日本の心を伝える会有志が墓参
堪え難い陵辱を受けた惨状聞き
22名の満州従軍看護婦が自決!
日本の心を伝える会(日心会、代表=ねずきち氏、会員6005名、ブログ「ねずきちの ひとりごと」主幹)の関東地区の有志が23日、さいたま市西区の青葉園に建立されている「青葉慈蔵尊」に墓参し、清掃した上で献花、線香をあげて故人の冥福を祈った。
この青葉慈蔵尊は、大東亜戦争末期、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻したソ連軍が、軍令により派遣されていた日本人従軍看護に陵辱の限りをつくし、これを避けるために集団自決をした22名の看護婦と、蹂躙されながらも抵抗し、やはり自決したその友人9人の遺骨が納められている。
ブログ「ねずきちの ひとりごと」ではこの実話を、日本航空教育財団の人間教育誌「サーマル」平成18年4月号に掲載された「祖国遥か」(漫画)をもとに、テキストベースに書き直して今年の2月28日から三日続けて連載、大きな反響を得ていた。
訪れた時には既に多くの花が供えられていました。
ところが、ネット上ではこれは捏造ではないか、との書き込みが見られるようになり、「私自身にだけならともかく、尊い命を落とされた看護婦の皆さんの名誉まで傷つけられる事態」に衝撃を受けたねずきち氏が、二週間ほどブログの更新を中止する事態に発展したという。
墓参後の会合で、一年半に及び、執拗なねずきち氏に対する誹謗中傷を繰りかえしてきた「かぐやひめ」に対し、弁護士から内容証明を送付、民事訴訟(名誉毀損)の準備が整った経緯について報告がなされた。(ニュース調ここまで)
青葉慈蔵尊にいくという情報を前日になって知り、急遽私も加えさせて頂いて同行して参りました。うら若き乙女が迫り来る獣のようなソ連軍をまえに集団自決という話は、名作映画「樺太1945年夏 氷雪の門」そっくりですが、こちらはその前に何人もの乙女が無惨にも陵辱された様子が描写されているぶんだけなおさら悲惨です。
そのブログエントリーは下記にありますので、読まれていない方は是非ご覧ください。
献花と線香の準備をする日心会の皆さん
この石碑の裏側に自決した方々の遺書と犠牲
になられた看護婦の名簿が刻まれています。
・墓碑に刻まれた由来文
昭和二十一年春 ソ連占領下の旧満州国の新京の第八病院に従軍看護婦三十四名が抑留され勤務していたが ソ連軍により次々に理不尽なる徴発を受け その九名の消息も不明のまま更に四回目三名の派遣を命ぜられた
拒否することは不可能であることを覚悟したその夜 最初に派遣された大島看浅婦が満身創痍瀕死の身を以て逃げ帰り 全員堪え難い陵辱を受けている惨状を報告して息絶えた
慟哭してこれを葬った二十二名の乙女たちは 六月二十一日黎明近く 制服制帽整然として枕を並べて自決した
先に拉致された同僚たちも 恨みを呑んで自ら悲惨なる運命を選び 満州の土に消えた
二十三年の暮れ 堀婦長に抱かれて帰国した二十二柱の遺骨は 幾辛酸の末 漸く青葉園園主の義侠により此地に建立された青葉慈蔵尊の台下に納められた
九名の友の霊も併せ祀られ 昭和三十年六月二十一日開眼供養が行われて今日に至った
凛烈なる自決の死によってソ連軍の暴戻に抗議し 日本女性の誇りと純血を守り抜いた白衣の天使たちの芳魂とこしなえに此処に眠る 合掌
・地蔵尊の墓碑裏には、遺書と亡くなられた看護婦さんたちと婦長の名前が刻まれています。
(五十音順)
荒川さつき 池本公代 石川貞子 井出きみ子 稲川よしみ 井上つるみ 大島花枝 大塚てる柿沼昌子 川端しづ 五戸久 坂口千代子 相良みさえ 滝口一子 澤田一子 澤本かなえ 三戸はるみ 柴田ちよ 杉まり子 杉永はる 田村馨 垂水よし子 中村三好 服部きよ 林千代 林律子 古内喜美子 細川たか子 森本千代 山崎とき子 吉川芳子 渡辺静子 看護婦長・堀喜身子
陸軍大将も眠る牛島家のお墓がありました。
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激論!震災後の日本
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頑張れ!東海新報
産経新聞4月24日3面の記事部分スキャン画像(クリックでネット記事)

by nipponnbouei
「自衛隊に感謝の気持ちを」キ…