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(cache) もし芸人エド・はるみが果てなき挑戦をしたら: 長文です。真実です。

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2011年12月 3日 (土)

長文です。真実です。

芸人としてデヴューして6年。私はこれまで、色々な記事で何度も、事実とは全く異なることも書かれて来ました。でも、誤解されるのも仕事のうちだと自分に言い聞かせ、やりきれない気持もこれまでずっと、呑み込んで来ました。でも。もう、十分です。このまま単なる噂話や、裏もない憶測で書かれ続けることに甘んじ、見逃して行くことは、私自身だけでなく、色んな守るべき関係、大切にしなければならないことも、一方的に壊されて行くばかりなので、今日、私は、真実を自分の口から言うことにします。

今日2011年12月3日のlivedoorニュースのエンタメ欄の中に「人気芸人の周落に紳助さんの影」という記事があり、その中に私を引き合いに出している部分がありました。→http://news.livedoor.com/article/detail/6086036/

この記事は、”アサ芸プラス”が提供したと記載されています。が、実はこの記事とほぼ同じものが、去る2011年9月8号の『週刊文春』に掲載されていました。私は、当時、この文春の記事を読んだ時、愕然としました。何故なら真実は、この記事とは180度、ま逆だったからです。

この時の文春の記事のタイトルは、【エド・はるみを干したTV裏事件史】。ちなみに、この時に書かれた文章は、次の通りです。ーーー「エド・はるみも人気絶頂気に、紳助と共演した際、意見がましいことを言って、『こんなオバン二度と使わない!』と怒らせてしまったんです。すると次第に東京の番組でエドを見る機会が少なくなった(スポーツ紙記者)」ーーー(原文のまま)

以前、私は10月16日の自分のブログで、この記事について、「事実ではない」と書きましたが、自分が芸人であり、皆さんに楽しんでもらうことが仕事なのに、真面目に書き過ぎてはいけないとの自制心もあり、さり気なく書くのが精一杯でした。が、それでは全く伝わらず、また、この全く真実ではない記事が、あたかも事の真相のごとく、また今回のように引用され続け、また、さらに事実でないことが、さらに上乗せされて行くのは、もうたまりません。ですから、本当のことを書かせてもらいます。

       

先ず、紳助さんとのことです。私は、紳助さんが現役で活躍されていた時、何度か番組収録前に、当然、楽屋には何度かご挨拶には伺いました。が、大先輩に「意見を言う」なんてことは、当然、わたしは一度もしたことはありません。それくらいのことはわきまえています。むしろ緊張で、「よろしくお願いします」と言うのが精一杯で、紳助さんも、そんな私の挨拶に、うなずいてくださるくらいであり、会話らしい会話もさせていただいたことは、全くありません。

でも、番組が始まると、私のことを「エドは真面目で、礼儀正しくて、頑張っている。」と褒めてくださることもあり、本当に嬉しかった。

ただ、一度だけ楽屋でお話してくださったのは、私がそのデビューしたばかりの頃、どこかのインタビューで、『笑いを通して、社会に貢献して行きたいんです』と言っていたことがあり、その事を紳助さんが読まれたか聞かれたか何かで知っておられて、ある日、楽屋にまたご挨拶に伺った時、「あ、自分な、『笑いで社会貢献』とか言ったらアカンで。それは言ったらあかん。」と、わざわざアドバイスしてくださったことがありました。

その理由も、芸人として、教えていただきたかった気持ちはありましたが、そんなことは聞けるはずもなく、「はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。」と言うのが、やっとだったことを、今でも覚えています。

でも、その後、『ああ。芸人というのは、それを分かっていても口には出さず、それを笑いに変えていくから『芸人』なのだ。そのことを紳助さんは、教えてくださったのだ」ということに気付き、そのことを、私に教えてくださった紳助さんに、とても感謝していました。そして、いつか「エド、お前頑張ってるな」と、また番組に呼んでいただけるように、もっともっと芸人として頑張ろうと、自分の励みにしていたのです。 

ですからこの記事は全くの誤報であり、噂と憶測で書かれたもので、まったく事実ではありません。

では、何故幾度となくこんなことが書かれるのでしょう。私が、TVにピタリと出られなくなったことに、「エドは何をしでかしたんだ?」と、悪いことを挙げなければ、腑に落ちないからなのでしょうか。 その理由は、人によっては「単につまらないからじゃん」「一発屋だからでしょ」など、ネットでは誹謗中傷がなされているのかも知れません。

ただ、事実として、私からも言わせて欲しいことが1つだけあります。これは公に初めて言うことです。

2008年、私が24hのマラソンを走らせて頂き、ようやく、皆さんに少し顔と名前を覚えていただき、これから本当に、それが継続するように頑張らなければいけないとても大切な時期、2008年の10月から2009年の5月までの7カ月間、新入社員の吉田○樹氏(仮名)という男性マネージャーが担当になりました。

彼は、マネージャーであるにもかかわらず、①とにかく連絡がつかない、携帯もメールも出ない。返しもしない。②やっと連絡がついても、「エドはスケジュールが一杯で時間は取れません」と、仕事のオファーも簡単に断ってしまう。

③芸人の命であるアンケート用紙も、スタッフの人から預かっているにもかかわらず、私に渡さず紛失し、それすら伝えない。だから、アンケートなどあると知らずに私は、アンケートも持たずに、打ち合わせに行く。すると、現場では「エドは天狗になってアンケートも書いて来ない」と、スタッフ間だけではなく、先輩芸人の間でも、広く噂になっていた。(そのことを私は、半年後に知りました)

④2008年の流行語大賞の授賞式の時も、私はその日、TVのロケが朝から入っていて、吉田氏から「20時に受賞会場に入ってください」と言われ、その通りに入ったら、実は授賞式は17時から始まっていて、翌朝の新聞に『エド・はるみ、大遅刻グ~!!」と書かれ、「(大賞をもらったら)翌年は消えるというジンクスがあるから、わざと遅刻した」とまで書かれた。

⑤あるTVの地方ロケがあることを、飛行機が飛び立つ4時間前まで、吉田氏から知らされていず、でも、何とかギリギリ、その仕事を知ることになり、飛行機に間に合い、その番組のスタッフの方と飛行機の隣に乗り合わせた時、「実はこの仕事、2か月前から吉田さんにオファーしていたんですが、まったく返答をいただけず、再度、出演出来るかどうかのお電話をまた1ヶ月後にしたところ、吉田氏から、『エドからまだ、返事が来ないので・・・』と言われたと告白された。私は、当然、そんな”仕事を選ぶ立場にはなく”、また、実際はその仕事も、この4時間前にやることを知ったのに。

⑥レッドカーペットの収録も、本番収録が始まってですら、吉田氏から知らされていなかった。⑦他の番組も、2日前に、たまたま廊下ですれ違ったスタッフの方に「あさって、収録よろしくね」と言われたことで知り、もし、偶然、すれ違っていなければ、その番組もトバしていた。

・・・・と、とにかくもう、挙げても挙げても、キリがありません。 

でも、これはもう、笑えないことであり、笑いにも出来ないことであり、今までずっと、公には誰にも言わず、自分の胸に抱え込み、今日まで来ました。そして、あっと言う間にTVから声が掛からなくなり、2年近くが過ぎています。

そしてその吉田氏はというと、今は地方で耳にピアスをあけ、太って楽しくやっているようです。

もちろん、TVに今、出られない理由は、私自身のこともあるのでしょう。でも、私の知らないところで、吉田氏から私の名前を挙げられ、芸人としての信用を完全に失っていったこともまた、一方では、事実なのです。でも、そのことを私は「笑いに変えて」話すことが出来なかった。それが私の、一番反省すべきところだったのかも知れません。

もう、彼のことを言っても仕方がありません。自分の力ではどうしようもなかった巡り合わせや運の悪さを、今さら嘆いても仕方がありません。

ここからまた、一から努力して、這い上がって行くしかありません。

ただ、私は、真実ではないことを、裏もとらず、噂に過ぎないことを、まことしやかに記事にし続けることには、もういい加減、「違う」と言いたかった。とにかく。これが全てです。そして、ここからがまた私のスタートです。