後継品と後継者育てないエーザイ社長の21年
新薬メーカーはそろって抗がん剤の開発に血眼になっている。世界最大手のファイザーは言うに及ばず、国内メーカーでも武田薬品工業や中外製薬なども抗がん剤の開発を柱に据えている。「大手製薬会社ではブロックバスター(1000億円以上売れる新薬)が2010年以降、次々に特許切れを迎える。ところが、それに代わる有望な新薬がない。慌てて大手製薬会社は今まで大量使用が見込めないと熱心でなかった抗がん剤開発に血路を見出そうとしている」(製薬業界通)という理由だが、エーザイもそのような1社だ。
同社はもともと中堅製薬会社にすぎなかったが、アルツハイマー型認知症治療薬の「アリセプト」が爆発的に売れ、大手製薬の仲間入りを果たした。ブロックバスターはアリセプトと消化性潰瘍治療薬の「パリエット」で、7800億円(09年3月期)の売り上げのうち、アリセプトが3000億円、パリエットが1000億円を占める。特にアリセプトは売り上げの4割を構成しているが、10年には特許が切れる。同社は重度のアルツハイマー症にも効果があるとして、さらに貼り薬との組み合わせ方式で特許の延長をもくろんでいるが、今のところ進展が望めそうもない。抗がん剤への進出は生き残りを賭けた開発なのである。
アリセプトに代わる新薬が不在
エーザイは昨年初めに米MGIファーマを4100億円の巨費をかけて買収した。同社で開発中の抗がん剤を手に入れ、アリセプトの特許切れ後の穴を埋めるのが狙いだ。もちろん、エーザイ自身も抗がん剤の開発を進めているが、がん治療用ワクチンが開発途上で、まだ海のものとも山のものともいえない。アリセプトに頼りすぎているため、早急にこれに代わる新薬を手に入れないと大手製薬から脱落する。
今春、ファイザーが同業のワイスを買収すると発表した直後、エーザイはファイザーに対して「アリセプトの販売契約を打ち切る可能性がある」と通告した。販売提携契約では合併した場合、契約を見直すという条項を盾に取ったものだが、製薬業界では「もっと積極的にアリセプトを売りまくってくれ」という、ファイザーに対するエーザイの要求だと受け取られている。特許切れ前に大量に売っておきたい焦りの表れともいえる。
エーザイの歴史は1936年に田辺元三郎商店に在職中の内藤豊次氏が桜ヶ岡研究所を設立したことに始まる。41年に日本衛材(現エーザイ)を創業し、43年には桜ヶ岡研究所と合併。当時は避妊薬などの衛生材料を製造していたが、ビタミンEやB、「ザーネクリーム」で成功した。
2代目の内藤祐次社長が優良な製薬会社に脱皮させる。祐次氏は東京大学経済学部在学中に学徒動員で特攻隊員になり、45年、九州・鹿屋海軍飛行場から特攻に飛び立つが、出撃間もなく帰還命令を受けて戻った直後に終戦を迎えた。祐次氏が社長になるのは66年。「戦後はつり銭のようなおまけの人生」と語っていたように人情味あふれる人との評価が高く、新薬メーカーの団体である日本製薬工業協会(製薬協)の会長に就任している。
3代目の内藤晴夫氏は慶應義塾大学卒業後、米ノースウエスタン大学経営大学院に留学。卒業後には米スターリングドラッグ社に入社し、MR(医療情報提供者)を1年間経験してエーザイに入社。社長就任は88年、40歳の若さだった。エーザイが大手に成長したのは、彼の手腕による。
当時の同社の売り上げは1700億円程度だったが、アメリカ事情に精通していた晴夫氏は米市場に積極的に進出。そんな折に開発されたのがアリセプトだ。「レーガン元大統領の治療に間に合わせた」とも言われているが、日本より先にアメリカ、イギリス、ドイツで新薬承認され、同社の売り上げは急増した。
だが、エーザイの弱点は大黒柱のアリセプトが特許切れを控えていることだ。海外での依存度が大きいだけに、特許が切れた後の不安は大きい。
後継者の問題もある。晴夫氏はアメリカで経営学を学んだ合理主義者といわれている。製薬協の会長に指名されたことがあるが、拒否。「業界団体の会長を引き受けても何のメリットもない。なりたがっている人がやればいい」と言い切ったという。「世の人のために」と言い続けた父親の祐次氏とはかなり違う。
「同族経営はしない」発言の真意
その晴夫氏も既に61歳。社長在任は21年に及ぶ。後継者について「同族経営はしない」と語っているが、社内に次を噂される人物が見当たらない。「ワンマン会社ですから後継者の話は厳禁」(幹部社員)だという。晴夫氏は後継者を育てていない。ある知人が言う。「晴夫氏には一男一女の子供がいます。ただ、長男は大学生のはずです。長男が若いから同族経営をしない、と言っているだけで、息子が大きくなるまで社長を続けるつもりでしょう」。言行不一致なのかもしれない。
同社PR部は編集部の取材に対し、後継のアルツハイマー型認知症治療薬については「開発に積極的に取り組んでおります」、後継者については「お話しさせていただくような事柄はございません」などというそっけない回答が届いた。
晴夫氏は94年の日本商事(現アルフレッサホールディングス)株インサイダー取引事件で批判されたことがある。日本商事が開発し、エーザイが販売した抗ウイルス剤「ソリブジン(商品名・ユースビル)」の副作用で死者が出て回収騒ぎになったとき、公表前に日本商事株を大量売却したインサイダー取引事件で、証券取引等監視委員会は日本商事の社員ら32人を告発した。その中にエーザイの社員が3人(1人は不起訴)含まれていたが、同社はプレスリリース1枚を配布して逃げ通そうとした。
ところが、アリセプトの販売契約を結んだファイザーとの発表会見の席上、「(インサイダー取引事件の)処分に社長も含まれているのか」という質問が飛び出し、ファイザーのウィリアム・C・スティア会長の目の前で醜態をさらした。晴夫氏は「役員会の決定に従っただけ」と答えた。オーナー社長に物申せる役員はいない。
同社はもともと中堅製薬会社にすぎなかったが、アルツハイマー型認知症治療薬の「アリセプト」が爆発的に売れ、大手製薬の仲間入りを果たした。ブロックバスターはアリセプトと消化性潰瘍治療薬の「パリエット」で、7800億円(09年3月期)の売り上げのうち、アリセプトが3000億円、パリエットが1000億円を占める。特にアリセプトは売り上げの4割を構成しているが、10年には特許が切れる。同社は重度のアルツハイマー症にも効果があるとして、さらに貼り薬との組み合わせ方式で特許の延長をもくろんでいるが、今のところ進展が望めそうもない。抗がん剤への進出は生き残りを賭けた開発なのである。
アリセプトに代わる新薬が不在
エーザイは昨年初めに米MGIファーマを4100億円の巨費をかけて買収した。同社で開発中の抗がん剤を手に入れ、アリセプトの特許切れ後の穴を埋めるのが狙いだ。もちろん、エーザイ自身も抗がん剤の開発を進めているが、がん治療用ワクチンが開発途上で、まだ海のものとも山のものともいえない。アリセプトに頼りすぎているため、早急にこれに代わる新薬を手に入れないと大手製薬から脱落する。
今春、ファイザーが同業のワイスを買収すると発表した直後、エーザイはファイザーに対して「アリセプトの販売契約を打ち切る可能性がある」と通告した。販売提携契約では合併した場合、契約を見直すという条項を盾に取ったものだが、製薬業界では「もっと積極的にアリセプトを売りまくってくれ」という、ファイザーに対するエーザイの要求だと受け取られている。特許切れ前に大量に売っておきたい焦りの表れともいえる。
エーザイの歴史は1936年に田辺元三郎商店に在職中の内藤豊次氏が桜ヶ岡研究所を設立したことに始まる。41年に日本衛材(現エーザイ)を創業し、43年には桜ヶ岡研究所と合併。当時は避妊薬などの衛生材料を製造していたが、ビタミンEやB、「ザーネクリーム」で成功した。
2代目の内藤祐次社長が優良な製薬会社に脱皮させる。祐次氏は東京大学経済学部在学中に学徒動員で特攻隊員になり、45年、九州・鹿屋海軍飛行場から特攻に飛び立つが、出撃間もなく帰還命令を受けて戻った直後に終戦を迎えた。祐次氏が社長になるのは66年。「戦後はつり銭のようなおまけの人生」と語っていたように人情味あふれる人との評価が高く、新薬メーカーの団体である日本製薬工業協会(製薬協)の会長に就任している。
3代目の内藤晴夫氏は慶應義塾大学卒業後、米ノースウエスタン大学経営大学院に留学。卒業後には米スターリングドラッグ社に入社し、MR(医療情報提供者)を1年間経験してエーザイに入社。社長就任は88年、40歳の若さだった。エーザイが大手に成長したのは、彼の手腕による。
当時の同社の売り上げは1700億円程度だったが、アメリカ事情に精通していた晴夫氏は米市場に積極的に進出。そんな折に開発されたのがアリセプトだ。「レーガン元大統領の治療に間に合わせた」とも言われているが、日本より先にアメリカ、イギリス、ドイツで新薬承認され、同社の売り上げは急増した。
だが、エーザイの弱点は大黒柱のアリセプトが特許切れを控えていることだ。海外での依存度が大きいだけに、特許が切れた後の不安は大きい。
後継者の問題もある。晴夫氏はアメリカで経営学を学んだ合理主義者といわれている。製薬協の会長に指名されたことがあるが、拒否。「業界団体の会長を引き受けても何のメリットもない。なりたがっている人がやればいい」と言い切ったという。「世の人のために」と言い続けた父親の祐次氏とはかなり違う。
「同族経営はしない」発言の真意
その晴夫氏も既に61歳。社長在任は21年に及ぶ。後継者について「同族経営はしない」と語っているが、社内に次を噂される人物が見当たらない。「ワンマン会社ですから後継者の話は厳禁」(幹部社員)だという。晴夫氏は後継者を育てていない。ある知人が言う。「晴夫氏には一男一女の子供がいます。ただ、長男は大学生のはずです。長男が若いから同族経営をしない、と言っているだけで、息子が大きくなるまで社長を続けるつもりでしょう」。言行不一致なのかもしれない。
同社PR部は編集部の取材に対し、後継のアルツハイマー型認知症治療薬については「開発に積極的に取り組んでおります」、後継者については「お話しさせていただくような事柄はございません」などというそっけない回答が届いた。
晴夫氏は94年の日本商事(現アルフレッサホールディングス)株インサイダー取引事件で批判されたことがある。日本商事が開発し、エーザイが販売した抗ウイルス剤「ソリブジン(商品名・ユースビル)」の副作用で死者が出て回収騒ぎになったとき、公表前に日本商事株を大量売却したインサイダー取引事件で、証券取引等監視委員会は日本商事の社員ら32人を告発した。その中にエーザイの社員が3人(1人は不起訴)含まれていたが、同社はプレスリリース1枚を配布して逃げ通そうとした。
ところが、アリセプトの販売契約を結んだファイザーとの発表会見の席上、「(インサイダー取引事件の)処分に社長も含まれているのか」という質問が飛び出し、ファイザーのウィリアム・C・スティア会長の目の前で醜態をさらした。晴夫氏は「役員会の決定に従っただけ」と答えた。オーナー社長に物申せる役員はいない。
2009年12月 1日 11:08 | エーザイ・医薬品メーカー・経済