TVアニメ「バビル2世」「キューティーハニー」「魔女っ子メグちゃん」「UFOロボ グレンダイザー」「惑星ロボ ダンガードA」「ベルサイユのばら」「聖闘士星矢」等のキャラクターデザイン・作画監督として有名な荒木伸吾氏が、アニメ界に入る以前に、数多くの劇画作品を執筆し、貸本店向けの短編誌に発表していたことは、あまり知られていない。その数は、四十を優に超え、五十に迫る。「まんだらけZENBU」16号(まんだらけ出版部)に掲載された星まこと氏による「荒木伸吾インタビュー」や、同誌33号に掲載された拙文「護美之山作家列伝第二回~時代を突き抜けた才能・荒木伸吾~」を除けば、これまで公の場で劇画時代の荒木伸吾作品が語られることはほとんど無かったと思う。貸本文化の遠い記憶の片隅に埋もれさせるにはあまりにも惜しいそのきらめきを、今改めて紹介したい。 劇画作家荒木伸吾のデビュー作「嵐と狂人」は、昭和33(1958)年8月5日発売の貸本店向けスリラー短編誌『街』18号(セントラル出版社)に掲載された。この作品は、自分と瓜二つの死体を発見した少年の一夜の恐怖を描いたスリラーもので、当時『街』が毎月募集していた新人コンクールの第四回入選作である。デビューしてから最初の一年半弱の間、荒木氏の作風は、新しい手法を模索していた若手作家達、即ち、さいとうたかを・佐藤まさあき・辰巳ヨシヒロ・松本正彦らによる作品の影響下にあった。漫画家を志す若人が、表現の革新を目指して躍進する若手作家達の作風に共鳴するのは当然のことだろう。手塚治虫の作品で漫画に目覚めた荒木氏も、同時期の他の新人同様、劇画の洗礼を受けたのである。昭和34(1959)年の秋頃までに描かれた作品の内容は、ほとんどがスリラーかアクションであり、作画・ストーリー構成において、主にスリラーでは辰巳・松本を、アクションではさいとう・佐藤をお手本としていたようだ。
また、驚くべきは、最初の約一年半で三十作近くを描き上げたという事実。十代末から二十歳にかけての若さ溢れる頃とはいえ、昼間は工場で長時間働いている青年が、夜間の限られた時間内で睡眠も取らずに三十ページ前後の作品をコンスタントに仕上げるのは、アシスタントがいないことも考えると、大変な重労働である。ほとんどの荒木作品には制作の日付(制作期間や完成日)が扉か最終コマのどちらかに記されているのだが、その日付から察するに、どの作品も極めて短期間に制作されている。数年前荒木氏に直接お会いした際、執筆当時の状況を伺ったところ、二日や三日で完成するのは当たり前、中には一晩で描き上げたものもあるとのこと。そんなスピードで仕上げながら絵がほとんど荒れていないのはさすがと言うべきで、『街』の新人コンクールでデビューした作家の中では、九鬼誠と共に人気があったのも頷ける。
余談だが、直接お会いした際に伺ったデビュー当時の思い出話の中で、とりわけ面白かったのは、「嵐と狂人」掲載後の新人コンクール入選作は、応募ではなく、実は依頼原稿だったこと。セントラル出版社から原稿の依頼があり求めに応じて作品を送ったところ、次の号の新人コンクールに入選していてビックリしたという。最初から選考が決まっていたのは他の投稿者には残酷かもしれぬが、これも荒木氏の実力あってのお話。日の丸文庫から辰巳ヨシヒロ達を事実上引き抜いて創刊したのが『街』であることを考えれば、戦略上有望な新人を一人でも多く青田買いしておこうと、セントラル側が考えても不思議ではない。九鬼誠・中河のりおに特別新人賞を与えてから半年も経たぬうちに、荒木氏にも特別新人賞を与えてプロデビューさせたのは、出版社側の思惑も多少ありそうである。 さて、荒木氏が題材や画風の面でいよいよ独自性を発揮するようになるのは、昭和35(1960)年に入ってから。この頃、さいとう・辰巳・松本の先行世代は、早くも作風が落ち着き、表現に停滞が見られるようになっていた。商売としての劇画は相変わらず勢いがあったが、表現としての劇画は提唱された頃の輝きを失いつつあった。それに伴い、荒木作品のさいとう・辰巳調からの脱却が加速する。前年末に描かれた「太陽と友情と少年」(『顔』13号/エンゼル文庫)あたりから徐々にその動きは見え始め、昼間働きながら漫画家を目指す兄とヤクザの世界から足を洗うことが出来ない弟の運命のすれ違いを描いた昭和35年度第一作の「地上の歌」(『1・2・3』創刊号/セントラル出版社)を挟んで、『街』37号に発表した「白い少女」において、さいとう・辰巳調との決別は決定的なものとなる。この「白い少女」は、後の傑作「何も言わなかった少女」の習作的色彩を帯びた作品。貧乏な画家と物悲しげな美少女のはかない出会いを通して、人間の心の奥底に存在する真の美しさを問う。絵はまだ硬さが残るが、劇画工房の影響下から離れた内容だ。この作品を皮切りに、荒木作品は独自の世界へと飛翔する。『1・2・3』4号に掲載の野心作「紅バラと少年たち」の冒頭に、「劇画の主人公に思う」と題した次のような作者の言葉がある。
「人間の生活、それを深く掘り下げて描き上げた物それが本当の意味のある劇画である、と私は信じます。美しい人間の心がリアルに描かれている作品に私は感動します。私は自分の作品に現れる人間全部をその作品の主人公たちとして物語を組んでいきます。現実の私たちの世界がそうなんです。一人の人間が存在する限り、それはどんなに小さな草にでも周囲にのびる根っこがある様にそこには一つのドラマが生活しているのです。その一つ一つのドラマを持った人間が集まった社会、そこでは大きな複雑なドラマがくりひろげられるのです。その舞台ではある人は悲劇を演じ、又ある人は喜びにあふれた希望の舞台をふんでいるでしょう。そして私達は厳しい現実の生活の中を幸福を求めて前進しているのです。それが全部主人公なのです。」
この言葉に表れる誠実さと人間への信頼こそが荒木伸吾作品の真骨頂である。「紅バラと少年たち」は、悪人を殺害することが社会正義達成への近道と信じる殺し屋紅バラの悲劇的末路を描いている。同じようなテーマは佐藤まさあきの作品によく見られるが、悪人抹殺=害虫駆除=正義という乱暴な論法を肯定して終わる佐藤作品と違い、荒木作品は理不尽で悲劇的結末であっても決して人間への希望と信頼・幸福への可能性を失わない。これはある意味、永島慎二の作品世界に近いと言える。最近永島慎二の作品を青臭いと言って煙たがる人もいるようだが、現実の暗闇を前にしてもなお希望の光を失わない姿勢を青臭いとするのは間違いだと私は思う。むしろ、社会の理不尽さを敵対で割り切り相互不信を当然のこととして受け入れてしまう姿勢の方が、解決へ向けた努力を放棄した青臭い甘えである。主人公紅バラが一瞬の希望の後に迎える哀れな最期は、実生活に根差さない紋切り型の敵対行為が所詮は悪と同等であることを強く訴えているのだ。なお、この作品は、本文全て四段割で、一段一コマ一ページ四コマという大胆な画面の構成になっている。
続いて描かれた「黒い春」(『点線』2号/エンゼル文庫)「赤とんぼ」(『点線』1号)「街路」(『街』40号)「太陽!輝ける限り」(『1・2・3』7号)「地獄船~海と空の間の希望と絶望~」(『ダイナミックアクションシリーズ』1号/セントラル出版社)の五作品は、荒木氏の人間への希望と信頼が強く表現された感動作。いずれも、現実社会の理不尽な障害によって打ちのめされた少年が希望を失わず再び立ち上がるまでを描いている。このうち特に印象深いものとして、「黒い春」と「太陽!輝ける限り」を挙げたい。「黒い春」は、日々の労働に生きる喜びを見出す少年と刹那的享楽にしか人生の価値を見出せない少年を対比して苦悩の果てにある幸福の尊さを描く。冒頭の書き文字と扉に続く工場のシーンが素晴らしい。また、「太陽!輝ける限り」は、不良仲間と手を切ろうとする少年の苦闘を描く直球勝負の熱血友情もの。
そして、ついに、劇画作家荒木伸吾が大きな変貌を遂げて、その時代の表現の最先端に躍り出る時が来た。それを語る上で外してならないのは、もりまさき(後の真崎守)の存在である。もりまさきは、『街』39号誌上の第25回新人コンクールで、九鬼誠以来の二作品同時入選を果たし、彗星の如く現れた。荒木氏は創作において彼から多大な影響を受けたという。確かに、「巨人愛」以降の荒木氏の描線には、同時期のもりまさきの影響が少なくない。荒木氏は、もりまさきが主宰した同人グループ「グランド・コンパニオン」のメンバーでもある。お互いが刺激しあって当然だ。 かくして、後世に語り継がれるべき作品群が続々と登場。まずは、「巨人愛」(『ダイナミックアクションシリーズ』2号)である。これはペンタッチと語り口を大胆に変えて挑んだ実験的野心作。それまでの作品に見られた現実との闘いをリアルに描くことから一歩抜け出し、物語にファンタジックな味付けがなされている。人生に絶望した純情な少年。熊と戯れる天真爛漫な少女。罪の意識に苛まれる老人。人間の罪悪とそれに対する贖罪の象徴として岩山に彫られた巨大な人間の像。様々な思いが入り乱れ交差する。その果てにある揺るぎない希望と信頼と、そして、愛。もりまさきの影響を受けながらも、自らの可能性を断固として主張する荒々しい描線が、幻想的な救済のドラマを高らかに謳い上げる。
続いて発表された「何も言わなかった少女」(『街』45号)は、絵画に才能を示す少年とスリの少女が交わす束の間の心の触れ合いを描いた感動的な秀作。絵描きと美少女という設定は「白い少女」の焼き直しだが、テーマ・物語・画力いずれもが「白い少女」を凌ぐ出来。「紅バラと少年たち」で用いた大胆な画面構成(本文全て四段割で一段一コマ一ページ四コマ)を再び採用し、映画的な場面転換に大きな効果を挙げている。現在から過去の忌まわしい戦争へと時間軸が一気に転換するシーンや少女が車に轢かれるシーンが印象的。
次の「笛吹き太郎」(『街』47号)は、詩的メルヘン劇画とも言うべき方向性が確立した作品。母に死なれ絶望の淵にある少年が再び人生に希望を見出すまでを詩情豊かなファンタジーとして表現。特に、主人公太郎が夜見る夢のシーンが素晴らしく、網目とベタと細かく重ねた描線を大胆に用いて、それまでの漫画にない新しい絵を作り出すのに成功している。夜の暗闇から一転ラストの輝ける朝日の描写も見事という他ない。
この「笛吹き太郎」の後、暫く荒木氏は沈黙する。数ヵ月後、年は昭和36(1961)年に変わり、発表の場をホープ書房に移して、満を持しての再登場となる。その作品こそ「赤い満月」(『3人目(ザ・サード)』1号)である。前作に続いて、笛吹き少年太郎が主人公。共に行動する愛犬ヒロも前作に続いての登場。二つのストーリーに直接の関連性はないが、「笛吹き太郎」の続編と言えるだろう。赤い満月の夜、人々に幸せをもたらす青い鳥を求めて笛吹き少年太郎は愛犬のヒロと共に旅に出るが……。幸福は捜し求めるものではなく身近なところに存在することを説いた善良なファンタジー。荒木氏が「紅バラと少年たち」以来、その作品の根底に常に流れるテーマとしてきた「人間への希望と信頼」「日々の生活のうちにある幸福」がもっとも色濃く出た傑作である。掲載誌には本編の後、次回作「少年の夜」の予告編が五ページに亘って載っており、その中にかつてのリアルな作風からファンタジックなものへと変更した理由らしき内容の文章が載っている。
「劇画も外観はずいぶん世界が成長しました。今、ある人々の描いている劇画は一つの作品中半分以上は完全に読者から「児童」を無視しているように感じます。しかし子供漫画から生まれた新しい漫画である劇画はあくまでも児童のものでありたいと思います。童話は現実の生活をたくみに児童に教えようとしております。又劇画の描く世界も現実の世界です!現在の劇画の描いている現実の世界と童話の持つ夢の中の現実の世界とは大きな意味の違いがありますが……。児童読者のために現実の世界を描き尽くすと言う所にぼくたち劇画を描く者にも大切な使命がまかされている、と思います」
そして、「赤い満月」に続いて描かれたのが、荒木劇画の最高峰と言える「少年の夜」(『3人目(ザ・サード)』2号)である。母を交通事故で失った目の不自由な少年次郎の孤独と悲しみを、本文全て四段割で一段一コマ一ページ四コマの画面構成とアニメーションを思わせる流麗な連続描写で表現。酒浸りの父に怒られた夜、墓地で亡き母の霊に会うところから心の闇の象徴である蝙蝠を追い払うまでの連続シーンは、当時の劇画表現の頂点であると共に、その後の可能性をも示している名場面。ダイナミックな構成力とドラマチックな描線、そして、独特の詩的叙情性を併せ持つこの作品の前では、月並みなアクション描写に終始する同時期のさいとうたかを・辰巳ヨシヒロ・松本正彦の劇画御三家の作品は、もはや旧世代のものとして色褪せて見える。石森章太郎が「COM」誌上で「ファンタジーワールド ジュン」の連載を始める五年以上も前に、このような作品が存在したことは驚きだ。
しかし、この時代から突出した才能が劇画の世界でより大きく花開くことはなかった。「少年の夜」の後、数作品を発表したのみで、荒木氏はアニメの世界へと旅立っていく。貸本劇画の世界はすでに凋落の一途を辿っていた。荒木氏は、好きな絵を描きながら日々の生活を送る夢を実現するために、虫プロに入社したのだった。劇画界にとっては残念なことだった。しかし、その後の御活躍を考えれば、アニメ界には良かったのである。
アニメ界で確固たる地位を築かれた荒木伸吾氏。数年前、御自宅でお会いした際、もう一度自分の絵で自分の作品を描きたいと仰っていた。そして、2010年の今、荒木氏は実に四十数年ぶりに新作マンガを執筆中だという。荒木氏にとってマンガ・劇画の世界での空白期間はあまりにも長いが、往年の劇画作品のファンの一人として、私は是非その復活を願うものである。
(この文章は『まんだらけZENBU』33号掲載の拙文「護美之山作家列伝第二回~時代を突き抜けた才能・荒木伸吾~」を、タイトル一部変更の上、加筆修正したものです。)
(成瀬正祐)
1939年(昭和14年)1月1日生まれ。愛知県名古屋市出身。
少年時代に『漫画少年』に連載された手塚治虫の『ジャングル大帝』に出会い、漫画家を目指す。1958年(昭和33年)、17歳で名古屋の版元・セントラル文庫に投稿した『嵐と狂人』が劇画誌『街』新人賞に入選。日中は日本車輌製造(株)に勤めながら帰宅後に執筆を続け、『街』、『顔』、『1・2・3』などの劇画誌に精力的に発表する。9年間に描き下ろした作品数は40本を越える。
1965年(昭和40年)6月、当時文通していた劇画家・真崎守(森征)の誘いを受け上京し、真崎が居た虫プロに26歳で入社。『ジャんグル大帝』の動画でアニメーターデビュー。1年半後、同僚の斉藤博、山本暎一らと独立してジャガード設立に参加。『リボンの騎士』や、『わんぱく探偵団』、『パーマン』、『ジョニーサイファー』などに外注スタッフとしてたずさわる。そして劇画調の『巨人の星』に出会い、独自のアニメ表現に開眼。荒木自身がキャラクターに乗り移ったかのようなエモーショナルな表現や、画面から飛び出すような迫力あるダイナミックな動きは、それまでの作品とは全く違い、見るものに強烈な印象を与えた。
その後、一旦フリーになっていたが1970年(昭和45年)、虫プロの『あしたのジョー』の制作を知り、ジャガード側の作画監督として参加。劇画出身で『ジャングル大帝』班でも旧知の仲だった杉野昭夫、金山明博と腕を競いあう。そして『キックの鬼』、『魔法のマコちゃん』、『アパッチ野球軍』などの東映動画作品に作画監督として参加。
1971年(昭和46年)荒木を慕い集まった仲間たちと、自宅の2階でスタジオZを結成。『正義を愛する者 月光仮面』(原画)、『魔法使いチャッピー』(作画監督)、『赤胴鈴之助』(原画)などを手がける。この頃、金田伊功も席を置いていた。1973年(昭和48年)『バビル2世』で、キャラクターデザインを手がけ、その清潔感のある絵が話題を呼ぶ。また同時期に『荒野の少年イサム』の作画に参加。元々趣味で観ていた西部劇映画のエッセンスを取り入れ、拳銃や馬の表現などかなりノッて描いたという。同年スタジオZを離れ『キューティーハニー』のキャラクターデザインと作画監督を担当。荒木の描き出す健康的でチャーミングな主人公は、多くのファンを魅了した。また、その後も『魔女っ子メグちゃん』でもキャラクターデザインと作画監督を担当、そのキュートでコケティッシュなキャラクターには、いまだにファンが多い。
1975年(昭和50年)、荒木プロを設立。この年、東映動画の紹介で姫野美智が入社。姫野は『UFOロボ グレンダイザー』や『惑星ロボ ダンガードA』などでは、キャラクターデザイン・作画監督の荒木とともに活躍。折からのアニメブームの中で、荒木プロの流麗な作画は絶大な人気を集めた。特に『グレンダイザー』は、後に『ゴルドラック』としてフランスで放映され、現地で国民的人気となった。その後も『新巨人の星』や『新巨人の星Ⅱ』、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』などの作画や作画監督にたずさわりながら、『まんが こども文庫』、『日本名作童話 赤い鳥のこころ』では演出・絵コンテ・作画をこなし、本来の自身の世界もじっくりと表現していく。
1979年(昭和54年)、『ベルサイユのばら』にキャラクターデザイン・作画監督として姫野と参加。原作のきらびやかな世界をより華麗にリアルに表現し、話題を呼んだ。その後、フランスとの合作で現地の人気作となった『宇宙伝説 ユリシーズ31』や頓挫した『ルパン8世』などのキャラクターデザイン・作画監督を手がけ、海外合作へとその活躍の場を拡げる。
1986年(昭和61年)『聖闘士星矢』のキャラクターデザインと作画監督を担当。少年たちの凛々しくも健気な勇姿や緊迫感溢れるアクションを見事に描き出し、多くのファンの支持を得る。以降も『風魔の小次郎』(1988年)、『蒼き伝説 シュート!』(1993年)、『ゲゲゲの鬼太郎(第4作)』(1996年)、『金田一少年の事件簿』(1996年)、『遊☆戯☆王』(1998年)など、数々の作品のキャラクターデザインや作画監督を精力的に手がけ、いずれもヒット作となる。
また2002年(平成14年)には『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』で、キャラクターデザイン・作画監督として15年振りに星矢を描き、より進化した作画はファンに歓迎された。
ここ2年ほど体調を崩し第1線から退いていたが昨年より順調に快復し、2010年(平成22年)いよいよ自身の劇画・アニメ時代の集大成として、オリジナルまんが作品を発表することを決意。
荒木伸吾のクリエイティブなエネルギーは今、原点でもある少年劇画家時代の純粋な思いに立ち戻り静かに燃えている。(文中敬称略)
(星 まこと/まんがアニメ探求者)
これは、現在存在が確認されている荒木伸吾による全劇画作品のリストである。題名・掲載誌・作品番号(※注1)・制作年月日(※注2)のみを記した。このリストは、扉絵や本編最終コマに記された作品番号・制作年月日等を基に作成したが、作品番号・制作年月日が記載されていない作品があること、制作の順番と掲載の順番が必ずしも一致していないこと、作品番号の順番と制作の日付に微妙なズレがあること、さらに、原本を直接確認できなかったため掲載誌の発行時期に不明なものがあること等々、様々な理由によって、一部不正確な内容となっている。未発見作品の存在の可能性も否定できず、後日リストの内容を訂正する場合がある。
※注1 op.は作者自身が付けた作品番号である。
※注2 制作期間、または、完成日。
01 | 嵐と狂人 | 「街」18号 | 1958年6月 デビュー作 | |
02 | 影を使う宝石魔 | 「白と黒」1号 | 1958年7月 | |
03 | 仮面の左腕 | 「街」21号 | 1958年8月6日 | |
04 | 百万長者の死 | 「街」23号 | op.6 | 1958年10月23~25日 |
05 | 地獄へ向って進め! | 「街別冊アクション特集号」(B5判・大判) | op.7 | 1958年12月1日 |
06 | 雨と少年 | 「街」27号 | op.8 | 1959年1月2日 |
07 | 復讐の弾丸 | 「顔」1号 | (原本未確認) | |
08 | 怒りの翼 | 「顔」2号 | 1959年2月15日 | |
09 | 枯葉 | 「街」26号 | op.10 | 1959年2月28日 |
10 | 悪魔の診断 | 「街別冊怪奇スリラー特集号」(B5判・大判) | op.11 | 1959年3月8日 |
11 | 脅迫者の顔 | 「顔」3号 | op.12 | 1959年3月20~21日 |
12 | 蛍の光 (三人の作家によるオムニバスの第二話) | 「街」28号 | 1959年4月 | |
13 | 青い封筒 | 「街別冊アクション特集➁」(B5判・大判) | op.14 | 日付なし |
14 | 暗黒街の掟 | 「街別冊オールメンバー特別号」 | 日付なし | |
15 | 猫が見えた時 | 「街」30号 | 1959年6月2日 | |
16 | 出獄 | 「街別冊推理スリラー特集号」(B5判・大判) | op.17 | 日付なし |
17 | 拳銃を取れ! | 「街」31号 | 1959年7月30日~8月2日 | |
18 | 俺は死なない! | 「街別冊ハイティーン特集」 | 1959年8月25日 | |
19 | もう1ッパイいかが | 「街」32号 | 1959年8月29日 | |
20 | 顔を盗む男 | 「顔別冊」3号(A5判・上製本) | 1959年9月9日 | |
21 | 5人の男の欲望 | 「街別冊推理スリラー号①」 | op.20 | 1959年9月28日 |
22 | 腹の虫の鳴く季節 | 「街」33号 | op.22 | 1959年10月7日 |
23 | 雪の夜の密告者 | 「顔」11号 | op.23 | 日付なし |
24 | 黒い友情 | 「街別冊推理スリラー特集➁」 | op.25 | 1959年10月25~31日 |
25 | 大いなる遺産 | 「街」35号 | op.26 | 1959年11月3~4日 |
26 | 明日に希望を | 「顔」12号 | op.27 | 1959年11月9~13日 |
27 | 晴れよ!銀世界 | 「街別冊ショッキングアクション」 | op.28 | 1959年11月20~28日 |
28 | 太陽と友情と少年 | 「顔」13号 | op.29 | 1959年12月1~8日 |
29 | 地上の歌 | 「1・2・3」1号 | op.30 | 1960年1月6日 |
30 | 白い少女 | 「街」37号 | op.31 | 日付なし |
31 | 断崖ものがたり | 「顔」18号 | op.32 | 1960年2月1日 |
32 | 紅バラと少年たち | 「1・2・3」4号 | op.33 | 1960年3月28~29日 |
33 | 黒い春 | 「点線」2号 | op.34 | 1960年4月 |
34 | 赤とんぼ | 「点線」1号 | op.35 | 1960年4月17日~5月1日 |
35 | 街路 | 「街」40号 | op.36 | 1960年5月 |
36 | 太陽!輝ける限り | 「1・2・3」7号 | op.37 | 1960年6月18日 |
37 | 地獄船 ~海と空の間の希望と絶望~ | 「ダイナミックアクションシリーズ」1号 | op.38 | 1960年7月~8月1日 |
38 | 巨人愛 | 「ダイナミックアクションシリーズ」2号 | op.39 | 1960年9月11日 |
39 | カポネは日本にいた (作家四人による合作リレー作品第二部) | 「街」41号 | 日付なし | |
40 | 何も言わなかった少女 | 「街」45号 | op.40 | 日付なし |
41 | 笛吹き太郎 | 「街」47号 | op.41 | 1960年11月29日 |
42 | 赤い満月 | 「3人目(ザ・サード)」1号 | 1961年3月 | |
43 | 少年の夜 | 「3人目(ザ・サード)」2号 | 1961年5月 | |
44 | 星がいっぱい | 「街」60号 | 1962年3月25日 | |
45 | 荒野 | 「ダイナミックアクション」 | 1962年6月19日 | |
46 | 鏡の中の次郎 | 「ルーキー」2号 | 1962年9月10日 | |
47 | 黒バラ ~黒ばら三人きょうだいシリーズ①~ | 「ルーキー」3号のために執筆するも未掲載 | 未発表 | 1962年9月26日 |
48 | 父と子の海 | 「ルーキー」4号 | 1962年10月12日 | |
49 | 荒野の処刑 | 「劇画コミックサンデー」 | 1968年12月26日号 |
※この他に協力作品として、
「燃えてスッ飛べ」(原作/永島慎二・画/もりまさき) 単行本
1966年1月制作 同年3月3日発売がある。