■学長の逮捕:6
日本より厳しい基準
ウクライナの食肉市場に併設された保健所の職員の朝は早い。販売される牛、豚、羊は、販売の前に、全頭の放射能検査をするためだ。
その日、キエフ市中心部に近いルクヤニフスカ市場では、42頭分の牛と豚が販売された。一頭の中からも様々な部位が切り取られ、合計500グラムが検査される。42頭で21キロ分が検査後に処分された。
検体はマリネリ容器と呼ばれる円筒形の器に詰め込まれる。底に外から内に向けた大きなへこみのある容器だ。突起型のセンサーに、上から容器の底のへこみをかぶせる。数分すると、放射能の量が算出される。
ウクライナの場合、食肉の規制値は、放射性セシウムで1キロあたり200ベクレルだが、この日は10〜40ベクレルの間に収まり、すべてが「合格」した。
日本は来春に向けて食品の安全基準の見直し作業が進んでいるが、「暫定」の規制値は同500ベクレルだ。
日本の暫定値は水と牛乳・乳製品が同200ベクレルだが、ほかの食品は一律で500ベクレル。これに対して、ウクライナの飲料水は2ベクレルと厳しく、牛乳も100ベクレルとされる。食品も、ジャガイモは60ベクレルで野菜類は40ベクレル、パンは20ベクレルというように細かく決まっている。
隣国のベラルーシ共和国も、飲料水は10ベクレル、牛乳は100ベクレル、牛肉は500ベクレルだが豚・鶏肉は180ベクレル、ジャガイモは80ベクレルで野菜類は100ベクレルなどと決めている。
ベラルーシの民間研究機関であるベルラド放射能安全研究所の副所長、ウラジーミル・バベンコは「国民の食生活に合わせて変更してきた」と話す。
ウクライナでは、国内にある45の市場の全てに保健所の検査場があり、大きな市場には野菜、魚、加工食品というように、部門ごとに検査場がある。
同じキエフ市のペチェルスカヤ市場では、ジャガイモを一つ一つ皮をむいて、ミキサーにかけてマリネリ容器に入れていた。手間がかかるが、正確に測るためには、食べる部分をすきまなく容器に入れる必要があるためだ。
汚染リスクが高い野生のキノコ、ベリー類は全ロットを検査する。2000年ごろに規制値を超えた牛肉が見つかり、その後、牛、豚、羊は全頭検査が続いている。野菜や果物などは市場の販売店ごとに検査している。
取材しながら、日本の検査態勢が気になった。
(松浦新)
学長の逮捕:5
森のキノコ食べても
「キノコもベリーも食べている。死んだりしないよ。90歳とか86歳の人だっているし」
チェルノブイリ原発の西約60キロのジトミール州ナロジチ地区の村で、主婦のガーリャ(78)は、森のキノコやベリーを採って食べる昔からの生活を、今も続けている。
放射線量が高いため、旧ソ連時代に移住が義務づけられた地域だ。ガーリャも一度は避難したが、移住先になじめずに6年前に戻ってきた。事故から25年、周りには屋根も落ちたような廃屋が多い。
地区の人口は原発事故にともなう移住で大きく減り、約3万人から約1万人に減った。
地区保健所の放射線技師ビラデーミル・ミハイルビッチは嘆く。
「森のキノコの汚染度は許容値の5〜6倍。イノシシなどの野生動物は原発30キロ圏にも入るからでしょう、8〜9倍です。食べないように指導しているが、住民は聞き飽きたという顔をするだけなんです」
もっとも、放射線の害ばかりでなく、移住のストレスなどの要因も考えたほうがよい人もいるようだ。ナロジチ地区の診療所で33年間住民を診続けてきた医師のビクトル・ゴルディエンコ(62)は言う。
「移住した人と残った人を比べると、むしろ、移住した人のほうが早く亡くなる傾向もある。移住した人だって事故の時すでに被曝(ひばく)しているんです。新しい環境に対応できるかどうかも考えたほうがいい」
しかし統計的に見れば、住民の健康悪化は明白だ。
医薬品などの支援をしている日本のNPO法人「チェルノブイリ救援・中部」(名古屋市)へのナロジチ地区中央病院からの報告によると、児童の呼吸器系疾患が急増しているという。人口当たりの発生率は、1988年の11.6%が08年には同60.4%と、約5倍になった。大人の場合、心臓血管系疾患が最近の10年で急増している。98年の1.2%が08年には3.0%と、3倍近い。
ベラルーシ当局に逮捕された経験を持つゴメリ医大元学長のバンダジェフスキー(54)はいう。
「放射能の影響には個人差がある。汚染されたものを食べて何でもない人もいるが、みんなが大丈夫なわけではない。キノコやベリーを食べて元気な人がいても、それは希望を持てる材料ではないのです」
では、食品の放射能に対する姿勢は、そのウクライナと日本でどう違うのだろうか。(松浦新)
プロメテウスの罠
学長の逮捕:4
免疫力 異なる見解
ウクライナのジトミール州コロステン市。チェルノブイリ原発に近く、放射能の汚染度がとくに高いとされている。
ここにある検診センターは州内8地区を管轄する。内部被曝(ひばく)量の検査や甲状腺の超音波診断などで訪れた人たちでごった返していた。
センターは被災者の健康診断のために笹川記念保健協力財団の支援で設立された。1991年以来で甲状腺がんを129件確認した。多くが96年からの5年間でみつかった。
副所長のオレクサンドル・グーテビッチは、放射能と子どもの甲状腺がんの関係は明確に認めた。
「事故の時、放射性ヨウ素への対策がとれませんでした。事故前は子どもの甲状腺がんの例はなく、成人もごくわずか。成人の甲状腺がんにはチェルノブイリの影響がないものも含まれるかもしれません」
がん一般では大きな変化はない。
「とくに増えていません。非汚染地区のほうが、汚染地区よりもがん発生率が高いこともある」
しかし免疫力低下について聞くと、歯切れが悪くなった。
「そういう意見も聞いたことはある。ただ、調査には資金と検査機器が必要です。その予算がない」
事故後の早い段階では、日本の他にカナダやキューバなどの支援があった。しかし、いま残るのは長崎大学だけ。甲状腺がん以外に関する調査は優先順位が低いようだ。
センターの管轄内にあるナロジチ地区。診療所で33年にわたり住民を診続けてきた医師のビクトル・ゴルディエンコ(62)は、免疫系への影響を実感していた。
「確かに、がんがとくに増えているとはいえません。しかし、免疫系がダメージを受けているのは確実だと思います」
ふつうなら悪化しない病気が悪化しやすい。子どもの場合、かぜなどの呼吸器疾患が目立つ。
「研究者ではないので理由は分からないが、10年ぐらい前から増えてきているように思います」
受け持つ住民は約1300人。18歳未満は230人で、小中学生は134人。若者は出て行くため、高齢化が進む。ゴルディエンコも老齢年金がもらえる年だが、後継の医師が来ないため診療を続けている。自身も畑を耕し、ニワトリを飼って暮らす。指は農夫のように太い。
住民を見続けてきた彼の言葉は、検診センターが調べ切れていない部分を埋めていた。
(松浦新)
■学長の逮捕:3
体から放射能を抜く
茨城県日立市に「チェルノブイリの子供を救おう会」という団体がある。原発事故の汚染地域に住むベラルーシの子どもを呼び寄せ、「放射能抜き」をする活動だ。茨城大名誉教授で工学博士の久保田護(まもる)(87)が1993年から続けている。
体内の放射能は、新たな放射能を摂取しなければ確実に減る。「救おう会」では、ベラルーシから毎年4〜5人の子どもを招待し、約1カ月、日立市の保養施設で暮らしてもらう。放射能汚染がない場所で汚染がない食べ物を食べる。体重1キロ当たり30〜40ベクレルのセシウム137があった子どもたちが、帰国するころには5ベクレル程度まで減った実績がある。こうした活動は世界中にある。
今年6月、久保田はベラルーシのゴメリ医科大学元学長のバンダジェフスキー(54)が書いた論文を日本語に訳し、自費出版した。「人体に入った放射性セシウムの医学的生物学的影響」というタイトルだ。
論文はバンダジェフスキーが禁錮刑判決を受ける前の2000年に出た。久保田は「以前に翻訳したが、そのままになっていた」。
自費出版のきっかけは、長崎大学教授の山下俊一(現・福島県立医科大学副学長)が「チェルノブイリ原発事故によるセシウム137の内部被曝(ひばく)で疾患が増えたという事実は確認されていない」と話していると知ったことだった。
救おう会の設立以来、久保田はベラルーシに18回通った。山下の発言は、久保田が自分の目で見た現実とは違っていた。
「放射能が原因と断定はできないが、知り合いやその家族が若くして亡くなる。たとえば、かぜをひいて肺炎で亡くなったのが放射能のためとはいえない。でも、免疫力が落ちたのは放射能のためではないか」
医師としてベラルーシで子どもの甲状腺手術を多数手がけた長野県松本市長の菅谷昭(すげのや・あきら)(68)は、久保田からこの論文を送られて読んだ。
「ベラルーシにいる時に、心臓血管系の病気が増えていることを不思議に思っていましたが、この論文で納得しました。解剖した結果ですから、非常に信頼性が高い。がんもさることながら、今後は福島の子どもたちの心臓が心配です」
新たな放射能を取り込まなければ体内の放射能は減っていく。一時的に保養に行ったり、食べ物に気をつけたりするなど、多くの方法がベラルーシでは試されている。(松浦新)
■学長の逮捕:2
研究やめるわけには
チェルノブイリ被災者の研究を続けるゴメリ医科大学の元学長、バンダジェフスキー(54)は警告する。
「1キロ当たり20〜30ベクレルの放射能は、体外にあれば大きな危険はありません。それが内部被曝(ひばく)で深刻なのは、全身の平均値だからです。心筋細胞はほとんど分裂しないため放射能が蓄積しやすい。子供の心臓は全身平均の10倍以上ということもあるのです」
実際はどうか。チェルノブイリ原発から約3キロのプリピャチ市から、130キロほど離れたキエフ市郊外に移住した人たちに聞いた。
1986年4月26日。その日は土曜日で暑い日だった。未明にチェルノブイリ原発が爆発していたが、住民には何も知らされなかった。
いつも通りの週末。結婚式や運動会が予定通り行われ、窓を開けて掃除をする人、家庭菜園の手入れをする人がいた。27日昼になって、やっと避難が指示された。
移住者代表のタマラ・クラシツカヤ(55)はいう。
「脳卒中や心筋梗塞(こうそく)で亡くなる人が多い。子供も大人も免疫系が弱っていて、いろんな病気にかかりやすい。子供たちはみんな病気があって、孫の世代でも体が弱い。遺伝の影響があるのだろうと思います」
移住者の一人、ターニャ(59)の夫は心筋梗塞で死亡した。
「健康で長生きの家系なのに、事故後はぜんそくや心臓病を抱えた。原発事故との関係を認定してもらおうとしたのですが、無理でした」
3年間事故処理作業をしたゲンナージイ(48)は30歳で糖尿病になった。高血圧で甲状腺に腫瘤(しゅりゅう)がある。
「夜になると足が痛くなる。ストロンチウムが骨に沈着したためと思います」
リュドミーラ(62)の夫は糖尿病がもとで死亡した。
「夫の両親にも祖父母にも糖尿病はなかった。母は、今も私よりずっと健康です。当時12歳だった息子は自律神経失調と心臓病があって、私より体が悪いです」
バンダジェフスキーは、汚染地域で子供たちに病気が増えていることに関心を持って研究を始めた。
「被曝の影響は、胎児や小さい子供に大きく出る。遺伝の影響で次世代に現れる可能性もあります」
こうした警告がベラルーシでの逮捕につながった可能性がある。しかし「住民にいろいろな危険があることが分かっている以上、研究はやめられません」。(松浦新)
■学長の逮捕:1
エリート医師が突然
ベラルーシ共和国第2の都市、ゴメリ。人口約50万人。1999年夏、その町で事件が起きた。ゴメリ医科大学の学長、ユーリー・バンダジェフスキー(54)が突然逮捕されたのだ。
学生から賄賂を受け取った疑いと伝えられるが真相はわからない。バンダジェフスキーは90年にゴメリ医大を創設したエリート医師だ。その逮捕は国際的に波紋を広げた。
86年、チェルノブイリで原発事故が起きた。原発の北にあるベラルーシには大量の放射能がまき散らされた。バンダジェフスキーは事故後、死亡した人を解剖して臓器ごとにセシウム137の量を調べた。
その結果、大人と子供、男性と女性で、臓器ごとに量が違うことを突き止めた。たとえば97年に死亡した人の平均では、子供の心臓には、体重1キロあたりで大人の約4倍のセシウム137が集まっていた。
放射線医学総合研究所の元主任研究官、崎山比早子〈さきやま・ひさこ〉(72)は「彼の論文にはさまざまな批判がある。しかし、人の内臓にどのくらいの放射能があるか、解剖して実際に確かめたのは彼しかいない」と評価する。
ベラルーシ当局は、放射線による健康被害は大量の被曝(ひばく)の場合しか認めていない。少量の被曝も影響すると主張するバンダジェフスキーは、政府にとって目障りな存在だ。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、彼が政府の被災者への対応を公然と批判したためにでっちあげられた事件だとし、救援活動に乗り出した。しかしバンダジェフスキーは01年、禁錮8年の判決を受け、服役した。
05年に釈放される。そして09年、ウクライナのキエフ市に移って研究を再開したのである。
キエフ市郊外に、チェルノブイリで被災した子供たちの保養施設が集まる地区がある。施設は現在は機能しておらず、周囲には廃虚のような建物も多い。敷地に入ると野犬が集まってくる。バンダジェフスキーとはそこで会った。
「日本の子供がセシウム137で体重1キロあたり20〜30ベクレルの内部被曝をしていると伝えられましたが、この事態は大変に深刻です。特に子供の体に入ったセシウムは、心臓に凝縮されて心筋や血管の障害につながるためです」 (松浦新)