不妊去勢の問題点・その５ 「心の理由」
残念ながら１００％完璧な手術というのは存在せず、ごく少数の動物は手術の事故で命をおとしているのも事実である。
手術の事故率の問題については、「不妊去勢の問題点･その１」をご参照ください。
正しいインフォームド･コンセント
治療・薬の投与をしない場合の生残率：○○％
Aの治療法・薬を選択した場合の生残率：○○％
Bの治療法・薬を選択した場合の生残率：○○％
その他、コスト、予後、副作用、QOL、諸々の情報。
すべてそろって初めて比較の意味があります。
さらに、不妊去勢の場合は、既に発症してしまっている通常の病気の治療ではなく、そもそも健康な体にメスを入れるのですから、発症率×発症した場合の死亡率になるわけですが。
子宮蓄膿症でいえば、０．５％×０．６％で０．００３％が手術による死亡率と比較対照可能な数字ということになります。高齢時の死亡率との比較をしたければ、かなり煩雑になりますが、手術時の年齢からの平均余命に換算する必要があります。その数字をきちんと提示して、初めて不妊去勢のメリットとデメリットのどちらが高いか、正確に検証することが可能になるのです。
残念ながら、西山氏らはそれを示そうとはしていません。
もし、獣医師が真に信頼を勝ち得たいのであれば、自身の病院の手術における事故率（死亡以外の後遺症・体質上の変化等の詳細なデータを含む）「いくつの健康な命を奪ったか」を、詳細に、正直に提示すべきです。
そして、自身の意見を一切押し付けずに、必ず患畜の親の責任において決めさせるべきことです。
もちろん、すべての病院でやるべきですが。
「どの獣医が信頼できるかは患者（親）が見極めろ」というのは、あまりにも無責任な話です。
「死んだ責任は親にあります」ということにできれば、殺した獣医には都合がいいでしょうが。
人柄とスキルは無関係。実際には、それで判断してしまう人が多いでしょうが。
本来であれば、開業資格を与える免許こそがその指標であるべきで、十分なスキルを持った優秀な人材のみに支給されるスキームが必要なのです。
ペーパー獣医が横行する現状では、とうてい望むべくもありませんが。
親にとっては、自分の子供の手術からの「帰還率」さえ気にすればいいかもしれません。
しかし、成功率の高い優秀な獣医は、最初からいるわけではありません。
技術の習熟度を上げるには豊富な臨床経験が欠かせません。
言い換えれば、その影でたくさんの命が犠牲になっているということです。
社会全体で手術を推進するか否かを問うている時に、「優秀な病院にかかればいい」というのはまったく答えになっていません。
全国の動物病院における不妊手術の成功率・事故率の正確な情報こそが提供されるべきです。
結論からいえば、外科手術は、あくまでも「手術をしなければ助かる見込みがない」という危急の場合の選択のみに留めるべきなのです。
健康な体にメスを入れた結果、死亡したということは、文字通り「殺された」ということです。
「麻酔して苦痛はなかったんだから別にかまわないだろう」というのでしょうか？
これはいかにも米国人らしい考え方ですが。
自分が子供が殺されても、そんなリクツで受け入れろというのでしょうか？
不妊手術は確かに自然ではない。
しかし、犬をペットとして飼う限り、その犬の健康と幸せを維持する義務がある。不妊手術は犬の幸せのために行われているものである。不自然だからかわいそうだから、と思うのは人間の方であり、そもそも野生動物をペット化してしまったのが、不自然の始まりであろう。
もはや屁理屈、難癖以外の何物でもありませんね。
「どうせ不自然なところはあるのだから、不自然を極めようぜ」といいたいのでしょうか。
「維持するべき幸せ」とは何かが問われているのに。
「本当に犬の幸せのために行われているのか」が問われているのに。
「セックスできないのはかわいそうだから去勢してしまえ」と勝手に思っているのは人間の方なのに。
とてつもない人間の奢り、傲慢、思い上がり。
命を生み出したのは自然です。
人間ではありません。
犬や猫は、人間の力で生み出されたわけではありません。
品種改良は、自然の仕組みをそのまま借用し、捻じ曲げただけです。
人間は浅はかです。
そんな人間に、自然を、命を、管理し制御することなど、出来た試しはありません。これからもできるはずはありません。
その証拠が、蔓延する遺伝病であり、いつまでたっても減らない殺処分数そのものにほかなりません。
そもそも、子宮や精巣はガン組織でも病巣でもない、健康な個体が生まれながらにして当たり前に持っている重要な臓器であり、子宮や精巣を持つこと＝「病気」なわけでさえないのです。
なおかつ、必ずしも数字の大小だけでは判断できないこともあります。
「心・気持ち」の問題です。
放射線を例にとりましょう。
・自然放射線（あるいはその他の自然要因）が原因で、癌になってしまった
・癌を予防するための医療放射線が原因で、癌になってしまった
・原発事故で放出された放射線が原因で、癌になってしまった
あなたはこの３つを、まったく同じことだ、と受け止められますか？
「仕方がない」あるいは「許せない」という受け止め方の差はありますか？
そうした違いがあること自体不合理だ、と冷静に捉えますか？？
・（自然な）病気が原因で（治療はしたものの）、こどもが死んでしまった
・病気を治すためにやむなく行った手術が原因で、こどもが死んでしまった
・健康な身体にメスを入れる手術が原因で、こどもが死んでしまった
この３つに何の違いもないと、あなたは自分を納得させることができますか？
または、麻酔で意識がない間に死んだのだからノープロブレムだ、病気で苦しんで死ぬよりはマシだ、と自分を慰められますか？？
家族の命の重さを判断する物差しは、苦痛の有無「だけ」なのでしょうか？
その価値観は、他人に、あるいは社会に押し付けられることなのでしょうか？
人間と、人間以外の犬や猫とで、この問いに対する答えはまったく違いますか？
違うという方へ。あなたは本当に、家族として、同じ命として、向き合ってきましたか？
苦痛よりも、死よりも、愛を選び、戦い抜いた、そういうこどもたちが実在したことを、あなたは理解できますか？
米国人が、違和感なく西山氏のような考え方を受け入れている理由は、科学的に構築された動物福祉理論が普及しているから、ではありません。
背景となる動物観がまったく異なっているからです。
米国人にとって、犬や猫などの動物は、人間とは「まったく別のもの」です。
ヒトが犬や猫と近縁の脊索動物門哺乳綱に属する一つの種にすぎない、すなわち「動物という意味ではまったく同じだ」という科学的事実を教わらず、非科学的な迷信を頭から信じ込んでいる人が、相当な数に上るからです。
「地球が７千年前に神の手で作られた」などと本気で信じている人間がなんと１億人以上もいる、そういう狂った国なのです。
人間は神に創られた存在である。
そして、犬や猫たちのような動物は、神から伴侶として神の子である人間に与えられた存在である、と。
要するに、神様がくれた玩具。ただの慰み物という認識なのですね。
だから保護する責任があるのだ、と。
しばしば用いられる「契約」「責任」という言葉は、すべて神に対するそれであって、当の動物たちとの間のそれではないのです。
命の重さが同じだなどとは、これっぽっちも思っていないのです。
たった一つの、かけがえのない、失われたら二度と取り返しのつかない命だとは、微塵も考えないのです。
苦痛やストレスの定量化にしか関心がなく、命の犠牲そのものを減らす気がまるでない米国。
日本では、たとえ大病を患ったり事故などで重い障害を背負っても、「家族として一緒に生き抜こう」「天寿をまっとうさせたい」と、大きな負担を背負いつつ老・病犬猫の介護を続ける保護者が少なくないのに対し、米国では、年を取った、病気になった、その他あまりにも些細な理由で、いとも簡単に安楽死を選ぶ傾向があります。西山氏も解説しているとおり。
だから、年間５００万、６００万頭（西山氏の以前の解説には９００万という数字もありますが……）という、すさまじい大量の犬猫が安楽死されているのです。殺されているのです。
つまり、炭酸ガス殺処分という蛮行さえ行っていなければ、命を粗末にしないという点では日本の方がまだはるかにマシなはずなのです。
日本がそこまで堕落したのは、素晴らしい伝統を自らホッポリ出して、米国・西洋の悪いところばかりをせっせと取り入れたせいだ、ともいえますが……
何より、米国人は、ヒトの妊娠中絶反対には頑強にこだわり、「避妊もするな」という声すら少なくありません。
西山氏は、米国は女性差別がないから渡米したといっていますが、女性のリプロダクティブヘルツなどどこ吹く風、です。
健康な犬猫の不妊去勢には何の抵抗感も示さないのに。
命の重さが同じだと考えていたなら、絶対にあり得ないことです。
あまりにも、あまりにも大きすぎる矛盾です。
そして、米国人の悪い癖が、「グローバル・スタンダードを発信するのは常に米国であるべきだ」という思いあがりです。
欧米の傲慢な価値観の押し付けを、本来の生命観・動物観を失い宙ぶらりんになってしまった愚かな日本人の一部がそっくり真に受け、輸入して敷衍させようとしているのです。