中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > 大相撲 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【大相撲】

稀勢「大関汚さぬよう精進」

2011年12月1日 紙面から

 シンプルな口上の中に稀勢の里は、今の率直な思いを込めた。

 「大関の名を汚さぬよう精進します」

 午前9時15分、11月7日に急逝した故鳴戸親方(元横綱隆の里)の遺影が見守る中、始まった大関昇進の伝達式。協会からの使者、二所ノ関理事(元関脇金剛)と湊川親方(元小結大徹)を迎えて堂々と、はっきりした口調で答えた。最近、流行している四字熟語をあえて使わなかった。

 生前、鳴戸親方は九州場所後の昇進を期待し、さまざまな口上を考えていたという。「葬儀の前に親方の部屋を整理していたらノートやメモの走り書きが30〜40枚出てきた。

 相撲に対する心構えを含め、その中には熟語みたいなものもあった。それは昨日、本人に伝えました」と先代夫人の高谷典子さん(52)。

 稀勢の里自身も前日、部屋にこもって「一人で一日中考えた」結論が、「今の自分の気持ちをストレートに表現するにはシンプルな方がいいかなと思った」だった。15歳で入門し、角界一といわれる猛げいこに耐えてつかんだ栄光だからこそ「精進」という言葉を大事にしたかった。

 厳しさばかりが強調される先代。しかし成人式の日にはすしの出前をとって印鑑をプレゼントした。さらに最近は少しずつ師弟の関係が変わっていた。秋場所で3連敗後に横綱白鵬を倒し、最後まで優勝戦線に加わると「良く立ち直った」。九州場所前の会見でも「真の力が付いてきた」と褒め言葉を贈っている。

 亡き師匠は伝達式に着るはずだった紋付きを着て荼毘(だび)に付された。「厳しい人だったけれど、そういった話を聞くたびに愛情を感じてます」と稀勢の里。

 相撲好きの父、萩原貞彦さん(65)に連れられて15歳で鳴戸部屋を訪れた時、体格は身長180センチ、体重110キロ。「将来の横綱、大関間違いなし」。亡き師匠の予言は10年たった今、現実になった。 (竹尾和久)

 

この記事を印刷する

PR情報

Ads by Yahoo!リスティング広告



おすすめサイト

ads by adingo




中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ