雲息があやしくなってきた。これから一雨降るかもしれない。 新世界に到達してから天気が曇り空になることは初めてだった。黒い雲に重なるように、採魂の女神が拓也のもとに降下する。 「マスター」 「どうした?ヒルキュアとポリスリオンから返答は来ないのか?」 「それが……」 ブリュンヒルドが重い口を開く。 「二人は、幽閉されています」 「なに?」 ブリュンヒルドから告げられた真実に拓也もさすがに驚く。 「上級悪魔に」 「握出!!?」 新世界に土足で入り込んだウィルス。地下で息を殺しているのかと思いきや、活動だけは着々と進めている。まさか、『ただの線を描く画家―レプリカント・ツアー・コンダクター―』から生まれた正義の使者を二人も幽閉しているとは思わなかった。 さすがはかつての上司、一筋縄ではいかないと言うことか。 「鳴神町の事件は、彼の仕業と考えて間違いありません。そして、ヒルキュアとポリスリオンも、何か関与している可能性があります」 「寝返ったということか?」 「ポリスリオンは分かりませんが、ヒルキュアは……。民から『たゆたう快楽の調合薬―ナース・エクスポートレーション―』を注入された形跡がありました」 ブリュンヒルドの告白に拓也の目の前は真っ暗になる。人の為を思い、力を使って生みだした正義の使者が反した行動をしている。ヒルキュアは既に正義の使者ではない。握出に心を奪われた、世界に悪影響を及ぼす小悪魔―イレギュラー―。 「……ヒルキュアを殺れ」 拓也の冷たい声にブリュンヒルドが待ったをかける。 「お待ちください、マスター。ヒルキュアを正気に戻す可能性はまだあります。彼がポリスリオンを捕えたのなら、まもなく裁きが下ります」 冷静に考える拓也に一つの結論が導かれる。 「…………ジャッジメンテスか」 ブリュンヒルドは頷いた。 「三姉妹の長女が二人のカタキを必ず取ってくれるでしょう。その時こそ、理想郷の完成です」 その通りだ。全ての障害を取っ払ってこそ理想郷は成就する。状況は何も変わっていない。たった一つ、握出紋さえ排除すれば新世界は完成する。せめて握出には楽しませてもらわなくてはいけない。 制裁戦士ジャッジメンテス。決して強いとはいえない。ポリスリオンに比べて力もない。しかし、それでもポリスリオンより信頼を置くのは、ジャッジメンテスは誰も到達したことのない無意識の根底まで到達した使者だからだ。以降ジャッジメンテスは抑止力を操ることができる。無意識に生まれる民の抑止力に悪魔は勝てる はずがない。 「平和を望むのは大多数の意見だ。それを邪魔する奴は――許さない」 ポリスリオンがツキヒメの用意した処刑台に立たされて三日、 「ハッ……ハッ……」 ブウウウゥゥゥ…… ウィンウィンウィンウィン…… 息を切らして涎を垂らし、アイマスク、玉ざる口枷、ニップルクランプス、そして足枷手枷、おまんことアナルにそれぞれバイブを咥えたポリスリオンが処刑台に立たされているのを、握出は愉しく閲覧していた。『たゆたう快楽の調合薬―ナース・エクスポートレーション―』で感度を最高潮まで高められているのだ。時々ビ クンと全身が震えると思えば、愛液を垂らしてぐったりする。そしてまた快楽に溺れる。永遠の快楽が握出にとってたまらない。 「毎日伺えば流石にこの快楽に耐えられなくなるでしょう?どうです?現実から逃げきれましたか?」 とりあえず目と口だけは自由にさせる。目に涙を浮かべ、悲しんでいるのか悦んでいるのか分からない表情を浮かべているポリスリオンをまっすぐに見る。 「……わ、わたしを……妹のところへ連れてって」 そこまで正義感が強いのか。最後までヒルキュアの安否を気遣っているように見える。だが、握出はそうじゃないことに気付く。 「では、私の家へ来ると言うことですね?」 「……はい」 「奴隷として家へ来ると言うことですね?」 「…はい」 「道具として置いて貰うと言うことですね?」 握出がうっすらと笑う。その笑みと同じ表情をポリスリオンも浮かべた。 「はい。私をあなたの道具として置いてください」 ヒルキュアと同じ、握出を喜ばすために置かれる道具。 「いいでしょう。では行きましょうか?第二の調教部屋へご案内して差し上げましょう」 枷を外し自由になった身でも、握出の声に従ってしまう。握出が差し出す腕をすっと受け取り、よろよろの身体を起こして握出の後をついていく。 「ああ、バイブは外しちゃ駄目ですよ。ちゃんと下半身に力を入れて歩くのですよ。落としたらお尻ペンペンです」 「はいぃ」 キュッとお尻を締めると更にバイブが狭い膣内を規則正しくゴリゴリと蠢く。「ひんっ」と小さく声をあげながらも、握出がスタスタと歩いて行ってしまうので、頑張って追いつこうと大股で追いかける。それがさらに快楽を生む。 抜けてしまう状況、でも落としちゃいけない現状。そんな狭間で揺れる心が笑みを作る。 (いやあ!どうして私があなたの道具にならなくちゃいけないのよ!!言うことを聞いてよ!!いやあああああ!!!) 心で泣いていながらもその声は握出にしか聞こえない。歓喜を浮かべて握出の後を歩くポリスリオンは、既に正義を守る使者とは言えない存在に成り果てていた。と、その時、 『偽りなき誘導尋問―ゴットルガール―』が光りだし、紋所から金色の髪を靡かせた女性が姿を露わした。 「ぬああああ!な、なに!?」 その光があまりに強く、流石の握出も後ずさりをする。ワルキュリア、そう捉えても許されるくらい、美しい成りと、ハンマーと楯を持った姿は、まさしく女戦士と言える存在だった。 「そこまでよ、アークデーモン!」 鋭い視線が握出を貫く。ポリスリオンが彼女を見て数日ぶりに安堵の笑みを浮かべた。 「ジャッジメンテス!!」 ジャッジメンテス。彼女もまた正義の使者を名乗る偽物。握出は楽しくなってきた。 ジャッジメンテスは羽帽子を直しながら、上級悪魔と対峙した。 「あなたの愚鈍、愚行、行為、行動。私が裁く」 力を求めることに何の意味もなかった。 人生は闘い。一人で戦い続け、誰にも負けない強靭な力を手に入れた。 邪魔したのは、五人の戦隊―ザコチーム―だった。 一人で99の力を手に入れたとしたのなら、奴ら一人一人の力は20しかない。 供に戦い、供に歩み、供に共有し、供に涙し、供に勝利を喜ぶ。 ――その姿が劇的に映えるから 一人で戦い、一人で歩み、孤独に耐え、涙を見せず、勝利の余韻に浸る。 ――その姿が面前に映らないから 結果は彼らが勝った。彼らは正義と称され、私が悪と罰せられた。 ――世の中、数の多い方が勝つ。決したものは100対0の多数決。 皆が共有する意見、納得する世界を見つけた時、絶対の力は完成する。 私ではない、民の抑止力が悪魔を仕留める。 神すら裁く最終審判。我は判決を下す制裁戦士―ジャッジメンテス― 戦場は裁判所に見立てた処刑場だった。 「こ、これは――」 握出は闘う気満々で居たのに、粛々と準備が進められていく。いつの間にか集められた百人の観衆が後ろに座り、ヒルキュアとポリスリオンは横で握出のことを見つめていた。、 「なにをしているのです?被告人。席に座りなさい」 「被告人!!?」 どうやら中央に設けられた場所が握出の席だった。被告人として立たされ、まさしくこれは裁判所ではないか。闘技場じゃないのか、、ジャッジメンテスは鎧の服装のまま上座中央の席に座った。握出は拍子抜けしてしまった。 そう思っていながらも、ジャッジメンテスのハンマーが鳴らされ、開門した。 「被告人、握出紋。あなたの行動は被害者ヒルキュアを隔離し、被害者ポリスリオンに身体的苦痛を与えました。到底許されない行為です。死刑を求刑したいところですが、被告人、証言を聞きましょう」 冒頭陳述から死刑の文字が出るとはなんということでしょう…… 握出は立ちあがって弁明をする。 「私は何も悪いことしていませんよ?隔離?別に彼女が逃げなかっただけです。私はずっと家にいろとも、目を放さなかったわけではありませんからね」 意見を言わないということは、相手にとって良いように伝えられてしまう。真実からねじ曲がり、相手の作り話が本物となる。ヒルキュアが焦りだす。 「それについて被害者。弁論を述べよ」 ジャッジメンテスの声にヒルキュアは立ちあがって中央まで出てくる。 「確かに私は被告人からそのようなことを言われてはおりません」 (普通に喋っている……なるほど、この空間にいる間は誰もが正常な状態に戻るということですね。虚偽のない弁論が出来る様に) 握出はあくまで冷静だった。 「しかし、私の状態が異常ではありませんでしたから、正常な判断が出来なかったのです」 「異常、とは?」 (あ……それ、聞いちゃうんだ……) ジャッジメンテスの質問にヒルキュアの顔が赤くなるが、虚偽も出来ないために、言われたことは答えなくてはならない。 「その……身体が、ムラムラしちゃって……」 ザワザワ……観衆がどよめく。聞いたジャッジメンテスも動揺していた。 (聞いちゃったよ。どんな公開処刑ですかね。ひょっとしたらジャッジメンテスは馬鹿かもしれない) ジャッジメンテスがハンマーを叩いて場を鎮めさせる。ヒルキュアは恥ずかしながら帰って行った。 「被告人。他に何か述べたいことがあるか?」 先程の口調と同じくジャッジメンテスは握出に機会を授ける。 「ポリスリオンに身体的苦痛?私が与えたわけじゃありません。ヒルキュアがやりました」 ヒルキュアがまたドキッとする。再びヒルキュアを前に出せば彼女自身がボロを出すんじゃないかと考えたからだ。しかし、ヒルキュアの横に座るポリスリオンが弁明する。 「先程の通り、ヒルキュアは正常な判断が出来ず、私に襲いかかりました。しかし、それは被告人に唆されて仕方なくしたことです」 「仕方なくでいいんですか?正常な判断が出来ないのなら何をしてもいいのなら、私なんてとっくの昔に正常な判断なんて逸脱していますよ」 「黙りなさい、被告人」 ジャッジメンテスがハンマーを叩く。一瞬にして静まりかえる。 「分かりました。判決を言い渡します」 なんだか急な判決に向かった気がした握出は、手を上げようとした矢先の出来事だった。 「握出紋。おまえを死刑に処す」 「なにいいい!!!」 バン!!と、握出が後ろに倒れ込む。絶対勝訴を勝ち取ったと思ったのに、不等裁判を受けた気分だった。 「認めたくない!認めたくない!!」 「死刑を言い渡されたんだ。今更変えることはできない。もうおまえに逃れられる術はない」 「誤審だ!上告するぞ!!こらあ!!!」 「ここにいる全ての者が被告人を死刑に処すと言い渡したんだ」 握出が気がついたように振り向くと、観衆全員が手を挙げて握出の死刑に賛成している。 そう、彼らは観衆ではない。彼らこそがジャッジメンテスの力なのだと察した。 『清き大多数の票―ディティアレンス―』。罪の重さよりも感情移入出来た人の多いか少ないかが重要視される。間違っているか間違っていないかなど関係ない。無意識による罪の重さの蓄積が握出を裁くのだ。普通から逸脱した特別者には、処罰による制裁が待っているだけの話。 (『亡き営業部長の座―ウソエイトオーオー―』に縋っている握出には社会的剥奪が必要ない。会社が無くなったのなら、皆、リストラしてでも切り捨てなければならない。いつまでも存在してはいけない。新世界―トラディスカンティア―に!!) ジャッジメンテスが『処刑実行―ゴルディオン・ハンマー―』を掲げた。振り下ろせば握出の足元から奈落の穴が開き、首を絞めて終わる。 「……ん、つまり『清き大多数の票―ディティアレンス―』とは――」 握出はにやりと笑い、机をバンッと両手で叩いた。 「ちょっと待って下さい。ならば私はジャッジメンテスと勝負をします」 ビタアッ!と人差し指をジャッジメンテスに突き刺し、闘う姿勢をとった。今更のことにジャッジメンテスの動きは止まらない。 「なにを馬鹿なことを」 「あなたの犯した罪は、人の夢をぶち壊したことです。私は人の為に頑張ってきました。快楽だの力だの、人の叡智を求めて仕事をしているのです。私を殺すと言うことは、人の夢を殺すと言うことです」 営業部長の称号を持っていた握出にも絶対に譲れないプライドがある。プライドを傷つけたられたのだ。負けることが許されないなら、不等裁判すらひっくり返して逆転勝利する。 「……ならば問いましょう。人が求める者はあなたか、私か」 ジャッジメンテスも勝利を確信して握出の勝負にのってきた。『清き大多数の票―ディティアレンス―』という無意識の根底まで辿り着いたことのあるジャッジメンテスだからこその余裕。100対0の多数決を確信しているから。 ジャッジメンテスが負けるはずがない。次にハンマーが鳴り響いた後、上級悪魔は死刑を執行される。 勝負の火ぶたは切って落とされた。その前に握出が後ろを向いて観衆百人に呼び掛けた。 (いや、ここにいるのは観衆ではない。人の無意識に潜む根底の集合体。人ではない、手を挙げることしかできない愚民どもよ。本当にそれでいいのか俺に示せ) 「ここにいる者に伝えます。私に従えば永遠の快楽を与えます。ヒルキュアを蕩けさせ、ポリスリオンが身を以って体験してくれました。我ら今無き会社エムシー販売店は、何億もの支持者がいた大企業でした。それは、私どもの商品を大変気に入ってくれたからです。 人を悦ばす方法を私は知っています。催眠にかかったような夢の時間をご提供いたしましょう!なんだったらここにいる正義の使者全員を差し上げましょう。 それとも法にひっかかれ、自由と時間を束縛された生き辛い世の中の方が好きですか?人を堕落させて不幸に落とした瞬間の甘さに震えている方がいいのですか?それもいいかもしれません。私はどちらでも構いません。ただあなたたちの支持する方がどちらなのか、はっきりしようじゃありませんか」 握出の宣言に観衆がざわめく。ジャッジメンテスがハンマーを鳴らす。 「判決を言い渡します」 カンッと、木製の音が響き、次の瞬間には判決がくだる。その瞬間の内に、握出は誰かにつぶやいていた。 「さて、聞こえていますか?私はあなたに声をかけているのです。あなたの一票が私の力となります。どうか清き一票を投じてください」
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