1日のクリントン米国務長官とテインセイン・ミャンマー大統領との歴史的な初会談は、中東からアジア太平洋地域へ戦略的重点を移すオバマ米政権が、中国を囲む国々を自陣に取り込もうというパワーゲームの幕開けとなった。中国はクリントン氏の訪問を歓迎する一方で「中国がアジアに築いた壁が米国によって一つずつ崩されている」(中国・環球時報)と警戒する。中国に支えられてきたミャンマーは草刈り場となるが、米中双方を利用して国を発展させる巧みな戦略がある。【岩佐淳士、ネピドー西尾英之、ワシントン白戸圭一、北京・成沢健一】
クリントン長官はテインセイン大統領らとの会談後、専用機で最大都市ヤンゴンに移動し、市内最大の寺院「シュエダゴン・パゴダ」を訪れた。金色に輝く巨大なパゴダは、仏教国ミャンマーのシンボルだ。敬虔(けいけん)な仏教徒であるミャンマー国民に敬意を払う一方で、米国がミャンマーに戻ってきたことをアピールする演出だった。
しかし、ミャンマー側の長官への歓迎ぶりは、「熱烈」とはいいがたい印象を与えた。
11月30日、ネピドー空港に到着した長官を出迎えたのは格下のミョウミン副外相。長官の車列が走行した大通りにも米国旗はなかった。大統領は長官との会談で「ようこそ、歴史的な旅へ」と語りかけた。ミャンマー側が国際社会への復帰第一歩となる長官の訪問を望んでいたのは間違いないが、抑制した対応ぶりは、長年の盟友・中国への配慮だった。
米政府は今回の訪問の狙いを「ミャンマー指導部の改革機運を捉えて民主化を促進するため」(オバマ大統領)と説明する。米中の「覇権争い」を問われた米国務省のトナー副報道官は11月29日、「訪問は対中関係とは関係ない」と述べ、中国を刺激する表現は避けた。
だが、オバマ政権のアジア外交の軌跡を追うと、今回の訪問が、中国を取り囲む形で「民主主義」と「軍事的プレゼンス」を確立する戦略の一環であることが鮮明になる。
オバマ氏は政権発足10カ月後の中国訪問(09年11月)で、台湾の地位やチベット問題で中国の立場に理解を示した。だが、対中融和的な姿勢に米国内の保守派が反発。中国の軍事的台頭を懸念するアジア各国でも警戒心が高まり、すぐに軌道修正を迫られた。
10年1月、台湾への総額64億ドルの武器売却を決定。南シナ海からインド洋へのシーレーン(海上交通路)防衛を念頭に、10年11月の訪印で、インドの国連安保理常任理事国入りを支持するなど戦略的関係強化を打ち出した。8月にはバイデン副大統領がモンゴルを訪れ、経済支援拡充を約束。オバマ氏は「アジア太平洋最優先」を打ち出した11月の豪州訪問では米海兵隊駐留を決め、シーレーン防衛への決意を明示。米軍とフィリピン、ベトナム各軍との合同演習も定着させている。
一方、半世紀を超えた軍事支配で国際社会から孤立したミャンマーを開発面などで支えてきた中国だが、公式には今回の訪問を「歓迎する」としている。中国外務省の洪磊(こうらい)副報道局長は「関係国は制裁を解除し、ミャンマーの安定と発展を促進させるべきだ」と主張し、米欧などに制裁解除を求めるミャンマー側に理解を示した。
しかし、中国の周辺国に米国が関与を強めていることへの警戒論は強まっている。人民日報傘下の国際問題情報紙「環球時報」は11月30日の社説で「ミャンマーの対外開放は歓迎するが、中国の利益に対する具体的な侵害には断固反対する」とけん制した。
中国政府関係者は「米国との関係強化が中国との関係悪化につながるわけではないことは他の周辺国の例でも分かる。問題はミャンマーが今後、中国とどのように向き合うかだ」とクギを刺した。
テインセイン大統領は9月、軍事政権当時に契約が結ばれた北部カチン州での中国との共同事業のダム建設工事の中断を発表。「中国に反旗を翻した」と驚きが広がった。地下資源に恵まれるミャンマーはインドシナ地域最大の成長可能性を持つ。しかし、中国に頼り切った国造りが続いた結果、東南アジアで最も貧しい、いびつな形の国が出来上がった。
「中国一辺倒であることに、テインセイン政権は居心地の悪さを感じている」。西側外交筋が言った。一方で、米国に依存し、国境付近で少数民族問題を抱えながら、隣国・中国との関係を悪化させるのは得策ではないとの現実認識もある。ミャンマー軍のミンアウンフライン最高司令官が11月28日、中国の次期最高指導者に内定している習近平国家副主席と北京で会談、「両国・両軍の関係を新たな水準に」と表明したのはその表れだった。
「中国と米国、どちらかを切ってどちらかと手を結ぶという話ではない」。地元経済誌のベテラン編集長が政府の思いを代弁した。
毎日新聞 2011年12月2日 東京朝刊
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