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スポーツ
【話の肖像画】力道山の真実(上)力道山の妻、田中敬子
「オレは死にたくない」が最期の言葉
昭和38(1963)年12月15日にプロレスラー、力道山が暴漢に刺され急死してから約半世紀になる。空手チョップで外国人レスラーをなぎ倒し、敗戦で打ちのめされた日本人に元気をくれた希代のヒーロー。その「素顔」を妻が明かす。(文・喜多由浩)
◇
--「死の真相」には50年近くたった今もナゾがつきまとう。病室で医者に止められていた「サイダーを飲んだため」という噂も伝えられましたね
田中 それは絶対にありません。私や看護師が昼夜交代で付き添っていましたし、主人(力道山)は実は神経質な人でお医者さんのいうことを、きちんと守っていましたから。「過度の飲酒や薬漬けで体がボロボロになっていた」というのもウソです。ホントはお酒が弱い方だったし、薬も結婚してから飲んでいたのは栄養剤だけです。
ただ、長年のレスラー生活で体を酷使したため、内臓が弱っていたことは知らされました。先生(医師)は「普通の人ならとても耐えられませんよ」って。手術時に常人の2倍の量の麻酔が使われたことや輸血用の血液が足らなかったことも聞きました。“医療ミス”という人もいましたが、今となっては真相も分かりません。
--入院中、ご主人の様子はどうでしたか
田中 ずっと元気で「お正月はどうする?」なんて話をしていたのですが、再手術が決まりストレッチャーに乗せられて手術室に入る直前、「オレは死にたくないよ。いくらお金がかかってもいいから最善の治療をするように先生にお願いしてくれ」と不安そうにしていたのが忘れられません。それが最期の言葉となってしまいました。
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