今年7月22日、国内では46年ぶりに皆既日食がみられる。南の島々へのツアーや関連グッズなど商戦はヒートアップしているが、46年前、さらにその前の国内の様子はどのようなものだったのだろうか。
「ただ“晴れよ!”とばかり祈らずにはおれない」(過去紙面より)
滅多に見ることができない天体ショーは紙面でも大きな扱いで取り上げられている。目を痛めるため現在では推奨できない方法だが、各地で色ガラスや望遠鏡を使って欠けていく太陽を見上げる人々の写真が残っている。
毎日新聞(東京日日新聞)の紙面で確認できる最も古い皆既日食の観測は、1887(明治20)年8月19日。新潟、福島、栃木、茨城など関東北部から東北南部にかけて観測された。国内では1786(天明6)年以来、実に101年ぶりのことだった。
この時は鎖国を解いた後では初の皆既日食ということもあり、米国からも観測隊が来日。明治政府は各地に観測隊を派遣しただけでなく、観測できる地域の住民に対して皆既時の太陽の様子を記録するように通達を出している。観測地の一つとなった福島県白河市へは東京や横浜から臨時列車が運行され、横浜港からは観測船も出るなど、盛り上がりをみせていたようだ。
今も昔も変わらぬ皆既日食ブーム。その様子を紙面と写真で振り返ってみた。
2009年7月21日
ウェブサイトが15分で簡単作成、しかも無料で
クルマの最先端が集結
学生は社会で必要とされる力を身につける