時代の風

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時代の風:「1969」の成功=東京大教授・坂村健

 ◇「日本はダメ」論を疑う

 暗く重い雲が日本の上空を覆っている。まず経済的状況。日本が特別悪いわけでもない--というより、元気だった中国経済まで変調をきたし世界全体が落ちこんでいる。東日本大震災もあった。そして、前々から言われている財政赤字や少子高齢化に伴う市場の縮小もいまだ改善のめどがない。

 そこで「日本の中に閉じこもっていてはダメだ」、「もっとイノベーションを」というようなことが、声高に言われる。社内の公用語を英語にする企業がもてはやされたり、「米国の有名大学で日本からの留学生が減っているなど、内向きの若者たち」と報道されたりもする。

 若い人たちにしてみれば、生まれたときには高度成長は終わっていて好景気を知らず、物心ついてからずっとデフレや不況が続いている感じだろう。昔も若者の給料は決して高くはなかった。それでも、女の子とのドライブデートを夢見て働き、借金してでもいい車を買ったものだ。「明日は必ず今日より良くなる」という発展途上の「未熟」な国ならではの感覚に基づくモチベーション。それを今の日本の若者に求めるのは無理がある。日本は利益の分担でなく、負担の分担が政治の中心課題という「成熟」した国になってしまった。

 そこに「由紀さおり」である。由紀さおりといえば、まさに「成熟」した大人の歌手という感じだが、その由紀さおりの歌が欧米で話題になっている。連日の米国ツアーも大成功。アルバム「1969」のCDや配信も各国のチャートで上位に。最もうれしいのは、彼女が英語を勉強して新しい路線を始めたのでなく、1969年当時の歌謡曲を日本語で自然体で歌っていることだ。アルバムに加えたボサノバまで日本語である。

 政府の全面バックアップだとか、広告代理店の仕掛けとか、観客は自国ファンがほとんどの「ブロードウェイ世界デビュー」でもなく、そのままの姿の日本が、すでに過去のものだと思っていた日本が、世界で新しいものとして評価されている。なぜ彼女の歌が世界ではやることになったのかというと、スーザン・ボイルの歌声のようにインターネットが関係している。

 「1969」の場合は、米国のジャズ系のバンド--「ピンク・マルティーニ」のリーダーが、由紀さおりの古いレコードを米国の中古レコード店で見つけ、気に入った曲をカバーしてユーチューブにアップしたところから話は始まる。それを見た日本側の関係者が米国にコンタクトし、由紀さおり&ピンク・マルティーニで、コラボ・アルバムを出すところまで行った。さらにロイヤル・アルバート・ホールでの「世界デビュー」画像から、由紀さおりの古い日本の歌謡番組を発掘して英語タイトルを付けたものまで、続々ユーチューブにアップされ人気を増幅している。

 日本の知られざる良品がネットを通じて世界で「新発見」される例は、実は最近いろいろな分野で出ている。例えば「QRコード」。スマートフォンのアプリとして簡単にリーダーをネットからインストールできるようになったおかげで、世界は今「QRコード」の便利さを「新発見」している。ロンドンの街でQRコードがでかでかと貼ってあったり、フランスの雑誌広告、米国のテレビ番組などさまざまな場面で、日本がとっくの昔にやったような企画が花ざかりだ。QRコードの企画ノウハウのある日本企業にとって今はチャンスだ。

 日本の国内市場は巨大で、無理して海外に出る必要もなかった。その結果、ほとんど国内だけで消費され世界で知られていなかったいいものが、日本にはまだまだたくさん埋もれている。逆にいうと、いままでの日本の方がはるかに「内向き」だった。ここにきて少子高齢化などで国内市場がシュリンクし「外向き」が求められるようになってきた。その状況と、変わらぬ「内向き」志向が軋轢(あつれき)を生んでいるから、それが非難され目立つようになってきただけだ、と思ったほうがいい。

 「日本はダメ」論が多すぎる。歌謡曲は「ベタに日本的」で「古くてダサい」から、世界に受けるはずがない、というのは思い込み。単に「知られていなかっただけ」というのは、意外な盲点だ。「すごいですよね、日本語の歌謡曲がそのまま世界発売なんて」と、ご本人はキツネにつままれたようだが、英語が話せれば世界でやっていけるわけではなく、若ければ良いわけでもない。内容があれば、言葉の壁はなんとかなってしまったりする。日本オリジナルな良いものも多いが、どのように世界に出すかといった場合、ピンク・マルティーニのような、世界に主張することにたけている人々と協力する方法もある。そんな考え方も、自分だけで頑張りたがる日本人的には盲点だ。

 英語を話したり留学したり、主張したりすることに向いていない人も多い。しかし彼女はすばらしい内容を持っていたからこそ、米国人が発見し協力して世界に出してくれた。本当にいいものは、知られれば必ず世界は評価してくれる。その「気づき」のチャンネルをインターネットが提供してくれる時代なのだ。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2011年12月18日 東京朝刊

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