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中村英代 著

摂食障害の語り
――〈回復〉の臨床社会学


11.10.10

978-4-7885-1251-1

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46

320頁

定価3360円

◆当事者が語る回復の物語◆

摂食障害とは拒食症、過食症の総称で、「痩せたい」「スリムになりたい」と ダイエットを始めたことから深みにはまり、食べては吐くを繰り返し、死に至 ることもある深刻な病いです。日本では女子高生・女子大生の50人に1人が過 食症ともいわれ、実態解明が急務です。これまでは「なぜ摂食障害になるか」 という原因論の研究がほとんどで、「どのように摂食障害から回復するのか」 という〈回復論〉は断片的な情報しかありませんでした。本書は自ら摂食障害 を克服した社会学者である著者が、回復者20人にインタビューし、重い障害か ら実際にどのように回復のきっかけをつかんだのか、肉声を交えて初めて明ら かにしていきます。摂食障害の患者さん、家族、医療関係者に贈る希望の書。


摂食障害の語り 目次

摂食障害の語り まえがき


摂食障害の語り―目次

目 次



まえがき

序章 回復者の語りを聴くこと
1 摂食障害とは
2 回復への着目
3 語りへの着目
4 調査者のポジショナリティ 
5 調査の概要

第1章 摂食障害はどのようにとらえられてきたか
1 「摂食障害」の語られ方

2 原因としての個人
3 原因としての家族
4 原因としての社会
5 〈回復〉の臨床社会学
6 〈回復〉をめぐる先行諸研究

第2章 人々はどのようにして摂食障害になるのか――発症過程の考察
1 痩せたい気持ちはどこからくるのか
2 自己コントロールはいつから始まるのか
3 過食は「病理」ではない
4 心身二元論と自己コントロール

第3章 自己否定はどこからくるのか――維持過程の考察
1 「自分はだめだ」という思い
2 ダイエット行動の悪循環

第4章 一八名の回復者の語り――回復過程の考察
1 人々は摂食障害からどのように〈回復〉しているのか
2 受容と〈回復〉
回復者のグループ・ミーティング―Aさん(女性/23歳/過食・嘔吐/約9年)
教会と罪の贖い―Bさん(女性/26歳/過食・嘔吐/約13年)
35キロの宗教の終わり―Cさん(女性/21歳/拒食・過食/約6年)
やってること自体を許すこと―Dさん(女性/34歳/過食・嘔吐/約8年)
おにぎり・生徒・共同体―Eさん(女性/46歳/拒食/約2年)
暗い部分も消してはいない―Fさん(女性/30歳/過食・嘔吐/約11年)
美容整形を転機に―Gさん(男性/28歳/拒食・過食・嘔吐/約6年)
自給自足の自己肯定―Hさん(女性/35歳/過食・嘔吐/約4年)

3 食生活の改善と〈回復〉
転職と食事訓練―Iさん(女性/23歳/拒食・過食/約3年)
規則正しく、かつ残さない―Jさん(男性/26歳/過食・嘔吐/約3年)
三食食べれば治る―Kさん(女性/36歳/過食/約12年)
回復者の体験記を読んで―Lさん(女性/26歳/過食・嘔吐/約8年)
治ると思い込む―Mさん(女性/34歳/過食・嘔吐/約15年)


4 過食・嘔吐がなくなった後も続く苦しさと〈回復〉
いまのままでいい―Nさん(女性/29歳/過食/約7年)
手ぶらの幸福―Oさん(女性/26歳/過食・嘔吐/約8年)
テレビ・ゲームは両手がふさがる―Pさん(女性/28歳/過食/約4年)
居心地のいい場所―Qさん(女性/24歳/過食・嘔吐/約4年)
価値/無価値という二極対立から抜ける―Rさん(女性/30歳/過食・嘔吐/約10年)

第5章 回復をはばむ物語、回復をもたらす物語――病いの経験への意味づけ
1 Lさんの事例を中心に
2 回復をもたらす物語
3 摂食障害と言説環境

第6章 「分析される人」から「解決する人」へ――回復体験記の考察
1 「食べれば治る」という語り
2 回復者自身の解釈
3 「解釈権/解決権」の獲得
4 解釈をめぐる政治

終 章 過渡的なプロジェクトとしての〈回復〉論
1 生きられた〈回復〉の物語
2 「還元モデル」から「相互作用モデル」へ
3 自分自身のヴォイスとは―「解釈権/解決権」を考える
4 主体性と自己責任

あとがき―「闘わない社会学」へのプロローグ

資料・参考文献
事項索引・人名索引

装幀 大橋一毅(DK)


摂食障害の語り まえがき


「人々は摂食障害からどのように回復しているのか」。
 こうした問いとICレコーダーを持って、私は回復した人々に話を聴いてまわった。18名の回復者たちだ。本書は、それらをまとめたものだ。
 拒食、過食、嘔吐などは、現在「摂食障害」として総称されている。一九八〇年代以降は、特に過食症の増加が指摘され、女子高生・女子大生の約50人に1人が過食症だと推定する調査報告もある。  世界中の臨床現場で治療方法が探究され続け、学問の世界では調査研究が蓄積された。テレビや雑誌では、拒食や過食がセンセーショナルに報道される。「過食症」や「拒食症」のストーリーが、マスメディアやインターネットを通じて消費されていく。摂食障害については、本当に、たくさんのことが語られ、たくさんの議論がなされてきたのだ。

 でも、苦しい時はどうしたらいいんだろう。どうすれば回復できるんだろう。ほかのみんなはどうしているんだろう。

 摂食障害になっても、多くの人々がそこから回復している。だからこの社会には、回復者はたくさん存在している。けれども、彼/彼女らの回復の経験は、いまでもあまり知られていない。過食や嘔吐で苦しんでいる人々は多いのに、回復の方法はあまりよくわかっていない。うまく伝わってこない。回復をめぐるストーリーはあまりにも乏しい。
 人々を拒食や過食に追いやっていくこの社会で、いったい回復者たちは、どのように回復しているのか。これが本書の基本となっている問いである。シンプルな問いだ。では、なぜこの問いをあえて問うのか。それは、私もかつて摂食障害だったからだ。
 回復者たちからは、さまざまな人生の物語を聴くことができた。それらの物語は、摂食障害についての、これまでの私たちの思い込みをくつがえすものだった。そして何より、回復のための新しい実践を示してくれた。
 過食や拒食は、私たちが日々感じている焦りや不安にとても近いところで生じている。私たちがみな逃れがたく感じている社会の価値観と深い関係がある。私たちの身体との関わり方の延長にある。だから、回復者の語りに耳を傾けることで、私たち自身の状況が見えてくるのではないか。身体との礼節あるつきあい方が見えてくるのではないか。そして、私たちが生きているこの社会に存在する良きものも見えてくるはずだ。

*
 本書を書き進めていく上で、私が読者として意識してきた存在は、社会学、心理学、医学領域等の研究者、医師やカウンセラー、社会福祉士や教員といった臨床家である。同時に、私が頭のなかでつねに意識していたのは、いま摂食障害で苦しんでいる人たちである。ここには、過食と嘔吐で苦しんでいた一〇代の私も含まれている。
 私は、中学二年生から、二〇歳になる直前までの約六年間、「摂食障害」と呼ばれうる状態にあった。一九九〇年代前半のことだ。
 体重が増えることはあまりいいことではない。小学生の時、私はすでにこうしたことを知っていた。小学校の高学年にもなれば、そんなことはみんなが知ってる。けれども、知っていることと、実行に移すことにはまだまだ距離があった。そんな私が実際にダイエットを始めたのは、中学一年生の終わりだった。特に痩せたかったわけではない。いつも行く書店で、たまたまダイエットの本を見つけ、何気なくダイエットを始めた。すると成果は驚くほどで、中学一年の終わりに50キロ前後あった体重は、夏には45キロ、秋には40キロまで減った。半年ほどで10キロ近くも痩せたことになる。
 しかし、せっかく減った体重はじわりじわりと増え中学校を卒業する頃には、すっかり元に戻ってしまっていた。食事を極力減らしているつもりなのに前のようには痩せない。むしろ少し食べれば体重はすぐ増える。体重や食欲をコントロールできなくなったことに対するいらだちは強烈だった。そんな高校入学前後のある日、喉に指を入れ、食べた物をゴミ箱に吐いてみた。
 過食・嘔吐が習慣化するまでは、わずか数ヵ月しかかからず、夏休み前には、すでに過食・嘔吐から逃れがたくなっていた。治さなければという思いから、駅前の大きな書店に行くと、巻末に医療施設リストのある小さな本が見つかった。これを手掛かりに、さっそく夏休み中に二つの病院を受診した。だが、どうすれば治るのかという情報を得ることはできず、むしろ、医師たちのその時その時の発言に混乱していくばかりだった。それでも、過食や嘔吐の苦しさから逃れたい、治って普通に暮らしたいという思いは強く、治療を求めてあちこちの病院を渡り歩いては、過食を止める方法がわからずに絶望していた。回復に向けて熱心に動けば動くほど、同世代の友人たちが暮らす普通の生活から、どんどん落ちこぼれていった。事態はますます悪化していった。
 そんな一〇代後半の寒い冬の日の午後、私は、ある巨大な病院のグラウンドの片隅にあるベンチにひとりで座っていた。病院での治療は、数分の診察の後、自分のどの部分にどのように効くか一切わからない薬をもらうだけで、希望も展望も見い出せないものだった。だが、ほかに手だてがない以上、先の見えない治療への努力を続けていくしかない。その日は曇り空で、アルコール病棟のソフトボールの試合もなく、広いグラウンドには誰もいなかった。その時、「月に行けるほど科学は発達しているのに、どこの病院も、どの医者も、なぜ私の病気を治すことができないのだろう」と思ったことを、いまでもよく憶えている。
 自分の過食がどこからやってきて、それをどうしていけばいいのかが、わからなかった。過食や嘔吐がいったいどういう性質の問題なのか、わからなかった。そして、この生活から、この苦しさからなんとか抜け出したいという思いだけが、空回りしていた。

*

 こうして一六歳から一九歳までの四年間に、精神科医や臨床心理士による治療を経験したが、回復にはつながらなかった。しかし、二〇歳になる少し前に、社会生活や人間関係のなかで回復の契機をつかむことができた。二〇歳の夏には、ダイエットもせず、すっかり普通の食事ができるようになっていた。
 回復した私は、社会学という学問を専攻するようになった。摂食障害の経験は遠ざかりたい過去だったから、それを研究対象にする気などなかったのだが、一〇代の自分に起こったことから私は大きな影響を受けていたし、何事もなかったかのように通り過ぎることは難しかった。そして結局、迂回し、逡巡しながらも、社会学を経由して摂食障害と向き合うことになった。
 こうした経緯で、回復している人々に話を聴いてまわり、回復についての考察を立ち上げていく作業に取り組み始めた。調査を始める段階では、私自身が、自分の経験をまるで整理できていなかった。いまでは数百人の前でも、過食や嘔吐の経験を笑って語れる。機会をいただければ、公的な場でもできるだけ摂食障害の経験を語るようにしている。けれども当時は、自分が摂食障害だったことを人に言うのには大変な抵抗があった(時がたち、私も自分の経験を語れるようになったが、自分が経験者であることをこうして活字にすることは、いまなお喜ばしい作業では全然ない。もちろん、だからこそ書いているという側面もあるのだけれど)。

 いずれにしても、そんな状態で調査はスタートした。
 インタビュー調査の時間は、インタビュー対象者たちと一緒になって摂食障害について考える時間だった。そして、過食や嘔吐自体からくる苦しさだけでなく、摂食障害である/であったこと自体が個人に苦しみをもたらしてしまう場のようなものの存在や、そうした経験がもつ肯定的な意味のようなものにも、気がつくようになっていった。
 どのような経験も、言語化できる部分はごくわずかしかない。他者に向けて語りたくないことはたくさんあるし、言葉で表現すること自体が難しい出来事や思いはとても多い。生きられた経験と語られうる言語の間には、大きな隔たりがある。社会学の言葉も、ほかの学問分野の言葉と同様に、不完全なものでしかない。だから、本書のような調査研究で迫ることができる世界は、非常に限定されている。学問が切り取ってみせることのできる世界は、あまりにも限られている。
 本書は、こうした前提からスタートしたい。

 しかし同時に、それがたとえ不完全なものであるにせよ、言語にすることによって輪郭が与えられ、輪郭が与えられることで解放される世界もまたある。そもそも社会学とは、徹底的に言語を疑いながらも、手持ちの言語で何かを可視化させ、自由と解放へと希望をつなぐ試みともいえるのではないか。
 そして、摂食障害に関しては、社会学の手法と言語を通じてしか迫ることができない世界が確かにあったと思う。私は、本書を通じて、そうした世界の一端を、摂食障害に関わる多くの方たちと共有できればと願う。
 なお、本書の元になっている原稿は、学術研究として書かれたものだ。そのため、いま摂食障害で苦しんでいる人々にとっては、読みにくい側面もあるかと思う。しかし、回復者たちの語りだけでも追いかけていただければ、そこには自分も共感できるストーリーを、ぴたっとくるヴォイスを発見できるかもしれない。あるいは、怒りがこみあげてくるかもしれない。恥ずかしさに襲われるかもしれない。いずれにしても、語り手と読者の間に相互作用が生まれ、相互作用が生まれたところからは、何かが必ず動き出す。
*
 本書は、全8章からなる。
 序章では、本書の課題と調査の概要を述べる。
 第1章では、これまでの摂食障害の語られ方を整理する。
 第2章では、発症過程を見ていく。また、痩せ願望、コントロール欲求、過食衝動などについて再考する。
 第3章では、維持過程を見ていく。また、摂食障害者の特徴とされてきた低い自己評価について再考する。
 第4章では、18名の回復者の語りをひとつひとつ追いながら、〈回復〉過程を見ていく。
 第5章では、1名の回復者の事例を詳しく取り上げることで、発症から回復までのプロセスを追う。ここでは、専門家の介入や摂食障害をめぐる情報が、症状や回復に与えている影響を考察する。
 第6章では、回復者自身が、摂食障害をどのように分析しているのかを、摂食障害の経験者が書いた回復体験記に基づいて考察する。
 そして、終章では、摂食障害とそこからの〈回復〉について社会学的に考察しつつ、本書の知見をまとめる。

中村 英代