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櫻川忠著『迷走する顕正会を斬る』が発刊からつづく-
今朝、通読させていただいた。
FBIさんは「ダイジェスト版…櫻川さんも「まだまだ書いていないことは膨大にある」と言っていました」と記されていたが、たしかに、ダイジェスト、言い尽くされていないだろうという感想を懐いた。しかし、それは情報・分析という点ばかりではない。
しかし、かなりまとまった整理された内容であり、顕正会、なかんずく「浅井照衛」問題を考えるスケールとなる良書であることは間違いない。必読書である。
なかで、大木道惠さん、そして「犀角独歩」に係る記述があった。
そういえば、先に独歩の会でお話をいただいた折、懇親会でそんなご確認をいただいた記憶がある。
(
独歩の会を開催 櫻川忠師講演『浅井照衛会長の足跡と変節』ほか)
以下の記述がある。
「なぜ、浅井克衛氏が失脚したか。それは犀角独歩氏との接触未遂による。犀角独歩氏と言えば、浅井会長が「魑魅魍魎」と呼んで顕正新聞にも何度かその名が登場した人物であり、わたしの除名の理由も独歩氏と交流したからだとされた。独歩氏は、「必携/図解大石寺彫刻本尊の鑑別」という研究書を出している。
克衛氏はジャーナリストの大木道惠氏と十数年来の親交があり、大木氏を本部に招いて大石寺や創価学会や日蓮門下について、広範に渡る話し合いをしていた。大木氏は意見交換の一環として、犀角独歩氏本人からスライド等で直接説明を受けることを提案し、克衛氏もそれを承知した。独歩氏は日蓮門下の研究会等で多くの講演を行っており、求められれば顕正会本部で話をすることにも異存はない。
では、いつ犀角独歩氏が本部に行くかという日程を決める段になって、突然、大木氏から克衛氏への連絡が一切つかなくなってしまった。大木氏が本部を訪ねたところ、浅井城衛氏が対応して「二度と本部に来るな!」と、出入り禁止になってしまったという。克衛氏が表舞台から姿を消した時期は、まさにその直後である。」(P330)
この記述は正確である。しかし、少しばかり補足したい。

わたしが、はじめて彫刻本尊(板本尊/所謂「本門戒壇の大御本尊」)の輪郭を重ね合わせ、日禅授与本尊こそ、この本尊の原本であると探り当てたその日、わたしは狭い自室を、檻の中の犀ならぬ熊のように歩き回った。
世紀の大発見だと思った。「著書にまとめるまで、口外すべきではない」、即座に思った。大木さんにだけは話そうと思い、その画像をファックスしたうえで電話をした。
「まだ、口外はしないで欲しい」とお願いもした。
大木さんは、襟度を持って、しかし、この事実を何人かの人に伝えたようだった。そのなかの一人に浅井克衛さんがいた。
「本部で講演をやって欲しいというのだけれど…」、大木さんは、そう言った。
「え、どこでですか」
「顕正会本部」
「え! いやあ、顕正会員は訊かないでしょう。だいたい、浅井会長が許すわけはないでしょう」
「いや、克衛さんが自分一人の為にやって欲しいといっているんだ。でも、多忙だから本部まで来てくれないかという打診なんだ」
櫻川さんが記述くださったとおり、わたしは快諾した。
講演の日程は、克衛さんのスケジュールが遭わないことを理由に日延べになった。そのうち、日教研の研究発表を経、本にもまとめた。大木さんはその本を持って、顕正会本部に出向いてくれたのだ。そこで、城衛さんのわたしへの批判的な言動があったと聞いた。そして、顕正会後継者・克衛さんへの講演の機会は永遠にやってこないことになった。
もっとも今でも、もし克衛さんが望むのであれば、わたしは喜んでお話をする。未発表も資料もふんだんにお見せして説明もしたい。
櫻川さんも触れているが、氏の除名処分の理由にわたしとの関係を取り沙汰された。しかし、櫻川さんは、『本門戒壇の本義』を出版された直後のことであった。本当の理由は、こうした櫻川さんの正鵠を得た出版を封じるためのことであったろう。
そもそも、『顕正新聞』では櫻川さんの除名理由の中で「本門戒壇の大御本尊を公然と誹謗している犀角独歩」といきなり名指しされた。まだ、大石寺もわたしについて触れることもなかったころである。なぜ、当然のように顕正会がわたしの名を書いたのか訝しく思った。しかし、克衛さんの一見からすれば、浅井会長、そして城衛さんをトップに抱く顕正会本部として、犀角独歩は、新聞に書けば通じる固有名詞に既にその段階でなっていたことを意味するのだろう。
それでも、櫻川さんへのアクションは『本門戒壇の本義』発刊直後であったから予想されたものの、そこで理由に犀角独歩が使われたのは、むしろ意外だった。なぜならば、櫻川さんは一つの研究としてわたしの話を聞いてくださってはいたものの、いまにいたるまで、特に具体的に賛同を意を表してはいないからである。
ただ克衛さんの失脚と櫻川さんの除名に共通項を求めるとすれば、それは「犀角独歩」がキーワードになるのかもしれない。
しかし、わたしは顕正会の経験がないから、この組織にも、浅井会長にもいっぺんの感情もない。あるのは、「魑魅魍魎」「学会くずれ」「大謗法者」と口を極めて悪口雑言の限りを尽くされた不快感ぐらいのものだ。しかし、それは怒り心頭に発するといった類ではなく、「なあにを言っているんだ」といった、思わず笑ってしまう程度の感情にすぎない。
では、櫻川さんと克衛さんに共通するものは何であろうか。それは本来のあるべき姿の「顕正会への熱き“思い”」だ。
わたしが櫻川さんの過去2冊の著書を拝読して斟酌できたのは、的確な情報提供と分析はもちろんのこととして、なにより、氏と本に流れる滾(たぎ)るような熱い血潮である。
それは単に顕正会を「議論ある団体」、もしくは「カルト」などと称して、排他することとは違い、その顕正会という組織の中で、自分の人生と熱意、そして、それが思いこみであれ、本人が信じる善意に生きる“会と会員への思い”である。
わたしが長らく顕正会問題に携わってきた。そこでよく聞く「顕正会なんかに入ってしまって」という侮辱的、軽蔑的な見方。いま流行りの言葉で言えば「上から目線」の、見下げた視点ではなく、かつては、同じ思いに全身全霊を良心・善意の一切を傾け、共に熱き血潮を滾らせた会と会員への思いが脈打っている。
櫻川さんの著者は、顕正会経験者、そして、その人々を心から愛する人にしかもてない深い情愛と慈悲に満ちている。
顕正会問題に携わるものにとって、その情報と分析のみならず、こうした氏の「思い」を斟酌されることを願うものだ。
Posted by saikakudoppo at 14:36│
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「情報」とは具体的に何を指すのか、文面から判読できませんが、大木道惠師を通じて、顕正会本部で克衛さん一人のために、講演を依頼されており、そのまま、話が流れてしまいました。
わたしは昭和30年生まれの生まれながらの日蓮正宗信者でした。ですから、いわば、顕正会が言っているとおりであれば、これほど、嬉しいことはありません。しかし、所謂「本門戒壇の大御本尊」を分析した結果、日禅授与本尊を原図として臨模作為した構成の作品であることがわかりました。よって、断腸の思いで、このことを発表し、克衛さんから声がかかったという経緯です。その後、顕正会から「魑魅魍魎」と人格攻撃をされるようになりますが、いわば、どうしても口封じをしたいということは、それが事実であるからに他ならないのでしょう。