前の記事のコメント欄にとも思ったのですが、どうもあのコメント欄とは相性が悪いらしくて10回弾かれたのでこちらで失礼します。
みなさんのコメントを読んでて本当にごく真っ当なご意見になんて平和なんだと涙が出そうでした。
そうなんですよ、これが普通です。
ありがとう、おかげで私は人間を信じる事が出来そうですくらいにありがたかったです。
本当にね、相手はいい歳した大人なんですよ、大人なんですけどね……
大人なんだよ…… orz
「人の話を聞いて」
きちんと打ち合わせがしたいのに目の前でグルグル回って舞い上がり、グルグル回って螺旋状に下に暴走する相手に
「戻ってきて〜」
そして、
「誰か、あの人を止めて」
本当に何度言い続けたでしょう。
でも、この相手と合同誌をしようとする時、やるのは自分しかないのですよ。
メールや電話、正攻法で何度玉砕したでしょう。
そうやって玉砕された方も何人いらしたでしょう。
匙投げればいいのにとも言われたけれど、でも、あの本の発行やめるのは楽しみにしている人もいるし、とおるさんだって楽しみにしているし…で、実現しようと本当に頑張ったので悔いはないのですよ。
もう、それは今更の事なのでもういいのです。
酒の話のネタで感じた不安も私は本当に気付かなくて、相手が書くなら私も引き下がらない。
いっそ、ぶつかるのもいいだろう、どーんと受けてたつくらいに本当に思ってたのですよ。
パクリと言われるのを警戒した、くらいにしか思ってなかったのですよ。
でも、その後もずっと頭から離れなくて、何だろうと自分の不安の正体を探ってやっと気付いたのですよ。
パクリを心配した次の日にこんな警告しても本当にそれこそ支離滅裂じゃないですか。
でも、警告はしなくちゃいけないと思った。だからこその告白です。
だから、それに関しては何て言われようがもう本当にいいんですよ。
とおるさんにそういうリスクというものに目を向けて貰えれば。
あらゆる正攻法は試しました。
でも、そんなものとっくに通じませんから、こういう変化球使うしかないのですよ。
私にはとおるさんが何も知らずに王国の心の創作に手を出すくらいの危機感を感じたのですよ。
なんせ、楽しい事想像したの、どうしてやっちゃいけないの?な人なので。
ちなみにこれは印刷所に作品を持って行っても、便箋1枚刷って貰えない最もタブーなジャンルですけどね。
今はもう薄れていったものもあるかもしれないけれど、長く同人をやっていて私も表現してしまってから後で自分には手が伸びませんように…とヒヤヒヤした事もあったのですよ。
書き込みでそれほどキツくはないのかな…というのは判ってちょっと安心しました。
絶対止めなくちゃ→とおるさんがリスクを知った上で「だって他の人もやってるし」で書かれるのならそれはそれでいいかと思えるようになりました。
これは凄く楽になりました。本当にありがとう。
でも、今、創作の世界でタブーとされている事にはそれがタブーとなった原因、見せしめになった犠牲者がいるのです。
それが自分にならないとも限らない。
そうなった時、「みんながやってるから今更だと思った」ってそれって通じませんよね。
それを覚悟の上でなら別に私もいいと思いますよ。
あと、本を面白いかどうかを判断するのは読者ですけど、本を発行するのは私たちなのですね。
一度、これもとおるさんの個性だからと本の出来を無視しても妥協した事はありました。
でも、まだあれにはとおるさんのアイオリアが息づいていたから個性で受け止められたんですよ。
駄目なものは駄目! これも言えないんじゃ何の為の合同誌?
本当に駄々こねれば全部通じると思ってる相手にこれを言い聞かせるのにどうすればいいんだろうと頭を抱えました。
しかも、あの人の駄々のこね方は凄く可愛いのですよ、思わず相手が「……はい」と言うしかないような。無意識だと思いますが、ある意味、凄い処世術です。
私じゃあの人に勝てた例もありません。
で、ダメ出ししてもゴリ押しされて、そして後悔を残した本を発行する。
そして、分厚くなるだろうから軽く1000円は越えるだろう本をイベントで売る時、私はどんな気持ちで期待して買っていかれるその方からその1000円札を受け取るんでしょうね。
……本当に拷問ですよ、それ。
仕方ないなー…、もう、と思いつつ、でも、これが彼女の個性で、これだけのパワーを持ってるからあのアイオリアになる訳で。
体に不調が出ようとも結局は憎めなかった訳で。
昨日の日記は悪口というよりは告白でしたね。私にとっては。
やっぱりコメント欄と相性が悪いのでこちらから失礼します。
厳しいご意見も真摯に受け止めて、やっぱり私にはありがとうございますとしか言えないのです。
開き直りでも何でもなく。
「話に途中で詰まった時、みいなさんの事を思い出したらスラスラ書けたんだ。みいなさんが私の世界を広げてくれたんですよ」
こんな事を言ってくれる相手がね、可愛くない筈ないんですよ。
てか、もうメロメロですよ、可愛いんだよ、コンチクショーなんですよ。
私の取った方法は私自身の人格、常識、良識を疑われても仕方ないものでした。
それは判っていてその方法を取ったので、言われている事は当然だし、私も覚悟の上で踏み込んだものなので真摯に受け止めます。
本来、彼女みたいなタイプと付き合うにはその暴走に巻き込まれないくらいに距離を取り、それを柵の外から見ていた方が楽でしょうね。
その場の話を一緒に盛り上がり、彼女が困っている事は助けてあげて、彼女が喜ぶ事を言ってあげて、合同誌をするにしてもお互いにボンボンと作品を出し合って一冊の本にする。
それが一番簡単、大人の付き合い方でしょう。
でもね、彼女の書く事が好きという純粋な姿勢、本を作るにも真剣なその思いを知ったなら、そんな付き合い方は出来ませんでしたよ。
人間、憑き物が落ちたように、本当に自分が生まれ変わったように思える時があるのです。
私自身も経験がある。
治らない病気とどう足掻いても未来がないようにしか見えない自分の将来に絶望して暗闇を生きてた時にガツンとやってくれた人がいる。
私の場合は先輩が周囲に自分が悪く言われるのを承知でそれをやってくれた。
彼女の暴走を仕方ないよと放っておく事も出来たけれど、それで匙を投げる事も出来たけれど、彼女の為なら自分が疑われても、どう言われても、一度その境地に連れて行ってあげたいと思ったよ。
というか、彼女の為でもなけりゃ、私だってこんなバカだなぁと自分でも思う事はしなかった。
一度、暴走は止まりました。
私が味わったようなその状態を彼女も経験したとは思います。
でも、私はその時に間違えてしまったんですね。
そこまでの覚悟をしたのならば、「もう、大人なんだからね」と放り出さずに、正しく生まれ変わったばかりの彼女が判らないというのであればどんな脱力する事も「もう、大人なんだから」と諌めるのではなく、諭してあげなければならなかったなぁ…と、そこまで付き合わなければいけなかったと。
実は某プロのカメラマンさんが女性のお弟子さんを育てるのの相談を受けてます。
直接そのお弟子さんには会った事はないけれど、その師匠の文章からその相手の性格、どこに問題があるか、私は物事を的確に指摘するので、それを解決させるのにはどうすればいいのかの相談相手には貴重なんだそうです。
たかが文章、でもされど文章なんですよ。
長く文章に真剣に取り組んでいるとこのくらいの事は出来るようになる。
私が見る限りあの合同誌は彼女にとっての害にしかならない。
彼女が一生懸命なのは知ってます。頑張ってるのは判ってます。
でも、どこがどう害になるのか言おうと思えばいくらでも言えるけれど、とにかく害にしかならない。
でも、彼女にあれをやめようと言うのに、私は彼女に説得する場面を思い浮かべて思ったのですね。
……勝てるはずがない、とても言えない、と。
というより、これは私の逃げでした。
これは厳しいご意見で自分でようやく気付けたことです。
それは気付かせて下さってありがとうございます。
私は問答無用で合同誌を打ち切る方向へ持っていきました。
「みいなさんが酷い、彼女は悪くない」
そんな事、私が一番よく知ってます。
だから、なんと言われてもいいのです。
その後は酷い人に徹して沈黙は金を守れば良かったのですが、あの酒の件で思わず心配性なところが出て取り乱しました。
本当に仰られる通りみっともない。
いつもの私ならやらないようなバカな事です。
でも、こういった時に厳しい意見を下さる方も、お腹立ちからかもしれないですけれど、その正義感、優しさに私は嬉しく思うのですよ。
ですから、そういった厳しいご意見にも私はありがとうございますという言葉しか言えないのですよ。
この件で私がお返事するのは最後にしようと思います。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
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