長崎で被爆者救護に力を注いだ永井隆博士(1908〜51)が死去の1年前、長崎県立盲学校へ贈った詩に、「炎のコバケン」と呼ばれる世界的指揮者の小林研一郎さん(71)が曲をつけ、愛唱歌「愛のうた」ができた。14日、披露の会があり、小林さんの指導のもと児童、生徒32人が歌い上げた。
「強く強く生きていかなきゃいけない。そんな気持ちで歌ってみてください」。小林さんが一番力を込めて指導したのは、詩を補作した最後の部分だった。
わたしは生きる 人のために
わたしは生きる 世のために
わたしは わたしは生きる
1949年秋、当時は長崎市にあった同校の女学生らが、寝たきりになった永井博士を学校近くの自宅に見舞った。その縁で、50年春に同校の新校舎が落成した際、愛唱歌のもとになった詩が博士から贈られた。
小林さんは東日本大震災の被災地、福島県いわき市出身。「心の中で原爆と震災が重なり、作る旋律が暗くなった」という。
その旋律を基礎に完成した曲は、終盤、次第に力強くなる。「苦悩を超えて歓喜に至れ」というベートーベンの主題と重なった。小林さんは指導を終えた後、「被災された方々にも歌っていただき、希望が広がっていけばうれしい」と語った。(遠藤雄司)