医師を目指したのは教師だった親の勧め。病弱だったせいか医療への信頼やあこがれもありましたが、受験向きの数学は好きになれない。そこで選んだのが2次試験に数学のない筑波大。医学専門学群に1980年入学しました。
ところが入ってみると、国家試験対策ばかりで息苦しくて、独りドストエフスキーやラカンを耽読(たんどく)。周囲から疎外された気分に陥り、精神分析に興味を持ちました。そんな時期の私に声をかけてくれたのが、大学院で精神科を教える故稲村博先生。私は精神病理学を選びましたが、ネズミの脳内物質を調べている先輩もいる自由な研究室。やっと見つけた居場所でした。
精神科医としての姿勢を学んだのもこの部屋。現場重視の先生は不登校の治療や自殺問題に取り組み、患者が全国から集まっていた。誰も引き受けない問題に向き合う大切さを学びました。一方で、家庭内暴力を振るう子供を治療のため入院させたのに、入院そのものがその子のPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり悩んでいる門下生もいました。
医者は常にどうすれば治せるかを問われるはずなのに、心の病気はメカニズムがなかなか分からない。明確な診断の指標がないものもあり、信念だけでも治せない。良かれと思ったことが、心の傷を深めることさえある。
だからこそ、ひとりひとりの患者に即した臨床が大事だと考えるようになりました。精神科医は善意だけでは務まらない。突っ走りすぎず、少し引いたぐらいがちょうどいい。
疎外感を味わった時期が私にもありましたが、何とか声をかけられ、居場所どころか将来の仕事さえ見つかった。ライフワークの「ひきこもり」の人たちも高齢化が進んでいます。おせっかいかもしれませんが、ひとりひとりにじっくりかかわっていきたいです。【聞き手・山縣章子】
==============
■人物略歴
1961年岩手県生まれ。爽風会佐々木病院診療部長。著作に「社会的ひきこもり」「キャラクター精神分析」など。
毎日新聞 2011年12月5日 東京朝刊
ウェブサイトが15分で簡単作成、しかも無料で
クルマの最先端が集結
学生は社会で必要とされる力を身につける