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できごと
【関西事件史】附属池田小児童殺傷(7)監禁された先輩記者
大阪教育大附属池田小学校の児童殺傷事件からまもなく1年になろうとしていた。平成14年6月某日の夜。私は必死になって、金づちを振りあげる元死刑囚、宅間守の父親の太い腕を押さえていた。
「この野郎、邪魔するな!」
「やめてください!」
宅間の父親は、大阪府警捜査2課担当だった私と一緒に兵庫県伊丹市内の宅間の実家を訪れた捜査4課担当の鈴木哲也(現豊岡支局長)の胸ぐらをつかみ、自宅に連れ込もうとしていた。それを阻もうと玄関先でもみ合いになり、父親がそばにあった金づちを私に向かって振り上げたのだ。
鈴木が割って入り、なんとか手を下ろさせたが、逃げ出すことは完全に不可能だった。鈴木は顔を引きつらせながらも小さくうなずいて「大丈夫」というサインを送り、父親に連れられ自宅の中に消えていった。
こうなったのには理由がある。2人は事件後、宅間の人物像や生い立ちを追いかける「宅間班」で一緒に取材をしていたが、鈴木が父親から「絶対に書くなよ」と念押しされていたエピソードを記事にしたからだ。
「もう忘れてるやろ」
事件から1年を迎え、宅間から父親に連絡はないか、被害者の遺族に何らかの接触をしていないか、それを確かめようと、夜回り取材前に2人で訪問したのだが、その考えは甘過ぎた。
面倒くさそうに玄関から出てきた父親は、私たちが産経新聞の記者と名乗った瞬間、形相を変えた。「あ!おまえー、あのとき何で書いたんじゃ!」。父親は鈴木の顔も記事のこともちゃんと覚えていた。
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