・じぶんが、特別に楽観的な人間だとは言えません。
また、格別に明るい性格だとも思えないんです。
ただ、ときどき、人からは、
「楽観的」だとか「明るい」だとか言われます。
それは、かならずしもほめられているわけではなく、
けっこう迷惑がられていたり、
ややアホだと思われているような場合もあります。
説明する必要もないかもしれませんが、
ぼくはぼくなりに、十分すぎるほど
「悲観的」で「暗い」ことを考えます。
ただ、そういうときには、
わりと袋小路に入ってしまって、
どうにもならなくなってしまうことが多いので、
「うわぁ、どうしましょ」と、
なんとか考え直すようにしているのです。
1)ぼくが「悲観論」になっているときには、
だいたいは、難しくて解きにくい問題から、
あるいは難しい問題も含めた大量の問題を、
なんとか解けないものかと悩んで、
立ち往生し袋小路で身をすくめています。
2)本気で、現実の問題を解決しようとしているときには、
まず、解きやすい問題を探し、
なんとかしてその問題を解いて、
足がかりをつくって、
さらに次に解ける問題を見つけて、解いて行く。
同じじぶんですけれど、1)では悲観的で、暗いです。
そして、2)の段階にいるときに、楽観的で明るいです。
悲観的になったまま、問題を次々に解いていくのは、
なかなか難しすぎるし、うまくいかないですから。
「ちょっとできたぞ」「ちょっとできたぞ」のくり返し。
この感じは、気仙沼に通うようになって、
さらにはっきりしてきました。
ぼくが気仙沼で会う人たちは、みんな、
どれだけ悲観してもおかしくない状況のなかから、
「解きやすい問題」を探し、解いていくことを、
できるかぎりの笑顔で、続けているのですから。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
解ける問題を、ひとつずつ解いていくのはおもしろいです。
また、格別に明るい性格だとも思えないんです。
ただ、ときどき、人からは、
「楽観的」だとか「明るい」だとか言われます。
それは、かならずしもほめられているわけではなく、
けっこう迷惑がられていたり、
ややアホだと思われているような場合もあります。
説明する必要もないかもしれませんが、
ぼくはぼくなりに、十分すぎるほど
「悲観的」で「暗い」ことを考えます。
ただ、そういうときには、
わりと袋小路に入ってしまって、
どうにもならなくなってしまうことが多いので、
「うわぁ、どうしましょ」と、
なんとか考え直すようにしているのです。
1)ぼくが「悲観論」になっているときには、
だいたいは、難しくて解きにくい問題から、
あるいは難しい問題も含めた大量の問題を、
なんとか解けないものかと悩んで、
立ち往生し袋小路で身をすくめています。
2)本気で、現実の問題を解決しようとしているときには、
まず、解きやすい問題を探し、
なんとかしてその問題を解いて、
足がかりをつくって、
さらに次に解ける問題を見つけて、解いて行く。
同じじぶんですけれど、1)では悲観的で、暗いです。
そして、2)の段階にいるときに、楽観的で明るいです。
悲観的になったまま、問題を次々に解いていくのは、
なかなか難しすぎるし、うまくいかないですから。
「ちょっとできたぞ」「ちょっとできたぞ」のくり返し。
この感じは、気仙沼に通うようになって、
さらにはっきりしてきました。
ぼくが気仙沼で会う人たちは、みんな、
どれだけ悲観してもおかしくない状況のなかから、
「解きやすい問題」を探し、解いていくことを、
できるかぎりの笑顔で、続けているのですから。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
解ける問題を、ひとつずつ解いていくのはおもしろいです。
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