バブル崩壊後バブル崩壊後

バブル崩壊後、日本は「失われた10年」と呼ばれる時代になりました。バブル崩壊によって、日本は経済システムの見直しが迫られるようになりました。日本の経済システムやこれからの課題についてお話しします。

これまでの日本の金融システム

競争制限的規制

銀行間の競争を制限するもので、銀行が保険業務や証券の業務を行うことは禁止されていました。相互銀行や信用金庫、信用組合など、業務分野規制によって専門機関が設けられた。このことによって、競争相手がいなくなり、利潤が保証されていました。

バランスシート規制・健全経営規制

大口融資規制といって1人の人に集中して貸すのではなく、多くの人に貸すことでリスクを分散する規制です。そして不良債権が発生しても銀行がつぶれないように充分な資金を持つ、自己資本規制があります。
これらの規制によって、銀行のリスクを回避してきました。

日本の金融システムの特殊性とは?

では、日本の金融システムは何が特殊だったのでしょうか。それは、この厳しい規制による安定した金融システムにありました。普通の企業なら、同業種間でチェックを行います。しかし銀行は競争もチェックも必要なかったため、銀行の経営に対する社会のチェックが機能しておらず、問題の先送りをして事態をさらに悪化させることになったのです。では、誰が銀行のチェックを行ってきたのでしょうか?保険会社など日本の銀行の株主は発言・売却・チェックということをしてきませんでしたし、銀行監督の責任者である大蔵省は天下りによって既存の枠組みを維持したがる体質になってしまったのです。

金融機関の破綻

そしてバブル崩壊の影響により、北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行など、多くの金融機関が破綻しました。これによって日本の金融システムの欠落していることが浮き彫りになったのです。

破綻した金融機関

1995年 兵庫銀行
1996年 太平洋銀行、阪和銀行
1997年 日産生命保険、小川証券、京都共栄銀行、越後証券、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、徳陽シティ銀行、丸荘証券
1998年 不二証券、松彦証券、みどり銀行、福徳銀行、なにわ銀行、中村証券、日新証券、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行
1999年 国民銀行、幸福銀行、東京相和銀行、東邦生命、新潟中央銀行
2000年 第一火災会場保険、第百生命、ライフ
2001年 東京生命、大成火災会場保険、石川銀行
2002年 中部銀行
2003年 足利銀行

…などなど。

メインバンクの喪失によって

メインバンク(取引している銀行)の破綻により、影響を受けた企業も少なくありません。銀行からの融資を得られず、破綻する企業もありました。日本長期信用銀行を再生するにあたり、取引のあったそごうやライフなどの企業が破綻に追い込まれることになりました。

倒産した企業

1997年 日東興業
2000年 そごう
2001年 マイカル
2004年 ダイエー

…などなど。

株式会社産業再生機構

株式会社産業再生機構とは、2003年に設立された特殊会社で銀行や会社の立て直しのために設立されました。支援が決まった場合は、不良債権の一部を3年という期限つきで買い取ります。不良債権の少なくなった会社や銀行は、メインバンクと協力しあって経営を立て直します。5年後の2008年に解散する予定でしたが支援が早く進んだため、1年早い2007年3月に解散しました。

会社が相談する→再生機構が支援の申し込み→支援するかどうかを決める→債権を買い取る→再生計画を実行→うまくいった場合借金を返し、うまくいかない場合は税金が使われます。

雇用削減

これまで日本では、1度就職してしまえば安泰という終身雇用制の考えがありました。しかしバブルが崩壊し、必要な人材を必要な期間だけ雇用するアメリカの考えが導入されるようになりました。その考えにより、多くの企業で人件費削減のため、リストラによる正社員の解雇・パートやアルバイトの雇用が行われました。残った正社員はサービス残業が強いられるようになり、労働は過酷なものとなったのです。

リストラ

人員整理という意味を持ちますが、当時は経営者側の後ろめたさから英語でリストラ、という言葉が使われていました。最近では日本語で「組織再構築」や「組織の建て直し」という使われ方をしています。

失業率

失業の理由には、自分の意思で失業したり、季節に左右される職業であったりという理由がありますが、景気による失業率の増加もあります。その背景にはリストラだけではなく、不用意に採用をしない、人員構成のバランスを重んじるなど慎重な雇用や、不況の長期化による働く意欲の喪失なども原因になっています。

フリーター

かつてフリーターとは、若者が自由を求めたり、目標に向かうための一時的なものとして捉えられていました。しかし、バブル崩壊を向かえ、パート・アルバイトの採用が増加し、正社員の雇用はとても少なくなりました。正社員になるのは大変なことという意識が蔓延していたように思います。

失われた10年

1990年代は失われた10年といわれています。1998年末には1.200兆円の損失になっていました。どのような政策を行ってきたのでしょうか。

ゼロ金利政策

1999年2月から、金利をゼロにしてデフレ危機脱出を試みる政策が採用されました。金利をゼロにすることで、消費者を貯蓄から消費へ向かわせようというものです。3月には普通預金の金利が0.04%、無担保コール翌日物金利は実質0%になりました。無担保コール翌日物金利とは、銀行同士がお金の貸し借りを行うコール市場(金融市場)で適用される金利のことをいいます。

量的緩和政策

2000年8月にゼロ金利政策を解除したのですが、わずか半年後の2001年3月にゼロ金利政策を戻さなくてはならなくなりました。量的緩和政策を採用することになりました。銀行が日銀に預けている預金残高を増やすことを目的とした政策で、経済活動を活発にさせることでお金の流れを作り、デフレを食い止めようというものでした。2001年には4兆円だった残高を5兆円に増やし、現在も7兆〜12兆円を維持しています。

日本の課題

現在日本では、2005年時点で538.4兆円の国債、国と地方の債務は774兆円をかかえています。日本は国際的に求められているものを生産していくことで、経済の発展につながるのではないか、と考えられています。

社会的責任投資

社会的責任投資(SRI:Socially responsible investment)とは、企業の経済状況以外の社会的価値観に基づいて投資を行おうという考えをいいます。1920年代に、アメリカが資産運用先としてそぐわないと判断した企業を、対象からはずしたことが始まりでした。ですから、企業はこれから福祉・地域・環境など社会的な活動によって評価されるようになります。このことによって、ODA(政府開発援助)などを組み込んで、発展途上国へ販売することもできます。社会的責任投資をすることは、財務面だけでなく論理感からも評価されるため、安全性が高いといわれているだけでなく、通常の投資信託よりも運用成績が良いといわれています。日本では2006年時点で約2.370億円の資産が運用されています。これからは高齢者問題などにより、社会的責任は増えていくと予想されています。

バブルから何を学ぶのか

100年に1度はどこかの国でバブルが起こっているといわれています。しかし、日本の1980年代後半のバブルやITバブル、住宅バブルなどその頻度は近年高くなっているように思えます。私たちはブームになるものは、必ずいつかは過ぎ去るということを、このバブル時代から学ばなければなりません。失われた10年を越えて、これから私たちは世界の国々と助け合うことや経済の勉強を続けていくことが求められているんですね。

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