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岐路 大間はいま

「道民が大間原発に不安を持つのは当然だ」と話す鎌田さん
略歴 かまた・さとし 青森県弘前市出身。早大卒業後、新聞や雑誌の記者を経てルポライターに。著書は「自動車絶望工場」「日本の原発地帯」「六ケ所村の記録」など多数。作家の大江健三郎さんらと脱原発「1000万人署名」を呼び掛けている。

 青森県の下北半島には大間原発をはじめ、多数の原子力関連施設が集中する。40年前から下北での取材を続け、8月に「ルポ 下北核半島」(共著)を出版したルポライターの鎌田慧さん(73)に、歴史的な背景や今後の展望を聞いた。(聞き手・渡辺創)

国策にほんろう 下北半島

 −−大間原発をはじめ、下北半島に核関連施設が集中したのはなぜか。

 「中央から遠い過疎地だったのが大きい。源流には、六ケ所村に大規模な石油化学基地を建設する『むつ小川原開発』計画がある。1969年に決定したが、ある財界人は『公害がない絶好の地』と言った。公害があっても偏西風で太平洋側に流れる、という訳だ。これが核施設に代わった。80年代に中曽根元首相が『下北を日本有数の原子力基地に』と発言しているように、原発や関連施設が遠隔地の下北に押しつけられた。国と電力会社が推進し、無いのはウラン鉱山だけという状況になってしまった」

 −−大間原発は、プルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を100%使用できる世界初の商業炉だ。その位置付けは。

 「核施設が下北に集中したもう一つの理由と関連する。使用済み核燃料からプルトニウムを抽出し、再利用する核燃料サイクルの拠点を下北につくる、という意図がある。六ケ所村に使用済み核燃料再処理工場とMOX燃料工場、むつ市に使用済み核燃料中間貯蔵施設が立地する。大間原発や高速増殖炉『もんじゅ』でプルトニウムを消費するのが国の方針だ。政策立案者は、効率のために川上から川下まで同じ地域につくろうと考える。大間原発は六ケ所村の核燃料サイクル施設と一体化している」

 −−電源開発にとって大間は初の原発だ。

 「戦後、国策会社として設立された電源開発は、国策に基づくフルMOX原発を押しつけられたのだろう。失敗続きの『もんじゅ』を含め、採算を度外視してプルトニウムを消費しようとする国策に協力するしかなかったのだ。巨大会社である電源開発の社長が2回も現地に行き、土地を売却しなかった熊谷あさ子さん(故人)に『1基だけでも作らせて』と頭を下げたこと自体が、その事情を示している」

 −−津軽海峡を挟んだ函館など道南には50万人近い住民がいるが、その意思はくみ取られなかった。

 「国の安全審査文書では、大間原発は『周辺公衆との離隔の確保は(中略)原子炉立地審査指針に適合しており、妥当なもの』としている。人口が少ないから、電源開発が不慣れな原発をつくるにはここで、ということだ。だが、津軽海峡の北側に多くの人が暮らす事実は無視された。北海道で危機感が広がるのは当たり前。建設差し止め訴訟など函館側の反撃はもちろん、道民が怒るのは当然だ」

 −−今後の展望は。

 「国民の多数意見は、原発は困る、原発には反対、ということだろう。原発をやめるか続けるか比べれば、今ストップする方が賢明だ。事故が起きれば、とんでもないことになるのは福島で明白になった。核廃棄物を何万年も保存するコストを考えると、いま中止する方がずっと安い。従来の反原発運動の敗北を教訓に、国民の加わりやすい運動が必要だが、変化の兆しはある。この流れは簡単には終わらないと思う」


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