あくがれありく

 「名古屋なんでも情報」を「憧れ歩く」と改めた。古語では「あくがれありく」と発音する。(『源氏物語』野分の章 夕霧の場面)」
・・・何かに心をひかれ、家を出て憑かれたように彷徨う様子をいう。
 これからこのブログは、テーマを決めずにあちらこちらを彷徨い歩いてみることにしよう。
 「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴らしつつあくがれていく」(牧水)

 

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503 首切地蔵

 稲置街道を北へ進むと、「首切り地蔵」があり、そこから道が曲がっているのが分かる。首切り地蔵の北側には、昭和30年(1955)に掘削された新地蔵川が流れる。堤防を下りた先は、味美(春日井市二子町)になるが、元は味鋺村の一部(味鋺原新田)であった。
 「首切り地蔵」は、津島社と並んだお堂の中に安置されている。高さ90cmほどで胴体の下が斜めに割れている。台座には、文政(1818〜1828)の銘と五左衛門の名が刻まれている。五左衛門はこの台座の寄進者であろう。また、この堂は現在南向きになっているが、以前は東向きになっていたそうだ。
 伝承によると、一の曽(北区楠味鋺四)の五左池の畔に一の曽五左衛門という郷士が住んでいた。この家の女中は信心深く朝夕この地蔵を拝んでいたが、ある日、女中の粗相に腹を立てた五左衛門が、その夜熟睡している女中を一刀のもとに切り捨ててしまった。しかし、翌朝、殺されたはずの女中が、目覚めて起き、いつものように地蔵参りに出掛けた。すると地蔵の胴体が切れていた。驚いて五左衛門に知らせると、五左衛門は事の経緯を女中に話し、それ以後、二人ともこの地蔵を熱心に拝むようになった。地蔵は、「身代わり地蔵」として知られるようになり、大勢の参拝者で賑わったとのことである。明治10年(1877)頃、西方寺に移されたが、疫病や災難が多く起こり地蔵の祟りだと、元の位置に戻されたという。

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左が津島社。右が、「首切り地蔵」である。

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「首切り地蔵」

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投稿者:masa
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