氏名 |
鄭 幸男 (チョン・ヘンナム) 谷川裕己男(たにがわ ゆきお) |
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生年月日 |
1941年3月15日 |
現住所 |
東京都在住 |
本籍 |
大韓民国 慶尚南道昌寧郡都泉面一里 |
出身校 |
兵庫県津名郡北淡町立富島中学校 1956年3月卒業 |
私の幼少期は、戦後と云う事もあったのかも知れませんが、貧困そのものの酷い生活でした。それでも父母姉兄弟と家族全員で一緒に暮らす事が出来た日々は貧しいながらにも私にとって一番幸せに感じた頃でした。
在日韓国人一世の父母の元、五男一女の六人姉兄弟の次男として生まれた私は、中学生になったばかりの13歳の時に家計を助けるために1人親元を離れ、兵庫県神戸市垂水区の市場の中にある魚屋へ丁稚奉公に行く事になりました。
今ではすっかり死語と化してしまったこの『丁稚奉公』という言葉ですが、戦後の情勢も落ち着きだした当時ですらこの『丁稚奉公』という言葉はあまり耳にする事は無かったのではないでしょうか。
弱冠13歳の子供が親元を離れ、寂しく心細い上に奉公先の仕事もきつく、辛いものでした。辛い時には、更に辛い事が追い討ちをかけて来るもので、この奉公中に最愛の父親が仕事先の工事現場で事故に遭い、この世を去ってしまったのです。
しかしながら、精神的なショックに打ちひしがれている余裕は当時の私にはありませんでした。何故なら、この父の他界と云う悲しく辛い出来事で、幼い私の肩には家族の生活が重く圧し掛かって来てしまったのです。
私は父の葬儀後、家族の生活を支える為にすぐさま奉公先へ戻りましたが、15歳の冬に再び淡路島の家族の元へ戻り、働きながら学校に通う日々でした。
中学校をやっとの思いで卒業した私は、ただただ懸命に働きました。まさに地を這う様な努力を余儀無くされ、どうやって生活費を得る事が出来るのか?どうすれば効率的に生活費を得られるのか?当時の私はそんな事ばかりが頭の中を駆け巡っていました。
今になって思えば、この辛い日々は天からの試練だったのかも知れません。
何故なら、この過去の辛い苦労があってこそ今の私があるからです。