水紋鏡~呪詛粘着倶楽部~

或いは共生新党残党が棲まう地

『権力者やその代弁者らが自由勝手に発言できるのは大昔からしごく当たり前のことでそれは「言論の自由」の名に値しない。その「自由」とは国家権力や多数派、強者に対して反対を表明する野党的存在の者の自由、少数派の自由、弱者の自由でなければならない。』

                    藪下彰治朗「言論」

根拠なき熱狂~悪影響「大」論の科学的検証~ の続き中身検証。

以下、また長いので簡単に纏めると前回、岡田の脳内汚染言説が炸裂したうえに、竹花らの坂元先生、江川氏の発言妨害などもあって一方的な流れになるのかと悲嘆にくれかかりましたが、今回のゲストスピーカーである渋谷明子(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所研究員)のまさに学術的見解、それを引き取るカタチで坂元先生、そして江川氏が現時点での規制の科学的無根拠の言質をとり、ゲーム規制に関して竹花、前田らを押し返しました(とにかくこの人たちは規制の前例ができればいいみたいなので、特段ゲームのみには拘らず一般化して規制を正当化へと逃げていきます)…もちろん竹花が勝手に纏めたと称する文書を見るまでは今までの前科もあるのでまったく安心できませんが。


以下 抜粋しながらの中身検証

【渋谷明子】(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所研究員)
>暴力シーンの話に入る前に、私自身、関心がある問題は、1つは視力への影響です。これは調査によって質問が違うので分かりにくいのですが、たぶん多くの保護者の方が一番心配しているのは視力ではないかと思っています。次が社会性への影響なのではないか。

表現内容を俎上にあげている席でいきなり視力…カッコイイな。確かに視力の問題に関しては悪影響否定しようがない(対象はメディア全般だけど)。

>私自身が研究しておりますのが暴力シーンが攻撃性に及ぼす影響です。テレビゲームに関する研究は世界的にもまだ少ないんですが、暴力シーンの影響に関しては一番多いです。ざっと数えて影響があるかないかを検討した研究が60以上はございます。これに関しては調査、実験、パネル調査─これは長期にわたって2回以上質問紙で調査するものですが─などがございます。それで、暴力シーンの接触により攻撃性が高まる場合がある、長期的にもあり得るのではないかというのが、研究結果を読んだ結論です。「場合もある」と付けたのはちょっと誤解を招くからなんですが、全員が影響を受けるわけではない。裏返せば全く影響を受けない場合もあるということですね。

長期的影響に関する感触を除けばまさに坂元先生とも同意見でいらっしゃいますね。そんな分かりやすい影響ではないので問題はその強度であって無視できる類のものなのか、規制しないと不味いレベルのものなのかと。

参考資料P4~7 は別途目を通しておくべきかと。特にテレビとテレビゲームで影響に差が無いとする現時点での結論は覚えておきたいところ。

>私自身が分析した結果が絶対的だとは思いません。この真偽が本当の意味で分かるのは大分先になると思うんですが、少なくとも、どのような暴力シーンが悪いのかというこんな簡単なことでも、実はまだよく分かっていないんだということを残念ですが申し上げざるを得ません

これが専門家の結論です!

>ゲームの開発者や販売者にお願いしたいこととして、一応保護者の立場からときどき申し上げたりしているんですが、1つはレーティングの分かりやすい表示。あるいは購入しにくい工夫というのができるのではないか。現在かなり購入しにくくなっています

現状で既に対応済みと。

>もう1つ、これもお願いしていることですが、時間コントロールがしやすい工夫をしてほしいとお願いしています。

これは面白い視点ですよね。「ムジュラの仮面」みたいな工夫ということかな?

>どんな人が影響を受けやすいかという点では、明らかに男の子の方が影響を受けやすいというのがあるようです。それと、これはアメリカの研究ですが、社会的な孤立感を抱いている、孤独感といいますか、そういったものを抱いている人の方が暴力シーンそのものの影響を受けやすいというのがテレビゲームを含めて暴力的メディアの長期的な研究で1つございます。

>先ほどののめり込みやすさということでは、私自身はまだ論文を読んでいないんですが、平井先生でしたか、臨床心理学のほうの方でタイプA性格とオンラインゲーム依存傾向が関係があって、タイプA性格と引きこもり傾向は本来関係ないけれども、依存を媒介にして関連があるという研究発表をウェブ上で拝見しました。ですから、多分そういった性格、特性を考慮しながら対応策を考えていくということが今後大事だろうと思っています。

岡田の発言について検証した際におまけとしてメモしておいたやつですね。http://f27.aaa.livedoor.jp/~gcpl/dmic_0.htm

【C委員】(=坂元委員)
>今テレビゲーム利用が社会性の発達に及ぼす影響というお話が出ました。この問題は少し研究をして参ったのですけれども、私の認識ですと、高校生以下についてはテレビゲームが社会性の発達を停滞させるという知見は余り一般的ではないというふうに認識をしております。先ほど渋谷さんのお話にもありましたが、逆の因果関係、すなわち、もともと社会的に不適応的な人がテレビゲームをするようになるということは支持される場合があるのですけれども、テレビゲームがそういう社会的不適応を引き起こすということはあまり一般的ではないと思います。

因果の向き、この点が粗雑な意見がこの種の議論では多すぎるんです。・゚・(つД`)・゚・ 。渋谷氏の意見を拾いつつ丹念に広げられました。

大学生以上についてはテレビゲームの利用が社会性を低めるという研究結果は出たことがございます。大学生ではなかなかテレビゲームがうまくても尊敬されなくてそのメリットの部分がないため、デメリットの方が強まるということで一応の説明が可能であるというふうに思うわけでございます。

他にも、幾つか付け加えさせていただきたいんですが、渋谷さんから、社会的学習説すなわち暴力シーンが暴力性を高めるという説と、暴力シーンがかえって暴力性を低めるというカタルシス説の対立のお話をされました。カタルシス説を研究者は余り相手にしていない、評価していないというお話をされたわけですが、実際にカタルシス説を支持するような研究の方法に問題点があることが研究者の間で指摘され、評価されなくなって参りました。

竹花に発言途中で妨害されないようにという注意を払っておられるのかな?渋谷先生の意見を補足するというカタチできちんと学術的な部分から脱線することなく自然とゲーム悪影響甚大論を否定されています。

>また、一つの説明として見られますのは、カタルシス説で言うようにフラストレーションが低下して、その結果、暴力性が低下するということがあるとしても、欲求不満の低減というのはあくまで短期的なことと考えられます。それに対して社会的学習説で言っているような価値観の学習、すなわち、暴力というのは悪いものではないとか、暴力で問題解決をすることは有効であるということを学習するとは長期的なものであって、大事なのは結局長期的にどうかということになりますから、最終的に社会的学習の方を重視すべきではないかという見方があるようにも思います。

坂元先生はカタルシス効果に否定的であることは既に以前にもちらっと触れておいででしたがここで説明をなされています。これは個人的な見解ですがカタルシス効果をカウンターとしてではなく、擁護論として単独で強く主張するのは諸刃の剣かもと、つまりそれだけゲームの影響ありと認める前提にたつことになりますから。社会的学習、長期的効果という部分に限定することで影響の有無、強弱を絞ることが可能になり敵を明確化(戦い易く)しています。

>例えばウルトラマンが出てきて怪獣を倒して万歳というストーリーから、暴力は役に立つということを学ぶということでございます。テレビでは、このようにあくまで他人の暴力が賞賛されてそれを学ぶのに対して、テレビゲームの中では自分の暴力が賞賛されるということで、暴力がよいことという学習はより強いだろうという議論がございます。

>現実的な場面で、怒りを感じたときに、例えば我慢することも逃げることも話し合うこともできるわけですが、暴力を振るうことに慣れていますとその暴力を振るうという行動に移りやすいということも懸念されています。テレビゲームには情報を受けるだけではなくてこちらから働きかけることができるという相互作用性があり、それが問題になる議論があるわけでございます。ただし、渋谷さんがおっしゃりましたように、現在まで実証はされているは言えない状況にあります

坂元先生が真に学者の良心に忠実であることがよく分かる下りです。単に粗雑な議論を否定するのみでなく、現状研究がどういう状態にあるかということをそれがどういう情報であろうがきちんと提示されています。

>実は、レーティングなどで年齢区分が対策として行われますけれども、年少者の方が影響が強いということはそれほど実証されているわけではございません。一つには、年齢層の高い人と低い人を同じ方法で比較するというのは非常に難しく、なかなか研究が実現できない事情によります。例えば小さな子どもに対して言葉でインストラクションをすることには限界があります。あくまで感染症の影響が低年齢の人には強いとか外国語の学習が低年齢でないと完璧にはできないということなどから敷衍して、低年齢では外界からの影響が強くメディアについても気を付けているという状況と思います。むしろトラウマの方が年少者に強烈なインパクトがあるということがはっきりしていて、年少者に残虐なものを見せないことの意味が明確であると思います。以上です。

「以上です」と前回と違って総て坂元先生は言い切ることができました。つまり研究としてもろもろあるが、現状では長期的影響ありと断ずるものはない、それでも自主規制として気をつけ対策は既に講じていると(渋谷氏も抜粋したようにレーティングについて高く評価されています)。

【B委員】(=岡田委員)
>C委員(=坂元委員)が今おっしゃられたことは大部分は同感なんですけれども、最初におっしゃられた社会性の発達に関する影響についてはちょっと違った見方をしております。中学生なんかを対象にした大規模な調査なんかでも、その社会性の面でいびつな発達というか、そういうゲームとかに長時間依存している方の場合には社会性の発達の問題が出ていると

前回の電波浴を受けてした岡田分析 でこいつの根拠となっている寝屋川の大規模調査の脆弱さについては指摘済みです。

>今まではメディアバイレオンスの問題というのは主に行動心理学的な見地から検証していくという方向できたわけですけれども、さらにそれを脳のレベルでより客観的に見ていくということで、その神経心理学的な、行動心理からさらに神経心理のレベルにメスを入れていくという方向、流れがどんど
ん出てきているわけです。

行動主義が復権しつつあるのは神経科学の発展によるところという前段部分は正しいですが…。

>そういう中で、やはり暴力的なメディアに特に依存している方あるいはメディアに長時間依存している方では、ある特定の領域、特に例えば共感性とか社会性にかかわるような領域で機能の低下が見られるというような知見が出てきていて、そういう意味で今まで行動でしか見ることができなかった問題が脳のレベルまで裏付けられつつあると。

ダウト!坂元先生が既に上で論じておられますがメディア影響は複雑なものであり、そのような複雑な影響、感情については神経科学はまだ及んでおりませんというか、そのニューラルネットワークの複雑さからして裏付けるも何もそんなもん無理でしょw

>どういう子どもさんが影響を受けやすいかということですけれども、やはりもともと行動面のコントロールとかの弱い、問題を抱えている子どもさんが非常にメディアバイオレンスの影響を受けやすいということが、そういう神経心理学的なレベルの研究ででも裏付けられてきているということがあります。

自爆キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!それじゃあ因果の向きが逆だよ!個人的な問題ならばメディア無罪となるんじゃない?それこそその種の特別な人ならば何にでも影響を受けますよと…坂元先生がすかさず全否定されます!

【C委員】(=坂元委員)
>B委員(=岡田委員)は臨床的な実感としてもそういう影響があるのではないかというところで、それは真実を反映している部分があるのかもしれないと思うのですけれども、私の領域ですと、データを統計的に分析するということを重視することになりまして、その結果を見ていきますと、確かにテレビゲームをしている人ほど社会的に不適応的であるという関係は出ることはございます。テレビゲームをしている人ほど不適応的であるということでございますが、ただ問題は因果関係でありまして、すなわちテレビゲームをしているから不適応的になったのか、それとももともと不適応的な人がテレビゲームをするようになるのか、そこを分離していくことが非常に重要になって参ります。

坂元先生には珍しい嫌味じゃない?まるで岡田が半径3mの私的狭い世界でもって世界を論じている狂人みたいじゃないかw

>そうしたことを一定の方法論で検討していったときに、今のところはテレビゲームが社会的不適応を低下させるという方は一般的には見られなくて、むしろ不適応的な人がテレビゲームをするようになるという方が支持されていると認識しているということでございます

この種の議論に対する結論キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !「銃ではない人が人を殺すのだ」というわけではないですが、これだけゲームへの帰責性を求める研究が行われながら証明できていないのに対して、因果の向きを変えてみればあら不思議ということです。

>脳研究で発達を捉えようとしたときには経時的な変化を見ていくような方法論で議論をしていく必要があると思います。現実には、脳研究ではテレビゲームをしているときの脳活動がどうかということを扱っていて、発達を見ていくというアプローチはまだあまり行われていないように思います。ですから、私などの領域では脳研究の知見は今のところ余り重視されていない状況にあるというふうに認識しております。

この点、澤口氏の見解も先日メモしたばかりです。

【B委員】(=岡田委員)
確かに脳研究に関してご指摘のとおりだと、そういう問題を抱えているのは確かだと思います。やはり短時間の、短い時間スケールの問題をとらえるのは非常に強いけれども、まだ長い時間スパンでなかなかまだ結論が出にくい

工エエェェ(´д`)ェェエエ工ちょっとつい一コメント前に発言したものはなんだったの!?脳研究で裏づけが得られつつあるんじゃなかったの?そんな若年性痴呆の恐れがある人には(*゚∀゚)っ「脳トレ」

我々が身近でも感じていることでもあるし、小中学生を対象にした調査でもそういう結果が出ているんですけれども、低年齢の子ども、幼稚園とか小学校の子どもでゲームを一生懸命やる子というのはむしろすごく活発で、積極的で、非常にそういうプロソーシャルというか向社会性の高い子なんですね。ところが、それが中学生ぐらいになって長時間やる子というのはやはりだんだんとそういう向社会的な傾向が落ちてきているわけですね。

勝手に一般化するなこらヽ(`Д´)ノウワァァン!!「我々」ではなくて「私」でしょうが。先に岡田氏について記した際にコメント欄で記したように彼らが定量的裏づけ皆無なくせに自信満々なのは臨床の場でそういうある種特別な人間ばかりみているからでしょう。臨床の場でその種の人に対しいてどのような処方箋を講じられようが自由です(いや自由じゃないけれどね)、それを市民社会全体に一般化しないでくれ。

>だから、そういうところで時間経過で見ると、C委員(=坂元委員)がおっしゃられるように、もともと社会的に適用が苦手な方がはまるという理論がちょっと成り立たない部分があるんじゃないか。身近なケースで見ても必ずしも適用的じゃない子どもがはまるというよりも、むしろすごく活発でバリバリやっていた子が何かのきっかけではまりだしてちょっとした挫折とかちょっとした偶然のきっかけではまりだすと、すごく社会的機能が低下を起こしてくるというケースが非常に多いわけです。

ですから、岡田が扱っているクライアントにその種の子どもがいたというだけ、それだけのことです。

【渋谷氏】
>小学校5、6年で調査したときには平日は平均約50分でした。ですから、それが大体平均だと思います。インタビューすると遊ぶときは1時間、遊ばないときもあるから平均30分ぐらいかなという答えが多く聞かれます。毎日30分に必ず制限しているという保護者もいらっしゃいます。教育雑誌の投書欄などでは、「私は15分に制限しています」という意見が多く載っていたりするんですが、15分だとかえって酷な感じもします。むしろ買い与えないほうがいいかもしれない。そのあたりの基準を決めるのが難しいです。ただ実態と異なる意見が投書欄とかに多く載っている可能性はあるかなという印象は抱いています。

高橋名人との誓いは未だ廃れることなく残っているということですね( ;∀;)イイハナシダナー

【E委員】(=竹花委員)
最近そういうゲームの中身が変わってきたとか、量的にも圧倒的に変わってきたとか、何か傾向として少しこういう傾向のものが増えてきたとか、そういうようなものがありますか。その私の質問の趣旨は、子どもの非行動というんですか、そういったものに中身として影響を及ぼすようなものが量的にも質的にも非常に増えてきている、それに子どもたちが接する機会がえらく増えているという状況があるのかどうかという視点なんです。

坂元先生&渋谷氏の前に旗色悪いと見たのか竹花参入!影響の有無から話題転換。しかし、ここで「最近のゲームの傾向」を尋ねるというミスを犯してしまいます。

>例えば今ホットな問題で言うならば、いじめという問題が大きな問題になっていますけれども、そうしたいじめに子どもたちをせき立てるような、そういうような中身のものが子どもたちが普通に行っているゲームの中にあるのだろうかといったような視点での質問なんですけれども。

イジメを御旗にすれば何でも罷り通ると思っているのかさすが手段を選びませんね!

【渋谷氏】
>貴重なご質問ありがとうございます。私自身、小学生が選んだゲームの内容分析をしましたときは、85%のゲームに何らかの形で暴力行為が含まれていました。41のゲームのうち35のゲームに暴力行為が含まれていました。まあ暴力行為が1回ぐらいあってもいいのかなと思うのですが。全体的に私自身の印象として、「ゲームは戦いだ」みたいな部分が過去にはあったと思うんですね。ゲームがあまり売れなくなってきたから、戦いのゲームは作らなければいけないみたいな雰囲気があって、戦い以外のゲームはなかなかいいゲームを作りたくても作れないという状況が過去にあったと思うんです。

>ただ、この1年で驚くほど状況が変わっているという印象です。それは教育的なゲームを作ろうとか呼びかけたからというわけではなく、実際に脳をトレーニングするゲームが売れたという事実があるからだと思います。今は、ものすごい勢いで様々なメーカーの方が新しい種類の教育的な要素を含んだゲームを開発していて、しかも後発のゲームでもよく売れているゲームがあるんですね。ゲームメーカー以外の方も今注目しているという現状がありまして。正直去年の9月ごろから比べると、ここまで変わるかなと驚くぐらい教育的な要素を含んだゲームが増えていると思います。そういう意味では現状は必ずしも悲観的ではないと思います。

渋谷氏がどれほど意図して発言されているのか分かりませんが、結果的に凄い皮肉になっています。暴力的ゲームが蔓延っているという発言を引き出すどころか現状は教育的なゲームばかり。それも売れたから作られているだけでお上なり、PTAが号令かけたから作られるようになったわけではないと。

【座長】
ゲームがもたらす弊害への対応状況と問題点、取組強化の方向性を考えるとき、一つの柱としては、暴力的なものが子どもの反社会的な行動や人格の形成を助長する可能性があるということ、二つ目は、ゲームに熱中しすぎて社会性といいますかいろいろなことの機会が奪われるということでございます。これはやはりちょっと分けた方がよくて。

竹花、前田の結論ありきの姿勢が滲み出た発言です。「ゲームがもたらす弊害」ありきが大前提で、その点について渋谷氏や坂元先生が疑義を呈しているのはスルーですか?

>C委員(=坂元委員)がおっしゃるように、因果関係があるという立証があるわけではないというのはよく分かるんですが、全体としてやはり暴力的なシーンによって子どもの反社会的な行動や人格の形成がされ得る可能性があるのではないかという方向で仮説を立てて検討はしていて、どちらかというとそちらが強くて。

で、前回の中間報告纏め時に坂元先生に全面的に尻尾を振ったことを思い出したのかここで卑屈な言い訳を開陳しています。因果関係は立証されなくともやろうというわけです。

652 名前:法の下の名無し 投稿日:2006/11/22(水) 13:41:22 ID:7AgjYkNp
前田の著作が大麻自由化のロジックに使われているのに笑った。
>*5 前田雅英『刑法総論講義』58頁
>国民の規範意識による「裏づけ」のない刑罰制度とは、わかりやすくいえば、「国民がまったく悪いと思っていない行為に、国家が厳罰を加えるような法律」のことである。このような法律がまかり通っては、国民は何が本当に守るべき道徳なのかわからなくなり、法律や司法制度そのものに対して、
信頼を失っていくだろう。

http://www.cannabist.org/database/cnews/cnews00702.html

これと、バーチャル研究会での発言

>従来は刑罰を科すには、保護法益として何か犯罪抑止につながるとか実効性のあるものしか犯罪にしちゃいけないという議論があったんですけど、必ずしもそうじゃないんじゃないかと。みんながまずいと思って、みんなでやめようよと。やめさせる手段として刑罰が有効なら刑罰を使うというのも1つあり得るんだと思うんですけどね。」

655 名前:法の下の名無し 投稿日:2006/11/22(水) 21:10:31 ID:nxSHgDBT
俺もいい加減ではないと思う。

むしろ、徹底した機能主義から社会防衛論へと移行していったと評価すべきだろう。学部時代刑法の先生が「前田説は、結果無価値論の皮をかぶった新派刑法学です」と言っていたが、それが顕在化しただけだと思う。

平野刑法学の「機能的結果無価値論」を継承して、「機能的」を無視して理論に走れば山口説、「結果無価値論」を空洞化して「機能的」に走れば前田説になると思われる。ただ山口説は関西の「社会的機能無視」あるいは「社会的機能をある程度に犠牲にしてまで原理原則に忠実」な結果無価値論(原因において自由な行為否定・共謀共同正犯否定・不能犯ほとんど不可罰)に比べれば、機能性を残してはいるけども。

前田が科学的研究を軽視して規制に向けて突っ走れるのはこの辺りに解があるのでしょう。前田が重視しているのは個人の利益(分かりやすくいえば被疑者ね)ではなく、社会法益ということ…もちろん前田が思うところの社会のためですがね。

話を戻してここから具体的な報告書を睨んだ坂元先生と竹花の対決が始まります。

【C委員】(=坂元委員)
>今因果関係が示されていないというお話が座長からあったのですが、私どもの世界、心理学の世界では因果関係を示したという研究結果が増えてきていて、これはかなり実証されつつ状態にあるというふうに私自身は認識しております。あくまで因果関係があるかないかと言えばということでございますが。

因果関係の有無ではなく、強弱の問題と言い換えたほうが分かりやすいということです。それはゲームに限らず、メディアに限らずどんなものでも無なわけがないというのは前にも記した覚えがあります。その点で戦う場(ゲーム影響全否定みたいな)を間違えると大変なことになります。その点を坂元先生は強調なさっておいでなのだと思います。

>ただ、先ほども少し申し上げ、ゲストスピーカーのお話にもありましたが、条件がいろいろあるだろうということです。いつでもこういう影響があるということではなくて、そういう影響がある場合があるという、そういうふうに認識すべきなんだろうと思うのです。ですから、報告書になったときに、そういう場合があるということが何か分かるような形の記述を工夫していただけるとありがたいというふうに思っています。

ここが最大のポイント!坂元先生と岡田委員のやりとりで明らかになった部分でもありますが(岡田は図らずもでしょうねw)、このように各人のパーソナリティーや環境によって影響は千差万別と盛り込めたら「内容」規制を正当化することが不可能になります。

【E委員】(=竹花委員)
>ですから、この「されうること」というようないいかげんな言い方じゃなくて、助長する場合があると。それは受ける方の個体差によって随分差があるわけでしょうから、そういう場合があるということはよろしいんだろうと思うんですけれども。そんな形でまとめさせていただければよろしいでしょうか。

素直過ぎて怖いw

【C委員】(=坂元委員)
>される場合があるというふうにすると、「うる」というのがなくなるということでもございます。慎重な姿勢から言うと、完全な実証あるいは強い実証が現在あるかといえば、そうではないわけでございます。最近は影響を示す結果が増えてきているということはありますけれども、それでも研究が十分ではないという状況ではありますので、「うる」は残したいということがございます。ただ、助長される場合がありえるとなりますと、日本語としては不恰好ではあろうかとも思います。ですから、例えばタイトルは助長されうるというままで、何か本文の記述の方でそういう影響がある場合があるということではないかと工夫していただければというところで、お願いさせていただくのが一つかと存じます。

【座長】
>ちょっとB委員(=岡田委員)にご質問になってしまうのですが。さっきのゲストスピーカーのご説明だと、日本のゲームでいじめっぽいものといいますか、心理的なやつ、ゲームそのものの中にはないみたいなお話もちらっと出ていたので。何か、本当に私ゲーム音痴であれですけれ
ども。ゲーム自体は殴ったり蹴ったり切ったり張ったりの世界で、それをコントロールして、それがだけれども相手の言葉の攻撃性につながったりなんかするというのは分かるんですけれども、ゲーム自体の中にいじめ的なものがあってそれを規制しろというご趣旨ではもちろんないわけですね。

堪らず一応専門家である岡田に振りましたw

【B委員】(=岡田委員)
>ええ、もちろん。だから、いじめというシチュエーションを描いているようなゲームはおっしゃられるようにないと思います。ただ、むしろそういう攻撃性全般を高めるということがいじめという形にも出るし、虐待という形にも出るし、いろいろな形で出るということだと思います。

このいい加減な妄想が専門家としての見解みたいです。攻撃性全般を高めるという点でこの理屈だとスポーツ全般も否定しないといけないですねw

【座長】分かりました。

いや、分かりませんよ…ってすぐに坂元先生が否定されます!カッコよすぎます♪

【C委員】(=坂元委員)
>これまでの研究では、特に海外のものですけれども、身体的攻撃を中心として知見が蓄積されてきています。ゲストスピーカーのご発表も大部分はそういう研究知見を踏まえたものだったと思います。ですから、言語的攻撃とかあるいは間接的攻撃などについて影響がどうかというのはなかなか認識がまとまっているとは言いにくいと認識しております。

なんかまるで誰かの発言には裏づけがないと言わんばかりだ!

>私自身の研究でも身体的攻撃、言語的攻撃、間接的攻撃等の影響力を比較したものがあります。そのときにはやはり身体的攻撃だけで効果が見られました。1つの説明としてはゲームにおいてリアルとすごく違っているのは身体的攻撃が見られるということでございます。すなわち、現実では人を殴ることはしないわけです。ゲームの中ではそれを見ることになるということで、インパクトが強く、そこに影響があるのではないかという説明が可能かと存じております。ただ、それは私どもの一つの小さな研究ですので、その議論をどこまで重視するかということはありますけれども。

携帯のとき「悪影響」というような大雑把なくくりを許さなかったように、「攻撃性」についてもきちんと細分化することで科学の俎上に載せる、「問題は分割せよ」を地で行かれておいでです!

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