情報弱者から―「ひと言」
村 山 正 則
古稀をすぎた旧友たちが、ワープロやインターネットに熱中している。「ブルータス、お前もか……!」といった心境だ。
最近、ワープロの便りが多くなった。手書きの頃は文面に温もりがあったものだが、横書き印刷文は目で追うのに疲れる。漢字、カナ交り文は縦書きが本筋ではないのか。……いつまでも古いことを言わないで―― と周辺の多くの人がボクに流行物に興味を持たせようと誘ってくれる。しかし、齢と共にツムジ曲りになるのか、流行物にトンと乗らなくなった……というよりも反応しない人間になったのか。――
乗用車、ゴルフといった亡国的趣味は遠い昔に放棄した。いわん
やポケベル、ケイタイ、パソコン、インターネットなど、おかしなカナ文字流行物には全く興味が湧かないでいる。
小学生たちは見様見マネでファミコンとやらを巧みに操っている。世をあげてコンピューター時代である。そんな世相を横目で見ながら考察するに、大人がこんなものに夢中になるのは、大人の中の子供の部分が操っているのじゃないのか。―― となれば、ボクの中には子供の部分がないということか。
めまぐるしい新技術の出現を他人事のように吾れ関せず……でいると、マニュアルとやらを持ってきて、これで一目瞭然!。とにかくやってみろ、と言う。拝見するだけで疲れるではないか。中に書かれているのは、一体何語なのか。説明書にその解説書を添え、更に、翻訳者をつけるぐらいのサービスをしたらどうか。
先日、十年余り使ってきた電話器を新型に代えてみたが、その説明書のめんどうなこと。更に多機能ボタンが増えて、電話器でこんなことまで出来るのか、と驚くばかり。二人で話せるとか、留守中に声が入れられるとか、その他諸々……。
大きなお世話だ。必要以外は使用しないから小難しい説明書など見る気もしない。―― それにしても昔の「黒電話」はどこに行ったのか。素朴で故障もなかった。手引書などという不粋なものがなくても直ちに使いこなせた。
部屋の中にデンと構えて貫禄があった。現今の「ピー」とか「ヒョロ 」といった人を小馬鹿にした音ではなく、「電話だぞ!」と、断固たる呼び出し音で事を足してくれた。電話とは、居ながらにして遠くの人と会話が出来る、それだけで充分ありがたい文明の利器ではないか。ましてや、パソコン、インターネットなど、ロクなものじゃない、単なる道具ではないか、―― とかねがね思っているから、口もきかず液晶画面と相対して、有害電磁波を浴び乍ら不器用な手でキーを叩き、片手でテーブルを撫で回している光景を見るたびに、やがて世の中は、無表情、無性格、無感動な、ノッペラボー人間が増えてくるのじゃなかろうか、と二十一世紀を心配しているのである。
―― と、まぁ、時代おくれのノンキなことを言ってばかりはおれない御時世になりつつあるのも判らないではない。パソコンの出来ない人間は標準的生活から取り残されるだろうなどと、國や行政、業界、はては友人、家族までが言い出す。わが医師会執行部からもインターネットの判らんような人は情報提供が出来兼ねますよ……とおどされる。
そこまで時代が切迫しているなら、そろそろ重い腰をあげて履きなれたワラジを脱いで新しい靴に履き変えようと、おくればせ乍ら覚悟を決めつつあった矢先、世界のニュースはハッカーがどうの、ウイルスが迷入してコンピューターが乱調、地球が、国家が、都市機能が混乱……。更にインターネット利用の犯罪、メールで交信のトラブルの増加 ―― と伝えているではないか。
そうか。そうだろう、やっぱり。あんなものはまともな人間が手を出すものじゃない、ということか。ヤメタ、やめた。
