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多くは語りません。

今話の文字数は12658字です。

それではどうぞ!!
第七章:亀裂編
第九十話     今更と少年
 アスカを寝かせた玉藻は茶々丸に後を任せ、話を聞くために再び少女達の前に現われた。

 立って話すことでもないので夕食を食べたテラスに移動し、玉藻の対面にネギだけが座り、残りの少女達はその後ろに立ったまま(エヴァンジェリンとチャチャゼロだけは両者の対角線上の位置にいた)。

「……………」

 ネギの話を聞いた玉藻は何も喋らず、考え込むように組んだ腕の指先をトントンと(せわ)しなく動かしていた。従者は主に似るのか、別荘に来てのどかや夕映たちから魔法を習いたいと聞いた直後のアスカと同じ神経質な仕草を見せていた。

 誰も声を発することが出来ず、嫌な沈黙が場に満ちる。

(嘘………か)

 玉藻は村を悪魔が襲撃した時のアスカの嘆きを思い出していた。

 嫌いだったとはいえもしかしたら救えたかもしれない村人を見捨て、庇ってくれたアーニャの母親に今までのことを謝ったり助けてくれた礼すらも言えなかった絶望と悲嘆の叫びを。

 話を聞くに、村を出た直後にアスカを余波だけで十メートル近くも吹き飛ばしたのは間違いなくナギの【雷の暴風】なのだろう。アスカもまたそれを予想していた。

 救助された病院でネギが語った話。
 
 それはきっとその時、最もついてはいけない嘘。自分だけが父に助けられたのだと、自分だけが父から杖を貰ったのだと。

 アスカは本人も認識できていない領域で『自分は父に愛されていなかった』からだと思った。

 何としてもこれらを成した連中を復讐しなければと。力が、欲しい。自分の運命と呼ぶものすら断ち切ることが出来るほどに強い力を、と望んだ。

 自分が自分でなくなってもいい。だけど、倒すべき敵だけは、この命に代えても倒さねばならない。

―――アスカ・スプリングフィールドは、そう在らなければならないと復讐心と絶望に駆られ、自身をそう定義付けた。

 襲撃前のアスカなら復讐なんて考えもしなかった。強くならなければ、復讐しなければならない、と強迫観念にも似た想いがアスカを責め立てる。

 そして彼にとって両親とは愛すべき存在ではなく、唾棄すべき存在になった瞬間でもあった。

(ああ………)

 あの時のことを思い出す。
 
 正気と狂気の狭間で揺れる瞳は、それ以外の道はないのだと自分に思い込んでいるようであった。

 だが、何かを憎まなければ心が持たなかった。何かに憎しみをぶつけなければ、生き場のない感情は心に留まるだけだ。そうなれば、いつかはあっさりと砕け散る。耐えきれず溢れ出て壊れる。

 両親に、悪魔に、黒幕に、悪意を向けなければ耐えられなかったちっぽけで小さな人間があそこにいた。
  
「…………もう、よい。話は分かった」

 どれだけ玉藻は自己に埋没していただろうか。空は白染み出し、別荘にある擬似太陽が薄らと水平線の彼方から頭を出しかけていた。

 別荘の夜が明ける。

 玉藻は一瞬だけ微かに見える太陽に視線を移して疲れたように息を吐き出し、肩から力を抜いた。

「―――――ネギよ」

 遂に玉藻が口を開いたことで場に再び緊張感が張り詰める。  

 特に声を掛けられたネギの反応は顕著だった。

 周りが気の毒に見えるぐらいに狼狽し、視線は果てしなく焦点を失って彷徨い、体中が震え続けている。歯の音がかち合わずにガチガチと音を鳴らし、脂汗をダラダラと流していた。

 ネギは俯いたまま力強く握り締めた拳に視線を落とし、只管に自分を責めていた。

「落ち着け。今更、お主を責めはせんよ」

「……………え?」 

 今にも爪が皮を破って血が流れ出んとしたところにネギにかけられた言葉。その内容が信じられなくて俯いていた顔を勢いよく上げて玉藻を見る。 

 玉藻と面識のないのどか、夕映ですら分かる程にアスカを連れて行った玉藻は鬼気迫っていた。

 アスカ以外では一番彼女と関わりがあったエヴァンジェリンと茶々丸。吸血鬼事件の折に病院でアスカに対する玉藻を見ていた明日菜、木乃香、刹那。切っ掛けといってもそれを引き起こしたネギを責めないなどと言われて、そう簡単に納得出来るものではない。 

「どうしてだ? お前はかなりの主想いだと想っていたんだが?」

 ネギやその場にいた全員の疑問の気持ちを代表するようにエヴァンジェリンが厳しい表情をしたまま訊ねる。

「言ったじゃろう。今更なんじゃよ。全て、な」

 エヴァンジェリンの返答に返って来るのは玉藻の憂いに満ちた溜息と共に吐かれた独り言のような呟き。

 そう、全ては今更なのだ。

 嘘が冗談で済んだ時期は既に過ぎ去った過去。ネギによって欺かれた嘘によってアスカの道は既に踏破した後。 

 例え話をしよう。

 もし、この時にネギが嘘を吐かずにアスカと杖を共有したとしよう。

 恐らくだが、色んなモノを失って傷ついた寄る辺無きアスカの心は父という希望を見つけていただろう。それからはきっと以前にはあった確執も乗り越えて兄弟で手を取り合った道を選べたはず。

 すると、どうなるか。

 ネギと同じ夢を抱き、同じ望みを抱き、同じ道を歩む優しい道。

 ネギと共にいたことでそもそも虐めなど起きず、脱走犯が現われたとしても一人でいなかったかもしれない。そうなれば、アスカが望まぬ殺人を起こさなかったかもしれない。

 殺人を起こさなければ神父と出会うことはなく、神父の死後に旅に出ることもなかった。様々な激闘を繰り返さず、色んな出会いもなく、繰り返される悲劇に(まみ)えることもなかった。

 互いに足りない所を補ってネギと手を取り合って魔法学校を卒業して、卒業試験で一緒に仲良く麻帆良で教師をしていたかもしれない。

 それはきっとアスカに取っての傷の少ない道。と、同時に―――――力を必要以上に求めない強さのない道。

 きっとその道を進んだアスカは、今のアスカよりも肉体的にも精神的にも弱い。今のアスカがあるのは結果的にせよ、ネギの嘘から始まった悲劇の道を歩んだ結果なのだ。

 勿論、全ては推測だ。

 途中で二人が喧嘩したりして道を違えるかもしれない。

 だけど、二人が共に歩んだという可能性。アスカが今よりも弱いという可能性。

「我には出来んよ。責める資格があるのは主だけじゃ」

 今更。そう、全ては今更なのだ。

 アスカは自分でその道を選び、多くの苦難、絶望、悲哀を抱えて歩いてきた。その道を否定することは誰にも出来ないし、玉藻ですら出来ない。

 責めるのも、恨むのも、憎むのも、それが出来る資格があるのはその道を歩いてきたアスカのみ。従者で共に歩んできた玉藻でもその資格はない。アスカがどうするのか玉藻にも分からない。だが、その決断だけは尊重するつもりだった。

「……………」

 重い。

 重すぎる言葉に誰もが口を開くことも出来ずに沈黙する。

 何が言いたいかを理解したわけではない。だけど、ネギの嘘によって一人の人生が変わったという事実だけは何となく理解できた。

 俯いてしまった彼女たちを見やり、最早話すことはないと立ち上がった玉藻。皆の視線が歩き去ろうとする彼女の背中へと向けられる。

「待て、聞きたいことがある」

 そんな彼女にかけたのはただ一人、エヴァンジェリン。

 彼女にはどうしても聞きたいことがあった。どうしてアスカがあんなことになったのか。そもそもあの悪魔の襲撃の時、アスカは何をしていたのか。

 全ての問いを玉藻に叩きつけた。

「……………」 

 エヴァンジェリンの問いを玉藻は背中を向けたまま聞いた。

 暫く、その姿勢のまま、進むでもなく下がるでもなく、その姿が言い澱むように見えたのは彼女たちの気のせいか。

「―――――あの日、主は村にいた」

 背を向けたまま彼女たちに向けられた声。

 呟くように語られるのが玉藻の声だと気付くのに若干の時間を要し、重苦しく開かれた声に耳を傾けた。

「ネギのように後からではない。最初からじゃ」

 それが意味するものは大きい。そして少女達に与えた衝撃もまた。

 ネギの記憶では襲撃は殆ど終わっていた。玉藻が言うことを信じればネギの記憶で見た家が焼け落ちる光景を、もっと前から多くの人が石化するところを見たということになる。

「多くは語れんが、人が死ぬのを、故郷が滅んでいくのをただ見ていることしか出来なかった。当時の主は弱かったからの」

 記憶の中では人が死ぬ光景は一度もなかった。あれば絶対にのどかは気絶していただろうし、他のみんなにも影響はあっただろう。

 ネギを庇って石化したスタンや足が石化して砕けたネカネが最も大きな被害と言える。

 当時のアスカの年齢は数えで四歳になっているかどうか。今のアスカがどれだけの力を持っていようが当時のアスカは弱いに決まっている。

「逃げている途中、上位悪魔に襲われたがココロウァ殿に助けられたが彼女は主を庇って石化してしまった。後は特に何もない。村を出た直後に発生した強風に吹き飛ばされたぐらいじゃ」

 記憶の中で石化していったスタンが、アーニャの母親がアスカを助けに行ったと言っていたので直ぐに合点がいった。同時に彼女もまたネギを庇ったスタンやネカネと同様に石化してしまったことも。

 突如、発生した強風もナギが放った【雷の暴風】だと直ぐに分かった。

 ならば、そういうことなのか。

 アスカは襲撃当初から村にいて滅んでいく光景を目の当りにし、人の死を見せられ、悪魔に襲われたところを助けられたが庇った人は石化して、最後は父の放った【雷の暴風】によって吹き飛ばされたというのか。

 ネギですら最後には父に出会い、救いがあったというのになんと救いようのない結末。

 それでも病室でネカネと対していたアスカは気丈に対していた。

 悲しかったはずなのに、辛かったはずなのに、泣きたかったはずなのに、全てを覆い隠して普段通りに接しようとした。

 それを崩したのがネギがついた嘘。

 あの時、あの瞬間、あの場所で、最もついてはいけない嘘。アスカから残らず微かに残っていた希望を奪い取り、結果的にせよ苦しみに満ちた道を歩ませた。

 ネギだけが原因ではない。他にも要因はある。だけど、ネギがついた嘘が始まりなのはきっと事実。

「あそこまで酷いのは久しぶりだが主のアレ(・・)は偶にあるんじゃよ。大抵は悪夢という形じゃがな。まあ、PTSDという奴じゃ」

 それだけを言い残して玉藻は去って行った。恐らく眠っているアスカの下へと向かったのだろう。足取りに迷いはなかった。

「……………」

 残された少女達に言葉はない。

 あれだけの苦難を前にして再び立ち上がるのにどれだけの時間がかかったのだろう。どれだけ泣いてきたんだろうか。全ては想像しかできない。

「なぁ、ぼーや」

 玉藻の最後の言葉を聞いてエヴァンジェリンは一つだけ疑問に思った。

  Posttraumatic stress disorder。略してPTSD。日本語では心的外傷後ストレス障害と呼ばれている。

PTSとは危うく死ぬ、または重症を負うような出来事の後に起こる心に加えられた衝撃的な傷が元となる様々なストレス障害を引き起こす疾患のことで、心の傷は心的外傷またはトラウマと呼ばれる。1.神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状 2.トラウマの原因になった障害、関連する事物に対しての回避傾向 3.事故・事件・犯罪の目撃体験等の一部や、全体に関わる追体験(フラッシュバック) 3つの症状が、PTSDと診断するための基本的症状である。そのため、事件前後の記憶の想起の回避・忘却する傾向、幸福感の喪失、感情鈍麻、物事に対する興味・関心の減退、建設的な未来像の喪失、身体性障害、身体運動性障害などが見られる。

 玉藻の言い方ではアスカはあの日からPTSDを抱えたと解釈することも出来る。

「恐らくだがアスカはお前を責めんだろうよ」

「―――――え?」

 ネギは無意識だと思うが力を求め、エヴァンジェリンから見ても相当な歪みを抱えている。
 
 必死になって何かを成そうとしている。だが、それが何のためにかというのが自分で本当に理解出来ていない。だから、間違う。正しい事をしている癖に、間違った理解をしているから結局間違う。

 力を求めるのは恐らく、あの日、悪魔達を殺しつくす父親が怖かったことに起因しているのだろう。勿論、圧倒的な力に対する憧れや、自分が父のように強ければあんなことにはならなかったという想いもあるだろう。

 事実、尊敬する父親が悪魔の首を圧し折った時、怯えていた。弱い自分が嫌で、自分が力を付ければ、父親のように強くなれば一人で何でも出来るようになれる。その恐怖から逃れられるとでも思っているのかもしれない。

 一日を二日、三日として生きるネギは、このまま行けば普通の人達より早く目標に辿りつき、普通の人たちより早く死ぬ。体だって、急激な成長に耐えられずに痛みを伴い、下手をすれば目標に辿りつく前に死ぬかもしれない。

 でも、ネギはナギに追いつくためなら、自分の未来を捨てても構わないと想っている節がある。 

 あの日のネギにも深い傷がトラウマとして残っているのだろう。アスカについた嘘は子供だったからといえばしょうがないかも知れない。

 自分を追い込んで、何もかもを自分一人でしようとしている感もある。勿論無意識にであろうが。

 奇妙なことに、過去に縛られた人間ほど、見た目にはしっかりとした強い意志のもとに精力的に行動しているように映る。しかし、その行動は、実際には対照的な二つの動機のうちのどちらかに従っているものだ。

 自分の犯した罪を償うためか、あるいは恨みを晴らすためか。

 ネギの選んでいる道は―――――。

「あいつは今の自分をそれほど嫌っているとも思えん。それに―――――」

 今のお前を見たら責める気も失せるだろうよ――――と、後一押しすれば自殺しそうなネギを前にエヴァンジェリンは続く言葉を飲み込んだ。

 ネギには立派な魔法使いになるという未来以外にない。父に憧れ、求めた時点で定まってしまった。

 サッカー選手。警察官。医者。歌手。消防士。教師。アイドル。パイロット。子供ならば当然憧れる様々な未来の可能性を自ら摘み取った。単一の未来。

 選択肢が無限で、だけど、そこに至るまでに多くの苦難を要するアスカの未来。多数の未来。

 ネギが選んだ道、アスカが選んだ道、どちらが正しくて、間違っているかなんて誰にも分からない。

「各々、考えることもあろう。もう直、別荘に入って丸一日経つ。部屋に帰って一人で考えるのも良かろう」

 ただ想い人の生存を知るだけのつもりが随分と重くなってしまったと考えていたエヴァンジェリンの言葉に反対する者はいなかった。

 別荘で、記憶で見た事実があまりにも衝撃的過ぎて考えなければいけないことが多すぎる。部屋の布団の中で一人静かに考えたいと思っている者は多かった。

「雨………強くなってるね」

 重い足取りを引き摺って別荘を出て、エヴァンジェリンのログハウスのドアを開けると外は生憎(あいにく)の大雨。ここに来る前はまだ雨足も弱かったのだが、別荘に入っている間に本降りに変わったようだ。実際には一時間なのだが、別荘で一日過ごしたせいで、雨が止んでいないことに違和感を覚える。

 空にかかる雨雲は切れ間がなく、満遍なく空を覆っている。その雲から降ってくる雨も絶え間がない。遠間では雷が鳴り響き、もしかしたら嵐が近づいているのかもしれない。

 まるで彼女たちのこれからを案じているような嫌な天気だった。

「「「「「「「……………お邪魔しました」」」」」」」

 みんなの持つ唯一の雨具はネギの持つ折り畳み傘一本のみ。これではみんなは傘の下に入ることは出来ないし、寮に戻る頃にはずぶ濡れだろう。そも、ネギは職員寮に住んでいるのであまり意味はない。

 元気のない別れの挨拶をしたネギと生徒達は傘がないため、雨から逃れるようにして走り去って行った。走り去るのをエヴァンジェリンだけが見つめていた。

「ん……………?」

 何かを感じ取ったのかエヴァンジェリンは彼方を見つめるも、気のせいかと思って踵を返してログハウスに帰って行った。










 あやかが自分の部屋のドアの前に立つと何かやけに騒がしいことに気が付いた。

「やややっぱ自分で洗うからええって!」

「ほほほ、逃げても無駄よ~~~」

 皆が自分の部屋にいるせいか静かな寮内において何やら騒々しい声とバタバタと走り回る音が廊下にまで聞こえてきた。

「ちょっと千鶴さん、一体何の騒ぎ…………!? ほふぅ!?」

 自分の部屋なので遠慮なく、威勢と共に勢いよく開け放って続けたあやかの口上は、同時に自身に向かって飛び出して来た少年に驚き、図々しくも花の乙女のどてっ腹にヘッドパットを食らった所為で途切れた。

「あ…………(ワリ)………」

 上半身裸の小太郎は千鶴に追いかけられた勢いでぶつかってしまい、直ぐに気が付いて謝ったが時既に遅し。

「どうしたの?」

「キャ―――!いいんちょしっかり――!?」

 下着姿のままの千鶴と夏美が見た時には末期の如くピクピクと震えていた。

「一体何なんですの、この子は!?」

数分後、なんとか現世に復活したあやかが机を勢いよく叩き、本来(偶に例外あり)男子禁制である女子寮に何故、子供とはいえ男である小太郎がいるのか問い正していた。

 機嫌が最低の怒りが頂点の状態であった。

 出会い頭にイキナリお腹に頭突きなどされた所為でお昼に食べたパスタがぴゅるっと飛び出るところだったのだから、生粋のお嬢様として晒してはいけない姿を披露するところだったのだ。
 
 落ち着かせようとする千鶴と夏美、流石に悪いと思って謝ったのに受け入れてもらえず不貞腐れた三人が向かい合っていた。

「落ち着けますかっ! 一体、誰なんですの、この子は!!」  

 薄らと眼に涙を浮かべたあやかの質問に、

「―――――この子は夏美ちゃんの弟の村上小太郎君ですわ♪」

「な”っ」

「え”………」

 打ち合わせもナシに、さらっと流すような千鶴の発言にギョッとする何時のまにか弟が出来た夏美と弟になっていた小太郎。

「…………弟よ?」

「あっそうでした!」

「お、おうっ」

 否定しかけた二人を千鶴の謎のオーラが説得した。別名:脅迫とも言う。

「ま、まあ、そうでしたの…………それは失礼を」

 一切悪気のない満面の笑顔で凄まじいウソを平然とつく千鶴、しかしこんな突拍子もないウソも根は純真なのかあやかはバッチリと信じってしまった。

 そこから始まったのは演劇部である夏美も真っ青の千鶴のお涙頂戴の演技。

―――――実は夏美ちゃんのご実家さんは、ここでは話せないようなとってもドロドロで複雑な家庭の事情があってね。お昼のドラマみたいに。

「ま、まあ、そういう事情でしたら………

 なんて嘘八百を涙まで流す演技ッぷりで話すものだから、純真なあやかはすっかり信じてしまい、そんな境遇ならばと許そうとしたのだが……………。

「なあ、さっきからうるさいけどこのおばさん誰や?」
 
 見た目、あやかを中学生と判断することは難しい。

「じゅ、十四歳の乙女を捕まえておばおばおばっ――――っ!!!」

「うそぉ14!? 老け過ぎや!!」

 言ってはならない一言にひっくり返るあやか。中学生とは思えぬスタイルと品性溢れる優雅すぎるお嬢様の気品は、彼女の年齢を見た目よりも上に見せてしまう。
 
 本人も気にしている所を突かれて動転し、小太郎の頭に拳骨を落として口を掴んで引っ張っていた。

 ショタコンのあやからなら大丈夫だと夏美が少年だよと説得するが、あやかは決して少年なら誰でもいいというわけではない。どういう眼でルームメイトが自身を見ているのか非常に気になったあやかだった。

「と、とにかく、なるべく早く出て行ってくださいね。ここは女子寮なんですから」

 そう言って動揺している自分を見られたことが恥ずかしかったのか自分の部屋に行ってしまった。

「あらあら、あやかがあんな反応するなんて意外ねぇ」

 やはり出会い頭にお腹にヘッドバットなんていう出会いは悪かったと思う。

 でも、やはり最たる原因は、

「小太郎君、おばさんはないと思うよ」

 本人も気にしていた小太郎の「おばさん」発言だろう。夏美もあやかが自分と同い年だと知っているので諌めるように小太郎に語りかけた。

「ま、まあな。老けてるゆーたらどっちかつうとこっちの千鶴姉ちゃ………」

 流石に言い過ぎたかと小太郎も反省したのだが、口から余計な一言が。小太郎にはうっかり属性でもあるのだろうか。

「何か言いました?」

「ひぃ!?」

「いやっ何もっ!」

 案の定、小太郎の余計な一言に反応して再度、千鶴から異様なオーラが巻き起こる。本格的になる前に怯えた二人が否定することで事無きを得た。

 そんな三人を盗み見する影。人が潜むには狭すぎるその隙間に、それはいた。

『どうかね?』

「見つけたゼ。学園の近くで返り討ちにした奴ダ」

 彼女たちの部屋の天井裏には三体の不定形、いずれも形状は一定ではなく、流動的だ。一般にスライムと呼ばれる存在が潜んでいた。不定形ながらそれらの出す声は女声だった。性別があるとすれば女か?

 スライムといえばゲームなどでは最弱扱いされるが、現実ではそんなことはなく魔法使いの間では厄介な相手とされる悪魔の眷族だ。何せ実体がなく打撃系が通用せず、単発の魔法の射手程度では致命傷になり得ない。

 無色の液体がプルンとした身体を寄せ合いながら、穴から横槍を入れてきた犬上小太郎を見ていた。楽しげに団欒(だんらん)している下にいる四人は全く気付いていない。

「混乱の魔法が効いたのか、女といちゃついてるゼ?」

「一時的な記憶喪失デスネ」

 喋りながらスライムたちが姿を変えた。

『よろしい。それではそちらから片付けよう』
 
 その三つの影に声が響く。
 
 念話という魔法を通じて届いた声にそのスライム達は姿を変えて人に近いような輪郭を作っていく。

「犬上小太郎は懲罰により特殊能力を封じられてマス」

「気は使えますガ……」

 小太郎は脱走したといっても修学旅行の一件以来、殆ど罪には問われていないが懲罰として気以外の特殊能力―――――狗族としての能力を封じられている。

「今なら楽勝ダナ」

 気しか使えない小太郎など、同年代よりかはマシという脅威しか彼女たちにはない。小さな子供の女の子の姿に変わったそれらは感情を感じさせない眼で小太郎を見下ろす。

『よろしい。君たちは作戦通りに事を運びたまえ』

「ラジャ」

『ハイ・デイライトウォーカーに気づかれぬように』

 ハイ・デイライトウォーカーとは夜間だけでなく昼間でも動き回れる吸血鬼のこと。麻帆良にいるハイ・デイライトウォーカーはただ一人。つまりはエヴァンジェリンのことだ。彼女に気づかれぬようと言う念話の相手の目的とは?

「ステルス完璧デスゥ」

 そう言って三つの影は誰にも気づかれぬまま、その場から立ち去った。





 スライムの念話の相手は、女子寮のすぐ外にいた。

 住人の殆どが学生と教職員である学園都市の通りには現在人気はまったくない。夜間となった学園内の殆どの学校は定時制を除き終了してしまい、雷が鳴り響く雨という天候もあって外を出歩こうと思う人間は存在しなかった。そう『人間』はだ。

 そんな雷雨が降りしきる中に『彼』は傘も差さずにずぶ濡れになりながらも静かに立っていた。

「やれやれ………では始めるか」

 外の天気は雨が今も降りしきっていた。時折遠くで雷が光り、暗闇を一瞬のみ照らし出す。帽子を被り、薄汚れたコートを着ている四十代から五十代くらいの老境に入った男がどこか楽しげに呟く。

「フフフ、あれから六年か? 君はどれだけ強くなったのかな」

 この時期にコートという季節感のない格好をした男が示す『君』とは一体? 歪んだ口元を見れば碌でもないことだけは確かだった。

 雷が光る中、麻帆良の女子寮に危機が訪れようとしていた。










「ん……………」

 少女達が別荘を出てそろそろ寮に着こうと行く時になってアスカはようやく眼を覚ました。寝かされているベッドの上のから数秒間、天井を凝視してここに至った経緯を思い出す。

「うわぁ、情けない」

 あまりのみっともなさに言葉を漏らしながらシーツをどけて掲げた左腕で顔を覆う。

 今更、ネギが隠していた真実を知って無様にもPTSDの症状を起こし、最終的には気絶したらしい。これが無様でなくてなんなのか。  

 あの時は頭をハンマーで殴られた様な衝撃に襲われた。そんな衝撃でしか表す事が疑いようのないことが真実だと知った瞬間、アスカは何も考えられなくなった。

 違う。嘘だ。偽りだ。

 誰に尋ねているのかも分からない。声に出さねば誰にも分からない叫びを心の中で発し続けた。誰も答えてくる者などいないというのに尋ね続けた。

 無様に暴れ狂い、物に当たり、何もかも破壊したい。

 感情はそんなはずはない。こんなのは全部嘘で悪夢だ。あり得て良いはずのない、最低な悪夢に違いないと叫んでいる。だけど、見たものが理性は真実だと確信している。

 ネギは心の闇を抱えていたとしても、自らの過去をある程度受け入れているのだろう。

 父の存在があったといっても、あの悲劇を前にネギが真っ当に育ったのは年齢を考えれば賞賛に値する強さ。だからこそ、今のネギの年齢に見合わない精神年齢の高さに繋がっている。

 だけど、見殺しにした人間の重さを、殺してしまった命を、受け入れきれずにアスカは一度完膚なきまでに折れて砕け散ってしまった。

 そこから残った物を纏め上げ、神父との生活で、旅の中で、色んな物を失い加えて新たに構築していった。いっそ狂ってしまえば楽だっただろう道程。奇跡のような道筋。

 それこそがアスカが辿ってきた道であり、今のアスカを象っている根幹だ。
 
「そうだ、俺は俺だ」

 押し付けた左腕に刻まれた薄くなった無数の傷跡を眺め、一人呟く。

 ネギを責める気はない。

 今更。

 ネギが真実を語ろうが全てが今更だ。既に定まってしまった在り方は容易には変わらず、己をかく在るべしと規定しているアスカを揺るがすには至らない。

――――――そう、修学旅行での一件がなければ。

 まだ修学旅行から一ヶ月も経っておらず、精々が半月程度しか経っていない。

 修学旅行でアスカが成した天ヶ崎千草の殺害。これがアスカの心を、在り様をガタガタに揺らしていた。そして立ち直る前に起こった今回の一件。ネギが隠してきた真実、思いの外、アスカを揺るがしていた。ダメージは大きかった。

 目覚めながらもベッドから動くことが出来ず、ずっとこのままでいたい。思い立ったが即断即決が信条にしているアスカにしてこの鈍りよう。このまま別荘で皆の前で普段通りの顔が出来るまで居座るか、と根暗な考えも浮かんでいた。 

 だけど、運命はアスカに安寧の時間を与えはしなかった。

「起きたか、主よ」

「……………玉藻」

 そこに入ってきたのは玉藻。

 意識を失う前の記憶は定かではないが、玉藻の存在を感じていたので驚きはない。

 だが、玉藻の表情を見て訝しむ。

 アスカが毎度のPTSDの回復時に見せる安堵した表情ではない。こうなった原因に向ける怒りの残滓が残る表情でもない。そう、まるで言わなければならないことがあるのに言えない、そんな表情だった。

 玉藻には修学旅行後から「フェイト・アーウェンルンクス」と「神楽坂明日菜」の調査のために『魔法世界』に単独で渡ってもらっていた。

 特に明日菜の完全魔法無効化能力を知ってしまったフェイトの調査を優先していた。叶うなら情報が他者に回る前に殲滅せよ、という最優先目標と共に。

 全力のアスカが戦って勝てるかどうか、最盛期のエヴァンジェリンにも及ぶかもしれない実力者であり、その素性、目的については一切不明の謎の少年。あれだけの実力者が何故、京都のいたのか。千草の資料にも書かれておらず、彼女にも分からなかったようだ。

 何かあった時のことを考えた場合のことを考えて出したアスカの苦肉の策だった。

 その彼女が言い澱むほどの事実、アスカの中で嫌な予感が急速に膨れ上がる。

「………何があった?」

 ゆっくりと自分の体が深い水の底の囚われたような錯覚を覚えながらベッドから起き上がった。

 玉藻は何度か口を開こうとして途絶し、またチャレンジをと繰り返して、何度目かに観念して口を開いた。

「フェイト・アーウェンルンクスに動きがあった」

「……………!」
 
 それだけで、たったそれだけで最も危惧していたことが現実になったことが分かった。何かをされる前に殲滅を優先したのに先を越された。もっとも遅れてはならない先手。

 一瞬、玉藻にどなりかけて自制した。

 修学旅行から二週間しか経っていないのに、偽名かもしれない名前と姿だけで広い魔法世界の中で行動の先駆けを察知するなんていう芸当は玉藻にしか出来ない。
 
 そも、時間と人手が足りなさ過ぎる。責めるべきはもっと修学旅行で明日菜を表舞台に出さないようにしなければならなかったアスカ自身。

 だが、今は自戒すべき時ではない。先にやらなければならないことがある。

「メガロメセンブリアに保管されていた封魔の瓶を盗み出し、こちらの世界にやって来るまでは掴んだ」

 『封魔の瓶』という単語にアスカの心臓が今日何度目かも分からない高まりを見せる。

「向かった方角から見て恐らく麻帆良学園」

 過去が音を立ててアスカを追い立てる。因果の鎖がアスカを縛り、動きを封じる。

「そして目的は―――――神楽坂明日菜にあるのじゃろう」

 アスカは選択を迫られる。

 迎撃か、防衛か―――――それとも別の方法か。いずれにしても時間はない。取れる方法も限られてくる。 
 
「……………!」

 方策を考えていたアスカの頭に天啓の如き、閃きが降りてきた。降りてきてしまった。

 そう、その方法を選べば今後、上手く行けば将来的に生徒達の危険性はグッと低くなる。運が良ければ生徒達がこちら(魔法)に係わる可能性も減る。デメリットとしてトラウマを植えつける可能性があるが、ここはアスカが上手くやるしかない。

「―――――――――――――――」

 アスカは今、閃いた方策を玉藻に語った。

「なっ、何を考えておる?! そんなことをすれば主が―――――!」

 しかし、玉藻は最もあり得ない方法であり、やってはいけないことを思いついてしまったアスカに動揺も露に詰め寄る。

 玉藻にはアスカが語っていないデメリットがそれ以外にもあることが分かった。だが、アスカはまるでそれを望んでいるかのようにも見えた。

「だけど、最も成功した時の利点が大きい」

 そう、アスカの方法が成功した場合、彼女たちの将来の危険性は他のどんな方法よりも確実に下がる。

「だが、それでは! ……………主が報わぬではないか」

 ベッドから起き上がったアスカの肩を掴んで言い募った玉藻だが、その眼を見て無駄だと悟ってしまった。それでも止めない。

 もし、この方法が発動してしまったら後戻りは出来ない。成功して生徒達が幸福になろうとも、あまりにもアスカが報われなさ過ぎる。

「いいんだ、玉藻。もう、決めたことだから」

 今にも消えそうな儚い笑みを浮かべて自身の肩に置かれた玉藻の手に恐れるように触れたアスカの手は震えていた。

 何も好き好んでこんな方法を取りたいわけではない。見方によってはネギの嘘のように最もしてはいけない部類に入る。なのに、アスカはその道を選んでしまった。

 修学旅行、別荘での記憶の旅。否、それだけではない。ネギが麻帆良に現われたことで始まった激動の日々。その全てがアスカの根幹を揺るがした。

 そんな時に入ってきた紛れもなく凶報。普段ならば絶対に取らない一手をアスカに取らせた。

「行こう………」

 踏み出してはいけない一歩をアスカは踏み出してしまった。決して後戻りは出来ぬ道へと進む一歩を。

―――――仲間もおらず、修羅となって全ての敵となるその道、最悪にして最低、だけど最高の道を。
次回更新、早ければ月曜日(多分ないと思いますが)、普通で火曜日、面倒くさくなったら日曜日と月曜日の間になります。

果たしてアスカが選んだ道とは………。この時のアスカの精神状況からまともな道ではありません。

これで理解できた人はきっと神。
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