2010年5月1日
本当に御法主猊下は秘中の秘を相承あそばされているのか?!
本当に戒壇の大御本尊様は日蓮大聖人なのか?!
御書に書いてあることは100%真実なのか?!
そもそも、本当に日蓮大聖人は仏なのか?!
信仰とは、実に突拍子もないことを信じる行為であります。
ただ、私はそれを信じようと決めたわけです。
これは魂の正しい働きとも考えられるし、頭が悪くて騙されているだけと解釈することもできるわけです。
ただ、こんないい加減な状態では、ひとに勧めることはできません。
ただ、ニセ本尊が危険であることは確信に至りましたので、ニセ本尊を捨てることを強く勧めることはできます。
いっぽう、本物の御本尊様を信じて拝すれば明確に幸福が訪れるとすれば、これは大いにひとに勧め、それによって世界は平和になると言うことができると思います。
ただ、ここで一つ重要なことは、
仏の境地を簡単に理解できるなんて無理であるということです。
だからこそ、大聖人は御書でもって凡夫にもわかるようにお説きくださったのだと思います。
ただ、やはり、信仰の基本は
目に見えないことを信じる心の働きです。
「開眼は必要ない」の大邪義を掲げるにもかかわらず、
「法主しか知らない秘儀」との説明が納得できない創価。
開眼を認めない者が、そのやり方を聞いてどうすると言うのか。
つまり宗教の基本が理解できていない。
大聖人の御言葉を排除し、日蓮仏教を名乗る大矛盾。
まさに新興宗教”池田教”の姿である。
日蓮正宗法華講の信徒になって > 日蓮正宗日記 > 真理は”かしこぶる馬鹿”には遠いか
日蓮正宗日記
真理は”かしこぶる馬鹿”には遠いか
<<ニセ本尊の魔力!まさに頭破作七分!自己矛盾に気づけない哀れな創価学会員 | 日蓮正宗法華講の信徒になってトップへ | H君、仏が勝つか、魔が勝つか>>
この記事へのコメント
コメントを書く
リオンと申します。
私も長野妙相寺の信徒でございます。
バリ活の創価学会員だった私は、いくら真剣に活動しても、何ら功徳を感じることもなく、祈りも叶わないことに漠然とした疑問を感じておりました。
そんな時に toyoda.tvに「未知との遭遇」のごとき衝撃を受け
一昨年の4月 樋田さんに連絡して、勧戒を受け、法華講員になりました。
その内に 総本山大石寺か峯國社でお会いすることになりましょう。
楽しみにしております。
やはり学会は功徳が無い(感じられない)ですか。
功徳が無いのは法に照らして当然ですし、あるように思えるのは魔の通力に惑わされているのでしょうが、今は慢心も混じって「馬鹿だなー」と思います。
ただ、僕は馬鹿を見るとイライラして憎んできたので、「如是本末究竟等」、いつかは僕もそういう人間だったのかもしれない、馬鹿も功徳で利口になるかもしれない、と考えると、心穏やかになります。
そのことだけでも、日蓮大聖人に感謝しています。