現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 社会
  4. その他・話題
  5. 記事
2011年12月14日22時16分

印刷印刷用画面を開く

mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加

被爆医師の詩で「愛のうた」 コバケン「強く生きよう」

写真:完成した愛唱歌を指導する小林研一郎さん=長崎県時津町の県立盲学校拡大完成した愛唱歌を指導する小林研一郎さん=長崎県時津町の県立盲学校

写真:晩年の永井隆博士=永井隆記念館提供拡大晩年の永井隆博士=永井隆記念館提供

写真:ピアノを弾きながら児童、生徒に語りかける小林研一郎さん=長崎県時津町の県立盲学校拡大ピアノを弾きながら児童、生徒に語りかける小林研一郎さん=長崎県時津町の県立盲学校

 長崎で被爆者救護に力を注いだ永井隆博士(1908〜51)が死去の1年前、長崎県立盲学校へ贈った詩に、「炎のコバケン」と呼ばれる世界的指揮者の小林研一郎さん(71)が曲をつけ、愛唱歌「愛のうた」ができた。14日、披露の会があり、小林さんの指導のもと児童、生徒32人が歌い上げた。

 「強く強く生きていかなきゃいけない。そんな気持ちで歌ってみてください」。小林さんが一番力を込めて指導したのは、詩を補作した最後の部分だった。

 わたしは生きる 人のために

 わたしは生きる 世のために

 わたしは わたしは生きる

 1949年秋、当時は長崎市にあった同校の女学生らが、寝たきりになった永井博士を学校近くの自宅に見舞った。その縁で、50年春に同校の新校舎が落成した際、愛唱歌のもとになった詩が博士から贈られた。

 小林さんは東日本大震災の被災地、福島県いわき市出身。「心の中で原爆と震災が重なり、作る旋律が暗くなった」という。

 その旋律を基礎に完成した曲は、終盤、次第に力強くなる。「苦悩を超えて歓喜に至れ」というベートーベンの主題と重なった。小林さんは指導を終えた後、「被災された方々にも歌っていただき、希望が広がっていけばうれしい」と語った。(遠藤雄司)

続きは朝日新聞デジタルでご覧いただけます

PR情報
検索フォーム

おすすめリンク

原発事故の影響を逃れえない福島の今後は見通しがきかない。

橋下徹氏が掲げる大阪都構想の実現はまだ道半ば。虎視眈々と狙うは「宰相の座」?

自身が覚せい剤取締法違反などの罪で懲役を受けた、道警元エースの刑事による衝撃の告白。


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内 事業・サービス紹介