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米露スパイ交換の裏に「イラン」

2010年9月号 連載 [手嶋龍一式INTELLIGENCE 第53回]
by 手嶋龍一(外交ジャーナリスト)

アメリカ政府に捕らえられた10人のなかで、ロシア側が何としても取り戻したかったのは誰だったのだろう。ロシアの諜報網に詳しい「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏は、「美人すぎるスパイ」などではないと断言する。欧米のメディアを賑わせたアンナ・チャップマンなど「かませ犬」にすぎないという。ゴージャスな姿態をサイトに公開していた彼女は、大物スパイをカモフラージュする道具でしかなかった。米露の情報当局は、暗黙の了解のもとで、メディアを巧みに誘導し、手打ちを図ったのだろう。

佐藤優氏は、リチャード・マーフィーとシンシア・マーフィーの夫妻こそ本命だと指摘する。マーフィー夫妻は、アメリカの有力シンクタンクにも深く浸透して情報ネットワークを築きあげ、アメリカ政府の対イラン政策を探っていた。イランが核兵器の開発を終えたと判断した時、オバマ政権は果たしてどんな対応をとるのか。マーフィー夫妻こそアメリカの意図を知りたいクレムリンの触角の役割を果たしていた。今回の逮捕劇には、緊迫するイランの核問題が影を落としていたのだ。ふたつの出来事を貫くキーワードは「イランの核」だった。

「外の視線に晒したくない情報源が絡んでいない限り、冷戦期のようにスパイ交換などに双方が応じるはずがない。アメリカ政府はイランの核を巡って手の内が判ってしまう事態を何としても避けたかったのだ」

ポトマック・ランディングで会った人物も、こう述べて佐藤優氏の見立てを裏書きしている。

アメリカのインテリジェンス機関はいま、持てる力の全てを注いでイランの核疑惑を追いつつある。韓国の哨戒艦撃沈事件が北朝鮮による魚雷攻撃だと判っても、オバマ政権が強い姿勢をとれないのは、イランの核問題がいつ火を噴くのか予断を許さないからだ。イランの核兵器保有が刻一刻と迫るなか、中東全域に「イスラムの核」の連鎖が広がる恐れが現実になりつつある。サウジアラビアは従来からパキスタンに膨大な資金を提供して核関連の技術を蓄積している。エジプトやアラブ首長国連邦もやがて「イスラムの核」に手を伸ばすかもしれない。

アメリカ政府は「イスラムの核」の連鎖を断ち切るため、イランに対して外科手術的な空爆を敢行する選択肢を排除していない。イスラエル空軍がかつてシリアの秘密核工場を空爆したように、イスラエルのイラン攻撃を黙認するシナリオも無視できまい。最悪の事態は常に起こり得ると想定しておくべきだろう。

「ブッシュのアメリカ」はイラクへの武力介入のゆえに、北朝鮮とは対話によって核問題を解決するほかに策を持たなかった。「オバマのアメリカ」もイラン情勢の緊迫化のゆえに、東アジアでのプレゼンスを低下させている。菅民主党政権は、こうした情勢を知ってか知らぬか、党内抗争に明け暮れたまま、日本の外交・安全保障戦略を日々劣化させている。

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著者プロフィール

手嶋龍一

手嶋龍一
(てしま・りゅういち)

外交ジャーナリスト

NHK政治部記者を経てワシントン特派員、ドイツ・ボン支局長。ハーバード大学国際問題研究所フェロー。1997年から8年間ワシントン支局長を務め、2005年独立。