TPPでアメリカが狙う日本の医療分野
与党内でも慎重・反対論が渦巻く中、野田佳彦首相は11月11日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に参加する方針を表明。13日には米ハワイで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議で、TPP交渉への参加方針を伝えた。
「例外」をめぐる野田首相の二枚舌
しかし、これに先立つ12日の日米首脳会談での野田首相の発言が波紋を呼んだ。会談後、米側は「すべての品目やサービスを貿易自由化の交渉テーブルに乗せるとの野田首相の発言を歓迎した」と発表。これに対し、野田首相は「包括的経済連携の基本方針に基づいて、高いレベルの経済連携を進めていく」という趣旨を話したと説明。15日の参院予算委員会で米側発表を「事実ではない」とし、「事実関係がなかったことは米国当局が認めた」と語気を強めて強調した。しかし、翌16日の同委員会では米側に訂正を要求し、拒否されたことを明らかにした。早くも米国に対する腰砕けぶりが露呈した。
包括的経済連携の基本方針とは、TPP参加検討を唐突に表明した菅直人首相時代の昨年11月に閣議決定されたもので、「センシティブ(重要)品目について配慮を行いつつ、すべての品目を自由化交渉の対象とする」と書いてある。米側が野田首相の発言趣旨を「例外なき貿易自由化」ととらえたのも無理はない。海外と国内で発言が異なるとも取れる野田首相の答弁は、「二枚舌」と批判されても仕方あるまい。
そもそもTPPは、原則としてすべての物品の関税を即時、または10年以内に段階的に撤廃する協定だ。しかも、関税の引き下げだけでなく、政府調達、知的財産、金融、労働など幅広い分野の貿易自由化ルールづくりを目指している。母体はシンガポール、ニュージーランド、ブルネイ、チリの4カ国により、2006年に発効した自由貿易協定(FTA)。09年にオバマ米大統領が参加を表明すると、豪州、ペルー、ベトナム、マレーシアが次々と参加を表明。現在、9カ国が24の作業部会で21の分野について交渉を進めている。
米国の失業率は約10%。オバマ大統領は10年1月、輸出拡大による雇用創出と経済成長を図る「国家輸出戦略」を打ち出した。輸出を5年間で倍増させる目標を立てている米政府は、新たな市場を開拓するためにTPPを重視しているのだ。TPP交渉参加国に日本を加えた10カ国の国内総生産(GDP)合計には、米国が70%弱、日本が約25%と日米で約90%を占め、事実上の日米FTAとなる。そのため交渉では、米国の圧力が避けられないとみられているが、野田首相の腰が定まらない中、日本は果たして米国と渡り合えるのか。
TPPは日本の既存の制度や社会構造を変える可能性があるため、医療界でも賛否が分かれている。賛成派の医師は「医療にも競争や効率化が必要」と主張。一方反対派は、日本医師会や医学部長病院長会議などが、混合診療の解禁や病院への株式会社の参入につながり、国民皆保険制度が崩壊すると懸念している。
政府はどう考えているのだろうか。野田首相は11月15日の参院予算委員会で、「基本的にはそれぞれの国の公的な保険制度を根本から変えていくようなことをやるわけがないと思う。ありえないと思うが、あった場合には、断固として日本の制度を守るために交渉する」と述べた。
混合診療「全面解禁」の現実味
しかし、外務省は7日、民主党の経済連携プロジェクトチーム(PT)の会合で、混合診療について、「全面解禁が議論になる可能性は排除されない」との見解を示した。外務省がそう判断したのは、日米の投資環境を話し合う「日米投資イニシアティブ」の2006年報告書で米国が関心を示したからだ。混合診療は保険診療と全額自己負担の自由診療を組み合わせたもの。全面解禁されれば、公的医療保険の給付範囲が縮小し、患者の費用負担が拡大、国民皆保険制度の崩壊のきっかけとなると日医などは考えている。
外務省は2日、同PTに対し、「公的医療保険制度のあり方そのものは議論の対象になっていない」と説明したばかり。交渉当局の見解が揺らいだことで、医療界の不安は杞憂ではないことを示すこととなった。
同報告書には、米政府が株式会社による医療機関経営への参入拡大を日本政府に要望したことも書かれている。株式会社は配当と株価のために利益追求に走り、自由診療を積極的に導入するなどし、国民皆保険制度の崩壊につながると日医などは警戒している。
混合診療の全面解禁と株式会社の医療への参入以外にも、米国は日本の医療分野でいくつかの要求をしている。今年2~3月に開かれた、貿易や規制の在り方を協議する「日米経済調和対話」の事務レベル会合と、米通商代表部が3月に公表した「外国貿易障壁報告書」から①医療IT②保険③医薬品・医療機器の3点が明らかになっている。
一つずつ見てみよう。医療ITは東日本大震災以降、電子カルテのクラウド保管や遠隔医療などで日本でもその活用が一層期待されている。米政府は国際標準に基づき、技術中立性や相互運用性を促進するよう求めているが、外国の企業が日本国民の健康情報を管理するようになればリスクも生じる。
保険は、日本で混合診療が全面解禁されれば、自由診療分のリスクヘッジとして民間保険に対する需要が高まる。国民皆保険制度のない米国の保険会社にとって、自由診療を対象とした保険商品はお家芸だ。日本の保険会社を尻目に大きな利益を上げることができる。そのためには、郵便保険と共済を最大の市場参入障壁ととらえている。
医薬品・医療機器については、先進の医薬品や医療機器を導入しやすい規制改革と、日本の価格償還制度を先進の医薬品や医療機器をより評価する制度に改革することを要望している。海外では使える医薬品や医療機器が日本では使えない「ドラッグ・ラグ」や「デバイス・ラグ」の問題が解消に向かう一方、医薬品や医療機器の輸入が今まで以上に拡大し、医療費が増えることにもなる。
TPPは人の移動も対象になる。日本はフィリピンとインドネシアとFTAを結び、看護師と介護福祉士の候補者を受け入れているが、日本語の試験が壁となって合格率は極めて低い状況となっている。しかし、TPPに参加した場合、資格の相互承認を求められる可能性も出てくる。
TPPに関し、日本医師会総合政策研究機構が9月に発表したリポートが興味深い分析をしている。医療の市場化・営利化は決して米側だけの要求ではなく、日本の大企業も求めている「日米合作」だという。だから、米側担当者は対日交渉に出ることを「歌舞伎に出る」と表現する。日米合作の台本に従って「外圧」という名の歌舞伎の敵役を演じるように仕事をしているという意味だ。外交交渉ではなく茶番劇であろう。
2011年12月 1日 09:45 | 医師会・医療・医療報道・医療政策・厚生労働省・病院