福島県新地町で東日本大震災直後、JR常磐線各所の踏切が閉じた状態となり、沿岸部から内陸へ通じる道路は避難する車で渋滞していた。海に臨む釣師(つるし)地区では142世帯の全家屋が津波で流失し、33人が亡くなった。「踏切のせいで逃げ遅れた者がいるのではないか」。今も仮設住宅で暮らす地区住民たちの間で、踏切への疑問が膨らむ。
美容師の荒文栄さん(59)は、揺れが収まると近所の親類2人を車に乗せ、1キロ内陸の避難所へ向かった。ところが、JR新地駅南の「釣師街道踏切」の手前約150メートルで渋滞に巻き込まれた。
踏切は車列に隠れて見えない。「事故でもあったのか」。津波への不安が募る。前方の車がUターンした。思い切ってハンドルを切り、それに続いた。海辺を通り南の高台へ上って間もなく、午後3時40分、眼下のまちを津波がのみ込んだ。
文栄さんが渋滞に巻き込まれたころ、その最前列では、飲食店従業員、佐久間カツ子さん(64)が遮断機が上がるのを待っていた。目の前で警報機が鳴り続けている。
そこへ、歩いて避難所を目指す主婦で幼なじみの荒和子さん(64)が通りかかった。踏切から、駅の近くで列車がライトをつけたまま停車しているのが見えた。動く気配がない。「大丈夫だから早く行って!」。大声で叫ぶと、カツ子さんははじかれたようにアクセルを踏み、遮断機をくぐり抜けた。後ろの車もそれに続いた。「そのままとどまったらだめだったかもしれない」。カツ子さんは今も友人に感謝している。
さらに南の「小川踏切」でも、同じことが起きていた。
震災時、町の内陸部にいた無職の寺島幸一さん(76)は妻(74)が待つ自宅へ車を飛ばした。小川踏切に差し掛かると、反対方向から逃げてくる車が踏切で止められ、数珠つなぎとなっていた。寺島さんは車を降り、警報機の鳴る踏切に入って遮断機のバーを素手で持ち上げ、数十台の車を通した。「何とかしようと必死でした」
歩いて逃げてきた妻と踏切で合流して間もなく、500メートル離れた防波堤で水しぶきが上がった。「津波だ」。妻や近所の住民らと近くの高台に逃げ、危うく難を逃れた。
JR東日本によると、踏切は外部電源が落ちると遮断機が勝手に下り、バッテリーで警報機が鳴り続ける。原因が災害などによる大規模停電かどうか状況を判断するすべがなく、列車往来の安全を確保するために必要な仕組みという。
JR東日本は「複数のご意見をいただいており、重要な課題と認識している」と、渋滞発生の事実を認めているが、簡単な解決法はなく、悩ましげだ。
立体交差で踏切をなくせば解決するが、その費用は自治体など道路管理者の負担で、完全になくすのは事実上不可能だ。国土交通省鉄道局は「震災を契機に津波の防災対策を強化する新法を作った。必要な整備を進めてほしい」としている。【神保圭作、井上英介】
毎日新聞 2011年12月15日 3時04分(最終更新 12月15日 3時40分)
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