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【土曜訪問】

『十字軍物語』が完結 共生模索した男たち 塩野七生さん(作家)

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 作家塩野七生(ななみ)さん(74)の『十字軍物語3』(新潮社)が、九日に刊行される。昨年七月の『絵で見る十字軍物語』に始まる四部作の完結編。「とにかく面白いチャンバラを書こうと思ったが、調べているうちにそれだけでは収まらなくなった」という十字軍通史は、現代につながる二大宗教の対立の歴史を、その原点から考えさせる。

「これまで欧米で書かれたいかなる十字軍の歴史とも違います。この点だけは自信を持っています。私はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、ある種の客観的な歴史が書けたのではないか。これは戦闘と戦闘の間に生きた人たち、敵味方双方から試みられた共生の物語です」

 十字軍は十一世紀から十三世紀にかけ、イスラムに支配されていた聖地エルサレムの奪還を掲げ、ヨーロッパ・カトリック諸国が八回にわたって中近東に攻め込んだ遠征軍を指す。キリスト教側の侵略的要素が強かった。

 主導したローマ法王庁は「神が望んでおられる」と民衆をあおり、参加すれば犯した罪が許された。イスラム圏が米国のイラク攻撃などを「十字軍の再来」と非難するように、その傷跡は現代にも生々しく残る。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は二〇〇〇年、十字軍の過ちを認め、謝罪した。

「自分が言っていることだけが正しいと思い込むと、必ず災害をもたらす。善意ぐらい悪をもたらすものはないと思います。悪だと手加減するんですが、善は楽しいと思っちゃっているから全然手加減しない」

 多神教時代の古代ローマに見られた寛容さは、中世では既に姿を消している。十字軍は街を占拠するたびに、異教徒の皆殺しを繰り返す。イスラム側も同じことをやりかえす。「異教徒は悪魔だ」とする一神教の狂信的な恐ろしさが、これでもかとばかりに描かれる。

 それでも、両者の間にあったのは憎しみと対立だけではなかった。エルサレムでは、異教徒同士の共生が自然な形で実現していた。指揮官クラスの間では、戦闘を回避する粘り強い講和交渉が続けられた。

 とりわけ塩野さんが「サッカーで言うとチャンピオンズリーグのトップの連中が出てくる」と言う最新の第三巻では、魅力あふれるリーダーたちが活躍する。

 例えば「第三次十字軍」で対決したサラディンとイギリス国王・リチャード。この両者が結んだ講和はその後、聖地に二十六年間の平和をもたらした。「第六次」に参加した神聖ローマ帝国皇帝・フリードリッヒは、異教徒尊重と共生への思いから、イスラム側との講和に力を尽くす。

「出てくる男はみんな好きです。私は男に対しても多神教的なのよ。どんな英雄も召し使いの目から見ればただの人と言われますよね。それはただの人でしかない召し使いから見るからです。私はただの人ですから、自分に引き寄せることは絶対にしない。自分がそちら側に行って書く。読者にも一緒に行ってほしい」

 十万人ほどの人口しかないヴェネツィア共和国が、十字軍時代を通じ、緻密な情報立国戦略で「経済大国」に成長する軌跡も印象的だ。「日本の参考になると思います。ヴェネツィアはあの時代に安保理があったら、必ず常任理事国の席を確保するでしょう。ナンバー3でも4でもいいから強国であった方がいい。弱小と思われたら最後です」

 一九七〇年からイタリアに在住し、年に二度ほど帰国する。『ローマ人の物語』でローマ帝国の興亡を十五年間かけて書き上げた後、帝国崩壊後の中世に光を当てる仕事に力を入れている。執筆中は原稿に集中するため、担当編集者にも電話をかけさせない。

「孤独ではありません。男たちをどう配置してどう出番をつくるか考える。大変ですよあなた」。書く前は「白紙」になる。「今までのことは一切捨ててこの人間と向き合う。あらゆる史料が泳いでいるわけだから、偏見を持つと吸い付く物が限られる。偏見を持たない私のような者には、たいていの物がくっついてくる。そこに『私』はいない。私の人生も投影されない。他の時に自分であることを十分やっていれば、全然できますよ」

 来年一年間は、新たな「いい男」を書くための勉強にあてるという。「日本の体制に従って生きていられれば人生は楽だったと思うんですが、いまだに私は時々孤立無援の感じがします。人生をはかなんで、解決法はすてきな男を見つけること。それを書こうとしていると何やら忘れる。私の師匠は、私が書いた男たちです」 (石井敬)

 

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