても避けることすらできない。
 勿論、士郎と己の力量差、修練の差が天と地ほど違うのははっきりわかっている。
 まして、勝とうとは考えていない。ただ一太刀でいいのだ。たったの一太刀を回避することができればいいのだ。
 自分の見切り。異能に気づいてそれだけを目標にやってきた。
 その異能に気づいてからたった一年と少しの話ではあるが。幼い恭也があらゆることを捨て、それだけを目標にやってきたのだ。
 だというのに僅かな進歩さえみられない。
 
 果たして自分はこのまま努力を続けて―――士郎に追いつくことができるのだろうか。

 そう自問自答するほどの厚き壁。
 それが父―――不破士郎。

 恭也は傍に落ちていた小石を拾うと川に向かって投げる。
 ぽちゃんと音をたてて着水する。
 それを暫く見ていた恭也だったが、沈む気分を無理に奮い立たせ、腰をあげようとして―――。

「そこの少年にちょっと聞きたいことあるんだけど、いいかな?」

 ―――絶望を知った。

「……っぁ!?」

 口から言葉にならない悲鳴があがった。
 立ち上がろうとして、膝が笑っているのに気づいた。
 頬が引き攣る。今にもこの場から逃げ出したい。そんな気持ちが心を支配する。
 心臓が跳ねる。知っている。これがなんなのか。だが、知らない。これほどの感覚を恭也は知らない。
 意識ごと持って行かれそうになるほどの、圧迫感。
 別に身体を押さえつけられたわけではない。だが、力以上の何かで身体を押さえつけられる。
 
 ―――恐怖。

 きっとこれはそう呼ぶのだろう。
 士郎よりも、美影よりも、静馬よりも―――相馬よりも禍々しい。
 圧倒的という言葉でも足りないほどの、一種の究極。
 
 逃げ出そうとする四肢を、意思の力でねじ伏せ……身体を反転させる。
 声の発した主に向けるように。
  
「お、良いねぇ。私の声を聞いて意識を手放さないかー。見込みあるよ、キミ」

 そして―――恐怖を忘れた。

 恭也の視界に映ったのは現実離れした美貌の持ち主。恭也からすれば見上げる形となるが身長も高い。士郎ほどではないがそれに近いほどには。
 琴絵や美沙斗などの人並み外れた容姿の持ち主を良く見ているが、目の前に映った女性は―――。

 神話の中の女神。

 きっとそう表現するしかなかっただろう。
 造形美を追求したかのような―――完璧なバランス。文句のつけようがないほどの美。
 眉毛も目も漆黒の瞳も、鼻も口も―――その全てが。腰まで伸びた黒髪。一切の淀みもない。

「いやいや、ごめんねー。私って威圧感を無意識に結構だしてるっぽくてさー。怯えちゃう人多いのよねー」

 ニカリと女神様に相応しくない笑みを浮かべ、ポンと恭也の肩を叩く。
 恐怖を忘れていた恭也だったが、それで我に返った。
 そんな恭也を再度襲う圧倒的な圧迫感。
 
 怖い。逃げ出したい。今すぐにでも意識を手放したい。

 そんな思いが心を占領してもなお、恭也は唇を噛み締め女性を見上げる。
 おおっ、と本当に感心した声をあげ、恭也から離れた。

「あな、たは……?」

 声がかすれはしたが震えなかったことに僅かな満足感を抱き、恭也は訊ねる。
 その恭也の返答にむふーと何故か嬉しそうに鼻息荒く胸を張る。

「私は殺音(アヤネ)。水無月殺音。通称世界で八番目に強い生物かなー」

 殺音と名乗った女性は胸を張りながらそう答えた。
 ちなみに随分と胸が大きい。琴絵では相手にもならないが、大きすぎるというわけでもない。
 
「八番目……ですか。やけに具体的な数字ですけど……」
「うん。まぁ、でも分かっていない奴らがわりと適当に決めた数字だから気にしないでいいよー」

 太陽のような笑みでそう答える殺音だったが―――恭也の感じる悪寒は未だ治まっていない。
 間違いなくこの女性は……笑いながら人を殺せる化け物だ。
 そんな予感にも似た確信を恭也は得ていた。

「ねね。ところでさっきの質問に戻るんだけど、ちょっといい?」
「……俺にわかる、ことであれば」
「お、助かるわー。んとさ、御神って名前の人達を知らない?」

 息が詰まった。
 この女性は、水無月殺音は一体何をしにいこうというのか。
 御神の一族の誰かの知り合いなのか?遊びに来たとでも言うのか……。

 いや、違う。そんなわけがない。
 彼女は明らかに―――。

「探して、何をする気ですか……?」
「んー。まぁ、どうせすぐわかることだしいいかな。ちょっと皆殺しにするためにいくだけだよ」

 あっさりとそう殺音は告げた。
 恭也にとっては衝撃の発言。それを殺音はあっさりと言い放った。息を吸うかのように自然な様子で。
 何を馬鹿なと笑い飛ばすことなど出来なかった。
 この女性は―――水無月殺音は次元が違う。

 人間という枠組みではどうしようもないレベルの化け物だ。
 どれだけの努力をしようと辿りつけない。そんな世界に住んでいる住人だ。

 士郎でも勝てない。美沙斗でも勝てない。一臣でも美影でも琴絵でも―――相馬でも勝てない。
 この女性に勝てる可能性があるとすれば……【あの人】だけだ。

 そう恭也は瞬時に理解した。
 
「知らないのかな?それならそれでいいけどね。他の人たちに聞けばいいだけだし」

 黙ってしまった恭也を見て、知らないと判断したのだろうか。
 恭也に背を向け町のほうへと足を向けた。

「引き止めて悪かったわねー。子供はもうお家に帰りなさい」

 ヒラヒラと手を振りながら去っていく殺音を見て、恭也は内心で安堵のため息をついた。
 殺音の威圧感からも解放されてバクバクと高鳴っていた心臓を押さえつけるように手を胸にやる。
 
 ―――助かった。

 それが恭也の本音であった。
 これ以上あの女性を前にしていたら本当に気を失っていたかもしれない。
 幼い恭也では限界ぎりぎりのところであったのだが……。

 ―――ま、て?

 冷水を浴びせられたように背筋に寒気が走る。
 ガチガチと歯が恐怖で鳴る。
 
 ―――今何を、考えた?

 己の感じた感情に吐き気がする。
 なんという愚か者なのだろうか―――不破恭也という人間は。
 先ほど前に理解したはずだ。わかっていたはずだ。
 
 水無月殺音には、御神と不破の誰であろうと勝てない、と。
 その死神が御神の屋敷に向かおうとしているというのに―――安堵したのだ。
 自分の前からいなくなることに対して。屋敷の者達よりも、最愛の家族よりも己の保身を優先した。

 そんなことを一瞬でも考えた己を―――許せるものか。

「……まって、ください」
「うん?」

 必死の思いで恭也は死神の歩みを止めるために、引き留めの言葉を発した。
 まさか呼び止められるとは思っていなかったのだろう。本当に驚いたように恭也へと振り返る。

「えーと。うーんと。何か用でもあった?」
「一つ、聞きたいことがあります。何故、御神の人達を、その……皆殺しにいかれるんですか?」
「……んー」
 
 機嫌を害するかと一瞬思った恭也だったが、その心配は杞憂だったようで殺音は言うか言うまいか悩んでいる様子で空を見上げながら口をとがらせる。
 両腕を組んでリズムを取るようにトントンと地面を足で叩く。
 暫く迷っていた殺音だったが決心がついたのか、見上げていた視線を恭也へと戻す。

「実はねー、私って暗殺業やってるのよ。それで依頼主から御神の一族の壊滅させろって依頼を受けちゃってさー」
「……」

 実に気楽に言ってくれる。
 御神の一族は裏の世界では有名どころの話ではない。日本最強に挙げる猛者も少なくはない。遥か昔からそれは変わらない。
 永全不動八門でも頂点に立つ殺戮一族だというのに……。

「お金の、ためですか?」

 金のために御神の一族と真正面からぶつかる。
 それはあまりにもリスクが高く―――馬鹿げている話だ。
 まともな人間ならば決して受け入れることがない仕事だろう。だというのに、この死神は平然と依頼だからと言い捨てた。
 
「いやいやー、私自身も結構御神の一族には興味があってねー。個人的に一度殺しあってみたいと思ってたところだったから今回の依頼は渡りに舟だったわけなのよね」

 ―――恭也が考えていた以上のいかれた理由だった。

 お金のためでもなく、復讐というわけでもなく―――ただ、殺しあいたい。
 理解できない。理解したくない。理解などできるわけもない、殺音の言葉。
 ただ、殺しあいたいだけというだけで、御神の一族は殺されることになるのだ。

「なん、で……そんな理由で……」
「なんで、かー。まぁ、理解できないよねー普通は。理解してもらおうとは思ってないしね」

 にへらっとその美しい表情を崩し、恭也の目の前まで歩いてきて、顔を近づけてくる。
 息が吹きかかるほどの近くで見つめあう二人。
 普段ならば羞恥ですぐに逃げただろう。この女性ならば恐怖で逃げたかもしれない。
 だが、この時は恭也は逃げれなかった。ふと、醸し出した殺音の寂しげな雰囲気にのまれていた。

「私の無意味な人生で―――生と死をかけたその瞬間だけは―――意味があると思える時だから」

 ポンと恭也の頭に手を置くと優しくなでる。
 
「私と【同族】じゃ意味がない。私と人間の戦いだからこそ―――血が沸き肉が踊る。ただの人間が私(化け物)と戦えるという事実だけが私の渇きを潤してくれるから」

 一分も撫でていただろうか。
 殺音は撫でるのをやめ、恭也から顔を離す。
 夕日が差す。殺音の体を真っ赤に染めた。そのせいだろうか。
 先ほどまでは黒かった殺音の瞳が……真紅に輝いて見えるのは―――。

「いつの日かキミは私の渇きを―――潤してくれるかな?」
「……」

 はい、とはいえなかった。
 完全に恭也はこの女性に……水無月殺音にのまれていた。
 絶対的という言葉でもおさまりきれない。今まで見たどの剣士達をも凌駕する究極の生命体をそこに見る。
 彼方と此方。その差は超絶的なまでの遠さ。
 自分が彼女の渇きを潤せるのだろうか……答えは出ない。出せれない。
 安易な返答は返せれず、殺音もまた、そのような返答は望まないだろう。

 ただ、呆然と殺音をみつめるこしかできない恭也。
 殺音はそんな恭也を責めはしなかった。少しだけ寂しそうに笑っただけだった。
 そっか……そう呟いた殺音の言葉が風に消える。

 あらゆる人間に、何度聞いてもその答えは決まり切っていた。
 殺音を前にして首を縦にふれた者はいない。
 あまりにも異質な存在がゆえに、相手を理解できない。そして理解して貰えない。
 
 ―――水無月殺音は孤独だったのだ。

「何をしてるんだ、【破軍】?」
「およ?」

 破軍と呼ばれた殺音は声のしたほうへと顔を向ける。それにつられるように恭也もその視線を追う。
 何時の間にか二人のすぐ傍に一人の少女が佇んでいた。
 殺音と同じような黒く長い髪。サイドで結んでツインテールにしている。
 やや吊り上った眉が勝気そうな印象を与えてくる少女だ。身長は低く、良いところ百四十あるかどうか程度だろう。
 美人というより可愛らしいというほうがしっくりくる。

「ああ、ごめんねー冥。ちょっと話し込んでたの」
「……仕事の間は【武曲】とよべ」
「あーそうだった。そうだった。ごめんごめん、冥」
「……もう、いい」

 ハァと疲れたようにため息をつく冥と呼ばれた少女。
 いつものことなのか、諦めが早い。心なし、若干疲れているようにも見て取れる。
 
「目的の場所はわかった。他の連中を先に向かわせておいたが……お前を探すのに時間をかけすぎたからな。念のため私達も急ぐぞ。何せ噂に名高き御神の一族だ。そう簡単には墜とせまい」
「おおー了解了解。さっさといくとしますかねー」
「……お前はもうちょっと緊張感を持つべきだな」
「こんくらいが私には丁度いいのよー」

 恭也を置き去りにして二人が歩いて行く。
 御神の一族が住む屋敷を目指して。殺戮の宴をはじめるために―――。
 二人の歩みを止めるための方法を頭のなかで幾つも思考するが……足りない。
 どんな方法でも、手段でも二人をとめることは不可能だ。
 だが―――。

「あ、姐さーーーーん!!」
「ん?あっちから走ってくんの廉貞じゃない?」
「先に御神一族の元へ行ったはずなんだが……随分と慌てているようだが」

 廉貞と呼ばれた細目の青年が二人のもとへと走ってくる。
 冥の言うとおり誰が見ても分かるほどに焦っているようだ。

「やばいヨ!!あそこの、一族!!初っ端からとんでもない奴がいたネ!!貪狼と巨門、文曲の三人でなんとか抑えているけどあいつはやばいヨ!!」
「ほほー。あの三人を相手どるってたいしたもんねー。で、御神は何人?」
「一人だ、ヨ!!」
「一人だと!?」

 かたことの日本語で叫びながら二人に注意を促し、衝撃の事実をのべる廉貞。反射的に冥が叫び声をあげる
 自分達の部下である三人を同時に相手して圧倒する。そんな人間など聞いたことがない。そしてこれまでもそれほどの腕前の人間など存在していなかった。
 ナンバーズと呼ばれる対化け物専門の戦闘集団を除いてだが―――だが、その戦闘集団も純粋な人間の集まりではない。 
 つまり、殺音を頂点とする暗殺集団【北斗】とまともに渡り合った人間はこれまでいたことなどなかった。今までは―――。

「あっはっはー。三対一で押されてるの?そりゃ、噂以上の猛者揃いみたいねー」
「……笑ってる場合か……」
「ま、そうねー。ぶっ殺されたら流石に寝覚めが悪いし……さっさと助けにいってあげようかしらね」
「……その必要はねーぞ」

 第三者の声がその場に響き渡った。
 士郎に似た―――しかし、異なる声。尋常ならざる殺気がこもった、聞く者を平伏させるような響き。
 廉貞を追ってきたのだろうか、一人の男性がそこにいた。

 手入れをしていないのだろう。綺麗な髪だというのにぼさぼさだ。
 顔自体は美形だというのにそれら全てを覆すような、深い闇色の瞳。そして、禍々しい暗さがあった。

 首をコキコキと鳴らしながら鞘におさめていた二振りの小太刀を抜く。
 ギラリと夕陽を反射させて、白銀に輝く。

「お前らの言ってる三人ならとっとと逃げ出したぜ。あの逃げ足の速さはたいしたもんだ……ああ、褒め言葉だぞ?俺から逃げられる実力があるんだからな」

 ニィと不気味な笑みを浮かべ小太刀を殺音に向ける。
 一切の手加減もない殺気を叩きつけてきた。それに廉貞は、反射的に一歩下がり、冥は油断なく身構える。
 対して殺音は―――少しだけ興味をもったような瞳で男性を見返していた。

 ―――御神、相馬。

 恭也が心の中でその男性の名を呟いた。
 御神宗家の長男でありながら、御神当主の座を受け継げなかった剣士。
 あまりに強く……あまりに残虐であったために誰からも危険視された御神の鬼子。
 
 まさかいきなり御神最強の剣士がでてきているとは……。
 偶然とは考えにくい。恐らく御神の屋敷に近づいてくる敵意にいちはやく気づき、待ち伏せていたのだろう。
 戦うことを何よりも好む、生粋のバトルジャンキー。血と戦いに飢えた餓狼。
 そんな相馬が恭也に気づいたのか、僅かに目を細くする。
 だが、呼びかけるようなことはしない。下手に知り合いだとばれたら人質にとられるかもしれないからだ。
 もっとも相馬ならば恭也が人質にとられてもそのまま斬りかかりそうではあるが……。

「ん……凄いね、貴方。七十点をあげるよー」
「なんだと?」

 殺音の何気ない台詞に訝しげに殺音を見る。
 そして、瞬きをした瞬間―――視界から殺音の姿は消えていた。

 相馬は背中に氷柱をぶちこまれたかのような悪寒を感じ、即座に前方に転がる。
 転がり、体勢を立て直すとともに後方に小太刀をふった。

 手ごたえはない。
 あったのは空を斬っただけの感触。
 追撃は無く、何時の間に背後に回ったのか先程まで相馬が立っていた場所で拳を突き出していた殺音の姿があった。
 
「うおー!?今のを避けるかー。ちょっと興奮してきたよ」

 クフフと不気味に笑って拳を握り、パキパキと指を鳴らす。
 その余裕の様子に相馬が不服そうに唾を地面に吐き捨てた。

「そうか。それはよかった―――ならばそのまま、死ね」

 地面が爆発した。
 相馬の凄まじい脚力が生み出した超加速。
 一拍もおかずに、殺音の懐へと入り込み、小太刀を振り上げた。左脇腹から切り裂くように、斜め上へと。

 ―――殺った!! 

 相馬の確信にも似た予感。
 間違いなくこの一撃は、この女を斬る。
 
「―――だめ、だ!!」 
 
 反射的にあげた恭也の声にビクリと相馬の身体が震えた。
 何が駄目なのか、と思う間もなく、本能がそれに気づく。殺音の視線が相馬の小太刀を追っていたのだから。
 それに合わせる様に殺音の右手がぶれる。
 
 ―――まずいまずいまずいまずいまずい!!

「ぅぉおおおおおおお!!」

 無理矢理に地面を蹴りつけ後方へ飛ぶ。
 無様な格好となってしまったが、死ぬよりはマシだと思いつつ、殺音から距離を取る。
 牽制するように、小太刀を殺音に向けたまま、深く呼吸をつく。

「ナイス判断!!もし刀を振り切っていたら―――死んでたよ?」

 相馬の行動を褒めるように殺音はパチパチと手を叩く。
 その余裕の様子に相馬が舌打ちをするが、それで形勢が変わるわけではない。
 改めて冷静になって、殺音の全身を油断なく見渡す。

 ―――なんだ、こいつは?

 ゴクリと唾を嚥下する。
 これほどまでに底が見えない相手を相馬とて会ったことは数少ない。
 
 一人は―――御神の亡霊。

 一人は―――破壊と死の化身。

 一人は―――魔導を極めた王。

 一人は―――未来を見通す魔眼を持つ者。

 脳裏に思い描いていた化け物達を確認した相馬だったが……。

「……なんだ、結構いるじゃねーか……」

 反射的にそう呟いてしまった。
 てっきり誰も考え付かないと思っただけに、四人もいることに逆に驚く。
 だが、逆に言えば……その四人に匹敵する化け物だということだ。
 かつて手痛い敗北をこの身に刻んだ闇なる一族の頂点どもと同格ということを認めねばならない。
 手加減など一切できない。必要ない。
 全力を持って、殺しきる。

「……」

 無言のままの相馬から立ち昇る剣気。
 深く息をつき、深く息を吸う。
 見ている恭也でさえも、凄まじい圧迫感を感じる。
 恐らく相馬が出そうとしているのは―――御神流の奥義の歩法【神速】。

 ―――時を止める。

 そうとも伝承される、人間の限界を超えた動きを可能とする奥の手だ。
 文字通り必殺を可能とする、御神の究極。

 何をするのかと興味深げに相馬を窺っている殺音。
 相馬の雰囲気で、何か大技を狙っていることくらいわかっているはずだが、邪魔をしようとしない。逆に相馬が何を出すのか愉しみにしている様子さえある。

「―――馬鹿が」

 それをスイッチとして世界が切り替わる。
 たっぷりと溜め込んだ感情と力の解放。世界がモノクロに変化した。
 相馬の五感が一切余分なものを排除した結果だ。
 全身が重くなったような違和感を感じ、ゼリ―状になった空気をかきわけるように走る。
 御神を最強たらしめている神速を使った相馬だったが―――。

「―――ああ、なんだ。その程度……か」

 声が聞こえた。
 聞こえるはずの無い声が。
 
 相馬の目が驚愕で開かれた。
 有り得ないものを見たかのように、信じられないものを見たかのように。

 心底がっかりした表情の殺音は自分に迫ってきた小太刀を、それ以上の速度で横から殴りつけ軌道を逸らし―――カウンターで相馬の腹部を叩きつけるように殴り飛ばした。
 
「……っぁ!?」

 ごろごろと地面を転がり、恭也のもとにまで殴り飛ばされた相馬を見て、愕然とする。
 この化け物に対して神速ならば……という淡い期待があった。
 その希望を一瞬で叩き壊したのだ。あっさりと。事も無げに。当たり前のように。
 やはり恭也の予感は正しかったのだ―――水無月殺音は次元が違う。

「ぐぅ……くそっ……がっ」

 意識までは奪われなかったのか、相馬は震える身体をおして立とうとするが、殺音の一撃は相当に重かったようで立ち上がることにすら苦労している。
 ゴホっと咳をした瞬間、赤黒い血が地面を彩る。
 
 負けた。
 あの相馬が。御神相馬が―――これほどまでにあっさりと。
 完全完璧な敗北を目の前で見せられた。

「むぃー。まぁ、七十五点をあげようかしらねー」

 相馬には興味をなくしたようにゆっくりと殺音は近づいてくる。
 ざっざっと地面を踏む音が死神が這い寄る音に聞こえて鳥肌が立つ。
 
 死ぬ。殺される。
 あの相馬でさえも歯牙にもかけぬ圧倒的な力。
 しかも全くといっていいほどに本気を出さずに。
 これでは恐らく、他の誰もが勝てないだろう。複数でかかっても一緒だ。そういったレベルではないのだから。
 すでに戦っている土俵が違っている。

 【あの人】がでれば或いは勝てるかもしれない。
 だが、それまでに確実に何人かは―――死ぬ。何人かで済むかはわからない。もしかしたら数十人、百人以上にのぼるかもしれない。
 御神の屋敷に住むのは何も全員が武を嗜んでいるわけではない。ただの一般人と変わらない使用人も多い。そういった人たちも巻き込まれるだろう。
 誰よりも尊敬する父の士郎が殺される。
 誰よりも暖かかった静馬が殺される。
 誰よりも優しかった美沙斗が殺される。
 誰よりも厳しくも可愛がってくれた美影が殺される。
 
 そして―――誰よりも愛情をそそいでくれた琴絵が殺される。
 ミンナ死ぬシヌしぬ死ぬシヌしぬ死ぬシヌシヌシヌ―――コロサレル。

 ブチリと恭也は自分の奥底で何かが千切れるのを感じた。
 人として大切な何か。それを捨ててでも皆を護りたい。どれだけの罪にまみれようとも……。
 
 誰よりも大切な皆が殺される……
 
 そんなことは―――。

 ―――認めない。認めるものか。認めてやるものか。

 折れそうだった心は蘇った。不破恭也としての心は決して折れなかった。
 恭也の心は―――琴絵の心配を不要とするほどの不屈の魂が宿っていた。 

 ―――覚悟を決めろ。不破恭也。相手を恐れるな。失敗したところで、ただ死ぬだけだ。愛する者達を失って無様に行き続けるだけの人生を送るより遥かにましじゃないか。

「水無月殺音、さん―――提案があります」

 自然と言葉が口からでていた。
 殺音が放つ威圧感は衰えるどころか増しているというのに、震えも無く、怯えもない……普段通りの不破恭也がそこにいた。

「……ほ、ほぇ?」

 あまりに自然に問い掛けられた殺音が、おもわずどもりながら返事を返す。
 それに少しだけ満足して言葉を続ける。

「御神の一族から……手を引いてください」
「……うーん。いやーちょっと無理かなー。一応依頼受けちゃってるし。それにそこにいる剣士さんよりも強い人いるかもしれないしねー。おねーさんは燃えちゃってるよ」
「ここにいる相馬さんが、御神最強の剣士といっても過言ではありません。この人以上に強い剣士は、御神にはいませんよ」
「にゃ、にゃにぃいー!?」

 失望感たっぷりの殺音ががくりと肩を落とす。
 恭也はあえて相馬を御神最強と言った。人によっては静馬や士郎、琴絵をあげるだろうが、あえて相馬を最強と推して、殺音のやるきを削がすためだ。そして―――【あの人】のことは黙っておく。

「でも、貴女は戦いたいのでしょう……だからこその提案です」
「む、むぅ?」

 恭也の先へと繋がる言葉が予想できずに首を捻る。
 一体何を提案とするのだろうか……その場にいる人間はみなそう思った。
 恭也はそんな人達の考えの遥か上をいく。

「……俺が貴女と戦います。貴女の渇きを、餓えを潤させましょう」
「……ええっと。笑うところ?」
「冗談じゃありません。もちろん今の俺が貴女を満足させることはできません。だけど―――」

 口の中が乾く。
 緊張で舌がうまく回らない。
 それでも必死となって言葉を紡ぐ。

「何時か必ず貴女の餓えを、渇きを満足させることを―――誓います。この俺が、必ず」
「……」

 恭也の告白に、両目を隠すように手を当て、深いため息をついた。
 沈黙が訪れる。肺を直接握りしめられたかのような息苦しさ。
 周囲に響くのは相馬の荒い呼吸音。いつの間にか虫の音も聞こえなくなっていた。
 
「―――ほざくなよ、少年」

 あいた指の間から真紅に染まった瞳が―――獣のように縦に裂けた凶気に彩られた眼光が恭也を貫いた。
 それとともに世界が闇に染まった。そう錯覚するほどに強大で巨大な殺気が迸る。言葉にならない。言葉では語りつくせぬ、異様なまでの瘴気。
 今までの殺音とはまるで別人。お遊びだったと言われても納得するほどに、凶悪な気配を醸し出す。
 
「……桁が、違う!?あの、化け物ども、さえも―――比べるまでもない!!」

 相馬の声が震えた。
 今まで見てきたどの化け物達よりも、明らかに―――超越していた。
 
 ただの気配が物理的な重圧をもってその場にいた全員にのしかかる。
 傷ついた相馬は膝をつき、冥と廉貞も同じようにその場に両膝をつき、殺音を呆然と眺めるだけだった。

 だが、恭也だけは違った。
 顔を青白くさせ、全身を震えさせながらも、真っ直ぐと殺音を睨み返している。
 
 それを見た殺音は軽く拳をふるった。
 その拳は神速の域をもって恭也の顔に迫り―――そのまま打ち抜いた。
 殺音の拳は力を入れたように見えないというのに恭也の頭蓋を叩き割り、脳髄が飛び散る。
 膝から力をなくし、他の人間を見習うかのように地面につき、身体が大地へと倒れ付した。
 それを何故か冷静に見ている自分が居た。すでに頭は元の形を一片たりとも残していないというのに―――。

「っ……」

 ぺたりと反射的に片手で顔を触る。
 ぺたぺたとした触感。砕かれたはずの顔は普段通りそのままに存在した。そして恭也の目の前には寸止めされていた殺音の拳。当たっていなかったのだ。
 だというのにあのあまりにリアルな死の光景は一体何だったというのか……。
 
 ―――さっ、き?
 
 唾を飲み込もうとして……唾液もでないほどに乾ききった口内。
 覚悟を決めていたとしても緊張は隠せなかった。

 恐ろしいほどに凝縮され、恭也に向かって放たれた殺気は、寸止めされたにも関わらず恭也に死のビジョンを伝えてきた。
 呼吸が荒くなる。恐ろしい。本当に恐ろしい。この女性は、息を吐くかのように自分を殺せる。
 それを再認識した途端とてつもない恐怖が押し寄せてきた。

 ―――死ぬことを恐れているわけではない。このまま何も残せず、何も成さず、殺されることが―――何よりも怖い。

「俺を、侮るな!!水無月殺音!!」

 ビリっと空気が引き締まった。殺音の殺気に怯えていた世界が、恭也を注目してきたような錯覚を覚えた。
 一歩殺音に向かって足を進ませる。眼前にあった拳が額に近づく。

「今更命など惜しむはずがないだろう!!貴女の先程の問いにこう答えよう―――他の誰でもない、俺こそが貴女の望みを叶えよう!!」
 
 さらに一歩進む。
 ゴツンと殺音の拳が額に当たった。だが、視線だけは殺音と交差したままだ、

「誰よりも、何よりも強くなってやる!!俺は、俺の命を、魂を、全てを犠牲にしてでも―――世界最強の剣士になるっ!!それこそが、俺が掲げる確固たる信念!!揺ぎ無い意思!!」

 さらに一歩進む。
 気圧されたように殺音が一歩下がった。
 爛々と輝く真紅の瞳が揺れている。その瞳に映すは―――不破恭也。

「それが俺の答えだ!!返答は如何に!?」

 静寂。
 恭也の宣誓に誰も彼もがのまれていた。
 たかが一桁の少年に。この場で誰よりも弱い少年に。

 風が吹く。夕日が落ちる。 
 一分。二分と時が過ぎさる。緊張だけが世界を満たし―――そして。

 水無月殺音は何の言葉もなく、説明もなく、恭也を抱きしめた。強く強く抱きしめた。
 本当に嬉しそうに、幸せそうに、笑いながら恭也を抱きしめながら、くるくると回り始める。

「すごいな、キミは!!私にここまで啖呵をきったのは―――キミが初めてだよ。私の殺気に晒されて、私の狂気にのまれて、そこまで言えたキミは本当に凄い!!」
「む、むぐぅ……」

 顔が丁度胸の位置に埋もれてしまっているせいか息苦しい恭也。
 ある意味幸せな苦しさなのだが。
 
「あはははー!!あははははは!!」

 壊れたロボットのように笑い続ける殺音。
 どれほど笑い続けただろうか。他の人間が呆気に取られている間は随分と長かった。
 我に返っても狂笑ともいえる状態の殺音に声をかけることはできなかった。

 ようやく満足したのか……恭也を引き離し地面にゆっくりとおろす。
 そして、恭也から離れ不気味な笑みを浮かべたまま語りかける。

「御神の一族からは手を引くよー。キミが約束を守ってくれるその日を愉しみにして。世界最強【程度】にはなってくれるよね?」    
「無論。貴女の渇きを癒すんだ―――世界最強くらいにはなってみせよう」
「うん。最高の答えだ。ああ、ごめんね。キミの名前を教えてくれるかな?」
「恭也。不破恭也」
「うん―――良い名前だ」

 先程とは異なる天使のような―――女神のような笑顔。
 それを残し背を向ける。町から離れる方角へ向かって歩み始める。
 慌てたのがそれをみていた冥だろう。依頼を放置していきなり帰ろうとしているのだから。

「ちょ、ちょっと待て、殺音!?お前、依頼はどうする気だ……!?」
「ん?仕事中は破軍ってよぶんじゃなかったの?」
「う……そ、それはおいといてだな……破格の報酬なんだぞ、今回は」
「まーいいんじゃない?お金には困ってないでしょ」
「……馬鹿か!!そうではなくてだな―――」
「私がやらない、って言ってるのよー?理解してる、マイシスター?」
「……」

 しつこく食い下がってくる冥の頭を手で押さえて少しだけ冷たい視線を送る。
 向けられた本人にしか分からないほどの威圧。それに口をつむるしかできない。 
 廉貞は最初から殺音に大人しく従っている。というか、すでに姿を消していた。相馬とあまり関わりあいたいになりたくないからだろう。

 相馬は去っていく殺音をひきとめようとはしない。互いの力量差は圧倒的であり、無理をして挑んでも確実に殺される。
 そのことがわかっているのに態々戦いを挑むほど現実を見ていないわけではないからだ。むしろこのまま去ってくれるのならそれにこしたことはない。
 そんな相馬の心情に気づいたのか殺音が突然振り返る。焦る相馬だったが、その視線は恭也に向けられていた。

「にしっしー。愛してるぜーきょーや」
「……」

 なんと返事をしていいのか分からず取りあえず頷いておく。
 両手をぶんぶんと振りながら殺音は冥を伴って姿を消していった。
 完全に姿を消して、一気に疲労が押し寄せてくる。がくりと、地面に両膝をつくが―――あまりの精神的疲労で結局地面に横になった。
 冷たくて気持ちいい。このまま眠ったらどれだけ幸せだろうか。

 昨日までの恭也だったらこのまま眠っていたかもしれない。
 だが、今は違う。約束がある。
 殺音との―――決して違えてはならぬ盟約がある。
 一分一秒さえも今は惜しい。
 四肢に力を入れて、立ち上がる。その時、ぽんと頭に手が置かれた。誰だろうと思ったが、ここにいるのは恭也をのぞけば相馬以外。彼しかいないのだが、まさか相馬がそのようなことをするわけがないはずなのだが―――。

「……本気か、お前?」

 ―――相馬でした。

 あの残虐非道。傍若無人が服を着て歩いているなどと噂される相馬が若干だがこちらを心配しているかのような視線をよせている。

「本気で、あの化け物と戦う気か」
「勿論です」
「……頑固なガキだしな、お前。俺が何を言ったとしても無駄だろうが……一応言っとく」

 ガリガリと頭をかく相馬。

「無駄だ。お前では―――届かん」
「―――届かせます」
「……死ぬよりも辛いことになるかもしれん。お前は―――どこまでやるきだ?」
「―――無論、死ぬまで」
 
 そうか、と呟きを残し、恭也の頭から手をはなす。
 御神の屋敷がある方向へと帰っていく。その途中で足を止め、空を見上げた。

「……俺の仕事がないときにくれば稽古の一つくらいつけてやる」
「え?」
「……勘違いするなよ。今回の礼だ」
「ええっと……有難うございます」
「……ふん」

 照れているのだろうか。それだけ言うとさっさと恭也から離れていく。
 殺音に殴られた傷は大丈夫なのだろうか心配になるが、普通にあるいているのである意味相馬もとんでもない男だ。
 そんな相馬に続くように恭也も歩み始める。
 
 ―――強くなろう。誰よりも何よりも。ただ、強く―――

 そう決意を新たにした恭也は拳を握り締めた。

 その恭也を見つめる一つの視線。
 誰もが気づかなかった。
 恭也はもちろん、相馬も―――殺音でさえもその気配に。
 
 恭也から随分と遠く離れた場所。そこに彼女がいた。
 女性自身が光を放っているのではないかと思うほどの美貌。殺音を女神とするならばこちらは天使だろう。
 輝き渡るプラチナブロンドが背にまで伸びている。顔には若干のあどけなさが残っていた。
 女性と少女。どちらで表現すればいいのか悩む容姿だが、少女とよばれるようなか弱さなど微塵もない。
 片目を瞑り、あいている片目だけで恭也を見つめていた。

「廻る廻る。世界は廻る」

 朗々と言葉を紡ぐ。美しいソプラノの美声。

「巡る。巡る。世界は巡る」

 遠く離れた恭也に語りかけるように。

「今生の貴方に会えて私は幸せです―――貴方と再び会えるときを愉しみにしてますよ……少年」

 





 これより二ヵ月後。相馬は御神宗家を追放されることとなる。

 そして、さらに三ヵ月後―――御神の屋敷は爆破され一族は潰えることになった。生き残ったのは僅か四人。
 不破士郎。御神美沙斗。御神美由希。そして―――不破恭也。

 

 
 



 
 

   
 

 
 






「……殺音。悪い知らせがある」
「んにー?」

 【北斗】が拠点としている人里はなれた山奥にある館。
 その一室の自分の部屋の椅子に座り、テレビを見ていた殺音が冥に気の抜けた返事を返す。
 
「どうしたのさ?生活費がなくなったとか?」
「……お前にとってはそっちのほうがいいだろうね。僕としてはごめんだが」

 深刻そうな様子の冥に殺音がちゃかす。
 それにたいして律儀に真面目に返答する冥。

「……お前が御執心だった、不破恭也……あの少年だが、死んだぞ」
「……え?」
「先日御神の屋敷が爆破されたらしくてね。生存者は―――いない」
「……あ、そう」

 冥の発言に興味をなくしたようにテレビを見直す殺音。
 あれだけ執心していた恭也がしんだというのにあまりにあっさりとした殺音に、逆に冥が驚きを隠せない。
 
「意外だな……てっきり怒り狂うかとおもったんだけど……」
「んー。だって生きてるって分かってるしね」
「え?いや、でも御神不破両家の生き残りは誰もいないらしい……が」
「だって私と約束したんだし。そんな簡単に死ぬわけないじゃない?」
「……なんだその根拠のない自信は」

 はぁ……とため息をついて冥は部屋から去っていく。
 そんな冥を無視してテレビに熱中する。だが、冥は気づかなかった。殺音の手が震えていたことに。
 
 震える片手を力いっぱい目の前にあったテーブルに叩きつける。
 何かが砕き折れる音が部屋に響き渡り、粉々になったテーブルが部屋に転がっている。

「生きてる……生きてるって信じなきゃ、やってられないでしょう……」

 物悲しい殺音の声が、虚しく消えていった。

 
 
 
 




   
 それから十余年の月日が流れ―――物語の幕があく。  
 
   
 
 
 
 

 


 
 








 
   

 
  



[30788] 一章
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84
Date: 2011/12/12 19:53





「九百九十六……九百九十七……九百九十八……!!」

 さらさらと気持ちいい風が吹く。
 近くには川が流れているのか水の音が聞こえる。
 風に吹かれた木々が、ザワザワと葉がこすれあう音を響かせる。

 人が滅多に近寄らないとされる巨大な山々が連なる日本でも辺境の地。その山々のなかでも霊山ともされる場所の麓で一人の女性が一心不乱に木刀を振っていた。
 長い黒髪を後ろで三つ編みにしていて、容姿は可愛らしい。化粧ッ気がないが、元が余程いいのだろう。どことなく目をひきつけるものがある。薄く白いシャツが汗に濡れ、下着が透けて見えるが本人は全く気にしていないようだ。本人がきづいてないだけかもしれないが。
 
「九百九十九……千!!」

 一切の休みなく木刀を振っていたのだろうに、最後の千回目まで姿勢を崩すことなかったその少女は、様々な意味で美しかった。
 武に生きているものならば目を離せないような、そんな鬼気迫る様子も感じ取れただろう。

 ふぅ、とたいして乱れていない呼吸を整えるように息をつく。
 華奢に見える見掛けとは裏腹に恐ろしいほどの体力があるのだろう。腕の甲で汗を拭う。
 勿論それだけで汗をふき取れるはずもなく、近くの木の枝にかけてあったタオルを手に取った。

 そのままタオルで汗をぬぐいながら近くに流れる川の方へと向かう。
 一分も歩かないうちに透き通った水が流れる川をみつけ、そこで両手で水を掬い顔を洗う。

 都会ではお目にかかれない底まで見える美しい水におもわずため息が出る。
 毎年ここで合宿を行っているが、この川と周囲に広がる森だけは変わらない。

 季節は四月。冬も終わり、春を迎えてはいるが流石に山奥であるここはまだ肌寒さが残っていた。
 特に朝と夜は、気を抜くと風邪をひいてしまうほどの気温である。
 シャツを替えないといけないかなーと考えている少女だったが、ビクリと身体を硬くした。

「……気を抜きすぎたな」
「ぅぅ……面目ありません……」

 振り返ることを許さない硬い声が少女の後ろから聞こえた。
 気づかぬ間に、一人の青年が少女の背後から首筋に手刀を添えていたのだ。
 ただの青年にしか見えないが、見る人が見ればそうでないことは分かるだろう。
 無駄なく締まりきった身体。身のこなしに隙はなく、纏う気配に険しさはない。短く切られた黒髪に、それが似合う精悍な顔つき。或いはただの青年にしか見られないかもしれない。少し腕が立つ程度の若造にしか見られないかもしれない。
 だが、少女は知っている。この青年が―――世界最強に最も近い剣士であることを。誰よりも知っていて、誰よりも信じていた。

 僅かな気配を感じ取られることもなく、足音もなく、己の背後にまわられたことにため息をつきつつ少女は両手をあげ降参の意を示す。
 青年はそれ以上は何も言わず、少女から離れ森の方へと戻っていく。
 少女は鍛錬が終わった直後であったが気を抜いていたことを指摘され罰が悪そうに青年に続いた。

「……っわっぷ」

 その時、ばさっと少女の顔に布がかかった。
 青年が何時の間にか少女に向かって投げていたらしい。それを広げてみると、少女の着替えだった。
 気を利かせて持ってきてくれたのだろう。何も言わない青年の優しさに、少女は着替えを胸に抱き、嬉しそうに笑った。

「ん、有難うね……きょーちゃん!!」
「夕飯にするぞ。着替えたらテントに戻って来い……それと肩は冷やすなよ、美由希」

 永全不動八門一派―――御神真刀流小太刀二刀術―――【御神流】の残り僅かとなった使い手。
 それがこの二人の兄妹。高町恭也と高町美由希である。

 恭也は今年高校三年にあがり、美由希は中学を卒業し高校一年になる歳なのだが、毎年恒例ともいえる二人で行う春合宿を春休みの間を利用して彼らが住む都市【海鳴】から随分と離れたこの山にきたのだ。
 普通の人が聞いたら驚くのだが……美由希を指導しているのは何を隠そう恭也なのである。

 歳は十八。そんな年齢で人を指導するなど無理だと思われるかもしれない。
 しかし、恭也は見事なまでに美由希を育てていた。その強さは筆舌に尽くしがたく、彼らの知り合いである空手家の評価は、お前ら二人は人間をやめてるな、だそうである。

 美由希は受け取った服に着替えるためにシャツを脱ごうとして―――ちらりと恭也が去っていった方角を横目で見る。
 視界にはすでに恭也の姿はなく、揺れる木々が映されるばかりだ。
 全く異性として意識されていないことに、深くため息をつく美由希。最近大きく成長してきた二つの膨らみを見て再びため息。
 あまり大きくなるのも戦いの邪魔になるため困るためだ。もしこの考えを言葉に出したら、高町家にいる犬猿の仲ではあるが、仲がいいという矛盾の間柄の二人の居候少女がタッグを組んで襲い掛かってくるのは明らかだ。
 そんな考えの美由希だが、一応は年頃の少女。本音は胸が膨らんできて嬉しかったりする。

 着替え終わった美由希は、キャンプ地としている場所に向かう。
 緑豊かな世界。鳥の鳴き声が聞こえる。頭上を見上げれば赤く燃えていた。
 既に夕方の時刻。太陽は地平線の彼方から没しようとしている。穏やかな風が汗ばんでいる身体を心地よく撫でていく。

 獣道―――というほどではないが、美由希と恭也が歩くだけの道―――には草花が生い茂り、木々の合間を時折リス等の小動物がかけていく。
 平穏そのものの情景である。ゆっくりと恭也の後を追い、木々が開けた場所に出た。

 広がった空間。そこにはテントと石で囲った焚き木。
 薪を適度に入れながら、鍋を蒸かしている。その周囲には木を削った串を刺した魚が数匹炙られていた。
 
 美由希の鍛錬中に得意の釣りで釣っていたのだろう。それに対して美由希は釣りが得意というわけではないので、かつては魚を取るのが苦手だった。
 その旨を恭也に愚痴ったこともあったが、その返事は美由希の考えの遥か右斜め上をいくものであったのが懐かしい。

 ―――釣れないのなら、掴め。

 何を言っているんだ、この人は……という表情をしたのが悪かったのだろう。即座にデコピンを喰らってしまい悶絶してしまった。
 できるわけがないという美由希の意見を聞いた恭也は手本としてあっさりと泳いでいる魚十数匹を素手で掴み取ったのだ。
 あの時は思わず口をあんぐりとあけて、反応ができなかったのだが―――恭也の、魚の気配を読め、という教えを自分なりに噛み砕き理解した。
 あれから数年……今でも釣りが苦手な美由希であったが、魚を掴み取るのは得意となっている。

 御飯は恭也の当番のため、美由希は近くの石に腰掛けてぼぅっとしながら出来るのを待つ。
 というか御飯を作る担当はほぼ全てが恭也だといってもいい。
 その理由は単純明快。恭也が美由希に料理をさせようとしないからだ。美由希としてはやはり好きな相手には手料理を振舞いたいという願望もある。そのため何度か料理をかってでようとするのだが、何故か凄く可哀相な人を見る目で見られて優しげに断られるのだ。
 一度無理矢理作ろうとした事があったが―――背中に衝撃がはしり暗転。目を覚ましたら、御飯ができていた。
 恭也曰く……これはお前が作った物だ。在り難く戴こう。
 質問しようとしたが、その時の恭也の顔が怖くて追及はできなかった過去がある。

 とりあえず食器の準備をして、料理ができるのを待っていた美由希だったが御飯と魚以外に珍しく肉のような物も用意されていることに気づく。
 この山は野生動物が豊富で、時々ウサギや鳥を捕まえているのだが今回はどうやらそれらとは異なるようだ。
 傍にいてあった水筒から木でできたコップに水を注ぎ、ながら口に含みながら聞いてみる。 

「あれ?きょーちゃん。何か動物捕まえたの?」
「ああ。お前が素振りをしている最中に熊が出たのでな。狩っておいた」
「ぶふぁっ!?」

 思いっきり噴出した。
 すぐ前にいた恭也は背後からだというのにその霧状となった水を横に軽く動いてかわす。
 そして何事も無かったのように調理を再開する。
   
「ごほっ……ごほっ……熊!?熊がでるの、この山!?」
「冗談に決まっているだろう?確かにここらは動物は多いが流石に熊がでたことはない」
「だ、だよね―――あはは」

 乾いた笑いをあげる美由希だったが、兄ならば本当に熊を狩りかねないのでちょっと不安になる。
 落ち着こうと再度水筒の水を飲む。

「お前は俺なら熊を倒せれると思ってそうだが……熊をなめるなよ」
「……お、思ってないよ」
 
 あっさりと心の内を見抜かれた美由希は水が気管に入りそうになったが、なんとか落ち着かせるように飲み込む。
 恭也はまるで相手の思っていることが分かるかのように言ってくることが多く、美由希は兄がそういった特殊能力をもっているのではないかと怪しむことも多々あるのだ。

「いいか。ツキノワグマならまだいい。だが、羆にだけは気をつけておけ」
「ええっと……いきなりだね、きょーちゃん。羆ってそんなに危険なの?」
「……ああ。奴らの凶暴性。執着性は尋常じゃない。三毛○羆事件や福○大ワンゲル部羆事件など悲惨な獣害事件を引き起こしているからな。十分に注意しておけ」   
「聞いたことないんだけど……きょーちゃん詳しいね?」
「恐ろしいからこそ、調べる。知らない方がよっぽど恐ろしいと思うぞ」
「ん……そうかもね」

 ふき上がった御飯を皿にのせ美由希に渡す。結局何の肉から分からないが―――それも更にのせて渡された。
 恐る恐る食べてみると思ったほどまずくはない。多少の獣臭さを感じるが、牛や豚とは違った旨みがある。山での鍛錬中は魚や山菜が多いので、滅多に味わえない肉は有難い。
 今更どんな肉でもいいか……と納得して美由希は食べすすめた。
 二人で黙々と食事をしていたが、ふと美由希は思いついたように口を開く。

「ん。そういえば、きょーちゃん。熊が怖いって昔なにかあったの?」
「……昔からとーさんに連れられて日本全国を回っていたときに少し、な。それと全国武者修行で中学の時に旅立ってた時があっただろう?その時にも北海道の方で出くわしたことがあったんだ」
「出会ったとこはあったんだ……よく無事だったね?」
「ああ。北海道で遭遇したのは羆だったからな。流石に殴り殺すのには苦労した。奴らは人間とは比較にならない肉の分厚さだから打撃系の効きが鈍くて……四百キロクラスの大物はしつこかったぞ?」
「ふーん」

 聞き流した美由希だったが、魚にかぶりつこうとして―――反芻するように呟く。

「え、えっと……【殴り殺した】?」
「あの時は……雨に降られて洞窟で雨宿りをしていた時だった。外の様子を見に出たらばったり出くわしてしまったんだ。刀を取りに戻る間もなく襲い掛かられて、なかなかの強敵だった」 
「無理でしょう!?」
「失敬な。何度か死を覚悟したがきっちり息の根を止めたぞ。素手で」
「素手で熊を殴り殺すってどんだけ!?」
「楽に勝てた、とはいえんが。良い戦いだったと両者認めるところだろう、あれは。その後食べたが特に味には問題はなかった」
「てか、食べたの!?」
「ああ。少々硬く肉に臭みがあったが、なかなかいけたぞ」
「……もう何に驚けばいいのかわからないよ……」

 知らなかった兄の非常識さの一つがまた新たに浮上し、心底疲れたため息をつく。
 刀を使って倒すのならまだしも、素手で殴り殺すとか人間を辞めてるとしか思えない。
 少なくとも美由希は熊と素手で向かい合って倒せれるような自信はない。というか、あってたまるか。

「まぁ、実際は羆に遭遇するなど滅多にないから心配するな」
「……わかってるよ」

 一応はフォローをいれてくる恭也だったが、皿にのっている肉を見てふと思い出したように独白した。

「そういえば―――今日で倒した熊は五匹目になるのか」
「……えっ!?そ、それってまさかこの肉―――」

 美由希の台詞を邪魔するように、テントからオーソドックスな携帯の着信音が鳴った。
 どうやら恭也の携帯のようで、食器を置くとテントに向かう。美由希は質問を切られた形になったので、皿にのっている肉をどうしようかまじまじと見つめた。
 確かに牛や豚とは違う。ましてや鳥でもない。鹿や狐などでもなかった。ということは本当に―――。

 テントに戻った恭也は荷物の中に埋もれていた携帯をとりだすと液晶画面を確認する。
 表示されていた名前は―――高町桃子。恭也と美由希の母親だ。

「もしもし。こちら俺だが―――何かあったのか?」
『何かあったか?……じゃ、ないわよー!!ちゃんと連絡を毎日いれなさいっていったでしょー!!』
「……すまない。忘れていた」
『もう!!恭也がついているから大丈夫だとおもってたけど、心配したんだからね』

 相変わらず元気な母の様子に恭也は安堵を隠せない。
 恭也が家を一週間以上あけるのは美由希との合宿の時だけだ。桃子がこちらを心配するように、恭也も高町家のことを心配していた。桃子がいる限り大丈夫だてゃ思っているのだが……。

「それで安否の確認の電話……だけではないようだが?」
『あ、そうそう。恭也ってば五日までに帰るって言ってたじゃない?美由希の入学式が六日にあるから』
「ああ。そうだが」
『なのにこの時間になっても帰ってこないから心配したのよ。まさか恭也が日付をを間違えるわけないし』
「……」

 桃子は何を言っているのだろうか、と恭也は首を捻る。
 まだ今日は四日で、明日の朝一で帰ろうと思っていたのだが。

「……少し待ってくれ」
 
 耳から携帯を離し、改めて液晶を見る。
 そこに表示されていた日付は―――四月五日。どう見ても恭也が一日日付を間違えていただけであった。
 咄嗟に頭の中で山から下りる時間と、電車で海鳴に戻るのに必要な時間を計算して弾き出す。

「―――今夜遅くにはなるが、帰る。心配しないでくれ」
『恭也……あんた一日勘違いしてたわね?』
「……何のことだ?」
『はいはい。そういうことにしておいてあげるから急ぎなさいよー。あんたもしっかりしてるのか抜けているのかわからない時あるわよねー』
「……面目ない」

 幾ら美由希の鍛錬に気を使っていたとしても、日付を間違えるのはうっかりを通り越していた。
 今回の合宿で美由希は御神流の基本でもある【徹】までを使いこなすに―――というにはまだ早いが、実践でも十分使えるレベルに達した。
 予想以上の成長速度を見せる美由希は、指導をしていても楽しいと素直に恭也は思う。怪我をさせることなく、御神の剣士として完成させることが恭也に課せられた義務ともいえた。
 焦って強さを求めた剣士の成れの果てが―――ここにいる。
 ズキリと痛んだようなきがする右ひざ。普段生活する分には問題もない。だが、決して忘れえぬ過去の愚行の結果だ。

「では、急いで帰るとする」
『あ、晩御飯はどうする?』
「丁度いま済ませたところだ。準備をしなくてもいい」
『わかったわー。気をつけて帰ってくるのよ』

 携帯を切り、テントから外に出るとすでに美由希が後片付けをしていた。
 どうやら恭也の話を聞いていたのだろう。美由希自身も鍛錬で疲れていたとはいえ、日付を確認していなかったので恭也に文句をいえるはずもない。

「片付けた後すぐに山を降りるぞ。強行軍にはなるが、ついてこれるか?」
「大丈夫。それについていけないといったら置いていく気でしょう?」
「勿論だ」

 あっさりと言い切る恭也にちょっとだけ寂しくなる美由希であった。






















 強行軍に強行軍を重ね、山を降りなんとか一番近くの駅についたのは午後七時を回ったところであった。
 普段だったらもう少しゆっくりといくので、一時間近くを短縮して下山できたことになる。鍛錬の疲労が蓄積されている現在でそれだけの速度で降りれたのはまさに限界ぎりぎり。
 無人駅のため恭也や美由希以外に待っている人はいなく、美由希は疲れたように椅子に腰を下ろした。
 対する恭也は時計に目をやり、時間を確認する。美由希からみて、恭也が疲れているようには全く見えない。
 美由希の指導をし、供に汗を流した後に―――夜中美由希が寝静まった後も一人で鍛錬を続けていたというのに、疲労など微塵もないその姿に心底尊敬のため息しか出ない。

 はっきりいって美由希の剣士の腕前は相当なものだ。
 それは父の友人であり、数少ない実戦空手の巻島流の創始者【巻島十蔵】のお墨付きを貰っているのだから疑うことは無い。
 その美由希が恭也のことを断言する。高町恭也の底は―――計り知れないと。
 強くなればなるほどにそれを体感できる。実戦をかねた試合を何度も行っているが、恭也に一撃をいれれたことは一度としてない。
 かつて恭也が士郎に感じた壁。それを美由希は恭也に感じていた。
 
 そんなふうに思われていると気づいていない恭也は背負っていた荷物を降ろし、肩をぐるぐると回す。さすがに美由希の数倍の重さの荷物を持っていたために肩が痛かったのだろう。
 ここら一帯は田舎のため電車の本数は少ない。というかほとんどこない。
 普通電車が一時間に一本だけなので、乗り過ごしたら長い間待たされることになる。何度もここにはお世話になっているのでその時間にあわせるように下山してきたこともあり、あと数分程度で電車はくるようだ。

 やがて、遥か彼方から低くうなるような、かすかな振動が響くのに恭也はきづいた。
 耳をすませば、確かに長く低く、響く音の波動が聞こえてきた。
 夜の闇を切り裂くように、明かりを照らし電車が現れる。寸分の狂いも無く、駅に停車した。

 恭也と美由希は電車に入ると荷物を降ろし、長椅子に座る。
 春休みも最終日で夜ということもあったのだろう。恭也達以外に乗客は乗っておらず、閑散としていた。

 電車が走り出し、車両が揺れる。
 動き出してからすぐ恭也の肩に軽い重みが加わった。
 美由希が相当に疲れていたのだろう。恭也に身を預けるように眠っていたのだ。流石に起こすような真似はしない。
 ここから海鳴まで二時間近くはかかるのだから、それまでは寝かせておこうと決めると、恭也も目を瞑る。
 眠る―――というわけではないが、少し考えたいことがあったからだ。

 美由希には徹底的に基本を叩き込んでいるがそれがかなりのレベルになってきている。
 御神流の基本にして最も重要な徹。これを使いこなせるようになったのは大きい。この調子でいけば御神流でいう第三段階の【貫】をそろそろ教えてもいいのかもしれない。
 そしてその先―――神速の世界。
 御神流の奥義の歩法。かつて大勢居た御神の剣士達も全員がこれを使えたわけではない。
 というか、使えた人間の方が少ない。
 言ってしまえば己にかかっているリミッターを外し人間が可能とする動きを大幅に上回ることができる―――というものだ。
 人によって解釈の違いがあるが、恭也はそう認識している。
 簡単にすると、火事場の馬鹿力を何時でも可能とする。それだけだ。だが、そんなことが簡単にできるはずもない。
 また、神速に対する適正というのも存在する。どれだけ修練を積んでも結局その域に至れなかったという事例も多数存在する。逆にあっさりと神速の世界を自在に操れた剣士も居た。
 故に神速の世界へ至るには修練も大切だが、適正も重要だとされている。

 果たして美由希はどうだろうか。
 恭也を信じて、不平不満もなく青春を投げ打って鍛錬に精をだしている。
 修練という意味では問題は無いはずだ。後は適正。
 【貫】を修得したうえで―――後は神速の世界を認識できるか。多少の不安はあるが、問題はないと信じている。

 美由希は、御神宗家の血を受け継ぐもの。
 御神静馬と御神美沙斗の間に産まれた完全なサラブレッド。両者とも神速の世界にわけもなく踏み入っていた剣士達だ。
 その二人の血を受け継ぐ美由希ができないはずがない。
 
 目をあけ、今度は恭也は自分の右膝を見る。
 他の人間が見たならば何の問題もないように見えるかもしれない。だが、実際に恭也の右膝は一度砕かれたことがある。
 別に事故でもない。鍛錬の疲労でもない。
 勝てないと分かっていながら戦いを挑み、圧倒的な差を持って―――人智を逸した化け物に嘲笑うかのように砕かれたのだ。
 
 今でも色鮮やかに思い出せる。
 五年もの昔―――ひたすらに強さを求めていたころ。
 その時に【彼女】に出会った。

 何故居たのかわからない。何時の間に居たのかわからない。
 普段鍛錬をしている八束神社の裏手に広がる山の中で、初めて彼女に邂逅した。

 片目だけでこちらを射抜く人外の化け物に。
 美しい女性の姿をしただけの化け物に。
 
 己の全力で挑んで―――傷一つつけることもできずに敗北したあの時の思い出は苦々しい。
 不可思議なほどに強かった。二振りの剣を操り、恭也と同じ土俵で戦いながらも圧倒された。その姿は―――御神流の剣士にそっくりであったのが未だ理解できない。

 意識が薄れていく中、女性は恭也の右膝だけを砕いて消えた。
 忘れられない。あの時の屈辱を。忘れられない。あの時の言葉を。

 ―――この程度の試練は乗り越えてくださいね? 

 狂ったようなソプラノの声が頭に響く。
 すぐ傍にあの女性がいるのではないかと時々錯覚してしまう。

 ―――私は××と呼ばれています。アンチナンバーズが××。世界に仇なす化け物集団の一員ですよ。今から二年後にその一角と貴方は戦うことになるでしょう。それまでに、強くなっていないと死にますよ?

 彼女は予言めいたこと残して姿を消した。
 それ以降彼女と出会ったことは無い。気配を感じたことも無い。

 だが、確かに彼女の予言は―――的中したのだ。

 反射的に右膝を手で握りしめたが、すぐに力を抜いた。
 何故だろうと時々思うこともある。あの時あの女性は確実に恭也を殺す事ができた。
 だというのに右膝を砕くにとどまったのだ。その意図が読み取れない。
 しかも、砕かれた膝は実はそれほど酷いというわけでもなかったのだ。膝はすぐに治った。
 しかし、不思議なことに今でもその時の古傷が痛むのは事実である。幻痛かと最初は訝しがったが、そうではなかった。
 知り合いの医者に相談した所、細部まで検査してもらえたが理由は結局分からずじまいだった。その時の話の中での一言が妙に恭也の耳に残っている。

 ―――完全に怪我は治ってるのに、医者として情けないことだけど原因は正直わからないんだ。まるでこれは一種の呪いだね。 

 呪い。

 そういわれた恭也はそれもあるかもしれないと思った。
 あの女性ならば、そんなことを仕掛けていても可笑しくは無いのだから。
 恭也を殺さなかったこともあるし、膝のこともある。恭也にとっては恨みしか抱けない相手ではあるが、あの時の女性の瞳は―――懐かしい人物にあったかのような―――そんな優しげな感情が読み取れた。 

 勘違いだったのかもしれない。それでも確かにあの時の女性は―――。

「いや、今更気にしても仕方ない」

 何時の間にか思っていたことが口に出ていた。
 恭也自身、再びあの女性と出会うことになるだろうという予感を感じているために次の邂逅で聞けばいいと思っているのだ。
 今の自分ならば五年前のような無様な結果にならないという自信はある。
 
 慢心ではない。あの時の敗北で得たものは計り知れないほど多い。
 あの時あの女性に出会って膝を砕かれなかったよりも―――今の自分の方が強いという確信がある。
 不思議なものだ。怪我を負っていない自分よりも、怪我を負っている自分の方が強いなどと思うのも。

 恭也の思考に割って入るように何度も駅に停車し、少しずつではあるが乗客も増えてくる。
 といっても満員になるほどでもなく、車両は所々あいていた。
 外の景色もすでに暗くなっていて見えにくいが、家々の明かりが多くなってきているのがはっきりとわかる。

 ガタンゴトント規則正しい揺れが身体を揺らす。
 どれくらいたっただろうか。次の駅を告げる車掌のアナウンスが聞こえる。

『次の停車駅は―――海鳴。海鳴―――』

 ようやく恭也達の住む海鳴へと着いた様で、隣で寝ている美由希を揺らす。

「……んっ……」
「起きろ、美由希。帰ってきたぞ」
「ん……ふぁ……ごめん。寝ちゃってたみたい」
「気にしないでいい。もう少しで家まで帰れるから頑張れ」
「はーい」

 電車が駅に到着。海鳴はかなり大きな都市でもあるので多くの乗客が下車する。
 その流れに乗るように恭也と美由希も電車から降り、改札を通った。時刻は九時近くを指しているが、多くの人たちが海鳴駅の前を賑わせている。
 
「はぁー。懐かしの海鳴にかえってきたよー」
「やはり帰ってくると安心するな。今日は鍛錬は無しとするから家に帰ってゆっくり休むぞ」
「了解です」

 鍛錬無しという恭也の言葉に美由希は安堵したように返事をする。
 別に訓練は嫌いではないのだが―――今日ばかりは疲れがピークに達している。
 二人が高町家がある方角に向かおうとして、恭也が人混みの中に見知った顔があるのに気づいた。

「……美由希。先に帰っていてくれ。少し用事が出来た」
「うん。分かったけど……あまり遅くならないようにしてね?」
「ああ。すぐ帰るさ」

 去っていく美由希を見送る恭也。
 この時間に女性一人で帰るというのも物騒ではあるが―――美由希を襲うような輩がいたら逆にそちらがとんでもない目にあうだろう。
 恭也は人混みで見かけた知り合い……女性に声をかけようとして、近づいていく。

 周囲は人混みが凄いというのに、誰にもぶつかることなくすり抜けるように歩いていき―――。
 目的の人物に辿りつく一歩手前で長身の男性にぶつかってしまった。ドンという音がして肩が男性にあたる。それは知り合いの女性とその長身の男性に丁度割り込むように―――。

「失礼しました」
「……っち」

 謝罪をする恭也に対して男性は舌打ちを残してその場から離れていった。
 後ろのそのやりとりに気づいたのだろう。目の前にいた女性が恭也へと振り返る。

「あれ?高町―――くん?」
「終業式以来だな。月村」

 女性の名は月村忍。恭也の通う高校である風芽丘学園の生徒である。
 恭也と一年二年と同じクラスだったためそれなりに面識があり、恭也も砕けた話し方ができる数少ない相手である。
 恭也は、はっきりいって知り合いが少ない。というか、学校において友達と呼べる人間はたった三人だけだろう。
 一人は赤星勇吾。剣道部の部長であり、恭也とは中学時代の腐れ縁で、恭也の唯一の男友達だ。二人目が藤代佳奈。女子剣道部の部長。赤星との縁でそれなりに親しくしている。
 三人目が目の前の月村忍だ。互いに口数が多いというわけでもなく、友達もいない。休み時間は、むしろ机が友達な二人。色々と共通点があったこともあり、二年の時に少しだけではあるが話すようになり、今では友達といっても良い関係だ。

 はっきりいって忍は美人だ。
 身長は百六十を少し超えた程度。薄紫の髪が綺麗で、背中ほどまであるロングが印象的だ。
 どこか無口で冷たいように見えるが、ソレが良いとクラスの男達が噂している。

「こんな遅い時間にどうしたの?」
「……旅行から帰ってきたところなんだ。今から帰るところだ」
「旅行?へぇ……何処に行ったの?」
「……岐阜の方に少しな」
「岐阜?のどかでいいところらしいね」
「―――ああ」

 咄嗟に何故か出てしまった岐阜。
 別に行った事はあるのだが、特に思い出が残っているというわけでもなく、自分で言っておきながら首を捻りたくなる。

「さっきの台詞をそのまま返すが、月村はこんな時間までどうしたんだ?」
「親戚に呼ばれてね。今帰ってきたところなの」
「そうか。このまま帰るのか?時間も時間だ。送っていくくらいはするが」
「ん。ありがとう。でも、大丈夫。車でそこまで迎えに来てくれてるから」
「それならいいんだが……今日のように遅くなる日は気をつけたほうがいい」
「うん。気をつけるね。高町君って―――優しいね」

 忍が口元に笑みを浮かべた。見惚れそうになるほどの綺麗な笑みだった。
 その笑みに一瞬目を奪われた恭也だったが、目を軽く瞑って冷静さを取り戻す。
 そんな恭也を不思議そうに眺めていた忍だったが、時計を確認して、ロータリーの方角へと視線を向けた。
 目的の人物を発見したのだろう。遠目にだが スーツ姿の女性が高級そうな自動車から降りてこちらに一礼していた。
 
「それじゃあ、高町君。また明日。また同じクラスになれるといいね」
「そうだな……祈っておくか」

 胸が高鳴るような言葉と笑みを残して、忍はその女性のもとへと去っていった。
 自動車で帰るのなら大丈夫だと安心して、恭也も歩き出す―――美由希を追ってではなく、薄暗い路地裏の方へと。
 確かにここら周辺は駅があるため開発が進んでいる。だが、必ずそういった薄暗く危機感を煽られるような場所も存在するのだ。

 薄暗い路地に入った恭也は真っ直ぐに奥へと進む。
 そして、行き止まりまで足を進めると体を反転させた。

「出てきてもらっても構いませんよ。居るのはわかっています」
「……お前のようなガキに覚られちまうとはな……俺もやきがまわったか」

 恭也の視線の先の暗がりから出てきたのは先ほど忍の前でぶつかった男性だった。
 さっきぶつかったときはまだ不機嫌そうな表情だけだったが、今は明らかに敵意を剥き出しにしている。改めて見ると恭也よりも随分と背が高く、筋肉質なのがわかる。

「俺が態々人気のない場所まで来た理由は推測できますか?」
「さあな。ただお前は俺の仕事の邪魔をしやがった。忌々しい奴だ。楽に終わると思ったのによ」

 男はポケットに手をつっこむと中をまさぐる。
 しかし、一向に目的のものを掴むことができない。
 そんな男を一瞥し、恭也は隠していた折り畳み式のナイフを取り出し、見せつけるようにかざす。

「な、なぜお前がそれを!?」
「先程ぶつかったときに抜き取らせてもらいました」
「ば、馬鹿な……そんな様子など微塵も……」

 先程までの余裕と敵意に満ちた表情は一転し、男性は呆然とする。
 そして、男性はようやくわかったのだ。さっき恭也がぶつかったのは偶然ではなく、男性からの忍への敵意に気づき、故意に割って入り邪魔をしたのだと。
 ただの青年にしか見えなかった恭也を見る目にかすかに恐れの感情がまじった。
 恭也はナイフを後ろに放り投げると一歩男性に向かって踏み出す。

「さて、話して貰うぞ。俺の友を―――月村を狙った理由を」

 恭也の言葉遣いが本来のものへと戻り―――男性は悟った。
 自分が決して関わってはならない【何か】に自ら進んで近づいてしまったことを。
 男性は長い間暴力が支配する世界で生きてきた。別に真っ当に生きようと思えば生きれただろう。
 だが、それでも自らが選んで【こちら】の世界へ足を踏み入れたのだ。拉致監禁。殺人。恐喝。様々な法に触れるような裏の仕事をこなしてきた故に、色々な人間をみてきた。その中でも目の前の青年は常軌を逸している。何が危険なのか、と問われればどう答えればいいのか迷うだろう。それでも怖いのだ。
 恐ろしい。人間の姿をしているだけに、逆にそれが恐ろしくてたまらない。

 次に男性の取った行動は―――服従だった。

 両手をあげ、刃向かう気はないのだということをアピールする。
 いきなりそのような行動にでた男性を不審そうにみる恭也だったが、本当に敵対する意思がないのだということを即座に読み取った。
 
「知っていることは、全て話す。だから命だけは、助けてくれ……ください」
「正直に言ってもらえるなら、ソレは約束しよう」

 殺す気など全くないのだが、勘違いしているならそれはそれで利用できるので敢えて否定はしないでおく。

「まず最初に聞きたいことは、月村を狙った理由だ」
「……依頼がきたんだよ。しかも、かなり法外といってもいい金額で。俺自身はあの女に何の恨みもない」
「依頼とは?」 
「……俺は、言ってしまえば何でも屋だ。ただ、とても表沙汰にできないこと専門、だが……」

「依頼主は誰なんだ?」
「……いえねぇ。と言いたい所だが、わからん。さっきも言ったが法外な金額には依頼主のことを詮索するな、って意味もこめられてたんだろう……」
「しかし、電話やメールだけで依頼を受け付けたわけではないだろう?実際に会って依頼の話をまとめたのではないのか?」
「……確かに会った。でも、あいつはただのつかいっぱしりだぜ……」
「そう思う根拠はあるのか?」
「……実際に会ったやつがそう言ってたんだよ。雇い主が云々ってな……ついでに相手先への連絡方法はない。あっちから連絡がくるのを待つだけだ……」
「依頼はどんな内容だったんだ?」
「……あの月村忍って女を痛めつける。殺しは厳禁。死なない程度ということだった……」

 矢継ぎ早に質問をした恭也だったが、どうやら男性はほとんど何も知らないらしい。
 質問をするときに男性の表情を注視していたが、全くといっていいほど反応はなかった。
 仮に嘘をついていたとしたら、恭也を前にして騙しきっていたならばとんでもない演技力だ。
 恐らくこれ以上聞いたとしても大した成果はあがらないだろう。
 依頼主への連絡する方法があれば直接そちらを辿る方法もあったのだろうが、今の段階ではそれもできないらしい。
 
「これが最後だ。この世界から足を洗え。それを約束できるならば―――去れ」
「……ああ。約束しよう。頼まれたってごめんだね」

 男性はそう言い捨てて路地裏から姿を消す。
 言葉に出したようにもはやこの世界で生きていこうなどとは思えなかった。
 これまで多くの修羅場を潜り抜けてきた。それなりに自分が度胸と腕っ節が優れているのだと自負をしていた。
 だが、本物に出会ってしまったのだ。まごうことなき、本物の裏の世界の住人に。
 戦おうなどとは決して思えない。思うことすら許さない絶対的な、格の違い。根本的な、質の違い。命があっただけで幸運と思えてしまう。
 
「―――十年ぶりに故郷に帰るか」

 男性は自分にしか聞こえない程度で呟き―――。
 そして、海鳴の街から一人の男が消えた。

 路地裏から去っていくのを見届けた恭也は、これからどうするかと考え込むように口に手をあてる。
 忍に危害を加えようとしている誰かがいるらしい。だが、殺す―――というほど過激なものでもない。となれば、脅し。
 彼女は数少ない恭也の知り合い。できれば力になりたいと思うが、まずは忍の意見も聞かなければならない。自分ひとりで動き回るのも迷惑にしかならないだろう。
 それでも、危害を加えようとしているのが誰なのか。それは調べておいたほうがいいだろう。

 恭也は携帯電話を取り出すと、登録してある番号を探し、通話のボタンを押す。
 耳に当てると何度か着信を知らせる音が鳴り、やがて電話が繋がった。

『やぁ、恭也。こんな時間にどうしたんだい?』
「夜分すみませんが、急ぎ―――というわけではないのですが調べていただきたいことがあります」
 
 電話に出たのは女性の声。
 電話越しではあるが、恭也へ対する言葉遣いは親しさを感じさせる。

『ん。最近は警察の方の仕事も落ち着いてるし、恭也の頼みなら優先して受け付けるよ?』
「何時もご迷惑をおかけします」
『いいっていいって。ボクと恭也の仲じゃない?』

 電話の女性のどこか、からかう様な響きを言葉に乗せる。

「―――調べていただきたいことは月村忍という女性の身辺で不審なことがないか、です。もしあるようならば、誰が何の目的で行っているかも合わせて調べていただきたいのですが」
『……月村?どこかで聞いたことがあるような……まぁ、分かったよ。できるだけ早めに調べておくから』
「有難うございます。かかる費用のことですが―――」
『翠屋で御飯を奢ってくれればいいさ』
「しかし……」
『ボクにとってはそれが最高の報酬だからね。期待しているよ』
「……何時も助かります」
『ふふ。じゃあ、わかったら連絡をいれるよ。携帯でいいかい?』
「そうですね……はい。それでお願いします」
『それじゃあ、バーイ。恭也』

 今回は相手も機嫌がよかったのだろう。あっさりと頼みごとが終わったことに対して逆に驚いてしまう。
 何時もだったら、あーだこーだと様々な理由をつけてきたに違いないのだから。
 あの銀髪の小悪魔は―――頼りになるが、それ以上に厄介なところもある。
 果たして本当に翠屋で一回食事を奢れば済むのか……ぶるりと恭也の背中を悪寒が駆け抜けた。第六感が告げてくる。絶対に碌な事にならないと。

 今から考えても鬱になるので、とりあえず無理矢理考えないことにしようと決めた恭也は路地裏から抜け、高町家へと向かう。
 駅に着いた時に比べて少しばかり人の波は減少をしているようだが、まだまだ人混みが消える前兆は見えはしない。
 再度その人の波をすりぬけ、歩いて行く。ひんやりとした空気が恭也の頬をなでる。
 すれ違う人の数はどんどんと少なくなっていき、そのかわりに家が増えてきた。家から漏れる明かりが遥か先まで続いている。
 海鳴駅や海鳴臨海公園などは開発されて、様変わりをしていっているが、ここら一帯は昔から変わらない。
 恭也がこの街に住み始めてから八年程度だが、この住宅街だけはまるで時が止まったかのような、懐かしい気持ちにさせてくれる。

 住宅街を抜けた先、他の家とはまた異なる様相の家が建っていた。普通の家の三倍はある敷地。
 その周囲は石垣で囲われているが、敷地内には二階建ての家と、小さいが池もあり―――隅には道場まであるという大盤振る舞い。
 こここそが恭也の住んでいる場所であり―――多くの家族と暮らしている高町家である。

 門を抜け、玄関に到着。
 高町家は今では珍しいかもしれないが、玄関はドアではなく引き戸になっている。  
 手をかけてあけようとすると抵抗もなく開いた。どうやら鍵はかかっていなかったらしい。美由希が先に帰ってきているはずなので気を使ってくれたのだろうか。
 
「お帰りなさいですーおししょー」

 恭也を迎えたのは身長百四十程度の小柄な少女。
 緑色のショートカットヘアで、可愛らしいが童顔。小学生にしか見えないがこれでも明日には晴れて中学生の仲間入りをする年齢である。

「ああ。今帰った、レン」

 高町家が四女―――レン。本名は鳳蓮飛。実際に血のつながりは無い。
 桃子の親友であるレンの両親が海外赴任で日本にいないため、数年前から高町家で居候している。
 そのレンが恭也を出迎えたのだが……。

「何故そんな格好で出迎えてるんだ?」

 すでにお風呂に入ったのだろう。可愛らしいデフォルメの亀の刺繍がしてあるパジャマを着ている。これは全然問題ない。
 問題はレンの姿勢だ。玄関を入ってすぐの場所で正座をして深々とお辞儀をしていたのだ。

「お師匠を出迎えるんですからこれくらいは弟子としてせなあかんと思いまして……」
「まさか今まで待っていたのか?」
「いえー。美由希ちゃんが先程帰ってきましたので、時間的にお師匠おそろそろお帰りになられるのではと……。そしたら丁度お師匠の気配を感じましたんで」

 気配を感じたから、迎えに出た。
 レンが軽くいうのだからスルーされがちではあるが、その絶技に舌をまく。
 普段から恭也は意識して気配を抑えるようにしている。学校生活を送る上で、他の学生と遜色ないほどに。違和感を感じさせないために。ただの一学生を演じるために。
 レンは、言ってしまえばただの一般人レベルの恭也の気配をあっさりと感じ取っていたのだ。
 【戦いの天才】。恭也はレンをそう呼んでいる。
 恭也の知っている中でも美由希の才は群を抜いているといってもいい。間違いなく御神流の正統伝承者として恥ずかしくない剣士としてなれる器を持っている。
 その美由希を遥かに凌駕するのが鳳蓮飛だ。剣士としての才覚はない。武器を使わぬ無手の戦いならば、レンに勝てる相手を探すほうが難しい。
 決して切れぬ伸び代。研鑽を積めば積むほど桁外れの成長を見せる。恭也の心を躍らせるほどに―――その才は溢れている。
 本人自身はそれほど戦うことを好いていないのが唯一の欠点なのかもしれない、が。
 
「お師匠の気配を間違えることはうちは絶対にありませんよー」

 にこりと一点の曇りもない笑顔で答える。
 恭也は指で額をかくと、靴を脱ぎ家の中へと入った。それにレンも一歩後ろを歩いてついてくる。
 
「晶となのはは?」
「晶は今日は早めに家に帰る用事があったみたいです。なのちゃんは今さっきまでお師匠をまっとったんですけど、リビングで居眠りし始めてしもうたんで部屋で寝かせときました」
「すまんな。苦労をかける」
「美由希ちゃんが今お風呂使ってるんで、お師匠が使えるのはもうちょっと後になります」
「ああ、わかった」

 二人揃ってリビングへ入った途端、キッチンで食器を洗っていた女性が物音に気づき振り向く。
 見目麗しいという単語がピッタリあてはまるような容姿だ。光を反射する美しく長いブロンドの髪。
 知る人ぞ知る歌唄い。世界が注目する若手の歌手の一人―――フィアッセ・クリステラ。恭也の幼馴染にして、高町家の長女的存在。
 
 恭也の姿を認めると、パァと花がいたような笑顔で走りよってきて―――そのまま勢いよく恭也に抱きついた。
 軽い衝撃がはしるが、恭也ならば受け止めることは容易い。

「きょ~や~お帰りー!!」

 フィアッセは甘えるような声をあげ、恭也の胸に顔を埋めて背中に手をまわして抱きしめる。
 とても恭也より年上―――二十一になる女性の行動とは思えない。普段は大人っぽいのだが、恭也に関することは時折子供のような行動を取る時もある。
 それと抱きついてきているため、なんというかフィアッセの胸が恭也にあたって仕方ない。高町家最強を誇るその双丘は破壊力抜群だ。
 口にだすわけにもいかず、とりあえずフ黙ったまま抱擁を受け入れておく。やましい気持ちなど一片も―――ない。

「連絡くれないんだもん。心配したんだよ」
「悪かった。どうも鍛錬を始めると他のことが目に入らなくなってしまうから。迷惑をかけた」 
「もぅ。今度からはちゃんと連絡をいれてね」

 フィアッセは恭也から離れる前にチョンと鼻に触れるか触れないかで指を止め、メッと子供にするように叱る。
 恭也を叱ってはいるのだが、全くそんな様子には見えない。むしろ可愛さ満点だ。
 
「洗い物さきにしちゃうね。座って待っててー」
「手を止めさせてしまってすまんな。」  
 
 キッチンに戻ったフィアッセは食器を洗う仕事に戻る。
 恭也も荷物を置くと、傍にあったソファーに身を沈める。ついでにテレビのスイッチをつけるが、すでに時間も時間。ニュースくらいしかやっていない。
 視線を感じ、顔だけ後ろに振り向くと、レンがじとーと効果音がつきそうなくらい冷たい視線で窺ってきていた。
 レンの両手は自分の絶壁ともいえる両胸にあてている。

「おししょーの、おししょーの……おっぱい星人ー!!」

 そんな捨て台詞を残してレンはリビングから走り去っていく。ダンダンという階段を登る音が聞こえ、バタンと勢いよくドアを閉められた。
 恐らく自分の部屋に戻ったのだろう。呆然とそれを見送った二人は顔を見合わせる。

「なんだったんだ……?」
「さ、さぁ?」

 二人して首を傾げる。
 おっぱい星人などという不名誉な呼ばれ方をしたが、それは気にしないで置こうと心に決める恭也。
 決してフィアッセではわからないだろう。今のレンの気持ちは―――。
   
 兎に角去っていったレンのことは置いていて、恭也はテレビに流れるニュースを興味深げに眺める。
 それもそうだる。二週間近く世俗を離れて仙人のような生活と鍛錬をおこなっていたのだから、最近起こった出来事等は全くわからない。
 ちなみに流石に春休みの宿題は恭也はでていないので安心している。
 テレビを見ていた恭也の前にコトンと音をたてて湯飲みが置かれた。置いてくれたのはフィアッセだ。態々緑茶をいれてくれたらしい。
 ズズと音をたてて一口啜ると、お茶の香りと味が口の中に広がっていく。

「……うまい」
「そういってもらえると嬉しいよ」

 お茶を啜る恭也を、本当に嬉しそうに見るフィアッセとの間に沈黙が流れる。聞こえるのはテレビの音だけ。
 別に嫌な沈黙ではない。恭也は元々自分から喋るようなタイプでもなく、どちらかというとよく話すフィアッセも今は恭也の姿を見て満足しているような状況なのだから沈黙となるのも仕方ないことだろう。

「そう言えばかーさんはまだ翠屋にいるのか?」
「あー桃子はね。明日は朝早起きしないとだめだからってさっき寝たよー」
「む、そうだったのか」
「桃子はりきってたよ。可愛い娘の入学式だものね。しかも美由希とレンの二人同時だもん」
「そう考えると、時間の流れは早いものだ」

 なにやら爺臭いことをいう十八歳。
 若いというのに酷く老成した精神と雰囲気を持つ恭也は、桃子や美由希達に酷く呆れられるときもある。
 二人としては、いや高町家の皆の総意として若々しい趣味を持って欲しいと願っているのだが、それが決して叶えられる事はない望みということを全員が薄々感づいているのかもしれない。
 
 だが、恭也は本当に時が進むのは早いと思った。
 父である士郎が死に―――美由希に剣を指導するようになったあの日が昨日のことのように思い出せる。
 自分にできるのか、という迷いは何時もあった。
 それでも―――やるしかなかった。
 今の美由希を見て多少の満足感は覚えるが、まだ上への階段を一歩ずつあがっている最中だ。
 
「フィアッセは……のどの調子は?」
「うん。お蔭様で大分よくなったんだよー。調子がいいの、最近」 
「時間があるときに、また聞かせて欲しいな。フィアッセの歌を」
「うん!!」

 フィアッセが嬉しそうに頷く。彼女は歌を歌うのは好きだ。それ以上に恭也に聞いてもらえるのが―――何よりも嬉しいからだ。 
 イギリスにある超名門音楽学校。クリステラソングスクールに以前は在籍していたが、少し喉を痛めてしまい今現在は親交深かった高町家でお世話になっている。
 といっても、ここから少し離れた場所で親友とのルームシェアで部屋を借りているのだが、この家で寝泊りすることも実は多い。

 何気なく壁にかかっている時計を見ると短針が十一を指す時間になっていた。
 そろそろいい時間になってきている。飲みきった湯飲みをテーブルに置くと、フィアッセがお代わりはいる?と目で聞いてきていたので首を横に振る。
 すでに言葉を必要としないほどに二人は通じ合っていた。

「フィアッセは今日はマンションに戻るのか?」
「んー。私も準備するものがあるから一旦家にかえろうかなーと思ってるよ。明日は美由希の晴れ舞台だしね」
「なら送っていこうか?」
「大丈夫だよー。車で来ているから帰り道は心配しないでも大丈夫」
「そうだったか。珍しいな、車でくるなんて」
「あははー。暫く使ってなかったからね。明日のための試運転だよ」
 
 二人は立ち上がると玄関に向かう。
 玄関から車庫へと移動し、フィアッセが車に乗り込んだ。エンジン音がして、排気ガスのにおいが恭也の鼻にかかる。
 
「それじゃあ、恭也。また明日、ね?」
「ああ。気をつけてな」

 窓を開けて別れの挨拶を告げフィアッセは車を発進させて夜の街へと消えていった。
 恭也はそれを最後まで見送ると高町家に戻る。
 リビングに向かう途中で、風呂場からでてきた美由希にばったりとでくわす。長い髪だがすでにドライヤーでしっかりと乾かしていた。

「あ、きょーちゃん。お帰りなさい。先にお風呂使わせてもらったけど良かった?」
「ああ。お前も早く休め。明日の朝の鍛錬は無しにするから身体を癒せよ」
「はーい。きょーちゃんも……ほどほどに、ね」

 美由希は恭也を見て少しだけ辛そうな顔をする。
 そして、そのまま二階の自分の部屋へと戻っていった。
 
 恭也は飲んだ湯飲みを洗うと、二階の部屋へと一旦戻る。
 必要ない荷物を部屋に置くと、小太刀と飛針。鋼糸を持ち部屋を出た。
 既に皆が就寝している為できるだけ物音をたてないように高町家から外へと向かう。その際きっちり鍵をかけるのも忘れてはいない。

「さて、いくか」

 気合を入れるため言葉に出し、恭也が走った。
 家の明かりが煌々と煌く。すでにこの時間になると出くわす人間もほぼいない。
 
 目的地は何時も恭也と美由希が鍛錬している場所―――八束神社。
 美由希には休息を取るように言っておきながら恭也は休む気など全くなかった。他人に厳しいが、自分にはもっと厳しい。それが高町恭也。
 恭也の目指す先は何よりも遠く―――未だ辿りつけていない世界だ。
 かつてかわした約束を守るために、恭也は今日も刀を振るう。
  
 その全ては―――水無月殺音との再会のために。


















 高町恭也―――風芽丘学園三年を迎える、この年―――運命が廻転。

 時代の闇に蠢く化け物どもが―――高町恭也と運命を共にする者達が―――動き出す。

 それは偶然ではなく―――必然。








 高く連なるビルの屋上。
 そこに一人の少年がいた。月を見上げ、何を考えているか分からない、無機質な瞳で空を貫いている。

「今年は……面白い子に会えるかな。すぐに壊れない玩具に―――僕と遊べるニンゲンに」










 古ぼけた屋敷。広大な敷地を誇る日本家屋。
 その一室にか二人の少女が座っていた。

「で、一体私に何の用なのかなー。天守の次女さんが」
「―――貴女のことは聞いています。鬼頭家が次期当主候補の一人……鬼頭水面さん?」
「そりゃ光栄。噂に名高き天守翔(カケル)に知って貰えるなんて嬉しいわー」
「感情がこもっていませんよ?まぁ、いいです。それよりも貴女―――次期当主の座を確固たるものにしたくない?」
「なーにをかんがえてるのかなー。子供の過ぎたお遊びは身を滅ぼすよ?」 




 





 


 病院を感じさせる真っ白に壁を塗りつぶされた部屋。
 死の匂いが充満する中、長身の女性と小柄な女性が椅子に座っていた。

「最近はアンチナンバーズどもの動きが活発化していないか?」
「……そうだな。ナンバーズ(私達)の手がたりないというのに、労働基準法で訴えたい気分だ」
「お前の容姿で訴えに言っても鼻で笑われるのがおちだぞ?まぁ、それは置いておいて、一桁台の伝承級が沈黙を保っているのがまだ救いか」
「伝承級か……ナンバーⅥの【伝承墜とし】の詳細はまだ不明なのか?」
「情報がすくなすぎるな、奴に関しては。まぁ、互いに死なない程度でがんばるとするか。また会おう、フュンフ」
「お前も死ぬなよ、ドライ」













 人里離れた森の中にある屋敷。
 そこに幾つもの黒塗りの車が到着する。
 趣味の悪い服装のやや小太り気味の中年の男性を囲うように黒服達が展開する。

「ここに本当にあいつらがおるんかいな?」
「はっ!!情報通りならばここで間違いありません」
「この前雇った男はつかえんかったからな。今度はワシも本気や。【北斗】のメンバーならノエルでも相手にはならんやろう。まっとれや、忍の馬鹿たれが」











 広大な森林地帯を凄まじい速度で走りぬける一人の男性と、それに付き従うように駆ける少女が一人。
 しきりに背後を気にする少女。

「もう、おとーさまってば!!あんだけ私には手をだすな!!って言ったくせに自分が喧嘩うってるじゃない!!」
「う、うるせぇ!!仕方ないだろうが、あの場合は!?」
「……おとーさまって悪ぶってるくせに以外と甘いよねー。幾ら一宿一飯の恩があるからってアンチナンバーズの二桁台に戦いを挑むってさ」
「別にあいつらのためじゃねーよ!!あの化け物が俺の寝るのを邪魔したからだ!!」
「にゃふーん。これがツンデレってやつなのかなー」

























 そこは美しく、巨大な湖だった。
 水面には月が映し出され、幻想的な光景を作り出す。
 誰も近づかぬ、秘境。誰も近づかせぬ、永遠の地。
 私と彼の約束の場所。

 その湖の上で踊っていた。プラチナブロンドを靡かせて。月の祝福を受けるように女性が踊っていた。
 女性の足は不思議なことに水を弾くように沈まず、波紋を波立たせる。

 片方だけ開いた瞳が世界を見通す。
 世界を、未来を見通す魔眼の持ち主は静かに踊る。

「―――時は動き出します」

 タンタンタンとリズム良く。

「多くの魑魅魍魎が、青年と出会う。でも、それは全て青年の糧となる」

 バサリとゆれた髪が乱れる。

「全ての存在は所詮パーツに過ぎません。運命を形作る部品の一つ」

 ピタリと動きを止め空を見上げ、両手を広げた。

「私と青年が再び出会うために―――皆さん精々頑張ってくださいね?」

 ゆっくりと開け放った右目は金色に輝き、静かに世界を見つめていた。



















とらいあんぐるハート3 アナザーストーリー  【御神】と【不破】  開幕




 


 

  







[30788] 二章
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84
Date: 2011/12/16 22:08






「そういえば恭ちゃん……師範代って鉄とか斬れるの?」

 ある日普段のように恭也と美由希が実戦を想定した訓練をして、相変わらずあっさりと美由希が敗北した時そう突然聞いてきたときがあった。
 恭ちゃんとよんだ瞬間、少し鋭い目つきで睨んだため慌てて師範代と言いなおした。訓練中は師範代と呼ぶことを厳命しているからだ。
 
「……また唐突だな。何かそれっぽい小説でも読んだのか?」
「ぅ……なんでわかっちゃうのかな」
「それくらい唐突だからだ。お前は読んだ小説にすぐに感化されるからな」

 恭也が美由希から少しだけ離れて小太刀を納刀する。
 再開するのかと美由希も戦闘態勢になろうとしたところで、恭也は首を振った。

「鉄を斬る技術。斬鉄と言ったところか。別に細い鉄程度ならどうにでもできるぞ。俺でもお前でもな」
「え、そうなの?」
「それほど太くない、という条件はつくが。ある程度剣を学んだ者なら恐らくできるだろう」

 恭也の前には巨大な木があった。その幹の太さはゆうに一メートルを越えているだろう。それほど太く大きな樹木であった。
 美由希は恭也がなにをするのか不思議に思っていたが、僅かな間合いを取ってその樹木の前で抜刀術の体勢を取る。
 まさか―――と思う間もなく。

「……シッ」

 光が奔った。
 輝きを残す、光が煌く。その閃光を美由希は刀が残した軌跡だとは認識できなかった。それほどに速く、人の理解できる域を超越していたのだから。
 何時抜いたのかもわからぬほどの音速で抜刀された小太刀が目の前の樹木を斬りつけた。
 が―――。

「まぁ、これだけ太いとさすがにこうなる」

 恭也が小太刀を鞘におさめ、美由希へと振り返る。
 美由希はまじまじと恭也が斬りつけた樹木を見るが特に変化はない。てっきり真っ二つにでもするのかとおもっていただけにちょっとだけがっかりする。
 
「小説を読むのはいいがあまり感化されるなよ?」
「はーい」
「では、少しは休めたか?再開するぞ。今から一分の間時間をやる。その間に罠を仕掛けるなり、身を隠すなりしろ」
「……」

 返事もなく、美由希は即座にその場から姿を消す。
 一分という時間をどれだけ有効に使うか考えながら……森の中を走り去る。
 恭也と美由希の力量差はまともにやったら絶望的。例え、罠や奇襲を仕掛けたとしてもどうにもならないほどだ。
 だからこそ美由希は考える。どうすれば恭也に一泡ふかせれるのか。

「……」

 両腕を組んで目を瞑り、頭の中で秒数をカウントをする。
 風が吹き、木々の葉を揺らす。ざわざわという音が恭也の耳を打つ。

 そして―――。

 恭也の背後にあった木が……【ずれた】。
 ズズズという不気味な音をたてて、ずれていく。ずれていく。ずれていく。ずれていく。斜めに斬りつけられた剣閃の跡が、一分近くたった今になってようやく樹木に斬られたことを思い出させたかのように。
 地響きを立てて半ばから斬られた木が大地へと倒れ伏した。その斬り口のなんと滑らかなことか。ひっつければまたぴたりとくっつくのではないかという幻想さえ抱ける。
 
「―――まだお前には見えなかったか、美由希」

 少しだけ残念そうに呟いた恭也の独り言は―――風の音とともに消えていった。

 




















 高町恭也の朝は早い。
 お年寄りも真っ青な時間帯に目を覚ます。
 目覚まし時計をかけてはいるが、毎回なる前に目を覚まし、アラームを前もって止めるのが日課といってもいい。
 合宿の疲れはあったがそれでも恭也は何時も通りに睡眠から目覚め、布団から起き上がり身体を軽くほぐす。

「懐かしい、夢か」

 やけに鮮明に見た夢だった。
 あれは何時ごろだったろうか。まだ一年ほどしかたっていないくらいの昔だったかもしれない。
 あの時放ったのはただの抜刀による斬撃だ。御神流の基本技術。斬を極めた者は鉄さえも切り裂く。そう言わしめるほどの境地に至れる。確かにそうだ。記憶にある御神の剣士達もその域に達していた者も幾人かはいた。
 今の美由希ならば鉄をも両断できるだろう。御神流の剣士としての腕前はそれほどまでに成長している。
 だが―――恭也は鋼すらも断つ。
 今の恭也は基本であるはずのただの斬撃が、すでに必殺の域にまで達していた。
 
 横目で見た時計は朝四時を示している。
 動きやすい服装に着替え、昨日の夜と同じく音をたてずに高町家から外へと出る。
 時間が朝早いだけにまだ日の出はまだのようだ。辺りは薄暗い。

 何度か深呼吸をくりかえし、ランニングを開始した。普通の人が見たら驚くほどの速度のランニングではあるが。
 途中で何人かではあるが、すれ違ったので挨拶をしておく。
 何時もこの時間帯で会う人は決まっていて、特に親しいというわけではないが顔見知りが何人かいる。
 
 朝靄がうかぶ空気を裂きながら走る。
 やがて長く続く階段へとたどり着き、それまでと同じ速度で階段を駆け上がる。
 止まることなく終わりまで駆け抜けると、前に広がるのは赤い鳥居とその先の神社が見えた。
 八束神社―――ここの後方に広がる広大な森林が恭也達の訓練場所である。
 実戦は常に万全の状態でできるわけではない。
 それを想定してどのような状況でも全力をだせれるように、恭也達の鍛錬場所は敢えて障害物の多い森の中を選んでいた。

 普段から使っている鍛錬の場所。そこは長年の鍛錬の結果、多少は動きやすいようひらけた空間となっている。
 そこの丁度中央付近で足を止めた恭也は小太刀を抜こうともせず、足を肩幅程度に開き手をだらりとさげた状態となる。所謂無形の位だ。

 何分そうしていただろう。
 ただ立っているだけの恭也の額から汗がしたたり落ちる。
 そして、抜刀。何もない空間を断ち切った。

 それと同時に、跳ねたように後ろへと跳躍。地面に足をつけると横へ今度は転がる。
 即座に体勢を立て直し、牽制するように一振り。続いて、もう一振りを斬り上げようとした瞬間、刀を振るのをとめ、半身になって迫ってきていた【何か】をかわす。
 右手の小太刀で頭上から落ちてきた【何か】を弾く。弾くと同時に左の小太刀で見えない敵に対して斬り付けた。

 もし、この光景を見ている者が居たならば恭也が戦っている空想の敵を肉眼で確認できただろう。
 それほどにイメージで作られた敵と戦う恭也の姿は鬼気迫るものを感じさせるのだから。
 例えるならば究極に近いリアルシャドー。戦うべき相手のできること、できないことを確固たるイメージとして固め、そのイメージと戦う。
 今戦っているイメージは―――五年前に敗北を喫した女性。アンチナンバーズが××。
 以前の恭也ならば相手にもならなかった強敵。そのはずだったが―――。

 森を縦横無尽に駆け回る恭也は、木々を盾とし、障害物を利用し、三次元的な動きで相手を翻弄する。
 木の枝を蹴りつけ、空から強襲。相手の背後へと回りこみ、そこでさらに加速。
 見えないはずの相手を断ち切った。そしてイメージした敵は一瞬で霧散。残されたのは小太刀を振り切ったままの体勢の恭也だけであった。

「……駄目だな、この程度では」

 深いため息。
 イメージしていたあの女性との戦いは確かに恭也の勝利で終わった。
 だが、所詮はイメージはイメージ。実際に戦ってみなければ勝敗がどうなるかわからない。
 ましてや、恭也の中のあの女性の強さは―――五年前のお遊びのように戦っていた力量そのままなのだから。戦い方も動きもスピードも、その全てがあの時の女性の見せたものを想定している。
 あの底知れぬ女性の力が一体どれほどのものなのか……今の自分が負けるとは思っていない。しかし、勝てるとも思っていない。それほどまでにあの女性は強かったのだから。

 なんといってもあの女性はアンチナンバーズの一桁台。
 伝承級と称されるいかれにいかれた化け物どもの頂点に立つ生物。水無月殺音に匹敵……或いは凌駕するという存在なのだ。

 ナンバーズと呼ばれる組織がある。
 対化け物専門の世界最強を名乗ることを許された戦闘集団。設立時期は不明。随分と昔から化け物を狩る組織として存在したという。
 多くの戦闘要員を有しているが、その中でも特に優れた十二人は【数字持ち】と呼ばれ、夜の一族から恐れられている。真っ向から戦いを挑むことは死神に喧嘩を売るようなものだと子守唄のように聞かされているという。
 HGS能力者によって構成されていることが多い。特にナンバーⅢ。【神速の踊り手】の通り名を持つドライと呼ばれる女性は圧倒的な殺戮能力を持ち、ナンバーズ設立史上最高のアンチナンバーズ撃墜数を誇る。続いては【爆殺姫】の通り名を持つフュンフ。この二人を筆頭として今代のナンバーズは歴史上最強戦力と噂されている。
 それぞれの数字を与えられた者達は世界各国を走り回りアンチナンバーズと呼ばれる化け物達を処理してまわっているという。

 そしてナンバーズと対になる組織としてアンチナンバーズと呼ばれる集団がある。
 ナンバーズによって定められた処理対象。そのほとんどが夜の一族ではあるが、人間でも人類社会に多くの被害をもたらした者なら対象に加えられる。
 あくまで人類社会に対する危険度が優先されるためアンチナンバーがⅠに近ければ強いということではない。
 ただし、アンチナンバーⅠからⅨまでは別格と考えられている。Ⅹ以降はナンバーズによって定められるが、Ⅸまでは基本的に固定なのだ。ⅠからⅨまでは寿命で死んだ場合はナンバーの繰り上がりが行われる。もしくは寿命を感じ、本人の意思によるナンバーの継承を行わない限り変化は起きない。
 例外が、一対一の戦いで撃破すること。力によるナンバーの強奪。そうすれば例えアンチナンバーC(100)の者だろうがアンチナンバーⅤを倒せば一気にそこまでナンバーが繰り上がる。そのような奇跡は起きたことはないのだが。そう、それはまさに奇跡ともいえる。それほど規格外の化け物達なのだ。
 アンチナンバーⅨまでは圧倒的にして絶対的。超絶的な戦闘力を誇り、それゆえに一桁台はこう呼ばれる。歴史にさえも名を残す化け物達。即ち伝承級、と。  
 
 いや、一度だけそんな奇跡が起きたことがある。アンチナンバーⅥを単独にて、撃破せしめたものがいる。
 故にその者はこう呼ばれた―――伝承墜とし。
 それが一体誰なのか、情報は開示されていない。というか、ナンバーズでも把握しきれていないというほうが正しい。
 ただ、結果だけが届けられた。一人の女性によって。当時のアンチナンバーズⅥが敗れ去ったということを。それを伝えたのが―――。

「未来を見通す天なる眼を持つ者―――アンチナンバーズが【Ⅱ】。六百年以上の時を生きる最古参の魔人―――」

 そう……恭也の膝を砕いた張本人。
 名乗った本人の談を信じるならば―――現在確認されている生き続けている最古の夜の一族。
 夜の一族の世界にも、人の社会にも不干渉を保つ人外の中の人外。その人外が圧倒的な力を持って唯一手をだしてきたことがあった。

 それが、アンチナンバーズ【Ⅰ】の【剣の頂に立つ者】が六百年もの昔亡くなり、繰り上がるはずだった彼女は―――その席に自分が座ろうとはしなかった。否、決して誰も座らせようとはしなかった。第一席を狙っていた当時のアンチナンバーズの二桁台の化け物達数十人を殺してまで。
 それ以降、第一席には誰一人として選ばれていない。決して誰も座ることのない永久欠番。
 触れてはならぬ禁忌。戦ってはならぬ同族殺しの化け物。
 十数年前に、数千人規模の虐殺を高笑いをあげながら実行し続けた―――アンチナンバーズ【Ⅳ】魔導を極めた王―――の師にして、育ての親。

 それが、未来を見通す天なる眼を持つ者―――天眼。

 誰もが恐れ、関わり合いになることを避けるであろう化け物だが……。

 二振りの小太刀が迸る銀閃を描く。
 幾度斬ったのか視認さえも許さない雷の如き速度。
 恭也の周囲に舞い降りてきた木の葉が剣の結界に触れた瞬間切り刻まれ、微塵となって消えていく。

「―――借りは必ず返す」

 









 
 










 本日は四月六日。
 風芽丘学園と海鳴中央の入学式であり、二年と三年にとっては始業式ともなる日だ。
 美由希とレンはそれぞれの学校の一年生として入学することとなる。対して恭也は風芽丘学園の三年。高町家の三女―――城島晶は海鳴中央の二年になった。
 流石にこの記念日にぎりぎりまで鍛錬をするわけにもいかないので、できるだけ早めに鍛錬をきりあげ高町家へと恭也は帰った。

 玄関の引き戸を開けると、恭也の鼻をくすぐるのは味噌汁の良い香りだ。
 その匂いから今日の朝食を作っているのは桃子か晶のどちらかだと予想がたった。
 基本的に高町家の食事当番は四人でローテーションを組まれている。桃子、フィアッセ、レン、晶の四人だ。どうしても料理当番が都合がつかないときに恭也。そして恭也も駄目な時はなのは。ただし、なのははまだ小学二年生。簡単なものしかまだできない。
 なのはも駄目だったらもはや最終手段―――外食である。一人欠けている気もするが、そう高町家の法律で決められているのだ。
 
 料理の傾向として桃子が料理は基本的に和洋中なんでもオールマイティーにいける。どれもこれもがプロレベル。というか、本当にプロなのだが。
 対してフィアッセは洋食専門。レンは見かけどおり中華。晶は和食やその他色々。この三人も十分にお金を取れる腕をしているといっても過言ではない。
 だから、味噌汁の匂いをかげば作っているのがどちらかに絞れるのだ。

 リビングに足を踏み入れるとキッチンで忙しそうに動き回っていたのは、青みがかったショートカットヘア。ボーイッシュな雰囲気を纏った少女であった。
 少女は味噌汁をお玉で掬い、小皿にうつし味見をしている。

「よし!!良い出来!!」

 一人でガッツポーズを取った少女が、テーブルに焼き魚を乗せた食器を持ち運ぼうとして―――恭也にじっと見られていたのに気づいた。

「し、師匠!?いたんですかー!?」
「ああ。今帰ってきたところだ」
「い、いるならいるっていってくださいよー。滅茶苦茶びっくりしたじゃないですかー俺」
「いや、なに。晶、お前は楽しそうに料理を作るなと思っていたところだ」
「うう……変なところみられちゃった……恥ずかしい」

 晶と呼ばれた少女は若干顔を赤くしてそっぽをむく。
 セーター服の上からエプロンを着ているが、それが不思議と似合っている。
 スカートから見える素足が健康的な色気を醸し出している、が―――髪が短いうえに私服も男っぽいものも多く、一人称が俺。
 そのためセーラー服を着ていない限りは七割の人が少年と間違えてしまう。
 最も本人は間違えれらることに慣れているため、そんなに気にしていないという。

「かーさんはまさかまだ寝ているのか?」

 時間はまだ六時三十分なので寝ていたとしても十分に間に合う時間なのだろうが、まさかあの桃子がこの時間におきていないことがあるとは寝ているとは思えなかった。
 しかし、朝食の準備もしていないので他にどこにいるのか訝しがる。

「あー、桃子さんは美由希ちゃんとレンの制服の着替えをみてます!!」
「ああ、そうか。今までとは違う制服になったしな」
「美由希ちゃんには風芽丘の制服にあいそうですよね。レンは微妙でしょうけど」
「……レンとあまり喧嘩はするなよ。なのはに怒られるぞ?」
「う……気、気をつけます」

 テレビをつけてソファーに座ろうとした恭也だったが、まだ一人起きてきていない家族がいるのに気づく。
 
「なのははまだ起きてきていないか?」
「あー。そうですね。多分まだ寝てますよー」
「では、俺が起こしてこよう」
「お願いしても大丈夫ですか?お願いします、師匠!!」

 階段を昇ると幾つもの部屋がある。レンと晶、恭也と美由希。そしてなのはの部屋。
 廊下を進み角部屋となる部屋の前までいくとドアを軽く叩く。ちなみにドアには可愛らしい字で【なのは】とかかれていた。

「なのは。もう朝だぞ。起きているか?」
 
 返ってくるのは静寂。
 どうやらまだ起きていないのは確実のようだ。
 再度ドアを叩く。今度は先程叩いたよりも強く。しかし、反応はない。

「入るぞ、なのは」

 一応断ってから扉をあける。
 なのはの部屋は小学生の部屋とは思えない空間だった。机はしっかりと片付けられており、デジカメやパソコンなどの機器がおかれている。
 まだ小学二年生なのにこれらを完璧に使いこなすのだから恭也からしてみれば実に大したものだと感心せざるを得ない。今でこそようやくパソコンを使えるようになってはきたが、幼いころの自分はなのはくらいの年頃なにをやっていただろうと昔を思い馳せる。

 ―――剣の修行と士郎につれられて全国を回っていた記憶しかなかった。

 ろくでもない記憶を意識的に片隅においやる。
 ふと見ると机の上やベッドの枕元には多くの人形が飾ってある。その大部分は恭也がプレゼントとして送ったものであり、しっかり飾ってあるのをみると喜びを感じてしまう。まさに兄冥利につきるであろう。
 
「―――なのは。そろそろ起きる時間だぞ?」
「……すぅ……すぅ……」

 返ってくるのは可愛らしい寝息。
 小動物のようにまるまってベッドで寝ているなのはとよばれた幼女。
 今年私立聖祥大学付属小学校の二年生となる、高町家の末っ子であり、正真正銘血の繋がりがある恭也の妹だ。
 なのはは朝に強い恭也や桃子とは異なり、非常に朝に弱い。かわりにどんな時でもあっという間に眠れるというある意味羨ましい特技を持つ。
 声をかけてもまったく起きる様子もないなのはに嘆息しつつ、肩に手をかけて軽く揺り動かす。

「遅刻するぞ。起きろなのは」
「……ぅにゅ……」

 ようやく目をあけるなのはだったが、焦点があっていない。
 ゆっくりとベッドから上半身だけ起き上がって、まだまだ寝ぼけ眼で恭也を見る。
 しばらくぼーとしていたなのはだったが、起こしにきたのが恭也だと気づいた瞬間―――。

「おはよう!!おにーちゃん!!」

 にぱっという向日葵のような見るものを暖かくさせる笑顔を向けてきた。
 美人や可愛いといった女性は多く知っているが、そういった女性達とはまた別の魅力がなのはにはあった。
 子供ゆえの純粋さ。子供ゆえの無邪気さ。
 なのはの笑顔を見ると安心する。恭也はなのはと一緒にいる時は数少ない心が安らぐ時であった。

「ああ。お早う。今日は起きるのが早いな?」
「ぅ……だっておにーちゃんが起こしてくれたから……」

 恥ずかしそうに俯くなのは。
 その手の趣味がある人ならばお持ち帰りをしてもおかしくはない可愛らしさ満点だ。
 
「昨日は遅くなってすまなかった。本当ならもう少しゆっくり帰ってくるはずだったんだが……」
「ううん。私も起きてなくてごめんなさい……」

 今度はシュンとしたように笑顔を曇らせるなのは。
 昨日恭也が帰ってきた時間は夜遅い。まだ幼いなのはが限界ぎりぎりまで起きて恭也をまっていたのだから、寝てしまったとしても仕方ない。むしろそこまで頑張って起きていたのだから謝られることなど少しもない。
 ぽんっと頭に手を置くと寝癖になっている髪をなおすようにさする。

「気にするな。それより早く顔を洗ってくるといい。バスの時間に遅れるぞ?」
「……あ、そうだね」

 なのははベッドからおりるとちょこちょこと効果音がなるような歩き方で部屋から出て行く。
 その一歩手前で立ち止まると、恭也へと振り向く。

「起こしてくれて有難うね、おにーちゃん!!」

 語尾にハートマークが着いていそうな嬉しそうな響きを残してなのはが一階へとおりていった。
 殆どのクラスメイトが妹とはうまく行っていないという話を時々耳に挟むが、高町家ではそのようなことはないようで正直胸を撫で下ろす。
 まだ幼いということもあるだろう。だが、なのはが成長して年頃になったらどうなるのだろうか。
 反抗するなのはをイメージして気が重くなる。どうやら相当なダメージを負う事は間違いないようだ。
 どうか、なのははずっとあのままでありますようにと珍しく神頼みをした恭也も一階のチビングへと戻る。

「あ、きょーちゃん。おはよー」
「お師匠。おはようございます」
「お、流石に今日ばかりは帰ってくるの早かったわねぇ」

 なのはを起こしに行っている間にリビングには美由希とレンと桃子が戻ってきていた。
 美由希は風芽丘学園の制服。胸元の学年色を示す黄色のリボンも輝いている。
 対してレンは海鳴中央の制服だ。二人ともおろしたての制服のため皺もなく、初々しさが身体全体からあふれ出ている。
 そんな二人を見ていた恭也だったが、桃子が突然近づいてきて―――美由希やレンに聞こえないような小さな声で囁く。

「ちょっと、恭也?ちょっとは何か言いなさいよ?」
「……何か、とは?」 

 そう聞き返した恭也を、桃子は―――うわー何言ってんのこの子―――というような駄目な子を見る目で見返してくる。
 はぁとため息をつきながら首を振る。

「ここまで朴念仁なのも国宝級ね……新しい制服きているんだから褒めてあげなさいってことよ」
「……そういうことか」
「そうそう。そういうことよ」

 桃子の台詞の意味がわかった恭也が頷くが、桃子は半ば投げやりにそう返事をする。
 成る程。桃子の言葉を理解してみれば、簡単なことだった。
 美由希もレンもどこかそわそわとして落ち着きがない。普段では全くありえない事だ。視線をあちらこちらに向けているように見えるが、ちらちらと恭也を窺っているのは明らか。
 つまり、二人は恭也の感想を聞きたいのだろう。それにようやく気づいた恭也が遠慮がちではあるが二人の制服姿を見る。あまりじろじろみるのも悪いかと思ったからだ。
 つい先日までは二人とも別の制服をきていたのだから、確かに新鮮な姿だ。
 しかし、美麗字句を並び立てるのも恭也には似合わない。というかそんなことができたら朴念仁などと決して呼ばれないだろう。

「二人とも、まぁ、なんだ……よく似合っている」

 結局恭也が告げたのはそれだけであった。
 桃子はそんな恭也の感想に嘆息するしかなかったが―――まぁ、いいかと思うしかなかった。
 
「えへへ……」
「有難うございます。お師匠」

 美由希とレンは素直に恭也の賛辞に照れていた。
 二人とも長い付き合いなので、今のが恭也の最大限の褒め言葉だということを知っているからだ。
 最悪何も言われないか、良くても馬子にも衣装―――程度のことを予想していただけに意外すぎる恭也の台詞に照れを隠し切れない。
 
 この程度のことをいうのにも恥ずかしかったのか恭也は無言で朝食が並べられているテーブルに座り新聞を広げる。
 そんな恭也の姿に三人は苦笑しかできない。
 そうこうするうちになのはも顔を洗ってきたのだろう、起こしたばかりのときのような寝ぼけ眼ではなく、しっかりと目を覚ました様子でリビングにやってくる。
 これで一応高町家にいる全員が揃ったことになる。普段だったらフィアッセもいるが、今日はマンションの方に戻っているのでまだきていないようだ。
 全員が椅子に座り、食事の前の挨拶を済ませ、朝食に舌鼓をうつ。
 ゆっくりと味わいたいところだが時間的にもそういうわけにもいかない。手早く皆が食事を終えると桃子が食器を洗い始めた。

「すみません。後はお願いしてもいいですか?」
「いーのいーの。桃子さんに任せておきなさい」

 晶が申し訳なさそうに謝っている。時間も迫ってきているだけに洗い物までする時間が厳しかったのだ。それに桃子は笑いながら胸をドンと叩いて答えた。
 普段なら桃子も店長を務める翠屋にいかなければならないが、今日はお休みを貰っていた。翠屋は人気の洋風喫茶ということもあり休みを取ること自体なかなか厳しいのだが、今回ばかりは二人の愛娘の入学式ということもあるためアシスタントコックの松尾さんの許可をしっかり取っている。
 
 恭也も部屋に戻り風芽丘学園の制服に着替えると一階へ戻る。
 玄関にはすでに美由希とレンと晶、そしてなのはの姿が見えた。そこへエプロンで手をふきながら桃子もやってくる。
 
「じゃあ、また後でね。いってらっしゃい」
「「「「いってきまーす」」」」
「ああ。行ってくる」

 桃子に見送られ恭也達は学校へと向かう。
 風芽丘学園と私立海鳴中央は同じ敷地内にある学校だ。少子化が進む昨今ではあるが、部活動では運動部が優秀で力を入れていることもあり多くの学生が集まっている。
 巨大な土地面積と生徒数をほこるマンモス学校である。

 四人連れ添って歩いている姿を知らない人が見たらどう思うだろうか。
 仲がいい兄弟と思う人が多いかもしれない。年齢の離れた友達同士と思うかもしれない。
 もちろんそれは制服で登校しているからであり―――私服であったらまた意見も変わってくるだろう。
 間違いなく恭也となのはは親子。レンと晶は下手をしたら……年若いカップルに見られるかもしれない。

 なのはは皆で登校できるのが嬉しいのか上機嫌で歩いている。
 普段は誰か一人とバス停までしか一緒ではないので、これだけ大人数でいられるのは嬉しいのだろう。
 通りがかる近所の人達に挨拶しながら数分。私立聖祥大学付属に通う小学生達が集まっているバス停に到着した。
 
「あ、なのは。おはようー」
「おはよーアリサちゃん」

 なのはが仲の良い友達―――というのは少し年齢が離れているようにも思えるが―――見かけ駆け寄る。金の髪が美しい、元気溌剌そうな少女だ。
 アリサ・ローウェル。名前の通り日本人ではない。そして、両親もいない。もっと幼い時から孤児院で過ごしていたが、最近になって養子として迎えられたらしい。普通ならば捻くれたりするのだろうが、そんな翳りなど一切持たない少女である。
 歳は丁度十。なのはよりも少しだけ年上ではあるが、姉妹のように仲がいい。
 以前に―――とある事件を経て高町家と交流を持つようになり、それが縁でなのはとも仲が良くなったのだ。

 仲良く二人で話をしていると、時間になったのか毎朝迎えに来る聖祥大学付属小学校専属のバスが到着した。
 なのはとアリサ。その他の待っていた子供達もバスに乗り出発。その間際窓ガラスごしにアリサが恭也に向かってウィンクをしてくる。
 それに軽く手を挙げて答える恭也。それだけでアリサは満面の笑顔を残していった。

「アリサちゃんも相変わらずですね」
「おししょーって小さい女の子にもてますよねー」
「そうそう。恭ちゃんってなんか変なフェロモンでもだしてるんじゃ―――」

 晶とレンに重なるように発言した美由希だったが、言い終わるよりも早く恭也の右手がぶれた。それに気づいた美由希が迫ってくる右手を防ごうとして―――その右手は蜃気楼のように実体をなくし、美由希の額にデコピンが直撃する。
 脳を揺らすかのような衝撃がはしり、美由希はふらふらと後ろに倒れそうになるが、電信柱が背についたおかげでそれは阻止することが出来た。

「あ、あれ……?何やってるの美由希ちゃん?」
「お。おししょーの【それ】って何時も思うんですけど凄すぎますよー」

 晶は突然苦しみだした美由希を呆然と見ている。何が起きたのか全く分かっていないようだ。
 レンは美由希がなにをされたのかわかったらしく、額を痛そうに押さえる。美由希がされたのをみて自分も痛いような錯覚を感じたせいだろう。   
  
「二人とも早く行かないと遅刻するぞ?」
「あ、そうですね」
「流石に今日遅刻したら洒落になりませんしねー」

 苦しんでいる美由希をおいて三人は先へ行ってしまう。
 それを見た美由希が額を片手で押さえながら追いかけてきた。何時も喰らっているせいで耐性ができたのだろうか。普段だったらもう少し長い間苦しんでいたはずなのだが。
    
「デコピン一発にも徹を込めれる師範代を褒めるべきか、防げれない自分の未熟さを戒めるべきか……」

 涙目になってそうヒリヒリと痛む額を気にする美由希だったが―――。

「徹だけだと思ったか?」
「え?徹……じゃない、の?」
「いや、今のお前にしては上出来だ」
「え、ええー?」

 いまいち納得できない。そんな様子の美由希だったが、こういう意味深な発言をした時は追求しても話してはくれないことを経験上知っているので大人しく諦める。
 そして考える。意味もなく恭也があんなことを聞くはずがない。聞くはずが……な、ないかもしれない。
 不安になる美由希だったが、先程の恭也のデコピンを脳裏に浮かべる。
 確かに受けた一撃は徹のこもったデコピンだった。衝撃を完璧に内側へと伝える技術。最近になってようやく使いこなせるようになったのだから間違いようがない。デコピン一発でもわかる兄の凄まじい基本の錬度。
 他に何があるのか思い出そうとした美由希だったが―――思い至る。
 恭也の右手の動きは速かったが、防げないほどではなかった。かなり手を抜いていたのだろう。美由希でも防ごうと防御をすることができたのだから。
 問題はその後だ。恭也の右手を押さえたと思った瞬間―――それをすり抜けるようにしてデコピンを叩き込まれた。確実に防げたはずなのに。幻を見せられたかのように。

 ―――わざと右手の動きを遅くした?私が反応できるように?

 恐らくそれは間違いない。
 何故なら普段の恭也だったならば気がついたときにはすでに額に打ち込まれているのだから。
 だというのに今回は視認して、なおかつ防ぐ時間もあった。そして……防御をすり抜けた。
 それを見せたかったのだろう。気づいて欲しかったのだろう。今のデコピン一つに込められた、技術に。

 だが―――。

 口元を面白げに歪めていた恭也をちらりと横目で見て……ただたんに面白そうだから打ったんじゃないかと不安になる美由希だった。
 詳しい追求は今は無理でも鍛錬の時にでも聞こうととりあえず忘れ、恭也に追いつき、並んで歩き出す。

 四人が幾分かゆっくり歩きながら学校へと向かう。
 その途中多くの学生もその道へと合流してきた。千人を軽く超える規模の学校のため、通学路となる道は学生で一杯だ。
 その中には多くの新入生と思わしき若い少年少女が混じっている。
 ピカピカに光るおろしたての制服に、希望を胸に膨らませ学校へと向かっているところだ。

 随分とゆっくりと来た割には時間には余裕が見て取れた。校舎の前に、学年ごとに貼られているクラス分けを見てみると……恭也は風芽丘学園三年G組であった。
 他に見知った知り合いがいないか順番に見ていくが―――発見したのは赤星勇吾と月村忍。
 恭也の三人しかいない友達のうち二人までが同じクラスになったのを胸を撫で下ろしたい気分だった。神は恭也を見捨てなかったのだ。
 クラス分け程度で大げさな話だが、恭也にとっては死活問題だ。
 恭也は授業のほぼ半分近くを睡眠に費やすことも少なくない。となったら問題はノートだ。
 授業態度はもはやどうしようもないが、テストでそこそこの点数さえとれれば問題な……くもないが、補習は免れる。
 真面目な赤星と一緒になればノートの心配はない。良く考えたら月村忍は恭也以上に授業中寝ているのだからあまり期待できなかった。
 結局は知り合い二人がクラスメイトになれたのが嬉しかっただけだが。

「それじゃあ、お師匠。また後でですー」
「また始業式終わったら一緒に帰りましょうね!!師匠!!」
「ああ。二人とも入学式から喧嘩はするなよ?」

 私立海鳴中央のレンと晶は校舎が違うので恭也達と別れ、別の校舎へと向かっていく。
 美由希は自分に挨拶をされなかったことを少し寂しく思ったが、何時ものことなのですぐさま立ち直る。
 恭也と一緒に風芽丘学園の校舎に入り、上履きに履き替えた。
  
「一年の教室は三階にある。クラスは何だ?」
「えーと。Aクラスだったかな」
「それならば、そこの階段を三階まで上がって一番手前の教室のはずだ」
「有難うね、きょーちゃん」
「道に迷うなよ?」
「……階段上がるだけなんだから迷いようがないと思うよ」
「お前ならやりかねんしな。剣を握っている時以外のお前の行動はあまり信用できん」
「……うう。あまり反論できないのが悔しいよ」
 
 口を尖らせて上目使いで睨んでくる美由希。
 その子供っぽい様子に少しだけ苦笑する。

「また後でな」
「……え?う、うん。また後でね、きょーちゃん」

 恭也と別れた美由希は階段をあがっていく。
 同じようにのぼっていく生徒もいれば降りてくる生徒もいる。
 
 そして―――。

 空気が凍ったような気がした。
 ピキィと音をたてて一瞬で周囲の温度が下がっていく。その冷気を発するモノが階段をおりてくる。反射的に身構えてしまう美由希。その場から逃げ出したくなる負のオーラ。
 三階へと続く階段の踊り場から姿を現したのはただの少年であった。いや、ただのというには語弊があるだろう。百七十を少しこえたくらいの身長。これは問題ない。問題があるとすれば容姿だ。これほど禍々しい気配を発する人物の癖に―――そこらのアイドル顔負けの美形。
 のぼっていく美由希とおりてくる少年。その間の空気が異常なほどに壊れていった。少年は美由希のことなど眼中にないかのように……。
 身体を反射的に抱きしめたくなるような寒気。少年の姿が―――どう見ても人間なのに、どう見ても人間にはみえない。
 
 ただ歩いているだけだというのに―――その背後には言葉には出来ないおぞましい何かが渦巻いて見えた。
 不吉な気配を撒き散らしながら、少年は美由希の前で階段をおりるのをやめ……。

「やぁ、キミは新入生かい?」

 朗らかに話しかけてきた。
 あまりに急な問い掛けに返事がつまる。そして何とか頷くことで是とした。

「ああ。胸元のリボンの色で学年の色が分かれているからね?だからすぐにわかったのさ。だからそう、警戒しないでほしいんだけどね」
「……」

 にこにこと邪気などいっさない微笑み。まるで幼児のようなその笑顔をみて、普通の人ならば警戒心を解かれ、魅了されたかもしれない。
 だが、美由希は全く駄目だった。おかしいのだ、この少年は。頭のてっぺんからつま先まで―――その全てが、何かがおかしい。
 
「うーん。困ったなぁ。初対面でここまで警戒されたのは、初めてかもしれないね」

 本当に困ったように頬をかく少年。そんなとこまで絵になっているのが美形故だろうか。
 何も知らない初心な娘ならばこの少年に少しでも囁かれたら恋に落ちてしまうかもしれない。
 美由希に限ってはそんなことはないが―――だって、こんなにも異質な人間に、どうやって好意を抱けというのか。

「あー。自己紹介がまだだったね、失礼。僕の名前は―――太郎。山田太郎というんだ。風芽丘学園の二年生になったばかりの若輩者だよ」
「……偽名?」
「いやー酷いなー。まー、でも皆そんな反応するけどね。あはははー」

 あまりにあまりすぎる名前の少年……山田太郎は美由希の返答に笑って返した。
 苗字と名前が普通すぎるゆえに突っ込まれることには慣れているのだろう。

「皆同じ反応をするから参っちゃうよ。その気持ちもわからないでもないから怒るに怒れないしさー。僕だってもし、僕以外の誰かが山田太郎とか名乗ってきたら間違いなく本名かどうか疑うしね」
「……」
「おっと。時間が迫ってきたようだね。できればキミの名前を知りたかったけど今回は諦めるよ。この学園内にいればどうせまた会うことになるしね」
「……失礼します」

 無礼だとは思った。たとえどんな相手だろうと、先に名前を名乗ってきたのだ。
 それに名前も名乗らず去ろうとしている。礼に無礼をもって返している。
 でも、どうしてもこの山田太郎に必要以上に近づきたくはなかった。
 確かに太郎の言うとおり時間はもう残り少ない。これ以上ここで時間を使っては遅刻になってしまう。初日から遅れていくのも問題だろう。
 そんな美由希が太郎の横を通り抜け三階へとあがっていく。太郎は逆に二階へと降っていくが―――。

「また会おうね―――高町美由希さん?」
「……っ!?」

 名前を呼ばれ振り向くもすでにそこには太郎は居なかった。
 先程までそこにいたというのに。すぐそこで声が聞こえたというのに。
 薄気味悪い得体の知れない少年―――山田太郎はまるで最初から存在しなかったかのように―――姿を消していた。
 幽霊とでも話していたかのような薄気味悪さを感じつつ、美由希は自分の教室へと足を進めた。
 どこからか感じる自分への視線を浴びながら……。

 一方姿を消した山田太郎は―――。

「いやはやー。素晴らしいなぁ」

 何時の間に移動したのだろうか。
 先ほどまでは確かに美由希と話していたはずの山田太郎は、屋上に移動していた。
 墜落を防ぐための屋上のフェンスに手をかけながら、中庭を挟んだ向こう側の校舎の三階の廊下を歩く美由希の姿をとらえている。
 
「まさかあれほどの逸材だったとはねぇ。これは一目ぼれというものになるのかな?」

 くすくすと嬉しそうに太郎は笑みを絶やさない。
 先ほどクラス発表の紙が貼られていた校舎前で遠くから美由希を見てしまった時から、これまで出会って来た女性たちがまるで紙人形のように薄っぺらにしかおもえない衝撃を受けた。 
 太郎はずっと探していた。太郎はずっと求めていた。太郎はずっと欲していた。
 
 ―――自分と対等に渡り合える雌獅子を。

「ようやく、出会えた。逃がさないよ―――高町美由希」
 
 その歪んだ微笑みは―――決して恋心などではなく、ただただ己の生涯の宿敵を見つけたことに対するまがった歓喜しかなかった。
   
    
 
















 同時刻。日本から遥かに離れた東欧の地にて―――。
 
 【そこ】は都会とは言い難い街から、大きく広がる森を貫いて、さらに数時間はかかる辺境といってもいいだろう。
 誰も近寄らない、道に迷った人間がひょっこりと現れる程度でしかない草原だった。普段だったらその見渡す限り埋め尽くす草原に息を呑んだだろう。
 だが、今はその草原が……地獄になっていた。

 ぐちゃり。

 肉が潰される音が周囲に響く。
 あたり一面に広がっている草原は今では赤く染まっていた。どろりと濃厚な血に塗れている。
 その原因を作っているのは―――化け物。そうとしか言いようがなかった。
 体長は三メートルほどだろうか。巨大な筋肉の塊としか言いようのない。二足歩行で立ってはいるが、人間でいう顔のある部分が、犬のような形をしていて、鋭い牙がごっそりと伸びている。毛がはえていない巨大な化け物。まさしくその表現が相応しい怪物であった。
 普通の人間がみたならばグロテスクな冗談ではないかと勘違いしそうな異端の何かだ。

「ひ、ひるむな!!奴も負傷している!!ここで退いたらさらに多くの犠牲がでるぞっ!!」
 
 その化け物を囲んで逃がさないように何人もの黒服の男達が各々の武器を化け物に向けている。
 手に大型の拳銃を持っていた男達は、弾倉が空になるまで化け物に銃撃を続けた。
  
 だが、たりなかった。大型の拳銃であったとしても筋肉の塊であった化け物には小さな傷跡しかつけれなかったのだ。
 顔をかばっていた化け物は、そんな男達を見て嘲笑をうかべる。

「その程度で、俺を殺せるとでも思ったのか?」

 そして、流暢に話しはじめたのだ。
 理性など全くないように見える化け物が、人間の言葉を喋ったことに誰も驚かない。そんなことは最初から判っているのだ。

「お前らのような雑魚が、アンチナンバーズのCDXCV(495)……三桁台のこの俺様をぉおおおおお殺せるとでも思ってんのかよぉおおおおおおおーーー!!」

 男達の戦意を挫くような、凶暴な雄叫びをあげた。
 囲っていた男の一人がそれに耐え切れず、短い悲鳴を残して逃げ出す。
 それに続くように、また一人。また一人と逃げ出し始める。残ったのは僅か数人となっていた。

 化け物は凄まじい速度で男の一人に近づくと、片腕を叩きつけてくる。男は逃げるでもなく、その動きをぼーと眺めたまま―――。

 ぐちゃり。

 おぞましい音をたてて、熟れたトマトが地面に叩きつけられたかのように、男だったモノが地面にぶちまけられる。
 一瞬でひき肉へとかえた化け物は、その肉塊へとかわったモノの前に座り込み、かぶりつく。
 肉と骨を咀嚼する音が絶望的なほどにあたりに響いた。

 非現実的な光景。だが、黒服達にとっては、これが当たり前の光景なのだ―――ナンバーズと呼ばれる組織に属する彼らの。

 男達に恐怖を与えるようにゆっくりと喰らっていた化け物だったが―――凄まじいほどの圧迫感を感じ、それが感じられる方向へと犬のような顔を向ける。

「やれやれ―――化け物如きが、いい気になるなよ」
「全くです。分相応という言葉を考えて欲しいものです」

 女性が二人ゆっくりと歩いてくる。
 人間を喰らう化け物がいるというのに、全く気にしないように。

 一人はまだ少女といってもいい年齢か。せいぜいが十代半ば。
 染めたような色ではなく、綺麗な茶色が映える長髪。腰近くまではあるだろう。
 可愛らしい容姿とは別で、表情は恐ろしいほどに冷たい。その腰元には二振りの剣が鞘に納められ、挿されている。

 もう一人は、少女よりもかなり年上の女性だった。
 切れ長の目とシャープな顎のライン。薄紫のショートヘア。年は二十代前半だろうか。モデルでも嫉妬するようなすらりとした細身の身体だが、恐らく百七十をゆうにこえる身長だろう。
 この女性は、少女とは比べ物にならない色気を醸し出している。男物のスーツを着ているが、それがまた女性の氷のような美しさを助長させているようだ。少女が剣を携えているが、女性は何一つ武器らしいものを持っていないのがアンバランスであった。

 彼女達が現れて、残っていた男達は安堵のためいきをついた。
 ようやく時間稼ぎが終わり、自分達の役目を達成させれたのだから。
 たいして、化け物は女性二人を見て、怯んだように後ろへ一歩下がった。

「な、なんで、こんな場所に、お前みたいなやつらが……【神速の踊り手】……【双剣使い】……」

 幻聴だろうか化け物の声には恐れが混じっているように聞こえた。
 人間を遥かに超えた化け物が、ただの女性と少女を恐れるなど可笑しな話だ。

「今回はお前が前衛にでろ。できるな、ツヴェルフ?」
「はい。お任せください。ドライ姉様」

 ツヴェルフと呼ばれた少女は腰元の双剣を抜く。
 重さなど感じていないように、軽々と構え、化け物を冷たい瞳で射抜いた。

「く、くそがぁああああああああああ!!」

 威嚇の雄叫びではなく、後悔と恐怖が織り交ざった遠吠えをあげ、化け物は疾走する。
 木のように太いその拳の一振りで人間を肉塊へとかえれる破壊力を秘めた一撃が、ツヴェルフに向かって放たれる。
 先程の反応できなかった男性のように、ツヴェルフはその拳の軌道を見つめていた。 

「【ツインブレイズ】」

 ツヴェルフが輝きを放つ。
 化け物の拳が届くより早く、純白に輝く翼が背中から出現。化け物の目をやくように発光した。
 それに怯んだ一瞬で、ツヴェルフは拳をかいくぐり、双剣を振るう。
 その域や、超速。圧倒的な速度と斬撃が化け物を切り刻んでいく。
 筋肉の塊であったはずの化け物が。銃弾をも気に留めなかった化け物が。
 反撃する隙さえなく、腕を、足を、斬り飛ばされ―――断末魔をあげる間もなく、首を斬りおとされた。

 ―――瞬殺。

 絶望が具現化した化け物は、まさに一瞬で斬殺されてその生涯を終えた。
 圧倒的な戦闘力を見せ付けられた男達は呆然とその光景を見ている。本当にあの化け物が殺されたのか信じられなくて。
 その光景をつくりだしたツヴェルフは背中に展開していた光の翼を消す。

「上出来だ、ツヴェルフ。お前も腕を上げたな」
「有難うございます。ドライ姉様」

 表情はかえないツヴェルフ。
 だが、どこかその嬉しそうに見えるのは勘違いではないはずだ。

「―――お前達は後始末を頼むぞ」
「は、はい!!」

 声をかけられた男達は無線を片手に化け物の残骸の処理を始める。それもナンバーズの仕事の一つだ。
 化け物の存在が公になれば、間違いなく世界は混乱する。完全には隠せなかった異端による事件も、普通の事件として報道すればそれは日常の出来事の一つとして誰にも疑問を残さないですむ。
 一般の人々が化け物の存在を認知してしまえば、確かに何も知らないよりは良いのかも知れない。だが、武器ももたぬ一般人がどうやって自分の身を守ればいいというのだ。
 ただ、恐怖するしかない。そして、その恐怖は疑いをうむ。もしかして、隣に住んでいる人間は実は化け物ではないのか、と。
 疑いは際限なく広がりやがて悲劇となる。そんな状況にならないためにナンバーズがいるのだ。化け物の存在を隠し、人々を守る。
 もっともそのような崇高な意思を持って行動しているナンバーズは数えるほどしかいないが。

 ―――パチパチパチ。

 男達が無線で話をする声しかきこえない中で、拍手が聞こえた。
 誰がした拍手だろうか。全く気配を感じさせずに、【彼女】はそこにいる。

「随分と成長しましたね?ナンバーズの数字持ちとして年若かったその少女も、随分と強くなりましたね?」
「……き、きさま!!」
「っ!?」

 ドライとツヴェルフ。
 二人がその女性の声を聞いた瞬間、その場から離脱。
 数メートル以上の間合いを取って、向かい合う。そして、二人の背中には光り輝く羽―――リアーフィンと呼ばれる―――を展開する。
 
 笑顔を絶やさぬプラチナブロンドを靡かせる魔人。
 二人の猛者の感覚に気取られることなく、天眼は間合いの中へ現れていた。戦慄するツヴェルフ。

「お久しぶりですね。三番さんと十二番さんでしたか?相変わらず夜の一族狩りをしているみたいですね」
「アンチナンバーズのⅡ……事実上の最大の人類の敵がこんなところでなにをしている?
「別に意味なんてありませんよ?ただ散歩にきただけです。ここらへんは私の散歩のコースなんですよ」
「……」

 目つきを鋭く。睨みつけるような二人の視線を受けても天眼の態度に変化はない。
 凄まじい重圧の殺気を放っても暖簾に腕押し。天眼は気にしたそぶりもない。

「冗談ですよ。そんなに怖い目をして欲しくないんですけどね」

 ふぅとやや小馬鹿にしたように首をふる。
 ツヴェルフの足に力が入り、地面を蹴りつけようとした瞬間―――。

「相手が悪いですよ?十二番さん?」

 背筋が凍った。
 睨みつけていたはずの天眼の姿が消失し、驚く暇もなく首元に手を添えられていたのだから。
 触るか触らないかの隙間をあけて、なでるように首に両手をあてている。
 息が詰まるような圧迫感。呼吸が出来ない。
 
 しかし、そんな圧迫感も一瞬で消えた。
 天眼はツヴェルフから大きく距離を取ったからだ。それと入れ替わるようにドライが先程まで天眼がいた空間を光り輝く爪で薙いでいた。
 ドライの両手に輝く太陽のような光をはなつ爪。リアーフィンの力によって生み出された、鉄をもたやすく切り裂くドライだけの武器。

「怖い顔をしても、何もしませんよ?今はまだ、ですけどね……」
「ここで決着をつける気か……?」
「決着?」

 何を言っているのだ、と天眼が呆れたような声をあげたが、ドライの険しい顔つきを窺い、再度ため息をつく。

「今回はそんなつもりはありませんよ?ちょっとした情報を伝えにきたんです」
「情報、だと?」
「貴女達が掴めないアンチナンバーズがⅥ。伝承墜とし―――彼の情報です」
「伝承墜とし!?」

 ツヴェルフが反射的に聞き返す。
 驚くのもむりはない。ナンバーズの情報網でも掴みきれていない伝承墜としの情報。
 それが本当ならば喉から手が出るほどに手に入れたい情報だ。人類最大の敵でもある伝承級の一桁台。
 その化け物のなかの化け物の情報が不明などあってはならないことなのだから。

「ここから遥か極東の国日本―――そこに伝承墜としは居ます。探してみるのも一興ではないですか?」
「……その情報を私達に伝えるメリットはなんだ?」
「メリット?そんなものどうでもいいです。結局貴女達は動くしかないのですからね?」
「っち……」

 ドライが舌打ちをする。
 実をいうとナンバーズと天眼は半協力関係にあるといえる。
 天眼は様々な夜の一族の情報をナンバーズに渡す代わりに、ある程度の行動は黙認されるのだ。
 ナンバーズといえど天眼と真正面からぶつかりあうのは、どれだけの被害がでるか判らない。それ故にどれ位昔からかもう忘れ去られているが、奇妙な協力関係にあるのだ。

「それではお二人とも……いずれ、【また】」

 再会を匂わせ、天眼は森の中へと消えていった。
 残されたドライとツヴェルフは暫くの間緊張をとくことはなかったが、完全に去ったのがわかると背中のリアーフィンを消し去る。

「……調べるしか、ないか。日本で任務をしている数字持ちはいるか?」
「確か……フュンフ姉様が向かっていたはずです」
「フュンフか。奴ならそう簡単におくれを取ることはあるまい。情報を回しておこう」
「わかりました。他に誰かむかわせましょうか?」
「……そうだな。フィーアとエルフにも伝えておいてくれ。差し迫ったアンチナンバーズへの対応もあるまい。念のため援護に回ってくれと」
「はい。わかりました」

 暗雲に覆われた空を見上げて―――ドライは不吉な予感を隠せずにはいられなかった。
 
  
  

























後書き+何か色々

忘年会とか色々忙しくなるので来週更新できるか微妙そうのため出来上がっているところまでアップさせていただきます。
なので来週は多分更新できません。できたらしますけど!!できればしたいですけど!!
ナンバーズとかそのままですね。皆気づいてそうですが1-12の数字もちはもろそのまんまです。
なのはの世界に恭也達がいるなら、とらハに彼女たちがいてもおかしくないかなーと。名前の呼び方は変わってますけどね!!容姿とかはそのまんまと思ってもらって結構です。
とらハの世界観に合わせるなら自動人形の方がそれっぽい気もしたんですが、HGS能力者のほうが色々な特殊能力持ちができそうなのでそうなりました。
お気に入りは【神速の踊り手】ドライ(3) 【爆殺姫】のフュンフ(5) 【星穿つ射手】エルフ(11)。ここらは出番多いかもしれません。



ちなみに今回のKYOYAも正直最強モード入ってます



[30788] 三章
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84
Date: 2011/12/19 23:49






















 入学式は特に問題も起こらず―――起きるはずもなく、つつがなく終了した。
 学生は各々の教室に戻り一時間ばかりのオリエンテーションが行われ、それが終わるとともに、帰宅という形となっている。
 運動系の部活が強い風芽丘学園では、早速将来有望な一年生を獲得しようと、それぞれの部活の二年生と三年生が部活動紹介という形で、一年生にアピールしていた。
 
 美由希はオリエンテーションが終わり、クラスメイトが教室から出て行ったあともまだポツンと机に座っていた。
 入学式でまだ初日ということもあり、様子見という態度で教室を去るクラスメイトも多かったが、人当たりのいい人間はすでに何人かと話に華を咲かせていたのだが、生憎美由希はどの輪にも入れていなかったのだ。美由希や帰って行った生徒以外にもそういったグループが何組か残ってはいる。
 はぁ……と深い深いため息をつく美由希。幼いころのある出来事が、人と深く接するという行為に歯止めをかけていた。それ故に、美由希も恭也と同じく友達は少ない。

 確かに寂しいとは感じる。同年代の少女達はきっと同性と色んな場所に遊びに行ったり、異性と付き合ったりするのだろう。
 素直に羨ましいと思ってしまうときもある。だが、これは自分で選んだ道。
 恭也とともに御神流を極めんとしているのは、幼いころの自分が確固たる意志のもとに―――選んだのだ。

 ―――決して後悔だけはしない。

 美由希が椅子から立ち上がり、廊下へとでようとしたとき、楽しそうに話していた女生徒の一人が美由希を見つけた。

「あ、えーと……高、町さん?気を付けてねー」
「は、はい。さようならです」

 まさか苗字を覚えているとは思わず引き攣った返事しかできなかった。
 愛想笑いを残し、教室をでていった美由希。まだまだ中から談笑する声が聞こえた。
 気が重くなったが、恭也や明。それにレンをまたせているかもしれない。そう考えた美由希が多少早歩きで階段へと足を進ませようとしたとき―――。

「っあぅ!?」

 ドンという何かとぶつかる衝撃が美由希に伝わってきた。
 そして、妙に可愛らしい声が聞こえ、眼前に舞う紙吹雪……いや、書類だろうか。転んだように廊下で尻餅をついているのは……一人の少女。胸元の黄色のリボンを見るところ新一年生だろう。
 バッサバッサという音を立てて少女の周辺は書類で埋め尽くされる。 

「あわわ……ご、ごめんなさい」

 少女は慌てて落ちた書類を拾い集める。小動物―――リスやハムスターのような雰囲気の少女だった。
 美由希よりも幾分か低い身長。髪の長さは一緒くらいだろうか。黒髪三つ編みの美由希に対して少女は茶髪のストレートをリボンで結っている。かといって染めているというわけではないようだ。とても綺麗な、茶色の髪なのだから。
 中学生と言っても通りそうな童顔の少女が謝りながら書類を拾っているのを見ると罪悪感がわいてくる。

「すみません。前をしっかりみてたらぶつからなかったのに……」

 少女と一緒になって落ちている書類を拾う。
 そんな美由希に対して、少女は申し訳なさそうに頭を下げた。

「いえ、そんなこちらこそ申し訳ありません」

 泣きそうな表情の少女はひたすら美由希へ謝ってくる。
 美由希は何か凄く悪いことをしたような気持ちになりながら一緒になって拾い、すぐに全てを拾うことができた。
 枚数を数えていた少女だったが、確認し終わった後パァっと笑顔を見せる。どうやらきちんと全ての書類があったらしい。
 
「あ、あの有難うございます。拾っていただいて……この御恩は一生わすれません!!」
「私が前に注意してればぶつからなかったわけですし」
 
 たかが拾ったくらいで一生の恩になるとは思っていなかった美由希だったが、なんとかどもらずにそう返すことができた。
 少女はぶんぶんと顔を横に振ると、書類を持ちながら器用に美由希の右手をつかむ。

「あ、あの……うちは如月紅葉といいます。一年C組なんですけど……貴女は?」
「えっと、高町美由希と言います。このA組ですね」
「高町、さん……本当に有難うございました」

 手を離し、ぺこりとお辞儀をする紅葉。
 美由希も太郎の時とは違いあっさりと自己紹介をする。紅葉と名乗った少女は太郎のような不吉な気配など微塵も感じないのだから当たり前といえば当たり前だが。

「おーい!!如月ー!!早く職員室にいっくよー」

 遠くから紅葉を呼ぶ声がする。
 声の方角には一人の女性―――というか少女としか表現しようがない身長の―――スーツを着ている女の子が居た。
 制服を着ていないということは、生徒ではないのだろう。
 まさか先生かとも思ったが、あの身長でそれはないだろうと判断する。それもその筈、遠目ではあるが百四十にも届かない……いいところ百三十五程度のちんまりさだ。

「あ、今行きますー鬼頭先生」
「先生!?」

 反射的に突っ込んでしまった。
 恭也相手にはよく突っ込みを入れるがあって数分の少女に突っ込みを入れることになるとは予想もしていなかった美由希だ。
 遠くにいたせいで鬼頭とよばれた―――紅葉の発言曰く先生は、聞こえていなかったのだろう。特に反論をするでもなく紅葉に向かって手を振っている。
 当然そばにいた紅葉は聞こえているわけで、苦笑しつつ、鬼頭の方へを歩いていく。

「鬼頭先生って身長のこと少し気にしてるので、あの人の前ではいわないであげてくださいね」
「あ、はい。すみません」

 優しく微笑んでそう告げた紅葉に思わず謝ってしまう美由希。
 なんとなく、そんな優しい雰囲気を纏っているのだ。目の前の如月紅葉という少女は―――。
 お辞儀をして去っていく紅葉を見送り、美由希も恭也達と合流するために階段をおりようとして、ふと気づいた。

「―――気配が、なかった?」

 ぽわわんと緩んでいた美由希の背筋が冷たくなる。
 そうだ。その通りだ。何故気付かなかったのだろう。
 美由希とて達人の域にいる御神の剣士。気配を消したり、気配を探ったりする術は学んでいる。いや、それは美由希の中では相当なレベルで行えると自負している。
 普段の恭也との鍛錬……及び実戦を想定した試合は広大な森林を利用する。ずっとそんな空間で試合をしていれば気配の消し方、探り方は嫌でも成長する。それこそ野生動物並みに。
 幾ら学校という場所で気を抜いていたからと言って、気付かないはずがない。感じ取れないはずがない。
 
 山田太郎。如月紅葉。

 この数時間足らずで得体のしれない人間に二人も会ったことに言いようのない胸騒ぎが美由希を襲っていた。
 その胸騒ぎを振り払いつつ美由希は一階へと向かう。
 まだ結構校内に生徒が残っているのか、多くの生徒たちとすれ違う。校舎から出ると、校門までの道が生徒で埋まっている。まさに雲霞のごとし。
 道の両脇では各運動部がそれぞれ勧誘活動を行っているようだ。一人でも多くの新入部員を得ようと、熱心に勧誘している様子は見ているこっちがひきそうなほどだ。
 恭也達はどこにいるだろうかとキョロキョロ周囲を見渡すが、人が多すぎて流石にすぐには見つけられない。
 待ち合わせ場所をきめておけばよかったかなと少し後悔する美由希だった。携帯電話は生憎と家に置いてきている。風芽丘学園では携帯の持ち込みは禁止されているからだ。もっともそれはほとんど建前であり守っている生徒の方が少ない。
  
「っ!!」

 嫌な予感を感じ、その場から前に飛ぶ。
 振り返ってみれば、先ほどまで美由希が居た場所で恭也が驚いた顔で固まっている。
 鍛錬の時ほどに集中していなければ気付けなかった僅かな気配を出していた恭也の奇襲―――というには大げさだが―――に反応できたことに恭也が驚いているようだ。
 日常の美由希ならば間違いなく気付けなかったであろう恭也の気殺に反応できたことは、恭也の予想を上回るものだったのだろう。幾ら美由希が気づく機会を与えるために僅かな気配を敢えて出していたのだとしても。 
 でなければあの鉄面皮の恭也がここまで表情を表に出すようなことはしないはずだ。
 立て続けに尋常ではない二人にあったせいで神経が過敏になっていたようだ。それ故に恭也の気配に反応することができた。

「くっ……まさか、お前に気づかれるとは……」
「ふふん。私だって成長しているんだからね!!」
「ぐぅ……死んだほうがましなくらいの屈辱だ」
「そこまで言わなくても!?」

 酷い落ち込みようの恭也に対して鋭い突込みを入れる。
 一体どれだけ凹めばいいのだろうか。ずぅんと効果音が聞こえるほどに恭也は暗い顔をしていた。
 
「おししょー。元気出してください。そこは美由希ちゃんの成長ぶりを喜べばいいんじゃないですかー?」
「うわっ!?」

 今度驚いたのは美由希のほうだ。気配を悟らせずに、レンが美由希の背後にいたのだから。
 別に気配を消していたわけではない。普段の恭也と同じように気配を一般人レベルまで落としていただけだ。
 そのため、美由希は背後にいたレンをただの一般生徒と知覚していたのだ。
 
「それもそうだな……」
 
 レンの励ましになんとか立ち直る恭也。
 そんなに落ち込むのなら完全に気配をけして仕掛けてくればいいのにと美由希は思わなくもなかった。 
 それにしても問題は―――レンだ。

 美由希に気づかれないほどの気殺をあっさりとやってのける中学一年生。
 そんな使い手が果たして日本全国を探し回った所で見つかるだろうか。少なくとも美由希は年下でありながら勝敗がどう転ぶかわからない相手をレン以外知らない。
 この少女は美由希をして―――底が見えない。
 どれほどの実力を隠しているのか、掴めないのだ。全力を出している時を見たこともなく―――晶との戦いの時も一目で手を抜いているのがわかる。
  
「美由希ちゃん……うちの顔なんかついとる?」
「え?ご、ごめん。なんでもないから」
 
 まじまじと注視していたのだろう。レンが自分を見つめている美由希を不思議に思って首を捻る。
 流石に不躾だったかとちょっと反省する美由希だったが、恭也とレンだけしか見当たらない。
 
「あれ、晶はー?まだ来てないの?」
「ああ、晶か?晶ならあそこだ」 

 恭也が指差す方向―――校舎の影になるような位置に大きな木がはえている。
 その影に一人の少女が倒れていた。どう見ても晶です。ピクピクと痙攣しているのが遠目でもわかる。

「えっと……どうしたの、晶?」
「まぁ、何時ものことだ。お前を待っている間にレンと晶が少しな」
「あ、あははー。一応他の人の邪魔にならないよー気をつけて相手したんやでー、うち」

 美由希にたいして弁解するようにレンが両手を顔のまえでわたわたと振りながら答えたが、周囲の生徒達が妙に三人……いや、レンをちらちらと見てきていた理由に納得した。
 恐らくだが、美由希が来る前に何時もの如くレンと晶の言いあいが勃発。家ならいるストッパーこと高町なのはがいなかったために段々とエスカレートしていき、何百回目になるか分からない拳での語り合いになったのだろう。。
 恭也と美由希ならばもはや見慣れているためなんとも思わない戦いではあるが、良く考えたら一般人がみたらとんでもない光景だろう。
 何故ならレンと晶の戦いは現在レンの完全勝利で終わっているが―――大概その戦いの終結は寸頸による一撃で意識を奪われてか、四肢の動く力を奪われてである。
 ちなみに年若いレンではあるが、その錬度は計り知れず、晶の身体が数メートル近く吹き飛ばされるため、知らない人が見たら目を丸くすること間違いない。

「外に居る時はほどほどにしないと駄目だよー?」
「入学式のせいでテンションあがってたんかなー。何か何時もより晶をとばしてしもーたんや」
「うわー。それなら回復に時間かかっちゃうかな?」
「いいのいれてもーたし……数分くらいはかかるかもしれへんなぁ」

 大声で話すわけにもいかず、互いの耳元で囁くように会話をする。
 そうこうするうちに人混みの向こう……校門近くで桃子とフィアッセが恭也達をまっているのを見つけた。特にフィアッセはブロンドの髪の超絶美女。
 少年達はあまりの美しさに魅了されたようにみつめ、少女達は憧れのような視線を向ける。
  
「いててて……」

 恭也含む三人の視線がフィアセ達から悶絶していた晶へと移った。レンの目が大きく見開く。
 相当に良い一撃をぶちこんだというのにもう起き上がってきたのだ。普段だったならば手加減しているので納得できるが、今回は手加減を忘れた寸頸だったはず。
 だというのに、回復に数分程度は要すると判断していたレンの予想を遥かに上回り、一、二分足らずで復活する晶に驚きを隠せない。
 晶の回復力は評価していたが、どうやらそれでも過小評価だったらしい。
 何事もなかったかのように、駆け寄ってくる。

「じゃれ合いは、家まで取っておけ。これ以上は迷惑になる」

 レンへとリベンジを果たそうと拳を握り締めてた晶とそれを迎え撃とうとしたレンの間に恭也が割ってはいる。
 恭也に止められてしまったならば、二人が戦いを始めるわけにもいかず、レンと晶は大人しく拳を引く。
 だが、二人の間で視線が火花を散らしたような気がした。

「よー、高町。もう帰るのか?」

 そこに割って入ってきた男の声。
 片手をあげて挨拶をしてきたのは、恭也よりも頭一つ高い身長の美青年だ。
 風芽丘学園の制服ではなく、清潔な白い胴着と袴を着こなし、手には竹刀を持っている。

「ああ。家のほうで入学祝をやるんだが……お前もこないか、赤星?」
「んー。是非に、と言いたいんだが今から剣道部の演舞があるからなぁ。ちょっと厳しいかもしれない」
「そうか……。開始は夕方くらいからになると思うし、時間があったらきてくれ。歓迎するぞ?」
「ああ。こっちが早く終わったらお邪魔させて貰うよ」

 赤星と呼ばれた青年は笑いながらそう答えた。青年は赤星勇吾。恭也の唯一といっていい男友達で、風芽丘学園の剣道部を全国クラスへと導いた強者である。
 草間一刀流剣道の使い手で、剣道部の部長も務める文武両道な好青年だ。ちなみに剣道の方は個人戦で全国十六という成績を残している。もっとも昨年は大会前に負った怪我の影響がありながらもその成績を残したので怪我さえなければより上位へくいこめたのではないかともっぱらの噂である。
 
「勇兄も後できてよー」
「ははは。行けたらいくよ」

 赤星と晶の仲はいい。実の兄妹なみにといってもいい。いや、兄弟かもしれない。
 晶の通っている空手道場と赤星の通っている剣道道場がすぐそばにあり、二人の家自体も近所のため昔からの付き合いらしい。
 赤星も来てほしいという晶にポンと頭を軽く撫でて去っていく。そろそろ演武が始まるようだ。

 普段だったら少しでも演武を見学していっただろうが生憎と今はフィアッセや桃子を待たせている。
 あまり時間をかけてもいられないので、その場から去ろうとした恭也の視線が、人混みの中から知り合いを見つけ出した。
 今年も同じクラスになった―――月村忍だ。

「月村。今帰りか?」 
「あ……高町君。うん、今から帰るとこ」

 儚げな笑みをかすかに浮かべ忍が答える。
 そこでふと思い出す。忍は幼いころに両親を亡くし、今は家で使用人と二人で過ごしているということを、世間話をしているときにポロっと本人が漏らしていた。
 その影響だろうか、忍はクラスメイトとも碌に話もしない。辛うじて会話をするのが恭也くらいなのだ。最も恭也自身も会話をするのが赤星と忍と藤代の三人しかいないのだが。

「あー、月村。今日は夕方くらいから予定はあるか?」 
「え?うんと……特には、ないかな」
「そうか。実をいうと俺の妹達が本日めでたく風芽丘と海鳴中央に入学したわけでな。この二人がそうなんだが」

 横に立っていたレンと美由希の肩にひょいっと手を回す。
 それにビクリと過敏に反応する二人。訝しげな恭也だが、二人にとっては心臓がバクバク激しく胸を打つような大事件だ。

「そうなんだ……おめでとう」
「「あ、ありがとうございます」」 
 
 綺麗どころはフィアッセで見慣れている二人だが、忍もまた尋常ではないほどの美貌。
 フィアッセを太陽とするならば忍は月。対称的な美しさを醸し出す美女同士である。二人して微妙にどもるように返事を返す。

「ささやかだが祝いの席を設けることになっている。良かったら月村もどうだ?」
「―――え?」

 思ってもいなかったことを聞かれ、呆けたような様子の忍。それもそうだろう。
 まさか恭也から誘いの言葉を聞けるとは予想だにしていなかった。
 十数秒も呆然としていただろうか、忍はやや困ったような笑顔を浮かべ、首を軽く振る。

「お誘いは嬉しいけど―――身内の集まりじゃないの?私が行っても邪魔になっちゃうよ」
「そこは心配しなくても大丈夫だ。完全に身内だけというわけでもない。レンと晶……と、この二人の知り合いも来ることになっている。それに俺と月村のクラスメイトでもある赤星も恐らく来るだろう」
「ええっと、でも……そんなに人は入るの?」
「ああ、心配するな。翠屋―――という店を知っているか?」
「え、うん。海鳴で知らない人は多分いないと思うけど……」
「実はそこは俺の母が経営している店なんだ。夕方からそこを貸切させてもらうというわけだ。だから心配しなくても良い」
「ええっそうなの?」

 本当に驚いたような月村に恭也が頷いて答える。
 まさか恭也があの翠屋の経営者の家族だったとは。今日は予想できないことのオンパレードである。

「迷惑かもしれないが、来てもらえたら―――嬉しい」

 照れたような恭也の表情と発言。
 そばで見ていたレンと晶と美由希はレアすぎる恭也の様子に、自分達の頬をつねっていたりする。
 レンはちなみに横にいる晶の頬をつねっていたが……。
 イテテ、と泣きそうな声で痛がった晶がレンに向かって拳を繰り出すが、片手で受け止め投げ飛ばす。
 受け身も取ることも許さず地面に叩き付けられる晶を見て周囲の生徒達がさらにひきはじめた。
 忍はすぐそばでそんなことがあったというのに目にも入らぬように驚いたままだ。

「本当に、いっていいの?」
「ああ。男に二言はないぞ?」
「……それじゃあ、お邪魔させてもらおうかな」
「歓迎する。大体夕方の六時くらいから始める予定だからそれを目安できてくれ。翠屋の場所は分かるか?」
「うん。何回も行ったことあるから大丈夫だよ」
「分かった。では、また夕方に翠屋で会おう」
「―――うん、有難う。高町君」

 忍が嬉しそうな様子で別れを告げ、校門の方角へと向かい、途中でスーツ姿の女性に声をかける。
 先日見た、自動車で迎えに来た女性のようだ―――遠目だが確かにそうはっきりとわかった。
 今日も自動車で迎えに来てもらったのだろうか。二人は連れ添って敷地から姿を消していった。

 一方受け身も取れず地面に叩き付けられた晶は、痛みで転がりまわっていたようだがすでに復活。起き上がりざまにレンへと襲い掛かる。
 やる気満々な二人に対してため息を残しつつ、恭也が割って入り、飛び掛かってきた晶の拳を掴み回転。一回転した晶を羽毛を落としたかのようにゆっくりと地面に立たせる。
 襲い掛かってくる晶に対してカウンターを合わせていたレンの腕も掴み晶と同じように一回転。二人ともを立たせた後に、両者にデコピンを打ち込む。
 脳まで響く痛みというか、衝撃を受け額を抑えるレンと晶。あまりの早業のため周囲の一般生徒は何が起こったのかすら分かってはいなかった。それを狙って恭也は動いたのだろうが。

「いい加減にしておけ。そろそろ帰るぞ?」
「うう……その痛みを分かるだけに二人とも頑張れ」
「い、痛いですよぉ……おししょー」
「普通に殴られるより、痛いってどんだけですか」

 涙目な二人と苦笑いな美由希を引き連れて―――恭也達はようやく高町家へ帰宅するのであった。
 車で来ていたフィアッセのおかげで非常に楽に高町家まで帰宅することが出来た。フィアッセが運転するのだから大概の人は軽自動車のような可愛らしいモノを想像するが実際は違う。
 大人数が乗車できるワゴンを運転するのだ。しかも、運転をする時妙にハイテンションになるのが少しというか、凄く怖い。
 一度本人に聞いたところ緊張しすぎて―――緊張を振り切ってテンションがあがってしまうだとか。

 高町家についた後、庭を背景に皆で記念撮影をする。すでに風芽丘学園の校門でとったのだが、可愛い娘達の写真を残しておきたいという桃子の親心だろう。
 桃子とフィアッセと恭也が代わる代わる写真を撮り、ようやく満足した桃子。
 そして各々それぞれの部屋に戻り私服に着替え、リビングに集合する。晶と美由希はソファーに座りテレビをゆったりと見始め、レンはキッチンへと向かった。本日の昼食の当番はレンのためである・
  
「それじゃー、私とフィアッセは翠屋いくからねー。六時前にはちゃんとくるのよー?」
「おくれちゃ駄目だよー。恭也」
「……何故俺限定なんだ、フィアッセ」
「ふふ。日付を間違えちゃった前科が昨日あったばっかだよー」

 チョンと恭也の鼻先に人差し指をくっつけて優しく微笑むフィアッセ。昨日しでかしたばかりの大ポカを指摘されて反論の余地はない。
 しばらくこれはいじられそうだ、と先日までの己の迂闊さを後悔する恭也だったが、自業自得のため素直に頷くしかなかった。

「―――まぁ、それはおいといてだな。良かったら手伝おうか?」
「んー。今日は三時にはもう閉店するし大丈夫かしらね。ピークも過ぎたでしょうし」
「うん。気を使わなくても大丈夫だよ、恭也」
「そうか。それなら別に大丈夫そうだな」

 忙しくなったら電話するわ、と言って桃子とフィアッセが翠屋へと出勤していく。
 仕事とはいえ高町家の家計を支えてくれる桃子に感謝しかない。
 そんな恭也の思考とは別に台所からはなにやら燃え上がるコンロの炎。中華の達人にして炎を支配する料理人レンが手際よく昼ごはんを作っている。
 基本的に朝は桃子か晶。夜がレンか晶かフィアッセなのは納得できる当番だろう。
 幾らレンの料理が美味しかったとしても―――朝から中華は重すぎる。食べれることは食べれるだろうが……どちらかといったら米が食べたい日本人の恭也である。

 料理は口を挟む余地もないため恭也は久々に自分の息子達を世話しようと庭へ出る。
 先程写真を撮ったときに見てから気になっていたが、庭の一角にならべてある息子達―――普通の人間は盆栽と呼ぶ―――を腕を組んで眺める。
 春合宿で随分と長く放置してしまったことを気に悩んでいた。若い男、しかも高校生が盆栽の前で考え込むというのも正直変な話だろう。
 何故盆栽に嵌ってしまったのか……どうせならもっと若者趣味にはしればよかったのにと桃子達によく言われるが、盆栽に嵌ってしまったものはしかたない。
 逆に何故精魂尽くして世話をした大事な息子達の良さをわかってくれないのだろうか……と不思議に思ってしまう。
 
「師匠覚悟ぉぉぉおおおおお!!」
「……はぁ」

 そんな恍惚としていた恭也の耳に晶の雄叫びが聞こえ―――。
 縁側から飛び降りて突っ込んできた晶の右拳を振り返りながら流しつつ、晶の腹部に蹴りを入れ、蹴り足をそのままに身体を反転させて地面にたたき落とした。
 盛大な音をたてて叩きつけられる晶が、痛みに悶絶をしている。恭也からしてみれば随分と手加減をした―――御神流体術の一つ猿落とし。
 レンから普段お猿お猿と呼ばれている晶にかける技としては皮肉がきいている。
 
「全く。何度も言うが声をだして襲ってきたら、奇襲にならんぞ?」
「……ぅぅ。それは分かってるんですけど……奇襲は俺の性に合わないというか……」
「お前は相変わらず正直だな」

 地面に転がっている晶に手をさしのばす恭也だが、晶はちょっと躊躇しながらもその手を握り締める。
 たいした力も入れずにヒョイっという感じで晶を立ち上がらせると、庭の砂で汚れた背中を払ってやる。少し緊張で硬くなっている晶だったが、先程蹴りを入れられて叩きつけられたというのにもう平然としている。
 幾ら恭也が手加減をしていたとはいえ相変わらずの回復力は目を見張るものがある。そこは美由希やレンを遥かに上回るものがあるのだが―――今日だけで一体なんど地面に転ばされているのだろうか。

「晶……強く生きろ」
「え?わかってますって、師匠!!」

 慰められた晶だったが、どこをどう理解したのか分からない返事を強く返す。
 えへへっと照れたような笑顔の晶を見て、絶対わかっていないと、不憫になる恭也だった。
 
「きょーちゃーん。御飯できたってー」
「ん?ああ、わかった。行くぞ、晶」
「……次こそは一撃入れて見せますからね、お師匠」

 気合を入れる晶を伴って、リビングへと戻る恭也。
 テーブルには湯気をたてる様々な中華料理が皿に盛られていたが、果たして四人で食べ切れるのかと疑うほどの量であった。
 普通の四人ならば食べ切れなかっただろうがここにいるレンを除く三人は実を言うとかなり大食漢なのだ。特に晶と美由希は運動量も多いせいか細身なのに、女性にしては平均よりも随分と食べる。
 レンの見事な料理なのもあいまって、次々と皿にのっている料理は消費されていき、残すことなく―――完食。
 満足そうに腹をさする恭也の前に熱い緑茶が注がれた湯のみが差し出され、礼を述べ受け取った。
 旨そうに飲む恭也を見て、レンが恭也以上に満足そうにしているのは気のせいではない。レンにとって恭也が食べて満足してくれれば、これ以上嬉しいことはない。

 その時、高町家の電話が音をたてる。
 こんな時間に電話がなるとは珍しいと思いつつ一番近くにいた美由希が席を立とうとして―――それより早く恭也が電話を取っていた。

「もしもし。高町です―――」
『あ、きょーや?丁度良かったわー。てっきりまた鍛錬にでもいったんじゃないかと思ってたから』

 受話器ごしからでもはっきりと分かる、一家の大黒柱の高町桃子からの電話だった。 
 だが、鋭い。恭也は御飯が終わったら軽く汗を流しに行こうと思っていたからだ。どこか近くで見ているのではないかと少しだけ疑いを持ってしまう。

「―――店が忙しくなったのか?」
『あー、そういうわけじゃないのよ。昼に忙しかったみたいで―――夜の分がちょっと足りなさそうなのよね。その分を買ってきてほしいんだけど、大丈夫?』
「ああ。それなら問題ない。買いに行ってこよう」
『さすが、恭也!!えっと、買ってきてほしい物は―――』

 桃子の言ってきた食材と数量をメモ帳に書き写すと、受話器を置きリビングへと戻る。
 こういう時のためにと引き出しに隠してある高町資金からお金を借り受けた。

「誰からだったのー?」 
「ああ、かーさんだ。夜のために材料を少し買ってきて欲しいと、な」
「あ、そうなんだ。私も一緒に行こうか?」
「いや、問題ない。それほど量も多くなさそうだしな。それよりお前は飛針と鋼糸の練習でもしておけ。どんな状態でも思ったとおりに扱えるようにしないと実践では使えんぞ?」
「う……耳が痛いお言葉です」
「レンに晶。そういうわけだ。ちょっと出てくる」
「いってらっしゃいです、おししょー」
「はーい。気をつけてくださいね、お師匠」

 しょぼーんと落ち込む美由希と元気な二人をリビングに残し、恭也は財布だけ持つと玄関をくぐる。
 太陽の光が眩しい。ぽかぽかとした陽気が心地よく、自然と足の運びが軽やかになった。
 雲ひとつない晴天。見渡す限り続く青空が、空の果てまで続いている。

 恭也は夏はあまり好きではない。かといって冬もそう好きではない。
 大抵の人がそうだというように春と秋を好んでいた。

 というのも、理由は簡単だ。
 別に暑さや寒さが嫌いというわけではなく、長袖を着ていても人目をひかないということだからだ。恭也の身体には様々な訓練や死闘の果てについた消えることのない傷跡が刻まれている。
 傷だらけの身体を晒して、じろじろと他人から見られるのは流石に気分的に良くない。むしろそれで気分が良い人間がいるとしたらそっちのほうが怖い。

 一際心地よい風が吹く。
 冬ならば吐く息も白かっただろうが、今はそんなこともない。恭也は足早に海鳴の商店街を歩く。
 平日ということもあってか商店街を歩いている人々は主婦が多い。かといってそういった女性ばかりでもなく、入学式や始業式を終えた若い学生達も多く見られる。
 主婦達は夕食の買い物にでもきているのだろう。手には買い物帰りなのか食料がはいった袋をひっさげている。対して学生達はどこかへ遊びに行こうとしているのか、忙しそうに友達と海鳴駅へと向かっている。

 その中には多少顔見知りの女性も混じっていた。
 恭也は海鳴では有名な翠屋の店長である桃子の息子なのだ。
 小学生の頃から剣の修練の合間に時間があれば手伝っていたので、その頃から見知った常連客も多い。
 そういった人たちに会釈だけして歩きさる。
 主婦達の会話に混じれるほど多弁ではないのを自覚してはいるし、桃子から頼まれた買出しもあったからだ。

 何時も買出しに行っている商店で頼まれたものを買い、御礼をいって店を辞する。
 幾つかの店舗を回り、大した時間もかからず頼まれたもの全てを買い揃えた。

 後は翠屋にこれを置きに行くだけとなった恭也の耳に複数人の若い男と少女の話し声が聞こえてきた。
 そちらの方向に眼を向けてみれば、どうみても真っ当とはいえない髪型と格好をした少年達と、中学生……見ようによっては小学生程の身長の少女が居た。
 少女は、白髪……いや、綺麗な銀髪といえばいいのだろうか。あの【銀髪の小悪魔】を思い出させる美しいプラチナブロンドであった。
 腰元ちかくまでその髪を伸ばし、ファッションなのだろうか、右目に黒い眼帯をしていた。
 その眼帯だけが少し妙な印象を与えるが、それ以外は可愛らしい少女である。

「すまない。ここに行きたいのだが……」
 
 そう言って少女は少年達に持っていた地図を見せる。
 少年達はその地図を見ていたが、暫く考えて互いに顔を見合わせた。

「えーと……その場所なら案内してやるよ。こっちからのほうが近いな。ついてこいよ」
「ああ。助かる」

 少年達が入っていったのは商店街の裏道へと続く道であった。
 そちらは人通りも少なく、薄暗い道ということもあり、海鳴の人間ならあまり利用しない通路である。
 だというのに、少女は何の疑いも無く少年達についていった。
 それを止めようとする人間はそこにはいない。それは、少年達が札付きの不良ということもあり自分に被害がくるのを恐れたからだ。
 自分に被害がくるかもしれないのに止める勇気を持つのは難しい。見てみぬふりをしたとしても責められないだろう。
 
「……まずい、な」

 少年達と少女が裏路地に入っていったのを遠目で見た恭也だったが、嫌な予感がして後を追うように足を速める。
 不吉な予感がした。あの少年達と少女を放置しては取り返しのつかない事態になってしまうという予感。

「あら、恭也くんじゃないの?大学はもう終わったのかしら?」

 それを振り払うようにして後を追おうとした恭也の足を止めたのは背後からかけられた声だった。
 振り返ってみれば恭也の後ろの店から丁度出てきた中年の女性がいた。その女性が恭也に声をかけたのだ。
 高町家の近所に住み、昔からの付き合いのある女性だ。恭也も小さい頃から面識がある。
 いい人なのだが、異常なまでに話好きなのだ。それがこの状況では大いにマイナスに働いてしまう。
 
 ズキリと首筋が痛んだ。
 何か良くないことがおきる場合の第六感ともいうべきモノ。
 科学的根拠など一切無いが、この予感は幾度と無く自分の危機を救ってきた。だからこそ信じるに値する。
 
 はやく行かなければ―――。

 そう。はやく行かなければ不幸が舞い降りる。

 【彼ら】に最悪の不幸が―――。

「……申し訳ありませんが少し用事がありまして。失礼します」
「あら、そうなの?また今度翠屋に行くわね」
「お待ちしています」

 不吉な予感に背中を押されるように、女性の話の切れ間に割って入り終わらせることに成功した。
 それに思わず拳を握る。
 一礼して、女性から離れると先程少年少女が消えていった裏道へと恭也も走る。

 薄暗く、汚れも目立つ裏道は狭くほとんど一本道といってもいい。
 走っているとすぐに二手に分かれる通路となっていた。
 どちらに行ったのか一瞬悩む恭也だったが、意識を広げるとあっさりと気配を捕まえることが出来た。

 ―――異様な圧迫感を持った気配。
 
 何の躊躇いも無くその気配の方向へと向かう。
 幸いそれほど離れてはいない。
 一際不気味に蠢く気配に近づいていくと、恭也の耳に少年達の声が聞こえた。
 
「お嬢ちゃんもあまり俺達みたいなのにほいほいとついてくるもんじゃねーぞ」
「全くだ。世間知らずもいいとこだぜ。俺達じゃなかったらどうなってたことか……」

 笑いながらそう少年達が少女に注意をしているのだろう。
 確かに少年達の心配も最もだろう。
 少年達は内面はともかく外見はいかにもそこらへんにいる不良となんら変わらない。
 そんな自分達に道を尋ね、何の疑いも無くこんな裏道についてくるという少女が不思議で仕方ない。
 
「……その言い方だとお前達は私に何もしないのか?」
「へ?」

 少女の真面目な問いに一瞬言葉が詰まる少年達。
 まさか少女の口からそんな言葉がでるとは思ってもいなかった。
 てっきり世間知らずのお嬢様かとおもっていたが、少女の口ぶりからまるで何かされるのを分かっていたかのような―――。

「ああ、何を考えてるのかわからんでもないけど。しないしない」
「俺達はさすがにそんなことはなぁ……」
「んだな。っと、ほら、そこを出れば目的地のすぐ近くに出るぞ」

 ガラが悪くも、親しみを感じさせるような笑みで少年達は、少女を送り出そうとする。
 この光景を一般人が見たら少年達への偏見を捨て去ったかもしれない。何時も優しい人が良いことをするよりも、素行が悪い人が良いことをしたのを見た時のほうがインパクトがある法則だ。意外と優しい所があるのだと感心したかもしれな。
 
 少年達に未来があったのならば―――。 
 
「残念だ。お前達が救いようのない悪党だったならば―――私の心も痛まなかったぞ?」
「ん?お前何を言って―――」

 狭い路地裏が軋みをあげる。
 燃え立つように少女から放たれる殺気。それなりに喧嘩で場慣れしている少年達でも震え上がるほどの威圧。
 凶悪な重圧が身体中から迸る。言葉で例えるならば、燃え盛るような炎のような少女。
 少年達に、この場に居ては危険だという気配を言葉よりも雄弁に、焼け付くように伝えてくる。

「すまないな。少しばかりお金に余裕が無くて―――貸して貰うぞ、お前達の命ごと」 
「ああ、すまない。ここにいたのか」

 煮えたぎった殺気の世界を押し潰すように恭也の声が路地裏に響く。
 驚いたかのように少女が奥からあらわれた恭也に振り向く。この場に自分達以外がいるとは思ってもいなかったらしい。
 重圧から解放された少年達は少女と恭也の二人を交互に呆けたように見比べる。

「君達。案内してもらって助かった。この娘は俺の知り合いでな。探していた所なんだ」
「あ、ああ……」
「礼を言う―――だから、もう行くんだ」

 真剣な様子の恭也の視線に無言で頷くしかなく、少年達は逃げるように路地裏から飛び出していった。
 救われたのだ、少年達は。恭也が声をかけたことによって、未来を掴み取れた。
 その事に気づかないまま、少年達は姿を消した。いや、本当は気づいていたのかもしれない。目の前に居た少女の危険性に……だからこそ、有無をいわさず飛び出していったのだ。
 
 逃げ去っていった少年達には一切の注意を払わずに、少女は恭也のみを注視する。
 例え少年達にのみ気をやっていたとはいえ、自分に僅かな気配も感じさせない男に油断なっできるはずもない―――例え両手に買い物袋を引っさげていたとしても。

「貴女が何者かは分からない。だが、こんな真昼間に人を消そうとするのはいただけないが?」
「……あのような輩は社会的にも消しても問題ないと教えられたのでな」
「誰がそんなことを……」

 頭が痛くなる恭也。一体誰がそのようなことをこんな年端も無い少女に教えたというのか。
 ろくな人間ではないだろう。

「そんなことをすればここ日本では大問題になるぞ?」
「問題ない。組織の力をもってすればそれくらい幾らでも揉み消すことが出来る」
「―――組織?」
「っ……」

 聞き返す恭也に、しまったという顔をする少女。
 あまり触れては欲しくない話題のようだ。答えることも無く、少女が両手を広げ恭也から少しばかり距離を取る。 
 だが、恭也とて裏の世界に足を踏み入れてるもの。そちらの世界の情報はそれなりに持っている。
 少女の幼い容姿。白銀の髪。組織。爆熱のようにあふれん気配。
 それを組み合わせれば―――少女の正体の察しがついた。 

「……忘れろ。それ以上私に関わるならば、命の保証はできん」
「まさか、貴女はナンバーズか。聞いたことがある―――数字持ちの中に年若き少女がいると。白銀の髪を靡かせ、あらゆるアンチナンバーズを撃破せしめるもの―――爆殺姫」

 恭也の返答に少女の眉が釣りあがる。
 ただの一般人が知っていい情報でない。つまり、恭也はこちらの世界の住人だということを理解した。
 それならば、少女がこれ以上自分の正体を隠す必要はない。 

「……お前が何者か知らんが、私と関わりあった不運を嘆け」

 レンほどに小さな少女だというのに―――その気迫は異様であった。桁外れといってもいい。
 年齢的にやはりレンと同じ程度にしかみえないが、その年齢でここまでの気迫を纏えるのは規格外だ。レンとはまた違った圧倒的な威圧。確実にこの少女は、幾人幾十人もの命を奪ってきている。

 ―――やはりこの少女は―――。
 
 圧縮される。少女の赤く幻視できそうなほどの灼熱のオーラ。
 数メートル離れている恭也を、焼き焦がさんと熱く膨れ上がっていく殺気。
 
 ―――ま、ずいか。 

 背中を伝わる寒気。
 このままここにいたら、ただでは済まない。
 そんな予感めいたことを恭也は感じた。ここまで必殺の気配を感じたことは久しい。
 ナンバーズの数字持ちと出くわしたことは未だかつてなかったが、実際に会って、アンチナンバーズが恐れるのも納得できる。それほどの圧迫感を伝えてきた。
 
 赤く燃える。燃える。燃える。
 少女の背中から赤く、朱く、紅く、ただ真紅に染まった二対の翼が出現する。
 炎で出来ている……そう言われたとしても納得できるほどに、純赤であった。

「我が名はフュンフ―――お前を消す者の名だ」

 そして、赤が弾けた。
 今までの重圧が消え去り、そこは平穏を取り戻している。
 不思議に思った恭也だったが、すぐさまに理由が分かった。フュンフと名乗った少女が、その場に倒れていたのだ。地面に四肢をなげうって、海からあげられた魚のように。
 
「……お、お腹減った……」
「……」

 流石の恭也もその呟きにどう返していいかわからず、沈黙しかない。
 殺気を向けてきた相手とはいえ、戦う前にいきなり倒れ、しかもお腹減ったといわれ始末。
 本気でどうしようかと悩む恭也だったが……。

 買い物袋に手を突っ込み、林檎を鷲掴みにして取り出すと倒れているフュンフに近付ける。
 顔だけ上げて恭也の手に乗っている林檎を見た瞬間、立ち上がり掴み取るとかぶりつく。
 まるで一週間断食していた人間のように、一気に林檎を食べつくす。驚くことに芯さえも残していない。
 それを見た恭也は袋からまた林檎を取り出して渡す。それをまた取り上げるように奪うと一心不乱に食べ続ける。
 まだ足りないのだろうが、少しは腹の足しになったのか、ようやく落ち着いたように深くため息をついた。その表情は恍惚としていて、フュンフは呆けるように恭也を見つめる。

「……お腹が減っているのか?」
「……ん」

 まだ呆けているのかコクンと顔を縦に振る。
 それを見た恭也は財布に残っている金額を思い出し―――。

「これ以上手を出さないという約束をしたら食事をご馳走しよう」
「……!!約束する!!約束します!!約束させてください!!」

 凄まじい勢いで恭也にすりよってきた。
 そんなフュンフを見てどれだけお腹が減っていたんだ、と心底不憫に思いつつ、フュンフを連れ立って路地裏から出る。
 周囲を見渡すと平穏そのもの。路地裏であった出来事が幻のようだが、横にはしっかりとフュンフという現実の少女がいた。
 とりあえず、すぐそばにあった喫茶店に入り、ウェイトレスに案内され席に座る。向かい合うように座ったフュンフが早速メニューを開きどれを注文するか迷っているようだ。その光景は兄妹のように見えて傍から見ていたら微笑ましいだろう。
 
「……遠慮せずに注文していいぞ?」 
「!!」

 本当にいいのか?と目で訴えてきているフュンフに頷くことで返す。
 キュピーンと目が光った気がした。そして、注文を聞きにきたウェイトレスを捕まえて―――。

「やきそばにオムレツにミートスパゲッティにナポリタンにカルボナーラにハンバーグにカツサンドに―――」

 兎に角注文をしまくるフュンフを見て―――お金足りるかなぁと本気で心配をする恭也。
 ウェイトレスもマシンガンのように注文し続けるフェンフに注文表を書くのに追いつかず、あわわと慌て始める。 
 これ以上は、と思った恭也はフュンフの持っていたメニューを取り上げると届かない位置に置く。それを不満そうに頬を膨らませて抗議するが、財布の中身と相談した結果もはや崖っぷちだ。
 
「以上でお願いします」
「は、はいー。わ、わかりました」

 パニックになっていたせいだろうか、注文を繰り返すことなく厨房に消えていく。
 フュンフは不満そうにしていた様子などなんのその、ウェイトレスが消えてからは注文がはやくこないかとウキウキ気分で床につかない足をプラプラとぶらつかせている。
 今のフュンフの様子はまるで子犬。尻尾と耳があったらちぎれんばかりにふっていただろう。路地裏の凄惨な姿など微塵もない。
 このフュンフを見て裏の世界で恐れられるナンバーズの数字持ちの一員だとは信じるものもいないだろう。

「……一つ聞いてもいいか?」
「うん?なんでもいいぞー」
「仮にも人の世界を守る最後の壁。ナンバーズの数字持ちともあろうキミが―――何故あのようなことを?」
「あー。うちの司令官がお金に困った時は、あーいう輩を追いはぎしても罪にはならないって教えてくれたんだが……違うのか?」
「……頭が痛い」
 
 先程も思ったことだが、なんでそんな碌でもないことをおしえるんだ、と恭也はズキズキと痛む頭を抑える。
 人類最後の砦。そう言われているナンバーズの司令官がそんなことを教える人間だとは思いたくなかったが……その真実は認めるしかない。
 そうこうするうちに、出来上がった料理が次々と運ばれてくる。
 目を輝かせ何の遠慮もなく次から次へと食べ始めるフュンフだったが、その小さな身体のどこにはいるのかという疑問を残し、胃袋の中へと消えていく。
 コーヒーだけ注文していた恭也はそれを啜りながら―――最初は驚いていたが、途中からあることを思い出して納得した。 

「あの赤い翼は恐らく……ならば、大量にエネルギーを消費するのも納得がいく。あの人もそうだったな……」
「むにゅぅ?ふぉにかふぉったか?」
「―――口にものがはいってるときは喋らない」
「……ふぉぅ」

 人智を超えた異端の力。夜の一族とは異なる人にして人外の域に達した者達。
 【銀髪の小悪魔】と同じ―――HGS能力者。
 その身に感じた波動は間違いなくそうだろう、と恭也は当たりをつけていた。
 触れずして命を潰えさすことができる、人類を超越した―――人類。

「で、何故こんな街に数字持ちであるキミがいるんだ?」
「……ちょっと探し人を頼まれて。この街なのは―――勘、かな?」
「探し人?」
「ああ。といっても、相手の顔さえわからないんだけど」
「……どうやって見つけろと?」
「……全くだ!!ヒントも何も無い!!顔も種族も性別も身長も血液型も何も分からないというのにどうやってみつければいいんだ!?と本気でいってやりたいぞ」
「血液型はおいといてだな……見つかるものなのか?」
「無理に決まってる……特に私は戦闘特化型だしな。見つかる可能性は0パーセントに近い」

 ガンとテーブルを両手で叩くフュンフ。相当にお冠なんだろう。
 その音に驚いて店内にいた客が恭也たちの方を見たので、すみませんと頭をさげる恭也。
  
「一体誰を探してるんだ?」
   
 あまり深く突っ込むのも問題だとおもったが気になったので質問をしてみる。
 答えて貰えないだろうと予想していた恭也はコーヒーを口にふくみつつ返答を待つ。
 
「ああ。アンチナンバーズのⅥ。伝説を覆した者。最凶を虐殺した刃。【伝承墜とし】、だ」
「―――ぶふぉ!?」

 吹いた。噴出した。
 口の中に含んでいたコーヒーを目の前のフュンフにぶちまけた。  
 その不意打ちに顔面がコーヒーまみれになったフュンフが、顔を押さえてテーブルに突っ伏す。
 
「ぅぅあぁあああ―――あ、あついぃいいい!!」
「げほっげほっ……す、すまん、大丈夫か?」

 ハンカチを取り出すとコーヒー塗れのフュンフの顔を拭いてやる。こればっかりは弁解の余地は無い。
 抗う気力もないのか恭也のなすがままに顔を拭かれるフュンフだったが、暫くたってようやく目が開けれるようになったのか、テーブルのうえに残っているコーヒー塗れになった料理を見て絶望した表情になる。
 しかし、その表情も一瞬。コーヒー味になったというのにその料理を食べ始める。どうやらコーヒー味より空腹が勝ったようだ。
 色々と複雑な気持ちになりながら、フュンフの勇士を見守る恭也だった。

 それから僅か十分たらずで完食したフュンフは満足そうに腹を撫でる。
 とりあえず伝票を持って会計にむかうが―――ぎりぎり財布の中のお金でたりたようだ。もし足りなかったらと思うと冷や汗が流れる。

 喫茶店から出ると―――落ち込む恭也とつやつやしたフュンフ。入る前とは全く逆の様子だ。
 ちなみにウェイトレスは心配そうに恭也を見送っていたのが、少しだけ心が癒された。

「ああ、そうだ。お前の名前を聞くのを忘れていたな」
「……高町恭也だ」
「ふむ。キョーヤか。覚えたぞ」

 腕を組みながら、口の中でキョーヤキョーヤと呟きながらフュンフはどこか嬉しそうに恭也の前を歩く。
 数歩歩いた先でクルリと恭也に向かって振り返る。路地裏で出会ったときのような凄惨な笑顔ではなく―――。

「それにしても不思議な名前だ。初めて聞いたというのに―――懐かしい気がする」
「どこかで聞いたのかもな」
「いや、そういうのじゃない。なんというか、産まれる前から知っているような―――そんな不思議な感じだ」
「デジャヴというやつか?」
「何といったらいいのか……まぁ、気のせいだろう」

 後ろ向きで歩いて行くフュンフ。不思議と人混みはフュンフに気づいていないように割れていく。
 気づいてみれば、夕陽が差すような時間になっている。 
  
「―――今日はご馳走になった。お前とはまた会いそうな気がするな―――キョーヤ」

 その言葉を最後にフュンフの姿が幻のように消え去った。
 今まで見ていたのが幻影だったのではないかと疑いたくなる。それほどに突然に消え去ったのだ。
 遠ざかっていく気配だけは掴み取れたが、姿は微塵もない。
 首を捻る恭也だったが―――頼まれていた桃子のお使いが遅くなったことに気づき、急いで翠屋へと走っていった。


























「もうフュンフちゃんってばぁ。ちゃんと指定の場所にいてくださいよぉ」
「ああ、すまんな。フィーア。少し色々とあってな」

 恭也から随分と離れた路地裏の一画でフュンフは、フィーアと呼ばれた女性と向かい合っていた。
 両サイドで茶色の髪を結び、丸眼鏡をかけた女性―――ナンバーズの数字持ちの一人フィーア。
  
「それで、なんであんな一般人と仲良くお食事までしてたのぉ?」
「……一般人?お前にはアレが一般人に見えたのか?」
「―――へ?」
「……いや、わからないならそれでいい」

 ……一般人、か。

 フィーアの発言を心の中で鼻で笑う。
 成る程確かにその通りだ。あの気配の消し方はあまりにも完璧すぎてそこらの人間となんら変わりはないようにみえるだろう。
 だが、路地裏であったときの恭也の気配は―――。

「……ばけもの、だ」

 ぶるりと身体が震えた。
 思い出すだけで寒気がしてくるほどの、死を体現した化身。これまで戦ってきたアンチナンバーズなど相手にもならぬ人間だった。そう、人間だったのだ。あれだけの死を感じさせた相手はただの人間だったのだ。
 だというのに久しぶりに、死ぬことを覚悟した。それ故に最初からリアーフィンを全開で発現させ―――全力で戦うことを決意したのだ。
 それでも、勝てる気はしなかった。あの、暗く、闇く、冥く、漆黒に轟く―――完全な闇。

 しかし、その後……空腹で倒れたフュンフに食事をご馳走するという意味不明な行為をしてきたのが腑に落ちない。
 しっかりと、コーヒーを顔にぶちまけられるという嫌がらせもされたが。

 だが―――惹かれる。

 まるでそうなることが運命だったかのように。
 まるでそうなることが魂の定めだったかのように。

 フュンフは恭也に魅かれていた。どうしようもなく惹かれていた。
 恐怖など一蹴するほどに―――。

「タカマチ……キョーヤ……」

 そこに込められた感情は畏怖か親愛か。嫌悪か愛情か。
 今はまだフュンフにもわからない―――何かであった。   
 
 
   
 
 


  



   

 
  






















あとがき


今回はちょっと無理矢理かんあったよーなきもします
とりあえず、かなり眠いですが更新完了。というか今週更新で来ちゃいました
ナンバーズで活躍させたいな!?と思ったキャラは感想でかいていただけたら優遇してだせれそうです
本筋はもうきまってますけど、それに関係ないちょいやくで、というかんじですが。



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