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城下町刈谷の街歩きでの発見 [ウオーキング]

                                                                  
   刈谷市郷土資料館リニューアル記念「城下町刈谷の街歩き」

【JR東海 おすすめPOINT
 城下町刈谷を歩く新コースです。昭和初期の建築様式をとどめる亀城小学校旧本館を利用した刈谷市郷土資料館が、今年4月にリニューアルされ、縄文弥生から今日までの郷土資料が展示されとりわけ昭和の懐かしい資料展示が充実しました。

ウォーキングコース
 刈谷駅→刈谷市美術館→宗福寺→松坂公園→元刈谷神社→松本奎堂碑→亀城公園→刈谷市郷土資料館→椎の木屋敷跡→刈谷駅(みなくる広場)

コース   約9.2km     所要時間    約3時間

宗 福 寺
 昔し上重原の地に山岡山蔵福寺という寺があったが兵火によって焼失 そののち数百年を経て江戸時代に至り 刈谷の商人大岡栄純が同寺再興を思い立ち 領主三浦壱岐守明敬の許しを得て この地に諸堂を建立した。享保7年大岡山崇福寺と改め 慈空和尚を招いて中興の開祖として 山城国深草真宗院の末寺となった。(刈谷市教育委員会より抜粋)
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元刈谷神社
 元刈谷地内にあった八雲社・北野社、熊村地内にあった八幡地の三社が対象2年に合祀されて、八幡社のあった場所に奉還して本刈谷神社とした。
 境内に広がる本刈谷貝塚は縄文時代晩期の貝塚土器のほか、石器類・骨角器、貝製品が出土している。(刈谷市教育委員会より抜粋)
 これは正月の焚火の準備で廃材が集められていた。
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専 光 寺
 鶯谷と号して、真宗大谷派に属している。寺伝によると、創立は不詳でもともとは天台宗で室町時代に蓮如上人が当地を訪れた際に改宗したといわれている。
 写真にある「キスノキ」は蓮如上人お手植えのものとして伝わっている。(刈谷市教育委員会より抜粋)
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市原稲荷神社
 白雉(はくち)4年(653)亀狭山に瑞兆(めでたいしるし)が現れ、その地に社殿を創立したのがはじまりといわれている。
 永正年中(1504~1521)に市原の地に移すが、永禄3年今川義元のは敗走兵によって兵火にあい、同5年社殿を再建された。(刈谷市教育委員会より抜粋)
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刈谷市郷土資料館
 亀城小学校の旧本館の建物で、一時取り壊しの意見が出されたが卒業生や心ある人たちの要望によって保存されることとなり、郷土資料館として昭和55年5月1日に開館された。
 大正15年に建築に取り掛かり、昭和3年に完成。構造は木造瓦葺2階建て一部コンクリート造り、昭和初期の建築様式をとどめている。
 平成11年2月17日の国の登録有形文化財となっている。(刈谷市教育委員会より抜粋)
 本日は抽選で100名に刈谷市観光協会提供の特製タオルがプレゼント・・・見事 アタリ
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椎の木屋敷跡
 椎の木屋敷は刈谷城の北東に位置し椎の木藪ともいわれていた。屋敷とあるがここあたり一帯のことをさしている。江戸時代では一般に出入りが禁止されていた。
 中央は窪地で回りが高く、椎の木が多く茂っていた。椎の木屋敷は、徳川家康の生母である於大が岡崎の松平広忠に離縁されて刈谷に戻された際一時住んでいたといわれる。(刈谷市教育委員会より抜粋)
DSC08639.JPG語り部と於大像


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