1980年代後半に日本で起こったバブルは、記憶に新しい出来事です。バブルは日本だけではなく、世界各地で見られる近代の現象なんです。そもそもバブル経済というのはどのようなことをさすのでしょうか。ここではバブル経済のしくみについて、お話ししたいと思います。
バブル経済とは?
バブルとは、その名のとおり泡のように実体のないもの、中身のないものを意味します。バブル経済(bubble economy)とは、不動産や株式をはじめとした資産の価格が、投機によって異常に上昇し、その上昇が魅力となって、さらなる投機を呼ぶという循環が起こっている経済状態のことをいいます。バブル経済という名前は、18世紀のイギリスで起きた南海泡沫事件から由来しました。インフレとの違いは、インフレは商品の値段が継続的に上がっていくのに対し、バブルは資産の価格がものすごく上がっていく違いがあるので、おぼえておいた方がいいです。
バブル経済のしくみ
バブル経済は、実体経済の経済成長(ファンダメンタルズ)以上に資産価格が上昇した状態であり、本来長く続くものではありません。通常、バブル経済においては、資産価格以上の上昇を背景にして、活発な投資・消費が行われ、実体経済も活性化します。しかしこれは、活性化したといっても中身がありませんので、資産価格上昇を理由づけることにはなりません。
バブルを食い止めるには?
投機や消費活動というのは、それを行う人たちの心理による影響も大きいものです。たとえば株の値段が上がれば「景気がいいのかな」と期待したり、株の値段が下がれば「景気が悪いのかも」と不安になるのです。実体経済の成長で長く続かない資産価格なので、膨らみ続けるといずれは破裂してしまいます。根拠のない資産価格上昇分はいずれ実体経済との食い違いを解消しなければなりません。食い違いを解消するには、これまで投機を支えてきた期待や神話の崩壊、政策対応(金利引き上げ)といった合理的な資産価格の低下などによって投機集中が終息し、資産価値が下落することで解消されるのです。
バブル経済の影響
もともと価格が上がるだろうという期待や予想によって形成された資産価格であるため、一度これらが崩れ、価格下落が始まると急速にバブルは崩壊へと向かいます。バブル経済は実体経済へ好景気も不景気も与えるんですね。米国発の世界恐慌や、1990年代日本の失われた10年などはその良い例でしょう。それにバブル経済は、経済面だけでなく文化面にも大きな影響を与えているのです。
バブル景気とは
バブル景気とは、1980年代後半に起こった日本のバブルによる好景気のことをいいます。一般的には1986年12月〜1991年2月までの4年3ヶ月間のことをいいます。このバブル景気は、1965年11月〜1970年4月に起こったいざなぎ景気につぐ好景気だったといわれています。しかし、この時期に行われた投機により、失われた10年という平成の不況の引き金にもなりました。ここでは、1980年代後半に起こったバブル景気がなぜ起こったのか、そのときの日本人の生活や経済感覚はどのようなものだったのかを探ってみたいと思います。
1980年代バブル経済の歴史
バブル景気のはじまり
1985年 | プラザ合意。 |
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1987年1月 | 西ドイツが公定歩合引き下げ。 |
1987年2月 | 日本が公定歩合引き下げ。 |
1987年5月 | 緊急経済対策を行う。 |
1987年9月 | アメリカ公定歩合引き上げ。 |
1987年10月19日 | ブラックマンデーが起こる。 |
1988年 | 西ドイツ公定歩合引き上げ。 |
1988年 | リクルート事件、土地基本法制定。 |
1989年5月 | 日本公定歩合引き上げ、平成景気と呼ばれる。 |
1990年 | 不動産融資規制。 |
失われた10年
1990年代〜 | 失われた10年の始まり。 |
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1991年 | 湾岸戦そうにより、石油が高騰。 |
1992年 | 政府がデフレを認める。 |
1997年 | 日銀法改正。 |
1998年末 | 地価と株価、1200兆円の損失。 |
1999年2月 | ゼロ金利政策採用。 |
バブル景気、その後
2000年8月 | ゼロ金利政策解除。 |
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2000年11月 | アメリカのITバブルにより、景気が急速に悪化。 |
2001年3月 | 再びゼロ金利政策へ。量的緩和政策採用。 |
2001年 | 銀行が日銀に預けている預金残高を4兆円から5兆円へ。 |