弁護士の「質の低下」の話になると、現在の法曹人口の激増政策や新法曹養成制度を是とする立場の方から、必ずといって出される切り口があります。
「懲戒事案を見ると、主に道を踏み外しているのは、ベテランではないか」
つまり、弁護士不祥事から見る限り、今回の増員政策や新法曹養成制度の影響ではない、つまりそうした政策以前の問題ではないかということです。別の言い方をすれば、法科大学院出身者が不祥事を起こし、懲戒されているわけではないので、その意味で現改革が弁護士の「質の低下」を生んでいるとはいえないのではないか、という主張になります。
現実的には、極端な弁護士増員で経済状況が激変した影響が、ベテラン弁護士の道を踏み外させているととることもできます。それでもしない人はしない、ということをいってしまえば、もともと倫理観として強固なものを持ち合わせていない、ボーダー層が、こうした影響からくる余裕のなさから、やらかしてしまったということはあるかもしれません。
そうだとすれば、それは「質の低下」ではありながら、もともとの弁護士の質のレベルが問われてもしようがないとは思います。しかし、それでも現実問題として、その影響として、それを引き金として弁護士を依頼する側のリスクを増大させていることは無視できません。その影響で国民が被害者になることは変わらないからです。
さらにいえば、「改革」前の弁護士レベルをいうのであれば、それが担保されていない状況で、さらにリスクを増やす政策を強行する非が責められてもおかしくありません。現実的に国民を守るためには、その前提から議論されてもおかしくありません。
その意味では、弁護士の「質の低下」という話は、いくらもともとのレベルの話をしても、「改革」が実際に国民に害を与えるレベルの弁護士誕生の引き金になる、そうした環境をつくるというのであれば、「質の低下」を招いているという評価を否定し得るものではないように思います。
ただ、そのこともさることながら、さらに重要な点があります。「質の低下」とは、懲戒事案では分からないということです。「質の低下」とは、倫理性を欠いた不祥事を起こすような弁護士のことだけをさしているわけではないということです。
つまり、それは「能力」です。「悪徳」ではなく、「無能」の問題です。法律の基本事項に関する論理的理解に欠けている法科大学院生、司法修習生の存在が指摘されています。さらに、現在の状況は、従来のように弁護士になってから、先輩から充分に実務的な記述や心得を学習する機会を与えられていません。
そうした環境の無理は、「無能」な活動として、国民に実害を与える可能性かあります。能力の問題からすれば、本人が一生懸命に力を尽くして、本来、依頼者が獲得できるもの、少なくともこれまでの弁護士なら獲得したものを獲得できないで終わってしまう可能性が考えられます。また、心得でいえば、その「能力」の足りない部分を、一生懸命さとかやる気のアピールで顧客の気持ちを引きつける形にもなります(
「『ポーズ』弁護士登場の嫌な兆候」)。
結果として、これらの多くは不祥事にはならない可能性があります。受任から結果までを同時に複数の弁護士でシミュレーションすることができない以上、最終結果が十分でなくても、依頼者は「そんなものか」と判断して終えてしまう可能性が高いからです。要するに、気が付かない不利益を被ることもあるということになります。逆に言えば、この場合に懲戒事案に発展するのは、一生懸命、誠意をもってやってくれたようにみえる若手弁護士の「無能」を見抜き、弁護士として本来やるべきことを怠っているととらえた場合だけになってしまいます。
もちろん、いうまでもないことですが、この「気が付かない不利益」の部分は、このままでいけば、すべて依頼者市民の自己責任として片付けられることになります。一定の「質」の確保、「資格」による、その保証がなされていない状況、とりあえず弁護士を社会に放つという状況が、いかに国民にとって危険な状況であるのかは、このことだけでもはっきりしているというべきです。
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「週刊法律新聞」編集長を務めた経験もある司法ジャーナリスト