チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[30511] 【習作】Fate/Rob【NTL有り、外道主人公】
Name: コモド◆be76c9fb ID:ffe5697e
Date: 2011/12/17 00:26
始めまして、コモドです。

処女作になります。オリジナル主人公で、とても強い上に外道です。

主人公が寝取っていくという内容になりますので、寝取りに嫌悪感がある方にはお薦めできません。




[30511] プロローグ
Name: コモド◆be76c9fb ID:ffe5697e
Date: 2011/11/13 22:20
Fate/zero 二次創作


 プロローグ


 ――二年前――


 一人の少年の話をしよう。誰よりも人を憎み、誰よりも強く、そして誰よりも弱虫だった少年の話を。


 少年の想いは醜かった。
 他人のものが欲しくなる。その感情に正直だっただけ。
 そうしなければ生きられなかっただけ。
 一般的な家庭に育てば、普遍的な教育を受ければ、普通の感性を持っていれば、幼いうちにも芽生えるはずの罪の意識が、少年には根付かなかった。
 むしろ奪えば奪うほど、その価値が他者にとって多大であればあるほどに強奪の悦びは増していった。


 他人の宝物、他人の恋人、他人の命――
 気づけば奪う快感を味わうためだけに生きてきた。
 貴重なもの、愛着あるもの、大切なものを奪われた喪失感と絶望、それらが他者の貌を悲痛に歪める様を想うだけで得も言えぬ恍惚とした感情が胸を満たした。
 愛したものを奪われた男の吝気に駆られる様と失望感を想像するだけで間男である自分に酔い痴れる女が堪らなく愛おしくなった。
 自分の手の中で失われてゆくあたたかさと流れ出る血液の噎せ返るような匂い、人のもっとも尊いとされる命を奪った感触は、殊更に自ら生を意識させ、さながら反面教師の如く命の尊厳を実感させてくれた。


 人間を憎み、社会を恨み、世界を蔑んだにも関わらず――奪ったものにだけは狂おしいほどの愛情を懐くことができた。
 自身で成し得た事柄には微塵も関心を寄せられない反面で、他人の所有物は身が張り裂けんばかりに恋しくなる。
この異常性を、だが彼は別段、狂っていると思ったことはなかった。むしろなぜ誰も彼もが胸のうちをひた隠しにして生活しているのかと不信感すら懐いていた。

 なぜ自分に正直に生きられないのか。

自分が空腹な時に他人が至福の表情で飯を咀嚼する様に生唾を飲む。
富裕層の人間が見せびらかす高級な車や宝石に心躍る。
経済面や容姿の優れた男が連れた美しい女を抱きたくなる。


 自身にはないものを持った羨望の対象。それを欲しいと思うのは当然ではないか。だのになぜ今の庶民は現状で満足してしまうのか。自分のように欲求に正直に生きることが最高の幸せだとなぜ気づかないのか。
 法や体裁に縛られる――その何処に法治国家が謳う自由や平等なんて大層な理想があるというのか。


 晴らしようのない鬱憤が堆積していく一方で、だが彼は自身の抱える苦悩にも心身を苛まれていた。
 他人のものしか愛せない彼は、能動的に人を愛することができない。
 他人のものしか愛せないなら――誰のものでもない自分は、憎しみの対象でしかない。
 どうやって自分を奪えばいい?
 どうすれば自分を愛せる?


 鏡に映る己の姿を憎々しげに睥睨する自分が堪らなく悔しかった。
 鬱屈とした感情を紛らわすように強奪の限りを尽くしても、心は晴れなかった。
 いつしか自分に恐怖すらするようになり、誰かに自分を奪って欲しかった。


 そうした誰とも解り合えない苦悩を抱えながら過ごしていたある日のこと。風の噂に眉唾ものの儀式の存在を知った。
 聖杯戦争――七体のサーヴァントを従えて最後の一人のなるまで殺し合う魔術師同士の抗争。勝者には万能の釜たる聖杯に祈る権利が与えられるという。
 無論、この聖杯は神の御子の血を受けた本物ではないが、願いを叶えるという一点に於いては本物である――と。


 これを聞いてすぐさま、彼は噂の真贋をあらゆる方法で調べ上げ、確証を得ると同時に冬木の地へと進む算段を取り決めた。
 これだ、これしかない。この苦悩を拭い去り、彼にとっての楽園を体現させてくれるのはこの聖杯でしか有り得ない。まだ誰のものでもない聖杯――それ単体にはなんの魅力も感じないが、『自分の苦悩を奪い去ってくれるもの』なら話は別だ。
 期待に胸を膨らませ、本来の歴史にはないイレギュラーがこの冬木の地に足を踏み入れた。



―― 一年前――


 間桐雁夜は胸中を占める暗澹とした怒りに突き動かされながら、二度と足を踏み入れまいと決めていた深山町に十年ぶりに足を踏み入れていた。二度と見ることもあるまいと思っていた景観は、十年前とまるで変わりない。日毎に開発が進む新都とは対照的な閑散とした街並みは、雁夜に不快な郷愁を思い起こさせる。

 しかし、いま雁夜の脳裏の過るのは、感情を押し殺した声で雁夜を突き放した葵の目尻に溜まる小さな涙だった。


 これまでは我慢できていた。間桐の生家を飛び出してから、どれだけ卑劣な行いを受けようと、醜い事柄を間の当たりにしようと、耐えることができていた。……間桐の家で目にしたおぞましい魔術の真相に比べれば、世間の卑しい物事など取るに足らない些細なものだったから。


 だが――今回ばかりは許せない。
 遠坂葵……幼馴染であり、嫁いでしまった今もなお変わらずに想い続ける女性。その彼女の愛娘である桜が、よりにもよってあの忌まわしい間桐の家に養子に出された。

 雁夜は正気を疑った。なぜ遠坂時臣は、妻である葵や娘を悲しませるような真似をするのか。生まれながらに魔道に携わる時臣が、間桐に養子に出された桜が辿る悲惨な運命を知らなかったとは思えない。
 そして何より、そのような男に葵を譲り、敗北を認めた過去の自分を悔んだ。やはり魔術師という輩は、一人の例外もなく人でなしの集まりでしかないのだ。


 悲しみを表に出すことなく、気丈に明るく振る舞う幼い凛の姿を見て――
 魔術師の妻として、人並みの幸せを諦めた振りをして、それでも悲観に暮れ影で流した葵の涙を見て――

 
 何も感じないのであれば、それは人として間違っている。断じて許しておけない。もしあのような男の元に嫁がなければ――葵は子供たちと共に、平穏で幸福な人生を歩めたかもしれないのに。

 そう想えば想うほど、悔恨と自責に押し潰されそうになり、いてもたってもいられなくなった雁夜は、憎悪し嫌悪して止まなかった生家を訪れていた。
 鬱蒼と聳え立つ間桐の屋敷。忌まわしいばかりの洋館の玄関先に雁夜は足を踏み入れた。


 * *


 玄関先を眺めた雁夜が懐いたのは、奇妙な違和感。十年ぶりの生家に既視感を感じたなどという生半可な印象ではない。違う――この空間は、雁夜の知る、魔道と聖杯への盲執に囚われた間桐の家とは完全に乖離していた。
生来から間桐の魔術に間接的に触れてきた雁夜には確信できた。この家は、雁夜の知らない家庭的なあたたかさと人の生活感に満ち満ちている。蟲の腐ったようなおぞましい匂いもない。これはいったい――
 驚愕し、動揺する雁夜の前に、来訪者を迎える一人の少女が現れた。


「どちらさまでしょうか」


 雁夜は、変わり果てた生家をも凌ぐ驚愕に言葉を失った。
 眼前に佇む少女は、まさに絶世の美貌の持ち主だった。歩くたびに揺れる艶美な黒髪の妖しさ、白く透き通るような肌理細かさ。秀麗な眉に黒曜石が嵌め込まれたように煌めく双眸。すっと通った無駄のない小さな鼻梁と緋色の糸を引いたかのような唇。

 ジーンズにタートルネックという体格を露呈するラフな衣服から、未だ少女の域を出ない未完成な年頃であることが窺える。だが年齢に似つかわしくない落ち着いた雰囲気を纏っていた。この少女は誰だ? 間桐の関係者か? なぜこの家にいる?
 忘我から立ち直り、募るこの少女への不信感に目を眇めた雁夜に少女が声をかけた。


「……立ち話もなんですし、上がってください。お茶でも飲みながら、ゆっくりお話ししましょう」


 上がるよう促した少女は、背を向けキッチンへと歩き出した。怪訝さを露わにしながらも、雁夜は渋々と少女に従うしかない。正体を今すぐにでも問い詰めるべきだったのか。言い様のない不安に駆られながら、勧められるがまま、知らない生家に上がってしまった。


 * *


 果たして間桐のリビングは、以前の隠しきれない陰鬱さが滲み出る空間から様変わりしていた。

 瀟洒な家具はそのままに雁夜の好む質素な飾り付けが追加されている。豪奢なものを嫌う雁夜には、これらの調度品のセンスは雁夜を満足させるに足るものだった。加えて出された紅茶の芳醇な味わいは、高級品を物好きの見栄と蔑んでいた雁夜に市販品との違いを思い知らせるに充分だった。

 テーブルを挟んだ対面に座る凛冽とした美貌の少女は、優雅な仕草で紅茶を嗜んでいる。害意はないことを示すためか、わざわざ目の前で紅茶を淹れ、注いだそれを先に飲んでみせた。

 警戒した様子が伝わっているのだろう。だが少女はまるで雁夜に意識を割いていない。取るに足らない相手だとでも判断しているのか。
 判然としない雁夜をよそに、一息ついた少女は唐突に話を切り出した。


「それで、なんの用でしょうか。間桐雁夜さん?」


 十年前に親兄弟と決別して以来、間桐を訪れたことのない雁夜の名を知る家政婦でもない少女。やはりこの少女は一般人などでは断じてない。俗世間には秘匿されるべき神秘に関わる、雁夜が背を向けた道を行く人間だ。いっそう貌が強張るのを感じながら、間桐にはそぐわない華々しさを備えるこの異質な少女に、雁夜は瞠目して低い声で言葉を捻り出した。


「お前は……何者だ?」
「何者だ、なんて不躾に申されても返答に困りますね。まぁ、あなたからすればわたしは不法侵入者で不審者なんでしょうけど」
「誤魔化すな。何者だと訊いている。どうしてお前は此処にいる? 鶴野とその息子――そして臓硯はどうした?」


 得体の知れない少女を前にしても怯まず、強気の言葉を紡ぎだしてゆく。元より自己犠牲の精神で命を投げ出す覚悟を伴い来訪した雁夜には、確固たる意志があった。あの臓硯であろうとも対等に交渉してみせる気概を持って臨んでいるのだ。
 引ける訳がない。だが……


「その三人は、もしかしてコイツらのことかな?」


 そう呟いた少女の全身が、ぶよぶよと蠢く肉塊に変貌したことに、雁夜は悲鳴を上げそうになるのをすんでの所で抑えた。水泡が泡立つように一瞬で膨張した肉塊はしかし、瞬時に収縮して人の形を取り戻す。
 その容貌は――彼がよく知る、実兄・間桐鶴野そのものだった。


「それともコイツかな?」


 人を食ったような声音で紡ぐその声は、紛れもなく間桐鶴野のもの。見知った肉親の容姿が原型を留めずに崩れる醜悪な生理的嫌悪感に背筋が凍てついた。膨れ上がった肢体は、今度は幼い甥・間桐慎二へと変態する。そして遂には、雁夜の戸籍上の父親であり憎悪して止まなかった魔術翁・間桐臓硯にまで姿を変えた時、彼の決して怯むまいと誓った心が折れた。蒼褪めた相貌で椅子から立ち上がり、茫然と禿頭の老いさらばえた老人を見つめる。

 いったい何が起きているのか。この少女の正体は何なのか。間桐の者たちはどうなってしまったのか。
 狼狽する雁夜をよそに再び麗しい少女の形に変貌した少女は辟易とした様子で、


「あー、気持ち悪い。ねえ、醜いと思わない? 生への執着だけに囚われ、本質を見失い腐れ果てた蟲の爺。奪うまでは良いけど、いくらなんでも愛でるのは無理だよね」
「な……なにをした……何だ? 何なんだ、お前は!?」


 恐慌する一歩手前の雁夜を見止め、少女はその唇を凄惨に吊り上げた。姿形は可憐な少女であるというのに――雁夜には彼女が臓硯と比してなお禍々しい異物に見える。


「狡いと思ったんだよ。始まりの御三家――聖杯戦争を仕組んだってだけで優先的に令呪が授かるなんてさ。調べてみたらこの間桐って一族、衰退しきって今代の世継ぎには魔術回路が備わらなかったらしくてさ。そんな落魄れた一族に未だに特権があるなんて宝の持ち腐れだろ?
 だから奪ってやったんだよ。家も魔術も財産も命も何もかもをね」


 残虐極まりない言葉とは裏腹に褥で睦言を囁くかのような淫蕩な響きだった。告げられた事実と先ほどの怪現象に確証する。
 この少女は――信じ難いことに、何代にも渡って間桐家に君臨してきた不死の魔術師を殺害した上でこの家を乗っ取ったのだ。何百年も続いた魔道の歴史。忌諱してきたとはいえ、肉親が惨殺されたことには奇妙な喪失感があった。


「もっともあの爺、無駄に生き長らえている所為か油断ならなくてね。間桐の魔術だけじゃなく知識含めてすべて奪い去ってやろうと思ってたんだけど、さすがに相手のホームじゃきつくてね。結局、聖杯戦争について奪えたのは令呪の知識だけさ」


 さして悔む様子でもない独白に面喰らった雁夜だったが、異様に砕けたこの少女の調子に恐怖に揺れる心が平静さを取り戻すことができていた。冷えた頭は、眼前の怪異ではなく、此処を訪れた当初の理由を雁夜に思い起こさせる。
 ――そうだ、桜……桜は何処だ? すべての元凶である臓硯がいないのなら、もう間桐にいる必要はない。
 雁夜の目的、葵と凛の元に桜を取り還すという願いは達成される。雁夜は努めて冷静に少女に声をかけた。


「桜……桜はどうしてるんだ? いるんだろう?」
「ああ……」


 縋るかのような雁夜の眼差しに少女は苦笑で応えた。雁夜から視線を外した少女の美貌が、人の感情を逆撫でる嫌な笑みに歪む。


「たとえばの話だけど、後継ぎ問題で、二人の娘のうち片方を凡俗に隋とさなければならない魔術の家系があるとするよね。そして一方で衰退しきり、新たに外部から力ある後継者を貰い、その子を次代の後継者として育成しなければならない家系がある。
 さて、利害が一致した両者はどうするでしょう?」
「……」


 それは、言うまでもなく今回の遠坂と間桐の取り決めのことを指すのだろう。人の、親の感情を一切抜きに魔術師としての体裁のみを取り繕った外道共の事情など知ったことではない。雁夜にとって重要なのは、大切な女性が、愛する娘たちと幸せに過ごすこと、一点のみなのだから。しかし――


「ですが、その衰退した一家の元に一人の魔術師が訪れ、一族を皆殺しにしてしまいました。そして略奪した知識から、その切羽詰まった一家の事情を知ると、魔術師はこう思ってしまったのです。
 ――その子供を親の元から奪ってやりたい」
「――テメエ、まさか……」


 人を蔑むような瞳と吊り上がった唇から紡がれた言葉に、雁夜は少女への恐怖すら忘れ、胸にどす黒い情念が沸々と沸き立つのを感じた。


「軽い気持ちでこの家の家長に成り済まして送った打診に、向こうは拍子抜けするほどあっさり承諾したよ。むしろ天恵に等しい申し出だったと歓喜していたくらいだ。
 いや、騙していながら、なかなかに悲しい別れだったと思うよ。なにせまだ小学校にも通わない幼児が、物心もつかない間に親元から引き離されるんだからね。あのコ、泣いてたっけ」


 もはや隠すことすらせずに少女は嬉々として語り始めた。雁夜は――暗澹と濁り、抑えきれないほどに煮え立つ、身を焦がさんばかりの怒りに己を見失っていた。コイツだ。コイツだったのだ。葵と凛から桜を奪い、絶望に叩き落した張本人は。
 時臣も熟考すらせず桜をこんな家系に手放しただと。こんな……こんな奴らが存在していい訳がない。やはり一人の例外もなく、魔術師という連中は腐っている。


「ふざけるな……」


 爪が掌を食い破るほどに握り締めながら、雁夜は怨敵を睥睨した。年端もいかぬ少女だろうと関係ない。殺してやる――


「ふざけるなよ貴様ァ――!」


 相手が冷酷かつ強力な魔術師である臓硯すら殺害した怪物だというのに、雁夜は激情に突き動かされるままに殴りかかった。この少女の細頸を圧し折り、一刻も早く息の根を止めてやる――!


 だが――想いとは異なり、雁夜の特攻はまったくの徒労に終わった。少女の手が雁夜の頭を掴んだ。雁夜には、いつ少女が肉薄したのかさえ認識できなかった。圧倒的な死の気配だけが全身を包んでいる。
 少女の手が触れた瞬間に総身の活力が喪失し、四肢が脱力して崩れ落ちた。反骨する気力すら湧いてこない。生殺与奪を握られた恐怖に震えるしかない。


「ふーん……桜を助けるために此処へ、ねえ。ご苦労様なことで」


 鼻を鳴らし、まるで朗読するような淡々とした口調で雁夜の記憶を読み上げていく。精一杯の抵抗として少女を睨んでも、脅しにすらなっていない。


「へえ、葵さんっていうんだ、あんたの好きな人。綺麗だね。よりにもよって最も憎い男の所に嫁いじゃったのに、決死の覚悟で此処に来るくらい、まだ好きなんだ」


 記憶が、暴かれていく。幼馴染との記憶、幼馴染への想い、幼馴染への未練、何もかもが。


「や、め……ろ……」


 掠れる声で漏れた小さな拒絶も、少女には届かない。むしろ益々愉悦に歪む嘲笑は、淫靡な艶に濡れ、雁夜を見つめている。


「そうだよ……その貌だ。奪われ、嫉妬に、怒りに狂ってる怨嗟の表情が――堪らなく心地良い……」


 今にも絶頂しそうな淫蕩に耽る少女に雁夜は確信した。
 この少女は狂っている。魔術師とは別の次元で、精神の在り方ではなく、心の根底から狂ってしまっている。性癖や趣向などではなく、それのみが存在理由として確定してしまっている。
 目的のために手段を選ばず、己の快楽のためならばどんな犠牲も厭わない。快楽主義の狂人。人でなしのろくでなし。

                 ・・
「さて、雁夜さん。話は変わるけど、オレはね、さっきも言った通り、奪うのが好きなんだ。人の大切なものを見ると、奪い取りたくて仕方がなくなっちゃうんだよ」


 口角を吊り上げ、舌舐めずりする蛇のように少女が嗤った。獲物にすぎない雁夜には、自分が辿る末路がまざまざと予感となって浮かんでしまう。


「止めろ……」
「あんたの思い出――葵さんと凛さん、そして桜と築いた記憶の総てを、根こそぎ奪ってあげる。あんたが懐いていた想いも夢も、全部をね」
「止めろぉぉおおッ!」


 絶叫が空しく、間桐邸に轟いた。大切なものを奪われてゆく喪失感。絶望し、悲哀し、慟哭するその絶望を、その面貌に張り付けて。



* *


「ク……クク……ハハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハッ!」


 記憶を奪われた雁夜が幽鬼の如き様相で間桐邸を後にしたのを見届けて、少女は張り裂けんばかりに腹を抱えて哄笑した。瞳に涙を滲ませ、美貌を綻ばせるその姿は、無邪気な童女にも見える。


「なんて――傑作なんだ――あははは! あの悲愴な貌! 報われない片思い! 悲劇のヒーローみたいな心の唯一の支えだった好意を奪われて――何もかも失くしちゃってんの! あははははははははは!」


 窒息しかねない勢いで転げて大笑し、ひとしきり笑い終えたところで、少女は再び変態した。
 膨れ上がった肉塊から形を成した姿は果たして――ユニセックスな風貌の美少年であった。背中まで届く黒髪をうなじで縛り左肩へと流している。長い睫毛に色素の薄い瞳。やや日本人離れした端正な顔立ちは、少女の可憐さと少年の凛々しさを完璧に両立させている。耽美という言葉をまさしく体現する美貌の持ち主は、ふと慈しむような声音で、


「ま、あんたには魔道は似合わないよ。平凡に、慎ましく生きるのが一番似合ってるさ」


 奪い尽くした相手を想う言葉を口にした。狂っている、狂っている筈なのに、この少年には決定的な違和感がある。


「先生ーっ!」
「なに、桜ちゃん」


 舌っ足らずな少女の声に振りかえる。視線の先には、幼い貌を綻ばせて駆けてくる黒髪の少女の姿。“記憶にあった”母親譲りの美貌の兆しを見せる、幼い少女。間桐桜――


「先生! できました!」


 快活な声音で少年へと差し出されたのは、先刻桜へと出した魔術の課題だった。小さな掌に乗せられている硝子の小鳥は、元は粉々になった硝子片を再生し細工を加えた品だ。
 まだ幼い桜に発想の柔軟さと魔力のコントロールを身に付けさせる練習である。あまり過度な魔術の行使は躰に毒だ。もはや間桐などなくなってしまった今、彼はこの希代の才能を持つ少女の将来を、本人の意思を尊重し、自由に成長させるつもりでいた。
 基礎を磨き、礎を築き上げてからの研鑽は本人に任せる。もちろんその先に置いても手を貸すつもりだ。だが、この無色の才覚を自分の方向性に色付け、道を決定づけてしまうのはあまりに惜しい。故に、


「うん、良い出来栄えだ。上達したね」
「えへへ……」


 頬を緩め、賞賛し、頭を撫でると、桜はくすぐったそうに微笑んだ。――故に、彼はこの少女の育成に心血を注いでいる。それこそ、本当の親子、兄妹のように。人として、魔術師として、彼は桜を愛していた。
 遠坂から奪い取った愛娘、それが宿す奇跡に等しい才能を愛せない訳がない。


「先生っ! 次はなにをすればいいんですか?」
「今日はもう勉強は終わり。お腹すいたよね、ご飯にしようか。今日は特別に桜ちゃんの好きなものを作ってあげる」
「ほんと!? やったぁ! じゃあわたし、シチューがたべたい!」


 二人の取り決め――魔術に携わる間だけ、師弟として接する――が解除されると、桜は破顔して歓喜の声をあげた。彼は屈んで桜を抱き上げると、はしゃぐ桜をあやすかのように慈しみ、頭を撫でた。


「よし、じゃあ桜ちゃんが喜ぶ、とっておきのシチューを作ってあげるから、それまで良い子にして待ってるんだよ?」
「はーいっ」


 手を挙げて返事をする桜の無邪気さに苦笑しながら桜をリビングに降ろし、夕飯の支度に従事する。
 その光景は、ありふれた平坦な家庭の一幕だった。少年はありったけの慈愛を持って桜に接し、桜は与えられる日常を享受する。
 少年は気付けない。狂っていながら――この少年は、極普通の一般人が持つ感性を持ち得ていることに。
 少年は気付けない。こうまで人としての幸せな日々を営んで置きながら――己が狂っていることに。




[30511] ACT1
Name: コモド◆be76c9fb ID:3690f822
Date: 2011/11/26 00:17
ACT1


 アインツベルン城の私室にて、衛宮切嗣は執務机の上で協力者からの電子メールの内容に目を通していた。アハト翁から召喚の触媒として用意された聖遺物を開帳し、いずれ使役することになるであろう騎士王の扱いに頭を悩ませていた折、届けられた第四次聖杯戦争に参加するマスターの報告書。
 理解の及ばない科学技術の結晶であるコンピューターを奇怪なものでもみるようにして尋ねる、妻・アイリスフィールに子細を説明しながら、報告書に目を通していく。


「……ふむ、判明したのは四人まで、か。
 遠坂からは、まぁ当然ながら今代当主の遠坂時臣。“火”属性で宝石魔術を扱う手強い奴だ。
 間桐もウチと同じく外部からマスターを雇ったらしい。……老人たちの考えることは何処も同じ訳か。
 外来の魔術師には、まず時計塔から一級講師のケイネス・エルメロイ・アーチボルト。ああ、こいつなら知っている。“風”と“水”の二重属性を持ち、降霊術、召喚術、錬金術に通ずるエキスパート。今の協会では筆頭の花形魔術師か。厄介な奴が出てきたもんだ。
 それと、聖堂教会からの派遣が一人……言峰綺礼。もと“第八”の代行者で、監督役を務める言峰璃正神父の息子。三年前から遠坂時臣の師事し、その後に令呪を授かったことで師と決断、か。フン、何やらキナ臭い奴だな」


 画面をスクリーンさせ、詳細を読み込んでいた切嗣は、ある人物の仔細を読んだ途端に剣呑とした顔つきになった。
原因の一人は、出世街道を外れた後、代行者となり、遂には魔術協会に鞍替えして積極的に魔術を学んだ異常な経歴を持つ言峰綺礼。切嗣は彼を『何に対しても情熱がない危険な奴』と評し警戒した。
 そしてもう一人は――


「コイツに至ってはなんだ? 魔道の関係者でもなんでもない。ただの一般人じゃないか」
「……綾織美月。一九七六年十月七日生まれ。七歳までを孤児院で過ごし、以後は綾織家に引き取られる。しかし一年後に義理の両親が事故で他界すると、再び孤児院を転々とすることになるが、中学卒業後に間桐が引き取り、現在は私立穂群原学園の一年生……確かに経歴は変わってるけど、間桐に引き取られるまでは魔道とはなんら関係ない一般人ね」


 報告書を読み上げるアイリスフィールに切嗣は苛立ちを露わに頷いた。


「そう、コイツは亡くなった肉親の系譜を辿っても、魔術には一切縁のない家庭に生まれた一般人だ。なのにそんなコイツを、間桐の老人は何の脈絡もなく突然引き取って魔術師に仕立てあげている。その直後には遠坂からの養子まで取ってさえいる。いったい何を考えているんだ、このご老体は」


 読めば読むほどに不可解な報告書だった。明らかにこの少年を引き取ってからの間桐の動きがおかしい。


「……現当主・間桐鶴野とその嫡男・慎二は海外へ旅行中に行方不明。だがこれは綾織美月を引き取ってからのことだ。世継ぎを失い、困り果てて綾織を引き取った、何て理由じゃ断じてない。間桐臓硯が意図的にやったことだとしても、間桐の血筋を失ってまで間桐臓硯が得るメリットがない。つまりこれは――」
「……綾織が始末した……?」
「……」


 そう結論づけるのが妥当だというのに、確証を抱けず、切嗣は無言で返してしまった。何より、アハト翁と同じく不死の魔術師である間桐臓硯が、齢二十歳に満たない小童の言いなりになっているなど考えにくい。
 今代で目覚めた“初代”の魔術師である線や何らかの異能の持ち主である可能性もなくはないが、代を重ねることで力を増すのが常識の魔道の世界で、たかが一代限りのひよっこが何百年と生きる強大な魔術師に敵う訳がないというのが通説だ。やはり臓硯が何らかの策略を講じていると見るべきなのだろうか。
 だが、彼が間桐に腰を落ち着けるまでの経歴の異質さを鑑みれば、やはり何かあると思うのは当然だ。それでも――やはり確証がない。


 判然としない敵の姿に苛立ちと戸惑いを隠せず歯噛みする切嗣。その手を、アイリスフィールの手が優しく包み込む。


「相手がどんなに不明瞭な敵であっても、私が預かる聖杯の満たされた器を手にするのは、切嗣――あなただけよ。私はそう信じてる」


 信じ抜くことが愛だというならば、このアイリスフィールのそれは、揺るぎない真実の愛だろう。彼女は夫・切嗣が二人の懐く願いを形にしてくれると確信している。
 人類の救済、あらゆる戦乱と流血の根絶、恒久的な世界平和。そんな馬鹿げたユメを共に懐いてくれた彼女だからこそ――切嗣もまた、彼女を愛せたのだ。

 そのユメが彼女を殺すことになろうとも。

 真摯な紅い瞳を見つめ返し、その肩を抱き寄せながら、切嗣は心の中で己の祈りを確かめた。
 悲願の重さと、それを共有する妻のぬくもりを確認した切嗣の胸に、もはや迷いはなかった。



* *



 言峰綺礼は、聖杯戦争開始に際し、予想される危険から家族を遠ざけるために禅城の家に避難することになった葵と凛を見届けた後で、改めて時臣より拝借した報告書に目を通していた。綺礼が占有する居間のテーブルには、二人の経歴が纏められた報告書が散乱している。


 二人の名は『衛宮切嗣』と『綾織美月』


 綺礼は――理由も解らないのに、この二人にどうしようもなく惹かれていた。
 いや、少しだけ見当はついている。自分への的外れな信頼と賞賛を向ける父・璃正。その父と同種であり、揺るぎない信頼を自分に寄せる時臣が忌避し、侮蔑する存在が、あまりに痛快だったからではないか、と。


 綺礼との決して越えられない一線が在るように感じる時臣は、衛宮切嗣を目的のためなら手段を選ばない誇りなき魔術使いと忌避し、綾織美月を、焦る間桐が半ば無理やりに据えた急造の魔術師とまるで相手にしていなかった。
 熟練の魔術師である時臣は、最近までただの一般人であった綾織など赤子同然だと判断したのだろう。彼についての子細を読みこまずに、流し読みしただけで憐れむような苦笑すら漏らした時臣とは対照的に、綺礼は彼の経歴に深い関心を抱いていた。


 まず――衛宮切嗣と綾織美月は、経歴が非常に似通っている。


 衛宮切嗣のフリーランス時代の経歴は、苛烈に過ぎた。戦況がもっとも激化した死地へと、複数の作戦を同時進行していたとしか思えない間隔で赴く自滅的行為。まるで自ら破滅を求めるかのような狂信的行為に没頭していた。
 そして、綾織美月の経歴は、まるで自らが破滅を招くように薄汚れていた。彼を生んだ実の両親は、彼が生後間も無くして変死した。後に預けられた孤児院では頻繁に行方不明事件が相次ぎ、七歳の時に彼を引き取った綾織の一家は不運にも事故死。その後も彼のいる周辺では事件が多発し、挙句の果てに疫病神扱いされ、孤児院をたらい回しにされる日々が続いた。その中で瞠目すべき点は、彼はたらい回しにされる日々に悲観するでもなく、むしろ嬉々として次の土地に足を踏み入れていたということ。


 彼らは、形は違えども、まるで何かを求めているかのように各地を転々と渡り歩いていた。何を求めていたのかは綺礼には想像もつかない。
 だが、幾度となく繰り返された切嗣の戦いは九年前に、綾織の迷走は一年前に唐突に幕を閉じる。
 始まりの御三家であるアインツベルンと間桐との出会いによって。つまり彼らは、その時に“答え”を得たのだ。

 未だ空っぽなままの綺礼とは違って。

 埋められなかった心の空洞を――或いは、彼らの答えこそが満たしてくれるのかもしれない。
 だからこそ綺礼は渇望する。彼らとの邂逅を。そして問わねばならない。彼らがなぜ彷徨い、その果てでなにを見つけたのかを。
 たとえどのような手段を講じてでも、どれだけの犠牲を払ってでも。



* *



 綾織美月は、人間を憎んでいた。一方で、その人間が愛するモノだけは狂おしいほどに好きだった。愛憎は表裏一体のようでいて、少しだけ異なっている。その違いに、綾織美月は未だに気付けずにいた。





 間桐邸の居間の瀟洒の椅子に腰を下ろした綾織美月は、グラスに注がれたグレープフルーツジュースを呷りながら、金銭で買収した間諜より送られる報告書を読み込んでいた。
 子細はアインツベルン、遠坂に届けられた内容と大差ない。ただ彼の情報が載っていないだけだ。今回届けられた書類は、決戦前の最終報告といって差し支えない内容だった。


「衛宮切嗣、遠坂時臣、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、言峰綺礼……そんでたぶん、ロード=エルメロイから聖遺物を盗んで以来、行方不明のウェイバー・ベルベットって奴かなあ。一人足りないけど、こんなものかねえ」


 講師であるロード=エルメロイへの腹いせで聖遺物を隠匿したと周囲に思われていたウェイバーを、だが美月は第六のマスターと当たりをつけていた。行方不明というのが何ともキナ臭いし、何より彼は聖遺物を窃盗した直後に日本に向けて発っている。疑う余地はないだろう。
 ついでに言えば、美月はこのウェイバーとかいう少年にはなにか近しい印象を抱いていた。聖杯戦争に挑む目上の立場の者から召喚の触媒を奪うなど、なかなか大それたことをする。さぞかし清々しい気分に浸れたのだろう。もし会う機会があるのなら、その時の心境を訊いてみたいものだ。


「……にしても、よくもここまで錚々たるメンバーばっか揃ったもんだ。魔術師殺しの衛宮切嗣、名門遠坂の当主、“神童”ことロード=エルメロイ、そんで元・第八の代行者、言峰綺礼か」


 第四次聖杯戦争のマスターに選ばれた面々の壮絶な、または華々しい経歴を眺めながら、美月は感嘆のため息を漏らさずにはいられなかった。他のマスターが美月の経歴と他のマスターとの経歴を見比べた際、あまりの差異に落胆を禁じえない筈だ。
 確かに一般人としての彼は異色の人生を歩んではいるが、魔術師としての彼は脅威でも何でもない。間桐臓硯が用意した急拵えのマスターに映るのが関の山だろう。


 何せ『綾織美月』は真実、何の素養もないただの子供なのだから。


 衛宮切嗣の手元のある調査報告書には、私立穂群原学園に通う、なんら変哲のない少年の写真が添付されている。童顔、黒髪の平凡な少年……それが『綾織美月』。この略奪の魔術師が最初に総身を奪い取り、表の顔として重用している隠れ蓑である。
 彼の変体は奪い取った肉体を“生きたまま完全に再現する”という異質の能力だ。略奪された肉体は時間とともに成長し、老い、そして死ぬ。意思を奪われたまま、彼の意のままに操られる肉体のストック。変体時には彼の魔力、魔術回路の気配すら隠蔽されるため、魔術師の感知能力にも引っ掛かることはない。


 魔術師としての彼――つまり、略奪の魔術師は、この間桐邸でのみ姿を見せる、中性的な美貌の少年である。それを知るのは、彼から魔術を教わる桜のみ。正体を知られることなくアドバンテージを確保できたのは――べつだんたいして期待はしていなかったが――上々な滑り出しだ。


 経歴、間桐の動きの異常さに訝しがる者もいるだろうが、脅威に思われ、警戒された処で問題などない。彼の正体に辿りつける者などいないのだから。


“手の内が判らないのは衛宮切嗣か。近代火器を使うらしいけど、原因不明の変死なんて手口まであるんじゃ、絶対魔術的な技能持ってるよなぁ”


 それでも開始前の情報戦で僅かばかり優位に立っただけだ。衛宮切嗣だけでなく、おそらくマスター単体の肉弾戦闘ではずば抜けているであろう、もと代行者の言峰綺礼もいる。その他、名立たる魔術師たちも油断してはならない猛者ばかりだ。
 ――それでも、勝利するのは自分だと疑っていなかったが。


「ま、誰が強いとか弱いとかいうのは終わってから決めればいいってことで」


 書類を纏めると、よっ、と掛け声をあげて警戒に立ちあがると、左手の甲に刻まれた令呪を愛おしげに撫でた。


 彼の元に令呪が宿ったのは、間桐から御三家の特権を剥奪して直後だった。聖杯はより真摯にそれを求める者に優先的に令呪を授けるという。だのに臓硯を打倒し得るほどに高位の魔術師である彼が、間桐を奪うに至るまで、なぜ令呪が宿らなかったのか。
 間桐を襲撃したのも、以前としてその兆候が見られない現状に焦ったからであり、事実特権を駆使せねば令呪を授かることはなかったであろう。
 聖杯に選ばれない自分に憤慨したりもしたが、奪い取る形で取得した令呪に満足し、特に悩むこともなく、桜との日常生活を謳歌していた。


 むしろ彼を悩ませたのは、呼び出す英霊の選択である。彼は数ある魔術礼装、聖遺物を強奪という形で所有していた。中には真偽はともかくとして、英雄との縁故ある品々もあり、どれを触媒とするかという嬉しい悲鳴が彼を悩ませていた。

 だがその憂悶も今夜終わりを迎える。

 長らく彼が決めかねていた召喚の触媒。その葛藤が今日、ようやく終わったのだ。
 とうとう今夜、彼は己のサーヴァントを手にする。
 必ず呼び出される保証は未だにないが、もし彼の英雄が招かれたならば――勝利は手にしたも同然だ。
 不死身にして必滅の槍を持つ、半神半人の大英雄。呪いと策略により何もかもを奪われ戦死した悲劇の英雄。
 その英霊が万全な状態で召喚されたのなら――負ける要因などありえない。
 熱く滾る心に胸を躍らせ、彼は蟲蔵へと続く階段へと向かった。



* *



 腐臭と饐えた水気の思わず吐き気がこみ上げる匂いに眉を顰めながら、彼は慎重に魔法陣の紋様を描いていた。あらかじめ小瓶に溜めておいた人間の血液を注ぎながら、召喚の呪文を唱えていく。


「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」


 紋様の中央には燦然と煌めく耳環が櫃に収められ、その時を待っていた。
 日輪を象る黄金のソレは、かつて太陽神が息子に与え、最後は雷神に施された光そのものの耳環だという。
 彼が奪った最高の“宝物”から呼び出される英霊を想うと、それだけ陶酔してしまいそうになる。
 その英雄譚の武勇は元より、何よりも、彼が奪ったものから招かれる存在なのだから。


「――告げる。
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ――」


 瞬間、蟲蔵の淫虫が一斉に悲鳴をあげた。常人ならば思わず耳を覆う金切り声にも、彼は微塵も動じない。むしろ凄惨に嗤ってみせる。


“そうだ。この時のためだけに生かしておいてやったんだ。せいぜい腹の足し程度にはなれ――”


 魔力の略奪。凡そ“奪う”という概念すべてに効果の及ぶ彼の異能が蟲を枯渇させてゆく。それは一片の慈悲もない、一方的な生命の略奪行為だった。
 苦痛にのたうつ怨嗟の声が、奪い尽くす快楽となって耳朶を叩く。魔術回路が軋む痛みとはまた別の感覚が彼を震わせた。


「――誓いを此処に。我は常世総ての善となる者、我は常世総ての悪を敷く者――」


 溢れ出でる莫大なマナが体内を疾駆する。人外の圧倒的な神秘が、幽体と肉体とを結びつけ、賓人を現世へと手繰り寄せる。
 ――そう、願いのため。
 略奪の快感を永遠に味わうため、己を憎悪する自分に終止符を打つため、自分を奪うという矛盾した祈りすら叶えてくれる聖杯のために――


「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」


 結びの詠唱とともに、膨大な魔力の奔流が彼の躰を押し流した。
 轟々と吹きつける旋風と陽光の如き発光の中、ひときわ激しく苛烈に魔法陣の紋様が輝く。
 繋がる現世とこの世ならざる場所……そして現れた太陽の化身を前に、彼は茫然と立ち尽くすことしかできなかった。


 燦然と煌めく黄金の鎧、太陽の耳環、全身を包む灼熱のヴェールの凄烈さに、ただただ圧倒されていた。


 人の嘆願を受け入れ召喚に応じた、人の理想、人の夢で編まれた伝説の幻影。
 貴き幻想の体現者は、今、清澄なる調べで少年に問う。


「問おう、お前が俺を招きしマスターか」




あとがき
Fate/Apocryphaよりあの英霊を召喚します。設定は奈須さんにより書かれていますが、彼の口調や性格などは私の想像なので、オリジナルサーヴァント扱いなると思います。



[30511] ACT2
Name: コモド◆be76c9fb ID:3690f822
Date: 2011/11/26 00:20
ACT2


 霊体化したサーヴァント――アーチャーは、眼前で繰り広げられる光景を思慮深げに眺めていた。
 彼の視線の先では、美貌の少年と年端もいかぬ少女が遊戯に興じている。その様子は普遍的な仲睦まじい兄妹の日常の一幕だった。
 邪気のない笑顔で少女に接するマスターを眺めながら、アーチャーは呼び出された当初の遣り取りを思い返していた。





『サーヴァント・アーチャー、召喚に応じ、馳せ参じた。――お前が俺のマスターで相違ないか?』


 茫然と佇む少年への、敬意も何もない誰何の問いに、少年は微塵の怒気も見せずに破顔した。問いに鷹揚に頷き、互いの自己紹介を済ませた後、彼は己のマスターに質した。

 ――聖杯になにを願うのかと。

 少年はこう答えた。


『永遠に略奪を繰り返すために、唯一奪えない自分を愛せる術を聖杯に願う。女を、宝物を、命を奪う歓喜に一生浸っていたい』


 臆面もなく高潔な英霊の前で破滅の祈りを言い放つ少年に、しばし彼は瞠目して――『それもありか』と、その歪んだ願いを受け入れた。
 彼の従順な態度にむしろ困惑したのは、悲願をぶち撒けた少年の方だった。高潔にして義理難い。伝承にある彼の気性からは考えにくい冷徹な対応。非難されることは覚悟していたのだろう。想像していた人柄とは隔絶した彼に当惑する少年に彼は平素な声音で、


『そういう人間もありだろう。どれほど下劣な人間であろうと、お前が俺のマスターであることに変わりはないし、俺の祈りも変わらない』


 達観を通り越し、もはや冷酷ですらある彼の倫理観に、少年は腹を抱えて哄笑した。
 『オレ、君を好きになれそうだ』と、艶美な面貌いっぱいに頬笑みを湛えて。


 率直に言えば、彼は少年に好意を懐けそうになかった。
 べつだん少年の願いを外道の戯言と侮蔑した訳でもなければ、少年の人格を忌避した訳でもなかった。
 単に彼は、“マスター”に干渉する気がなく、個人への人的興味すら湧かなかったのだ。たとえどのように悪辣なマスターであれ、聖人のような人格者であれ、彼にとっては等しく人間にすぎなかった。
 誰であろうと対応に変わりはない。彼の願いに滞りがなければ、ただの機械的な関係として一時の主従に終始するつもりだった。


 ――そう。彼が、己がマスターに何の関心も懐かなければ。



* *



「むか~しむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、」
「美月さん、そのはなしもう何回もきいたよ」


 少年の膝の上に座る桜が、小さな唇を尖らせて少年を見上げた。非難がましい目つきで見つめられて、両手で開いた童話を閉じ、少年は困ったように愛想笑いを浮かべた。


「んー……じゃあなにを読みたい?」
「えっとね、ギリシャ神話とか、アーサー王の死とか!」
「……それは桜ちゃんの情操教育によくないかな」


 年不相応にませた趣味を持つ桜にますます困り果てて、少年は苦笑した。
 桜は頬を膨らませて上目遣いに少年の貌を睨んだ。拗ねた表情も可愛らしい。ともに暮らし始めて早一年。最近は遠慮も恥じらいも取れて、我が儘を言って少年を困らせるようになっていた。心を許し、甘えてくれるまでになった現状は、嬉しいようで心苦しくもある。
 これからは、稚気な我が儘を聴いてやる機会も減ってしまうから。


「むー……でもわたしは、魔術の知識なら大人にもまけないよ? なのに読んでくれないの?」
「それとこれとは話が違うからね。まだ内容を理解するのは、桜ちゃんには早すぎるよ」


 少年の胸に背中を預け、不満げに身動ぎする桜の頭を宥めるように優美な掌が撫でる。すると不機嫌さは鳴りを潜め、桜は喉を鳴らす猫のように目を細めた。
 桜は少年の手が好きだった。不安が払拭され、暖かい気持ちになれた。少年は桜が落ち着いたのを見計らって口を開いた。


「ごめんね。だから今日は、桜ちゃんが眠るまで、ずっとそばにいるから」
「……眠ってからも、ずっとそばにいてくれないの?」


 確信を突いた言葉に少年の掌が止まった。――まさか、見抜かれているとは思わなかったから。
 桜も、此度の聖杯戦争の苛烈さは聞き及んでいる。七人の魔術師による殺し合い。少年が参加することも知っていた。だが、今夜、戦場に赴く旨を言い当てられるとは……


 子供の方が心情の機微に敏感ということか、それとも普段とは異なる些細な情緒の違いを悟れたのか。どちらであれ、少しだけ迂闊だったかもしれない。
 この少女に負担を与えたくはなかったから。
 少年は曖昧ではない、見るものを安堵させる暖かな笑顔で再び桜の頭を撫でた。


「大丈夫。少しだけ離れるけど――ほんの少しの間だけだから。ちょっとしたらまた桜ちゃんのところに帰ってくるよ」
「ほんと? 朝起きたら、そばにいてくれる?」
「うん。だから、今日は安心して眠ってね。朝になったら美味しいご飯を用意して起こしてあげるから」
「――うんっ!」


 慈母のような頬笑みに、桜は屈託なく破顔して頷いた。不安など欠片もない、澄みきった笑顔だった。



* *



「おやすみ……」


 桜を寝かしつけたあと、少年は名残惜しげに頬を撫でて寝室を後にした。
 薄暗い廊下に出た彼を、燦然たる光が出迎える。


「随分とお楽しみだったようだな。そんなに家族の真似事は楽しかったか、略奪の魔術師殿」


 痛烈な皮肉と共に彼のサーヴァント――アーチャーが実体化した。
 色素が欠落した純白の肌と乱雑な髪が目に入る。次いで禍々しい具足と太陽を模した肩当てが特徴的な黄金の鎧。少年が身に付けている物と全く同一の耳環と、冷徹な印象しか与えない怜悧な双眸。灼熱が外套のように彼の背中で揺らめいていた。
 アーチャーの皮肉を受けて、少年は磊落に笑った。


「あはは。うん、楽しいよ。なんせ『初めて』の家族だ。家族との触れ合いでこんなに安らいだ気持ちになれるなんて、奪い取るまで知らなかった」
「……」


 感慨深く、その言葉すら愛おしむように呟く少年を、アーチャーは黙したまま見つめるしかなかった。


 無論、彼はマスターである少年に不満がある訳ではない。
 供給される魔力の量も膨大にして余りあるし、魔術師としての力量も現代の魔術師ならば破格の腕前を誇っている。その属性の特異さも誰もが驚嘆せずにいられないだろう。


 不必要な干渉を避け、マスターとの接点を極力省くつもりだった彼をして、会話によって少年の本質を知りたいと思わせたのは、不満ではなく疑問。
 アーチャーの固有スキルのひとつに『貧者の見識』という技能がある。相手の性格・属性を見抜き、言葉による弁明、欺瞞に騙されない。相手の本質を掴む彼の眼力が、これまでの少年の言動を見続けて不可解な結論を出していた。


 すべてを略奪し尽くしたいと願った少年と桜を愛する少年――そのどちらもが、本当の『綾織美月』であると。


 人を破滅させ、略奪の限りを尽くす非道の少年。
 家族を慈しみ、限りない愛情を注ぐ優しい少年。


 そのどちらもが紛れもない『綾織美月』で、本物であるが故にその言動には一切の虚偽も偽装も欺瞞もない。そのある意味矛盾した在り方がアーチャーに純粋な興味を懐かせていた。
 略奪を是とする少年を知らなければ、家族を愛する少年をこの目で見なければ、疑問には思わずに済んだに違いない。
 しかし、彼を好きだという少年も本物ならば、人を憎む少年も本物なのだ。天使と悪魔を連想させる二面性。それが天秤にも似た危ういバランスで保たれていることに彼は気づいていた。


 そして、この奪うことしか知らない少年が抱える小さな綻びも――



「ねえアーチャー? 君ってさ、武装も奥義も奪われた末に負けたんだよね?」


 宵闇に昂揚したのか、陰惨に艶やかな面貌を歪めて少年が質した。
 冷然とした佇まいのまま、アーチャーは淡々と答える。


「そうだな。呪いと怨恨と策謀で俺は死ぬことになった。まともに戦える機会は――思い返しても少なかったな」


 数々の悲運、悲劇に見舞われた英雄は、嘆くでも憤慨するでもなく、ただ記録を朗読するかのように平素な声で、己が過去を振り返った。その声音には屈辱も未練もなく、無念だけがあった。
 無表情なサーヴァントに少年は花が綻ぶように微笑んで、


「そっか。じゃあ今回の君は負けないよ。もう奪われる心配がない。なんせ君はもう、全部オレのものなんだからね」
「……」


 嘘偽りない事実を口にした。粉飾も欺瞞もない言葉にアーチャーは閉口する。
 ならばこの身も心も武装も、既に奪われたことになるが――べつだん間違ってはいないことに思い至って得心した。
 要するにこの魔術師は、アーチャーの人生に纏わりついた艱難な障害を排した決闘の場を用意してやると暗に告げているのだ。
 アーチャーの祈りを慮って。


「さて、行こうかアーチャー。つい先刻、アサシンのサーヴァントが脱落した。まぁ、演出過剰な三文芝居だったけど、闇討ちを恐れてた他のマスターは挙って街に繰り出す筈だ。ようやく始まりだよ、聖杯戦争が」


 黒曜の双眸が嗜虐に煌めいた。瞳が水晶のように揺らめき、アーチャーを射止める。――不思議だった。こんなにも純粋なままで歪んでしまえる人間がいるとは。どうしてこうまで歪な在り様に至ってしまったのか。魔術師故か、人としての本質故の業なのか。


 召喚されてから数日……そのつもりはなかったのに、興味を懐いてしまった。それが少年の面妖な異能が原因なのか、異常な二面性を目にしたからかは判らない。ただ――少しだけ、奇妙な信頼を懐いているのも事実だった。


その原因すら判らないまま、黙考に耽る暇もなく少年は夜の街へと歩いていく。彼もまたその背に続いた。
確証はないが――この少年は自分を裏切ることはない。それだけは確信できていた。




[30511] ACT3
Name: コモド◆be76c9fb ID:3690f822
Date: 2011/12/06 20:49
ACT3


 籠城を止め、深夜の散策へと繰り出したはいいが、結果は空振りに終わった。
 アサシンが脱落したからといってその日から動き出すほど早計なマスターはいない、ということか。
 遠坂時臣はサーヴァントの姿こそ見せたが籠城の構えは解かず、ロード・エルメロイも同じくホテルに籠城、衛宮切嗣は未だに入国せず、他のマスターの足取りは不明。膠着状態は変わらない。正直、辟易していた。


「はあ……」


 リビングのソファで寛ぎながら、綾織美月は陰鬱なため息を吐いた。昨夜の約束は守れた。何の収穫もなかったのだから当然だ。喜ぶ桜の笑顔を見られるのは嬉しいが、進展がないのでは気分が晴れる訳もない。
 天井を仰いだ美月は、ふと左手に宿った令呪を眺めた。蜘蛛を崩したような歪な刺青が刻まれている。どことなく太陽に見えないこともない。美月は令呪そのものをいたく気に入っていた。暇になれば眺めているほどである。奪ったというだけで彼には価値があったが、喉から手が出るほどに渇望した聖杯戦争の参加権でもあるため、殊更に愛着が湧いたようだった。


 だが、その令呪に些か問題が生じている。


「まさか、制御権までなくなるとはなぁ……」


 聖杯は、“聖杯を求める者”のみに令呪を授ける。意思なき者には令呪は宿らない。そして令呪は彼自身の魔術回路に直結している。
故に彼が他の肉体を行使している間は、その手から令呪が消えてしまう。つまり、サーヴァントの制御権を失ってしまうのだ。
 勿論、完全に消え去った訳ではなく、あくまで行使できる令呪が『中』に収まってしまっただけなので魔力供給自体に支障はない。そもそも高い『単独行動』スキルを有するアーチャーには供給自体が不要なのだが、最大の問題は――


「ねえアーチャー。もしオレがマスターじゃなくなったら、オレを殺す?」
「……質問の意図が判らないな。なぜそうなる?」


 冷やかな美貌を相変わらずの仏頂面で固めているアーチャーは、脈絡のない問いに憮然とした声音で返した。美月は美月で物騒な質問を何気ない会話のように投げかけていて、冗談なのか真剣なのか判然としない。
 美月は白魚のように細く優美な指を広げ、甲に刻まれた令呪を見せつけるように掲げた。


「要するにさ、オレが令呪を使えなくなったらオレを殺すか、って事だよ。翻意されて後ろからズドン! なんて真似されたら困るし」
「反旗を翻す気のある奴が主の前で本心を話すと思うのか?」
「まあ、それはそうだけど」


 嘘を吐かれれば全く意味のない無駄な問い。悟っていながら訊いたのか、さほど期待もしていなかったのか。気のない返事をした後、美月はソファに仰向けに寝そべった。
 気紛れなマスターに呆れの吐息を漏らしてアーチャーは言った。


「信じるか信じないかはお前の勝手だが、俺は裏切る気はない。そもそもお前を切り捨てて俺が得るメリットがない。これで満足か?」
「ああ、メリットか。そういう考え方もあるのか。なら安心だね」
「……」


 一人で勝手に納得して、しきりにうんうんと頷く美月に、アーチャーは付き合いきれなくなったのか視線を窓の外に移した。――美月は、端からアーチャーを信じて疑っていないのだから。


 美月がアーチャーに盲目的なまでの信頼を寄せていることは、召喚された時から気付いていた。理由は『オレが奪ったものだから』。
 そんな常人には理解不能な思考をしている割に中身は存外人間臭いのが、この少年の奇妙な在り方だった。先ほどの質問も、噛み砕いて言えば、付き合いたての恋人に自分が好きか、と確認する取り止めのない行動だ。信頼はしている。だが不安になる。だから訊かずにいられなかった。


 そういう妙に人間らしい部分を見せられて、アーチャーはますます彼が解らなくなった。



* *



「舞弥……これは誰だ?」


 衛宮切嗣は、安ホテルの一室で落ち合った助手の久宇舞弥に悄然とした面持ちで問いを投げていた。声音には困惑と疑問が渦巻いている。


「間桐のマスター、綾織美月で間違いないかと思われます」


 当惑した切嗣とは対照的に冷淡なまでに抑揚のない声で久宇舞弥が答えた。色白の端正な美貌は、研ぎ澄まされた刃物のように隙がなく冷然とした雰囲気を纏っている。
 彼らが眺めているのは十三インチのブラウン管だった。昨夜動きのあった遠坂と間桐――その監視を行っている使い魔に括り付けたCCDカメラの映像には、黒髪の少年が映っていた。


 二人は始め、遠坂邸で行われた黄金のサーヴァントとアサシンの交戦――と呼ぶにはあまりに一方的な殲滅戦――を確認していた。幾多の疑問点から、遠坂と教会に何らかの繋がりと策略があるのだろうと推測できた。その後に間桐邸に動きがあり、綾織美月が穴熊を止めて戦いに赴く気になったのかと思いきや……現れたのは、完全な別人であった。


「左手に令呪が確認できます。そして現在、間桐邸に住んでいるのは間桐臓硯、間桐桜、綾織美月の三人だけです。他の人物が出入りした形跡もありません」
「……これが綾織だって? 容姿も体型も、まるで別人だ」


 不鮮明ながら、その顔立ちと令呪の紋様は判別できた。その端正な貌には、切嗣の知る一般人、綾織美月の面影は微塵もなかった。令呪や人の出入りから、これが当人である可能性は、ほぼ間違いないと言えた。
 この後、綾織は街を散策して明け方に帰宅している。目的は十中八九、敵を求めてのことだろう。


 此処にきて切嗣は、綾織美月への認識を完全に改めた。
 この容姿の変貌は幻惑や暗示の類ではない。容貌そのものを改変する、もっと高度な魔術だ。魔術師の薫陶をたかが一年受けた一般人が扱える魔術ではない。
 おそらく、間桐に腰を落ち着けるより以前から魔道に身を置き、韜晦し続けてきた魔術師なのだろう。一般人に成り済ましているのは、身分を詐称する必要があったから……それが聖杯戦争への策謀ならばまだいいが、封印指定を受けて、執行者から逃れる為だったのならば最悪だ。


 封印指定を受ける魔術師は、一代限り、または稀少な魔術を修得しており、その異能は奇跡とも呼ばれている。既存の定義を覆すもの、魔法に辿りつく可能性のあるものなど様々だが、魔術師として非常に卓越した天才である場合が多い。そして最も脅威なのがその神秘である。
 魔道の常識を覆す稀有な魔術――例えば、人間と全く同一の人形を作り上げてしまう人形師など、もはや人外の神秘を宿す者が多く、またその詳細も未知数。切嗣からすれば、時臣やケイネスよりもやり辛い相手だった。


 だが、極論を言ってしまえば、本質は魔術師と変わりはない。
 衛宮切嗣の悪名は“魔術師殺し”
 対魔術師に特化し、魔術師を殺害することに関して彼に勝る者はいない。そして、その切り札たる礼装は、彼の忠実な部下である舞弥が携えている。死角はない。むしろ警戒すべきは、もと代行者である言峰綺礼だ。そして自分は、迷いを捨て殺戮機械に徹しなければならない。目的の為に、人類救済という悲願の為、イリヤやアイリへの想いを断ち切って――


 だというのに、切嗣には綾織への不安が拭えずにいた。杞憂のままで終わって欲しいと、切嗣らしくない不安は、舞弥の唇が奪い去るまで続いた。



* *



 綾織美月がサーヴァント二人を捕捉したのは当然の帰結であった。なにせ片方はマスターと思われるホムンクルスと優雅に白昼の街中でデートに興じ、もう片方は闘気による誘いをかけて挑発してきたのだから。


「さて、どうしようかな」


 美月は十一月の寒冷な空の下、ビルの屋上から金と銀の髪の主従の様子をつぶさに観察していた。その色素の薄い双眸は今、水晶のように陽の光に照らされて煌めいている。


『魔眼か?』
「うん。単純な『遠見』の魔眼だけどね。対象は一人に限られるけど、一度捕捉した相手ならずっと視認できるよ」


 霊体化したアーチャーの問いに弾んだ調子で返した。彼の魔眼は遠見の水晶と同じ効果を持つ、つまりは千里眼……魔眼としては割とチープな類の能力だった。この魔眼が発動すると視点が対象へと切り替わるため、自身の眼が機能しなくなる弱点がある。故に美月はせっかくの魔眼も『覗きにしか使えない駄眼』と嫌悪していた。


 今回はようやく役に立ち、魔眼の面目躍如という処か。それもアーチャーの鷹の眼があれば不必要だったのだが。


「んー……」


 美月はふと思慮する素振りを見せた。


「惜しいなあ……コイツらが男女なら、銀髪の女を奪ってやるのに……」
『……』


 心底口惜しそうに漏らす美月に、アーチャーはほとほと呆れ果てた。美月に監視を任せ、周囲の警戒をしているアーチャーには判らないが、そのサーヴァントのマスターはよほどの美女らしい。そしてサーヴァントもまた女性のようだ。美月の話から察するに、サーヴァントは男装の麗人でマスターは麗しい女性で、白昼堂々とデートを繰り広げているらしい。それで男かと思っていたサーヴァントが女性で憤っていると。


 男女の区別でいうならば、性別の見分けがつかないのは、このマスターも同様であったのだが。






「ねえアーチャー。君ってまだ戦争のルールとかに固執してんの?」


 夕闇に染まり、人工的な光に照らされた街を眺めながら美月は神妙な表情で尋ねた。


 アーチャーの生きた時代では、戦争にはルールがあった。
 対等な者同士で、正々堂々、卑怯な手口を用いずに戦わなければならなかった。彼はそのルールを破られ死亡した。時代背景と伝承を鑑みるに、彼が伝説通りの気高い戦士ならば質しておかねばならない問題だった。
 アーチャーは事も無げに、


「この戦争は“聖杯戦争”だろう。卑劣な手段や卑怯な策を講じてはならない、などという決まりはあるまい。好きにするといいさ」


 柔軟かつ冷酷な答えに、美月は陰惨に破顔した。それは悪戯を思いついた子供が浮かべるような、幼気な残酷さに満ちた笑顔だった。


「オーケーオーケー。じゃあ問題なしだ。言われた通り、好きにやるよ」


 水晶の瞳が映す先では、挑発に乗った例の主従が、誘われるがままに海浜公園の東側の倉庫街へと足を踏み入れていた。


あとがき
18禁にするか、このまま全年齢で書くかで悩んでいます。





[30511] ACT4
Name: コモド◆be76c9fb ID:3690f822
Date: 2011/12/17 00:25
ACT4



 それは、神話の再演だった。
 剣戟の余波だけで烈風が吹き荒び、どちらかの得物が擦過しただけで構造物が跡形もなく壊滅していく。鋼と鋼が打ち合うだけの前時代的な決闘が、破滅的な破壊をもたらす人外の攻防の演武を繰り広げていく。


 眼前で行われる人並み外れた武人の武闘に、アイリスフィールは、ただただ驚愕に息を呑んでいた。幻想の住人、伝説の武芸。空想でしか描けない時代を越えた決闘に言葉が詰まった。
 凄烈さは聞き及んでいても、こうして己が眼で確と見届けて、改めてセイバーという少女が名高き騎士王なのだと実感していた。そして倒さねばならぬ敵であるランサーの難敵ぶりも――





「セイバー!」
「――ありがとうアイリスフィール。大丈夫、治癒は効いています」
「やはり、易々と勝ちを獲らせてはくれんか……」


 いったい何が起きたのか。痛みの残滓に脇腹を庇いながら、セイバーは黙考する。不可解な槍で傷を付けた当のランサーは、強敵に出会えた悦びからか、不敵な笑みを浮かべてさえいる。
 その手に携えた紅槍。それと打ち合った瞬間、彼女の聖剣を纏う風王結界が解けた。次いで、魔力で編まれた鎧を擦りぬけ、彼女の脇腹を切り裂いた。
 しかし依然として鎧には傷一つない。まるでその瞬間だけ、鎧が消失してしまったかのように。


「……そうか。その槍の秘密が見えてきたぞ、ランサー」


 セイバーの鋭い見識は、既にランサーの魔槍の効果を見抜いていた。
 あの槍は魔力を断つのだ。槍と接触した刹那、魔力を無効化し遮断する。だが魔術を根本から破壊するほど強力な効果はない。あくまで触れている間のみ発動する能力だ。それでも脅威には違いなかったが。


「その甲冑の守りを頼みにしていたのなら、諦めるのだなセイバー。俺の槍の前では丸裸も同然だ」
「たかだか鎧を剥いたくらいで、得意になられては困る」


 そう気丈に嘯いて、彼女は身を包む甲冑を解除した。銀の飛沫が夜闇に輝きながら散っていく。総身の鎧総てを消滅させた彼女は、青い帷子のみの軽装で再び構えをとった。低く下段に、刀身を後ろに、そして半身をランサーに向けて対峙する一撃必殺の構えで。
 捨て身の覚悟で一撃を繰りだそうという思惑でいるのは間違いなかった。


「防ぎ得ぬ槍ならば、防ぐより先に斬るまでのこと。覚悟してもらおう。ランサー」
「思い切ったものだな。乾坤一擲、ときたか」


 郷愁と緊張が入り混じった面持ちでランサーは、その必殺の気合いで臨むセイバーに向き合った。
 ランサーはセイバーの魂胆を悟っている。彼女が持つ『魔力放出』スキルを最大限に活用しての攻撃。鎧の形成に用いる魔力を機動力、破壊力に動員しての、セイバーのステータスならば文字通り必殺の剣戟を打ち放とうとしているのだ。
 鎧が通じないのならば、敢えて鎧を捨てることで活路を見出す。迅速で無駄のない、王ならではの決断だった。


「その勇敢さ。潔い決断。決して嫌いではないがな……この場に限って言わせてもらえば、それは失策だったぞ。セイバー」


 ランサーは慎重に、だが挑発するような軽い足運びで横へと移動していく。


「さてどうだか。諫言は、次の一撃を受けてからにしてもらおうか」


 嘯く節々からは、勝機を見出した自信が窺えた。セイバーの次の突進の速度を見誤れば、速度にランサーが反応できなければランサーは即死する。一刀両断に裂かれ、勝敗は決するだろう。
 緊迫した空気の中、一瞬、僅かにランサーの足運びが鈍った。砂利に足運びが乱れたのか、動きが停滞する。その隙を見逃すセイバーではなかった。


 けたたましい炸裂音とともにセイバーが飛翔した。強力な風の魔術で編まれた『風王結界』を噴射に利用しての超加速。実に通常の踏み込みの三倍もの速度。


音速の数倍に値する超々高速で肉薄するセイバーは――だからこそ気付けなかった。セイバーとの対峙に集中していたランサーもまた同様だった。
 互いに勝機を逸るあまり、相手に意識を注ぐあまり、悟れなかった。


 数百メートル先より飛来する流星。今にも勝敗を決そうと、聖剣と魔槍が交叉しようとしたその瞬間。
灼熱の業火を纏った無数の鏃が、死の恒星となって二人に降り注いだ。



* *



「仕留め損ねたか」


 舌打ち混じりに構えた弓を降ろし、冷酷なまでに端然とした双眸が対岸の惨状を見下ろした。質素な形状でありながら、神々しい装飾に彩られた純白の弓には、猛々しく燃え盛る火矢が番えられている。
 いや、その猛威を火矢と呼んでいいものか。一矢一矢がセイバー、ランサーの渾身の一撃に匹敵するほど強力な火炎弾。音速を超える速度で迫るそれは、さながら燃え尽きながら落下する流星の如き威力を持って、決戦に臨む二人のサーヴァントに降り注いだ。


 あの一瞬で放たれた鏃の数は十一。戦場は絨毯爆撃にあったかと見紛う惨憺たる有様であった。朦々と立ち込める黒煙と燃え爆ぜる火焔が覆い隠しているため、その全貌は窺い知れないが、鏃が着弾する瞬間は見届けている。
 彼らは健在だ。完全な慮外からの不意打ちであったというのに。それでこそ伝説に名を馳せる英霊だ、と、アーチャーは悦びに心を震わせる。それは、まだ見ぬ強者の存在に歓喜する武人の武者震いだった。





 セイバー、ランサー両名が決闘に臨む直前、彼のマスターは己がサーヴァントに一つの指示を出した。悪戯を閃いた子供のような表情で、


『これからは単独行動をとって、二人のサーヴァントの隙を狙い、遠距離から狙撃して。ああ、別に何キロも離れた場所じゃなくていい。ギリギリ視認可能な位置で霊体化して、仕留められるタイミングを見計らって狙撃するんだ。その後は好きにすればいいよ』


 神聖なる騎士の戦を穢すことを強要した。しかし、アーチャーは騎士ではなく戦士である。騎士と同じく誇りこそあれども、精神の方向性が異なっている。戦争への気概そのものが伝承との差異ある彼には、さして抵抗はなかった。
 むしろアーチャーの特性を鑑みれば、当然の策と言えた。漁夫の利と言わず、決闘の最中の二人を遠距離から狙撃し、仕留める。近距離戦闘が不得手なアーチャーには非の打ち所のない戦術だ。


 仕損じればサーヴァント二体を同時に敵に回す危険も伴うが、それこそ彼の望む状況である。
 実体化、弓を構え、射出する。これらの動作から着弾までを僅か四秒で行える敏捷を備え持つアーチャーには、近接戦であっても遅れを取らない、確固とした自信があった。


 ――思えば、あのマスターは『狙撃しろ』、とは言っても、『それで倒せ』とは言わなかった。
 マスターとしての策を提示し、後はアーチャーの一存に任せたのだ。それは絶大な信頼なくして成立しない。何せ、勝敗の一切を配下の兵一人に託すと明言したことと同義なのだから。


「……」


 らしくない感傷に浸ってしまった。思えば、彼を心から信用し、信託してくれた友は、仕えた主君一人だけだった。知らず知らずの内に少年に無二の友の姿を重ねていたのだろうか。


“――馬鹿か、俺は”


 似つかわしくない郷愁に自嘲し、空の彼方を睥睨した。視線の先では、冬木大橋のアーチにて仁王立ちする巨漢がアーチャーを睨み据えていた。



* *



「――行くぞ、坊主」


 冬木大橋のアーチ上に陣取ったライダーが、ふと重い腰を上げた。その声音に初めて聞き入る怒気を感じて、ウェイバーは寒さ以外の要素で背筋が凍りついた。高さとは別次元の恐怖に震えあがりそうな躰を、マスターとしてのプライドで何とか動かして声を絞り出す。


「い、行くってどこに?」
「決まっておろう。騎士の聖戦に横合いから殴り付けた不埒者を成敗しに、だ」


 憚りなく断言したライダーの言を受けて、ウェイバーは視線を巡らせた。彼らが四時間も追いかけ回していたサーヴァント二体の戦場が、まるで爆薬でも炸裂したかのような惨状を呈している。全容を傍観していたライダーとは違い、そもそも細部までは見えないウェイバーには何が起こったか判らないが、あれがサーヴァントの仕業なのは簡単に想像できた。
 超常の存在であるサーヴァントは、世間とは一線を画す魔術師の常識をも覆す暴威を奮う。たとえその規模が戦略爆撃機に匹敵する破壊を個人が行うとしても、それがサーヴァントという、伝説の英傑の力なのだ。


 そう、この征服王イスカンダルと同様に。


「セイバーとランサー。ともに胸の熱くなるような益荒男よ。その死合いに横槍をくれるなど無粋の極み。このような不埒者に奴らを倒されてもらっては困るのでな」
「た、倒されて困るってなんでさッ!? お前、あいつらが潰し合うのを待って襲うんじゃなかったのかよ!」
「何を勘違いしておる坊主。余は端から漁夫の利を得ようなどという腹積もりはない」


 混乱するウェイバーになおライダーは剛毅に嘯いた。まるでそのような卑小な手など講じる気などない、と器の違いを見せつけるように。


「余が挑発に乗らずに傍観に徹していたのは、他の英雄豪傑を見極めるためよ。余の他に六人、これだけの数の英霊が集うなど、現代ではありえんだろうからな。当然であろう?」


 猛獣の如き凄愴な笑みを浮かべるライダーに、ウェイバーは漸くこの男が、既存の常識もルールも通用しない獰猛な意思を持つ熱帯性低気圧そのものなのだと理解した。災害を人間に制御できる訳がない。とにかく周囲を巻き込んで被害を撒き散らすだけである。


「だが、その中に騎士のなんたるかを理解していない輩がいるとなれば、これは余が矯正してやらねばなるまいて」
「……矯正って、どうやって?」
「余の拳で殴るに決まっておろう」
「……」


 親子の躾やレトロなテレビではあるまいし、叩いて直るものではないだろう……
 そうツッコミたいのは山々だったが、何の気負いもなく豪語するライダーに呆気に取られて、ウェイバーは愕然と閉口するしかなかった。何処となく、この男ならやってのけそうな気がするのは、この男の『カリスマ』スキルAによるものだと思いたい。


「では我らも参るとするか、坊主。――『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』!」


 腰に佩いた剣を抜き、切り裂いた虚空から現れる、雄々しい神牛に牽引された強壮たる古代の戦車。その魔力の奔流に、鉄骨にしがみついたウェイバーが吹き飛ばされそうになるが、当のライダーは軽々と跳躍して戦車の御者台に飛び乗っていた。


「お、お前絶対馬鹿だ! 無茶ばっかりしやがって、ああもう本当に馬鹿野郎!」
「然り。余を含め、我が朋友たちの誰もが、一様に同じ夢を懐いた馬鹿者ばかりであった」


 とにかくこのサーヴァントを罵倒しなくてはと叫んだ罵声も、ライダーは鷹揚に笑って受け流した。


「どうする、坊主? 余の采配が気に食わぬなら置いていくが?」
「行くよ! というか絶対置いていくな馬鹿! 僕も連れていけ!」
「うむ、その意気や良し。――いざ征こうか、ゼウスの仔らよ!」


 鉄骨に抱きついたウェイバーをひょいと摘み上げ、同じく御者台に乗せると、紫電を走らせながら、かつてアジアを蹂躙した戦車は火焔を纏う黄金の威容へと吶喊した。



* *



 突如飛来した灼熱の彗星。雌雄を決そうとした二人がそれを察知したのは、ほぼ同時であった。


 セイバーは、その未来予知に近い直感によって、自身を襲う危機を感知した。ランサーへと突貫した身を無理やりに反転させ、地面に着地させた脚で勢いを殺しながら迎撃態勢を取る。
 一方で先に迎撃の構えを取っていたランサーは、セイバーよりも早く迫り来る脅威を察知し、地面に埋まった黄槍を回収したのち飛び引いていた。それによりセイバーはランサーの迎撃を受けずに済んだのだが――


 果たして、膨大な魔力に覆われた火矢は、倉庫街に甚大な被害をもたらした。両者はなんとか対処が間に合ったが故に無傷でいられたが、直撃すれば即死、ないし重傷は間逃れなかったに違いない。
 これだけの魔弾の射手となれば、下手人はアーチャーに決まっていよう。


「くっ……」


 辛くも迎撃に成功したセイバーは、燃え盛る業火と立ち昇る黒煙の視界を払うため、『風王結界』に周囲の大気を呼び込んだ。すると、忽ち煙が霧散し、健常な視界が戻る。
 眼前には未だ健在な好敵手と、


「無事ですか、アイリスフィール!?」
「ケホ……え、ええ。大丈夫よ」


 背後に咳き込みながらも無傷のアイリスフィールの姿がある。戦場である倉庫街は、もはや見る影もない、紅蓮の戦火に染まっていた。
その中で、偽りとはいえ、マスターを装った彼女を狙わなかった処を見ると、敵は仕留める算段ではなく、どうやら単に二人の決闘に水を挿しに横槍をくれにきただけらしい。


「……ッ」


 苛立ちに剣の柄が軋む。名乗ることもできない決闘とはいえ、互いに騎士の誇りを胸に懐く二人の死合いを邪魔立てするなど、言語道断の無礼である。仮にも聖杯に招かれた英霊が、このような卑怯な手段を講じるとは信じたくなかった。


 下手人は、未遠川の対岸に佇む威容らしい。火焔に包まれたように見えるサーヴァント――弓を扱う英霊は数入れど、先の火矢に込められた炎の威力を考慮すれば、太陽神に由来する英雄と判断できる。
 太陽神に縁故ある英霊で真っ先に思いつくのは、太陽神ルーの息子にしてアイルランドの大英雄、クー・フーリンだが、彼にアーチャーの適正があるかは甚だ疑問である。しかし殆どが半神の英霊な為、途轍もない英霊には違いない。


「まったく、無粋な奴腹もいたものだな」


 初冬とは思えぬほどに上昇した気温の中でも、魔貌の槍兵は変わらぬ涼しい顔で罪作りな微笑を浮かべ、軽口を叩いた。しかし、その眼光はセイバーに向けていた戦闘への喜悦に満ちたものではなく、戦を邪魔立てしたアーチャーへの怒りに鋭く研ぎ澄まされている。
 彼もまた、この『手心を加えた挨拶』に怒り心頭であった。殺すつもりもない、単に己の存在をひけらかすのが目的の遠距離射撃。挑発の意味もある攻撃は、言外に二体同時に相手にしても構わない、という嘗め切った侮蔑も含まれている。憤慨するのも当然で、騎士として度し難い侮辱であった。


「して、セイバー。彼奴に中断された訳だが――どうする、騎士王よ」
「あなたこそ、どうするのだ? フィオナ騎士団随一の戦士、“輝く貌”のディルムッド・オディナ」


 『英霊の座』に招かれた者ならば見間違えはしない、最強の黄金の聖剣。魔力を断つ紅槍、女性を魅了する魔貌の黒子。もう片方の黄槍は不治の呪いを宿すゲイ・ボウであろう。
 互いに名を知った彼らは隔たりなく己が武を競い合うことができるようになった。しかし、この射手がいる限りは適わない。牽制し合い、睨み合うしかない現状で――


 静寂を引き裂く、雷鳴の轟きに誰もが目を見開いた。擬然と振り向いた先には、轟々と紫電を纏った流星が、怒涛の勢いで対岸のサーヴァントへと吶喊していく姿。
 眩い雷電の流星となったソレは、夜闇を燦然と照らしながら、不動の陽炎と激突した。
 聖杯戦争の第二幕が開演する。より熾烈に、より凄愴に。冬木の地を、紅蓮の華で染め上げて。



* *



「AAAALaLaLaLaLaie!!」


 天をも揺るがす雷響の轟音と、それをも圧する猛々しい雷声。豪壮な戦車を牽く二頭の神牛が、その雄々しい蹄で紫電を奔らせ、途轍もない威力の雷轟を迸らせている。
 神威の車輪――『ゴルディアスの結び目』を切り落とした偉大なる大王が手に入れた、かつてゼウス神に捧げられた祭具。ゼウスの仔でもある聖獣に牽引されたソレは、正に稲妻の如き速力で灼熱のサーヴァントへと猛進する――


「――む?」


 怪訝な声は、肉薄するライダーのものだった。アーチャーは接近する戦車の猛威を前にしても回避する素振りを見せなかった。番えた矢を迎撃に放つでもなく、微動だにせずライダーを睥睨するばかり。


 そしていよいよ牡牛が、その威容を蹄にかけようとした時、陽光が夜空を燦然と照らしあげた。


「なんだと……?」


 これには、さしものライダーも瞠目せずにはいられなかった。
 アーチャーの黄金の鎧と耳環。禍々しい形状のソレが、やおら煌々と発光し、光の粒子がアーチャーを半円状に包み込んだ。その光が神牛の蹄を完全に遮断し、鬩ぎ合ったまま虚空で停止したのだ。


 太陽の守護――ライダーは知る由もないが、その鎧と耳環は、太陽神が息子に与えた、神々ですら破壊することの敵わない光そのものが形となった存在である。
 
地上を照らし上げるものはなにか?

 言うまでもない、太陽だ。人工的な光が生み出されるまで、人々に光を授けたのは太陽であり、火だった。これは人への恵みが形になった、使用者に不死を与える鎧。

 不滅の象徴である太陽の光が加護を与える、無敵の鎧と耳環である。



「むおッ!?」


 肩当てから噴出する紅炎が、光に阻まれながらもアーチャーを踏み潰そうとしていた神牛を戦車ごと弾き飛ばした。
 中空で態勢を立て直すが――


「――ッ、はぁぁあああッ!」


 続けて放たれた鏃をスパタで撃ち落とす。その衝撃で大気が震え、あまりの振動に、先の突撃で気絶していたウェイバーが目を覚ましてしまった。


「ん……? って、うわあああああ!?」
「おお、起きたか坊主」


 迫り来る火矢の威圧に恐懼し、思わず顔を覆ってしまうウェイバーの横で巨漢は呑気なまでに緊張感のない声でのたまった。
 戦車は宙空を旋回して、次々と射出される火矢を躱す。一息で繰り出される鏃の物量に、ライダーは、いったん距離を置いてさも困窮したかのように唸った。


「うーむ……参ったなぁ。神威の車輪を防ぎきるとは、あの鎧、並みの宝具ではあるまい。突破は容易ではなかろうし、弓の腕前も天晴れだ。心根は余が矯正してやれば良いし……うん、是非とも我が麾下に加えたい」
「き、麾下……? ライダー、お前なに言って――」


 目覚めたばかりで状況が呑み込めないウェイバーを差し置いて、ライダーは傍らのウェイバーの鼓膜が張り裂けんばかりの大声で言い放った。


「弓を収めよアーチャーのサーヴァント! 我が名は征服王イスカンダル! 此度の聖杯戦争においてライダーとして現界した、マケドニアの覇王である!」
「いったい何を――考えてやがりますかこの馬ッ鹿はあああ!!」


 敵を前にして、自ら真名を名乗ったライダーに、起き抜けのウェイバーは錯乱してその豪奢なマントに掴みかかった。が、敢え無くデコピン一発で沈黙させられて、御者台に倒れ伏す。


「ひとつ話がある。ひとまず矛を収め、余の提案を聞く気はないか。なに、貴様にとっても悪い話ではないぞ」


 哀れなマスターには目もくれず、ライダーは戦車を地面に着地させて、火焔の熱量とは対照的に氷柱のように冷淡な美貌のアーチャーに戦車上から語りかけた。
 聞く訳ないだろ、と額の痛みに悶えるしかないウェイバーは怒鳴りたかったが、意外なことにアーチャーは本当に弓を下ろし、気づけば敵意も失せていた。


「ほう、意外と物分かりの良い奴」
「要件はなんだ。降参か、同盟和議か」


 顎に手を添え、品定めするようなライダーの視線を意に介さず、アーチャーは淡々と言葉を述べた。いや違う、とかぶりを振ってライダーは話を切り出した。


「その武練、相応に名立たる英雄と見逸れするが、そうと知った上で一度問いたい。貴様が聖杯に祈る願いと、余とともに世界を征する悦び。どちらの比重がより重く、大きいものであるか」
「何を言うかと思えば……今この状況で、その問いに何の意味がある?」
「それが大いに関係あるのだなぁ。なにせ余は、貴様を朋友(とも)として、共に世界を統べようと思っているのだからな」
「はぁぁあああ!?」


 素っ頓狂なライダーの提案に思わず大声で叫んでしまったのは、その傍らで交渉を傍聴していたウェイバーだった。いよいよコイツ、聖杯戦争の定石どころか世間一般の常識までも欠落してしまっているのではないか。額の痛みも忘れ、目を見開いて不敵な笑みを浮かべる己がサーヴァントを凝視した。
 どこの世界に先ほどまで殺し合っていた相手に友達になろう、などと言い出されて許諾する馬鹿がいるというのか。そもそも聖杯戦争はマスター、引いてはサーヴァント同士の殺し合いだという大前提を失念しているのではないか。


 目まぐるしくライダーへの不満が鬱屈していくウェイバーの一方で、アーチャーは思慮深げに頷いた。


「ほう……朋友として、か」
「うむ。僅かばかりの手合わせであったが、貴様の腕前は見せてもらった。全くもって素晴らしい。どうだ? その弓、余のために奮ってみるというのは」
「……」


 あれ、とウェイバーは小首を傾げた。見れば太陽のように輝かしい黄金の鎧を纏った英霊は、深く考え込む素振りを見せている。仏頂面の眉間に皺が刻まれるほど思慮しているかのように見えた。もしかして、悩んでいるのだろうか。
 しばし逡巡してから、アーチャーは低い声音で、


「実に魅力的な誘いだな」
「わはは、そうであろう。男児であるならば誰もが懐く夢だ。これより尊大な野望など他にあるまいて」


 提案に乗り気なアーチャーと豪放に笑うライダーにウェイバーは空いた口が塞がらなかった。もしや世界の英雄豪傑は、ライダーのような豪快で無鉄砲で磊落な男ばかりなのだろうか。
 少し前まで殺し合っていたとは思えない弛緩した空気にウェイバーも緊張感が抜けてきた処で、アーチャーが再び口を開いた。


「先の問いの答えだが、俺には聖杯に祈る願いなどない。故に願いの比重でいうならば、征服王。お前の大望にはまったく敵わない」


 アーチャーの言葉にライダーは、ふむ、と顎に手を添えて頷いた。その炯々と光る双眸が玩具を前にした子供のように輝いているのは期待しているからだろう。



「だが――」

 しかし、アーチャーの冷酷な美貌が、不意に毅然とした面持ちを取り戻しライダーを睨んだ。


「確かに俺は、聖杯に託す願いはない。それでも願いはある。
俺は、自らの強さを確かめたくて呼びかけに応じたのだ。果たして俺は、何の憂いも呪いもない戦いでなら、仕える主君に勝利の杯を捧げることができたのか」


 明確に殺気を放つアーチャーにウェイバーは総身が震えた。ライダーと同じ、と早計した自分の愚かさを呪う。違う。このサーヴァントに比べれば、ライダーは人間臭すぎるほどの暖かみがあった。だがこの灼熱のサーヴァントは――どこまでも冷たい。無慈悲で容赦のない――おそらくは、その主君以外など微塵も気にかけていないのだろう。
 この総てを見透かされるような瞳の冷徹さは、そうでなければ説明がつかなかった。アーチャーは、敵意はそのままに、小馬鹿にするように唇を吊り上げた。


「故に俺の願いは、お前含め、総てのサーヴァントを倒すことだ。お前が俺の主君ならば乗ってもよかったが……如何せん、お前のような無鉄砲な考えなし相手では、そこの矮小なマスターのように暗殺や毒殺の苦労が絶えなそうだ。残念だが断らせてもらう」


 それはあからさまな嘲笑をこめた挑発だった。何より、その余計なひとことは、その小柄なマスターの突かれたくない劣等感を無造作につつき過ぎだった。ウェイバーは畏怖やら憤懣やら不満がごちゃ混ぜになって、やり場のない感情が爆発しそうであった。


「あーあ、交渉決裂かぁ。しかし、貴様あれだな。生前はいたく嫌われておったろう。人の気にしていることを憚りなく言い過ぎだわな」


 ぼりぼりと頭を掻くライダーの言も一笑に付して、アーチャーは弓と鏃を手に取った。すると矢は忽ち発火し、それは膨大な魔力を放つ業火へと成長する。
 それを見たライダーはなるほど、と得心がいった。何の変哲もない鏃――それに炎熱の効果を付与するのがアーチャーの能力なのだ。その込められた火焔の威力たるや、もはや矢というよりも焼夷弾に等しい破壊力である。


 交渉が決裂した時点で、既に対峙した両者が至る結論は判り切っていた。ライダーも戦車の手綱を握り締める。
 これより始まるのは純粋な殺し合い。各々の願いが異なる以上、その願いの成就に立ちはだかる障害は除くのみ。敵対した二人のサーヴァントは、己が武勇を示し、眼前の敵の打倒に全力を注ぐのみである。


「――!?」


 先に動いたのはアーチャーだった。一瞬なにかに気取られたような素振りを見せたアーチャーは、予備動作もなしに瞬く間に最高速度に達し、ライダーに肉薄した。


「ひっ――」


 ウェイバーが恐怖のあまり、両の腕で顔を覆ってしまう。常軌を逸した存在と初めて相対して、魔術師としての自尊心よりも畏怖が勝った。隣にライダーがいるとはいえ、迫り来る死の恐怖と正面から向き合うには、ウェイバーはまだ未熟すぎた。
 しかし、


「あれ……?」


 いつまで経っても起こらない衝撃を訝り、恐るおそる顔を上げたウェイバーの視線の先にアーチャーの姿はなかった。
 視線を巡らせてみても、あの燃え盛る火焔の威容は見当たらない。


「アーチャーなら向こうに行ったぞ」


 赤銅の巨漢は拍子抜けした様子で首を鳴らしながら、ウェイバーの疑問に答えた。
 ライダーのいかつい指が示す先には、橋を凄まじい速度で疾走する豆粒ほどの火焔が見える。あの後、アーチャーは対峙するライダーの真横を通り過ぎ、そのまま駆け抜けていったのだ。向かう場所は、おそらく最初に戦場となった倉庫街であろう。


「どうやら彼奴のマスターが呼びだしたようだな。単独で行動しておったようだし、大方マスターが窮地に陥りでもしたか」


 ウェイバーには見えないし聞こえもしないが、ライダーの視力、聴力には対岸の出来事が察知できているのだろうか。


「ちょうどいい。わざわざ一人一人に出向く手間が省けるわい」
「え?」


 遠退く脅威に安堵しかけていたウェイバーに、なにやら不穏な言葉が聞こえた。聞き間違えでなければ、この巨漢は『出向く』とかなんとか言わなかったか。


「緒戦の割には盛大になったが、これも征服王の復活を祝しての催しとなれば余も参加しない訳にはいくまい」
「お、おい、お前なにいって――」
「行くぞ坊主。しっかり掴まっておれよ!」
「だから僕の話を聞けよ馬鹿――うわぁぁぁあああッ!?」


 哀れを催すウェイバーの悲鳴も露知らず。ライダーの言葉に応えて嘶く神牛が虚空を蹴って新たな戦場へと赴いていく。
 混沌と化した戦場は、もはや誰にも行く末を予測しようがなかった。



あとがき
奈須さんや神話の表現を参考にしましたが、チートにも程がありますね。この神話の英雄はたいてい神霊クラスの化け物ばかりですが、中でもこのアーチャーはずば抜けています。また『アーチャーが何の憂いも呪いもなく戦えていたらどれくらい強かったのか?」というコンセプトで選んだので相応に強力なサーヴァントになっております。まぁ、元の設定自体がギル並みにチートなのですが。

18禁にするかどうかですが、やはり表現にも限界がありますので頃合いを見計らってXXX版に移ろうと思います。寝取りもコンセプトのひとつですので。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.190327882767