創価学会・顕正会破折

このディレクトリでは、主に教義的な破折をします。
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創価学会破折

創価学会の誤り

宗教法人創価学会は、かつて日蓮正宗の信徒団体でした。
日蓮正宗の信心は、着実に信徒の幸福を増進していて、万人にとって大いに魅力あるものであったため、創価学会第3代会長だった池田大作氏は、日蓮正宗全体を支配しようと野心を抱きました。
それが正しいもの、世のため人のためになるものならまだ良かったのでしょうが、創価学会は日蓮大聖人から脈々と続く日蓮正宗の伝統教義を”破壊”する方向に傾き、ついには信徒団体としての資格を剥奪されてしまいます。

野望を打ち砕かれ怒りに燃えた池田大作氏は、犯罪行為をも辞さない卑劣な方法で、日蓮正宗への攻撃を繰り返します。
それだけでも許しがたいことですが、創価学会・池田大作氏の”犯罪”の最たるものは、魔のすみか「ニセ本尊」の製造販売です。
この「ニセ本尊」こそ災厄の大因とされており、妄執、欺瞞に満ちた創価学会の邪教義を破すことは、「現代の至上命題」と言っても過言ではありません。

特筆すべきは、ほとんどの会員(信者)さんは真相を知らず、うその情報に騙されて日々”不幸の因”を積まされてしまっていることです。

創価学会のニセ本尊・・・学会が言うような「日寛上人の御本尊」などではありません。日寛上人の御本尊を何箇所も改変したもので、本尊に似せた「偽札本尊(戸田会長指導)」です。
◆日蓮大聖人「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し(木絵二像開眼の事)」。
◆戸田会長「御法主上人だけが、御本尊様をしたためることができる方なのです(戸田城聖全集第2巻37p)」。
◆池田大作氏「御本尊に関しては、厳密にいうと、唯授一人と申しまして、ただ一人にしかわからぬことなのです(人間革命第7巻112p)」。
「本尊までもみずから書写して信者に与えるという、とんでもないところまでいってしまった。(中略)岡田一哲の父は胃穿孔で悶死した(人間革命第10巻245p)」。

血脈否定・・・「代々の聖人悉く日蓮と申す意なり」との御金言にあるとおり、代々の御法主上人猊下を大聖人と拝すべきことは明白であります。それを否定する以上、日蓮大聖人が数百年で無効になるようなことをおっしゃったことになります。
◆御書「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(百六箇抄」。
◆池田大作氏「それは御法主上人猊下様は遣使環告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです(巻頭言・講義集第3巻184p)」。

大聖人直結??・・・これは日興上人を嫌った五老僧が言いだした大邪義です。それをまねるつもりでしょうか。
◆日興上人「さては御し(師)はたれ(誰)にて、御わたり候けるぞ、たれ(誰)より、さうでん(相伝)したりとも候はす。かうしう(講衆)は、しでし(師弟子)、ぞんぢ(存知)せぬと申され候(中略)じこんいご(自今以後)は、し(師)をさだ(定)めて、かうしう(講衆)にも、一とうせられ候べし。このほうもん(法門)はしでし(師弟子)を、たゞして、ほとけ(仏)になるほうもん(法門)にて候なり(中略)なをなをこのほうもん(法門)は、しでし(師弟子)をたゞしてほとけ(仏)になり候。しでし(師弟子)だにもちが(違)い候へば、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまいらせて候へども、むげんぢごく(無間地獄)にお(堕)ち候也(佐渡国法華講衆御返事)」。
◆池田大作氏「日興上人と対等であるという傲りであり、嫉妬であり、保身に堕した卑しい感情であった。日亨上人は、反逆の徒は常に、こうした感情を言葉たくみに正当化していくものであると御教示されているわけである(広布と人生を語る第10巻80p)」。

顕正会(冨士大石寺顕正会)破折

顕正会の誤り

創価学会と並ぶ「現代の一凶」の一分が顕正会です。
創価学会とは似て非なる部分も多いのですが、教祖・浅井昭衛氏が、その慢心から正統の仏様の教えが見えなくなり、日蓮正宗を憎むようになったことは創価学会と共通しています。

顕正会の信者さんが虚偽の情報に誑かされている現状も創価学会と同じです。

創価学会よりも規模が小さいため世の中に悪影響を与える度合いは小さいようにも思えますが、顕正会の邪義に騙される会員さんやその家族が、不幸になっていくことに変わりはありません。

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