風知草

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風知草:安心して死ねるか=山田孝男

 いわゆる「一体改革」の核心が消費税の増税であることは誰でも知っている。そうしなければ社会保障がもたないということも分かっている。だが、国民が社会保障に求める安全、安心とは何かという根本が問われることは少ない。

 年金は純粋にカネの問題だが、医療・介護は複雑だ。その医療と介護がどう変わるのか、わからない。どう変えるべきかの議論も見えない。

 人は誰も年を取る。晩年に何を望むかといえば、「その場所で老いて、病を得て、やがて死んでいく、そのことに対する安心感」だろう。これは在宅訪問診療20年、1000人をみとった東京・国立市の開業医、新田國夫(くにお)(66)の確信だ。

 ところが、政府の「税と社会保障の一体改革」案は、そういう当たり前の要請を見失っている。聞こえてくるのは、医師の診療報酬や患者の窓口負担を微調整する算術ばかり。それさえ決めきれない「両論併記」のオンパレードで、安心感ははるかにかすんでいる。

 新田のことは08年7月の当コラムで書いた。病院の外科部長として先端的ながん治療に取り組んでいたが、在宅医療にこそ未来があると考え、町医者になった。地域での実践を通じて手応えを確かめたが、新たな問題も感じている。

 「晩年は病院より自宅で」という流れは既に定着した。ところが、いったん「在宅」が望ましいとなると、何でもかんでも自宅に戻せという本末転倒が生じる。それが実態だ。家族がいる人は、まだいい。財力があればもっといい。

 だが、現実には独り暮らしや老人ばかりの家庭が増え、無理な在宅介護、遠距離介護で家族がボロボロになっている。どうするか。療養者向け住宅の確保、住民同士の連携。具体策が問われているが、一体改革には、そういう議論のきっかけさえ見当たらない--。

 新田が地域医療にこだわるのは、それこそ医療改革の入り口と信じるからだ。救急医療や特殊な医療は病院がふさわしい。だが、日常の医療は、内科も、外科も、耳鼻科も、眼科も、皮膚科もこなす町の「総合医」が受け持てばよい。

 軽度の患者を何人もの専門医が細切れに診察し、高額な機器を駆使して検査する悪習は改めたらいい。かかりつけ総合医が気心の知れた患者をトータルに診る。そうでなければ医療費はいくらあっても足りないだろうと新田は言う。

 病院中心の医療は高度経済成長の産物だ。1961年の国民皆保険スタートとそれに続く病院建設ラッシュ、73年の老人医療無料化とその後の老人病院急増が二つの大きな節目。それ以前の医療は、地域のお医者さまが主役だった。

 町医者が主役の時代へ回帰してこそ進歩と新田は思うが、経済成長型の医療を信奉する人がまだまだ多い。

 「民主党はもともと社会保障に関心が薄いうえに、政策をまとめる力がない。じゃあ自民党政権ならできるかといえば、これも疑問。官僚も腰が引けていて、業界(医師会など)の顔色ばかり見ている。これで高齢化時代を乗り切れるとは、とても思えませんよ」

 新田の慨嘆は深刻だ。野に具眼の士はいるが、政府は司令塔不在で何も決められない。根本を問い直さぬままの、果てしない微調整と増税の先に何が待ち受けているか。安心感であるはずがない。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

毎日新聞 2011年12月19日 東京朝刊

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