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<  2011年 08月   >
  • 「もはや食物ではなく、放射性廃棄物……」 東京電力・福島第1原発事故(第126信)
    [ 2011-08-31 03:13 ]
  • 菅直人・枝野幸男政権、11(か、それ以上)の大罪 〔前篇〕 東京電力・福島第1原発事故(第125信)
    [ 2011-08-30 22:24 ]
  • 菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない 東京電力・福島第1原発事故(第124信)
    [ 2011-08-28 22:23 ]
  • 『無伴奏チェロ組曲』第2番「プレリュード」は続く 絵本『さだ子と千羽づる』(第18信)
    [ 2011-08-22 22:10 ]
  • 「侵略の見開き」とは何か? 絵本『さだ子と千羽づる』(第17信)
    [ 2011-08-20 23:45 ]
  • 『鳥の歌』から始まる物語 絵本『さだ子と千羽づる』(第16信)
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  • なぜ、漁獲物の放射線値検査を実施しないのか? 東京電力・福島第1原発事故(第123信)
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  • いよいよ極まる、この国の異様 東京電力・福島第1原発事故(第122信)
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  • 人が「変わらない」ということの意味 絵本『さだ子と千羽づる』(第15信)
    [ 2011-08-17 18:04 ]
  • この手でチェロが弾けるのか 2011年8月3日〈3〉 絵本『さだ子と千羽づる』(第14信)
    [ 2011-08-17 03:21 ]
「もはや食物ではなく、放射性廃棄物……」 東京電力・福島第1原発事故(第126信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


「もはや食物ではなく、放射性廃棄物……」





 いささか順序は前後することになるが、事態の緊急性に鑑(かんが)み、昨日未明、友人から教示を受けた、とある動画サイトの情報を提供しておく。

 画面に掲示されているロゴからすると、ドイツ・マインツ市に本拠を置く公共放送、ZDF(ツェット・デー・エフ)——第2ドイツテレビ(Zweites Deutsches Fernsehen)制作の番組『フロンタール21』(Frontal 21)であるようだ(最後にクレジットが出た)。

  http://youtu.be/5n_3NK-tsOU 

 これこそが、いま、福島はじめ東北日本の心ある農業生産者の置かれている現実である。

 友人に、このサイトの存在を教えたという方のコメントは、以下のとおり。

 《Subject: 消される前に見て、そして拡散しましょう
 ドイツの番組、当然日本では放送される訳もない内容です。
 削除されてしまう可能性があるので、ダウンロード出来る人はして下さい。》

 まさしく、このドイツのテレビ局の制作になる番組は、とりもなおさず日本という国家が、その支配機構を維持するためなら、いかに自国民を平然と死に至らしめるそれかを全世界に知らしめる告発にほかならない。
 知らないのは、ただ、日本人だけなのである。

 ドイツ語と、ドイツのメディアという媒介項を迂回することによって、逆にこれらの番組は、私たちがいかに異様な国に生きる、絶望的な人間集団であるかを、完膚無きまでに剔抉(てっけつ)して見せる。

 むろん、広義の著作権の問題はあるが、このサイトではオリジナルの制作局のクレジットは終始、確認できる状態で提示されており、著作物としての人格権(氏名表示権)は損なわれていない。
 また、番組本来の趣旨の損なわれるような不当な改竄が為されている訳でもなく、同一性保持権も保たれている。

 当該番組制作者の意思と意図とに照らせば、ほかならぬ当事者・日本国民大衆や、この国に居住せざるを得ない他の人びとまでもが、かかる最悪の政府と官僚、そして加害企業・株式会社東京電力とその顔色を窺う幇間マスメディアによって、何も知ることのできぬまま、チェルノブイリ原子力発電所事故の数倍、ないしは10倍以上の放射線に被曝させられ続けている現在、この番組の内容を知ることは、 その緊急避難性に鑑み、むしろ人道上、当然の権利である——とする見方も、場合によっては成り立とう。

 針の穴ほどの隙間を潜(くぐ)って流入する、遠くヨーロッパからの情報によってしか、いま自分たちの置かれた危機的状況を知ることができない、この日本という国は何なのか——。

 何が「風評被害」か? 

 何が「復興支援」か?? 
 
 番組中、いまやこの国の一部農産物は「もはや食物ではなくて、放射性廃棄物となってしまった」と、事情を知る日本人自身が言明している。
 そして同じく番組中、その事実を突きつけられ、顔をこわばらせて口ごもる原発担当大臣・細野豪志や、慌てふためき、為す術もなく俯く無能官僚たち、担当が違うと平然と受け流す株式会社東京電力社員の傲岸不遜ぶりを見よ。

 すでに当ブログでも何度か紹介している、欧州放射線リスク委員会ECRR(本部ブリュッセル)のクリストファー・バズビー(Christopher Busby )教授は、ここで端的に「日本政府の無責任ぶりは犯罪的だと思う」と語る。
 無責任な被曝許容量基準値引き上げに関し、「この判断は間違いなく多くの子供を死に至らしめるだろう」と警告する。

 その通りだ。


 また一方、 別の知人の話によれば、いまでは沖縄ですら、最も広汎に流通している野菜は「福島県産」のそれなのだという。

 安いからだ。

 この期に及んで、なお市場原理・資本の論理・自由競争原理が優先され、「買い叩かれた」それが「復興支援」という、空疎で欺瞞的なスローガンのもと、大量に摂取されてゆく、この国。
 
 (——別の友人からの情報では、3・11直後、福島から北海道に大量の乳牛が移動したという話もある)

 番組中、日本政府のあまりの無責任ぶりに「文明国のすることとは思えない」と、バズビー教授は絶句する。

 その通り。

 ここは、文明国などではない。日本国なのだ。
 世界最悪の、人を人とも思わぬ国。
 そしてそのことに、大衆自身が、怒りも疑問も覚えぬ国。

 バズビー教授が「人類史上最悪の惨事だ」と断言する東京電力・福島第1原発事故は、ほかならぬ、その日本で起こったからこそ、まさしく人類史上最悪のものとなった。

 番組中、福島の農業生産者・大沢さん(61歳)は、自らの被曝量を知りたいと検査を希望する。
 だが、福島大学はそれを拒否し、また友人は隣県の病院でも検査を拒否される。福島県知事が、福島県民の検査をしないよう、通達を出しているからなのだという(「当局はそのような指示の存在を否定」と、番組では補足)。

 福島第1原発から80km離れた大沢さんの家は、90μSv/h——9日間でドイツ原発作業員の年間被曝許容量に匹敵する放射線値だという。

 いまだに一片の疑念も持たず「風評被害」という常套句を口にする者。
 「復興支援」という空念仏に躍らされる者。

 それらもまた、この人類史上空前の放射線汚染ファシズムに加担する共犯者にほかならない。


【緊急追記】
 念のため、たったいま、もう一度、頭記のURLにアクセスしてみたら、以下のような表示が出て、すでに視聴できなくなっていた。
 《"ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後..."
この動画は、Fukushima Central Television さんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました。
 申し訳ありません。》

 ——当該ドイツのZDFによる申し立てではない。Fukushima Central Television さんによる申し立てである。
 (ひょっとして……現地「取材協力」等による、共同著作権者という可能性があるのだろうか??)
 ただ「フロンタール21」で検索すると、まだ視聴可能な他のサイトもヒットするようだ。






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▲ by uzumi-chan | 2011-08-31 03:13 | 東京電力・福島第1原発事故
菅直人・枝野幸男政権、11(か、それ以上)の大罪 〔前篇〕 東京電力・福島第1原発事故(第125信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


菅直人・枝野幸男政権、11(か、それ以上)の大罪 〔前篇〕




 報道によれば、内閣総理大臣・菅直人は、その決定的に遅すぎた辞任に当たり「厳しい条件の中でやるべきことはやった」と公言し(『読売新聞』電子版2011年8月26日14時18分)、また同様に、官房長官・枝野幸男は「7カ月半、(長官として)お世話になったが、東日本大震災があったこともあり、実感としては3年ぐらいやっていた、という印象だ」「その場その場で得られた情報の中で私なりに最大限の仕事をしてきたつもりだ」(『毎日新聞』電子版 2011年8月30日11時45分/ 田中成之)と嘯(うそぶ)いているという。

 あまりの欺瞞、居直り、厚顔無恥ぶりに、全身の血液が逆流する思いがする。

 前項でも述べたとおり、長期的な健康被害を免れ難い人びとの総数、自然環境の不可逆的な破壊という点では、到底、第二次世界大戦の比ですらない惨害をもたらした「核戦争犯罪人」のなかでも、まさしく最大級の「A級戦犯」にほかならない、この両名の、臆面もなく、事もなげな居直りに対して——。

 菅直人は、事ここに到ってなお、「首相として力不足、準備不足を痛感したのは福島での事故を未然に防ぐことができず、多くの被災者を出してしまったことだ」などと、平然と問題のすり替えを図るばかりか、「原発事故はいったん拡大すると広範囲の避難と長期化が避けられない。私が出した結論は原発に依存しない社会を目指すということだ」云云と、しおらしい言い逃れめいた、利いた風な言辞を振りまいて、いまだ未練がましい自己宣伝の欲望をすら、なお剥き出しにしているらしい(『日本経済新聞』電子版2011/8/26 21:33)。
 
 違う。

 すべて、違う。

 もともと、歴代自民党政権が財界との癒着のもと、進めてきた、今日に到る「原発」状況に関していうなら、その事故を「未然に防ぐ」などという高度な対処を、菅直人ごとき無能宰相に、国民有権者は最初から期待してなどいなかった。

 そうではなくて、菅直人・枝野幸男政権の最大の犯罪・悪行は、ついに起こってしまった東京電力・福島第1原発事故に関し、終始一貫して自らの保身や自己宣伝のみを考え、それに汲汲とし、ただちに為すべき最低限の対応を、まったく行なわずに日本国民と世界とを欺き続けてきたことだ。

 東日本在住数千万の人命はもとより、いくら金を積もうともはや取り戻すことの出来ない日本列島周辺、北西太平洋地域の自然環境全般が損なわれてゆくことをまったく意に介さず、情報を遮断し、適切な処置をすべて怠り、防ぎ得た被曝を防ぎ得ず、この地球の一角が回復不可能な核の終末的廃墟となってゆく過程を、拱手傍観どころか、虚偽に満ちた言動で取り繕いつつ、平然と座視していたことなのだ。

 その最大の棄民・亡国行為をこのように平然と隠蔽・糊塗するばかりか、あたかも自分たちが最初から「脱原発依存」(*)の立場を標榜してでもいたかのような偽装工作に満ちた言辞をいまだに平然と垂れ流す。

 どこまで、この2個の「人間の屑」はふてぶてしいのか。

 * そもそも何だ、この歯切れの悪い惹句は? 「脱—原発依存」のつもりなのだろうが、「脱原発—依存」とも「脱—原発—依存」とも意味不明の解釈できる——。本来なら、単に「脱原発」で良く、さらに言うなら「反原発」が筋というものだろう。


 以下、とりあえず現時点で容易に思いつく限りのその罪状を、走り書きのメモとして、ともあれ簡略に記しておく。
 暫定的な項目総数は11となっているが、実際にはさらに増える可能性が高い。

 (そして私は、これからでもこの両名の法的責任の追及は、然るべき国民運動として興り、持続されねばならないのではないかと考えている)


菅直人・枝野幸男政権、11(か、それ以上)の大罪


〔1〕東京電力・福島第1原発事故に到る前史として、ヴェトナムへの原発輸出を画策し、またTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加をなりふり構わず強行しようとしていたこと。

 後者は一見、今回の東京電力・福島第1原発事故とは直接の関係性が稀薄なように見えるかもしれないが、これによって防ぎ難く始まるであろう遺伝子組み換え農作物や種子の爆発的流入に象徴される通り、国民への健康被害と国土の回復不可能な荒廃という点では、両者は完全に同根の問題である。
 「核技術」と「遺伝子組み換え技術」とは、明らかに20世紀後半、科学冒険主義と資本主義との最低の癒着がもたらした「悪技術」の双璧であろう。

 こうした悪行を画策していた手合いが、ぬけぬけと「私が出した結論は原発に依存しない社会を目指すということだ」などと、託宣を垂れる。
 この地上に、100億分の1秒でも人間として存在したいという気もないのか。菅直人という男には。

 ——ちなみに私の記憶では、今回の民主党代表選挙候補者中、唯一、農林水産大臣・鹿野道彦のみが、少なくともある時期まで「TPP参加反対」を表明していたはずだった。
 (いずれにせよ、今回の同党代表選——それを受けての首班指名の結果は、起こり得た最低最悪のそれから数えて2番目か3番目といった惨憺たる代物なのだが、むろんこれがこの国の現実であるのだということだろう)


〔2〕2011年3月12日早朝、後からの説明としては“福島第1原発1号機に「ベント」(格納容器内の蒸気放出)を要請するため”と称して、菅直人自らが原子力安全委員長・斑目春樹を引き連れ、現地を「視察」するという愚劣なパフォーマンスに、決定的な局面での時間を空費したこと。

 単に「ベント」をさせるためだけなら、政治権力の運用のしかたとして、他にいかようにも方法はあったはずだった。
 にもかかわらず結局、この醜悪な自己顕示欲の猿芝居により生じた「ベント」の致命的な遅れにより、同日午後3時36分、1号機は水素爆発をきたし、以後連鎖的に、東京電力・福島第1原発の破滅的な事態が一気に急展開した。

 その結果、「ベント」によってもたらされる大気汚染など比較にならない、チェルノブイリ原子力発電所事故をもはるかに上回る桁外れの構造的・重層的放射線汚染の底に、この国は沈み込んだ。


〔3〕同・3月15日未明、この空前の福島第1原発事故への対処を、あくまで株式会社東京電力にさせつづける決定を、しかも独断で下したこと。

 前日の3月14日午前11時1分、3号機建屋に生じた大爆発を、官房長官・枝野幸男が、1号機と同様の「水素爆発」であると偽り(**)、事態の終末的局面の始まりを国民大衆の目から覆い隠そうとしたその渦中の翌15日払暁、前〔2〕項の福島第1原発「視察」の愚劣なパフォーマンスに続けて、内閣総理大臣・菅直人は、報道陣を引き連れ、内幸町・株式会社東京電力本店に「乗り込み」、「撤退」を哀訴懇願する同社幹部らに対して「撤退などあり得ない」「覚悟を決めろ」などと空疎な恫喝を繰り返した。

 もともと、無能な1電力私企業などにもはや太刀打ちできるはずのない、この空前の原発事故の対処を、にもかかわらず、菅直人は、その無能な1電力私企業に押し付け、 自らが行政の最高責任者・権力者として本来、要求される、なんらの具体的かつ有効な方策をも採ろうとしなかった。

 この時点で、本来、自衛隊の全面投入をはじめ、事態の推移を憂慮していたアメリカの援助申し出など、すべてを受け容れ、政府こそが、国家としての責任において、東京電力・福島第1原発事故への歯止めを、決死の覚悟で図るべきだった。
 だが、この——その存在自体が国民の不幸であった内閣総理大臣・菅直人は、その対処を無能な1電力私企業に命じ、政府の責任をあくまで回避しようとしたのだ。

 日本の命運は、このとき決まった。
 そう、私は考えている。

 ** 何度でも言うが、誰が見ても1号機のそれなどと到底、比較にならない、あの3号機の大爆発の真相をめぐっての、現在に至るまでの情報封鎖は何なのか。
 プルトニウム239が貯蔵されていた、あの原子炉で起こった、キノコ雲の立ち昇る大爆発は——。

 

〔4〕そのかん、官房長官・枝野幸男が、終始一貫して、絶望的危機の事態を極限的に矮小化した印象操作をすべく、民衆・大衆を欺きとおしたこと。

 マイクの前に立とうとする、そのつど、記者団やテレビカメラのその向こうにいる国民にではなく、壇上脇の「国旗」に向かって深ぶかと最敬礼し、「解決をする」「確認をする」「決定をする」「評価をする」「提案をする」「議論をする」「実行をする」……その他もろもろ、本来「サ変名詞」として不要のはずの熟語にいちいち格助詞「を」を挟む、舌足らずな安倍晋三が内閣総理大臣だった時期あたりから、職業政治家どものあいだに頻出するようになった、この聞き苦しい言い回しを、とりわけ得意げに多用し、腕を振り回した“決めポーズ”で昂然と記者を指名する、この猪八戒めいた体軀の官房長官。
 彼の——「ただちに健康に被害はない」「当面は安全」「爆発ではなく爆発的事象」といった、珍妙かつ非人道的な詐欺まがいの言説に欺かれ、揚げ句の果てにはその「不眠不休」ぶりを心配して、「少しは寝ろ」などと愚にもつかぬ幇間的メッセージを濫発するインターネット・サイトに蝟集(いしゅう)するほど、この国の若年層大衆は無批判なのだという事実だけが改めて晒されつづけていた。

 その期間——この国の、少なくとも東半分に生きざるを得ない者の浴びつづけ、吸収しつづけていた放射線量は、どれほど莫大だったことか。

                                   〔この項、続く〕






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▲ by uzumi-chan | 2011-08-30 22:24 | 東京電力・福島第1原発事故
菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない 東京電力・福島第1原発事故(第124信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために——


菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない




 どうやら、菅直人・枝野幸男政権が終焉するらしい。

 あれほど、さまざまな立場の人びとから、一刻も早い終焉を切望されてきながら——日本の1政権として、この国のみならず周辺アジア地域に空前の禍根を残し、とりわけ日本それ自体に対しては、当初の「地震」「津波」とも比較しようのない、もはや事実上、恢復不可能の打撃を、東京電力・福島第1原発事故と、その最も緊迫した決定的期間における、功名心・自己顕示欲・それと表裏一体の無能さに徹し切った、最低最悪の対応(厳密には「不対応」)によって齎(もたら)しておきながら……結局、もはやその「退陣」そのものにすらなんの意味も見出し得なくなった、この期に及んで、ようやく。

 ——ちなみに、以前から、時折り用いてきたこの「菅直人・枝野幸男政権」なる概念の根拠について、あるいはまだ明確な定義を提示してなかったかもしれない(どこかの「地の文」において、簡略な説明を施してはいたはずであるが)ので、ここで一言しておく。

 官房長官が仙谷由人だった時期から、国会答弁ひとつ独力ではできず、つねに官房長官に口添えないしは代弁してもらっていた内閣総理大臣・菅直人の無能ぶりは、官房長官が枝野幸男に替わってからも、いっこうに改まる気配がなかった。

 とりわけ、3月11日以降のおよそ1週間——この国とそこに生きざるを得ない人びと、そして周辺アジア地域の自然環境の命運が決せられた、その重大な時期、政府・内閣を代表して国民大衆を欺き続ける記者会見を飽くことなく繰り返し続けたのは、ひたすら官房長官・枝野幸男にほかならなかった。
 そのかん内閣総理大臣・菅直人が行なったのは、次項で述べるとおり、いずれもこの国を決定的な滅亡へと導く主因となった3月12日早朝の福島第1原発「視察」と15日払暁の株式会社東京電力本店訪問という、考え得るかぎり最も過誤に満ちた“パフォーマンス”のみだったのであり、それ以外のすべての時間、政府・内閣は、情報操作上、官房長官・枝野幸男によって表徴されていた。(*)
 
 私が、この日本近現代史上、最悪最低の政権を「菅直人・枝野幸男政権」と規定する所以(ゆえん)である。
 なお、このことは当然、3月11日から現在にいたる、この絶望的な自滅核戦争において、枝野幸男が菅直人と同様、最重罪の戦争犯罪人としての責任を負っていることを意味してもいる。(**)

 * そのかん、一体、菅直人は、どこで何をしていたのか? 
 私は、首相官邸地下のシェルター(そうしたものが、むろん当然、設置されていることだろう)に退避しつづけていたのだという以外に、この内閣総理大臣の所在は考えられないと思う。
 そしてまた、現在も進行中の東京の、実質上、福島県の広汎な地域と選ぶところがない高放射線汚染状況下、おそらくは「皇居」等のそれと並んで、最も高性能の、そのシェルターを退去せざるを得なくなることも、菅直人が内閣総理大臣の地位に恋恋とし続けた理由の軽視すべからざる1つだったのではないかとも、推測している。

 ** もとより、こうした比較は安易かつ軽軽に行なうべきことではない。
 だが、腐敗し切った制度圏ジャーナリズムを巻き込んでの大衆民主主義的な輿論(よろん)操作と、それのもたらす取り返しのつかない大破局という点では、この半年間——とりわけ「3・11」直後のほぼ10日間、枝野が展開した行為は、今後の人類史において、ドイツ第三帝国における宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス Paul Joseph Goebbels(1897〜1945年)のそれにも準(なぞら)えられるべき性格を帯びていると、私は考えている。


 それにしても、なんと空しい政権交代であることか。

 何より、もはやすべては遅いという、痛恨の決定的事実がある。

 そして、3月11日以降、この愚劣にして悪辣な政権が存続してきたことに、ただの一瞬たりとも、なんらの倫理的正当性もなかったように、今回、それが終焉することにも、なんら論理的合理性はない。
 しかじかの「法案」が「通過」すれば辞める、という「駆け引き」は、そもそも何なのか? 

 一般論としていうなら、「成立」させるに値する法案を提示し得たとするなら、それは当該政権が存続する理由になれこそすれ、終焉する理由にはならないのではないか。
 どこからどこまで、この国の自称「立憲政治」——擬似「議会制民主主義」は腐り切っているのか。

 こんな次元のものでも、なお「政治」ではあるらしい、その「政治」の常として、変化が起こるとき、その速度は甚だ急激なものとなる。
 また、これは「私事」と言えば言えるが……今春——ちょうど「3・11」に前後して、私やNPO「オーロラ自由会議」を含む何人もの友人たちの時間をさまざまに奪ってきた、構造的には東京電力・福島第1原発事故と同根・同質の問題への対処、その他に追われつづけているうち、結果として、過去123篇の〔東京電力・福島第1原発事故〕連作のみならず、他の——〔絵本『さだ子と千羽づる』〕連作その他もすべて同様に、当ブログ『精神の戒厳令下に』のいっさいを挙げて切望し、また要求もしてきた、この愚劣かつ悪辣な政権の終焉に際し、これまで持ち越してきた草稿類のアップロードが間に合わない。

 一瞬の間隙もなく気に懸かってはいたにもかかわらず、この心貧しい国の最悪の時代に生まれた作家として、その全存在の全エネルギーを振り絞って闘い続けるべき——寝る間も惜しんでキーボードを叩きつづけ、寝るなら液晶モニタの電磁波を浴びつつのうたた寝で済ますべき期間、脳が焼き切れ、頭から煙が立つまでテキストを生成すべき期間に、体力・気力の根本的な欠如から来る、この不手際は、なんとしたことか。

 まことに忸怩(じくじ)たる思い……と記すしかないのではあるが、何より、たとえそれが終焉したところで、菅直人・枝野幸男政権が刻印した歴史的犯罪性は消滅しようがないという自明の前提のもと、それら草稿はいずれ順次、それぞれに一定程度の超歴史的普遍性を確認的に賦与させた後、アップロードされてゆくことにはなるだろう。

 私は、菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない。

 この国に生きざるを得ない人びとの生命・健康に深甚な被害を加え、生活を破壊し、自然環境を滅ぼした、この二人の愚劣かつ悪辣な、欺瞞に満ちた為政者を。

 また、この自滅的核戦争に際しては、彼らの情報統制に加担したマス・メディアの共犯性も同様である。
 とりわけ、3月11日以後の3週間、それらが果たした役割は、結果として十五年戦争中のそれらに匹敵、ないしはそれらを凌駕するものがある。
 それらメディアと、そこに寄生し続ける似而非(えせ)文化人どもの「戦争責任」とは、絶対に等閑に付されてはならない。

 十五年戦争の場合、その責任追及は、はなはだ不十分、かつ戦勝占領国の手によって為されるという、不適切な形式のものでしかなかったにせよ——それでも、その最高責任者を除き、最高責任者に次ぐ何名かの権力者をはじめ、一定程度の「処罰」は、ともかく為されるには為された。
 
 それが、今回の場合、まったく為されてはいない。

 長期的な健康被害を免れ難い人びとの総数、自然環境の不可逆的な破壊という点では、到底、第二次世界大戦の比ではない惨害をもたらした「核戦争犯罪人」たち——内閣総理大臣・菅直人、官房長官・枝野幸男らをはじめとする閣僚、そして加害企業・株式会社東京電力の会長・勝俣恒久、社長・清水正孝(当時)ら幹部が、その悪行を糊塗・隠蔽し、なんらその責任を問われることなく放免されようとしているという異様な状況が続いている。

 ——次項で、菅直人・枝野幸男政権に関し、現段階で確認し得る罪状についての簡略なメモを提示しておく。






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▲ by uzumi-chan | 2011-08-28 22:23 | 東京電力・福島第1原発事故
『無伴奏チェロ組曲』第2番「プレリュード」は続く 絵本『さだ子と千羽づる』(第18信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために——


『無伴奏チェロ組曲』第2番「プレリュード」は続く 2011年8月3日〈7〉




 ……長谷川千穂さんによる絵本『さだ子と千羽づる』中盤部分の朗読に合わせ、BWV 1008——バッハ『無伴奏チェロ組曲』第2番ニ短調の「プレリュード」は、その終結部へ向かって、さらにうねりつづけている。
 (ないしは、うねりつづけているはずだ、と——思いたい)

 p.16〜p.17、

 《太陽が爆発したかのような光でした。
 さだ子は家の外へふきとばされました。
 まわりを見ると、広島の町はなくなっていました。
 みんな、いっしゅんにして焼け野原となっていたのです。
 あの「ビカッ!」という光はとても強い熱をもっていました。
 鉄さえもとかすほどでした。》

 
 ……この簡潔な原爆炸裂の説明から、

 《そして、がれきの中には、さまざまな人がいました。》

 へとつながる、そのとき地上で発生していた惨状の描写も、私たちが特に意を用いた部分である。

 私は、SHANTIメンバーや協力者たちに対し、世評高い今村昌平監督の『黒い雨』(1989年)という、大悪作映画を例に、SFX(当時)めいた「技術」を多用した、かかる「糞リアリズム」の劇画的描写で、被爆者や爆心地の「再現」が叶うと思っている——その実、観衆の低劣な「怖いもの見たさ」の欲望に迎合する“映画人”の度し難い貧しさを指摘し、ちょうどそのしばらく前、『シンドラーズ・リスト』の撮影に際して、スティーヴン・スピルバーグからのロケの申し入れを断ったアウシュヴィッツ博物館の見識の高さを説明し(ちなみにドキュメンタリーの撮影に関しては、同博物館は基本的に寛容であり、その点も筋が通っている)、その意味で、日本の被爆映画では、今村昌平『黒い雨』などよりは、黒木和雄『TOMORROW 明日』(1988年)の方が、比較にならないほど優れていることを伝え、さらに、しかし中沢啓治氏のような直接の被爆体験者が「証言」の意味を込めて、ああした絵画表現をすることは、それはそれでむろん正当であること、ただし絵本『さだ子と千羽づる』の制作にあたって、私たちが採るべき立場は、むろん、それとは異なること……等等を、幾晩にも渡って力説した。

 結果として、作画担当の安達伸幸さんには、この場面でも相当な改稿を強いることとなった。
 しかし彼は、絵としてはここに上空から俯瞰(ふかん)した光景を提示し、「地上の描写」は全面的にテキストに譲るという卓抜な方法で、結果的に、やはり私のこの難題を見事に切り抜けてくれた。
 (あの1994年晩春から初夏にかけての幾夜かの討議の烈しさと深さとは、私自身、極めて貴重な経験である)

 p.18〜p.19、

 《それは、アメリカ軍がおとした原子爆弾でした。人びとは、そのまぶしい光から、それを「ピカ」とよびました。三日後、長崎という町にもピカはおとされました。二つ目の原子爆弾をアメリカ軍はおとしたのです。》

 日本の侵略戦争の責任だけではない。

 歴史における「加害」と「被害」との関係を明確にするとは、こういうことを指す。
 原爆は地震や颱風のような天変地異として襲ってきたのではなく、アメリカによって日本に加えられた無差別大量殺戮の核攻撃なのだ。

 そして——

 《ピカはふつうの爆弾とはちがいました。強い光や熱、風だけではなく、放射能をまきちらすのです。
 放射能は目にも見えないし、においもありません。なにも感じないのです。
 しかし、人びとの体の中にはいりこみ、いろんな病気をひきおこします。そのために、傷ひとつなく元気だった人 たちが、その後つぎつぎと死んでいきました。》


 放射線被曝と晩発性障害をめぐるこの説明に関して、今般、東京電力・福島第1原発事故が起こってから後——私たちはどれほど、この絵本『さだ子と千羽づる』に込めた、子どもたちへのメッセージの正しさと重みを、いまさらながら確認したことだろう。
(そのかんの事情は、今回、広島での配布用に作成し、ここ、名古屋での朗読会でも配付したチラシの湯浅佳子さんのメッセージにも詳しい)

 《さだ子は、その光からはなれていたので助かりました。しかし、さだ子も放射能をあびました。》

 私が絵本『さだ子と千羽づる』の伴奏として演奏する際の『無伴奏チェロ組曲』第2番ニ短調「プレリュード」では、放射線被曝の脅威を伝える、この平易で簡潔な言葉に、バッハのオリジナル楽譜では、終結部で4回、畳みかけられる3重音と、最後、世界へのとどめのように押し被される4重音(*)の代わりに——カザルスの盟友にして独創的なチェリスト、チェロ学者、ディラン・アレグザニアン Diran Alexanian (1881年—1954年)校訂の譜面における、カデンツァ(装飾楽句)風に処理された音型を反復しつづけ(それには、個別の読み手による朗読の速度の違いを、ここで吸収・処理するという意味合いも伴っている)——終わる。

 《この放射能こそが、さだ子が白血病にかかった原因だったのです。》


 * 私見では、この4重音には、The Beatles『A Day in the Life』の最後——J・レノンの発案になるという“世界最長のオーケストラ重音”に通ずるものがある。
 ただし、バッハ『無伴奏チェロ組曲』第2番プレリュードの最後の和音は、250年以上前に、それをたった1台のチェロで成し遂げているのだが。

 
                                   〔この項、続く〕






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▲ by uzumi-chan | 2011-08-22 22:10 | 絵本『さだ子と千羽づる』
「侵略の見開き」とは何か? 絵本『さだ子と千羽づる』(第17信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために——


「侵略の見開き」とは何か? 2011年8月3日〈6〉




 もともとこの絵本『さだ子と千羽づる』の朗読は、「出張」「出前」のケースに関しても、最少ユニット2名から、というのが、その触れ込みである。
 その場合、私はチェロ伴奏にかかりきりなので、読み手が朗読しながら、場面(見開き)の変わり目には、自ら拡大パネルの交換もすることになる。
 今回、終わってから漏らされた感想によれば、これまで広島で、朗読に際してはそれだけをしていれば済んだ形を経験してきた長谷川さんとしては、そのパネル交換のタイミングが難しかった、とのこと……。

 だが、それ以上に——私の方が、このときは思いがけない事態に、いさかか慌てていた。


            (写真撮影/Y・Yさん)


 絵本『さだ子と千羽づる』p.4〜p.5の最初の場面、

 《千羽づるのいみを知ってる?》(*)

 の、親しみを込めた、優しい問いかけで始まる語り起こしから、

 《これは、そんなねがいをもって病気とたたかった、一人の女の子のお話です。》

 までで『鳥の歌』が終わり、p.6〜p.7——

 《むかし、さだ子という女の子がいました。かけっこがとくいな小学六年生。》

 と、いよいよ主人公が登場する場面——J・S・バッハ『無伴奏チェロ組曲』第1番 ト長調の「メヌエットⅠ」を朗朗と響かせることにしている、この本篇・劈頭(へきとう)で……。

 鳴らない。

 チェロが、鳴ってくれないのだ。
 音が、行かない。野球で、ピッチャーの「ボールが行かない」というのと、おそらくは同じ状況なのだろう。

 むろん、実際には音は出ているし、聴衆に聞こえていないことはなかったろう。だが思いのほか、楽器が鳴ってくれず、弦だけの振動となってしまっている。
 最悪。最も忌むべき状態だ。

 * 絵本『さだ子と千羽づる』の本文テキストは、原文、総ルビ。以下も同様。


 このかん、You Tubeにアップロードするための SHANTI や NPO「オーロラ自由会議」メンバーとの収録で、もっぱらメイン器ばかりを使ってきたことの、これは反動か。
 弓が触れただけで、歌い出してくれるメイン・チェロに較べると、これがこの楽器の限界なのか。

 ——だが、ついさきほどまで、控え室での最終調整と練習の際は、むしろ東京の自宅で以上に、このチェロも鳴っていたではないか。これなら大丈夫と、むしろ安心していたほどだったのだが。
 部屋の材質、床の素材等は変わっていない。私一人の部屋と、40名の居合わせる部屋とでは、こんなにも音響が違うものなのか。

 弓の当て方をめまぐるしく変えてみながら、弦楽器というものの微妙さに茫然とするばかりだった。
 ともかく、力を抜くこと。私が鳴らすのではなく、楽器に鳴ってもらうこと……。

 一方、隣の長谷川さんの方はといえば、

 「あんなに、はなれてては、かてんね。」

 アンカーとしてバトンを受け取ったさだ子が、そう言いながら、
 《風のようにピューッとみんなをぬかしてゆ》
 くあたりから、声は落ち着いて拡がりだし、時折り、聴衆の方を見やる瞳も、みるみる輝くような熱を帯びて、テキストにどんどん没入してゆくさまが、手に取るように分かる。

 すでに“ハーメルンの笛吹き”モード「全開」状態で、これが広島・平和記念公園だったら、早くも3人ほどの子どもが転がるように駆け寄ってきていることだろう。



             (写真撮影/Y・Yさん)


 広島でも時折りないことではないだが、こういう不調のとき——チェロは、あくまで朗読者にすべてを任せ、私は伴奏者として、その朗読の力に身を任せるのが良い。それに限る。
 
 p.8〜p.9、

 《ある日、さだ子はカゼをひきました。
 そして首すじのあたりが少しはれました。》


 ——来たるべき悲劇の始まりを、早くも予感させる第3場面で、同じ第1番 「メヌエット」でも、「Ⅰ」の輝かしいト長調から一転して、フラット2つのト短調という不安定感を盛る調性で書かれた「Ⅱ」の、悲哀と憂愁、寂寥の影が沁(し)み出す旋律に移るあたりから……私もなんとか態勢を立て直し、次に待ち受ける大場面——p.10〜p.11に備えることとする。



             (写真撮影/Y・Yさん)


 p.10〜p.11、

 《そのころ、日本は、戦争をしていました。武器をもった兵士や多くの日本人が、海をこえ、外国にかってにあがりこんだのです。》——。

 ここ——私たちが「侵略の見開き」と読んだ、このp.10〜p.11こそが、絵本『さだ子と千羽づる』の最初の山場であり、児童向けであると否とを問わず、これまですべての類書に見られない、日本の戦争責任を徹底的に掘り下げた場面だった。



            (写真撮影/Y・Yさん)


 いかなる細部をも忽(ゆるが)せにせず、幼い子どもたちにも解りやすく、また彼らが成人してから新たに理解しなおす意味をも含め、むろん大人の読者には最初から、その重層的な内容が細大漏らさず伝わるよう——テキストの練り上げはむろんのこと、作画担当の安達伸幸(あだち・のぶゆき)さんにも、何度も何度も改稿の労を取ってもらった幾つかの場面の1つである。
 現在、作曲家・ピアニスト・写真家として活動する安達さんは、当時、まだSHANTIメンバーと同様、「現役」の大学生だった。

 (そして、この「侵略の見開き」ゆえにこそ、制作中も、刊行されてからも、絵本『さだ子と千羽づる』とSHANTI、私たちが歩んだ道は、いまに到るまで、平坦なものではなかった。
 それを、私たちは私たちの栄光であると考えている)

 伴奏曲は、BWV (バッハ作品番号)1008、J・S・バッハ『無伴奏チェロ組曲』第2番ニ短調の「プレリュード」——。
 最初、カザルスではなく、ピエール・フルニエ Pierre Fournier(1906—86年)の手になるその録音をLPレコードで聴き、この曲を弾きたいと願って、私はチェロという楽器を手にした。

 《……そして、そこでくらしている人たちに、てっぽうでいうことを聞かせようとしました。
 たくさんの人たちを傷つけ、殺しました。
 また、一日中、休みもあたえず、食べものもあたえず、さまざまなつらい目に合わせました。》


 ともにこのテキストを練り上げた、オーロラ自由アトリエの遠藤京子さんは、しばしば力説する——この《てっぽうでいうことを聞かせようとしました。》という簡潔な1句にたどり着くまで、私たちが経験した苦労を。
 私は、時折り、示唆することがある——《さまざまなつらい目に合わせました。》という、さりげない1句をめぐり、最初、子どもの頃、この絵本『さだ子と千羽づる』と出会った子どもたちが、長じてこの表現に、たとえば「従軍慰安婦」(と呼称された「性奴隷」)の苦難が表徴されている意味に気づく可能性への期待を——。


 連綿と読み上げられてゆく、舌も耳も灼(や)けつくがごとき、極めて仮借ない言葉を、重い旋律がとめどなく包んでゆく。これまで何百回と伴奏してきても、私たち自身が作ったこの見開きのあいだ、私はチェロを平静な気持ちで弾くことができない。
 ここまで……子どもたちのための絵本に、ここまでの言葉を盛り込まねばならないのか。

 だが——そうなのだ。
 ここまでの言葉を、盛り込まねばならないのだ。
 日本政府と日本人とが等閑に付してきた戦争責任を盾にとって、原爆投下を正当化しようというアメリカの覇権主義を根底から批判するためには。
 日本のその責任回避の結果、原爆がアジアを解放したとの迷妄に新たに囚(とら)われることとなった当該諸国の人びとにいま一度、謝り、彼らに核兵器に対する認識を改めてもらうためにも。
 そして何より、戦争責任そのものの所在を、いかなる歴史修正主義者たちの醜悪で姑息な企みによっても隠蔽させることなく、つねに「現在」に刻印しつづけておくためには。

 (だが今回、この病院の会議室に集う人びとは、おそらくこの場面を正面から受け止めてくれることだろう。——そう考え得る根拠が、私にはあった)



             (写真撮影/Y・Yさん)


 ……長い長い「侵略の見開き」がようやく終わり、場面は、不意に視界が開けたかのごとき、真夏の朝に変わる。

 p.12〜p.13——先行してチェロが『無伴奏チェロ組曲』第1番 ト長調「サラバンド」冒頭の、すがすがしい幸福感に満ちた三重音を奏で、それに続いて、次つぎと分厚く柔らかい音のカーテンを響かせる。
 バッハ『無伴奏チェロ組曲』全42曲中でも、最も安楽で温和な、幸福感に満ちた楽曲である。

 その、音のオーロラが重なり合うのを追いかけるように、

 《「ミーン、ミーン、ミーン。」
 セミが、いそがしそうになき、
 青い青い空がひろがっていた夏の朝のことです。
 さだ子は、二歳でした。》


 次の瞬間——すべては一転して、p.13〜p.14の原爆炸裂シーンへ。

 この場面、私は作画の安達さんに、いっさいの文字を入れない見開きを前提として、この世の最悪の「爆発」をシンボリックに表現してほしいと要請した。これも、幾度か、描き改めてもらい、素晴らしい画面となった1つである。

 (実際の朗読では、幾つかのYou Tube画像でも御確認いただけるとおり、ここで朗読者は無言のまま、この見開きを開いて聴衆に指し示す)

 音楽は、再び『無伴奏チェロ組曲』第2番ニ短調の「プレリュード」に戻って、しかし一足飛びに、その第40小節へ——。
 ここからの9小節こそ、この曲のなかでも、とりわけそれを弾くためにと、私が30歳を過ぎてチェロを志した「理由」だった。




    (Under the permission by WIMA: Werner Icking Music Archive, Denmark) (*)



 厳密にいうと、第40小節の最初の「嬰は—と—ト」の3音で、p.13〜p.14は終わり、

 《太陽が爆発したかのような光でした。
 さだ子は家の外へふきとばされました。
 まわりを見ると、広島の町はなくなっていました。》


 ……と続く、p.15〜p.16でも、『無伴奏チェロ組曲』第2番の「プレリュード」は、その第40小節の後半以降、その終結部へと向かって、えんえんと響き続けることとなるだろう。

 沈痛な内省的旋律から、世界のすべてが崩壊するような絶望と憤怒の頂点へと、弓はチェロの出し得る最低音「は」から「1点ト」まで、2オクターヴと3分の2にわたって、チェロ4弦のすべてを縦横無尽に駆け巡る——。

 ここ数年、私はp.13〜p.14の原爆炸裂シーンの「嬰は—と—ト」の3音を弾く際、最後の「ト」音——第2弦、D線の第1ポジションで「ソ」を抑えた第4指(小指)をグリッサンド風に下方へ(すなわち高音方向へ)滑らせ——弓もまた、一気に駒の上まで引き下ろして、音を大きく割らせることにしていた。
 だが、今年に入ってからは、さらに駒を超えてその下のテールピース近くまでを弾くことを試みている。

 このときもそれをしたところ、もしかしたらやはりセカンド・ボウの毛がへたっていたのか、数本の毛を切ってしまった。
 ……今回、時間がなくてやむを得なかったのだが、やはり出発前に毛替えをしておくべきだったかも知れないとも悔やむ。

 

 * 〔2011年8月28日/追記〕
 今回、どうしてもこの項に、J.S.Bach『無伴奏チェロ組曲』第2番ニ短調「プレリュード」第40小節以降9小節のスコアを追加挿入したく、いろいろ検討した末、デンマークの楽譜管理配信会社 WIMA(Werner Icking Music Archive)へ、事情を説明した上、譜面の使用許可を求めた。
 ほどなく先方からは、快諾とともに、以下のようなメッセージが届いた。
 胸を打たれる——。

 《私どもの提供する譜面が、破壊的な核技術から人類を守る営みに利用されることは、弊社の栄誉とするところです。》


                                   〔この項、続く〕








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▲ by uzumi-chan | 2011-08-20 23:45 | 絵本『さだ子と千羽づる』
『鳥の歌』から始まる物語 絵本『さだ子と千羽づる』(第16信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために——


『鳥の歌』から始まる物語 2011年8月3日〈5〉




 長谷川千穂さんの勤務する病院で、朗読会の会場に充(あ)てられた狭からぬ会議室に、その宵、集っていた参加者は、およそ40名ほど。
 整然と並ぶ長机の上には、すでに東京から昨日のうちに宅配便で送ってあったチラシも、段取り良く配布されている。

 (これはもともと、広島・平和記念公園での朗読会の際、聴衆に手渡すため、毎年2000~3000枚ほどが印刷されるそれの今年の分だった。今回の内容については、当ブログ〔絵本『さだ子と千羽づる』〕第9信《今年も広島で朗読会》、同・ 第10信《絵本『さだ子と千羽づる』を世に送り出した、私たちからのアピール》を参照されたい)

 時刻は、すでに18時半をかなり廻っている。

 本来なら、 18時20分に始まっているはずの私たちの朗読会なのだが、先行する講演会が大幅に喰い込み、時間がない(私自身は一時、朗読会そのものの実現すら危ぶんだほどだった)。
 ——たとえ朗読会それ自体はなんとか出来たとしても、前後になんらの説明もなく、ただそれが行なわれただけ……という結果になることは、私としては極力、私は避けたかった。

 やむなく――両側に椅子・テーブルが並んだ中央の通路を、チェロと弓を抱えて前方によたよたと移動する、その段階から……すでに口を開き、マイクなしの肉声のまま、5分間だけと前置きしてスピーチを開始する(所定の位置に着いてほどなく、どなたかがマイクを手渡してくださった)。

 話したのは――。


 福島・東北方面はもとより、関東圏・東京や横浜でも、放射線の空間線量は 0.15~0.2μSv/hと、文部科学省の発表などより、はるかに高いこと。

 いまから朗読される、この絵本『さだ子と千羽づる』を構想したSHANTI(旧「絵本を通して平和を考えるフェリス女学院大学学生有志」・現「絵本を通して平和を考える会」)の湯浅佳子さんと出会ったのは、93年晩夏、当時フェリス女学院大学学長だった弓削達さんに紹介されてのことで、もともと弓削氏とは、オーロラ自由アトリエ・遠藤京子さんの発案による弓削達氏と森井眞(前・明治学院大学学長=当時)との対談『精神と自由』(1992年刊/オーロラ自由アトリエ)をきっかけとして知り合ったこと。

 さらにそれは、昭和天皇死亡の際の文部省(当時)の服喪指示に対し、「大学の自由」「精神の自由」を標榜して抵抗した両氏への共感に由来する企画であったこと。

 そうして知り合った湯浅佳子さんやSHANTIのメンバーたちと、1993年から94年、優に丸1年の歳月を費やし、学習会と討議を重ねて出来上がったこの絵本『さだ子と千羽づる』は、広島・平和記念公園に立つ「原爆の子の像」との関連で世界的に知られた佐々木禎子さんのエピソードに依拠しつつ、しかし単に核兵器の惨害ばかりでなく、その「前史」としての日本のアジア侵略・戦争責任をも踏まえ、歴史における「加害」と「被害」の関係を構造的に闡明(せんめい)するという意味で、後にも先にも類書に例を見ないものであること。

 無批判な情緒主義や曖昧な没歴史主義に、絶対に溶解しない、そうした絵本『さだ子と千羽づる』は、一方で刊行当初からさまざまに高い評価を受けながら、もう一方では重層的な困難につねに直面しつつ、現在にいたっているものであること。

 そして本年3月11日、東京電力・福島第1原発事故が発生して以降の日本で、とりわけこの絵本『さだ子と千羽づる』の持つ意味は、たとえば晩発性放射線障害に関して、当初から精確無比な記述が、しかも子どもたちにも解りやすい形でなされていることを含め、さらに新たな意味を帯びつつあること。

 現在、鍼灸師として横浜で活動する湯浅さんは、かねてチェルノブイリ原子力発電所事故で被曝した子どもたちの治療と症状緩和のため、現地に赴きたいとの願いを持っていたものの、今回の事態を受け、福島の子どもたちにも手当てをしなければ——との思いに駆られていること。

 長谷川千穂さんは、初めて知り合った直後、7年前から、広島での私たちのこの絵本『さだ子と千羽づる』の朗読会に、毎年、参加し続けてくれていること。

 彼女の朗読は、子どもたちからいつも絶大な支持を受けていること。

 当初、ご家庭の事情(お子さんの急病)で参加が危ぶまれた湯浅さんも日帰りで、そしてむろん長谷川さんも参加してくれる、明日からの広島での朗読会は、18年目となる今年、いよいよ特別の意味を持つであろうと私たちが考えていること——等等。


……このかん、チェロの最終セッティングや、椅子とエンドピンの挿し位置の関係、右腕を動かす空間の確認等、演奏環境の確保も同時に進めながら、それらを、一気に話す。
 所要時間、ほぼ4分30秒。

 あらかじめ用意していたすべては、到底、しゃべれず、内容的には3分の2ほどまでに留まった。
 だが、それでも朗読だけとなってしまう事態はなんとか防ぐことができたとは言えるだろう。



             (写真撮影/Y・Yさん)


 すでに椅子の上に絵本『さだ子と千羽づる』の拡大パネルが置かれ、スタンド・マイクを前に、長谷川さんの準備も調(ととの)っている。

 長谷川さんと、短くアイ・コンタクトを交わし……私は、伴奏の冒頭に置いたカタルーニャ民謡『鳥の歌』(パブロ・カザルス編曲)の出だし、ド―ミ―ラ―ド―ミ―ラ―ミ、と……深い瞑想から、2オクターヴ半を消え入るように上昇してゆく、緩(ゆる)やかな分散和音を弾き始める。

 そこに被(かぶ)さるように、

 「これから、絵本『さだ子と千羽づる』の朗読を始めます」

 中学のクラス委員長のように、はきはきと、一種無防備とすら受け取られかねないまでに飾り気のない、簡潔な口上は、いつもの平和記念公園での朗読とそっくり同じ、長谷川さん独特のものだ。



             (写真撮影/Y・Yさん)



 ——後から長谷川さんに聞いたところ、この場には、病院の医師や看護師、リハビリ担当者や事務職員ばかりではなく、退院後、通院している患者といった立場の人びとも居合わせていたらしい。

 私は――むろん予期していたこととはいえ――さきほど階下のカフェでお会いしたY・Yさん同様、この会場の司会ご担当者たちからも、彼女が「長谷川先生」と呼ばれていることに、少なからず清新な印象を受けた。
 一方――人びとの見知っている、その新任の研修医の「長谷川先生」が、しかも単に院内でカレーや豚汁を作って販売するのに留まらず、今度は東京からやってきたという怪しげなチェロ伴奏者を従え、反核平和絵本の朗読まで始めてしまったのだから、関係者の驚きは目を瞠(みは)るものであったにちがいない。

 ——しかもその朗読たるや、“ハーメルンの笛吹き”的吸引力を具備した、それである。
 (詳しくは、当ブログ〔絵本『さだ子と千羽づる』〕第15信《人が「変わらない」ということの意味》を参照)

 この会場に入る際、私はいつも持っているカメラをY・Yさんに託し、撮影をお願いした。

 私自身、長年、親しんできたフィルム・カメラをデジタルのそれに切り替えたのは世紀の変わり目の頃だから、「銀塩」を離れて、すでに久しい。
 さらに時を経るに従い、機器の選択はますます安易になり、現在の使用機に到っては、一昨年晩夏からのロンドンとの往復生活の最初に、柴崎コウの宣伝していた富士の「料理を撮るならコレ」とかいうカード型カメラを飛行機のなかで釈然としない形で紛失して以来、愛用しているSONYのCyber-shotである。――名刺大ほどもないポケット・カメラで、V6の岡田准一が宣伝しているという安直品の極みである。
 にもかかわらず、これを選んだ理由は、現在世界にあるデジタルカメラのなかで唯一、カール・ツァイスのレンズを装着している(*)という一事に尽きる。
 この一見、玩具のようなポケット・カメラで、ここ1年10箇月ほどのあいだにもう6万~7万齣(こま)を撮影しているが、仕事でカット写真として使用するような場合を含め、まずまず満足している。
 そもそも写真は、撮る側も撮られる側も、なるべくカメラを意識しないものが良いのだ。カメラを媒介にせず、直接、視覚をそのまま定着できるならそれに越したことはないので、このあたりは「音楽」と「楽器」、「絵画」と「画材」の関係に、実はある意味で似ているといえなくもない。
 何を撮るかが最も重要で、どう撮るかは二の次、さらに何で撮るかは、とくにデジタル・カメラとなってからは私にはまったくどうでもよく、いよいよとなったらiPhoneのカメラでも、そこそこの写真を撮る自信はある。

 * もともと私は、ライカ系のレンズは好まず――それよりは、ニコンの方がずっと良い――銀塩写真の時代は、もともと写真を能くしていたオーロラ自由アトリエの遠藤京子さんの影響で、もっぱらツァイスのレンズの使えるCONTAX製品ばかりを使ってきていた。

 
 したがって、今回の病院での朗読会の写真は、最後の1齣の窓外の風景を除き、すべて、この名刺大のSONY Cyber-shotを託したY・Yさんの撮影になるもの。
 それらを、当ブログへのアップロードにあたり、私がトリミングの上、 Photoshopで補正したのだが——この撮影の次の夜、広島での夕食のさなか、カメラをiPad 2につないで確認したところ、期待していた以上の出来栄えに驚いた。むろんこの機種を初めて手にされたY・Yさんだが、ほとんど棄てカットというものがない(結果として、予定より多くのカットを使用することとなった)。
 つくづく、写真もまた、知識でも、経験ですらなく——センスの問題なのだと痛感する。

 絵本の流れ、そして何より、この一夕の感銘深い朗読会の記録として、佳い写真を撮影していただき、お願いして良かったと、改めて思っている。





             (写真撮影/Y・Yさん)


                                   〔この項、続く〕










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▲ by uzumi-chan | 2011-08-20 23:21 | 絵本『さだ子と千羽づる』
なぜ、漁獲物の放射線値検査を実施しないのか? 東京電力・福島第1原発事故(第123信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


なぜ、漁獲物の放射線値検査を実施しないのか? 『東京被曝日記』110817




 この国の異様さは、いよいよ極まりつつある。

 前夜につづいて、翌8月17日夜——“公共放送”NHKの国策番組『ニュースウオッチ9』は、いっそうこうした状況の地滑り的悪化を明白に開示するものだった。

 番組の劈頭(へきとう)、キャスター大越健介が「詳しくお伝えします」などと力み返った、まさしくその鬱陶しい予告どおり——依然として制御不能で収拾の見込みもまったく立たないまま放射性物質をまき散らしている福島第1原発の現状などそっちのけで、あたかもそれがこの世の最大事ででもあるかのように、くだんの天竜川の観光船下り転覆事故とその関連ニュースとが、えんえんと「報道」された後……4番目に「原発事故 重要情報が伝わらず」なる、端的に言えばNHKのアリバイ作りと加害企業・東京電力の言い訳以外の何物でもない欺瞞的なニュースが短く流れた。

 私がさらに呆れたのは、まずそこに、またしてもコメンテーターとして登場したのが、東京大学大学院教授・岡本孝司だったことだ。
 あの——3月11日の東京電力・福島第1原発事故発生以降、現在よりはもう少し、この国に生きざるを得ない者と周辺アジア地域の人びとの総放射線被曝量を軽減できたかもしれないという決定的な時期に、“原子力の専門家”との枕詞のもと、毎日のようにNHKに登場し、ひたすら視聴者大衆への慰撫・輿論操作工作に努めた「研究者」の1人——東京大学大学院修士課程修了後、3年余り、三菱重工神戸造船所に勤務……という赫赫(かっかく)たる経歴の持ち主である。

 言うまでもなく、この「人選」は、“公共放送”NHKの、東京電力・福島第1原発事故をめぐる情報隠蔽と輿論操作についての「確信犯」性が、事ここにいたってもなお揺るがずに引き続いていることを如実に示している。

 上掲の「報道」内容をめぐっても、記すべきことはいくらでもあるが、時間の関係で今回は省こう。
 当夜のこの国策番組において特筆すべきは、それに引き続く「 魚多食男性 糖尿病リスク低い」という、愚劣な「ニュース」である。


 「漁が再開」「漁港に活気が戻ることこそ復興のシンボル」といった、一連の情緒的・非科学的・没論理的なキャンペーンの掉尾(とうび)を飾り、とどめを刺すものともいうべきこのプロパガンダのなりふり構わぬ露骨さには、もはやくだんの“公共放送”の「報道」が、十五年戦争中の同局のそれとなんら選ぶところのないものとなっている事実を余すところなく示している。

 本来、魚は畜肉に較べ、それがとりわけ「青魚」なら、相対的には人体に良い(ないしは、悪さの度合いが少ない)に決まっている。
 かく言う私自身、これまでどれほど数多(あまた)の魚料理を愛好してきたことか。つい、この3月までは——。

 しかしながら……鮨が大好物で、1日2回は食べるという生活を長年、続けてきた結果、本年1月「水銀中毒」と診断されブロードウェイの舞台を降板することを余儀なくされたというアメリカの俳優、ジェレミー・ピヴェン Jeremy Piven の例や、そもそも彼国ではツナ缶に、

  「妊婦は摂取を控えるように」

 との表記がなされている……といった、いくつかの事実を引くまでもなく——魚介類において、食物連鎖と濃縮とによる、水銀やダイオキシン、PCBをはじめとする諸化学物質がもたらす海洋汚染の影響の問題は、もともと、それはそれとして極めて深刻である。

 そして、いま——福島第1原発事故を引き起こした張本人の株式会社東京電力が、さらに、純然たる1私企業の分際で、想像を絶する放射能汚染水を勝手に、独断で海洋投棄するという、人類史上空前の暴挙がなされたあと(*)——ただ1尾の魚、1個の貝、1片の海藻についてといえども、その暴挙によってもたらされた可能性の否定し得ない放射能汚染についての厳密な検証なしに、他の何事かを語ることができるがごとき気分に社会全体を涵(ひた)し、染め上げようとする、この異様なファシズムは、何か? 

 * それにしても、なぜ……東京電力の幹部たちは逮捕されないのか? 少なくとも、疾うに、然るべき捜査を受けているべきではないのか? 粗大ゴミの出し方ひとつを間違えただけでも逮捕されるという、この時代に——。


 以前にも当ブログで記したとおり、きちんと測定し、その結果としてと「安全」だと言うなら、そう発表すれば良い。
 だが少なくとも、こうした状況下、放射線値測定はすべての機会において毎回、必ず行なわれ続けるべきなのであり、にもかかわらず、そうした問題などまったく存在しないかのようにその懸念が等閑に付されている現状は、あまりにも異様である。

 なぜ、あれら「漁業、再開」「漁港に活気」のニュースは、肝腎のその漁獲物の放射線値について、まったく、一言も、報じようとはしないのか? 
 福島沖、本州太平洋岸の海で、あたかもこの3月以降、何事もなかったかのような——ただ起こったのは津波被害だけであるかのような、この欺瞞に満ちた印象操作は何か? 

 実はこれは、同夜、NHKラジオFMの午後7時のニュースで、すでに私は聴いてはいた内容だった。
 だが『ニュースウオッチ9』では、そこにさらに「さかなクン」などという、典型的かつ本物の御用タレントのインタヴューまで引っ張り出すありさまで、その「なんとか、無知蒙昧な大衆を謀(たばか)って魚を消費させよう」と言わんばかりのキャンペーンへの執念には、まさしく尋常ならざるものがあった。

 “クニマスの発見に功があった”とやらで、“今上天皇が記者会見で名を挙げ、顕彰した”ことが、うとましい「美談」となっているらしい、この「東京海洋大学客員准教授」でもある、魚の被り物をしたタレントが——もしも、ほんとうに海や魚食文化を「愛している」とうそぶきたいなら、まず何を措(お)いても、現下の絶望的な海洋汚染と、海産資源に対するその深甚な影響について、たとえ一言なりとも言及するのが当然であろう。

 なぜ、それをしない? 
 「テレビでの仕事がなくなる」からか? 

 (かねて当ブログで詳述しなければ、と準備しがら、まだその稿がアップロードにまで到っていない、あの俳優・山本太郎氏のケースのように——?)

 揚げ句の果て、NHKの女性アナウンサーのナレーションまでもが、糖尿病を心配する「お父さんたち」に朗報……などと、愚かしくも小沢昭一でも真似たつもりか、“わきまえ調”の下卑た用語と声音とで、悪ふざけをして見せる。愚劣な。不潔な。

 中高年男性は、すべて「お父さん」か? 

 馬鹿め。脳に、蕁麻疹が出る。ふざけるな。
 「人間」という存在の多様性に対する想像力の決定的に欠落した、重層的な差別とそれへの鈍感さに満ち満ちた、この精神の貧しさ——。

 こうした挙に加担して、これらの手合いは人として恥ずかしくないか。
 つくづく度し難い“公共放送”ぶりである。


 そして男性においてのみ、この「青魚による糖尿病予防効果は見られるらしい」との理由について、そもそもの糖尿病の疫学的背景の問題や、その発症機序に関わるもともとの男女差という因子の問題はすべて度外視して、やたら安手の「神秘」めいた気分を煽った末——ただし、青魚の糖尿病抑止効果について、アメリカでは(??)まったく逆の主張もなされている、と締め括る……。

 かくも貴重な時間と電波、電力を使ってのこの愚劣な「報道」は何なのか。

 人が何を食べるかという——その最も個人的な権利と判断に関わる問題についてすら、露骨極まりない棄民的「国策」を発動し、洗脳しようとする、この“公共放送”の「ニュース」もどきの犯罪性は、いまや計り知れない段階に達しつつある。






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▲ by uzumi-chan | 2011-08-19 06:17 | 東京電力・福島第1原発事故
いよいよ極まる、この国の異様 東京電力・福島第1原発事故(第122信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


いよいよ極まる、この国の異様 『東京被曝日記』110816




 この国の異様さが、いよいよ極まりつつある。

 いまや、テレビの「ニュース」を観るという徒労感に満ち満ちた行為は、少なくとも1つの国にあって、そこに生きざるを得ない者が千万人単位のオーダーで、生命の危機を含む空前の健康被害に直面する、そのさなか——資本と政治の意を受けた巨大メディアが、いかに欺瞞的・非人道的な輿論操作をしつづけているかのサンプルを蒐集する以外のいかなる意味も持たない。

 もはや、「取り返しのつかぬこと」をしでかしたすべての責任は、不問に付される——どころか、完全に雲散霧消したかに粉飾され、その揚げ句……テレビという、有史以来最大最強、かつ最低最悪のメディアにおいては、 東京電力・福島第1原発事故は、 さながら、ほとんど、なかったことででもあるかのようだ。
 それは、あたかも「地方ニュース」の1本に等しい扱いを受け、格安航空便の濫造や、観光川下り舟の転覆事故よりも軽いものであるらしい。

 (それにしても、格安航空便について報ずるのに、なぜ、その経費削減が安全性に与えかねない影響についてはいっさい論及しない? 
 その一方、川下り舟の事故など、ただ救命胴衣の着用その他の安全管理を徹底させさえすれば、それで済むこと。にもかかわらずこんな「ニュース」を各局トップで、十数分間も垂れ流す、その意図は何? 
 むろん、それはフクシマから大衆の目を逸らすためだ。だが、こんな川下り舟の事故をめぐる煽情的・情緒的な「報道」もどきが、それでも人にフクシマから目を逸らさせるとするなら……。
 人は、それほどまでに他者の悲劇を、悲嘆を……端的に言うなら、死体に飢えているのか? 自分自身が緩慢な被曝死体へと向かっているかもしれぬ危機にも気づかず——)


 その一方、現実の大衆の意識は、どうか。
 私は、知っている。

 那覇市中心部の月極マンションに、関東方面からの疎開母子が不安げに犇(ひし)めき、また北海道のホテルは、露骨に“夏休み一時避難パッケージ”ツアーを売り出しているというこの時期。
 西日本産の1本の胡瓜、少なくとも東北産ではないトマトの1個を求めて、炎天下、主婦たちがスーパーをめぐり続けている、いま——。

 8月16日夜の“公共放送”NHKの国策番組『ニュースウオッチ9』は、「猛暑で熱い地面 子どもに危険」というニュースで、成人の記者二人の一方を屈ませ、一方を立たせたまま、両者の体表温度の変化を赤外線カメラで撮影しつづけるという愚劣な実験をえんえんと行なって見せる。
 ——しかも、そのすぐ後には「放射性汚泥の処分先がない」というニュースを平然と続けるのに。
 (この後者は“出続ける放射性汚泥の半分に、いまだ処分先がない”という話。では、すでに処分されたという半分は——どこへ消えたのだ? あのおぞましい「放射能汚染土堆肥化」計画は……その後、どうなったのか?)

 それにしても——。

 「猛暑で熱い地面 子どもに危険」??  

 馬鹿な。
 そんなことは、もとより言うまでもない。
 しかし——。

 いま、ほんとうに報ずべきは、

 「放射線値の高い地面 子どもに危険」

 ではないのか? 

 なぜ、それを一言も言わない? この国策番組は——。
 同じ実験をするなら、線量計で子どもと大人の身長差で、どれほど空間線量が違うかの測定でもしてみせよ。恥知らずの屑テレビが。

 ——パニックを煽る? 本来、主権者たる民衆が、テレビ局ごときに、そんな心配をされる筋合いはない。
 そして実のところ、日本大衆は、この5箇月余りを通じ、疾(と)うにパニックなど突き抜けた、もはや静かな諦念のなかで、つつましくおとなしい自己防衛に入っているというのが現状だろう。

 にもかかわらず同番組のニュースもどきは、その後、今度は「再び海へ 被災地の漁師たち」などという、やはり非科学的・没論理的・情緒的なキャンペーンに血道を上げる。

 人間の屑、ジャーナリストの屑には、何度言っても、 何度言っても無駄らしいのだが……3月11日以降——とりわけ加害企業・東京電力が、1私企業の分際で、こともあろうに……勝手に、独断で、想像を絶する高濃度の汚染水を大量に海洋放出して以降——すべての日本沿岸、とりわけ太平洋岸における漁業関連のニュースは、必ず、その漁獲物における放射線測定値とともに報ぜられるべきではないのか? 

 農畜産物に関し、なんの科学的根拠も示さぬまま、放射線汚染の極めて高い蓋然性を正当に危惧する市民たちに対し、その当然の不安を「風評被害だ」と貶(おとし)める、真に悪質な「風評」を流そうと懸命の福島県知事・佐藤雄平(*)、学校給食で子どもたちに集団強制摂取させるという、想像を絶する暴力的プロパガンダで、地元産野菜や牛乳の「安全性」をアピールしようとした、いわき市長・渡辺敬夫(**)らと同じことを、今度は魚介類・漁獲物に関して展開しようという策謀が、このところ一気に、全面的に発動されていることを感ずる。

 * 何度でも言うが、前知事・佐藤栄佐久の失脚後、知事に就任したこの男が「プルサーマル計画」を誘致したが故にこそ、東京電力・福島第1原発3号機には、プルトニウム239が存在する。
 そして、半減期2万4千年という、その最悪の猛毒物質プルトニウム239は、3月14日、収拾不能の爆発にいたった東京電力・福島第1原発3号機から、いまも外界に放出され続けている。

 ** 当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第100信《一蓮托生の無理心中的全破滅を強要する精神風土》でも記したとおり、この渡辺敬夫に対して、正当極まりない批判を提起している武田邦彦・中部大学教授が、その一方で「新しい歴史教科書を作る会」並みの非科学的な歴史観を全面展開しているばかりか、水俣病におけるチッソの責任を免罪したり、ダイオキシンの有害性を「相対化」することに自らの「科学性」を主張しようとしたりしていることは、一見、残念であり、はなはだしく悲惨であり、また滑稽でもある。
 だが、テレビ・新聞をはじめとするこの国のマス・メディアに巣喰う手合いの、真に度し難い低能ぶりを考えれば、こうした人物を「中間派」として起用し消費することによって、取るに足らない自らのアリバイ作りを行ない、それで何事かを為し得たつもりになっている、屑・職業ジャーナリストどもの汚れきった打算に抵触しない程度に無難で不徹底な人材という意味では、両者の関係は、結果として、一種互恵的な均衡状態を成立せしめている、とも言える。



 この、あまりにも「判りやすい」——語るに落ちるとも言うべきキャンペーンは、同番組で翌日もつづいた。
 次項で、それについては記す。



             〔この項、続く〕






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▲ by uzumi-chan | 2011-08-19 03:57 | 東京電力・福島第1原発事故
人が「変わらない」ということの意味 絵本『さだ子と千羽づる』(第15信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


人が「変わらない」ということの意味 2011年8月3日〈4〉






 今回の朗読会は、御自身の職場で行なわれる広島関連の事業に合わせての企画の一環として、急遽、長谷川さんにより提案され、実現したもの。
 研修医として赴任してまだ3箇月ほどという長谷川さんだが、すでにこのかん、こうした自主的な活動の資金を得るため、院内で、カレーや豚汁を作って同僚たちに販売したりもしているという。
 かねて承知してはいたものの、医師となってからも変わることのない、その伸びやかな行動力に、改めて驚嘆する。

 もともと長谷川千穂さんと知り合ったのは、たぶん03年——いずれにしても、まだ00年代の前半のある年の初夏のことだった。

 最初、私の著書の1冊についての読後感——日本社会に瀰漫(びまん)する性差別の問題について、堅実かつ確固たる意思表明がなされていた——をいただいたことをきっかけにして、電子メイルのやりとりが始まり……それからほどなく、所用で名古屋を訪ねた際、初めてお会いした。
 (その日は私が目星を付けていた自然食レストランを探して、一緒に炎天下をずいぶん歩き回ったことを覚えている)

 当時、すでに医大進学の決意を固めていた長谷川さんから、いささかの相談めいた話も受け、短からぬ期間にわたることが明らかな新たな「挑戦」へと向かおうとする彼女の、たおやかで、しかも勁(つよ)い意思に、一種、眩(まばゆ)い印象を与えられたものだった。
 そして——それからほどなく長谷川さんは、早くもNPO「オーロラ自由会議」に参加してくれたのと前後して、めざす医大に入学し、さらに6年に及ぶ勉学を経て国家試験に合格、現在、研修医として郷里の病院に勤務する……という展開となる。

 (ちなみに、北陸の医大に在学中の6年間も、広島には欠かさず参加してくれていたばかりか、東京で行なわれるNPO「オーロラ自由会議」の総会やシンポジウムにも、長谷川さんは忙しい日程の合間を縫って駆けつけてくれていた)

 それにしても、この歳月を通じ、何より私が圧倒されるのは——初めて知り合った8年前も……そして、初志を貫徹して医師となったいまも、彼女が、その本質においてまったく変わっていないことなのだ。
 (また、だから、私たちの彼女への接し方も変わらない)

 そのことは、7年前から毎年、参加してくれている広島・平和記念公園での絵本『さだ子と千羽づる』朗読会での長谷川さんの不思議な存在のしかたにも、通じているように思われる。
 約(つづ)めて言ってしまうなら——彼女が読み始めると、子どもたちが次から次へと、どこからともなく湧いてくるのである。

 今回は聴衆の姿がまったく見えない、誰もいない広場でチェロを弾き、絵本を朗読しても、しかたないから、さすがにいまはやめ、もう少し後にしよう……と、一同が暗黙の諒解を固め合いつつあるような、そんな場合にすら——。

 それでも長谷川千穂さんが、笑みをたたえて、おもむろに読み始める。
 すると——達人の太極拳の演武を思わせる、そのゆったりとした抑揚の声が響き始めてほどなく……1人、2人と子どもが、ほとんど駆け寄るようにすがたを現わし(そもそも、一体どこから?!)、数場面が進む頃には、もう五指に余る人数が「体育座り」をして熱心に聴き入っているのだ。

 そして、最後——
 「つぎに この思いを つたえてゆくのは、あなたです。」
 のエンディングのメッセージが読み上げられるときともなると……10名、20名という子どもたちが、吸い込まれるような表情で長谷川さんを見つめ、懸命の拍手を送っているではないか。

 これは、一体、どういうことなのか——。

 10歳以下の子どもたちにだけ、感応し得る周波数帯の、一種、特殊な電波を……長谷川千穂という人物は、もしかしたら発しているのか? 
  
 ——かねて私が、密かに“ハーメルンの笛吹き”状態と呼び習わしている、長谷川さんの、子どもたちに及ぼす、この瞠目すべき吸引力は、まさしく私たち、NPO「オーロラ自由会議」の広島・平和記念公園における絵本『さだ子と千羽づる』野外朗読会の奇観の1つだったのであり……あるいは、その最たるものかもしれなかった。

 (だから当然のことながら、私は、遠藤京子さんらNPO「オーロラ自由会議」の仲間たちと、いつも、
 「これで長谷川さんが小児科を開業したら、商売繁盛、間違いなし!!」
 と、目配せし、頷き合っていたことだった)

 気品に満ちて自立した清潔な批判精神と、まったく飾り気のない底抜けの庶民性とが共存した長谷川千穂さんという存在は、私にとって、まさしく得難い友人である。
 (3月11日以降、とりわけ東京電力・福島第1原発の事故がただならぬものであることが判明してきて以降も、メイルで幾度も、親身な心配をいただいている)


 ……隣室のメイン会場では、先行するプログラムである「東京電力・福島第1原発事故の現状」についての講演が、そろそろ終わりに近づいているらしい。

 それはすなわち、もうすぐ長谷川千穂さんと——私の出番が来ることを意味していた。
 私は、調弦を最終確認したチェロのネックを右手に摑(つか)み、さきほど、さらに分厚く松脂(まつやに)を塗った弓を、おそるおそる左手で摘(つま)み上げる。



             〔この項、続く〕










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▲ by uzumi-chan | 2011-08-17 18:04 | 絵本『さだ子と千羽づる』
この手でチェロが弾けるのか 2011年8月3日〈3〉 絵本『さだ子と千羽づる』(第14信)

すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


この手でチェロが弾けるのか、話は広島にたどり着くのか 2011年8月3日〈3〉




 【すでに本日——8月17日 03:21に、〔絵本『さだ子と千羽づる』〕第14信《人が「変わらない」ということの意味 2011年8月3日〈3〉》として、アップロードした本稿であるが、紙文筆家の習い性として誤植を校正しているうち、いくらなんでも1篇があまりに長すぎることが気になり出し、例によって、やむなく2分割することとした。
 新たな 第14信は《この手でチェロが弾けるのか、話は広島にたどり着くのか 2011年8月3日〈3〉》(なんというタイトルだろう……)、そして第15信が、当初のタイトルどおり《 人が「変わらない」ということの意味》で《2011年8月3日〈4〉》となる。
 若干、新しい内容も盛り込まれているので、すでに旧〔絵本『さだ子と千羽づる』〕第14信《人が「変わらない」ということの意味 2011年8月3日〈3〉》をお読みいただいている方も、改めてご覧いただけるとありがたい。
 それにしても——8月3日についての叙述は、少なくともあとまだ2回は続きそうだし……名古屋までで6回も費やして、ほんとうに話は広島にたどり着くのか? 遅くとも今月中旬のうちに】



 名古屋駅で新幹線を降り、別の路線に乗り換えて、午後4時過ぎ、目的地の最寄り駅に到着。
 改札口まで、長谷川千穂(はせがわちほ)さんが迎えに来てくれている。

 ——迂闊(うかつ)なことに、私がなんとなく「白衣」姿を想像していた彼女は、しかしもちろん私服のまま。
 考えてみれば、いくら距離が近くても病院の外に出るのに「白衣」のはずもなかったろう。
 (結局、この日、職場の病院でも、その服装は変わらなかった)

 ただちに、彼女が研修医として勤務する病院へ案内される。
 その規模の大きさと、真新しい施設のエントランス周辺に漲(みなぎ)る、何より医療機関もまた「サーヴィス業」なのだという志向が前面に押し出された至れり尽くせりのたたずまいは、都内の大病院などにもあるものだろう。しかし、ここの場合は、それがさらに「進化」した形態であるとも言えるかもしれない。




 企画されている朗読会は午後6時過ぎからなので、かなり余裕はあった。

 用意された控え室に荷物を置き、チェロの調弦その他のセッティングは後回しにして、長谷川さんに誘われるまま、いったん地上階のテラスに併設されたオーガニック・カフェへと、移動することとする。

 長谷川さんと会うのは、6月に名古屋に来たとき以来である。先先月のその折りが、昨夏の広島の後、初めての再会だった。
 このかんに出来上がった、復刻版の「原発いらない」バッヂ(当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第102信《骨の髄まで腐りきった国家》、同・第103信《思いがけない出会い》、参照)をお土産に渡してから、話が始まる。

 ここ数箇月というもの、私たちを含むNPO「オーロラ自由会議」の仲間たち、絵本『さだ子と千羽づる』の原著者・湯浅佳子(ゆあさけいこ)さんや川尾路子(かわおみちこ)さんら、SHANTI(シャンティ=旧「絵本を通して平和を考えるフェリス女学院大学学生有志」・現「 絵本を通して平和を考える会」)にとって懸案となっている事柄に関し、経過をめぐる情報を共有したりもするが……それとは別に、目下、私にとって焦眉(しょうび)の急となっているのが、チェロを弾く上で大きく影響する左手のトラブルだった。

 そもそもいまから5年前——2006年夏の広島で、かつてなかったほど長時間、連続してチェロを弾き続けた3日目……8月6日の夕刻になって、それまで保冷パックや氷の塊を押し当て凌いでいた左手の痛みが極限状態に達し、帰京後、当該部位の静脈に炎症と激痛を伴うトラブルを惹き起こして……以後、ずっと解消していない。

 今回、折り悪しく8月に入った頃から、これまで騙し騙し引きずってきた、その左手の状態が、拇指の付け根を中心に急激に悪化し、いよいよ、拳を握ることさえ困難なほどの腫れと痛みが強まっていた。
 絵本『さだ子と千羽づる』の伴奏として、長年、私が構成してきた楽曲プログラムの曲目とその変奏とには、幸い、左拇指を直接、弦に当てるような難度の高いハイ・ポジションは出現しないものの(大体、そもそもそんな難曲を、私は最初から伴奏に選ばない)……それでも、左腕を動かすことそれ自体に、実はすでに少なからぬ困難がある——。

 カフェのテーブルを挟んで、早速、長谷川医師の「診察」を受ける。

 ……この清浄に関し、鍼灸師でもある湯浅さんには、東京を発つ前日にもメイルで相談していて、一時は横浜から目黒までの往診を頼もうとさえしたほどだった。結局、それも果たせず、症状は未解決どころか、ますます悪化する状態に陥っていた。
 今年は、10年ほど前にアメリカの楽器店から個人輸入して以来、例年、用いている「自転車の空気入れで空気を入れることのできるタイヤの付いたチェロ・ケース」の整備が間に合わなかったため、超軽量といえども手ずから提げたり背負ったりしなければならないケースに、重い方のセカンド・チェロ(*)を入れ、さらに数日分の旅行荷物、そして——こればかりは宅配便にして出して、万一、間に合わないという事態を惹き起こすわけにだけは、絶対にいかないので、私自身が携えてきた絵本『さだ子と千羽づる』本文の拡大パネル一式の重さ(これだけで、優に数kgになる)もあり、すでにこの名古屋到着の時点で、私の左手は相当、厄介な状態に陥っていた。

 (実際にはこのあと——8月5日の昼前、広島・平和記念公園に駆けつけてくれた湯浅さんの応急手当を受けるまで、腫れと痛みはさらに悪化の一途をたどることになるのだったが……)

 * 一般に、ヴァイオリン属の弦楽器は、名器ほど「軽い」とされる。ただし、では軽ければ名器かというと、事はまた、さほど単純ではない。


 長谷川さんは私の症状を仔細に確認して所見を述べ、さらに事前に循環器の専門医に訊いてくれたという現在の標準的な治療法——局所麻酔による手術の術式2種類ほどについて、詳しく説明してくれる。

 ……正直、どちらも進んで受けたいものではない。

 たしかに——私がアロパシー(**)において最も信頼を寄せていた医師・山本茂氏(***)の診断でも、手術による抜本治療しかないと診断されているこのトラブルに関して、私としてはどうしても躊躇するものがあり、経過観察を選択していた。
 (マクロビオティックMacrobioticsを中心とする食餌療法や、ホメオパシーHomeopathyによるセルフ・ケア等も試みている)
 
 ** Aropathy。語源は「異種療法」「逆療法」「反対療法」的な意味で、「類似療法」「同種療法」のHomeopathyの対概念としての用語である。
 したがって、たとえば天皇制信奉者が自ら「天皇制」という言葉は遣いはしないように、「ずぶずぶ」の「がちがち」の現代医学系の医師は、おそらく「アロパシー」という言葉そのものを認めないだろう。

 *** 山本茂(やまもとしげる)。1929年(青森)〜2008年(東京)。
 長年、目黒区内で開業し、地域住民から絶大な信頼を得ていたこの人物は、私がこれまで出会った無慮、数百人に及ぶ医師のなかで「最高の医者」だった。
 氏のキャラクターは、拙作の少年小説『オーロラ交響曲の冬』(1997年、河出書房新社刊)の「天元院長」のそれに投影されている。
 なお、山本茂氏についてと同様、チェルノブイリ原子力発電所事故を直截のモチーフとする、この小説についても、当然、遠からず当ブログで取り上げなければならないだろう。




 山口泉『オーロラ交響曲の冬』(1997年、河出書房新社刊)
 本作は、カバーにもその内の1点が用いられている本文挿画・全10点も、すべて私の自作(1996年)である。このとき初めて、当時、普及していたSuperPaint 3.5Jを用いて、当時、使用していたPowerMacintosh6200での描画を試みた。ただし残念ながら、もう一度「コンピュータで絵を描こう」とは、少なくとも現時点では、まったく考えていない。



 しかし明らかに、このまま放置しておくわけにもいくまい、どうしようか……と、長谷川医師のまえで、あれこれ悩んでいると、今回の朗読会に関わる実務を引き受けておられるY・Yさんが来られ、簡略な打ち合わせが始まる。

 それが終わると、どうやら——そろそろ控え室に戻って出番を待つべき頃合いとなった。


             〔この項、続く〕










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▲ by uzumi-chan | 2011-08-17 03:21 | 絵本『さだ子と千羽づる』
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