2011年12月17日03時00分
原発事故から9カ月余。いまも福島県の15万人が避難生活を送る。「収束」の二文字は、県内の人たちにどう映ったのか。
「政府が『原発事故は収束』と宣言しても、私たちの避難生活は昨日と今日とで何も変わらない」。東京電力福島第一原発5、6号機を抱える双葉町の主婦、志賀まゆみさん(51)は言う。
猪苗代町の仮設住宅に中学2年の次男と義母の3人で生活する。仕事の都合で、長男は東京で、夫はいわき市で暮らしており、一家の将来像は描けないままだ。「避難者はどこで生きていくのでしょうか。声高に宣言されると、逆に空しく感じる」
町の一部で高い放射線量が計測された浪江町で理容店を営んでいた志賀直之さん(68)は、二本松市の仮設住宅で暮らす。事故の収束と唐突に言われても、町に戻れるかどうかはわからない。町を除染しきれるのだろうか、飲み水の汚染を気にしながらでは生活はなりたたないのでは……。子どもを持つ人たちが、放射能の影響を心配して町を去ろうと話しているのを聞くことが多い。「若い人のいない町に将来は望めない」と嘆く。
政府の宣言そのものに疑いの目を向ける人も少なくない。「収束と言っても、本当のところは『応急処置の終了』としか思えない」。妻と義母の3人で横浜市に避難している双葉町の元町議、大塚憲さん(61)はそう指摘する。「溶けた燃料棒を原発から取り出したわけでも、高い線量の放射線被害が収まったわけでもない。もっと根本的な解決ができた時にしか収束とは言えないはずだ」と不満を募らせる。
飯舘村の佐藤忠義さん(67)は今回の宣言を「国と東京電力が『仕事をしている』と国民にアピールするためのパフォーマンスだ」と切り捨てる。放射能汚染の広がりや除染の見通しなど、国はこれまで一度も正確な情報を開示していない、との憤りがある。
約90世帯が暮らす伊達市の仮設住宅の自治会長。独り暮らしの高齢者が多く、室内に閉じこもる人も多い。住民の厳しい生活は何も変わっていないのに、国はなぜ宣言をするのか――。「事故が収束したと言えるのは、家族そろって元の生活に戻った時だけだ」