ニコニコ大百科
>>1604
1.「名曲」の記事で自分だけが理解できる音楽理論を延々と語る人物が現れる(のちの「めっきゃく」)
2.「名曲」の掲示板がまともに運用できないからサポートさんまで巻き込んでめっきゃくを説得。隔離記事が作られる。
3.入院などをはさみつつも、めっきゃくは自分の記事や時には「名曲」の記事に戻ってほかの人には理解できないレスを続ける。
4.それを見ていた「とりのはは」がめっきゃくの記事などで絵を書きはじめる。また、この記事などめっきゃくのための記事を作り始める他、動画や記事編集のアドバイスもしていた。さらにリアルでも会うなどしていた模様。
5.とりのははが淫夢関連の記述がある記事から淫夢ネタを消そうとする。当然反発受けて、さらにユーザ記事まで逆流。そこから淫夢の人たちがめっきゃくにもちょっかいをかけ始める。
6.大百科の要望掲示板などにも飛び火したものの、現在はめっきゃくが大百科から去ったからひと段落。
当然のことながらこの間ずっと淫夢関係ないほかのユーザからも苦言などは出されていた。
だが、聞き入られることはなかったな。
http://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%AA%E3%82%A6%E7%8E%8B%E5%9B%BD/1591-
id:ououkokuはニコニコ大百科のほうも荒らしてたようだな。
http://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%AA%E3%82%A6%E7%8E%8B%E5%9B%BD/1-
id:ououkokuと
id:torinohahaらしき書き込みが見られるが、お前らグルだろ。
1.「名曲」の記事で自分だけが理解できる音楽理論を延々と語る人物が現れる(のちの「めっきゃく」)
2.「名曲」の掲示板がまともに運用できないからサポートさんまで巻き込んでめっきゃくを説得。隔離記事が作られる。
3.入院などをはさみつつも、めっきゃくは自分の記事や時には「名曲」の記事に戻ってほかの人には理解できないレスを続ける。
4.それを見ていた「とりのはは」がめっきゃくの記事などで絵を書きはじめる。また、この記事などめっきゃくのための記事を作り始める他、動画や記事編集のアドバイスもしていた。さらにリアルでも会うなどしていた模様。
5.とりのははが淫夢関連の記述がある記事から淫夢ネタを消そうとする。当然反発受けて、さらにユーザ記事まで逆流。そこから淫夢の人たちがめっきゃくにもちょっかいをかけ始める。
6.大百科の要望掲示板などにも飛び火したものの、現在はめっきゃくが大百科から去ったからひと段落。
当然のことながらこの間ずっと淫夢関係ないほかのユーザからも苦言などは出されていた。
だが、聞き入られることはなかったな。
http://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%AA%E3%82%A6%E7%8E%8B%E5%9B%BD/1591-
http://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%AA%E3%82%A6%E7%8E%8B%E5%9B%BD/1-
‡─ワ─卜゛まにあ(い)
=====
*変な類語(?)
指標、世評、無調、霧集、霧鐘、霧氷、うひょー、あひょー、あちょー
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315458
これが「意表」というキーワードの説明になってるとお思いか。説明をお願いします。
*変な類語(?)
指標、世評、無調、霧集、霧鐘、霧氷、うひょー、あひょー、あちょー
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315458
これが「意表」というキーワードの説明になってるとお思いか。説明をお願いします。
はてなキーワード荒らし
*誤った用法かとも思われる例
=====
-「たまには質素にしないと」 (たまにしたい贅沢)
*実録【 質素問答 】要約(?)
>>
「お正月なのにいつもろくなモノがでてきません
わざわざ行くのにがっかり
今年は、お雑煮(普段のけんちん汁に
お餅が入ったモノ)とたくわん、お煮〆」
「なにか問題でも???」
<<
*類語(?)
さっと、そっと、ハット、嫉妬、フッ素
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315422
意味不明。
=====
-「たまには質素にしないと」 (たまにしたい贅沢)
*実録【 質素問答 】要約(?)
>>
「お正月なのにいつもろくなモノがでてきません
わざわざ行くのにがっかり
今年は、お雑煮(普段のけんちん汁に
お餅が入ったモノ)とたくわん、お煮〆」
「なにか問題でも???」
<<
*類語(?)
さっと、そっと、ハット、嫉妬、フッ素
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315422
意味不明。
はてなキーワード荒らし
せめて改行くらいしてまともに読める文章書いたらどうでしょう。このような意味不明な文章を垂れ流してるオウ王国オウが、まじめな議論をしようとしていないのは明らかですな。
はてなキーワード荒らし
わからん。説明になってない。
*編集ノート
-ネト猿(2011年11月27日現在)には、豊臣秀吉や谷崎潤一郎に愛された旨、また満月城火災に関して触れられているようであるが、田中邦衛が愛したと書いてあるだろうか(谷崎とどちらが有名人、或いは有名文化人かという問題になるかもしれないが)、他方では温泉としての盛衰・復興を語るに“神戸地震”の影響を避けて通れるかという話でないか
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315421
こんな意味不明な文章を残すほうがおかしいです。
*編集ノート
-ネト猿(2011年11月27日現在)には、豊臣秀吉や谷崎潤一郎に愛された旨、また満月城火災に関して触れられているようであるが、田中邦衛が愛したと書いてあるだろうか(谷崎とどちらが有名人、或いは有名文化人かという問題になるかもしれないが)、他方では温泉としての盛衰・復興を語るに“神戸地震”の影響を避けて通れるかという話でないか
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315421
こんな意味不明な文章を残すほうがおかしいです。
はてなキーワード荒らし
*誤った用法と思われる例
=====
-「たまには質素にしないと」 (たまにしたい贅沢)
-「質素は歯に良い」 (フッ素)
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1313665
質素@20111127001538
=====
-「たまには質素にしないと」 (たまにしたい贅沢)
-「質素は歯に良い」 (フッ素)
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1313665
質素@20111127001538
はてなキーワード荒らし
-ネト猿(2011年11月27日現在)には、豊臣秀吉や谷崎潤一郎に愛された旨、また満月城火災に関して触れられているようであるが、田中邦衛が愛したと書いてあるだろうか(谷崎とどちらが有名人、或いは有名文化人かという問題になるかもしれないが)、他方では温泉としての盛衰・復興を語るに“神戸地震”の影響を避けて通れるかという話でないか
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1313684
有馬温泉@20111127032141
意味不明。
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1313684
有馬温泉@20111127032141
意味不明。
‡─ワ─卜゛
一通り読みましたが、ああ、これはひどい。
例の編集者を、今までの編集状況を併せて、まとめて通報したいのですが、フォームはどこにありますか。はてなキーワードの編集画面には、削除申請フォームのみが設けられているみたいですので。
例の編集者を、今までの編集状況を併せて、まとめて通報したいのですが、フォームはどこにありますか。はてなキーワードの編集画面には、削除申請フォームのみが設けられているみたいですので。
id:miMizuku-san
例のはてなキーワード編集者は、話が通じる相手ではないから、さっさと通報して葬った方がよろしい、ということですかね。
はてなキーワード荒らし
<!--
項目作成者からです、各種の編集を(本旨を変えない範囲で)大いに歓迎いたします(よき編集等で、お世話になっております)‥‥
(※)持病の精神障碍との関係で、内容と余り関係の無い部分で特定の表記・表現を避ける傾向の場合が有ろうかと思います、お手数ながら少なくとも個性的な記述スタイルの問題に関しましては当方の自主的修正は御容赦くださいませ‥‥??
-->
(広義に、ジャンルを問わずで)
著しく優れた曲、非常によく知られた曲、愛され続ける曲、長く人気を誇る曲、伝え継がれる曲、世代を超えて記憶に残る曲、時代を代表・象徴する曲、名高い曲、別格の権威ある曲、教科書の曲、殿堂入りの曲、広く定評の有る曲、質・完成度が特段に高い曲、完璧な楽曲、の類
類語‥‥定番曲、大ヒット曲、神曲、スタンダード
=====
*込み入った問題
狭義に名曲を捉える参考として(初歩としては)以下を名曲学上の仮定として挙げるも、但し此れは其の其其が事実であって注意を要すると言えるかも知れない事項である
**絶対評価
名曲は其れとして他の曲との比較に晒されることが間間あろうが、或る場に於いて(既存・独自の曲の)良し悪しを何らかに審査する上で首位であることが多かろうとも、必ずしも上位に(下位にも)名曲が含まれていないことがありえ、わけても名曲が存在しても其れが審査の趣旨や方式からして序列の一番とは限らず、また逆に比較対照の対象グループのうちの複数が名曲でありえもする筈なのである
**自体性
したがって「相対上位」の曲と、後述の人気曲とに対し、“隠れた名曲”という言い方が成り立つ筈なのである
**分節性
名曲を(複数)含む大曲全体が(名曲を含むだけのことで)名曲に該当、相当するとは限らず、その名曲の部分のみを指して名曲と呼ぶ場合がありうる〔此の点、つまり分節と連続の問題は、後述される名曲の名曲たる(それ自体としての)“連続性”に大きく関わる(核心直結)と思われる〕
**名曲配置
したがって“厳選せずに”組曲やメドレー等にした場合、名曲とそれ以外が混在しえ、然も出来の違う部分が対等の価値で並んでしまう事態が生じうる、ならば曲の標題性や下地となる物語とは別に、名曲として出来てしまった部分曲をどこに配置する(要は、別の曲を例えば演奏会のプログラムに組むのでなく、ワンセットの作品として出版‐確定的に既に作曲者に指定されているひと続きの演奏順序を組み替えるなどする)と演奏(再生)効果があがるかと謂う格別の問題が生じてくる‥‥これに対応する操作を名曲配置というが、作曲意図を逸脱した結果論であるとすると、この点に就いては“商業的ご都合主義的柔軟性”(所謂アルバム構成であるとかリリース時期の調整)を持ちえない様なアカデミズム系からは蔑ろにされてきた問題、と謂うことではあるまいか
**概念の純粋性
名曲と称する場合には「名詩・名演奏・名演技・名アレンジ・名録音・名エフェクトや、舞台美術・同期映像、エディトリアル系(アルバムジャケット・パッケージデザイン)」などとは、(それらと密接な関係が有ったり、同時的・総合的であったとしても)切り離して考えるのが本来(妥当)であろうし、とは言え‥‥もし曲の記録(楽譜など)に演奏条件として詞やパフォーマンスが含まれていない場合には分けて考えるのが望ましくとも唯、広義に名曲は歌詞やアレンジとセットであることが多い(その場合でも曲であることの上位判断に於いて総合作品として名曲を捉える場合には呼び名は「名作」等が適当)であろう
**分離性
演奏するに当たり、何らかの「偶然的要素」や「即興の結果」を、演奏込みで“作品”(の一部)とする意図の場合に、従来的に作曲と呼べる部分は其の演奏や環境音に補完されて其れ等と融合したり、作曲された内容が「具体的な録音作品」である場合も生じえようが、通常は実際の“発音(ゲート)”とか、音楽の組み立て(構成・構想、設計・青写真)と謂うよりは‥‥原点を成し、トーンを統一しうる霊感・着想であるとか、それらと同等の結果を導く(作業的な)方法論に基づくところの、(音楽が随所の美に富んだ具体的に精巧な流れであるならば)「仮想的なかたちで実際に展開された音の位置関係の集まり」其のもの、音程変化と発音タイミングの基本(骨組み)それ自体の内容(西洋式記譜法のスコアやMIDIのホワイトデータ等とは限らない、記述に依らない口伝継承もありうる)を曲とし、名曲とは「曲」の部分での「名」性、優れた特性を指すものであると考えることが出来るのでないか(もしもダイナミクス・アゴーギク・アーティキュレーション等々、又グルーヴ・バウンス迄を“演奏”面に帰しうるのであれば)
**仮の歴史
アカデミックなモダニズム(現代化史)や、「業界」サイドが位置(格)付け・既得支持(キープ&サポート)するトレンド史によって在来で評価されているような例えば「斬新で画期的な音楽」が、(とりわけ斬新で画期的であることを以て良しとする)その文脈から離れて猶も名曲として“残されるのでなくして”残っていくかは保証の限りでない筈なのである(才能の発露の形で必ずや先進性に其の片鱗が、法則として表れると言い切れるなら、才能ある作曲家の野心と時代的な狙いどころとは常時、軌を一にしうるかもしれないわけだが)
**相対論の逆説
名曲が、専ら「個人に固有のバランスを持った嗜好」や、流動的な刹那の感動(主観)に基づき、何ら確たる判断基準を立てえないとすれば、名曲であるかどうかは例えば「主観の集合」としてしか量ることができなくなるかもしれず、そうすると支持者数の推移/支持程度(リピーター・ローテーション)、また例えば動画滞在時間の集計から実態を推すというような、員数主義な傾向に陥ってしまうかも知れない
**名曲ハザード
もしそうなら、上記の場合(上記の時点で)、過去に適切な集計なしで謂われてきた意味での「名曲」は、意味を失う(全滅的に死語化する)のでないか、名曲が純粋に主観の問題であるとするならば、“欧米標準を映す国定教科書”的な権威や商業広告で名曲、名曲と喧伝されたり、真しやかに語られてきた名曲は、極端な場合には虚無視(何だったのか)、ということにも相至りうるだろう
**フェイバリット化
そして「個々人の内なる名曲」という意味での名曲は最終的に(それが名曲であるよりも)単に“マイ・フェイバリット・シングズ”と謂う形に回収され、あまつさえ完全に“名曲”であることを喪失するのでなかろうか、つまりは名曲が社会性を失いかねない、という意味としてかに(謂わば、公的である筈のコンセンサスが、却って名曲たる所以を個に還元することで‥‥であろうわけだが)
**スタンダード
時として“名演は有っても名曲は無い”、とまで言われるような即興性に重きを置いた音楽ジャンル(サブグループ)であっても、即興でない素材部分(固定的な統一要素)が有ったり、全体が名曲として再生産(繰り返しの演奏‥‥但し、演奏回数の問題は、視聴・購買における人気曲の件で後述)が行われている場合が有りもしうるだろうが、その際に必ずしも「スタンダード」と呼称するとは限らずで他のジャンルと分け隔てなく、文字通りの「名曲」として扱われている筈である〔スタンダードが名曲との特別な差異性を意味するとは思えず、特に幅広い層から支持される曲に、しばしば名メロ(印象的な良き旋律)を見て取ることができるであろう〕‥‥尚、ここで曲名を挙げれば分かり易くなるのだろうが、「名曲学の概論」部分として、具体的個別作品に触れるのは差し控えたい
**名フレーズ
人やソフトが発「声」制御する言葉のパラメータとして「音韻」や「抑揚」に重きを置いた音楽ジャンルであっても、ミックスされるパターンは名フレーズを伴うループである場合が有りえ、先ず以て旋律(ここではリズミカルで主要な目立つ音程変化の列)を軽視または排除しているとは云い難い
**名曲を流用する名曲
又、名曲として定評の有る曲の一部そのものを抄出/採録(サンプリング)して素材に使用する場合も有るであろう〔アレンジの問題であるばかりでなく、曲構造の根幹として‥‥名曲をひと齣(一頻り)丸ごと借用してある場合に、その区間に関して、此れは厳密には最初から名曲であると言わざるをえまい〕
**反復性
然様にして優れたフレーズを節目までの単位で反復する書法の場合、そのフレーズの区間が保証されていると共に、本来の旋律線の文脈を外れていたとしても繰り返しに堪える場合がありうるだろう‥‥畢竟、ここで謂う「繰り返しに堪える」意味に於いて、完結性を持ったフレーズが再起するさまは「曲内の繋がり」を貶めず、かつ同じフレーズが続く以上、違和感に就いては生じ難いと思われる(さりとて、仮令そうであっても当然的に、単なる繰り返しに適当な変化を付さないことには、特に長いフレーズの反復回数が増えることで食傷/飽和を齎しかねないことは言を俟つまい)
**人気曲・量販曲の乖離
資本を投じ、販促(プロモーション)をかけて消費を増し、消費結果から人気を逆算している場合に、「販促をかけて上乗せした分」は、(初期状態としての)自然伝播以上に流通して“資本に作り出された人気”と大雑把にはいえるかもしれない〔もちろん曲の人気を高める要素として、それに付随する番組やゲーム、広告や関連商品内容・店頭展開、或いは主たる演奏グループのタレント的優秀性、更には曲が生まれた背景の(虚実は兎もかくもの)物語的特質、世情の時宜に見合う発表のタイミングなど諸諸が影響する筈で、併しながら其れでも、これらの諸要素をトータルにコントロール(プロデュース)しうるのが又、資本の上・下に在りうる司令塔たるかも知れないわけなのである〕
尤も、資本と組み合わされるに相応しい時代的な“実力曲という前提”が有ればこそかであって「人気曲」と「名曲」とが遊離するとは限らず、又、名曲そのものが資本によって選び出されている側面は有るのだろうが、しかし演奏やアレンジ・ミックスとは異なり、曲を多人数の工房の様な場所で作り出すのでなければ、曲(骨格やモチーフ、楽想)の領域は、資本よりは個人的に内在する才能に負うところが多い問題でないかと思われるわけなのである
**帰納的名曲
これまで慣習的に人口に膾炙してきた筈の「名曲」との言葉(そしてジャンル毎の模範的リストの定着)を、良し悪しとは別に、名曲というひとつの「客観的概念」(ここでは他者と共有する“便利言葉”と謂う程の意味)の措定に利用とするとするなら、そのとき名曲とは具体的に如何いったものを呼び習わしてきたかとの話になるだろうし、そして又、古典的に名曲と謂われるものに共通する内包は「印象的で、自然な旋律線が、最後まで貫かれている」音楽と謂うことが仮に言えるとする際に、特に此の場合の旋律線を、序奏や副旋律(ポリ、オブリ)・低域線、間奏部分までを含むもの(即ち拡大された名旋律)と視うる(更に付言すれば、概して其の旋律に和声は集約される、と視うる)筈なわけなのである(実際問題、古典的に生き延びてきた名曲で、旋律の完全性を保有しない名曲が一体どれ程を占めているだろうかと)
**一元論
前述の(無理のない、違和感のない)自然な旋律線ということと、「最後まで貫かれた旋律線」とを別の意味とする必要は無かろうし、曲が辿る軌跡が自然な流れを描くのであれば、それは「よく繋がっている」との意味となろうわけで‥‥寧ろ(如何に)繋がって推移していくかということが第一義の本質的事項(核心)であるとすら思われるのであって、且つ「印象的で、自然な旋律線が、最後まで貫かれている」という状態が‥‥此れは比喩的にでも「分析知」と「科学の敗北」かに形容される程に幾何学的完全性では今以て簡易・画一的に説明しえない“神秘に類する音楽の精髄”と言えるのだろう上‥‥音楽において換言すれば端的には美(時間の美)であろうが、然様に抽象的には昇華させず、分析を深めるに就いては(印象的で自然な旋律線が、最後まで貫かれている点に対応して)名曲の尺度として「強度」と「完成度」との2つの観点が筆頭に挙げられるかと思えるのである
**統一論
ところが、その「強度」と「完成度」にしても殊更其々に別々の原理とは言えなかろうし、ならば純粋な2つの要素が結びついた両義的存在が名曲、延いては音楽(音楽芸術)とは云えない筈なのであって‥‥なぜなら完成度が強度に(少なくとも)影響すると思われ、見事に完成していることが感慨~感興を惹き起こしうる(何も曲全体の印象ばかりでなく、冒頭に打ち出されるモチーフ・テーマが既に内的に調和して、ひとつの“強い印象、テイスト”を醸し出していうる)とすることが可能〔又、ここでいう完成度とは隙の無さ、そして相互の密着性(調和)、即ちとして「自然な結びつき」、或いは仮に「諸力の受け渡しの最適状態」とか「分布模様・構図の均衡」かに軽々にでも叙述することさえ適うやもしれぬわけだが、その辺り、深い事情は実際には曰く言い難い〕であろう
**減算法
名曲を語る上で特段に重要と思われる問題にここで言及して措くとすると‥‥例えば(再生産で)長く生き延びてきた名曲には一音の曇り、微塵の逡巡も無い(完璧な迄の)完成度を誇る作品が多いとすると、その完成度(満点への基準点の置き換え)に対して、それ以外の曲とは何かと‥‥要は、限界か何事かによってモチーフが存分に(然程には)生かされていない、つまり厳しい言い方をするなら曲として旨い展開(古典音楽的な意味での展開でなく各場面での細大の、内に継起する曲調の変遷であるようなこと)を達成できていない、上記の表現を借りれば旋律線が貫けていない、無理がある、淀みが有る、停滞(閉塞・足踏み)がある、欠けている、論理構成での様に飛躍が有る(もっと言えば、場合によっては妥協がある、誤魔化しが有る)ということにも成りうるかもしれないのである
**理想線
その際に、最初から完全に展開出来ている旋律には「完全な旋律線を落着もしくは無際限に延長する余地が、必ずひとつ(一線)は有る(“場合に依っては、完全な最高”が一線しか無い)」という可能性が(仮説として)なりたつだろう‥‥概して長くなるほど分岐余地が膨らむとは思われるが
**名曲主義
そうであるならばそれを探しえた場合に、そうすることが取りも直さず名曲を“生み出す”ひとつの具体的指針たりえようし、同時に此れがひとつの音楽的営為であるとするなら、先述(前項など)の持つ意味が明瞭になるのでないか(名曲学の究極の使命は識る空論でなくして実用/実益、名曲の確実な量産かも知れない)
***参考ノート
名曲論は纏まった研究が(世に広く)出ていないのが実状であろう、ここでは踏み込んだ話が展開できた積もりだが、既に2001年からスタートしている筈のネト猿(有名百科の愛称、隠語)にして10年有余を経たであろう2011年12月3日時点を以て猶、“名曲”という音楽の基本項目たろう記事がたったの5行程かの内容しかなく、然も「何を持って名曲とするかは時代、目的、選定者などによってかなり変わってくる」『必ずと言っていいほどヴィヴァルディの「四季」で』と、ほぼ「回避・丸投げ」的、乃至「個人史上の見聞・追想」的な内容に留まっている(無いよりは増しかの)模様であって、事程然様に名曲という概念は逆説的で深いかと思われるのである
***名曲学の“補遺”
曲の本質が(紆余曲折あれ、その上でも切れない)連続に実は存するとすると、連続性を失った曲は名曲たりえなく謂える〔準名曲(部分名曲)的位置である〕ことであろう
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315271
id:ououkokuのはてなキーワード編集
これ誰か理解できます?
項目作成者からです、各種の編集を(本旨を変えない範囲で)大いに歓迎いたします(よき編集等で、お世話になっております)‥‥
(※)持病の精神障碍との関係で、内容と余り関係の無い部分で特定の表記・表現を避ける傾向の場合が有ろうかと思います、お手数ながら少なくとも個性的な記述スタイルの問題に関しましては当方の自主的修正は御容赦くださいませ‥‥??
-->
(広義に、ジャンルを問わずで)
著しく優れた曲、非常によく知られた曲、愛され続ける曲、長く人気を誇る曲、伝え継がれる曲、世代を超えて記憶に残る曲、時代を代表・象徴する曲、名高い曲、別格の権威ある曲、教科書の曲、殿堂入りの曲、広く定評の有る曲、質・完成度が特段に高い曲、完璧な楽曲、の類
類語‥‥定番曲、大ヒット曲、神曲、スタンダード
=====
*込み入った問題
狭義に名曲を捉える参考として(初歩としては)以下を名曲学上の仮定として挙げるも、但し此れは其の其其が事実であって注意を要すると言えるかも知れない事項である
**絶対評価
名曲は其れとして他の曲との比較に晒されることが間間あろうが、或る場に於いて(既存・独自の曲の)良し悪しを何らかに審査する上で首位であることが多かろうとも、必ずしも上位に(下位にも)名曲が含まれていないことがありえ、わけても名曲が存在しても其れが審査の趣旨や方式からして序列の一番とは限らず、また逆に比較対照の対象グループのうちの複数が名曲でありえもする筈なのである
**自体性
したがって「相対上位」の曲と、後述の人気曲とに対し、“隠れた名曲”という言い方が成り立つ筈なのである
**分節性
名曲を(複数)含む大曲全体が(名曲を含むだけのことで)名曲に該当、相当するとは限らず、その名曲の部分のみを指して名曲と呼ぶ場合がありうる〔此の点、つまり分節と連続の問題は、後述される名曲の名曲たる(それ自体としての)“連続性”に大きく関わる(核心直結)と思われる〕
**名曲配置
したがって“厳選せずに”組曲やメドレー等にした場合、名曲とそれ以外が混在しえ、然も出来の違う部分が対等の価値で並んでしまう事態が生じうる、ならば曲の標題性や下地となる物語とは別に、名曲として出来てしまった部分曲をどこに配置する(要は、別の曲を例えば演奏会のプログラムに組むのでなく、ワンセットの作品として出版‐確定的に既に作曲者に指定されているひと続きの演奏順序を組み替えるなどする)と演奏(再生)効果があがるかと謂う格別の問題が生じてくる‥‥これに対応する操作を名曲配置というが、作曲意図を逸脱した結果論であるとすると、この点に就いては“商業的ご都合主義的柔軟性”(所謂アルバム構成であるとかリリース時期の調整)を持ちえない様なアカデミズム系からは蔑ろにされてきた問題、と謂うことではあるまいか
**概念の純粋性
名曲と称する場合には「名詩・名演奏・名演技・名アレンジ・名録音・名エフェクトや、舞台美術・同期映像、エディトリアル系(アルバムジャケット・パッケージデザイン)」などとは、(それらと密接な関係が有ったり、同時的・総合的であったとしても)切り離して考えるのが本来(妥当)であろうし、とは言え‥‥もし曲の記録(楽譜など)に演奏条件として詞やパフォーマンスが含まれていない場合には分けて考えるのが望ましくとも唯、広義に名曲は歌詞やアレンジとセットであることが多い(その場合でも曲であることの上位判断に於いて総合作品として名曲を捉える場合には呼び名は「名作」等が適当)であろう
**分離性
演奏するに当たり、何らかの「偶然的要素」や「即興の結果」を、演奏込みで“作品”(の一部)とする意図の場合に、従来的に作曲と呼べる部分は其の演奏や環境音に補完されて其れ等と融合したり、作曲された内容が「具体的な録音作品」である場合も生じえようが、通常は実際の“発音(ゲート)”とか、音楽の組み立て(構成・構想、設計・青写真)と謂うよりは‥‥原点を成し、トーンを統一しうる霊感・着想であるとか、それらと同等の結果を導く(作業的な)方法論に基づくところの、(音楽が随所の美に富んだ具体的に精巧な流れであるならば)「仮想的なかたちで実際に展開された音の位置関係の集まり」其のもの、音程変化と発音タイミングの基本(骨組み)それ自体の内容(西洋式記譜法のスコアやMIDIのホワイトデータ等とは限らない、記述に依らない口伝継承もありうる)を曲とし、名曲とは「曲」の部分での「名」性、優れた特性を指すものであると考えることが出来るのでないか(もしもダイナミクス・アゴーギク・アーティキュレーション等々、又グルーヴ・バウンス迄を“演奏”面に帰しうるのであれば)
**仮の歴史
アカデミックなモダニズム(現代化史)や、「業界」サイドが位置(格)付け・既得支持(キープ&サポート)するトレンド史によって在来で評価されているような例えば「斬新で画期的な音楽」が、(とりわけ斬新で画期的であることを以て良しとする)その文脈から離れて猶も名曲として“残されるのでなくして”残っていくかは保証の限りでない筈なのである(才能の発露の形で必ずや先進性に其の片鱗が、法則として表れると言い切れるなら、才能ある作曲家の野心と時代的な狙いどころとは常時、軌を一にしうるかもしれないわけだが)
**相対論の逆説
名曲が、専ら「個人に固有のバランスを持った嗜好」や、流動的な刹那の感動(主観)に基づき、何ら確たる判断基準を立てえないとすれば、名曲であるかどうかは例えば「主観の集合」としてしか量ることができなくなるかもしれず、そうすると支持者数の推移/支持程度(リピーター・ローテーション)、また例えば動画滞在時間の集計から実態を推すというような、員数主義な傾向に陥ってしまうかも知れない
**名曲ハザード
もしそうなら、上記の場合(上記の時点で)、過去に適切な集計なしで謂われてきた意味での「名曲」は、意味を失う(全滅的に死語化する)のでないか、名曲が純粋に主観の問題であるとするならば、“欧米標準を映す国定教科書”的な権威や商業広告で名曲、名曲と喧伝されたり、真しやかに語られてきた名曲は、極端な場合には虚無視(何だったのか)、ということにも相至りうるだろう
**フェイバリット化
そして「個々人の内なる名曲」という意味での名曲は最終的に(それが名曲であるよりも)単に“マイ・フェイバリット・シングズ”と謂う形に回収され、あまつさえ完全に“名曲”であることを喪失するのでなかろうか、つまりは名曲が社会性を失いかねない、という意味としてかに(謂わば、公的である筈のコンセンサスが、却って名曲たる所以を個に還元することで‥‥であろうわけだが)
**スタンダード
時として“名演は有っても名曲は無い”、とまで言われるような即興性に重きを置いた音楽ジャンル(サブグループ)であっても、即興でない素材部分(固定的な統一要素)が有ったり、全体が名曲として再生産(繰り返しの演奏‥‥但し、演奏回数の問題は、視聴・購買における人気曲の件で後述)が行われている場合が有りもしうるだろうが、その際に必ずしも「スタンダード」と呼称するとは限らずで他のジャンルと分け隔てなく、文字通りの「名曲」として扱われている筈である〔スタンダードが名曲との特別な差異性を意味するとは思えず、特に幅広い層から支持される曲に、しばしば名メロ(印象的な良き旋律)を見て取ることができるであろう〕‥‥尚、ここで曲名を挙げれば分かり易くなるのだろうが、「名曲学の概論」部分として、具体的個別作品に触れるのは差し控えたい
**名フレーズ
人やソフトが発「声」制御する言葉のパラメータとして「音韻」や「抑揚」に重きを置いた音楽ジャンルであっても、ミックスされるパターンは名フレーズを伴うループである場合が有りえ、先ず以て旋律(ここではリズミカルで主要な目立つ音程変化の列)を軽視または排除しているとは云い難い
**名曲を流用する名曲
又、名曲として定評の有る曲の一部そのものを抄出/採録(サンプリング)して素材に使用する場合も有るであろう〔アレンジの問題であるばかりでなく、曲構造の根幹として‥‥名曲をひと齣(一頻り)丸ごと借用してある場合に、その区間に関して、此れは厳密には最初から名曲であると言わざるをえまい〕
**反復性
然様にして優れたフレーズを節目までの単位で反復する書法の場合、そのフレーズの区間が保証されていると共に、本来の旋律線の文脈を外れていたとしても繰り返しに堪える場合がありうるだろう‥‥畢竟、ここで謂う「繰り返しに堪える」意味に於いて、完結性を持ったフレーズが再起するさまは「曲内の繋がり」を貶めず、かつ同じフレーズが続く以上、違和感に就いては生じ難いと思われる(さりとて、仮令そうであっても当然的に、単なる繰り返しに適当な変化を付さないことには、特に長いフレーズの反復回数が増えることで食傷/飽和を齎しかねないことは言を俟つまい)
**人気曲・量販曲の乖離
資本を投じ、販促(プロモーション)をかけて消費を増し、消費結果から人気を逆算している場合に、「販促をかけて上乗せした分」は、(初期状態としての)自然伝播以上に流通して“資本に作り出された人気”と大雑把にはいえるかもしれない〔もちろん曲の人気を高める要素として、それに付随する番組やゲーム、広告や関連商品内容・店頭展開、或いは主たる演奏グループのタレント的優秀性、更には曲が生まれた背景の(虚実は兎もかくもの)物語的特質、世情の時宜に見合う発表のタイミングなど諸諸が影響する筈で、併しながら其れでも、これらの諸要素をトータルにコントロール(プロデュース)しうるのが又、資本の上・下に在りうる司令塔たるかも知れないわけなのである〕
尤も、資本と組み合わされるに相応しい時代的な“実力曲という前提”が有ればこそかであって「人気曲」と「名曲」とが遊離するとは限らず、又、名曲そのものが資本によって選び出されている側面は有るのだろうが、しかし演奏やアレンジ・ミックスとは異なり、曲を多人数の工房の様な場所で作り出すのでなければ、曲(骨格やモチーフ、楽想)の領域は、資本よりは個人的に内在する才能に負うところが多い問題でないかと思われるわけなのである
**帰納的名曲
これまで慣習的に人口に膾炙してきた筈の「名曲」との言葉(そしてジャンル毎の模範的リストの定着)を、良し悪しとは別に、名曲というひとつの「客観的概念」(ここでは他者と共有する“便利言葉”と謂う程の意味)の措定に利用とするとするなら、そのとき名曲とは具体的に如何いったものを呼び習わしてきたかとの話になるだろうし、そして又、古典的に名曲と謂われるものに共通する内包は「印象的で、自然な旋律線が、最後まで貫かれている」音楽と謂うことが仮に言えるとする際に、特に此の場合の旋律線を、序奏や副旋律(ポリ、オブリ)・低域線、間奏部分までを含むもの(即ち拡大された名旋律)と視うる(更に付言すれば、概して其の旋律に和声は集約される、と視うる)筈なわけなのである(実際問題、古典的に生き延びてきた名曲で、旋律の完全性を保有しない名曲が一体どれ程を占めているだろうかと)
**一元論
前述の(無理のない、違和感のない)自然な旋律線ということと、「最後まで貫かれた旋律線」とを別の意味とする必要は無かろうし、曲が辿る軌跡が自然な流れを描くのであれば、それは「よく繋がっている」との意味となろうわけで‥‥寧ろ(如何に)繋がって推移していくかということが第一義の本質的事項(核心)であるとすら思われるのであって、且つ「印象的で、自然な旋律線が、最後まで貫かれている」という状態が‥‥此れは比喩的にでも「分析知」と「科学の敗北」かに形容される程に幾何学的完全性では今以て簡易・画一的に説明しえない“神秘に類する音楽の精髄”と言えるのだろう上‥‥音楽において換言すれば端的には美(時間の美)であろうが、然様に抽象的には昇華させず、分析を深めるに就いては(印象的で自然な旋律線が、最後まで貫かれている点に対応して)名曲の尺度として「強度」と「完成度」との2つの観点が筆頭に挙げられるかと思えるのである
**統一論
ところが、その「強度」と「完成度」にしても殊更其々に別々の原理とは言えなかろうし、ならば純粋な2つの要素が結びついた両義的存在が名曲、延いては音楽(音楽芸術)とは云えない筈なのであって‥‥なぜなら完成度が強度に(少なくとも)影響すると思われ、見事に完成していることが感慨~感興を惹き起こしうる(何も曲全体の印象ばかりでなく、冒頭に打ち出されるモチーフ・テーマが既に内的に調和して、ひとつの“強い印象、テイスト”を醸し出していうる)とすることが可能〔又、ここでいう完成度とは隙の無さ、そして相互の密着性(調和)、即ちとして「自然な結びつき」、或いは仮に「諸力の受け渡しの最適状態」とか「分布模様・構図の均衡」かに軽々にでも叙述することさえ適うやもしれぬわけだが、その辺り、深い事情は実際には曰く言い難い〕であろう
**減算法
名曲を語る上で特段に重要と思われる問題にここで言及して措くとすると‥‥例えば(再生産で)長く生き延びてきた名曲には一音の曇り、微塵の逡巡も無い(完璧な迄の)完成度を誇る作品が多いとすると、その完成度(満点への基準点の置き換え)に対して、それ以外の曲とは何かと‥‥要は、限界か何事かによってモチーフが存分に(然程には)生かされていない、つまり厳しい言い方をするなら曲として旨い展開(古典音楽的な意味での展開でなく各場面での細大の、内に継起する曲調の変遷であるようなこと)を達成できていない、上記の表現を借りれば旋律線が貫けていない、無理がある、淀みが有る、停滞(閉塞・足踏み)がある、欠けている、論理構成での様に飛躍が有る(もっと言えば、場合によっては妥協がある、誤魔化しが有る)ということにも成りうるかもしれないのである
**理想線
その際に、最初から完全に展開出来ている旋律には「完全な旋律線を落着もしくは無際限に延長する余地が、必ずひとつ(一線)は有る(“場合に依っては、完全な最高”が一線しか無い)」という可能性が(仮説として)なりたつだろう‥‥概して長くなるほど分岐余地が膨らむとは思われるが
**名曲主義
そうであるならばそれを探しえた場合に、そうすることが取りも直さず名曲を“生み出す”ひとつの具体的指針たりえようし、同時に此れがひとつの音楽的営為であるとするなら、先述(前項など)の持つ意味が明瞭になるのでないか(名曲学の究極の使命は識る空論でなくして実用/実益、名曲の確実な量産かも知れない)
***参考ノート
名曲論は纏まった研究が(世に広く)出ていないのが実状であろう、ここでは踏み込んだ話が展開できた積もりだが、既に2001年からスタートしている筈のネト猿(有名百科の愛称、隠語)にして10年有余を経たであろう2011年12月3日時点を以て猶、“名曲”という音楽の基本項目たろう記事がたったの5行程かの内容しかなく、然も「何を持って名曲とするかは時代、目的、選定者などによってかなり変わってくる」『必ずと言っていいほどヴィヴァルディの「四季」で』と、ほぼ「回避・丸投げ」的、乃至「個人史上の見聞・追想」的な内容に留まっている(無いよりは増しかの)模様であって、事程然様に名曲という概念は逆説的で深いかと思われるのである
***名曲学の“補遺”
曲の本質が(紆余曲折あれ、その上でも切れない)連続に実は存するとすると、連続性を失った曲は名曲たりえなく謂える〔準名曲(部分名曲)的位置である〕ことであろう
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1315271
これ誰か理解できます?
‡─ワ─卜゛展開
>どうして此方が一々意味不明でないと説明する必要があるのか
編集者であるオウ王国オウ氏の当然の義務です。”全てが意味不明でない筈、項目で分かれている”とオウ王国オウ氏がご自身でコメントしているため、では「全てが意味不明でない」理由を答えてください、と言っているのです。
編集者であるオウ王国オウ氏の当然の義務です。”全てが意味不明でない筈、項目で分かれている”とオウ王国オウ氏がご自身でコメントしているため、では「全てが意味不明でない」理由を答えてください、と言っているのです。
‡─ワ─卜゛展開
意味不明でないというのならば、あなたが作成、編集した項目すべてが意味不明でないとする理由を、他者にわかるように説明をお願いします。