今回の法論は自称・保田妙本寺信徒を名乗る竹本良一君とのプチ法論であったが、法論を通し単なる阿呆であることが判明した。

この人物、元々はあのカルトで有名な創価学会員であったが、某日蓮正宗信徒と縁が出来、法華経員になったとのことである。私はこの人物とは直接の接触がないため詳しい経過は存じ上げませんが、その後、法華講組織内でトラブルを起こし、本年(2011)半ばに日蓮正宗を離脱し、北海道の元宗門僧侶で還俗した鳥本雄行のもとへ逃げ、氏のブログでは「鳥本師匠」と随分尊敬していたようだ。

鳥本雄行は「日蓮富士門流札幌談所信徒会」という名の下、氏の公営住宅を布教所としていたようであるが、この場所にて竹本君は受戒を受けたとのことである。曰く、「随分遠回りをしましたがやっと本門の信仰に出会いました。感激、感激の毎日です(趣意)」と氏のブログで紹介している。しかしこの鳥本なる還俗僧侶、その後、近所の民家数軒を放火したとのことで警察に逮捕されてしまったのだ。御存じのよう誘拐、放火は世界のどの国においても重罪であることは日本も同じである。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1375637013

竹本君はこのような悪質な刑事犯を「ありがたく、ありがたく、涙、涙(趣意)」で師匠と仰ぎ、騙されたということだ。全くオッチョコチョイの極め莫迦である。

さて前置きはこのぐらいにしておくが、今回のプチ法論は、ミクシー内でのことであるが、日蓮正宗から離脱した教団信者の常として、いつものことであるが次の様な疑難をぶつけてきた。尚、言っておくが、竹本君の疑難というのは全く独自性がなく、全て既に破折された創価のパクリ疑難であることを付け加えておく。創価を脱会してもいまなお池田タサクに未練があるのであろう。氏の疑難というのは創価の三番煎じであると言っておこう。

疑難

本門戒壇の大御本尊は偽物である。本物というのであれば鑑定せよ。
『大石ケ原の板彫刻が「弘安2年10月12日造立」を証明するデータ。 さっさと見せて~な。 』

破折

当方はこれに対し、「では、お前さんの信じる万年救護の本尊には鑑定書があるのか?」

また「大聖人生涯250体の真筆本尊のうち、どれでもよい、身延でもよい、鑑定書のある本尊を挙げよ」と迫ったが結局回答は最後まで無かった。

このような疑難は創価作成の、「為にする疑難」であり、日蓮正宗を攻撃する材料となってはいるが、自分の足元である万年救護の本尊には鑑定書なる代物は無いのである。また身延の真筆本尊はどうか?と聞いてみたが、これまた鑑定書などは無い。 閲覧者の皆さん、テレビの「なんでも鑑定団」を御存じでしょうか? 目利きの鑑定人は科学的鑑定などをしなくても見れば本物か偽物かは簡単に分かるのである。

これがだ、もし「万年救護の本尊には鑑定書がある、しかし大石寺の大御本尊と称するものにどうして鑑定書がないのか?」、こういう疑難であれば納得できるが、この莫迦は批判をぶつけることしか能がなく、それも既に破折し尽くされた創価の疑難の三番煎じをわざわざ用いるといった代物である。
究極の出来損ないと言わざるを得ない。

次に当方から質問をしてみた。

「保田妙本寺における一大秘法とは何か?」

するとどうであろう、いよいよ追いつめられたのか、このような質問を張ってきた。

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> 保田妙本寺では一大秘法は何なんだ?

その前に、
元創価の富士美術館跡にある展示場で見たとおり、
創価出現前の大石ケ原の針金宗の本堂には何が祀ってあったかな?

答え待つ。

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創価員も同じであるが、追いつめられると、その質問に対する回答を避け、話を逸らそうとするのは惨敗者の常とう手段であるようだ。結局、「保田妙本寺の一大秘法」に関する回答も最後まで無かった。日蓮正宗から離脱した現在の保田妙本寺には当然無いことは初めからわかっているが、それをこの人間から再確認した形となり、このプチ法論は終結し、竹本惨敗、遁走と相成ったのである。

大体今の保田妙本寺には折伏精神もなければ、布教精神も皆無。あるのは根檀徒の派閥争いのみであり、その信心はといえば、単なる「マンマンチャン ア~ン」だけだ。新参者、しかも放火魔を師匠と称した竹本などに出番はない。またこの人物の性格から察するに、保田妙本寺でも近い将来問題を引き起こし破門、もしくは離団することは間違いないと思われる。まぁ、我々はじっくりと静観しようではないか!

最後になるが、この竹本なる人物、なぜ日蓮正宗を離団し、放火魔のもとへ走ったのか? その根本理由を挙げておく。

①某日蓮正宗法華講員のように有名になりたかった。
②創価時代に支部長職であったからであろうか、部下を持ち、偉そうに振る舞いたかった。
③役職という肩書を喉から手が出るほど欲しかった。
④日蓮正宗法華講員としての基本的なことが理解できず、脱会後も池田タサクのカスを持ち続け、吐き出すことが出来なかった。

要するに法華講員として真摯に信行学を学んでゆこうという姿勢が無かったのが現実であろう。そして「男の嫉妬」から自ら離脱したということが真相である。(お寺から破門を言い渡されたとする氏の言動は嘘である)

以上であるが、当方の完全勝利、竹本君の完全敗北・遁走とする。

平成23年12月12日

日蓮正宗法華講員
黒川和雄

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