「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

アクセスカウンタ

help RSS 悪貨は良貨を駆逐する―――育鵬社が自由社に勝利した事情

<<   作成日時 : 2011/12/05 01:08  

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

  法の精神の欠如 

 11月中旬から、次々に見過ごしにできないニュースが飛び込んできた。第一に、衆議院憲法審査会の審議、続いて参議院憲法審査会の審議が始まったとの新聞報道があった。そこでは、「日本国憲法」を憲法として有効と認めたうえで(そもそも有効と認めたという意識もないと思われるが)、改正するのかしないのか、するとしたらどういう点を改正するのか、ということについて各党が意見を述べたという。しかし、国際法と国体法及び大日本帝国憲法に違反して作られた「日本国憲法」を憲法として有効だと認めることは、絶対に行ってはならないことである。新しい憲法は、「日本国憲法」を改正する形ではなく、「日本国憲法」の無効確認を行ったうえで大日本帝国憲法を復元改正する形で作らなければならない。「日本国憲法」有効論は、大日本帝国憲法という真の憲法を無視し国際法をも無視するものであり、本質的に法の精神を無視する理論である。

  第二に、最高裁が裁判員制度を「合憲」と認めたというニュースが報じられた。裁判員制度は「日本国憲法」(76条B、80条@)に違反する可能性が濃厚なものである。裁判員制度を導入するならば、「日本国憲法」を改正したうえで導入すべきだったと思われる。裁判員制度を導入した人たちは、「日本国憲法」有効論の人たちであり、護憲派の人たちが多い。同様に、護憲派の人たちは、外国人参政権法案を「日本国憲法」15条を改正もせずに通そうと企み続けている。改憲派であれ、護憲派であれ、自分たちが「憲法」として奉っているものを全く尊重しない態度には驚きあきれるばかりである。「日本国憲法」有効論に立つならば、なぜ、堂々と「日本国憲法」を改正して裁判員制度を明記したり、外国人参政権を明記したりしないのか。改憲派であれ、護憲派であれ、彼らに法の精神が極めて希薄である現実に寒気がしている。

  なぜ自衛戦力肯定説を採用しないのか 

   逆に言えば、これほど「日本国憲法」を蔑にするのであれば、なぜ自衛隊法で自衛戦力を肯定して自衛隊を軍隊として認め、集団的自衛権を認めないのか。自衛戦力肯定説の学説があるにもかかわらず、なぜそうしないのか。そもそも、国家の本質論から言って、国家の自衛戦力保有は自然法的な権利である。その自衛戦力保有を否定している通説や公権解釈は、法の精神に反する説なのである。

  法とは何か。このことを考える場合には、三点の事柄が重要となる。@制定法の文言だけではなく、A普遍的な法理(自然法あるいは条理)、そしてB歴史や伝統・慣習というものを考慮する必要がある。戦後の憲法学と公民教育は、Bを完全に無視してきた。それどころか、特に公民教育の場合はAさえも無視してきた。極めて特殊でAやBに反する「日本国憲法」の文言のみを重視してきた。前述のように、普遍的な国家論と関係の深い自衛戦力の問題を考える場合にはA普遍的な法理が、日本国の特殊性・主体性と関係の深い皇室の問題を考える場合にはB歴史や伝統・慣習が重要なものとなる。ところが、戦後の憲法学も公民教育も、条文の文言だけをもっぱら重視してきたのである。法とは何か、分かっていないのであろう。いや、分かっていて、故意にABを無視ないし軽視してきたのであろう。

  しかし、国際政治の現実から言っても、特に東アジアの現実から言っても、日本のような大国が自衛戦力さえも否定している状態は極めて無責任なものである。いつまでも米国がアジアに関与し、日本を中国から守ると思ったら大間違いであろう。自衛戦力さえ持たない国家は、台湾が中国に侵略されても黙っているしかないだろうし、東南アジアが中国に侵略されても黙っているしかないだろう。あるいは、順番が逆になることも考えられる。仮に日本の方が先に中国に吸収合併されれば、日本人が東南アジア侵略の先兵にされていくだろう。これは、真面目な護憲派ならば、最も避けたい事態ではないか。そもそも、いつまでも今のような体制をとっていたら、米国と中国、韓国、ロシアの四カ国による日本分割占領だってあり得るだろう。

  要するに、「日本国憲法」第九条を大石義雄氏の自衛戦力肯定論で何故解釈しないのか。その解釈に基づき、法律段階で自衛隊を軍隊として認め、集団的自衛権を認めるべきである。この改革は、日本を守る第一歩となるものである。そして、これは、現在の公権解釈や通説と異なり、法の精神に適った改革だと言えよう。

  現皇室典範の無効確認と11宮家の復活を

  第三に、皇室の仕事を担う皇族の数を維持するためと称して、女性宮家の創設を検討しようという動きが報じられた。女性宮家創設のためには現皇室典範改正が必要となるが、新聞報道でも、この改正は女系天皇に道を開くための第一歩だという。ここにも、法の精神の欠如がうかがえる。女系天皇は大日本帝国憲法や旧皇室典範どころか、国体法に違反する制度だからである。

  2010/05/10 19:15再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点(3)――...  2010/05/10 19:00再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点(2)――... で論じたように、現在の皇室典範と称するものは、「日本国憲法」以上に無効な存在である。現皇室典範は、大日本帝国憲法にも旧皇室典範にも、国際法にも違反する存在である。「日本国憲法」の場合以上に、GHQに統制されてつくられたものである。それゆえ現皇室典範は無効な存在である。そして、現在の皇室典範制定と一体の動きとして行われた11宮家の臣籍降下も無効なものとなる。それゆえ、法の精神を重視する立場からすれば、女性宮家の創設ではなく、現皇室典範の無効確認と11宮家の復活を行うべきであろう。   http://tamatsunemi.at.webry.info/201005/article_5.html
        http://tamatsunemi.at.webry.info/201005/article_6.html       

  しかし、保守派の人々も、決して、現皇室典範成立の問題について論じようとしない。米国に強制されて作られた現皇室典範が果たして有効なものなのか、という点を論じようとしない。あるいは、天皇の本質論から見て、国体法から見て果たして妥当なものなのかという点を論じようとしない。保守と称する人々も、無法な作られ方をした現皇室典範を有効なものとして認めたうえで、女系を認めるかどうか云々を議論しているだけである。要するに、左翼はもちろん、保守と称する人々にも、法の精神がないのである。

  育鵬社問題は法の精神の欠如の現れである

   以上、三件の事柄は、特に女性宮家の問題は、私として研究の上、論じたいところである。しかし、私の足元が、保守なる世界の足元が揺らいでいる。揺るがせているのは、育鵬社問題である。育鵬社の関係者には、法の精神の欠片もない。この精神の欠如度合いは、度外れている。育鵬社問題とは、前記三件の問題とは比較にならないほど、法の精神の欠如を示す事例である。したがって、当面、この問題を追求していきたい。

  再度言う―――育鵬社は偽装教科書 
   2011/10/14 20:56育鵬社は偽装教科書―――「保守」言論界の終焉  2011/08/28 01:55育鵬社公民教科書はなぜ低レベルのものになったのか などで明らかにしたように、育鵬社公民教科書は自力でつくったものではあるが、愛国心などを展開せず、保守の教科書とは到底いえない代物になった。褒めて言ったとしても、愛国的な左翼の教科書という性格をもつものである。育鵬社は、「日本国憲法」三原則説をとり、平等権を認めており、左翼と同じ理論に基づき教科書を作成した。ところが、左翼の教科書にしては、拉致問題や領土問題、外国人参政権の問題では愛国的な立場をとっている。それゆえ、愛国左翼の教科書というのが正確な位置づけだろう。
        http://tamatsunemi.at.webry.info/201110/article_2.html
        http://tamatsunemi.at.webry.info/201108/article_58.html      

  ただし、愛国左翼というのは褒めすぎともいえる。なぜなら、「愛国」と言えるためには、国家論を正面から展開することが必要となるし、愛国心の展開も必要となる。ところが、彼らは、この二つのことを意識的に行わなかったのである。保守でもなく愛国でもない教科書を、育鵬社は保守の教科書と偽装して採択戦を戦ったのである。

  何カ月も前から、私は、育鵬社公民教科書が保守の教科書ではないと批判してきた。だが、育鵬社の歴史教科書と扶桑社の歴史教科書の文章や単元構成を比較検証していくと、公民教科書が素晴らしいものに見えてくる。偽装教科書には違いないが、保守の教科書として駄目だとしても、自虐5社の教科書よりは優れているし、何よりも自前で作ったものだからである。

  これに対して、育鵬社歴史教科書は、内容的には一応保守の教科書といえるものになったが、おおよそ文化史を除くほとんどが盗作に基づいて作られたという事実が明らかになった。歴史教科書も、自前で作ったと偽る偽装教科書なのである。そればかりではなく、育鵬社の行為は、著作権等侵害罪に該当する犯罪である。著作権法を真っ向から否定する形でつくられた違法教科書である。偽装・違法教科書である。このような偽物教科書が、本物である自由社教科書に勝利した事態が今回発生したのである。

  〈なりすまし〉〈なり代わり〉 

   今回の丸ごと盗作事件について考えていく中で、浮かんできた言葉が三つある。〈なりすまし〉、〈なり代わり〉、〈悪貨が(は)良貨を駆逐する〉の三つである。育鵬社の公民教科書は、保守に「なりすまし」た教科書である。対して、育鵬社歴史教科書は、扶桑社教科書を複製ないし翻案して作った偽物教科書であるが、この偽物が採択戦を通じて本物に勝利して〈なり代わり〉に成功したのである。別の言い方をすれば、〈悪貨が(は)良貨を駆逐する〉事態が生じたのである。

  育鵬社は偽物ゆえに勝利した

  では、なぜ、偽物が本物に勝利したのか。それは、徹頭徹尾、偽物だからである。偽物を馬鹿にしてはいけない。偽物は恐ろしい力を発揮する。偽物は本物に成り代わるためには、何でもする。決して正面では戦わないが、裏で戦う。嘘を平気でつき、裏で汚いことも平気でする。そして汚いことを隠すためにまた汚いことをする。「つくる会」は余りにも偽物の恐ろしさを知らない。

  今年の四月以来の事態を振り返ると、いや教科書改善の会が出来て以来の歴史を振り返ると、本当にそう思う。以下、育鵬社の勝因を三点にまとめてみていこう。

  (1)金と権力を握った―――平成18〜19年度 

  4年前、育鵬社−教科書改善の会は、フジテレビから出た資金を元にして教科書作成に取り掛かった。そして、多数の有名人を自己の支持者として取り込んだ。前の年から、当時の安倍首相に近づき、一定程度権力を味方につけた。一方、「つくる会」には金も権力もなかった。そのためか、「つくる会」の教科書を出す会社は、保守系世界においてさえも干されるだろうという雰囲気(空気)が生まれていた。それゆえ、教科書を発行してくれる会社を探すのが大変だった。ようやく自由社を見つけて、平成20年度の教科書検定に間に合わせて歴史教科書を大急ぎで作成したわけである。

   「つくる会」には金がなく、人もいなかったので、元編集者M氏にしわ寄せが行った。M氏は時間を節約するためであろうが、東京書籍平成14年度版の年表を流用した。その1年後平成21年春、氏は別件でけんか別れして出ていった。氏は、年表のことを隠したまま出ていった。その後、平成22年度検定申請に備えて教科書の改訂を行った際に年表をチェックし修正する作業を行うべきだったのだが、そういうチェック体制を構築できるだけの金も人もなかったのである。

   ただし、今回の年表については、誰かがチェックをきちんと行う体制があったとしても、抜けている項目を入れるとか、文章表現を少し適切にするとかいうことしか出来なかったと思われる。チェック体制があったとしても、東書の平成14年度版からの流用に気付かなかった可能性が高い。
  
   さて、話を戻せば、平成18〜19年度当時、続々と「つくる会」から有名言論人が離れていったのは、保守言論界から干される可能性を感じ取ったからである。中には、明確に「つくる会」の方が優れていると認識していながら、改善の会に入っていった人もいる。私は、その頃、逆に「つくる会」の理事になった。自分の言論を発表する機会は減少するだろうという予感があったが、事実、その通りになった。

  当時、改善の会側の教科書作成者候補の名簿の中に、歴史についても公民についても、私の名前が存在した。私には全く連絡がなかったのだが、私の名前がある文書を見たときには驚かされたことを覚えている。要するに、私にとって一つの選択として、改善の会に行く道が存在した。しかし、私は「つくる会」の方を選択した。それは、藤岡氏の方が八木氏よりも本物であると思ったからである。

  思想的には、八木氏の方が藤岡氏よりも私に近いと思われた。しかし、八木氏は、思想や学問に忠実なようにはみえなかったし、教科書問題にも本気度が低いように思われた。何よりも、氏は「つくる会」の公民教科書を改悪したうえで会を出ていったし、平成17年末には会の理事会に黙って中国に渡り、社会科学院との論争に臨み、日本側に立った明確な反論も行わなかった。当時、「つくる会」は屈服したと中国では受け止められたと言われる。上昇志向や自己顕示欲はそれなりに必要なものであるが、これらが強すぎると、人の行動を歪めてしまう。これらが強すぎるのか、平成17年末ころからの氏の行動は、少なくとも教科書問題ではゆがみ続けている。

  藤岡氏は、20年ほど前から歴史教科書問題に取り組んできたパイオニアであったし、その点を私は非常に評価していた。だからこそ、改善の会の運動ではなく、「つくる会」の運動に本格的に参加することを決めたのである。今にして思えば、平成19年における私の判断は間違っていなかったと確言できる。

  (2)自民党を騙すことに成功した―――本年3月から6月

   育鵬社−教科書改善の会は、多くの有名人を取り込んだ。しかし、最初は一から教科書を作ろうとしたようだが、結局、作ることができなかった。多くの人間を集めながら、教科書を作れる人間が一人も居なかったのである。

  そこで、彼らは、扶桑社版を一部複製、一部翻案して育鵬社版歴史教科書を作成した。そのリライト作業は現場の先生が担当した。しかし、何度も言っているように、扶桑社版の82単元のうち75は「つくる会」側の著者に著作権がある。これは、2011/10/31 14:40 平成21年8月25日東京地裁判決から分かること――... で展開したように、平成21年8月25日東京地裁判決が認めていることである。だから、彼らは、複製と翻案の許可を藤岡氏ら「つくる会」側著者から取る必要があった。にもかかわらず、彼らは、無許可で75単元についても複製ないし翻案したのである。これは、著作権侵害罪に該当する犯罪行為である。
        http://tamatsunemi.at.webry.info/201110/article_7.html    

  犯罪行為を隠蔽するために、彼らはどうしたか。「つくる会」に対するネガティヴ・キャンペーンに多くの力を割いた。就中、藤岡氏を徹底的に個人攻撃した。名誉棄損罪が成立するほどの攻撃を行い続けてきた。最近、中田宏氏の『政治家の殺し方』(幻冬舎)を読んだが、そこには想像を絶する誹謗中傷の例が挙げられていた。結局、中田氏は裁判には圧勝するが、氏が政治家として受けた傷は大きく今も残ったままである。この中田氏に対するほどではもちろんないが、藤岡氏に対するネット上の攻撃も常軌を逸するものであった。先に挙げた元編集者M氏も、「つくる会」と藤岡氏を攻撃するためだけにつくられたサイトに文章を何度も掲載している。

  また、扶桑社の歴史教科書の後継教科書は育鵬社の教科書であると宣伝し続けてきた。だが、これは真っ赤な嘘である。扶桑社版のほとんどの単元の著作権は「つくる会」側が有するから、自由社版こそが後継教科書である。にもかかわらず、この嘘が随分社会に浸透してきたのである。「つくる会」側には、この嘘の広がりを阻止する活動を行う余裕も人も居なかったからである。

  扶桑社版の後継が育鵬社版であるという嘘が浸透すれば、育鵬社が扶桑社版をリライトして『新しい日本の歴史』を作った行為も合法なものに見えてくる。この虚構の姿に騙されたのが、育鵬社版の執筆者と育鵬社教科書の推薦者として名前を連ねた人たちである。そして、安倍元首相ら自民党教科書議連の人たちと幸福実現党の人たちである。

  今年の採択戦が始まる前、3月初めに、八木氏は、自民党教科書議連で話をした。だが、議連で「つくる会」の人間が話す機会は設けられなかった(行くとすれば私が行くことになったと思われる)。地震の関係もあったようだが、今から振り返ると、育鵬社の勝利を決定づける出来事だった。

  この流れの中で、6月には自民党横浜市議団は八木氏を招いて教科書勉強会を行い、安倍晋三氏は論文を発表し育鵬社教科書こそ最も教育基本法に適合した教科書であると宣言した。こうして、八木氏に誑かされたためか、安倍氏は、「つくる会」を保守政治家の世界から排除した。安倍氏は、戦後レジームの打破と言い、教育基本法を改正しながら、最もその思想に近い教科書を作った「つくる会」を排除したのである。ブラックジョーク以外の何物でもない。恐らく、自由社と育鵬社の歴史・公民教科書を精読していないのであろう。

(3)保守雑誌が自由社も育鵬社も同じようなものという嘘言論を用意した 

  こうして八木グループは、安倍氏を自分の味方につけ、保守政界を味方につけた。しかし、いくら政界を味方につけても、育鵬社の歴史・公民教科書が自由社のものよりも明確に劣っているということが明らかになれば、育鵬社の惨敗は避けられない。また、自分たちの盗作を「つくる会」から攻撃されれば、これまた、育鵬社の惨敗は避けられない。いくら、育鵬社が権力と金を握ろうとも、実は客観情勢は「つくる会」に有利であったともいえるのである。

  ところが、お人よしの「つくる会」は、盗作の検証を怠り、盗作について攻撃しなかった。また、育鵬社の公民教科書のひどさ、歴史教科書のルビ問題などにおけるひどさをアピールすることに失敗した。なぜ、失敗したのか。保守言論界でも、「つくる会」の言論が封じられたからである。

  本年5月初旬に出た『正論』を見ていただきたい。伊藤隆氏が育鵬社の歴史教科書について、藤岡氏が自由社の歴史教科書について、それぞれ、その良さを説明する論文が載っている。しかし、公民教科書については掲載されていない。改善の会に配慮した正論編集部は、公民教科書について載せようとしなかったのである。公民については自由社に到底勝てないと育鵬社サイドが判断したからである。

   更に、この号の『正論』を見ていただきたい。教科書問題研究会編「自虐・反日度を深める歴史・公民教科書」という論稿(日本政策研究センターという改善の会系の組織が中心に作成)で、教科書批判をしている。だが、自由社と育鵬社が対立する問題は全て隠してしまった。歴史はそれでもそんなに問題はないが、公民教科書分析は低レベルの分析になっている。

   読み返していただきたい。書いているのは、「地球市民」云々、自衛隊違憲論、外国人参政権、天皇の行為、国旗・国歌、領土の六点だけである。しかも、「地球市民」は東書一社だから、かなり言いがかりに近い批判となっている。

   ところが、本来一番の目玉だったはずの愛国心・愛郷心、公共の精神の書かれ方という論点を全く検討していない。また、国家論の有無も問題にしていない。更に最も問題なのは、最大の公民教科書改悪と言える家族論が消えたことを問題にしていない。なぜか。この三点の論点を問題にすると、自由社VS育鵬社・東書等の六社という対立構造が露わになるからである。日本政策研究センターは、この対立構造が露わになれば、育鵬社の教科書は自由社よりはるかに低レベルであるということがバレルのを恐れたのであろう。

   私は、5月初めに「家族と地域社会が消えた」を書き雑誌に投稿したが、結局、掲載が見送られてしまった。本ブログに掲載された2011/06/07 11:42家族と地域社会が消えた、改訂増補版―――共同社会の... は、5月初めに書いたものとほとんど同じである。この中で私は、多くの教科書で家族論が消えたこと、その危険性を最も訴えた。だが、保守言論界は無視した。
       http://tamatsunemi.at.webry.info/201110/article_7.html        

  その後、7月下旬になって、高市早苗議員が『WILL』に公民教科書批判を書いた。私はひそかに期待したが、やはり、愛国心や家族の問題を扱わなかった。インターネットの言論を見ても、愛国心を育鵬社が展開しなかったこと、家族が多数の教科書から消えたことを問題にする議論はほとんど現れなかった。全体的に、育鵬社サイドによる言論統制が効いているのだろうと私は判断した。

  私が一番腹を立てているのは、保守言論界が愛国心・公共の精神を展開しなかった教科書を批判しないことだ。これで、愛国心の登場は、8年は遅れたのではないか。育鵬社は営業だからしょうがない点もあるが、この育鵬社を批判できない保守言論界と政界は、腐っている。腐らせた大本が、教科書改善の会の中枢である八木グループである。

  今度の公民教科書の一番の恐ろしさは、家族論と地域社会論の消滅と、家族論の悪化である。この共同社会解体の思想を批判できない保守言論界は、到底保守とは言えないのではないだろうか。

  ともあれ、政界と言論界は、「つくる会」の教科書が育鵬社よりも優れているという事実を伏せることに総力を挙げてきたのである。

  (4)年表流用問題で「つくる会」を刺せ

   しかし、育鵬社が勝つには、政界と言論界の統制だけでは足りなかった。言論統制を行っても、どうも自由社の方が保守の教科書として本物らしいという雰囲気が少しずつ生まれていく。そこで、どうするか。彼らは、4月に掴んだ年表問題を利用することにした。

   これまで見てきた三つの事情から、自民党という一つの権力とくっついている改善の会としては、権力のバックを持たない「つくる会」の年表問題を刺しやすい雰囲気が作られた。年表問題は彼らが独自に掴んだのか、それとも自由社元編集者M氏から聞いたのか。両者の間に接点があることは確かだから、教わった可能性が高いとも思われるが、一応、彼らが言う通り独自に見つけたとしておこう。

   年表問題を見付けた彼らは、5月に文科省と東京書籍と新聞社にタレこんだ。後は、左翼と改善の会サイドの合作で、年表流用問題は大問題化し、「つくる会」教科書は限りなく採択ゼロに追い込まれた。自分たちが「つくる会」の歴史教科書を丸ごと盗みながら、育鵬社サイドは年表問題で「つくる会」を刺した。こうして、育鵬社は自由社に対して大勝利したのである。
     2011/09/03 00:39 「つくる会」を背後から刺した「教科書改善の会」
     http://tamatsunemi.at.webry.info/201109/article_1.html
 
  以上の流れの根本にあるのが、育鵬社教科書が偽装教科書であるという事実である。なぜ、偽装教科書を作ってしまったのか。歴史にしろ公民にしろ、保守の教科書を作ることのできる熱意と能力のある人間が一人もいないからであろう。能力だけなら2名ほどは存在すると思われるが、熱意を兼ね備えた人は一人もいないのであろう。

  ともあれ、育鵬社の歴史と公民の教科書が共に偽装教科書である事実に注目されたい。特に、その歴史教科書が丸ごと盗作教科書であり、違法教科書である事実の深刻さに想いを致されたい。
 
  今は勝利したと思っているかもしれない。しかし、本質的には、育鵬社は丸ごと盗作を行った段階で終わっている。証拠は教科書自体に残っている。そして、日本語ができれば誰でもが検証できる。早目に誠実な謝罪や賠償を行ない、藤岡氏らの許しを得ない限り、いつ終わってしまうかだけが問題だと言える。




 

テーマ

注目テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
本当のことが負ける・・・・悪貨が良貨を駆逐する・・・・まさにそうです。
私が保守系言論人にこの件について話そうとすると、微妙な問題だと言われました。誰も正面から取り組まないのです。さわがないように・・・とも言われました。
奥様
2011/12/05 10:52
「くさいものに蓋をする」のは日本人の通弊のようです。保守と称する人たちによりその傾向が強いようです。ただし、証拠は隠しようがありません。教科書の中に残っています。誰でも検証できます。早目に謝罪しないと、彼らの傷は取り返しのつかないほど大きくなるばかりです。
 
小山
2011/12/07 09:10

コメントする help

ニックネーム
本 文
悪貨は良貨を駆逐する―――育鵬社が自由社に勝利した事情 「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]