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民意に添った先は

2011年10月28日 23:26

非国民通信

枝野氏、東電に「2・5兆円のリストラ策を」(読売新聞)
 枝野経済産業相は24日午前、東京電力の西沢俊夫社長らと経産省内で会談した。

 枝野氏は「(賠償金支払いに)公的資金を使うので、10年間で2・5兆円のリストラ策は最低でも特別事業計画に盛り込んで欲しい」と述べ、国の支援は厳しいリストラが前提との意向を強く示した。

 東電は11月にリストラ策と、国に対する支援申請を盛り込んだ緊急特別事業計画をまとめる。

 枝野氏は西沢社長に「被害者の目線に立った計画にしてほしい」とも述べ、賠償を円滑に進めることを優先した内容にするように求めた。

 緊急計画のもとになる、東電の経営を調査した「経営・財務調査委員会」の報告書は、東電の当初の試算額の約2倍にあたる2兆5455億円のコストが削減できると分析していた。
 この枝野という議員は衆愚政治を体現していると言いますか、いわゆる「民意」の中でも聞き入れるべきではない(聞き入れることが社会にとってマイナスに作用すると思われる)部分を、ことごとく代弁してくれているような気がします。ある意味では国民目線に近いのでしょうけれど、それが国民のためになるとは限らないことを、枝野は身を以て示し続けることでしょう。

 さて枝野は「被害者の目線に立った計画にしてほしい」との触れ込みで、東京電力にリストラを迫ったそうです。「被害」を与えているのは東京電力だけではなくて、謂わば火事場泥棒的に自説(実態からかけ離れた放射能の脅威)を広めては風評被害を煽り、福島近隣住民に脅しをかけ続けている人々なんかも含まれるべきではないかと思われるのですが、まぁそういう人が幅を利かせることを防げなかった責任は我々の社会が全体として負担するしかない、つまりは税金で賄われるしかないものなのかも知れません。ともあれ、枝野は東京電力にリストラを迫りました。しかし、これは何を招くでしょう。東京電力の人員削減が進めば、賠償や事故の収束が円滑に進んだり、今後の電力供給が安定化したりするのでしょうか?

 何かに連れ「罰」が最優先されてしまうのも民意には違いありません。被告人の罪を最大限に厳しいものにしようと頑張ってこそ「被害者目線」として扱われがちな時代でもあります。こういう時代の空気に考えなしに同調してしまう政治家ほど、まずリストラありきみたいな発想になって、それが賠償などの円滑化や電力供給の安定化に結びつくのか、あるいは足を引っ張ることにはならないかといった配慮は二の次にしがちです。しかるに世間の耳目を集めた事件の「加害者」を強く罵倒すれば罵倒しただけ世間の支持は得られるものであるにせよ、それが問題解決に結びつくとは限りません。むしろ厳罰化論がそうであるように、犯人を罰することにばかり関心が集まり、被害者のケアが背景に追いやられることだってあるわけです。

 そもそも、本当に無責任で儲けにしか関心がないような会社であったなら、リストラ策はむしろご褒美です。人員削減を強行して不足分は労働強化で補わせ、賃金もギリギリまで抑え込んで利益を確保しようとする企業は枚挙に暇がありませんが、一応はそういう企業を批判的に見る向きもあります。だけど、政府がその背中を押し、それを主導してくれるとなったらどうでしょう? 東京電力にブラック企業と同じことをやれと、枝野/民主党政権は迫っているわけです。どうしても日本の世論上は、一般労働者に経営責任を負わせるのは当たり前、財務状況が悪いなら労働条件の不利益変更も当然のことと、資本主義とは異なる道徳律が優先されがちです。その道徳律に沿った実績が積み重ねられていくことで、いずれは公務員や東京電力社員に止まらず、民主党政府推奨の元あなたの給料が下げられてゆくことにも繋がりますが、それもまた民意に添った結果です。東京電力がここで歯止めを掛けてくれることを期待するほかありませんね。1人の労働者として東京電力を応援します。

 ギリシャでは、公務員と民間企業の労働者が肩を並べて政府に抗議する光景が見られます。公務員の賃下げは遠からず民間企業の賃下げにも繋がること、労働者の権利を守るために共に戦わねばならないことを理解しているのでしょう。翻って日本では、世論こそが政府に賃下げを迫っているわけです。あいつらが高給を取っているからダメなのだ、あいつらの給料を下げるべきなのだと、そう固く信じて疑わない国民達が行政に圧力を掛け、賃金カットを求めてきました。そして民意に応えようとする政府と企業経営者の元、日本で働く人の給与は順調に低下を続け来たと言えます。きっと日本人のアイデンティティは「他罰」なのでしょう。それはすなわち「我欲」の対極にあるもので、自分の立場を間接的に危うくすることになろうとも、他人が良い思いをすることを許さない、そういう精神です。

 かつて菅直人は「首切りのうまい経営者は優れた経営者であるはずだと言ってたくさんの給料をもらっている。国は国民をリストラすることはできない。国民全体を考えたら、リストラする経営者ほど立派だという考えは大間違い」と言って日産のカルロス・ゴーンを批判していました。しかしゴーンが首を切ったのは自社で働く人たちです。自分の会社に出資する人や顧客を切り捨てたわけではありません。そして菅直人が切り捨てようとしていたのは日本政府で働く人――つまり議員なり公務員なりです。公務員の削減や給与カットで国民に媚びを売ろうとしている政治家がカルロス・ゴーンを批判するとは、何とも臍が茶を沸かすような話ではないでしょうか。

 政府を企業に喩えるなら、社員に相当するのは公務員です。では国民は? 立場的に近いのは政府のためにお金を出す人々、つまり投資家であり株主に該当するのが国民と言えます。ゆえに、国民に向けて公務員の削減を訴える政治家とは、会社に喩えるなら株主に向けてリストラの強行をアピールする経営者みたいなものです。そしてリストラする経営者ほど立派だという考えは大間違い、と宣う首相がいた一方で、公務員/東京電力社員を削減する政治家ほど立派だという考えは全く反省されてすらいないのではないでしょうか。国民全体を考えたら、それは間違いに他ならないと私は思いますけれど。ましてやゴーンのリストラは経営立て直しのためであるのに対し、菅/民主党がやろうとしているリストラは投資家/国民に「我々は頑張っています」とアリバイ作りをするため、点数稼ぎをするためのものでしかありません。ゴーンと日産株主よりも、民主党政権と世論はもっとタチが悪いです。

 税金(公的資金)が投入される先に対する国民の態度は、強欲な投資家が会社に対して見せる態度よりもずっと思慮分別に欠けるケースが目立ちます。株主の中には「会社は我々のものだ」と主張して、従業員の負担など省みることなく、ひたすら自分たちの利益ばかりを追い求める人もいますけれど、では国(政府)にお金を出している国民(納税者)は彼らを批判することができるのでしょうか? 税金が使われる先で働く人に対して、国民がどれほど傲慢なまなざしを向け、働く人の権利をどれほど蔑ろにしているかを思えば、まだしも投資家筋の方が歯止めが利いているようにすら感じるところです。自分たちの金が投入される先で働いているからと言って、それを理由に相手を支配することができるわけではないのですが、「会社は株主のもの」と語る投資家よりも、その辺の普通の人の方がずっと、自分が出した金が使われる先に対して横暴に振る舞っているような気がしてなりません。我々の「民意」は、実は経団連なんかよりもよほど、財界寄りなのではないでしょうかね。

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