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経済トリビア特集号

ユダヤ商人ロスチャイルドー族と金価格決定

山崎勇治(担当;比較経済史 )

 昨日、社会人1年生となった私のゼミ生Y 君が突然研究室にやってきた。スーツ姿に見を固め、3月まで髪を赤く染めて汚い格好の彼と同じ人物とは思えない変身振りである。彼は、大阪に本社にある先物会社に就職して、「先生、金を今買えばクリスマスシーズンになると必ず巨額の利益が私の懐に転がり込んでくる」と営業マン顔になって私に勧誘するのである。
 Y 君に「金価格はどこで、いかなる方法で決定されるかを知っているか、もし知っているならば、金を買ってもよいが」と尋ねてみた。知らないと言う。そこで以下のように説明を試みた。
結論から先に言うと、価格はロスチャイルド一族の10分間の協議で決まるのである。
世界屈指のユダヤ系財閥、ロスチャイルド一族がいかにして財をなしたのかから話を進めていこう。
ロスチャイルド兄弟の父であるメーヤー・アムシュル・ロスチャイルドは
 身寄りもなく、また無一文のまま、1761年、北ドイツのハノーバーから、両替や古銭、貴金属の仲買を学び、故郷のフランクフルトのユダヤ人街に戻って来た。当時ドイツでは多くの貨幣が濫発されていたので、それに目をつけたロスチャイルドは、そこで両替商をはじめた。彼と結婚した17歳のグーテル夫人は合計20人の子供を産み、そのうち10人が死亡した。
 しかし、残った10人の中の男子5人は、成長とともに父親に代わって働きだし、長男アムシェルはメーヤーとともにドイツの本拠フランクフルトに、次男ソロモンはハプスブルク家の首都ウィーンに、三男ネイサンはロンドンに、四男ガルマンはナポリ王国の首都ナポリに、五男ヤコブはパリにそれぞれ散り、欧州の経済中枢部に情報網をめぐらした。
 1815年のナポレオン戦争の名で有名なワーテルローの戦いの際、ネイサンは、戦況を誰よりも先に知らせるように英仏海峡をまたにかける密輸船の船長達に頼んでおいた。
英軍の勝利をいち早く知ったネイサンは、ロンドンの為替市場に「英軍、破れたり」と嘘のニュースを流した。果たせるかな、ロンドンでは大騒ぎとなり、パニック状態となった。たちまちポンドは大暴落し、市場は恐慌状態に陥った。ウェリントンから英政府へ「ネルソン勝利」の情報が伝えられたのは1日後であった。ネイサンは貴重なこの1日を活用して、裏から手を回し、安値でポンドを大量に買い込んだ。果たせるかな翌日、英軍勝利の確報が伝わるや、一転してポンドは暴騰し、ここで彼は買い込んだポンドを手離し’巨富を獲得したのである。
 その後たびたびネイサンは、同じような方法で市場を躍らせ、各国政府の政策などについての情報は、各国に分散している兄弟が集め、ネイサンがロンドンで総合判断し、国境を越えた兄弟の緊密な協力によって、目に見えない巨大な国際金融帝国が出現したのである。ロスチャイルドー族のこのような動きが近代的な投機の原型といわれている。そして現代の情報化時代の草分けともいわれる。
 さて、金価格はいかにして決まるのであろうか。ロンドンのロンバート街に、二世紀にまたがる永い伝統と、数々の国際的陰謀を物語る暗い古ぼけたビルが今でもある。それはロスチャイルド商会の事務所である。土曜日と日曜日を除く毎朝十時少し前、物静かな四人の紳士が集まり「ビルの中央にある黄金の間へ進む。十時半、金塊取引が始まる。その日の金価格を決めるのは、サミユエル・モンタギュー、モカッタ・アンド・ゴールドスミット両商会の代表、シャープス・ピックレー社代表、ジョンソン・マッセー社代表の四人と司会をつとめるロスチャイルド商会の代表である金地金外国為替部長である。取引は十分余りでなされる。毎日の金価格決定の司会をロスチャイルドの代表がつとめるのは伝統によるばかりではない。金市場の最大の売手は1968年3月まで、南ア共和国と米国だったが、南ア共和国の法律上の、また米国の事実上の代理人であるイングランド銀行が直接には市場へ現われず、売買は必ずロスチャイルドの窓口を通して行なうからである。
 五人の仲買人は、わずか十分足らずの取引の後、すぐ散会し、何事もなかったようにとりすまし、部屋を出て行くのである。
 毎日変動する金価格が今日もロスチャイルドの館で決定されている。それが今では、テレックスによって財界各国に、あっという間に伝えられるのである。科学の進歩は財界を縮小せしめた。しかし、’200年前と同じように現在でも同様な形で投機が行なわれているのである。そして、目に見えない所でユダヤ人が、各国の政治・経済を支配していることを見逃がすことも出来ないであろう。
Y君は「先生、このネタ使わせていただきます!」、そそくさと帰っていった。ぴかぴかの新入社員、Y君に栄光あれ!